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29年連続日本一。「加賀屋」の泣けるサービス

プレジデント8月19日(水) 11時31分配信 / 経済 - 経済総合
接客への自信が「おもてなし会議」を活発化する。
■鍋蓋の片づけ方を白熱して議論する

 その日、能登半島の高級旅館・加賀屋の広間では、20名ほどの客室係による臨時のミーティングが開かれていた。
 部屋に用意されているのは夕食と朝食のお膳。フロアリーダーの若葉さんが、おしぼりの出し方、椀物の蓋を片づけるタイミング、煎茶の美味しい淹れ方など、望ましいサービスの手本を見せていく。従業員たちはみな真剣な眼差しでその様子を見つめていた。

 一つのテーマを終えるたびに、若葉さんがこう問いかけるのが印象的だった。
「意見があったら言ってください。みんなでつくり上げていきましょう」
「これはベターであってベストではありません。少しでもいいなと思うことを、みんなで掘り出していこうと思います」
 するとこれまでの緊張した雰囲気がふっと緩み、ぽつぽつと質問の声があがり始める。特に議論が白熱したのは、お膳の鍋蓋の処理に話題が及んだときだった。椀物の蓋は貝やカニのカラ入れにも使えるので、すぐに下げてはならない。しかし、一回り大きい鍋の蓋はどうか──?
 お膳の周りに全員が集まると、「以前、お茶をお出ししたところ……」「私がお膳を準備していたとき……」と、現場での体験を彼女たちは胸を張って語る。

 現在、昨年秋からの不況の影響で、加賀屋の業績は厳しい状況が続いているという。だが、その声に暗さは見られない。細やかな議論を交わす様子からは、この旅館で働くことへの自信や、少しでもサービスを良くしようという意欲がむしろ伝わってくる。「プロが選ぶ日本のホテル・旅館100選」(旅行新聞社主催)で29年連続総合日本一に輝く、加賀屋の基礎体力を感じさせる瞬間だった。

「私たちが徹底しているのは、お客様からいただいたご意見を捨て子にしないということ。年間20万人の方がお泊まりになりますが、その中の一つの意見も捨ててはならないと考えています」と統括客室センター長の楠峰子さんが話す。
 加賀屋では各フロアのリーダーが集まる「リーダー会議」で140人の客室係の意思統一を図っているが、とりわけ重要視されているのは、宿泊客からのアンケート(マークシート式)をもとにした月に一度の「アンケート会議」だと彼女は言う。アンケートの数は年3万通。それを集計し、小さな点まで「改善」の目が行き届くように心がける。その結果は個人ごとに数値化され、フロアリーダーを通じて客室係へフィードバックされる。
 若葉さんが付け加えた。
「例えば“非常口の案内があったか”という欄の点数が低かった場合、ご説明する声が小さかったのではないか、と当人に注意します。ただし、誰もいないときにそっと話しかけ、自信を失うことのないよう心がけています」

 また、宿泊客からの「お褒め」や「お小言」などは、従業員用の廊下に常に張り出されてもいた。1年間に集められた具体的な情報は、「クレームゼロ大会」によって検証されるという。
 女将の小田真弓さんは「お客様からのクレームは大事なもの」と語る。
「注意をしてくれるのは期待があるから。その意味で一番怖いのは、問題があっても何も言われずに帰られてしまうことです。そこには天国と地獄の差があります」

 こうしたやり取りの繰り返しによって、客室からの声を無駄にしないという基本姿勢が共有されていくわけだ。
 だが、加賀屋の「おもてなし」は、それだけではない。楠さんが続けた。
「もちろんマニュアルはありますし、それを守るのは大事です。ただ、“おもてなし”というものは、マニュアルをこなせて60点。それ以上はお客様と接する本人の感性次第です。その意識を全員が共有して初めて、積極的に前へ出て何かを言おうという雰囲気ができていくのだと思います」

 加賀屋の「おもてなし」がメディアで紹介されるとき、よく取り上げられるこんなエピソードがある。……女性宿泊客との会話の中で、亡くなった夫と一緒に加賀屋へ来たかった、という話を客室係が聞く。そこで担当の彼女はすぐさま調理場に頼み、夕食時にそっと陰膳を用意する──というものだ。
 似た例はほかにも多くあると楠さんは語る。近隣の「あえの風」(グループのホテル風旅館)の支配人だったとき、彼女も次のような場面に出合ったと言う。
「結婚式に招待された男性のテーブルに、女性の写真が置かれていることに客室係が気づいたんです。聞けば昨年に亡くなられた奥様の写真で、花嫁の姿を一目見せてやりたかったという。そこで彼女は、花瓶に一輪の花を用意し、料理を2品ほど持ってくると、『奥様とどうぞご一緒に、今日の花嫁さんをお祝いしてあげてください』と言ったそうです」

