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正神と邪神の能力は9分9厘同じであり、違うのは1厘のみでございます。 その一厘とは「言葉に慈愛が感じられるか」です。 審神の基本とはその一点を見抜くことにかかっております。 慈愛があるのが正神、慈愛がないのが邪神なのでございます。 人にはそれを審神する能力が先天的に与えられております。 その眼が曇りに曇っているのが現代人の特徴といえましょう。 慈愛とは「無条件の愛」にほかなりません。 無条件の愛とは、何かをすることを強制したり、脅し、警告、儀式の類を一切しないものです。 邪神界に通じる方々は、有益なスピリチュアル情報を人々にたくさん下賜いたします。 何も知らぬ善良な方々は、「なんと有り難きお話しでしょう」とますます信仰の思いを強くいたします。 実を言いますと、この時点ですでに強力な呪詛が働いているのでございます。 正神界の神々は、聞く人の魂の叫びなしに神界の機密をベラベラとお話しするものではございません。 普通の人が聞いたこともないような神々に関する知識をひけらかすのはすべて邪神の特徴でございます。 邪神とは、人々の向学心、興味、信仰心を利用して、そうした神界に関する知識や情報をエサにして、人々の心をたくみに操る仕組みになっているのでございます。 邪神が悪なのではございません。人の心が邪と共鳴するがゆえに、邪神が顕現するのでございます。 邪神に通じる方々は、教育好き、学び好き、集団行動が好きで、手取り足取り面倒を見られることを好むものでございます。 要するに依存心が強い方々が邪神に魅入られるのでございます。 人は邪神のおしつけやおせっかいを善意や親心であるとカン違いし、ますます有り難がり、依存心を助長し、身も心も捧げるようになり、深く深くマインドコントロールが進行していきます。 数多くの宗教団体が成立するのも同じ道理でございます。 そのような属性は、資本主義の貨幣経済やサラリーマン社会の会社信仰にも見られるものでございます。 そろそろ「呪詛」の正体を申し上げましょう。 以下のような手順を踏む手口でございます。 1)たくさんの奇異なる知識の提供(=意識の硬直化) 2)心のこもらない形式的な呪文の強制(=意識の縛り) 3)警告、脅し、恐怖、興味や好奇心など人々の感情に訴える言葉(=感情のコントロール) 4)神社参拝や集会や登山などの現実から離れた儀式の施行(=行動の縛り) 5)使命や義務感や選民思想の植え付け(=何か特別なことをするという洗脳) 6)賛同者同士の共感、共鳴、熱狂による集団心理の扇動(=信念体系の構築) 7)行動や意識の依存による生命エネルギーの略奪(金銭や賛辞の提供、ブログ信者など) 呪文の中には祈りの言葉や祝詞も含まれます。 本来、祓い清めの効果の高い祝詞であっても、慈愛の心がこもらない形式的なものはすべて呪詛の手段となります。 1)〜7)に当てはまらないかどうかをご自身で審神してみることが、正神と邪神を見分けるコツでございます。 邪神界と通じた方々の末路は、寿命の短縮、金銭的な窮乏、人間関係の悪化、ご自身の天命を全うできぬこと、業病やうつ病の発症、ご自身の波動の悪化など、その影響は甚大なのでございます。 すべては人の心一つでございます。 邪神と正神、どちらをお選びいただくかは、これからのあなた様のお心一つにかかってまいります。 次の日記では正神界の神々に通じるコツをお伝えいたします。
最終更新日
2009.07.19 20:35:28
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