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日の丸誕生秘話
日本の国が まとまる きっかけに なった事件のひとつに、『 刀伊の乱 』 が ある。 1019 年に、中国 遼 配下の 満州の 女真族(刀伊) と 見られる 海賊船団 が 壱岐・対馬、更に 筑前まで 攻めてきた 事件だ。 刀伊は 賊船約 50隻・約3000人の 船団を組んで、突如 対馬に来襲し、島の各地で 殺人や 放火を 繰り返し 暴れ まわった。 被害は、記録された だけでも 殺害された者 365名、拉致された者 1,289名、牛馬 380匹、家屋 45棟以上で、壱岐島では 残った住民が 35名に 過ぎなかったという。 入寇の 目的は 農耕民族 住民の 確保が あったと 言われている。 藤原定家の日記 『 明月記 』 には、『 鎮西の 凶党等 数十艘の 兵船を 構へ、彼の国の 別島に行きて 合戦し、民家を 滅亡し 資材を掠め 取る。 行き向ふ所、半分ばかり 殺害さる。 其の残り、銀器などを 盗み取り 帰り来たると。 朝廷のため 太(はなは)だ 奇怪なる事か。』 とある。 いわゆる 「 和冦 」 のはしりだ。 この時、朝廷は、北の 『 こま人 』 を 送り込んで、防人にし 持たせた武器が 片刃の 刀であり、やがて 日本刀と なった と 言う説がある。 両刃では、生産が 間に合わなかった から 片刃(=かた・な) なのである。 いわゆる 太刀の前身で、実戦用の 刀剣には、十分だった。 以後 衛府の 武官に用いられたことから、衛府太刀(えふたち) 野剣(のだち) と 呼ばれた。 さて、本題の、『 日の丸 』 だが、源氏と 平家は 仲が悪かったが、やがて 外からの 来寇が増すと、同じ 味方同士として、日本列島の 守りに 入ることと なる。 源氏は 『 白 』、平家は 『 赤 』 で、敵味方、源平合戦以降 なかなか 同じ軍団には ならなかったが、外敵の前にはそうはいかない。 結局 平家軍団の船に 乗ることとなった 源氏軍団。 そして両者は 白地 に 赤 の ひとつの 旗 『 日の丸 』 とした という説。 この説には 説得力が ある。 日の丸 反対を言う 人たちは、来寇した連中の 子孫か?(笑) ↓ 応援よろしくお願いします ↓
森繁久彌氏 の こと
YouTubeで、森繁の 船頭小唄 を見てて 思い出した。 ”屋根の上のヴァイオリン弾き” を、何回 見に行ったことだろう。 見るたびに 涙した。 また、彼のエッセイ 「ふと目の前に」 を読んだ時には、泣が止まらなかった。 それは ある公演でのこと。 公演中に 前列で 下を向いたままの 少女が いた。 役者たちは、代わる代わる 「起きろ!」 と ばかりに、近くに行っては 大きな音を立てて 床を 踏みならしたそうな。 舞台が終わって 拍手をしながら やわら顔を上げた 少女は、盲目だった という。 出演者 全員が、もうしわけなさに 泣いたという。 森繁は 舞台から 少女に わびた、と書いてあった。 思い出すたびに 涙する。 ・・・・・・今も。 森繁久彌氏は、お元気だろうか? ↓ 応援よろしくお願いします ↓
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