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挑 戦 無 き 者 は 去 れ !

北海道大雪山系 トムラウシ山 大量遭難を考える。 今回の事故について戸田新介様のご意見 と 幾つかのご回答

mit 42 Kommentaren

このテーマに関するメインの記事は 北海道大雪山系 トムラウシ山 大量遭難を考える。となっております。

ご覧の記事では、閲覧の便のためメインの記事に掲載されている戸田様のご意見の部分を一個の記事として抜き出してあります。
8月17日 silvaplauna


掲載情報

第一回分、質問①~⑨に対するご回答 7月31日公開、
第二回分、質問⑩~⑱ A①~A⑦に対するご回答 8月1日公開、
第三回分、質問19~19-8、20 A⑧~A⑱に対するご回答 8月2日公開、
第四回分、質問A⑲~30に対するご回答 8月6日公開(一部非公開)、
※戸田様からいただいた追記情報(事実関係)を掲載しました。8月7日 AM08:00 追記、
※本事件に対するアミューズ・トラベル側の見解「トムラウシ山の遭難事故の経過について」と若干の私的分析、それに対する戸田様のご意見を掲載しました。 8月9日 PM09:00 追記、
第五回分、質問A31~A50に対するご回答 8月10日公開、
※アミューズ・トラベル側の見解「トムラウシ山の遭難事故の経過について」に対する戸田様のコメントPDF版を掲載しました。 8月15日 AM06:00 追記、

先に公開したアミューズ社の見解に対する戸田様のご意見としてコメントを掲載いたします。ご自由にダウンロードしてご覧ください。

「トムラウシ山の遭難事故の経過について」に対するコメント」(PDF版)

上記 PDFファイルの内容を以下に掲載します。

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「トムラウシ山の遭難事故の経過について」にたいするコメント

この文書では2人のガイドの言っていることだけが実質上問題であるが、斐品氏の言が客観性を装うために利用されている。斐品氏の言がなければ2人のガイドだけのいわば「言い訳」に過ぎないとみなされるのを防ごうというのでしょう。だから修飾物ははずしてかんがえればよいと思います。幸い斐品氏の言はガイドたちの言とは関係のないところを述べているだけで、斐品氏の言を外しても差しさわりがないようです。

本当は少なくとも生還者全員の証言を集めて、あるいは突き合わせてこうした文書を作るべきだと思います。最初が肝心なのです。しかし会社はそんなことには関心を持っていないようです。残念なことです。

16日の出発にあたっての経緯について全く触れられていないのは妙であります。だれが最終的に決行を決めたのか。その理由は。お客が辞めたいと申し出たといわれていることについて何も触れられていないのはどうしてか。だれが申し出たのか。死人に口無しとして黙らせるのか。ガイドに聞きたいのであるが、全然触れられていないのはどういうことか。自分は川角さんではないかと思っています。ガイドは彼女の希望を一蹴してむりに歩かせたのでないか。もちろん無事下山できると思っていたでしょうが。彼女は14日の旭岳から白雲岳へ行く途中からおかしかった。道端で「ゲー、ゲー」とやっていた。翌日もやっていた。食事も十分とれなかったと言います。山に来て体調が悪くなったらどうするんですか、縦走登山の場合はどうするんですか。強引に連れていったのではないですか。それでも自己責任というのですか。

次にこの文書で一番の焦点、争点となるものは「30分」という時間だと思います。「渡渉と川角様の介護で他のメンバーも時間にして30分行動を停滞させた。」とあります。膝下の深さに増水して立ち往生している客たち(3人)をガイドたちがなだめすかして渡すのだ。しかも松本ガイドが転んで水につかったというのだ。それだけで優に30分は費やされるだろう。30cm余の深さを渡すには場所も探さなくてはならないし、客は躊躇して容易に渡ろうとしないだろうし、ガイドが転んだのであれば1時間以上掛ったのではと思われる。水掛け論に持ち込みたいのでしょう。

川角さんが連れてこられたのは、最初は吉川ガイドのところである。吉川さんがテルモス(魔法瓶)の湯をあたえていた。そこに20分ほどいて、松本ガイドのところに移された。松本ガイドがマッサージとテルモスの湯(紅茶だという)を与え、肩を抱いて大きな声を出してゆすっていたのを自分は見ている。自分は彼らの2mほど前にいて、一部始終を見ていたのであります。自分はこの間の時間について川角さんが北沼分岐に来た時から40分と書いています。⑭のところです。

自分は停滞の時間を2時間と見ています。会社は30分としたいのだと思います。この時間が自分は低体温症に次々とかかった原因だと思っています。会社はそれを避けたいのでしょう。今まで元気であった人が風と雨のもとで休んでいるつらさは動いている人からは分からないかもしれない。そして少しでも調子が悪かった人から低体温症にかかったと思います。7人は死ななくてよかったのにと思います。ガイドはケアなるものに熱中していたのです。ガイドは全体の安全を考えるという1番重要な任務を忘れていたのだと思います。自分は初めからこのことは言っています。待機すれば彼女が回復するとおもったのでしょうか。出発から何度も繰り返して、ついに彼女が眠り込みそうになりあわてたのでしょう。自分は何が起こっているのかはよく分からなかったが、自分が叫ばなければ彼女が冷たくなるまで停滞したかもしれません。見殺しにすることは忍びないとガイドは言っていたと社長は言う。この場合についてなのかはわからないが、ことは同じだと思います。これが言い訳になると思っているのでしよう。ガイドの任務はそんなところにはないと思います。冷徹に全体の安全を図ることだけをかんがえるべきです。しかしかれらはこの点で何もしなかったと言えると思います。故障者のケアなるものに取り紛れて全体の安全をまったく考えなかったと思います。頭を使えと言っているのです。

時間について自分の考えを述べておきます。批判をお願いします。また違ったことを言っていたら訂正します。稜線に出たのが6時10分。小川を渡って北沼分岐で停滞が始まるのが10時。12時に多田ガイドが歩ける人は歩くという。しかし新しい故障者が出て12時30分の出発となり松本ガイドが率いる。4時前、彼はコマドリ沢出会いの上200mぐらいのところ(雪渓の下100m)につく。前田さんが110番する。

低体温症の認識がガイドにあったか、皆がガイドに聞きたいのに会社は明らかにしようとしていません。これがもう一つの争点です。組織としてのアミューズに低体温症の認識はあったのか社長に聞いても何も言いませんでした。会社の出したパンフレットからは低体温症のことはうかがえません。都合が悪いというのでしょうか。

多田ガイドは救助要請のために携帯の電波が届く場所を探し南沼キャンプ地方面へ歩く。さらりと書いてあるが、これはなんなんだ。かれは携帯電波が南沼キャンプ地方面で通るということを知っていたということなのか。すくなくとも探しに行くということは通じるかもしれないと思っていたということは言えるだろう。そうするとなぜ彼はもっと早く救援要請をしなかったのかが問題となる。このようにこの文書では皆が聞きたがっていることが全く触れられていないのであります。多田ガイドは何を考えていたのだろうと皆が聞きたがっているのに。次々と動けなくなる人が出てきたのに、救援依頼をまっ先にしなければと思うのに。12時~1時に連絡を入れていればと思うのに。何を考えていたのかと。

松本ガイドの言い分なるものについて。彼は「ゆっくりしたペースでトムラウシ分岐に」という。しかしかれは女客が通常の歩行能力を失っていることを知らないのだ。ペースに付いていけないのは当然であろう。トムラウシ分岐で点呼したというが、これはウソである。彼は分岐にいなかった、分岐から20m以上下に降りた、姿の見えないところから「オーイ、オーイ」と叫んでいた。自分が「オーイ」と答えてやると気配が消えた。下って行ったのである。点呼したというのはあり得ません。「8人しかいなかった」というのもウソです。かれは客の2人がいなくなったことをどうして知ったのか。先頭にいて分かるはずがありません。自分は彼と2人の客の先頭グループにいましたが後続が遅れるので後詰めに回ろうと後ろに下がったのです。それで2人がいないことに気が付き彼に知らせようとしたらかれは声だけ残して下って行ったのです。8人の客に「道標にむかって下山してください」と伝えたというのも妙な言い方です。全員に伝えたというのか、自分は聞いていない。きちんと点呼を取っていてそこにそろっている人には、次にどちらへ行くかはいちいち声を出さなくてもわかるでしょう。ついていけばよいのだから。だから作文だというのです。

彼は常に先頭にいて後ろの客のことは念頭になかったのであります。後続の女客5人の歩きはぎこちなく足に力が入らなくてよちよちと歩く状態です。彼はそんなことは知ろうとしないのです。一方で極限状態であったと予防線を張っている。言い訳にしている。彼はまだこのあたりでは余力を残していたと思われ、だから先頭に立って下山したのでしょう。だからこれはマズイ予防線であるとおもいます。自分がサバイバルのみで動いたことの告白にもなっています。だれが作文を書いたか、ほかにいるのでしょう。

会社は当分2人を手元に置いておかなければならないと考えているでしょう。皮肉なものです。

4時前に前田さんが110番したこと、ガイドが110番してくれと頼んだことは前田さんの証言ではっきりしている。そのあとはよく覚えていないというのはこれも嘘であります。ただここではこれまでとしておきます。

多田ガイドが松本ガイドに救援要請の指示を出したのかどうか。多田ガイドはこれについて何も言ってないから指示はないとみるべきでしょうか、。社長はこの辺のことを言うが思惑によるとして聞いておくのがよいでしょう。松本ガイドに頼んだ救援依頼のかくにんのためにも電波を探したと多田はいってると社長は言いました。多田ガイドは探せば携帯が通じると知っていたようだから松本に頼む必要はないとかんがえるべきだとおもいます。松本ガイドは自分の考えで110番したいと思ったのでしょう。

吉川ガイドについて。警察は彼も水につかったという。アミューズ社長は松本ガイドだけという。いずれ明らかになるでしょう。彼はなぜ死んだのか不思議である。このこともこの文書は何も触れられていない。聞くところによると、彼は自分の服を客に与えたといいます。自分の意見はこういうことはしてはならない、ガイドは客の安全のために自分の命はおろそかにしてはならないとおもいます。生き残ってこそのガイドだと思います。彼が死んだことは大量死の大きな要因になったでしょう。今回は両極端の形にガイドの生と死があらわれたことになります。 以上

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8月14日 silvaplauna

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本文に写真で掲載しましたアミューズ社が戸田様に渡した文書のPDFファイルが戸田様のご好意により届けられましたので公開します。
ご自由にダウンロードしてご覧ください。また、32歳ガイドの身分に付いて戸田様からメールをいただきましたので幾つかのメールも併せて公開します。

文書1
文書2
文書3

mail1
32歳ガイドの身分
sua eightを見ていてまだ伝えていなかたのではと思い、お伝えします。社長に聞いたところ、かれは夏だけの契約社員だそうです。またこのコースは10年ほど前からやっているコースで、32歳ガイドは3年前に契約社員になったとのこと。10年前からとすると2002年の事故は知っていたはずですよね。32歳ガイドは低体温症を知っていたのか、会社は知らなかったのかと聞いたけれど、社長と東京営業本部長はなにもいいませんでした。
自分の軽率な思い込みからいらない思いをさせてごめんなさい。お2人にあやまっておきます。

mail2
まとめてお伝えした方がよいのですが、細切れですが、気になったことを言っておきます。吉川ガイドについて警察は彼も水に入ったといい、社長は入っていないと言っています。この警察官が間違っているだけなのか、社長の知らないことを警察が知っているのかいずれ明らかになるでしょうが。
まだおつたえしていないことがあるかもしれません。

mail3
会社の説明では、電話では電波が話し中通じている必要があるが、メールでは一瞬の電波があればよいといっていました。

mail4
トムラウシ山頂からの下山に18時間かかることについて
深夜ではじめてのコースであることが最大の原因です。ランプの届く範囲は限られ、歩幅はせまくなり足で探しながらあるくのだから3~4倍の時間はかかるでしょう。自分はコマドリ沢を渡ってすぐランプを出して、しばらくして真っ暗になりました。ただ真ん中の黒い筋だけをそこが水たまりであろうとも構わず歩きました。木の根があっても分かりませんから転ぶのは覚悟で。

8月12日 silvaplauna

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注 こちらでは、職業的山案内人としてガイドという言葉を使用しております。一部の立場の方からは「ガイドの資格」を持っていなければ「ガイド」と呼ぶべきではないと、いったご意見もあるようですが、そういった考え方はわが国においていまだ社会全体に普及してはいないと考えますので、より通有性のある表現方法を採っています。医師の資格が無い人を医師と呼ぶのはおかしいですが、ガイドの名称は、わが国では医師の資格ほど、資格が無ければ使ってはいけない肩書きであると社会的に理解されてはいないと考えます。
もちろん、分析のパースペクティブとして、○△社団法人認定のガイド資格の有無により今回の事故の原因が浮かび上がるのなら格別、いまのところガイド資格の有無により分析しても事故原因について明確な答えが出てくるとは考えておりません。
むしろ、資格の有無に拘ると、「資格が無かったから事故を起したんだ」、「今度の事故はモグリのガイドがやったことだ」といった単純かつ益の無い結論に堕してしまう恐れさえあると考えております。

そのような結論を見越した立論の仕方は私の採るところではありませんのでご諒解よろしく御願い申し上げます。

8月11日 追記

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この記事ですが、ご覧になる方は多いが、情報の提供が少なく、「議論」が成立しておりません。正確な裏づけも、ご覧の皆様のご協力あってこそです。情報の提供が少ない現在、議論を進めることは危ういですので、一旦、更新の停止を行います。

質問 1~20  A①~A⑱ で アウトラインは十分つかめてきたと考えます。それらの質問に対する戸田様からのご回答と、他のメディアで得られるであろう他の方の証言、客観的諸事実との照らし合わせによる一層の真実の追究は、ご覧になっておられます各自でおやりになってください。

戸田様によりますと山渓あたりで、いずれ検証記事を作るそうですので、そういった雑誌も皆様の検証の一助になると考えます。(何ページの記事になるか分かりませんが、この事件を余さず記事にしようとするなら、一冊の本が出来ることでしょう。)
 
私個人としましては、備忘録的にメモ代わりに作成した記事と、いくつかの考察、のうえに戸田様からの情報とご意見までいただけることとなり、十分に満足しております。 さらに、他の方との意見を照合し、客観的事実と照らし合わせといった地道な作業による更なる真実の追究は、さらに真実を知りたいと思う方や、当事者と直接的、具体的な利害関係を持っている方々、またはそういったことを職業としている方が、おやりになるのが宜しいでしょう。

考察①~⑫において、抽象的な論点はほぼ抑えてあると考えます。あとは、事実の確定の作業ですが、質問 1~20  A①~A⑱ でアウトラインはほぼ見えていると考えます。

最後のほうで問題となっている多田ガイドがアミューズトラベルの社員であったか、そうではなくただの雇われガイドに過ぎなかったかは、事案の解決の重要な分岐点となりましょう。これに関して、関係者は、もし真実であるとしたらあまりに不利益な事実であるので、黙秘を決め込んでいるようですので、現在は白黒決めかねます。ただ、そういった場合も十分考えられるので、事案の解決を追う方は、ご注目なさるのが宜しいでしょう。(多田ガイドが普通の雇われガイドであったら、彼への刑責もずっと軽くなりましょう。)・・これについてはいずれ裁判などでも取り上げられて白黒つくはずです。

また、実況見分レベルの話し、19で取り上げられているような詳細な個々人の動きなどは、裁判などで重要となりましょうが、個別事案の問題であり、安全登山一般の視点からは、いささか、詳細に過ぎる(そこまで段取りを考察する必要はない)と考えます。

※現在、第4回目のご質問を戸田様に送ってあるのですが、いただいたご回答を掲載するかどうかは検討中です。
※大勢の皆様のご協力により、30分テレビニュース番組レベルの情報は整えることが出来たと自負いたしております。lb005様のご意見も踏まえ、トムラウシ関連の記事は、他の岳人の為にも公開しておこうと考えます。
※しばらく休んで、従来どおりの通常の山の記事、トレイルランニングの記事に復帰する予定です。

8月4日 silvaplauna

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北海道大雪山系 トムラウシ山 大量遭難を考える。 今回の事故について戸田新介様のご意見 と 幾つかのご回答

