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どのような物事でも、表と裏の両面性がございます。 表(オモテ)とは外界的な現象として現れるもので、裏(ウラ)とはその現象を成立させる内在するエネルギーでございます。 私はそれを「表波動」と「裏波動」と呼んでおります。 表波動と裏波動はまさしく表裏一体の関係であり、両者は同じエネルギーの別の側面なのでございます。 抽象的な物言いで分かりにくいと存じます。もう少し具体的に申し上げましょう。 例えばAブログの主張と、Bブログの主張が正反対だったとします。 同じ物事について、Aさんは正しいと言い、Bさんは間違っていると言ったとします。 通常の感覚ですと、どちらかが間違っている、もしくはどちらかがウソをついているということになります。 AさんがBさんに対して「お前は間違っている」と主張し、Bさんが「そんなことはない」と互いに議論したとしましょう。 一見すると、両者は敵対する関係に見えます。 ところが、表と裏の波動を同時に見ますと、両者は仲良く波動の交流をしている同じ仲間に見えるのでございます。 極端な例を申し上げましょう。 犯罪の加害者と被害者はまったく正反対のように見えます。 ところが、波動の流れをつぶさに照覧いたしますと、両者は本質的に同じに見えるのでございます。 犯罪の波動=加害者+被害者 加害者と被害者は表裏一体の波動であり、両者の波動が同調して初めて犯罪が成立するのでございます。 このあたりはデリケートな問題を含んでおりますので、語弊がある表現がお気に障りましたら、深くお詫び申し上げます。 もう1つ例を申し上げましょう。過去に日本と米国は大きな喧嘩をいたしました。 そもそも好きな女の子をいじめる心理と申しましょうか、関心のないものに対しては、もともと喧嘩などは吹っかけないものでございます。 つまるところ、それは「喧嘩するほど仲が良い」ということでございまして、日本と米国はもともと互いに切っても切れない仲の良い兄弟姉妹国なのでございましょう。 実に単純な道理でございます。 そういう観点で見ますと、周囲の人間関係はすべて自身の映し鏡であるということが分かるのでございます。 以前、感謝想起や線香供養の危険性を拙ブログで言及いたしました。 それは一時的にせよ、私がそのブログに強く引かれたということでございます。 まだまだ私も未熟者でございます。つい大人げない感情を持ってしまいます。 何かを否定するということは、己自身の心の有様をそのまま否定しているということになるからでございます。 そう考えますと、世の中の様々な争いごとや非難中傷は、すべて自分自身と戦っているということを意味いたします。 争いごとの現れは、戦争だけではございません。 世の中のあらゆる競争、議論、論争、攻撃、批判、縄張り意識などは、すべて戦争の一種なのでございます。 まずは一人一人の心の中に平和を築かないかぎり、世の中から戦争は永久になくなりません。 他国や他人や他のブログの攻撃や批判をしたり、警告を発するのは簡単でございます。 ですが、それは新しい時代ではもはや通用しない旧時代の人々の思考回路でございます。 力の時代は終焉を迎えつつあります。 旧時代の波動(=力の波動)では、過去の大戦と同様に、いたずらに大きな犠牲を払うだけでございしょう。 「歴史は繰り返す」はもはや通用しない時代となっていることをお伝え申し上げます。 武力、腕力、議論、攻撃、競争、批判などの力に頼るのは、もはや時代遅れなのでございます。 すべての波動が明らかになり、隠し事が出来ない時代となれば、地球の波動に合わないものは自ずと存在できなくなりましょう。 すでにその兆候は随所に現れてきております。 ですから意図的に何かを排除されようとする必要はございません。 地球波動に照らし合わせて、すべての立て分けは粛々と進行しているのでございます。 地球波動を調整するという特殊なお役割を担った一部の方々を除き、多くの方々にとりましては、まずはご自身の波動を整えることが最優先でございましょう。
最終更新日
2009.08.17 00:10:33
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