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本来、すべての人は霊能者でございます。 どのような人でも、言葉には表せない直接的な知覚を感じることがありましょう。 いわゆる直観、カン、ひらめき、インスピレーションなどはすべて霊能の一種でございます。 虫の知らせとか、なんとなくあの人は信用できないとか、遠くに離れた恋人の気持ちが分かるのも一種の霊能でございます。 社会生活において自然にひらめく人間関係の知恵なども、霊能の一種でございます。 今夜、家族が食べたいものを事前に察して、家族が喜ぶ美味しい料理を作るのも霊能の一種でございます。 おどろおどろしいものばかりが霊能ではございません。 古来より伝わる薬草や薬膳料理、お祭りや盆・正月など季節の行事や風習もそうでございます。 いずれも古来のある時期、霊能にすぐれた方々が降ろされたものでございます。 本来、霊能とは人々を健やかに幸せにする知恵なのでございます。 ところが、霊能を使う人の心持ちによりまして、霊能は「両刃の剣」ともなりえます。 有名な霊能者ブログの中には大変怖いお方も見受けられます。 そもそも私が初めてコンピュータに触れるようになったのは、線香供養をして体調を崩した相談者に見せていただいたブログがきっかけでございました。 そのブログを初めて見たとき、大変驚愕いたしました。 たくさんの生きた方々の「目」がそのブログの画面に結集されていたのでございます。 私がそのブログを読もうとすると、いっせいにその目が私の動向を監視するのを感じました。 「おまえ、何しに来たんだ」 そこはまるでたくさんの子分がたむろするヤクザ事務所のようでございました。 その奥にスーツ姿をした男性の視線がありました。 暖かさの微塵もない冷酷な目でした。 私の霊眼の視線を察知して様子をうかがっているようでございました。 「余計なことしたらただじゃすまないぞ」 私が黙っていると、饒舌に神道のお話しを少しなされまして、私の様子をじっとうかがいました。 どうやら、私のことを敵か味方かを値踏みしていたようでございます。 私が敵ではないことを知ると、急速に興味を亡くされたようでございました。 その方の本質(=過去世の一つ)は、大変霊力の強い祈祷師でございました。 陰陽師の安倍晴明や、修験道を開いた役行者に匹敵するほどの霊力を持ちながら、その傲慢で自己中心的な性格ゆえに時の権力者から重用されなかったようです。 最後は、自分よりも出世した人間を妬み、呪詛で呪い殺そうとして、逆に呪詛返しで亡くなられています。 まさに 「人を呪わば穴二つ」 なのでございます。 今世では、過去世で果たされなかった「人々からの尊敬と名誉を得ること」に執着が強いようでございます。 また、その方は感謝想起の祝詞の実践を提唱されております。 感謝自体は決して悪いものではございません。 ところが、 「祝詞と呪詛は紙一重」 なのでございます。 古来の日本語の文字としては、 「咒」(シュ:真言や祝詞等) 「呪」(ジュ:のろいやまじない等) の様に使い分けられておりましたが、もともと両者は非常に区別しがたいものでございます。 自発的な感謝の祈りであれば何も問題ございません。各人がご自分の好みの作法でなされるのがよろしいかと思います。 ところがある意図や欲をもって、多数の方々が同じ呪文を同時に唱えますと、そこに強大な呪詛のエネルギーが発生いたします。 私が拝見したところ、それが背後にいる魔物の食べ物になっているようでございます。 また唱える本人の意思と関係なく、「〜して頂いて」と宣言することは、その呪詛を提唱されているお方への帰依を宣言する誓いの言葉となっております。 しかもそれを「最強の祝詞」と称して普及されているようでございます。 この種の呪詛は、多くの人が唱えるほど、より大きなエネルギーを発生し、魔の磁場をますます強化いたします。 その手口は、既存の宗教団体と本質的に異なるものではございません。 新しい時代の見事なネット新興宗教と申せましょう。 本来、正神につながらない宗教団体の多くは、互いに相手を「魔」と断じて反目しあうものでございます。 その方も「金銭を受け取る霊能者はすべて魔道」と断じておられます。 