※ 以下、戸田様から質問形式でお答えいただいた内容(黒文字)を原文のまま掲載させていただきます。同一のものはメインの記事「北海道大雪山系 トムラウシ山 大量遭難を考える。」にも掲載してあります。

※ 原文に忠実に、一切の脚色を施さず、誤字脱字も修正しておりません。
※ 今回、ご質問(青色)を作成なさったのは、swanslab 様 なお、カッコ内は、私が噛み砕いて質問の趣旨を説明した文(青色)です。

※ メッセージ性の高いこの記事をトップに固定します。コメントは、ご自由に、私たちのために貴重なご体験を公開してくださった戸田様の真意を汲んでいただき、節度と理性ある討論が展開されることを期待します。

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今回の事故で、全国の山を愛する皆さんに対するメッセージのようなものがございましたら、ぜひお書き添えください。 私のところに掲示させていただき、皆さんにお読みいただこうと思っております。

自分が見たことをあまさずみなさんに知っていただきたいです。自分には知らせる義務があると思っています。
自己責任論が亡くなられた人に対しとなえられ、「ちょっと違うぞ」と思っています。不可抗力の要素はあると思いますが、それに対する一定限度のサポートはあってしかるべきとおもいます。それがツァー山行だと思います。突然サバイバルの場につれてこられて命を失った人に代わって、「それは違うぞ」と訴えたい。
後は低体温症の知識です。自分はガイドたちに低体温症の知識があったとは絶対おもいません。そして自分に低体温症の知識があれば、もっと早く対策を要求したのにとおもいます。

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以下ご質問事項です・・。

まず、ガイドの様子についてお聞きします。

①登山全体を通して、計画、状況、判断の説明をする人は、三名のガイドのうち誰でしたか。
(ガイドの名前は吉川ガイド 多田ガイド 松本ガイドのうち誰がリーダー格でしたか?という意味です。独りの人が全部決めていたのか、それとも、役割分担があったのかを知りたいのです。

32歳ガイドがすべてを決めていたとおもいます。北海道がはじめてで、気候やコースについて何も知らない人になんの決定権がありましょう。38歳ガイドとは行きの飛行機で相席となり、彼が「夏休みの代わりとして会社があたえてくれた」といっているのをきいています。つまり責任の軽いもので、お手伝いをすればよいとかんがえていたようです。吉川ガイドのことは分からないが、「雨は気にしないで歩けばよい」といったことをいう人です。(じぶんへの発言)また携帯は持たないとウソをいう人です。最終日には「今日は皆さんを下に送り届けるのがしごとです。」といっていたといいます。

②前日(15日)の天候をご教示ください。
(どのくらいの雨だったかとか、結構衣類が濡れてしまったとか・・、寒かったとか・・、避難小屋についても乾かなかったとか、そういった情報です。)

前日は朝から終日雨でした。風速は5mぐらいです。山の雨ですからはじめはそれほどには気にならなかったのですが、そのうちからだの芯からぬれたようにかんじました。眼鏡が外側は雨粒がつき、内側は曇り苦労しました。ただ着衣は上は春夏ようのジャッケトとゴアのカッパで十分でした。下着まで全部ずぶぬれです。靴はズクズクで靴下は絞れるほどです。自分は全部着替えましたが着干しの人もいました。女客のことは分かりませんが雨具以外を干しているようではなかったとおもいます。シラフをはんぶんぬらしシラフカバーを中にして寝ました。シラフを濡らした人は他にいると思いますが、どうしたでしょう。着替える場所はありません。
2階は別のグループと個人がつかい一階は私たちが使いました。干す場所がなくてこまりました。なおこの日は一時間早く小屋につきました。けっこう急がされたという感じです。それが翌日の判断ミスにつながったと思います。雨の中休む気にはなれませんし、平たんのコースで翌日の参考にはならんと思いますがねえ。

③最終判断をなしうるガイドはヒサゴ沼を出発するとき、理由を説明しましたか。そして、次にどこで天候の判断をすると説明していましたか。
(リーダー格のガイドさんは16日朝に避難小屋を出るときに、なぜ予定通りにトムラウシ温泉に向かうのか、メンバーに説明しましたか?天気が悪くなったらどうするとか、しばらくトムラウシのほうに進んで天気の様子を見るとか言っていましたか?ということです。)

自分はトイレに行ってて、その間に全部終わっていたようです。30分の延期はとなりに寝ていた木村さん(死亡)が教えてくれました。様子を見る、30分延期するというのです。妙だとおもいましたが、30分遅らせれば天気のピークをやり過ごせるとでも考えたのだとおもいます。それと30分以上は長い距離(予定タイムは10時間30分となていました)を考えると無理と思ったようです。だれかが中止を言い出したと報道にありますがそれは女客だとおもいます。だれが言い出したか知りたいのにいまだに分かりません、たぶん亡くなられたのだと思います。女客で生還した人なら分かるかもしれません。32歳ガイドが昼には天気が回復すると言って決行を決めたとの報道があります。途中での天気の判断なるものは彼(32歳)の頭にはなかったと思います。そのような話は誰からも聞いていません。途中で様子をみるという話もありません.そんなそぶりはありませんでした。りょうせんにでてからは前を見て歩くことだけ考えていました。

④出発時にガイドはお客さんの装備(アイゼン・防寒具)のチェックをしましたか。ヒサゴ沼避難小屋を出る時点で重ね着の指示はありましたか。(寒さ対策に中間着を着てくださいとか、フリースを着てくださいとかのアドバイスがなされましたか?という質問です。)

チェックはありません。ストックのゴムを抜くようにとの指示が32歳ガイドからありました。アイゼンはすぐに出せるようにというのは別のガイドの指示です。これは誰かが聞いたからでそうでなければ指示はなかったでしょう。重ね着の指示はありません、誰も聞かなっかたからだとおもいます。

⑤事故当日(16日)、先頭を歩いたガイドさんは誰ですか。最後尾を歩いたガイドさんは誰ですか。

先頭は今回を通じて32歳ガイドがつとめました,正ガイドの務めだそうです。最後は添乗員たる吉川ガイドがつとめ、サブガイドの38歳ガイドは中間に位置すると決めていたようです。

⑥ヒサゴの雪渓の登りで要した時間とアイゼン着脱に要した時間をおおまかにご教示ください。
(アイゼンを使うほどに雪がありましたか?雪がなくアイゼンを使わなかったのでしたら、お答えいただかなくって結構です。)

アイゼンをこのツァーで初めて使いました。一番長く勾配もありアイゼンがあれば安心という雪渓で、北アルプスのそれの小型のものだとおもいます。
雨と風があり少しガスっていたとおもいます。30分ぐらいかっかたと思います。ネパールのシェルパの人がスコップをもってステップを切ってくれて安心感を与えていました。
稜線まで計40分ぐらいと思います。着脱に時間はあまり掛からなかったと思います。

⑦雪渓を上りきった地点(コル)で、風・気温・雨等、天候の変化を感じましたか。疲労や体の不調を訴えるお客さんはいましたか。

コルに着いたときは風はありましたが、撤退とかいうことを考えるようなものではなっかたと思います。故障をいう人はなっかたとおもいます。
なおここで言うのが適当とはおもいませんが体調のことはここで初めて聞かれたのでここで言っておきます。最初の日にすでに一人の女客が旭岳から白雲岳へ行く途中でうつむいてゲロをはくこと、ゲイゲイとやっていた。体調をくずしていたようです、ガイドに連絡しなにかやっていたようですが、自分の視界からきえました。その日にもう一度目撃し、次の日に一度目撃しました。
彼女が延期を言ったのかもしれませんが、彼女が最初の故障者(歩けない人)だとおもいます。ガイドはだから低体温症の判断を誤ったかもしれません。前日、前々日の延長と考え休ませてなんとかやってきたから今回ももう少しだから、推測です、わかりません。彼女のサポートに足を取られ、大幅な時間遅延がしょうじ、それが誤算だったようにおもいます。

⑧雪渓を終えてからロックガーデン・天沼にいたるまでの天候状況は小屋出発時点と比べて劣悪と感じましたか。(小屋を出る頃に比べて、天気が悪くなっておりましたか?という意味です。)

どこかで急に風雨がつよくなりました。自分はそのまえに隊列から抜け、そのためにあらかじめ前に出ておいてフリースを着ました。雨があり雨宿りもないところでカッパを脱ぐと、肌についているシャツが濡れるのでイヤだったが強引に着ました。それで肌寒さというか汗と風による寒さ冷たさから少しは逃れました。天沼からロックガーデンにかけてに木道があるとおもいますが、そこが一番風が強かったと思います。体とザックにたいする風の圧力で木道から飛び出すことになります。32歳ガイドが(自分も真ん中にいたから)風向きに向いて立ち横に歩けと言っていました。風のつよいときは屈めとも言いました。それでほとんど進めなくなりました。低気圧が通ったのかもしれません。7時30分~10時と思いますが時間については後で述べたい。

⑨北沼に至るまではふらつき、転倒する風と報道されていますが、具体的には、行動後何時間経過した時点でそのような気象条件になったのでしょうか。ときおりふらつく、烈風でバタバタ音を立てる雨具のフードを手で押さえる、風上に顔を向けられない、など、具体的な状況もご教示ください。
(報道記事によりますと、天気がとても悪くなったそうですが、ヒサゴ沼避難小屋を出てから、何時間ぐらいしてから、ものすごい風や雨となったのですか?風や雨は、レインコートのフードを手で抑えないと飛ばされてしまうほどでしたか?)

ザックカバーがめくれあがって困りました。ゴムをきつくしておいたのに、一度は直したが、次からは横に丸めて持つことにしました。大型ザックのカバーはどうもよくないようです、ふくれにふくれバタバタと音を立て取れそうになるといったところです。カッパのフードはゴムを強くして、あごのところに来るベルクロをつければ対応できます。時間ですがピークは8時~9時と思います。低気圧の通過時刻はわかりませんか?トムラウシ分岐が10時30分とされていますが自分は11時~11時30分と思います。小屋から5時間でなく6時間(コースタイムは2時間30分)です、2倍ではなく3倍に近い時間を食ったと思います。そして分岐の下で停滞したのが1時間半とされていますが、2時間と思います。2時間は現場で自分が最初に考えた時間です。出発が1時半でそうすると4時前に先行者がコマドリ沢分岐で110番をいれた事と時間的矛盾が取り除かれます。出発が12時というのではコマドリ沢分岐まで時間がかかりすぎです。(地図では2:05です)

分からない質問には、お答えいただかなくって構いません。
なにとぞ宜しくお願い申し上げます。

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戸田 様

毎度お手数をお掛けいたします。
以下、swaslabさまから戴いている質問の後半部分です。

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⑩北沼までの休憩回数と一回の休憩時間をお知らせください。

天沼かそのさきの日本庭園のあたりかよくわかりませんが、木道があってそこが一番風が強かったとおもいます。そこまでに3回ほど休憩をとりました。1回5分ほどのたち休憩です。休むひまはなっかった。32歳ガイドは日没を心配したのだろうとおもいます。それから一度休憩の指示が出て休もうとしたら大粒の雨ふってきてあわてて出発となりました。(2分)そのあとは一度も休憩の指示は出ていません。32歳ガイドにはケアのしごとがでてきたようです。もう32歳ガイドは隊を率いていくことはやめ、サポートに集中しだしたと思います。
以後休憩するとか、食事を取れとか、フリースを着なさいなどの指示はなくなりました。だれも何も言いません。自分はみんなは食事をきちんととったのだるうか、これが生死の分かれ目になったのではと思っています。今思えばですけれど。自分はカッパのポケットにたくさん非常食を詰め込んでいたのできちんと食べましたが食べないままの人もいたかも知れません。低体温症になれば判断力も低下するそうですから。

⑪北沼で最初に不調を訴えた登山客は列のどのあたりにいましたか。不調や疲労を表現できるタイプでしたか。遠慮するタイプでしたか。(苦痛を我慢してしまうタイプか、大騒ぎをするタイプかということです。)

一番最後です。彼女は最初の日から調子が悪かった人だと思います。だれも皆遠慮しました。ツァーはそういうものです。わがままは言えません。大騒ぎなど誰がするものですか。そんな質問を受けるとは思いませんでした。

⑫最初の行動不能者が発生したあと、パーティ待機の指示は誰が出しましたか。理由は説明されましたか。
(単に体調不良であるとか、頭がだるいとか、具体的に風邪ですとか、低体温症ですとか。)

だからそれは32歳ガイドがしました。添乗員の仕事とおもいますが、吉川さんはすでに低体温症にかかってていたのではとおもいます。32歳ガイドがふれ回ったと思います。理由の説明は一切ありません。みなを動揺させたくなかったとあとで語ったそうです。テレビだとおもいますが。

⑬低体温症との判断はどの時点で誰によりなされましたか。

誰も低体温症と知らなかったと思います。救急隊によって、マスコミの発表によって救助の時にというのが自分の回答です。

⑭低体温症であると判断されたあと具体的な処置はどのようなものだったと観察(推測)されましたか。

低体温症と判断したのではないと思いますが、最初の故障者が列の中ほどにいた38歳ガイドのところへ連れてこられ、彼が看護をすることになりました。これは出発40分前としておきます。サブガイドの仕事として看護があるといいますからそれに従ったのでしょう。彼は背中をさすり、大声で「元気を出せ」と叫んでいました。吉川さんがやってきてテルモスの湯を与えていました。ただそれだけです。もうしませんでした。

⑮報道によれば、戸田さんは遭難と認めて救援要請をしてほしい旨をガイドに伝えた とのことですが、どのガイドに伝えましたか。また、そのときの返答はどういったものでしたか。通信状況はどのようなものでしたか。

自分がどなったときの10分前に、吉川さんのところへ出向き「どうしますか」ときくと、「ようすをみる」とだけこたえました。妙な答えです。自分はもとの位置にもどり10分まちましたが何も動きはありません。その時自分はこのままではみんな死を待つことになると突然思いました。それで遭難と認めてどうしたらよいか指示を出せといったのです。それは隊のみんなに訴えたのです、ガイドのだれに言ったのではありません。だから返答もありません。
自分は携帯をもたなっかたので通信状況は分かりません。持っていたら一方的に110番したと思います。かれらに110ばんを迫らなっかたのはまだ信頼していたからです。ここではできないのだと。4時半に32歳ガイドは会社にメールをいれていたといいます。自分は前トム平へ降りてきてしたのかとおもっていたら、頂上でできると教えてもらいました。そうすると38歳ガイドに依頼する必要はない、つまり依頼の要請はなかったのではと思います。また風雨がつよく通信はできないというひともいますが、出発のころはあまり風雨は感じなかったと思います。ピークは過ぎていたと思われます。なお時間の問題があります、出発が12じでは、コマドリ沢分岐で110番したのが4時と確定しているから4時間もかかったことになり(地図では2時間5分)おかしい。出発は1時半ごろではないか、あの時自分は空腹を覚え時計を見て1時20何分だったと記憶しています。それと待機時間は少なめに見て2時間とおぼえておこおうとしましたが人に説明するたびに少なめになっていったようです。これらはみな仮説ですからきちんと検証をする必要があリます。だから1時過ぎの電波状況が問題となり風雨は問題ないとなるとおもう。32歳ガイドがメールを4時30分にいれているがいやいやながら入れたかんじで探そうとしていなかったと思います。認めたくなかったのではとおもいます。

⑯南沼→前トム平の天候について。どちら方面からの風が強かったですか。また天候に変化はありましたか。

下りでは風のことは忘れました。既におさまりつつあったと思います。

⑰コマドリ沢より急な新道を登り、カムイ天上より泥んこの道を下ったと思いますが、そのときの天候、時間、登山道の状況について概況をご教示ください。

この辺のことが自分にはよくわかりません。①新道へ上るところでビバークを考え場所を探していて長田さんをみつけビバークすると伝えてくれといったら一緒に帰ろうというので歩きだしたが自分はビバークの場所を探していてつながりをぎゃくにかんがえてしまいもとにもどりました。それで1時間のロスとなりました。②それから真っ暗な道を一人、どうも谷道を歩いたようでよくわからない。とにかく黒い筋を歩くようにしていました。障害物は分からないので転ぶだけです。カッパが穴があいたし泥だらけです。道の状況などまったくわかりません。それで向こうから2人がきてそれが斐品さんと長田さんで、自分はもと来た方に戻ろうとしていたところを助かったということです。よくわからない。10時ごろか?天候は風もなく暖かくなっていたと思います。

