2008.06.30

Hanakoの打ち合わせ。
懐かしい人、新しい人、久しぶりの人などに会って、ああ、マガジンハウスってこういう感じだったなあとしみじみ思う。会社のカラーってあるんですよね。和やかに集い、なんとなくだがいろいろ決定。
来年の連載は、これ一本しかしないつもり…というか、単にゲストで出るだけで、自分の連載ではないので、かなり気楽。
その後、別の打ち合わせで、そこまで行かなくてもよかったけれど、わざわざたくさん歩いて遠くまで、おいしいコーヒーを飲みに行った。贅沢だが、それができるのはかなりの幸せだ。上馬時代はおいしいコーヒーのお店が一軒しかなく、この状況で生きられる人しかここには住めない!と思いつめたものだった。しかしなんとそのお店もなくなってしまった。茶房遊のマスターは元気だろうか、たまに彼のコーヒーが飲みたくてのたうち回る私。あれほど惜しまれた店ってなかなかないかも。
2008.06.29

ゾンビについて考えた。
ロメロの新作群を含め、どのようなゾンビ映画もアイディアという点においては「ナイト・オブ・ザ・リビングデッド」が基本になっているのは確かだが、身びいきではなくて最高峰はやはり「ゾンビ」(ドーン・オブ・ザ・デッド)であろう。ちなみに私が評価しているのは当時日本とイタリアで公開になったアルジェント監修版のバージョンである。
リメイクの作品を次々観たが、その薄さは「現代のゲーム世代が作ったから」というだけでは言葉が足りない気がする。どの映画も、ロメロ本人さえも「ゾンビ」一本だけに憧れてあの水準を夢みているが、到達できていないと思う。
はじめにゾンビになるのが差別されていたプエルトリカンであり、主役が結局は妊婦と黒人であるのも当時の世相を反映しているし、巨大なショッピングセンター(撮影に使ったところ、まだ営業してるんですね、こわくて行けねえ!)があってもなぜか空しいというのも時代の空気だったし、人々が信仰を失いつつあったし、TV局に勤めるのが花形だった時代でもあり、さらには宇宙に対する夢が不安と結びついた時代でもあった。
細菌感染なんかではなく、宇宙線だったところが大事なポイントであった。
ただのパニックものではなく「人類の尊厳とはなにか」というところまでテーマは深かったと思う。
そしてアルジェントの力により、音楽と美術がものすごく優れていたし、脚本も奥が深かった。なぜ深かったか、それはアーシアさんの「死んだ人がよみがえって生きている人を食べるという考えには、なにか人間の根底をゆさぶるものがあると思う」という言葉がいちばん生きていた映画だからだろう。ある行動は必ず次の行動のきっかけとなり、命を失うときは必ずなにかしくじったときだ、という法則が現実的にきちんと描かれていたし、黒人と白人の間の友情もリアルだったし、「これはしょせん映画だから」と思わせない人物描写が見事だった。あんなとっぴょうしもない設定なのに、ドキュメンタリーを思わせるものがあるほど、撮りかたがうまかった。
しかしそれは七十年代の恐怖であり、現代の恐怖とはなにか?と考えたとき、やはり私の頭にはアルジェントの最新作「マザー・オブ・ティアーズ」が浮かんでくる。最終的にマザーがあんましこわくない、アーシアちゃんがいちばんすごい殺戮をしてないですか?などいろいろ突っ込みどころもあったし、低予算だった。しかしあれを上回るほど、現代の不安な感じをしっかりと描いたものを、やはり思いつけない。街を歩いているだけで、不安にさらされているこの気分は、あの映画の中の気分だ。そこにはゆったりした善や光は遅すぎてなかなか届かないだろうという、あの絶望だ。わざわざローマまで観に行ってよかった!
彼はいつだって早すぎる、敏感すぎる。そして後から評価される。惜しいことだ。しかしわかる人にはわかるのだ。
…こんなせまい範囲のことをこんな熱く語ってどうするのだろう、しかも喜んでくれるのは荒井くんと矢澤さんくらいかも…。
2008.06.28

