2008.01.31

幼稚園まで休んで、ヒロチンコさんと私は寝たきりライフ。目を開けると同じ状態でヒロチンコさんがぐうぐう寝ていて、また寝てしまう。そして向こうが起きると私はぐうぐう寝ていて…そのくりかえしで最終的にお腹が減ってきた。
私「おじいさん、おなかがすきましたね、でもふたりともどうしても起きられませんね…いつかもっと体が動かなくなってこうやってふたりで餓死するのでしょうか」
ヒロチンコさんは返事もなくただ弱く微笑むのみ。リアルな老後シミュレーション。
でもチビは目を覚まして「わ〜!なんで幼稚園に行かなくていいの?やった〜!もう二度と行かせないでね!」と言って喜んでいた。そこにいっちゃんがキッシュを差し入れてくれたので夫婦で餓死はまぬがれた。
夜になったら少し大丈夫になってきたので、フラへ遅刻して行ってみた。踊るとめまいがしてほんとうに倒れそう。立ってるのがやっとだった。でもじゅんちゃんとちはるさんのお誕生会にはなにがなんでも顔を出す。なんだかんだ言って馬刺とか鍋とかやけくそに食べて元気を出そうとしてみた。寒いからみんなと手をつないだり、ケツを触らせてもらったり、腕を組んだりしてくっついて帰ったらあたたかく柔らかくて幸せだった。
2008.01.30

日記を見るとすごくハッピーそうに見えるだろう俺だが、そんな人間が小説家なんかになるわけがないだろう!と思いながらも、今日はすばらしいことがいっぱいあった。
まず星星峡に森先生の水柿助教授のシリーズ最高峰かと思われる原稿がばっちりと載っていて、楽しい犬の散歩のあと、買ったばかりのブレンダーで自分で作ったリンゴとジャガイモととうもろこしのポタージュスープを飲みながらしみじみと読んで「こんなすばらしいものをこんなに簡単に読んでもいいのだろうか」と幸せをかみしめた後で、同じその号の会田誠さんの首が振り切れそうなくらいうなずけるエッセイを読んで「自分は孤独ではなかった」と思い、なおかつこの本百九十円。ありえない!再度書きます、幻冬舎太っ腹!
もうこれだけで私は一日は終わったわ〜、と思った。
しかし「どうも自分の特別企画には華がないわね〜」と思ってしょこたんぶろぐをのぞいたら、スカシカシパンマンが出ていて、女の下着を透かし見ようとものすごいポーズをとったり、ソファの隙間に落ちたりしている…もしこれが桂子お母さまの変身後の姿だとしたら、完全にもう神の域。負けて当然だと思い、はらわたがよじれるくらい笑ってさっき幸せに飲んだスープを出しそうになってしまった。
果敢に英会話に行って、今日もすてきなマギさん&バーニーさんに延長授業でみっちりと英語を仕込まれ、がんばったわと思いながら帰ったらやっぱり熱が出て、ヒロチンコさんまで倒れた。そんな不吉な家の中でヤマニシくんとチビがきゃあきゃあ遊んでいてうらやましかった。心はハッピーなのに!風邪なんて!
2008.01.29

タイマッサージに行く。頭と首が痛いのをとにかくほぐしてもらう。自分ではのばせないところをのばしてもらうと、体が「こう見えても実はもっと柔らかいのですよ」と言うのがわかるような気がする。
すっぴんのままで藤谷くんのお店にちょっと寄り、いろんな話を聞く。小説を書いていくってほんとうに切ない仕事だ。見えなくていい変なものも見えてくるし、もうかりゃしないし、なのにみんなもうけてると思ってるし。でも、藤谷くんの人生は見えない貯金でいっぱいで、これが現実の利益にならないわけがないなあと思った。そんな藤谷くんが歩いて行ける距離にいることがどんなに私の心を明るくしているか言葉にできないほどだ。
2008.01.28

風邪が悪化し、寝込む。寝込むと気持ちがずっしりと暗くなって理屈っぽくなる。
でもまあいいか、みたいな感じが今年は大切だと思い、またも寝た。単なるなまけものだ!
おべんとうも作ったし、おむかえも行ったし、晩ご飯も作ったし、仕事も少ししたし、まあよしとしよう。
寝込んでいるので養老先生と帯津先生の新刊を読む。驚くほど共通の要素がある。帯津先生と五木先生の新刊もそうだった。おじさん(おじいさんか?)たちも本気を出している。すばらしい底力のある人が本気を出している様子をみると、風が吹いているようないい気持ちがわきあがってくる。
最近、どんな親しい人の帯や解説の仕事もどんどん断っている。断るとたまに「日記を見るとずいぶん読書しているではないですか、時間はあるのではないですか?」という人がいる。でも、違う。ほとんどの本は次の作品に関係があるし、資料として読んでいるのです。こんなことを言うのって無粋かな?と思うんだけれど、ここまで書かないと伝わらないなと思って、書いてみました。
私も元プロだから来る仕事はみんな受けたいんだけれど、収入も減るから苦しいけれど、今は節約してでもひとりの人間を育て親の人生の最後の時期を共にしていかなくてはいけない大事な時期なのです。半引退の覚悟である。どうか不義理をかんにんして、と思うけれど、伝わらない場合は縁を切られてもしかたない覚悟もしっかりした。
そんな中で蝶々さんからたからものみたいなメールが来て、ちょっと泣いた。あの子は現代日本が産んだ永遠の宝物だ。聖も俗もいっぱい見て、でも持たずに身を軽くしながら旅を続けていく。応援してあげたいな、と思う。ほんと、小学校のクラスだったら私は地味で風変わりでオタクなでもみょ〜に人気のある子、あの子はメジャーを走り続けるキラキラのトップスター。でもお互いがなんか大好き。やることが違うからちっともいっしょにいないけど、たまに会っておしゃべりするとなんかほっとする。そういう感じ。
2008.01.27

風邪をおして岡本太郎記念館でのマヤちゃんのさよならパーティに行く。
ライブペインティングにとことん向いていない彼女、絵はかなり迷っている感があった。そりゃそうだろう。今迷ってなかったらそれは変だろう。ここをもう一段抜けないといけないから苦しいときだが、彼女ならやるだろう。これまでもどんなことにも耐えてきた人だ。ほっぺたにチュウをして別れる。もしかしたらもう一生会えないのかもしれないな、と思いつつ。
でもそういう人に限ってこれがまた会えるんだよな…!
敏子さんについこのあいだまで会っていた場所に敏子さんはいない。この人こそに、もう会えない。敏子さんのいない敏子さんの生活空間はがらんとしていて淋しかった。いつもあの家に行けば会える、そう思っていたら会えなくなってしまった。
マヤちゃんの絵を見たらチビの絵描き欲が岡本太郎記念館にふさわしく爆発し、平野館長にいただいたスケッチブックに狂ったように絵を描き出した。しかも現役絵本作家であるヤマニシくんを台にして。なんといういい身分であろうか。
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