⑱報道では、松本ガイドは救助を呼ぶために、先を急いでいたとされています。携帯電話のつながるところに空身でとりあえずおりて登り返すといったことはされていましたか。(軽装でいったん下降し、110番連絡した後に、皆がいるところに戻ってきたとか、そういったことがありましたか?という意味です。)

まったくの誤報です。彼の行為が理解できないので作り上げた作り話です。かれのあたまは自分のサバイバルだけと考えれば説明がつきます。かれは北沼の小川で客のサポートに回っていて背を水につけたと聞きました。待機中は自分の前で顔をしかめジッとしていました。彼はサバイバルのため先を急いだのです。曲がり角で10人を確認するようにと言われ、20m下でおーいおーいと叫び、自分がおーいおーいと答えると一目算に下って行ったのです。救援依頼の使命が告げられたというのは自分はその横にいたが聞いていません 。コマドリ沢での110番も偶然によるものでかれが積極的にじぶんの携帯を出して連絡しようとした要素はどこにもない。だから上り返すというのは社長の願望がしゃべらせたフィクションです。かれはコマドリ沢分岐の上の草付きでねていて長田さんが見つけ目の前で電話しなさいといわれ5時に会社にメールを入れたのです。長田さんが自分にいったことです。そこへ自分が通りかかり義務があるという意味のことを言いました。彼は2人が去ってからハイマツ帯にもぐりこみ、翌朝の救援隊を避け最後の行方不明者となりそのご、道の近くに移動して登山客に見つけてもらったのです。救援隊にみつかるのはさけたっかたというわけです。じぶんのすいそくですよ。彼は命をつないだので非難は覚悟のうえとおもいます。

swanslabさんからのご質問は今のところ以上となります。
また追って、前回いただいたご回答に対するご質問も出てくると思います。

また、次の私の質問もよろしくお願いいたします。

A①ヒサゴ沼避難小屋を出るときに、屋外は、低体温症が起こるかもしれない気象状況であるといった認識が、ガイドにあったと思いますか?
また、ツアーの全体を振り返って、ガイドは、ツアー客に対して「低体温症」という言葉を使ったことがありますか?使ったことがある場合、初めて使ったのは何時でしょうか?(例 ツアースタート時、15日初めて倒れた女性が出たとき、16日に倒れた女性が出たとき、さらにそれ以降・・)

32歳ガイドにそんな認識はなかったのでしよう。全員を連れて帰れると思っていたでしょう。かれはその言葉は知らなかったと思います。さいごまで低体温症が原因と知らなかったと思います。

A②戸田様が16日にご着用になっていた雨具のメーカーと商品名を教えてください。また、ほかの御仲間が着ていた雨具はどのようなものでしたか?

モンベルのゴアテックスでひとつ前のタイプと思います。北海道警察が死んだ人の雨具は全部ウィンドブレーカー等防水の弱いもので、生還者は本格的な防水透湿のものだったと発表した。歪曲です。竹内さんはゴアテックスをきていました。

A③また16日の戸田様のウェアは、どのようなものでしたか?

例 
上半身 速乾性の半袖Tシャツ+化繊の長袖シャツ+セーター(ないしフリース)+レインコート
下半身 下着+ズボン+雨具のズボン
このほか、帽子と手袋は着用なさっていましたか?

上半身  モンべルジオライン3d長袖、モンベル薄フリース、雨具
下半身  ブリーフ(廉価品)、ワコールタイツスタビライクス、ズボン、雨具
帽子なしでカッパのフード、手袋なし 反省しています

A④16日の朝は、ガスバーナーなどを使って温かい飲み物(コーヒー、紅茶)などは飲みましたか?16日に戸田様の魔法瓶(テルモス)に入っていたのは、温かい飲み物でしょうか?それとも、冷たい飲み物だったでしょうか?

バーナーで紅茶を作りました。湯はガイドがわかしてくれることになっていた。ただ朝食は夜のうちに作っておくようにというのだ。汁や紅茶などは湯をくれるというのだ。自分は北海道でボンベを買いこんろをつかった。

A⑤(大変失礼ながら・・)もし仮に、戸田様が、もう一度同じ暴風雨を体験するとしたら、今度はどのような装備、ウェアを持参なさいますか?何があったら、もっと楽に切り抜けられたとお考えになりますか?

A⑥ツアーの中には倒れた方とそうでない方がいらっしゃいます。生死を分けたのは端的に言って何であったかと考えますか?(体力、装備、寒さ慣れ?)

今はきちんとカロリーを取っていたかが気になっています。低体温症になると3倍のかろりーがいるそうですから。
防寒はもちろんですが、案外そんなところかもしれません。

A⑦美瑛岳で一パーティの一人と、南沼のテント場付近で単独の男性が一人、時を同じくして、低体温症で倒れてしまいましたが、これは、偶然の一致でしょうか?装備または体力とか、なにか共通する弱点があったのでしょうか?

オフィスコンパスはアミューズのもと社員が自分たちで作った会社で同根の要素を持つといいます。単独行の人もふくめ大雪の夏は北アルプスの秋山だとシラナッカったんだとおもう。低体温症のことも知らなかったと思う。北海道のツァーをやるにははやい。

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もっとお聞きしたいことがあるのですが、このメールではここまでとさせていただきます。
また後日、よろしくお願い申し上げます。

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戸田様よりメッセージをいただきましたので原文のまま掲示させていただきます。

自分の言ってることはあくまで推理です。しかし当時のことを知ってる人は限られていて、責任の重さを感じています。ほかの人と話せるとはっきりするんですが。トムラウシ分岐で停滞したのが10:30~12:00とされているのも自分が言い出したことが独り歩きしたようです。1時間30分の長さは「少なくとも」という意味で言ったのですが、10時30分は出発時からのおおよそをのべたのです。それが確定した事実のように扱われてしまって誰が言い出したかわからなくなりそうで、マスコミの怖いところです。

遭難発生時の時間と場所についてお聞きいたします。

19. 最初の故障者が発生した北沼に到着したのは11:30~との認識でよろしいでしょうか。

トムラウシ分岐に着いたときです。ここで停滞しました。その始まりが11時30分と自分は今は考えています。北沼に到着したときは小川を渡ったときで、11時ごろかとおもいます。

19-2 そこで吉川さんが故障者に付き添いますが、その後一行が歩き出すのは何分後でしたでしょうか。

この故障者はすでにロックガーデンより前から吉川ガイドが付いていたようです。小川を渡るときも彼女だけ渡れず、32歳ガイドが別のところを探してきて手を伸ばしていました。この時38歳ガイドが水に入ったのだと思います。そして彼女をトムラウシ分岐まで連れてくる経緯が野首さんが語っているところでしょう。彼女をやっとトムラウシ分岐までつれてきて、十分に休ませるというのが停滞の原因だとおもいます。自分たちは何も知らされず彼女が来るまでと、彼女を休ませる時間を合わせて2時間待たされたのだと思います。1じ半に出発となりました。彼女を吉川ガイドのところに運ぶ予定で。

19-3 一行が前進を開始後、次の故障者が現れるのは場所はどこで何分後になりますか。

1時半に出発しようとしたら立てない人が一人出ました。低体温症が停滞中に発症したと思います。市川さんです。真鍋さんは彼女と一緒にツァーに参加したのですが、彼女が出発の時来なかったので心配していたと言っていました。
だから出発の時。出発のところで。彼女は32歳ガイドが機会をみつけて回収していったのでしょう。

19-4 32歳ガイドがテントを張って故障者を運び入れた地点と時間を覚えていましたら教えてください。
それは北沼から南沼方面にトラバースする道との分岐付近でしょうか。

じぶんたちはしゅっぱつしていたからわかりません。すぐではなく時間をかけて一人づつ運んだのでしょう。

19-5 32歳ガイドがケアに集中し始めた時点の一行の編成(各故障者とテントとの距離、故障していないパーティの位置)をご教示ください。

亀田   前田   真鍋  市川  岡  味田 竹内 長田   戸田  植垣 松本 第一故障者 植垣  斐品   野首  木村 女救出者 吉川
男生還 女生還 女生還  女亡 女亡 女亡 女亡 女生還 男生還 女亡 男生還 女亡     女亡 男生還 男生還  男亡 女生還  男亡
テントは32歳ガイドがあとで建てたのです。待機中はありません。

19-6 32歳ガイドが38歳ガイドに指示を出した時間と場所は第二の故障者収納テントと理解してよろしいでしょうか。

指示をだした時は出発から10分として1時40分。場所はトムラウシ分岐から70m下。テントはまだどこにもありません。吉川ガイドのところに2人を集めてどこにたてるかかんがえるということです。

19-7 1.5時間~2時間の滞在中に風や雨に変化はみられましたか。

始めより弱くなったと思います。雨はばらばらと降る感じです。風はむしろ乾くので心地よいにですが、のちに体が冷えると肌についた下着のあせでたえられなくなってくる。

19-8 滞在時間が長引いた原因は、32歳ガイドが故障者の搬送に追われていたからと理解してよろしいでしょうか。

動転していてなにをすべきか考えていないのだ。方針なるものがなく、全員を連れていくとの考えにしがみついたのだと思います。危機対応能力の問題です。できたことは後で考えることにして、現実に対し最善を尽くすのが普通の考えだと思いますが、かれはその点でじゅうだいな欠点をかかえていたということでしょう。搬送に追われたのは現象であり原因ではありません。さらに言えば、かれは頂上付近で電波が通ることを知っていたのです。4時30分に会社にメールをいれているのが証拠です。風雨が強かったからという説もありますが風雨はおさまってきています。かれは携帯を出して連絡しようともしていない。なお38歳ガイドに救援を依頼したというのもよくわからない。頂上でできるのになぜ下に行くのか。だれもそんな話は聞いていません。あれは38歳ガイドの行為が理解できずマスコミが作った仮説でしかない。かれは偶然によって110番に関与したが、自分の携帯で詳しく連絡を取ろうともしていない。さらに前トム平あたりでためそうともしていない。これが自分の仮説です。

20. 32歳ガイドが『トムラウシ分岐』で10名を確認してほしいと38歳ガイドに伝えたとのことですが
それは南沼キャンプ場の分岐のことですか。

トムラウシ分岐のことならそうですが、そこから70m下というところです。

とりあえず以上です。
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毎度お手数をおかけいたします。

よろしく御願いいたします。

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戸田様

おはようございます。

戸田様の文がとても興味深いと、昨夜私の山仲間が電話をしてきました。
そのひといわく、ツアーにおいては延期が出来るわけがなく、ルートを変えることも先ず出来ないそうです。
理屈では、停滞するべきだとか、ルートを変えるべきだったといえるのですが、現実は、出来る相談ではなく、空論だそうです。

思うことをご自由にお書きいただいて構いません。
ご遠慮なさることはありません。

今回の事故はアミューズの体制に問題があると思います。最大の問題はあの2人がガイドになったことです。北海道が初めてで、下見もしないガイドなんて単なる荷物運びですよ。だれがこういう人選をしたのか、各営業所の責任者がいると思います。また全体を統括する本社の責任者がいるわけです。

札幌営業所はアミューズにとって先兵というか、現地事務所でしょう。ドル箱路線ですよ、アミューズの山旅の「花」ですよね。その責任者が32歳ガイドだと思います。札幌営業所、さらにはアミューズのエースだったと思います。大学をでて10年、6年ほどフリーのガイドをしていて(そのような話を聞きましたが違っているかもしれません。)今は札幌営業所の職員です。生活の安定は格段の差がありますよね。そして営業所職員としての考えがしみついて、今回はそれを優先させたのでしょう。宿や飛行機とか客の苦情とかの苦労がわかると、安全優先で通すことができないということでしょうか。

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今回は、私が考えるご質問の続きです。swanslab様とは質問の傾向が多少異なりますが、よろしく御願い申し上げます。

なお、文中
頭にAがつく番号は前回(二回目)の私の質問からの続き(通し番号)です。
頭にAがつかない番号は、swanslab様のご質問番号です。

A⑧ 質問⑧のご回答にある風雨ですが、稜線で体験した暴風雨に近い状況を、過去本州のどこかの山行で体験されたご経験がありますでしょうか?このご質問の意図は、「このくらいの雨風は過去に経験したことがあり、なんとかやり過ごせる。」と戸田様に心理的余裕があったのかどうかにあります。

ありません。町で台風にあった時がそれです、ザックを担いで台風に出会えば同じだと思います。台風の時は山に登りません。

A⑨ これは確認ですが、質問⑧のご回答にフリースを着るとありますが、小屋を出るときは、質問A③のご回答にあります、モンべルジオライン3d長袖、と雨具だけだったのですね。

そうです。前日はそれで一日過ごしましたから。

A⑩ 質問⑩のご回答にある、カッパのボケットに入れていた非常食ですが、具体的にはどのようなものをどのくらい携帯しておられ、また補給されていたのでしょうか?

アミノバイタル3袋、これは天沼から日本庭園の間に立て続けに食べました。カロリーメイト2箱、全部たべました。

 
A⑪ 質問⑰のご回答に関して、ライトはお使いでしたか?それはヘッドライトですか、ハンドライトでしょうか?他のツアーメンバー斐品さんと長田さんは、ライトはお持ちでしたか?

3人ともヘッドランプです。長田さんは電池が弱くなったとかで誰かのあとに着きたがった。じぶんは彼女を道迷いに引き込んだので信用を失っていました。それで斐品さんの後についたようです。かれは前にこのコースを歩いたことがあると言っていました。

A⑫ 質問⑱のご回答に関連して、松本仁ガイドにお会いし、報告義務がある旨おっしゃられたときに、松本ガイドの体調はどうでしたか?低体温症発症の気配はございましたでしょうか?

彼は黙って聞いていたので分かりません。ただ一時間そこで休んでいたので回復していたようです。ということは低体温症でなく疲れか、または低体温症の軽度のものかそんなところだと思います。かれは本能的にここならなにもなしでもビバークできるとおもったと思います。痛々しいとか異常な感じはありません。風もほとんどありませんし。

A⑬ ガイドたちは、自分達が遭難状況にあるということを認めたくはなかったのでしょうか?
遭難騒ぎになるのを恐れていたのでしょうか?そのため、ことさらに110番通報に積極的ではなかったといえるふしは認められますか?

そうだと思います。大騒ぎになるのを嫌ったのでしょう。客に動揺を与えたくないと言っていますが。全員を下に連れていけると考えていたとしかおもえもせん。故障者がでなくても全員が降りるには夜遅くなると、コースを熟知していた彼なら分かると思うのですが。かれはそれでよいと考えたのでしょう。ビバークはありません。4にんようテントが1つですから。とにかく歩き続けるしかない。あるいは32歳ガイドはコマドリ沢でのビバークを考えていたのかもしれません。つまり故障者をここまで持ってくるとか。謎です。彼に聞いてみたいが言わないでしょう。かれはまじめすぎるのだと思います。社交的でもないとおもいます。花の知識は完ぺきです、色んなことを勉強したのだとおもいます。ただ机の上のべんきょうですね。本当はベテランガイドのもとで一定期間インターンとか研修をうけるとよいと思います。我流ではねえ。抜け落ちるところがありますから。

A⑭ ガイド3人の様子についてお伺いしますが、3人で幾度かあれこれ話し合っていたようなことはありましたか?ヒサゴ沼避難小屋でそういう状況を目撃したことはありますか?

普通はガイドはあまり相談はしないと思います。打ち合わせで済ますのだと。緊急時には相談するかというとどちらともいえない、今回はどうかというと32歳ガイドが客の不安の声に、天気が昼から回復するからといって説得したというところからは、他のガイドは32歳ガイドの判断にまかせたのだとおもいます。目撃はしていません。

A⑮ 戸田様がガイド3名について、それぞれに対する信頼を決定的に失ったのは何時頃でしょうか? あるいは最後まで、信頼できたガイドはいましたか?