 こうしたマニュアルにはない心遣いを、加賀屋では客室係が自らの裁量で行う。
「何かに気づいたら、客室係は客室センターに直接電話をかけます。後は『花瓶は私が持っていくから、あなたは花を準備して』と裏でリレーですね。誕生日や還暦など、記念日の種類ごとに記念品を準備はしています。でも、それらは結局、客室係がお客様とのさりげない会話から察するしかないものです」(楠さん)
 夕食時は1分1秒を争うような忙しさとなる調理場も含め、多くの従業員を巻き込む柔軟な対応は周囲の理解なくしてありえない。それが可能なのは、「お客様と接する客室係が、いちばんお客様のことがわかっている」という価値観が旅館全体に浸透しているからだろう。

 真弓さんによれば、そんな加賀屋の“客室係重視”ともいえる経営方針のルーツは、先代の女将の時代にあるという。1906年創業の加賀屋は、もともと和倉温泉の小さな旅館の一つに過ぎなかった。そんな中で、サービスに対する姿勢を徹底させることで、宿泊客の満足度を上げようとしたのが先代だったそうだ。
「お客様のためなら富山までハイヤーを飛ばして銘酒を買いにいかせる。たとえ収支がマイナスになっても、お客様のためならそれをやる、という“精神”を先代は持っておりました」
 加賀屋では当時から、「お迎えからお見送りまで」を一人の客室係が行ってきた。前日の酒席が遅くまで続こうとも、笑顔を崩さずにお客をもてなす。「朝早く歩いているのは、加賀屋の客室係のお姐さんと犬と新聞配達」と地元で言われるような直向きさが、加賀屋を年間20万人が訪れる大旅館へと発展させていったのである。


■大きくなっても小さな加賀屋でいく

 旅館の巨大化があるジレンマを生み出したのも事実だった。現在、加賀屋の社員は360名。バブル期をピークとした設備の拡張の中で、「客室係の顔や名前を覚えることも追いつかない」という時期もあった。その中で、いかにして前述の“精神”を守り抜いていくのかは、常に課題として意識されてきた。
「“大きくなっても小さい加賀屋でいこう”がスローガンです。そして、そのために必要なのは、お客様の満足度は働いている側の満足度があって初めて成り立つ、ということです」と真弓さんは言う。
「しっかりと休憩を取り、日々の生活を安心して送ることができて、初めてすっきりした笑顔になれる」からだ。

 例えば加賀屋では4億円以上の費用をかけ、20年前に配膳・下膳の自動搬送システムを導入した。また、最近では早い時間にチェックインをする宿泊客へ接する「もてなし番」を新設。いずれも客室係が宿泊客への対応に集中できるようにするためだ。
 さらにその価値観を端的に示すのが、「カンガルーハウス保育園」という保育所・学童保育所の存在だろう。母子家庭の従業員などが安心して働ける環境づくりとして、1歳児から小学6年生までを専属のスタッフが預かる。前身の「白鳥の家」は77年に設立され、今では加賀屋の客室係となった学童保育の出身者もいるという。このような施設の存在は、従業員の一体感や安心感へとゆるやかに繋がっていくものだ。

「社員は家族」と断言する真弓さんは、今は不況による苦境を耐える時期だとして、最後に現在も語り草になっているひとつのエピソードを続けた。
 07年3月の能登半島沖地震の際、加賀屋は水道管の破裂による館内の浸水などの被害を受け、1カ月の休業を余儀なくされた。そのとき小田禎彦(さだひこ)会長は、真っ先に休業中の従業員に対する給与の保証を宣言した。そのうえで「お休みの間に自分を磨き上げることを何かしなさい」と呼びかけたという。
 以来、加賀屋では茶芸や陶芸など“一人一芸”が奨励され、それはサービスや料理の勉強会などが頻繁に開かれる契機にもなった。冒頭のミーティングもまた、その流れを汲んで客室係から自発的に提案されたものだ。
「いいときも悪いときもみんなで分かち合う。お客が普段よりも少ないときだからこそ、自分を高めるために時間を費やして、笑顔で働いてほしい」
 そうした眼差しが培う自信と旅館への信頼。従業員の生き生きとした表情をつくり、好循環を生み出す基盤だろう。


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稲泉 連=文
本誌編集部=撮影


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  • 最終更新:8月19日(水) 15時 6分
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