さらにチビの名言。
「パパのにこにこした顔が好きなんだよ、ずっと見ていたかったの、でも寝ちゃって見れなくなったから、淋しくなったの」
そうかいそうかい。
森田さんといっちゃんが来てくれていたので、ひたすらにただひたすらにゲリーの自伝を読む。一日中少年ゲリーといたみたいで切なくなる。あまりにも綿密に読みやすく描写してあるので、幽体離脱先の世界以外に当時のアメリカの文化もよくわかる。昔、一回だけ真っ昼間に離脱してしまったことがある私だが、確かに世界はものすごくきれいに光っていたし、木が透けて葉脈を流れる水が見えたっけなあ。レンズが近くなったり遠くなったりも自在だったのも同じ体験だし、自分から出てるひもが見えたときにはぎょっとしたなあ(なんだかなあ)。でも一回で充分ってくらいびくびくした体験だった。まあ夢ってことにしとこうかな。
夜は原さんのライブ。
新曲がとてもよかった。大人でないとわからないような内容だったので、これがわかる自分でよかった、と思った。階段の上から、音楽を聴いて幸せそうなお客さんたちの顔をいい気持ちで見ていた。チビは原さんのライブ初めてだったので、子供を連れてくることになるとは、とそれも感慨深かった。
チビはてるちゃんと大騒ぎして、飴屋家の一歳の美人ちゃんにぽうっとなったあげくに、原さんに「ライブはよかったです」などと堂々と言っていた。
2008.06.27

チビはまだごほごほ。
しかし負けずにチビをあずけて、恵さんとごはんを食べに行く。
限定二十食の薬膳黒酢冷麺があまりにも奥深すぎて、酒を飲もうが、おしゃべりしながらじょじょに食べようが、どうしてもどうしても喉を入っていかず、ふたりでしみじみと顔を見合わせた。うなぎの揚げたの、にんにく、クコ、杏、山芋、牛肉、朝鮮人参の揚げたの、などなど体にいいものがいっぱい載っているのだが、どれも麺と全くからまないのだ。
いつもエロく美しく服のセンスが良い恵さんだが、今日も足が出ていて鼻血ブーだった。男だったらもう大変だろう。美しいというのも大変な仕事だ。
そう思いつつ、とにかくがんばってその麺を食べていたら、うつされたと思った風邪がみるみるひいていった、さすが薬膳!
夜中に、義理のパパの暴力に悩まされたゲリーの切ない自伝を読んでいたら、横でチビがめそめそ泣いているから「どうしたの?」と聞いたら、「大好きなパパが先に寝ちゃって淋しい」と言っている。
君のケースはこんな幸せな涙でよかったね、と思うと同時に、大人はやっぱりそういうことを麻痺させているんだなあと思った。それほど純粋な悲しみはなかなかないだろうと思う。パパが死んだ、でも出かけた、でもない。そんな大きな理由があれば、それにすがれるから、現実の悲しさになる。
でも、自分の届かない眠りの世界に行っちゃったということは、人は産まれるときと死ぬときはひとりきりだというのに通じる気持ちであると思う。
2008.06.26

フラへ。
いろいろなものがうろおぼえなままに、てきとうに参加したので、めまいがするほど忙しかった。最後クムがいらしてみんなが騒然となっているのに、ちっとも気づかないくらいにボケボケであった。ああ、二番の振りが全然わからないのにいちばん前になっちゃったよ〜!なんか遠くで騒ぎが起こっているな〜、とぼうっと思っていた。
クムの生声はもはや天国からの音みたいにきれいで力強かった。
ホクレアに乗っていた強者、内野加奈子さんが見学にいらして、ご紹介いただいた。だって、ホクレアってカヌーなんだよ、それに、エンジンとかないんだよ。五ヶ月も船の上に暮らしてたんだよ!たくましい肩ときらきら笑顔のすばらしいおじょうさんだった。貴重な旅の記録を描いた著書をいただいた。こんなへなちょこな俺がもらっていいのだろうか…釣り船に乗ったら五秒で吐ける俺が…。
帰りは久々にみんなでごはんを食べて、たくさん笑って帰った。
チビはぜんそくで大騒ぎだが、元気は元気ではしゃぎながら深夜に思う存分ウルトラマンを観ていた。夏休みの悪いパターンがもう定着…直すのに一ヶ月、戻るのは一瞬という、ダイエットによく似たシステムとなっている。
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