38歳ガイドについては初めから期待をしていません。実は彼とは因縁がありまして、3週間前(6・20)に高妻山(戸隠の奥、百名山)に行った時彼が先頭のガイドだったが、かえりには途中から左の尾根に移るということになっていたところ、かれは分岐点で待っていず20m先で待つので、先行者のすがたを見失った客が直進してしまい「どこだどこだ」とさわいでるのです。それで動かないでといい、後詰めのガイドを待ったところ、すこしもどったところから降りるみちがあって合流できたのですが、後詰めのガイドに「分岐点では全員の数を確認してからおりてください」といわれていた。しかも帰りのバスのなかで彼がなにを言ったかというと「このコースは問題のコースで、先日もかえりが遅くなり終電に間に合わないといった騒ぎになり名古屋営業所で問題になったが、今回は一時間も早く着いた」と自慢げに話すのでこちらは絶句するだけでした。これはここではまだはなしてないとおもいます。

吉川ガイドはよくわかりません。ただ彼は添乗員の立場で参加していて(旅行業法で規制された国交大臣認可の資格だとか?)、その任務をつとめようとしていたようです。つねに最後をつめ客が隊列から抜け落ちるのをふせいでいたようです。ただし添乗員は客の様子に注意をはらい、そのうえでガイドと話し合うというのがすがただと思いますがかれが客のようすをきこうとしたことはありません。はやくに力を失って亡くなるというのは、最大の任務放棄だと思います。これは客の立場から言っています。彼の遺族からは別の意見があると思います。それを否定はしません。

32歳ガイドについてはよくやっていると思っていました。いまでも生還者のなかにはそういう意見があるでしょう。じぶんもずうとそうおもっていました。警察の調書の作成でもよくやっていたと言ったと思います。

ここで調書のことを述べておきます。事情を聞かれてよくじつ署名するのですが、まとめは事情をきいた警察官がするのです。そこには「一概にガイドたちを非難できない」という文言が最後にはいっているのです。じぶんはさらにだからと言って資質とか能力の点で問題がないわけではないと言ったつもりですがそれはなかった。自分はよくやったことはみとめるとして迂闊にもだきょうしてしまい署名をしてしまいました。宿に帰ってこれはまちがいだと気付き電話して取り消すと言ったのだが警察はとりあわないのだ。あとで道警から出張するか、地元警察に依頼することになるという。またいったん署名した調書は撤回できないという。そのあといちど道警にメールをいれたがそのうち連絡するというだけでいまだに連絡はない、このまま黙るのを待っているようですね。これが警察だとおもいました。そこで自分はどうしたらよいと思いますか、意見を聞かせてください。

32歳ガイドへの不信は事情をしらべて彼がすべて取り仕切っていたと気付いたからです。また4時30分のメールが頂上付近からだと、おしえていただいたからです。つまりかれは110番をできたのにしなっかたわけで人の命を考えないのだと気付いたからです。

A⑯ ヒサゴ沼避難小屋を出てから、コマドリ分岐に至るまで、ツアーメンバー以外の一般登山者と行き違ったり、追い越されたりしましたか。その際にその登山者と会話をなさいましたか?
もし差しさわりがなければ、どのような会話をなされたのか教えてください(例 今日は酷い天気ですねとか、どちらまで行くのですか?とか・・)。

自分は気付きませんでした。

A⑰ こちらでは、停滞するべきであるとか、ルートを変更するべきであったとか、いろんな議論があがっているのですが、 現場の雰囲気として、16日早朝、ヒサゴ沼避難小屋で、そういう議論はなされたのでしょうか?又もしなされたとして、実際に停滞または、ルート変更できたとお考えになりますか?


トイレに行っていて、帰ったら何もなかったから議論などなかったのでしょう。数人が中止をもうしでたというがこれもきいていません。自分はこんかいの山行についてなんの予備知識も身につけずに、2日まえに荷物一覧を書き出しバタバタとそろえたというていたらくでして、ツァーのよいところはそこにあると思っていました。じぶんでいくと一人ですからいつでも行けれる=いつもいけれないとなってしまいます。だからルート変更はしませんでした。停滞について、さきにすすむコースがどういう風なのかしらないので前日のように行けれると思っていました。ロックガーデンでこんなコースと分かっていれば自分なら止めるのにとおもいました。たぶん避難ルートを聞いてそちらに逃げたと思います。

A⑱ いわゆるトコロテン方式で、翌日は、同じアミューズツアーのグループがヒサゴ沼避難小屋に宿泊予定であった、であるから16日ツアーは出発せざるを得なかった、という意見があるのですが、これに関しては、どうお考えになりますか?

当然32歳ガイドのあたまにはそのことがあったでしょう。かれはこのばあいガイドの資格でありながら営業職員の考えで決めたのでしょう。営業職員としては次の客の不便も考えるでしょう。客は営業職員のかんがえの犠牲になったともいえます。客にとってはガイドの考えで動いていると思っていたから、これは裏切りに等しいと思います。彼は同じ義務と思っていただろうけれど。

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とりあえずは、以上で御願いいたします。
またよろしく御願い申し上げます。



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※今回、質問の一部にインタビュアーの感想が混じっているところがあり、その質問は、誘導尋問として批判を受ける恐れがあるとの戸田様からのご指摘を受けたため削除しました。以後、質問は簡潔に、私見を交えることなく行わせていただきます。
※事実にどういう主観的な意味を与えるかは、ご覧の皆様の役目であり、戸田様の役割は、事実をありのままに陳述することにあります。もちろん、感想や、推測も許されるでしょう。ただ、ご覧の皆様は、感想や推測なさっている部分については鵜呑みにせずに慎重に受け止めてくださるよう御願い申し上げます。
※質問の公開に際して、戸田様がお書きになった本文には、一切修正を加えておりません。

戸田様

今回もよろしく御願い申し上げます。

自分はガイドが出発を決行した判断ミスを弁護はしませんが、それと同等のものとして危機に直面して彼らが何をしたかという点で重大な問題があったと思います。彼らは何もしなっかった。ただちに110番をすればたすっかたのに、いつまでも何かにしがみついて何もしなかった。この点で自分は怒っています。判断ミスは避けられない、もちろんその責任は負うべきですが、それでも危機に直面して適切な行動をとれば信頼は回復したでしょう、多くの登山者の深いところでの共感もえられたとおもう。

あと2つほど。ガイドの救援依頼がきちんとなされてないということについて。救援を出そうにも分からなくって出せないという。「救援隊に助けてもらいたいなら詳しく何度も電話しなければならない。」このことは登山者として知っておかねばならない知識として加えるべきである。16時の110番が23時45分の知事の自衛隊への出動ようせいまでがおくれたのはサブガイドがきちんと電話しないからである。亀田、前田の2人が降りて事情が分かるまで知事の要請が行われなかったのである。自衛隊の能力からはあるいはこの7時間余のロスがなかったならばと考えてしまう。彼が自分の電話を出して詳しく事情を説明したならば。かれは疲れていたとしても17時長田さんに見つけられ会社にメールを入れている。このときでもいいからなぜ詳しく110番しなかったのか。メールなるものがアリバイ作りにつかわれているのだ。

自分は視界が悪いからヘリコプターは出動できないと判断したがこれは間違いだと教えられた。出動できるかどうかは救援隊が判断するのであって、今日の救援能力は格段と進歩しているから素人判断はすべきでないとの書き込みを目にしている。ヘリの出動がありとなれば考えること、やることも違ったのに残念である。「ヘリの出動があるとしてそれを追求すべきである。」このことも登山者が知っておく知識としてくわえるべきである。

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A⑲ 正ガイドである多田ガイドが、10人を自ら率いて下山しなかったのは何故なのでしょうか?ルートを知らない松本ガイドに任せるよりも、松本ガイドに看護を任せ、ルートを知っている自分が10人を引率したほうが確実だと思うのですが・・。

38歳ガイドは「この中で一番元気なのはお前だ」と32歳ガイドにいました。彼がなぜそんなことを言ったかが問題です。自分の聞いていないやり取りがその前にあったようですが、それは何かがわからない。たぶん38歳ガイドにのこってほしいとたのんだのだとおもいます。38歳は断ったのだと思います。推測しかありません。

A⑳ 非常に基礎的なことなのですが、携帯メールが送信できるところは、通話も可能なのでしょうか?仮に通話は可能でないにしても、携帯メールによってトムラウシ山頂付近から110番通報できることを多田ガイドは知っていた。にもかかわらず、4時30分までしなかったということを戸田様は大いに非難したいわけなのですね。

携帯電話はおなじ電波で電話とメールをまかなうとおもいます。
32歳ガイドがなぜもっと早く110番をしなっかったか謎です。自分は独断で推測して叫んでいるのです。彼に聞きたいが無理でしょう。本当のことはしゃべらないでしょう。

A21 戸田様のお話しを総括しますと、多田ガイドはいわゆるただの雇われガイドではなく、アミューズトラベルのれっきとした社員だったのですね。であるならば、多田ガイドは札幌営業所の営業内容(ツアー企画、立案)にもある程度絡んでいたと理解してよろしいのでしょうか?

彼はフリーのガイドではありません。アミューズの正社員です。札幌営業所の営業内容に関与していたのは当然でしょう。ただしこのコースは過去に何度も行われていますし、32歳ガイドが率いたのでしょう。(はじめフリーとしてのち社員として。これはしらべれば分かることです。)かれは既定のコースとかんがえていたようですが、彼がしなければならないことをしなかった点で積極的関与と同じに評価できると思います。かれはだいせつざんについて、アミューズの中でいちばんわっかっていると目されていたと思います。

A24 推測で構いませんが、もし、16日が朝から大雨で、天気予報も終日雨だったら、多田ガイドはどうするつもりだったんでしょうね?それにもかかわらず下山を強行したのでしょうか?

ヒサゴ沼にとくに調子の悪い人を残すべきだったと思います。会社は出発にあたて調子の悪い人はなかったなどい言ってるが、うそです。
16日が大雨ならかれも、安全も、営業利益も両立させようとは思わなっかったと思います。停滞する踏ん切りができたでしょう。

A26-1 多田ガイドのケアを受けながら、6名がビバーク、結果としてうち4名が死亡しておりますが、原因は低体温症です。質問⑬にいただいた答えから、だれも低体温症だとは気がつかなかったそうですが、では、多田ガイドはじめ現場にいた人は、 症状を何が原因だと考えていたのでしょう?原因不明で困っていたのでしょうか?

分からなかったのではないでしょうか。茫然自失というか思考停止という言葉が適当でしょう。人間はこうしてバランスをとるのだとおもいます。自己防衛本能だとか。そうでないと発狂するとか。ひょとして彼は壊れているのかもしれません、このことも頭の隅に置いていく方がよいかもしれません。

A26-2 A①に関連して、多田ガイドは、2002年7月の事故と、その事故原因を知っていたと思われますか?

かれはなにも知らなかったとおもいます。かれが当時のことをしらべていたら、とうぜんパンフレットや装備品リストなどに反映されるでしょう。自分はこれらを読んでそんなことはまたく感じませんでした。北アルプスの秋山に相当するとは思ってもいませんでした。

A27 戸田様が、われわれはどうも遭難状況にあるのでは?と、認識し始めたのは何時ごろでしょうか?また、多田ガイドが、自らこれは遭難であると認めたのは午後4時30分前後と考えて宜しいでしょうか?

自分が叫ぼうとした時か、さけんでるとちゅか、突然このままでは危ない、かれらには故障者は手に負えないのだ、助けを呼ぶのが一番良いとおもいました。ただ空を見て視界が悪いのでヘリはだめだろうと考えました。徒歩になると時間がかかると思いました。しかし翌日になるとは思いませんでした。また携帯電波がとどかないと思っていたので歩くしかないと思いました。そのうち歩きだしてそのことは忘れました。
ガイドたちは遭難と言われてびっくりしたのかもしれません。このまま続けるのはできないとおもったようで、はじけるようにすぐ「あるけるひとはしゅぱつします」というので妙な気がしました。俺が言ったからなのか、俺が言ったからすぐ決めるなんて文句が出たのでと考えたのだろうか。こんなに簡単に決めるのなら長い間待たせる必要はあったのかとも思いました。

A28 多田ガイドが、その時間まで連絡をしなかったことに関しては、あくまでも自力下山が可能であると信じていたからであるとも考えられるのですが、はたからみて状況的に自力下山が可能と考えられましたか?状況的に自力下山がもはや無理であると戸田様が確定的に認識したのは、何時ごろでしょうか?

なぜその時110番をしなかったのか謎です。4時30分まで連絡をいれなかったのか。電波が届くとわかったいまはそれが最大の謎です。このとき110番していれば多くの人が救われたのに。
彼が考えたことは思考停止をしていたとしか考えれません。深く考えなかったのでしょう。だれかが叫べば反射的に反応するそういう状態だと思います。「あるけるひとはしゅぱつします」とすぐいいだしたのも条件反射の状態になっていたのかも。自分が110番せよともっと迫ったらそうしたでしょう。自分で判断できなかったのでは。進退きわまっていたのでは、今はそう思います。
あくまで自力下山を考えていたというのは根拠など考えない信仰のせかいですね、にんげんにはそういうところがあるとおもいます。
自分は動けない人のサポートに回ってこれでは到底下山できないだろうと思いました。下山がとにかく長く、全員に故障者がなくても無事下山できたとは思えなかった。ガイドは知っていたはずでなにをかんがえていたのだろうと。下山はできないということははじめからわかっていたのにと。距離の長さにあぜんとしました。

A29 非常にお手数ですが、入山時の背負うザックの重さと、入山されてから、自力下山なされるまでの食事内容を教えてください。14日から始まって、15日、16日の食事内容と食事量・・腹八分か、腹一杯か、それと行動中の空腹感の有無、特に15日の晩と、16日の朝は、十分に栄養摂取なされましたか?

12キロぐらいでしょう。14日の朝と昼は宿のおにぎりで2個づつありました。半個をのこし3時に食べた。5時にカレーのレトルトにサトーのご飯を食べたが半分残す。15日朝はラーメン、しかし前日にご飯を作っておけというので冷たいふやけたものを無理に食べた。昼はソセージパン、クルミパン、ちーずパン計3個をたべる。よるカレーにサトーのご飯、16日あさラーメンはあったかくして食べる。アミノバイタル3ふくろカロリーメイト2箱をカッパのポケットに入れておいたのがよかった。よるカレーパンをたべる。

A30-1 ビバークについて教えてください。ビバークされた場所は、標高はどのくらいでしたか?(高度測定機能がついた腕時計をお持ちですか?)

850m登山口近く。

A30-2 ビバークされた場所は、どのようなところを選んだのですか?

道端の草の上。

A30-3 ビバーク中に心がけたことは、どんなことですか?

クマが心配で荷物を10m先に置く。

A30-4 睡眠はとりましたか?