神ではない人間が、なにゆえに「すべて魔道」と100%断定できるのでございましょう。 その上、ご本人は霊的な本を書いて印税を頂いているようでございます。 これは「金銭を受け取る霊能者はすべて魔道」という言葉に矛盾いたします。 また、食糧危機になったときに自分が助かるために玄米を買い占めるという行為を見ても、自己中心的な性格は過去世からあまり進歩しておられないように見受けられます。 そのブログは大変人気が高かったのですが、それもある意味で当然と申せましょう。 魔の知恵は大変魅力に富んでおり、多くの方々が飛びつくような好奇な記事(=エサ)を毎日欠かさず提供することが可能であるからでございます。 私が拝見したところ、霊的な記事の半数は真実(ただし借用・引用が多い)、残りは言ったもの勝ちの検証不能な中身でございました。 自然界の動植物は、地球の恵みによって生かされております。 彼らは生命の喜びを身体で100%表現しております。 生命尽きるまで思い切り生きて、悔いなく死んでゆく…。 ただそれだけのことでございます。 本質的には人も、地球に生きるすべての生命と同じでございます。 人間だけが先祖供養に明け暮れる必要はございません。 そもそも十代以上も遡って傍系のご先祖まで含めると、その数は天文学的な数になります。 自然に心から発する感謝の気持ちとご先祖様への崇敬の思いがあれば、その形式は問われないものでございましょう。 お話しがそれました。最初の相談者のお話しに戻ります。 相談者の自宅に行き、線香供養の現場を見せて頂きました。 その仏壇には、3本の線香供養によって、幽界に続く霊的な小さなトンネルが開いておりました。 ちょうど人のチャクラのように、幽界に続く渦巻状のトンネルが開いていたのでございます。 そこから大小たくさんの魑魅魍魎が出ようとしておりました。 小さいものはすでに現実界に少し出てきておりまして、それが相談者に憑依し、原因不明の頭痛や体調不良の原因となっておりました。 まだトンネルの口が小さかったので、私の拙い霊力でも簡単に閉じることが出来たのですが、そういうものは通常の場所にはめったに開かないものでございます。 お盆に開く一時的な霊界のフタとか、自殺の名所とか、古戦場とか、いわくつきの特殊な場所に出来るものでございます。 線香供養の正体は、そうした異界へのトンネルを何も知らない一般の方々に開通させるための呪術的な儀式でございました。 最初は小さくとも、一般には長く続ければ続けるほどトンネルは深く大きくなります。 さらに、多数の方々がほぼ同時に行なえば、人々が協力して大きな深いトンネルを掘ったのと同じように機能するようになります。 その結果、トンネルの口が大きく深くなればなるほど、幽界からより大きな存在(=魔界の大物)が通り抜けて出られるようになってまいります。 それが多数の方々の手で行なわれていること、またそうしたことを提唱するお方の意図を考えますと、大変怖いことと申せましょう。 このように、スピリチュアル系のネットブログには、たくさんの危険がございますが、こうした線香供養に類似した儀式は、現実界にも数多く転写されて出てきております。 おそらく今はそういう時期なのでございましょう。 それにつきましては、明日の日記で少し綴ってみたいと思います。 いずれにしましても、必要以上の線香供養は実践される方への憑依の温床になりますので、大きな霊的リスクを負うことをご承知おきくださいませ。 追伸: 本日の記事は年寄りのたわごとでございます。全面的に信じて頂く必要はございません。ご自身の魂の声に耳をすまして、ご自身で悟ることがなによりも大切でございましょう。必要なことはすべてご自身の深いところですでに知っていることと存じます。 7月21日追記: 大勢の人が同じ呪文をとなえながら行なう儀式は、いわば巨大なコックリさんをやっているようなものでございます。個人でやっているつもりでも、無意識の中ではつながってしまうからでございます。もちろん人によってはトンネルが全く通じないこともあるでしょうが、提唱者の方法ですと、かなりの確率で幽界に通じるトンネルが開きやすくなるように思われます。
最終更新日
2009.07.21 14:40:19
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