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ここ数日、えもいわれぬ神々しい波動に包まれております。 昨日は二羽の鳳凰が仲良くつがいで大空を舞っておりました。 ここ数日、何か大きな流れが起こっているようにも感ぜられます。 昨日、電車に乗っていたときのエピソードでございます。 向かいの席に、オレンジ色のTシャツを着た若いお嬢さんが座っておりました。 なんとなしに眺めておりますと、そのお嬢さんは小さなペットボトルを手に取り、キャップを開けて口に運びました。 ボトルに唇が触れる寸前、白昼のビジョンが目前に現れたのでございます。 それは弥勒菩薩様の木像のお姿でございました。 そのお嬢さんの姿が木彫りの弥勒菩薩像に変わり、指をほほに添えるおなじみのポーズになったのでございます。 そして、美しい指先が徐々に頬に近づいていき、頬に触れた瞬間、その変容は突如として起こりました。 木像の弥勒菩薩の表面が、あたかも衣を裏返すかのようにその表面が見る見る裏返ったのでございます。 そしてその内側から現れたのは、黄金に輝く金色(こんじき)の弥勒菩薩像でございました。 そのとき 「ウラミロク、顕現す」 という言葉が浮かんでまいりました。 木製の弥勒菩薩=偽の弥勒(ニセミロク)=表の弥勒 金色の弥勒菩薩=真の弥勒(ウラミロク)=裏の弥勒 断片的なイメージを言葉にしておりますので、分かりにくく申し訳ございません。 簡単に申し上げれば 「オモテとウラがひっくり返る」 に近いビジョンでございます。 千数百年もの永きに渡り、「偽の弥勒」(ニセミロク)が表社会に顕現しておりました。 過去の新興宗教は、すべて偽の弥勒(ニセミロク)の顕現でございました。 ネット上でスピリチュアル情報を発信されている方々も、多くは「ニセミロク」のお働きでございます。 実を申しますと、私の情報も「ニセミロク」なのでございます ニセミロクの働きとは、これからの新しい時代に先立ちまして、旧いエネルギーを浄化するというお役目でございます。 現在の「ニセミロク」は、今後現れる「真の弥勒菩薩」と入れ代わりに舞台から立ち去る定めなのでございます。 いわば人々の想念の大掃除をするための汚れ役を引き受けるような働きでございます。 私も慎んでニセミロクのお働きの一翼を担わせて頂いております。 それが9月9日までの期間限定のブログ発信の真相でございます。 拙ブログは、いわば最後の恩返しでございます。 ニセミロクのお働きに思いを馳せておりますと、その真実の姿がありありと見えてきます。 ニセミロクは、これまでの映し世における仮のお姿でございまして、人々の希望であり、空蝉(うつせみ)のお姿でございました。 本物の弥勒菩薩様は、歴史の表舞台から長らく身を隠してまいりました。 36(偽の弥勒菩薩)+1=37(真の弥勒菩薩) 木製の偽弥勒(36)に一筋の光(1)が加わりまして、真の弥勒(36+1)となって輝き始めるビジョンも現れたのでございます。 そのうちにふと我に返りますと、先ほどのお嬢さんが最初の一口目をペットボトルから飲んだところでございました。 その間、わずか3秒ほどでございましょうか。 そのわずかな瞬間に、様々な「ニセミロク」や「真の弥勒菩薩」などの情報が膨大なビジョンとなって映し出されたのでございます。 真の弥勒菩薩の登場後に顕現されるユートピア(弥勒の世)のビジョンも垣間見えました。 ほかにも断片的なビジョンが次々と沸き起こってまいりました。 それらを綴ると長くなりますので、ここで簡単にまとめて申し上げましょう。 木製の偽の弥勒菩薩(ニセミロク)は仮のお姿であり、旧世界のエネルギーを浄化するお働きを象徴します。 黄金の真の弥勒菩薩(シンミロク)は本来のお姿であり、新しい世界を作り上げるお働きを象徴します。 すなわち両者は表裏の関係であり、両者が連携して初めて弥勒の世というユートピアが築かれるのでございましょう。 真の弥勒菩薩様のお働きは目立たないものでございます。ブログのような目立つところにはお姿を現しません。 真の弥勒菩薩のお働きを担うのはお一人ではございません。 おそらく、電車でお見かけしたお嬢さんのように、普通の主婦や学生のような多くの無名の方々が黙々とそのお役割を担うこととなりましょう。 これからますます素晴らしい時代となってまいります。 年甲斐もなくわくわくする今日この頃でございます。
最終更新日
2009.08.18 00:12:11
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