すぐ寝つき2時間ぐっすりとねる。

A30-5 何時間ぐらいビバークされていましたか。

2時間目が覚めて、星と思ったらうすあかりの空にたくさんの木の葉を刷りこんだ小紋のような空が、いまも目に浮かぶ。落葉樹の空は意外に高い。

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今回も長い質問になってしまいましたがよろしく御願い申し上げます。

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以下に掲示するのは、戸田様から8月7日早朝に送られてきたメールの一部です。追記情報が記載されています。
原文のまま転載いたします。

追記

テントについて。川角、市川、植草のほか野首、石原も不調を訴えて残ったといいます。吉川も入れて6人では4人用テントは狭いので、多田が南沼キャンプ場まで探しに行き、5人用の空きテントを見つけてきたといいます。これが写真に写ってるものです。4人用テントは使わなかったそうです。

そのとき多田は電波が届くか調べて、これが4時半のメールになったといいます。多田はこの時初めて電波を探す気になったようなことをいっています。

ヘリについて。このメールでヘリコプターが飛んだが頂上付近は雲が厚くて引き返したといいます。

吉川氏。彼も小川で客を渡すさい水没したといいます。それで自分が見たことと合致します。それで亡くなったんでしょう。

待機の場所について。自分以外は北沼分岐のあたりだといいます。そうすると「分岐で10人を確認するように」と、多田が松本に言ったのはトムラウシ分岐になります。右へ降りていくのも合致する。時間をかんがえなおさないと。

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アミューズ・トラベルの見解

tomuraushi0716

16日の部分の引用と若干の私的分析

翌日の天気について前日の天気予報から、多田は午前中までは崩れるが午後からは大丈夫と予想。

分析
※16日の天気予測部分が、15日の報告に書かれている。

雪渓上で風に曝されることを避けるため出発を30分遅らせ、午前5時30分に出発。
雪渓があるのでアイゼンを装着。
ペンパとは雪渓上部で別れ、岩場を通過し稜線に出る。
風は強かったが登山道は昨日程水浸しではない。
天沼手前と天沼付近で休憩。更に日本庭園付近で休憩していると同じ山小屋にいた6人パーティが追抜いて行く。

分析 
※状況説明に終始している。

ロックガーデンに出ると物凄い風となった(松本談)。
この頃からお客様の歩行状態にばらつきが出る。
北沼分岐手前において北沼からの流水が氾濫して幅2m程の川になる。
膝下ぐらいの流れの中で多田と松本がお客様をサポートして対岸に渡す。
松本はお客様がふらついた拍子に転倒し全身を濡らす。
渡渉後に川角様がぐったりした様子だったので松本が介抱する。
温かい紅茶を飲ませたが、目を閉じたので大きな声をかけて励ます。
ここでお客様の中から、「これは遭難だから早く救助を要請してくれ」などとガイドに対する申し出があった。
渡渉と川角様の介護で他のメンバーも時間にして30分は行動を停滞させた。

分析
※流水を渡渉、その後の介護で30分ほど時間がかかったとされる。
※ここで渡渉後に最初の行動不能者が出たとしてある。
※この時点で、ツアー客による「遭難」のガイドへの進言がなされたとされている。

多田は、川角様と吉川、松本を残して本隊と歩き始めたが、雪渓手前で人数を確認すると2名足りなくて最後尾は松本だった
松本に、すこし先に風をしのげる場所があるので本隊はそこで待つように指示して、多田は北沼分岐に戻ると植原様と石原様が残っていた。
一人ずつ交互に背負って何度かピストンして雪渓を登りきると、市川様と市川様を介護している野首様がいた。
多田は、雪渓上部の2,3分先で待っていた本隊に追いつき、行動不能の人はビバークし、松本は動けるお客様10人を連れて下山するよう指示する。
又、同所のすこし先にトムラウシ分岐があるので下山方向を間違わないように、同分岐で10人を点呼するようにとも指示した。

分析
※「残して」とは具体的にはビバークのことであるが、簡単に流している。
※二名を取り残してしまったと正面からは書かずに(認めずに)最後尾は松本であったと、間接事実を挙げている。
※第二の行動不能者(3名)と介護しているツアー客1名がビバークするに至った経緯の報告である。
※多田ガイドが、松本ガイドに二点の指示をしたことが書かれている。その中に、多田ガイドが松本ガイドに110番通報を依頼したとは書かれていない(単なる書き落としか?)。多田ガイドが、付近には携帯がつながるところが探せばあり、そこに行って自分で110番通報をしようと考えていたのであるならば、依頼しなかったことも理解できる。

松本は歩き出し、ゆっくりとしたペースでトムラウシ分岐に15分~20分程度で到着したが、点呼したら8名しかいなかった。
当時の松本は前述の転倒で極限状態にあり2名を探しに行く精神力も体力も残されていなかった。
松本は8名のお客様にこの道標に向かって下山してくださいと伝えて、救助の電話をする一心だけで歩き始めた。
前トム平をすこし下った所で前田様が電波が通じると言ったので110番してくださいと頼んだ。
警察には4名以上自力で下山できないので救助を要請します(15時54分)と話したが、後はよく覚えていない。
電話がすみ、先に下山するように伝える、意識が戻ったのは病院だった。

分析
※ここのところだけ、主観的事実(精神力や体力が残っていなかったということ)を客観的事実として記載するとともに、他の箇所ではかかれていない「心情」が書かれている。
※松本ガイドは意識を失ったことになっており、どこで、何時ごろどういう形で保護されたのか事実関係が書かれていない。つまり、救助にあたった警察、消防などの資料データも踏まえていない。
※多田ガイドから依頼されたと明示的にかかれていない110番通報をする一心で、松本ガイドはみすみす2名のツアー客を見捨てたと理解できる。110番通報にそれほどの要急性があったのか?110番通報は大義名分で、実のところは、精神力と体力を使い果たしていたというのが実のところではないか?

トムラウシ分岐のすこし手前で遅れた二人は木村様と、斐品様で、松本が先頭で歩き始めてトムラウシ分岐手前5分の所で木村様がふらつき、斐品様は木村様を介護したが木村様は意識をなくした。斐品様が下山を続けるとさらに動けない状態の味田様と竹内様を見つける。2人を必死で介護するがその甲斐なく意識をなくされたのでその場を離れる(13時40分)。斐品様がさらに下山すると真鍋様とシュラフに包まれた岡様と出会う。真鍋様は元気な様子だったが、この場を離れたくないと話され、無理強いはせずに下山を続ける。

分析
※この部分は斐品様の証言に基づいているものと考えられる。
※この時刻は、戸田氏の証言とは違っている。戸田証言によると、13時40分に、多田ガイドを含む7名を残して、松本ガイドがトムラウシ分岐に向けて出発したとされている。

一方、多田は歩けないお客様の所へ戻り、唯一行動に支障のない野首様に手伝ってもらいツエルトの中に動けない3人を入れて体をさすり保温に努めた
多田はさらに救助要請のために携帯の電波が届く場所を探し南沼キャンプ地方面へ歩く。
16時49分にメールを送信する。
その先少し歩くと木村様が一人うずくまっていた。
その先に青いビニールシートの塊りがあり、中にテント、毛布、ガスコンロを見つける。
木村様に毛布をかけ、ビバーク地点へ戻る。
野首様に手伝っていただきテントを立ててお湯を沸かす。
しかし、植原様の意識がなくなる。
市川様には体温が伝わるように抱きかかえた
飲料水が少なくなったので南沼方面に再度行き、携帯で電話して19時10分に本社松下と警察と話す。
テントに戻ると市川様の意識はなかった。

分析
※多田ガイドによる介護のレポートが中心である。
※保温に努めたとあるが、原因を何と考えて、保温に努めたのかは書いていない。
※斐品証言によるとトムラウシ分岐を過ぎた先で、13時40分とあるので、多田ガイドがツアー客とともにビバークをはじめた時点はさらに前の時間であると考えられる。
※メールを送信した16時49分までに、3時間以上も時間が過ぎており、この間の事情説明は僅か最初の2文のみである。ツエルトに3人入れて介護し、南沼キャンプ地方面に行ってメールするまでに3時間もかかるのはかかりすぎではないか?
※吉川ガイドとともに先に残した一行2人については触れられていない。

本見解に対する戸田様のご意見

きわめて不愉快な文書をもってきて、ここから始めようとするなんて信じられない。ガイドの言い分を先にのせたというならそれも一つの立場であるが、ここに斐品氏の言が客観性を装うようにのっている。なぜ他の客の言を求めないのか、他の客の証言を突き合わせてからにしないのか。自分のところになぜ証言を求めなかったのか。きわめて礼を失するやり方である。
①松本ガイドが「トムラウシ分岐で点呼したが8名しかいなかった」といっている。これはウソである。かれは分岐にはいなかったからである。かれは分岐のした20mぐらいのところにいて「オーイ、オーイ」と叫んでいただけである。自分がやむを得ず「おーい」とこたえると一目散にくだっていったので、点呼したというのはウソである。彼が「8人しかいなかった」というのはあとで誰かに聞いたことを利用してつくった作りばなしである。
②8名のお客様に「道標に向かって下山してください」とつたえたというのはウソである。自分をふくめ後続の女性たちは聞いていない。作文である。
松本ガイドは必死なんだと思う。会社は彼と心中するつもりなのかと聞きたい。

__________________________________________________________________

戸田様

毎度お手数ですがよろしく御願い申し上げます。

警察調書について 実に3日間にわたって調書の作成に付き合わされた。警察はたくさんの質問をしこちらが答えると、これをもとに警察官が調書なるものを作成するのである。ここで重要なのは警察官が作成するということである。調書はあくまで警察官の作文であるのだ。だから警察官の主観により、考えひとつで内容が異なってくると考えるのがふつうなのに、それが私の供述だとされるのだ。しかもだ、インチキ商売のようにこちらには控えを渡さないでおいて、ここにお前の署名があるというのだ。こちらは何を署名したのか疑心暗鬼になるしかない。パソコンを使うのだが、中身は恐ろしく非近代的なことをやっているのだ。刑事司法の関係者に問いたい、なぜこんなことがまかりとおているのだ。私は被疑者ではないがことは同じだろう。えん罪が起こる原因の一つだろう。

こういうことがありました。出発するとき一人が立ち上がれなくなった場面について、「疲労により立ち上がれなっかた」とあるので私は低体温症で疲労ではないというと、警察は、当時低体温症と知らなかったからという。疲労とは言ってないというと、何だと思ったかといい、疲労と考えるしかないから疲労だというのだ。これでは私が今でも疲労と考えているということになるのに。この場合は私が気付いたから原因に関することは書かないことにしたが、気付いてないことも多いだろう。19時間も付き合わされて早く終わりたいし警察官にも悪い、と思って目をつぶってしまうことも多い。

少なくとも控えを供述者に交付しなければならないと制度上、明文を持って定めてもらいたい。

以下の4つはnohoさまのご質問です、nohoさまは登山ツアー関係のお仕事をなさっておられ、残念ながら今回の事故で顧客の方が数名犠牲者になってしまわれたそうです。質問文が長いですが、nohoさまの原文のまま掲載します。

A31 ①避難小屋泊を2泊もこなし、本来ビバーグに適したもの(余りの食料、寝袋、火力)を相当数持っているはずのパーティーがビバーグに失敗したのはなぜか?低体温で判断が鈍ってたとしても大いに疑問です。加温するために準備してほしいものはすべてあったはず。戸田様の話では北沼ではテントが飛ばされるほどの風ではなかったようです。

(趣旨)私が気になるのは最初の故障者のビバーグです。その為だけのテントならあったはずです。この方は私の考えでは天沼の鞍部を超えた段階で北沼に近づけば近づくほど加速度的に生存の確立が少なくなったと考えています。しかしそれでも北沼でキチンとした加温(テントと火力と寝袋があれば充分ではないか?)を前程としたビバーグが出来れば可能性はゼロでなかったのではないか?この方のみを他の顧客から離して加温(低体温との認識が無くても休息)のためのビバーグという判断が少しでも早ければ大量遭難にはならなかったのではないかと言うのが私の仮説です。 この辺りの趣旨で戸田様にお尋ねいただけるとありがたいです。

ボンベ、コンロなどは、アミューズの後続パーテイのために全部おいてきたようです。装備もトコロテン方式をやっていたことになる。アミューズの「8月7日時点における弊社の認識内容」という文書では何も触れられていないが、ガイドが南沼でガスコンロを見つけたとあるから、ガスコンロは持ってきてないのだろう。いずれわかるだろう。警察に聞いたら確認してみるという。問題にしてこなかったのであろう。

A32 ②①に関連しますがシェルパの役割はなんだったのか?シャルパはビバーグに有効な一部の装備を預かってしまっていなかったか?

(趣旨)ステップを切るためだけにヒサゴ沼まで行かないと思います。場所取りは・・・なんとも旅行会社的な発想で悲しくなります。その発想ではツアーは馬鹿にされて当然ですね。
せっかく雇ったシェルパの背中に荷物が無いというのは不自然な気がします。万が一ここでビバーグに必要な装備を預けていたとしたら、それはそもそもビバーグは想定していなかった証明になると考えます。逆に言えば晴天ならシェルパに預けただろう荷物を緊急時に備えて持っていったならビバーグを予想していたことになると思われます。


ペンバさんは荷物は何も持っていませんでした。ビバークは想定していなっかったと思います。そう判断するしかないとおもいます。あるいはガイドたちが携行するツェルトがあればよいと考えたのかもしれない。ガスボンベはないが。2人が3~4人用ツエルトをもっていたようです。

A33 ③シェルパを含む4名のスタッフは特定小電源の無線機で短距離通信が可能になっていたのか?全員持っていて使いこなせれば大量遭難を招いた2時間の「停止時間」は違ったものになったと思います。

(趣旨)これは同様の仕事をしている私にはにわかに信じがたい事実です。ガイド同士は声の届かない範囲で離れて行動するのが常です。無線が無ければ非常に効率の悪いガイディングになります。50m後方の出来事が把握できず動けなくなることもあり、16名を引率してては場合によっては命取りになる可能性があります。


アミューズのツアーで不思議なのは、ガイドが連絡するのに相手のところまで歩いていくことです。自分は携帯もトランシーバーも持っていないと思っていたが、いまでは携帯は持っているが電波が届かないのだとわかりました。トランシーバーをつかている姿は自分が経験したアミューズのツアー7回ほどで一度もありません。社長ガトランシーバは交付してあると言っていますがどこかにしまっていたのでしょうか。

A34 ④なぜ多田ガイドは北沼周辺で孤軍奮闘したのか?三名の「ガイド」が同行しているのにとても奇異に映ります。最初の故障者をサポートした吉川ガイドはおいておいても、松本ガイドに南沼分岐まで故障者以外を誘導させて安全圏まで下山させるよう要請をするのにためらう理由があったのか?

(趣旨)多田ガイドに松本ガイドへの信頼が感じられなかったのでたずねました。本来ルートが初めてでも南沼分岐経由でのコマドリ沢はプロガイドが引率できないルートとは思えません。信頼できていて無線機があれば(数百メートル交信できれば充分)北沼での空白の2時間は作らずにすんだというのも私の仮説です。

38歳ガイドは小川で転び全身を水につかったといいますから、32歳ガイドは38歳ガイドを頼れないと思ったのでしょう。会社もその線でおしきるつもりです。無線機はないのです。

A35 多田ガイドの人柄や風貌のイメージが湧かないので、読み手の人に、どんな印象の人か具体的に教えてください。(例、背は高く、がっしりとした体格で、力持ちであるとか、無骨者であるとか、背は170cmぐらいで、小太りで、陽気な人柄であるとか、口数が少ない昔風の登山家のイメージであるとか、冗舌で、陽気な性格であるとか、暗い雰囲気のもの静かな印象であるとか・・。話し掛けやすい雰囲気であるとか、他人と話しをするのは得意でない印象であったとか、メガネをかけているか、日に焼けているか、髪形は?ひげを生やしているか、髪の毛を染めていたか。)

彼は無口で、優等生で完ぺき主義者でしょう。

A36 同じように、松本ガイドについても御願いいたします。

彼は、自衛隊上がりのどこかに不十分な点があっても押し通すという考えのようです。

A37 松本ガイドは多田ガイドよりも6歳年上のようですが、立場上は、多田ガイドがチーフガイド、松本ガイドはサブガイドとなっていますので、多田ガイドのほうが上のはずです。多田ガイドは、松本ガイドをうまく指揮できていましたか?松本ガイドは、多田ガイドの指示に対して素直に従っていましたか?

始めての同行ですので年齢の点は大きいでしょう。38歳は32歳に「ためぐち」をきいています。よびすてです。

A38 松本ガイドはトムラウシ分岐で人数を確認したのちに、先に行ってしまったようですが、つまり、松本ガイドが先頭に立ったというわけですか?また、戸田様は松本ガイドの歩行ペースについてゆけたのでしょうか? どのくらいの方が、きちんと松本ガイドの歩行ペースについてゆけたのでしょうか?

38歳ガイドはトムラウシ分岐で人数を確認した事実はありません。彼はそのようなことを会社にいっているようですが、そうと言わなければ引っ込みがつかないからだとおもいます。かれは20mぐらい下の見えないところで「オーイ、オーイ」と叫んでいました。自分は分岐に近づいて「オーイ」と返事をしてやると、かれはそれで道を伝えたというのでしょう、すぐ気配はなくなりました。彼に従ったのはこの2人の客だけです。自分も初めは彼のそばにいて、後続が遅れるので自発的にうしろにまわったのです。ガイドたち計3人と後続の6人(自分もいれて)とは見えないくらい、20mぐらいはなれていました。だって後続の女の客はみんなヨタヨタとしか歩けないからです。長田さんは竹内さんをサポートして歩いていたのですし、ほかの人も一生懸命に歩いていましたが動きがぎこちないのです、足に力が入らないのでヨロヨロと歩く状態です。自分はガイドのペースについていくことは出来ましたが、自分は後続の後詰めにまわったのです。つまりそのころは後続の女客は通常の歩行能力を失っていたのです。ガイドはそんなことは考えてもいません、かれはみんなのことをまったく見ていないからです。かれはいつも先頭に立っていたのです。一度でも後ろに回ってきたことはありません。分岐で「点呼した」ともいっているがこれは全くのウソです。おそらく会社の事情聴取の時に、「点呼をしたか」ときかれたので「した」と答えたのでしょう。「8人の客にこの道標に向かって下山してください」と伝えたと言っているのも、会社がそう訊くのでそうだとこたえたのだとおもいます。かれはそのとき客が8人しかいないということは知りません。後ろに回らなくてどうしてわかるのでしょう。じぶんは後ろにまわって2人いないのに気がついたが、そのことを分岐で彼にいおうとしたのに彼は下の方にいたのです。会社の質問が不用意だからこういうことになるのです。

A39 松本ガイドの歩行ペースに遅れる人が出たということは、戸田様は歩いていて分かりましたか?だんだんと、離れ離れになって、中には立ち止まったりする人が出てきて、距離が開いてしまったのですか?

自分ははじめ先頭集団にいました。前田さん、亀田さん、自分の3人がガイドに付いていました。休憩が終わった時、5mほど離れたところで休んでいた後続の女客がなかなか動き出さないので、ガイドが大声で「あけるでない、早く立ち上がるんだ」などと叫んでいました。自分もそうだとおもったが心配になって後ろに回ってみようと引き返しました。それで2人が足りないことに気付いたのです。それであきらめて後続の最後に付いたのです。その時思ったのは女客のペースがものすごくおそいので、100mほどもどってかえってきてもまったくきにならないんだとおもいました。そしてトムラウシ分岐につくのです。ここのことはすでに述べました。トムラウシ分岐を過ぎてからは自分はガイドら先頭集団のことはしりません。

A40 松本ガイド自身は、引率するべきツアー客の何名かを置き去りにしているかもしれないことについて、認識、認容はあったのでしょうか?時々後ろを心配そうに振り返りながら先行していましたか?それとも、後ろのことなど構わずに、心配そうなそぶりを見せることもなくどんどん先に行ってしまったのでしょうか?

彼は分岐で全員を確認せよといわれたので、それは道迷いが出ないようにすればよいと考え、後ろのひとが前を見失わなければよいのだと考え、「オーイ、オーイ」と下の方から声をかければよいとしたのでしょう。それで具体的指示には従ったつもりなんでしょう。初めから客の様子を見るということは彼の頭にはありません。以後かれは一目散に下ったのです。置き去りのことを心配等するものですか、自分のサバイバルだけで動いたのです。極限状態にあったからといっているようですが、それは自分がサバイバルだけをかんがえていたという告白になっています。110番についても前田さんの夫からの電話が偶然かかってきて、それに反応して「110番してくれ」といっただけで積極的に連絡しようとはしていません。自分の携帯を出して詳しく連絡しようとはしていません。前トム平あたりで連絡はしていませんし、そうしようとはしていません。朦朧としていたと言っているのでこのことは逆に証明できると思います。

A41 13時40分にスタートして、前トム平を何時ごろに通過し、コマドリ沢分岐は何時ごろになりましたか?

ごめんなさい。北村分岐を出発したのは13時としてください。16時にコマドリ沢出会いの上で前田さんの夫からの電話があって、110番したということは記録にありますから、ここからさかのぼるべきかと思います。
ガイドブックでは2時間半とあり先頭は3時間もあればよいと思い1時出発とします、前トム平は3じ40分ごろかと思います。これらは先頭集団の時間です。後続はトムラウシ公園のあたりに3時半、自分はここで竹内さんを置いて歩いたのだと思います。そして30分歩いてまた戻ってを繰り返して1時間のロスを出し、コマドリ沢出会いに5時ごろ着いたんだと思います。5時に長田さんが先に着ていてガイドに電話をかけさせたといいます。そこへ自分が来たのです。

A42 松本ガイドが110番通報したのは、コマドリ沢分岐というところなのですか?そこは、沢筋なのでしょうか?どんなイメージのところか? 電波は届くところなのでしょうか?

コマドリ沢出会いをさかのぼること5~6分のところで草付きの広っぱになっていました。どこで電話をしたのかわかりませんが、ガイドは電話をした地点から動かなかったようです。

A43 松本ガイドが110番通報する際には、戸田様はその現場にいたのでしょうか?それとも、戸田様はまだその現場に到着していなかったのでしょうか?

110番通報は前田さんがしたのです。これはまえださんが証言しています。自分は長田さんと道迷いのあいだだったかも。

A44 結局、松本ガイドをどこかで追い抜いて戸田様は下山したはずですが、どこら辺で松本ガイドを追い抜きましたか?

ガイドは4時ごろそこについて寝入り、5時に長田さんにおこされて電話して(これは通じなかったそうです押し方が悪かったとか、社長が言っていました。)そのあと自分がそこについたのです。自分は2人を残しコマドリ沢を渡って進んだのです。

A45  追い抜いたときに、松本ガイドより、戸田様ご自身のほうが体力が残っているように感じましたか?また、松本ガイドは、どんな様子でしたか?上に残してきたツアー客が心配であるといったそぶりを見せていましたか?

ガイドは1時間休んですっきりしたと思います。ツアー客のことは考えていないと思います。後のことを考えていたと思います。

A46 一般に、サブガイドというのは、チーフガイドよりも、手当てが低く、責任も軽いのでしょうか?

そうだと思います。彼は手伝いで来たのに悪夢だったのでしょう。

A47 戸田様は、これまでさまざまなツアーに参加なさっていろんなガイドを見てきたと思うのですが、そういったご経験からすると、今回の3名のガイドは、ガイドとして、平均的でしたか?  平均よりも能力が劣るとお考えになりますか?まず、吉川ガイドはいかがでしょう?

分かりません。よく知らない。ただ添乗員としては客の様子をキチンと見ていたのだろうかと思います。

A48 次に、多田ガイドはいかがでしょう?


かれはむしろ添乗員的です。こまごまとしたことを自分が引き受けてやっていて全体の把握をしていませんでした。

A49 最後に、松本ガイドはいかがでしょうか?

彼に期待をするのはやめたほうがよい。

A50 松本ガイドによる、ツアー客の置き去りに関して、多田ガイドにも責任があるとお考えになりますか?それとも、多田ガイドは無関係であるとお考えになりますか?

そうおもいます。かれは38歳ガイドに押し付けて自分の視野から8人の客を消し去ったからです。

___________________________________________________________

とりあえずは以上で御願いいたします。

Written by silvaplauna

Juli 31, 2009 um 4:40

42 Antworten

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  1. silvaplauna様
    質問のとりまとめとご連絡、ならびに議論の場のご提供、ありがとうございます。
    戸田様
    お客さんの自己責任論に違和感を覚えていらっしゃるお気持ち、私も同感です。
    ツアーでは通常、すべてリーダーが判断します。もしかりに、下山口のバスで集合、あとは偶然一緒に歩いてたまたま一緒に泊まったお客にだけご飯を提供したというような計画だったとしたら自己責任かもしれませんが、そんな計画あるはずありません(いや、ごくたまに日帰りツアーで似たセンスのツアーをみかけることがあるのでオドロキですが)。

    以下、ご回答に対するコメントを述べさせていただきます。

    ①ガイドの印象
    多田ガイドがリーダー格のようだった、とのことですね。少なくともルート評価と天気に関しては、彼に決定権があったのではないか、ということですね。
    この問いは、17日、18日時点の新聞報道で松下社長が吉川ガイドがこの山域の経験者だという誤情報を流したあと、報道に訂正もされなかったため、再確認させていただくためにさせていただきました。

    ②前日の天候と体力の消耗
    かなり具体的にご回答いただき、状況がとてもよくわかりました。
    事故パーティは小屋の一階でしたか。一階の場合、女性客は着替えをもっていても人目があり躊躇する可能性がありますね。また到着時のレインウエアについた雨のしずくが床におち、床もびしょ濡れであった可能性があります。

    ③最終判断地
    ご証言からあくまで小屋を最終判断場所と考えていたと推測されます。

    ④防寒具の指示
    どの報道をみても、悪天候のなか行動するにあたって防寒対策の指示がなされていた、との証言が見当たらなかったためご質問させていただきました。
    戸田さんが知る限り、指示はなかったということですね。

    ⑤ガイドの行動中の位置取り
    先頭:多田ガイド 中間:松本ガイド 最後尾:吉川ガイド

    そうすると行動中のパーティの状況は松本ガイドと吉川ガイドが多田ガイドに伝達する仕組みになっていたと思います。

    ⑥雪渓の対処
    第四のガイドがネパール人というのは、これまで報道されていませんでしたね。
    テンバさんでしょうか。テンバさんは雪渓でサポートしたあと小屋に戻ったということですね。質問の趣旨は、着脱に時間がかかり、体力を消耗することもしばしばあるので、体力の消耗に寄与したかどうかの印象をお聞きしたかったのです。ご存知のとおり、悪天候の行動では、歩行中のみならず、休息中(じっとしているとき)でも体力を奪っていくものです。ですから、極力、長く休まないという戦略で行動する必要があります。しかしながら、そのためには、アップダウンの多い脚力を要する行程で休まずに動ける行動能力が問われるわけです。この点は別途質問させていただきました。

    ⑦-1 コルでの天候
    風雨・気温ともに行動に余裕のある天候ということですね。
    ⑦-2 お客さんからの不調の訴えの有無
    これは貴重なご証言です。つまり、最初の故障者(吉川さんと最初にビバークしお亡くなりになった女性)は、行動初日から体調不良のサインを出していたのですね。じつは、こういう場合の対応方法はガイドによってかなりばらつきがあることを私は知っています。私の経験でいうと、添乗員系のガイドに「あともう少しだからがんばりましょう」的な対応をする人が多い印象を持ちます。

    あくまで印象です。個人ガイドツアーの場合、逆にお客さんの体調には神経質なまでにぴりぴりしている傾向があります。子供に自己管理を説教する親のような役割と認識しているガイドも多いです。そういう説教くさいガイドはお客さんが不調を言い出す前に、装備や体調を確認しようとする傾向があります。

    添乗員系・個人ガイド系と書きましたが、これはこれでひとつの論点かと思います。しばしばガイドの立場が複雑であることが論じられておりますが、添乗員をかねたガイドは、サーバント(サービスの奉仕者)としてお客さんの満足度を上げる任務も負っており、なおかつ、事務所では顧客の営業もやっている場合が多いので、あなたはパーティについていける体調ではないので下山しましょうとはなかなかいいにくい。甘やかすインセンティブがどうしても強くなります。

    しかし、アウトソースされた現地ガイドは、世間で言われているほど、保身的ではありません。むしろ初めてお会いしたお客さんとのしがらみがないうえ、顧客へのホスピタリティなどさして気にする必要もないので、自分の任務のひとつを安全管理と強く確信している気がいたします。貧弱な装備や不十分な体力で参加するお客さんに対してきつく説教するガイドもいます。これも程度問題であり、一長一短ですが。

    今回の場合、体調不良のメンバーの管理がきちんとされていたかどうか、改めて問われそうです。

    ⑧天候条件が急変した場所
    >どこかで急に風雨がつよくなりました>
    >天沼からロックガーデンにかけてに木道があるとおもいますが、そこが一番風が強かった>

    それは天沼とロックガーデンの間にあるコルです。
    http://watchizu.gsi.go.jp/watchizu.html?meshcode=65422655
    地図でご確認いただけるとお分かりになると思います。
    ここは西側がクワウンナイ川の源流にあたり、けっこう大きな谷ですのでコル付近は風の通り道となっています。実はクワウンナイ川自体も上級者向け登山ルートのひとつとして知られており、私も何度か経験がありますが、クワウンナイ川縦走ルートでは、この木道付近で往復登頂するか、ヒサゴ沼に直行するかの判断をします。つまり、想定外の天候など緊急時に判断地を設けるとすればここです。

    ⑨悪天候時のパーティの状況

    風速20mというのをリアルに表現するのはとても大切と考えています。
    >風のつよいときは屈めとも言いました。それでほとんど進めなくなりました>といったご証言もあわせますと、少なくとも天沼より先のルートでは行動可能な天気とはとてもいいがたかったと推察されます。

    これをお聞きした趣旨は、しばしば山岳会等でよく議論されることですが、風速や視界何mといういかにも客観的な基準は、実は計測者の主観によってばらつきがあるため、もっと具体的な目印を共有して判断材料にしようということがいわれます。たとえば行動できる風の基準として、ザックが風で煽られる、フードやザックカバーが外れないか気になり気が散って行動に専念できない、などといった指標です。

    今後、ツアー会社にお願いしたいことがあるとすれば、具体的な天気基準の共有ですね。ウェブサイトでもハンドブックなり冊子でもいくらでも情報共有手段はあるわけで、この会社はこういう行動準則をもっていると公示することで、お客さんも予測が立てやすくなります。

    しかし、では、登山者が北海道の山をなめていたと結論付けていいかは大変疑問です。

    なぜなら、ツアー会社がどんなに情報提供したとしても、それはあくまで消費者がツアー選択する際の判断の一助にはなりえても、それが事故の際の言い訳になりえるわけではないのはいうまでもないからです。会社ないしガイドと消費者との間では、情報量と分析力・技術・判断力すべてにおいて対等ではないからです。つまり、会社は一部のお客さんがうっかり間違えて自分の能力を超えた過酷なツアーに申し込んでしまった場合でも、参加を認めるかどうかの判断を含めて、適切に安全に配慮する義務があります。あるいは、途中で体調を崩してしまい、自分自身で適切な自己管理をしたいのは山々だか、自分の不調のためにパーティ全体に迷惑がかかることを思うと、誰にも不調を言い出せないといった状況を想像してみればわかるように、組織登山において、登山者の自己責任を云々する批判はあまりにも不合理です。それは戸田さんもお感じのとおり、自己責任とはいいがたいのです。リーダーおよびツアー会社の責任というべきなのですね。

    swanslab

    Juli 31, 2009 um 10:37

  2. 引き続き戸田様のご回答へのコメントです

    ⑩休憩と食事
    天沼とロックガーデンの間のコルより先で、一度も休憩をとらず、かつ各自が食事をとっていたかどうか定かではないとのことですね。
    休む余裕もなく食事をとる力もなくなって体力消耗の悪循環に陥っていった、そんな状況が想像されます。

    ⑪最初に体調を崩していた客はレッドサインを出していたか
    質問のなかで(大騒ぎ)とありますが、これは小池様の補足説明によるもので、私のイメージとは少し違います。私の質問は『不調や疲労を表現できるタイプでしたか』です。
    私のリーダーとしての考え方を述べさせていただきますと、お客さんはできる限り体調に関して自己表現するべきです。ルートや天気に関してあれこれ意見をいうのも、勿論かまいませんが、これらの情報はガイドの参考にはなりません。ガイドが重視するのは、お客さん自身のレッドサインです。体調が悪いときに、きちんと悪いと報告できる、連絡できる、相談できる人は自己管理ができるお客さんです。逆に言えば、報連相ができない人は組織で行動するのに慣れていない人です。
    ですから、カナリアのように、いわれなくとも報告をしてくれるお客さんは体調を隠そうとするお客さんより組織の動き方の参考になるのです。しかしながら、現実は、ほとんどのお客さんが沈黙します。迷惑かけまいという気持ちが先行してしまうためでしょう。きわめて日本的な感受性ですが、この現実を前提にガイドやリーダーは自己管理のできないお客さんの動向を把握する必要があります。一例ですが、お客が小屋で安眠できるようにと、自己判断で錠剤を割らずに普段より多量の睡眠薬を飲んで間違えて着の身着のままお茶をこぼしてぐったりしていることもあります。こういう危機を早期発見するのもガイドやリーダーの役割となります。

    しかしながら、ご存知のように、多くの日本的な組織でそうであるように、部下には報連相をせよといっておきながら、いざ部下から進言を受けると、「それはお前が考えることではない」といってボスのプライドを傷つけることがあります。部下にとてはたいしたことのない事柄だと思っていても、上司にとっては内容ではなくその進言行為そのものが我慢がならないわけです。組織を長く経験すると、この微妙な空気、すなわち「報連相の作法」にはより敏感になるはずです。

    ただ、登山のリーダーは、その場の空気がどのようなものであれ、自分自身がもつ、ある種のプライドそのものを自覚してセルフコントロールするべきでしょう。その意味で、「客のわがまま」というテーマは、客側の解決されるべき問題ではなくガイドの側でコントロールすべき問題なのです。

    ⑫最初の行動不能者が発生したときの待機指示
    >吉川さんはすでに低体温症にかかってていたのではとおもいます。
    とご回答されておりますが、それは、最後尾に歩いていた吉川さんも動きが鈍くなっており、あまり言葉を発しなくなっていたとか、あるいは他人を対処できる状態ではなかったという意味でしょうか。
    ⑭のご回答で、列の最後にいた故障者が真ん中にいた38歳ガイドのところに連れてこられたというのは、吉川さんは自分で判断して対処方法を講じるといったことができなくなっていたのでしょうか。
    つまり報道では、最初の故障者に付き添ってその場に滞在した、となっていますが、現実は介抱している間に自分も動けなくなりつつあった、ということでしょうか。

    ⑭低体温症の対処の現実
    背中をさする、テルモス(吉川さん持参)の湯を飲ませる、声をかける。
    この3つ以外に何か思い出せませんか。
    ここは、今後の教訓のキモになるところだと思います。

    ⑮-1戸田さんが「救援要請をしろ」と訴えた時点の状況~指揮系統の不在

    通常、遭難の認識は具体的な対応策が尽きた時点でされるはずです。
    たとえ計画を外れた認識があったとしても、軌道修正の道があると認識しているのであれば遭難と判断しないはずです。
    しかし、16日11時30分の時点で、より風雨の強いと思われる天沼方面に引き返す現実味はなく、さりとて今後前トム平あたりまでは風上側の稜線をゆくことになります。私が考えても、最悪の場所で行動不能者が出ており、少なくとも故障者については、救援が必要な状況と認めるほかなかったと思います。戸田さんのおっしゃるように、これがもし低体温症であるとの認識をもっていれば、遭難と認めざるを得ないわけですが、ガイドからは反応がなかった。とすれば、ガイドの主観としては、低体温症の知識がなかったか、低体温症を認識していたが遭難と認めたくなかったかのどちらかしかないです。戸田さんの分析のとおりです。

    通常、指示というのは誰がいつどうする、というように、具体的になされなければなりません。吉川さんは「様子をみる」とだけ返答し、そのまま10分経過、それだけでも、もはや指揮系統が存在しなくなったと理解してもおかしくありません。

    ⑮-2 通信状況
    北沼・南沼付近でどの時点で通信が可能になったかについては、やはりもう少し情報を集める必要がありそうですね。

    ⑰コマドリ沢~新道のルートについて
    >自分はもと来た方に戻ろうとしていた
    それは典型的なリングワンデリング(彷徨)といえます。
    斐品さんと長田さんとはその後一緒に行動されたのでしょうか。
    記録によると、斐品さんと長田さんは0時55分に短縮道ではなく、東大雪荘へ直接向かう林間コースを下山したようにもみえます。
    一方、戸田さんは、短縮登山口の標識を左に曲がったのでしょうか。

    ⑱38歳ガイドの行動
    そもそも多田くんからの指示は10名まとめて下山とのことですので、救援要請のため下山したというのはおかしな話だと思っていたのですが、自分自身も背中をぬらし体力を消耗してゆく中で、お客さんのケアをするとなれば共倒れになりかねません。苦渋の決断としてお客さんを完全にぶっちぎって空身で走って携帯の通話エリアまで下山するという選択もありえたかと思います。まさにトリアージ的な究極の選択ですが。現実はそのどちらでもなかった。戸田さんの解釈は非常にリアルです。一人の客としてそのように映じたというのは、確かです。ただこの点は、本人ふくめた別の人の見方もお聞きしたいところです。

    ところで、下山路の動きをもう少しみていると、真鍋さんの行動がひとつ気になります。サンケイの報道では
    http://sankei.jp.msn.com/affairs/disaster/090723/dst0907231350013-n2.htm
    一方、戸田さんは11人がばらばらになった後、コマドリ沢分岐から山頂方向に約1キロの前トム平の手前で、歩けなくなった女性に手を貸していた長田良子さん(69)=仙台市=に「手伝って」と頼まれた。もう1人女性がいたが、突然倒れて起き上がらない。戸田さんらは2人を引っ張って雪渓を滑り降りたが、戸田さんは「自分のやれる範囲を超えている」と思い、歩き始めた。近くでは真鍋記余子さん(55)=浜松市=が別の女性を介抱していた。とあります。彼女は、最終的に前トム平で救出されていますが、記事の読みようによっては、コマドリ沢にいたる雪渓の下りで救助活動をしたあと、前トム平にもう一度引き返し、別の登山者の介抱をしていたようにもみえるからです。もしそうだとすればすごいことです。

    もし情報をお持ちの方がいらっしゃいましたら、教えていただけないでしょうか。

    いずれにしても
    戸田様 細かい質問にお答えいただきまして誠にありがとうございます。
    まだ事実として不明な点は多いのですが、おおよその今後の対策のあり方はみえてきたように思います。またおりにふれてご質問させていただきたく存じます。どうぞよろしくお願いいたします。

    swanslab

    August 1, 2009 um 7:49

  3. 綿密かつ正確な分析、驚嘆しながら拝見しております。ありがとうございます。

    一点、当職の検索不足とは存じますが、見つからないのが当該ツアーに於ける装備です。ガイドさん/ボッカさんは共同装備として何を運んでおられたのか、個人装備は雨具、シュラフ、水は?、食料は? 参加者の装備は各自何kg ぐらいだったのでしょうか?

    Bacchus auf Daikanberg

    August 2, 2009 um 1:08

  4. Bacchus auf Daikanberg 様
    swanslab様の分析は鋭いですね。おかげさまで位置関係などはほぼ手にとるように分かります。

    ご質問の件、早速次回戸田様にお尋ねしたいと思います。

    silvaplauna

    August 2, 2009 um 3:14

  5. 引き続き戸田様のご回答へコメントいたします。

    19.北沼到着時刻
    午前11時北沼(渡渉後)着。
    午前11時30分トムラウシ頂上と南沼方面との分岐点

    通常の天候ですと、アミューズPTが渡渉したという小川そのものが存在しません。北沼の湖水が溢れて小川となってワセダ沢方面へ越流しているところを登山道が横切っていたということだと思われます。その光景は、実はみてはいけない光景だったのではないかと思います。かつてコマドリ沢(カムイサンケナイ川)の増水により旧道が通行できないことがあった時代(2002年以前)には、エスケープルートを引き返してしまいますので北沼の越流など、まず見ることができない光景です。

    19-2.最初の故障者の発生から行動再開まで
    この故障者はすでにロックガーデンより前から吉川ガイドが付いていたようです。とのことですが、つまり、最初の故障者はロックガーデンから遅れ気味で、パーティから少し離れていたということですね。
    小川を渡るときも彼女だけ渡れず、32歳ガイドが別のところを探してきて手を伸ばしていました。との証言から、渡渉に際して、元の登山道をどこでもジャブジャブ渡れるわけではなく、場所を選ばなければ足をとられるほどの水流があったと推察されます。北沼はそもそも雪渓が解けてできた湖水で、冷たい水です。付近は永久凍土の研究がなされるツンドラ地帯のようなところです。また松本ガイドが背中をぬらしたのは不用意に歩いて足を取られてすっころんだせいと思われます。
    その後、この渡渉にすっかり消耗した最初の故障者は、南沼とトムラウシ頂上との分岐まで、岩についたペンキを頼りに両手両足フル稼働でよじ登って(トラバース)ようやく分岐にたどりついた。11時半になっていました。通常、小川付近から分岐まで10分です。大多数は分岐手前ですでに20分くらいは待ったかもわかりませんね。到着するや、行動が不能になった。さて、ここから頂上を目指すという判断はありえず、吉川さんが故障者の手当てに回ることになります。

    不可解なのは、ここからさらに一時間半ほど最初の故障者を休ませる間、他のメンバーを吹きさらしの北沼のほとりで放置していたことです。いったいなぜなのでしょう。これがいまだにわかりません。あとになって先を急いだ松本ガイドではありませんが、じっとしていればますます消耗するため、皆さん半ば本能的に歩きたいはずです。しかし、またされます。質問19-7によれば、このときの天候は、風時々雨。ときおりバラバラと雨が降る、風の強い天候だったようです。このときの天候を戸田さんは風はむしろ乾くので心地よいにですが、のちに体が冷えると肌についた下着のあせでたえられなくなってくる。と回想しています。

    19-3.
    さて、午後1時半。吉川さんと最初の故障者が居残ることが決まり、残り16名が南沼方面へ出発します。推測ですが、ここで野首さんがツエルトを吉川さんと故障者のために提供できることになったのでしょうか。
    ところが出発してまもなく、お客さんの一人がついてこないことに別のお客さんが気がつきます。このときのPTの編成はどうだったのでしょうか。もし多田ガイド先頭松本ガイド最後尾であれば、遅れたひとりは松本ガイドと一緒に遅れてしまったということになりそうです。しかし、戸田さんによれば、彼女は32歳ガイドが機会をみつけて回収していったのでしょう。と推測されています。つまり、第二の故障者は一行から取り残されているかっこうだった可能性があります。
    一行は第二の故障者が出発できないのに気がつかずに、さらに前進をつづけ70mほど歩いたところ(さきほどの分岐と南沼との間)で次々に故障者が現れたことになります。19-5.によれば、この時点すなわち再出発後10分後の午後1時40分に多田ガイドがテントを設営し、行動不能者を残留させ、手当てに専念する判断をしたものと思われます。
    しかし、だとすれば、このときの松本ガイドの位置取りが大変気になります。彼は出発せずに第二の故障者とともにその場で手当てを始めたのか、それとも第二の故障者に気がつかずに一行の最後尾を歩いていたのか。それとも、最後尾を歩いていなかったから気がつかなかったのか。多田ガイドがテントを設営している間、第二の故障者の状態は誰がみていたのでしょうか。

    この空白の1時間半の間に何があったのか。滞在時間が長引いた理由がいまだにわかりません。そして、再出発したとき、出発する力をすでに失っていた第二の犠牲者は発見されるまでの間、どのくらい時間が経過していたのか。そしてそれはなぜなのか。この二つの疑問が残ります。

    それはリーダースタッフが低体温症になって頭が正常に動かなくなってきていた、といえば簡単かもしれませんが。

    20.テントを張って自分を含めて6名の残留を決定した多田ガイドは、残りの10名をまとめてトムラウシ分岐で確認してくれ、と松本ガイドに伝達したと報道にあります。戸田さんは用語を勘違いしておられますが、多田ガイドのいうトムラウシ分岐とは、その先にある南沼キャンプ場付近のことです。

    もし多田ガイドが10名という言い方をしていたのだとすれば、このときには一行から70m離れた、吉川さん残留地付近にいる取り残された第二の故障者の認識があったことになります。吉川さんと第一の故障者(植原さん)が使用するツエルトの収容能力が足りないので、多田ガイドが機会を見つけて70m搬送したと戸田さんは推測しているようです。

    さて、ここから先(南沼~コマドリ沢出会いの間)のルートでのリーダーの判断については質問を控えさせていただきました。南沼付近(トムラウシ分岐)で松本ガイドが全員を確認することになっていたことは報道のとおりで間違いないでしょう。しかし、現実には木村さんがこの付近でお亡くなりになっております。

    松本ガイドが分岐付近で、おーいと叫んだその言葉を最後に木村さんは動けなくなり、一行から取り残されます。
    ここからの修羅場は、生きるか死ぬかの瀬戸際で、ぎりぎりまで助け合い、ともに生き抜こうと努力を重ねられ、そして生還を果たしたひとたちに「あなたは、よくぞがんばりました。十分がんばりました。自らの限界を越えずによくぞ生きて帰りました。」とだけお伝え申し上げたく存じます。

    swanslab

    August 2, 2009 um 8:33

  6. トムラウシ周辺の携帯電話の通信環境について、一言コメントさせてください。

    私も北海道を離れてだいぶたちますので、せいぜい5年ほど前の情報ですが、以下のような認識でした。

    条件:ドコモムーバ使用

    ヒサゴ沼~北沼→圏外
    トムラウシ山頂(ほんとの山頂部で)→天候によりアンテナが立つことが有
    南沼~前トム平→所によりまれにアンテナが立つこと有
    前トム平~カムイ天上手前まで→圏外
    カムイ天上の下り→アンテナ3本確実

    短縮登山口などの車両手配等の電話が可能になるのは、カムイ天上を下り始めたあたりであることが多かったのではないでしょうか。

    もちろん、5年もたっており、今ではフォーマの通話エリアも拡大しているはずです。

    しかし、五年前は、遭難場所周辺は圏外との認識でした。多田くんが北沼よりの斜面で、携帯の連絡を入れていること自体が驚きで、ずいぶん通信環境がよくなったのだなぁと驚いています。

    swanslab

    August 2, 2009 um 9:19

  7. さて、みなさま、いくらひいき目に見ても多田ガイドに有利となる事実や、情報が出てこないようです。

    特に、多田ガイドが、単なる雇われガイドではなく、アミューズトラベルの社員で、札幌営業所の営業内容にタッチできる立場であったということは、もしそれが真実であれば、まさに「始めからそれを言え!!」というほど重要な背景事情であると考えます。

    この事実は、捜査で証拠が得やすいので、おいおい判明することでしょうが、そうではありません!という事実ないし情報をお持ちの方は教えてください。

    swanslab様がご教示してくださる多田ガイドが学生時代に学ばれた登山理論は理論的には非の打ち所がないほど完璧な理論体系であると思うのですが、出てくる事実は、その素晴らしい理論を現場で生かしていないと思われるような事実ばかりです。

    営業至上主義のもとでは、優れた登山理論もいわば画に描いた餅となってしまっているようです。

    で、多田ガイドが、戸田様がお書きのように、その営業至上主義に一枚絡んでいるとなりますと、これは、自ら学んだ登山理論を放棄した。

    とさえいい得ましょう。

    結局、今回の事故は、経験豊富な山のプロが、実に微妙な判断ミスをやってしまった、といった素人には推測もできない専門的判断の過ちで起こったのではなく、もっと低レベルの、究めて基本的な、登山のイロハのようなことをあえて無視したことから起こったようです。

    silvaplauna

    August 3, 2009 um 12:18

  8. silvaplauna 様、

    ありがとうございます。戸田様もお疲れかと思いますので、何かのついでにでもご教示いただければ、と考えます。

    装備についての質問の趣旨は、装備の内容自体よりも、重さそのものであります。ツアー参加者の方々は最低でも 12kg〜15kg ぐらいあったのではないか、ガイドさん/ボッカさんはそれ以上と思います。

    標準的な中高年の方が 15kg を背負って 2日間縦走すると、かなり疲れる。ザックの重さはボディーブローのように効いてきますので、3日目の朝はすでに可成り危なかったのではないかと思ってしまうのです。

    もちろん後知恵ですが、3日目の朝に装備の再分配とか、(次のツアーさんもいたことですし) 不要なものは小屋にデポするような判断があれば、もしかしら悪天候でも違う展開になった可能性はあると思います。

    swanslab 様、

    いつもありがとうございます。携帯電話について、諸賢には先刻ご承知のこととは思いますが、念のため。

    MOVA と FOMA の感度の違いは、基地局の数もさることながら、特に山岳地帯では、使用する周波数帯に因るものが多いようです (MOVA 800MHz 回り込み強、FOMA 2.5GHz 直進性強)。

    槍沢を登ると谷筋では FOMA 全滅 MOVA 時々感度あり、常念乗越のアンテナが見通せるようになると双方とも3本、霧に巻かれると FOMA の方が安定していました。

    トムラウシ山域の地図を見ますと、まず縦走中にFOMAが安定して使えるとは思えません。やはり無線機を持って行かれた方が良かったように思います。

    Bacchus auf Daikanberg

    August 3, 2009 um 5:45

  9. Bacchus auf Daikanberg 様

    毎度コメントをいただきありがとうございます。

    今回は、ガイド達が、「自分達は現在、遭難状況にある!」といった認識をもつのも遅れたようです。

    なんとかなる、なんとかなる、なんとかなる で、110番通報を引き伸ばしていたのも、被害が拡大した原因でしょう。

    早期に、16日13時ごろの時点で、110番通報していたら、悪天をついて救助隊が来てくれたかも知れず、そうすれば一命を取りとめた人も少なからずだったと考えます。

    ひと言で言うと、現状認識の甘さなんでしょうけれど、遺族の方々はいたたまらない心持でしょう。

    silvaplauna

    August 3, 2009 um 6:19

  10. 戸田様

    わたくしからの質問は以上でございます。

    戸田様におかれましては、一日もはやく平穏な日常にお戻りになられることを深くお祈り申し上げます。

    数十項目に及ぶ質問項目に、詳細にお答えいただきまして誠にありがとうございました。

    Bacchus auf Daikanberg様
    10年前は皆さん当たり前のように無線機を携帯していたように思うのですが、最近はどうも携帯電話に依存する人が多くなっているようですね。無線機に限らず、事故ツアーの共同装備の不備はこれからもっと証拠がでて明らかになれば、リストアップして再検証するのがよいと思いますが、、silvaplaunaさん いかがでしょう?

    swanslab

    August 3, 2009 um 6:18

  11. swanslab 様

    いろいろお世話になりました。多田ガイドはじめ関係者の皆様には、これからが正念場となりましょう。

    裁判の結果がどう転ぶかは分かりませんが、個人的にこの事例からは十分学ばせていただきましたので、あとは傍観者にまわろうと思います。

    御答えいただかなくとも構いませんが、多田ガイドがアミューズ社の社員であるかどうか、彼自身がこの計画の企画立案に深く関与しているという情報に関しては、実際のところ、どうなのでしょう・・?

    お立場上言えないとは思いますが、「第三者」から見ると、swanslab様は、身内を守るためにそういった不利な事実は隠しているのでは?との不信感が募ります。

    やはり、腹を割った話しをなさらない方には、警戒する心が起こるものです。

    そう考えると、swanslab様が質問19で、第二番目の発症者の方をめぐった「動き」を非常に詳細に追うのもおかしいなと感じます。遺体発見状況が分からないのでなんとも言えませんが、多田ガイドは、この女性をきちんと認識しテントに収容したのでしょうか?(あるいは見過ごしてしまったとか?)

    いずれにしても、多田ガイドの刑事責任に絡んでくるからご注目なさっているのであろうと推察しております。
    まぁ、傍観者の私には、詳細すぎる論点です。

    silvaplauna

    August 3, 2009 um 6:41

  12. silvaplauna様

    私の関心は、どうして彼がこんな事故を起こしてしまったのかということ一点なのです。それは信じていただきたく思います。

    多田くんがいつアミューズの社員になったのか私は正確なところはわかりません。しかし、たしか4年ほど前だったと思いますが、添乗員の資格をとったとか、そういったうわさ話的な情報は持っておりました。彼の専属ガイドという立場についても、風のうわさ程度でしかありませんが、派遣社員ともよべない、会社からはこき使われたあげく切捨て自由の不安定な立場ではなかったかと想像します。想像ですので、コメント欄をお読みの皆様におかれては、あまり「釣られ」ないで、いただければと思います。また、通常、札幌発ではなく、本州からの集客ツアーの場合、添乗員は本州の支店であることが普通でしょうね。その意味で、吉川ガイドが添乗を務めたとの説明には納得がいきました。他のツアー会社でもどこでもそうでしょう。

    それから専属ガイドは、本州の支社の企画のツアーについて例年行われているツアーを’こなしている’というのが実情ではないでしょうか。ただ、行程表や装備表1,2枚で計画だというわけにはいきませんから、彼なりに登山計画のビジョンを立てて入山するはずです。また、もう少しあやふやな情報も私の耳には入っておりますが、公開すると一人歩きするのも危険ですので沈黙しております。

    silvaplaunaさん。
    こういった不確かな情報でよければ、彼のプライバシーに触れない範囲でおながしすることはもちろんやぶさかではございませんが、身内を守るためにそういった不利な事実は隠しているのではないかとのご質問は、少々とげが強すぎるのではないでしょうか。私は以前の申し上げましたとおり、多田くんには真実を話してほしいと願っております。できるならば、多田くんにはもっと違った判断をしてほしかった。質問19でしつこく状況を聞いたのは、空白の1時間半多田君は何をやっていたのかを知りたかったからです。

    このように書かせていただいても不信をぬぐえないでしょうか。
    メールでも書かせていただきましたが、本当はsilvaplaunaさんとも電話でもお話できれば話はスムーズだったと思います。しかし、当地では日本との時差がずいぶんあるうえ、通信事情も悪く、関係者とも事故以降ほとんど連絡がとれていません。それがとてもはがゆい毎日なのです。

    それから、戸田さんなりの営業職員像を拝見して私は少し違和感を覚えております。なぜなら、添乗員系のガイドとはいえ、必ずしもお客さんを無理して引っ張りあげようとする人ばかりではありませんし、撤退の判断もあっけないほどシンプルな人もいます。一概にはいえません。ツアコンの見方は百人百様です。また事故の物語も、みる人の数だけあります。戸田史観はひとつの見方にすぎません。私としては、もう少し他の方の物語も明らかになればもっと全体像がみえてくるのかな、という気がしております。

    いずれにしましても、ご気分を害されたことにつき、深くお詫びを申し上げます。いいかえると、私自身もあまりいいネタを提供できず、つまりはお払い箱ということなのかなぁ、と寂しくも思います(冗談です)。

    これまでの更新活動、ほんとうにお疲れ様でございました。私には到底できないことでした。
    深く感謝を申し上げます。

    swanslab

    August 3, 2009 um 7:32

  13. swanslabさま

    おはようございます。

    確かに先ほどのコメントに一部行き過ぎがありましたことは認めますが、それでも、この記事ではswanslabさまのご質問を中心にことを進めまして、それを補って余りあるほどに、十分お役に立てたことと自負いたしております。

    少なくとも、swanslabさまは「損」はしなかった筈です(笑

    さて、安全な登山のためには、考察⑫で書きましたように、1 低体温症が発生する恐れがある気候であることをわきまえること、それと、2 当日のタイムリミットは5時間~6時間であったこと。 これが私の見解です。

    戸田様の体験記から、ガイドは、低体温症自体の認識がなかったと推察されました。情況証拠からも、そう考えられます。

    その他の事由、多田ガイドが社員兼のガイドであったとか(背景事情)、松本ガイドに、110番通報を頼んだ否か(松本ガイドの刑事責任の量刑に関連)といった議論は、この事案を解明し、刑事責任を量定する上では重要ですが、他の事案にも応用できそうな安全登山のための知恵を求めるといったもともとの視点からすると、あまりに個別論点過ぎてあんまり重要性がない論点だと考えます。(ツアーガイド登山の実態を研究したい方には打ってつけの素材であるとは思いますが・・。)

    ですので、これ以上、個別事案を細かくやってもあまり意味がないように考えているのです。

    個別事案を追いたい方は、他のメディアも含めて情報を追えば宜しいと思います。追えば追うほど、それこそ一投手一投足まで検討課題となりましょう。戸田様のツアーガイド観とか、上記二点のようなことも、そういった細かい検討課題に入ると考えます。

    私の場合、そこまでやるつもりはないし、この事例からひととおりの安全登山を実行する実践的な知恵を得る上で、そこまで詳細に分析する必要はないと考えています。

    silvaplauna

    August 3, 2009 um 10:58

  14. swanslab様

    横から失礼いたします。戸田さんの証言は本当に価値のあるものだと思います。が、災難にあった当事者ですからご自分のことを客観視はできないと思います(当然です)。だからやり切れない思いをどこかにぶつけることもあると思うのです。別のコメント欄にも書きましたが「営業職員」だから無理矢理歩けない人を歩かせ、通報を遅らせて被害を大きくする、と言う理屈は客観的な「営業」の観点からは成り立たないと思うのです。
    勝手に想像できるのは、せいぜい初めに故障者が出た時から、頻繁に報連相を営業所にしていて、営業所が自体を甘く誤解し、警察への救援要請を止められていた、または「要請する」と言って何らかの理由でそれがなされなかった、というレベル位まで(これは私の考えたフィクションです)だと思います。
    私はそんなことしか思いつきませんが、読む方もまた百人百様なのではないでしょうか?(swanslab様のお気持ちに同意しているつもりです)。

    silvaplauna様

    たびたびすみません。今迄情報収集と事故の再発防止のために色々検証していただき、ありがとうございます。私が計り知れないような気苦労もあったことかと思います。
    ここでのご苦労(とばかり言うのは失礼ですが)が、皆様の今後の事故防止等につながりますよう、願っております。

    JULIA

    August 4, 2009 um 4:07

  15. JULIA 様

    おはようございます。
    もう情報収集のピークは超えていますので、管理もになりました。

    考察のほうも、①~⑫で終えていますが、あれで十分でした。

    ほんとうは、bushi様のような熟練の登山家がガイドについて、その挙句に遭難したのかなと、どれほど高レベルの判断が問題になるのかなと期待していたのですが。

    簡単な事案でしたね。
    簡単な分だけ、奥が深いと思いますが・・。

    お書きのように、戸田氏は、遭難情況から生還された方ですので、被害当事者であり、中立な第三者ではありません。
    ですので、ある程度主観を交えて話しをなさっても、それはそれでよいのだと考えます。

    swanslab氏も、一方当事者に肩入れの観は否めません。
    氏の話しを伺うと、多田ガイドに同情する心持になりますが、戸田氏の話しを伺うと、多田ガイドへの同情する気持ちはなくなります。

    私の立場は、

    中立

    swanslab氏 ご登場

    多田ガイド同情論に傾く

    戸田氏 ご登場

    多田ガイド批判論に傾く

    両者に、それぞれ思惑があることに気がついて、現在にいたる。

    といった感じで動いてきました。

    でもまぁ、安全な登山の見地から、何がまずかったのかは、既によくわかってきましたからそれで十分でしょう。

    swanslab氏と、戸田氏のどちらの言い分が正しいかは、裁判所に決めていただくことになりますね。

    管理人としては、

    被害者である戸田氏には、公平中立というのは最初から求めません。
    何を感じたか、どう思っているかがそのまま貴重な情報となります。
    憎たらしくって仕方がないといった強い感情でさえも重要な証拠となります。

    swanslab氏に関しては、ご投稿いただくお客様ですのでなるべく色眼鏡で見たくはないのですが、論調を読み解いてゆくと、やはり、多田ガイドよりであることは否めません。

    この人はどちらの立場なのかな?と、思いをめぐらせながら、注意深くそれぞれのコメントを読み解く必要があります。

    字面の表現だけ追っていっても、わからないし、あるいは文章を読むこと自体によって、その人のペースに乗せられてしまうことさえもあります。

    まぁ、そういったことの勉強も出来ましたからね(多少疲れましたが、人を見抜く目を養う勉強にはなったかなと思うのです。・・笑)。

    silvaplauna

    August 4, 2009 um 9:03

  16. silvaplauna様
    ご苦労様です。大変参考にさせていただいています。

    私は事故を起こしたガイドと同様の仕事をしています。ガイド判断を左右する可能性のあるいくつかの事が気になっています。ご存知なかたはおみえになりませんか?

    ①避難小屋泊を2泊もこなし、本来ビバーグに適したもの(余りの食料、寝袋、火力)を相当数持っているはずのパーティーがビバーグに失敗したのはなぜか?低体温で判断が鈍ってたとしても大いに疑問です。加温するために準備してほしいものはすべてあったはず。戸田様の話では北沼ではテントが飛ばされるほどの風ではなかったようです。

    ②①に関連しますがシェルパの役割はなんだったのか?シャルパはビバーグに有効な一部の装備を預かってしまっていなかったか?

    ③シェルパを含む4名のスタッフは特定小電源の無線機で短距離通信が可能になっていたのか?全員持っていて使いこなせれば大量遭難を招いた2時間の「停止時間」は違ったものになったと思います。

    ④なぜ多田ガイドは北沼周辺で孤軍奮闘したのか?三名の「ガイド」が同行しているのにとても奇異に映ります。最初の故障者をサポートした吉川ガイドはおいておいても、松本ガイドに南沼分岐まで故障者以外を誘導させて安全圏まで下山させるよう要請をするのにためらう理由があったのか?

    以上ご存知なかたがいたら教えてください。

    swanslab様
    私はあなたのお陰でこの事故の事実少なからず近づけたと感謝しています。下記の件をお尋ねするのはあなたが適当ではないかと思います。ご教示いただければ幸いです。

    ⑤白雲避難小屋からのエスケープ(多分銀泉台)はリスクがあるのか?シェルパは最初の故障者の介添えには使えないのか?

    noho

    August 5, 2009 um 6:58

  17. noho様

    はじめまして、コメントをいただきありがとうございます。
    一応、次回の第5回目のご質問で戸田様にもお伺いしてみます。

    私が知っている範囲でとりあえずお答えしますと・・

    ①戸田様のご回答にもあったように記憶するのですが、ビバークするにはテントが足りなかったようで、最終日は下山口まで歩き続けるしかなかったようです。最初からそういう計画だったようです。

    ②シェルパは、ステップ切りを行ったようです。一説によりますと、後続隊の場所取りの仕事もあったとか。

    ③ご意見の通りですが、無線機の類は装備になかったようです。

    ④松本ガイドは、10名を引き連れて下山することになりますが、トムラウシ分岐で、きちんと人数を確認せず、そこから先は、バラバラで下ったようです。この件に関しましては、第四回分のご回答をお待ちください、よろしく御願い申し上げます。

    後半のご質問ですが、swanslab様のブログでお尋ねなされてもよし、bushi様あたりがご存知でしたら恐れ入りますがご教示ください。

    silvaplauna

    August 5, 2009 um 7:30

  18. silvaplauna様

    早速の回答ありがとうございます。

    ①の件のご回答ですが私が気になるのは最初の故障者のビバーグです。その為だけのテントならあったはずです。この方は私の考えでは天沼の鞍部を超えた段階で北沼に近づけば近づくほど加速度的に生存の確立が少なくなったと考えています。しかしそれでも北沼でキチンとした加温(テントと火力と寝袋があれば充分ではないか?)を前程としたビバーグが出来れば可能性はゼロでなかったのではないか?この方のみを他の顧客から離して加温(低体温との認識が無くても休息)のためのビバーグという判断が少しでも早ければ大量遭難にはならなかったのではないかと言うのが私の仮説です。
    この辺りの趣旨で戸田様にお尋ねいただけるとありがたいです。

    ②ステップを切るためだけにヒサゴ沼まで行かないと思います。場所取りは・・・なんとも旅行会社的な発想で悲しくなります。その発想ではツアーは馬鹿にされて当然ですね。
    せっかく雇ったシェルパの背中に荷物が無いというのは不自然な気がします。万が一ここでビバーグに必要な装備を預けていたとしたら、それはそもそもビバーグは想定していなかった証明になると考えます。逆に言えば晴天ならシェルパに預けただろう荷物を緊急時に備えて持っていったならビバーグを予想していたことになると思われます。
    ③これは同様の仕事をしている私にはにわかに信じがたい事実です。ガイド同士は声の届かない範囲で離れて行動するのが常です。無線が無ければ非常に効率の悪いガイディングになります。50m後方の出来事が把握できず動けなくなることもあり、16名を引率してては場合によっては命取りになる可能性があります。
    ④多田ガイドに松本ガイドへの信頼が感じられなかったのでたずねました。本来ルートが初めてでも南沼分岐経由でのコマドリ沢はプロガイドが引率できないルートとは思えません。信頼できていて無線機があれば(数百メートル交信できれば充分)北沼での空白の2時間は作らずにすんだというのも私の仮説です。

    傍観に回ろうとされているところお手数かけてしまい申し訳ありません。私は戸田様とほぼ同郷の地でツアー登山の会社を経営しています。犠牲になられた方は私のところの顧客と縁者で4名を数えます。とても人事とは思えません。
    もし戸田様にお尋ねできるならお聞きいただければ幸いです。

    noho

    August 5, 2009 um 9:11

  19. noho様

    委細承知いたしました。

    ツアー会社もピンからキリまでのようです。今回の事故は極端な事例だとは思うのですが、これをきっかけにツアー会社一般への偏見が生まれてしまうのは私の望むところではありません。
    その意味でも、ツアー登山に参加なされる方々に今回の事故の(ある程度の)真相を理解していただくことが大切かなと思います。

    質問事項の確認です、
    ①最初に歩行が不能になった方への手当て(処置)が遅れたのではないか?もし迅速に処置がなされていたのならこの方の命を助けることが出来たのではなかったか?ということが気になっていらっしゃるのですね。了解いたしました。

    ②ビバーク予定の有無(ヒサゴ沼避難小屋をスタートするときにビバークを想定していたか?)についてシェルパの動向から考えてみようということですね。(コンパクトにまとめすぎて申し訳ございません。)

    ③特定小電源の無線機(トランシーバーのようなものですね?)の有無の確認。

    ④これは、四回目のご回答にあるのですが、多田ガイドは当初、歩行不能となった方の看護は松本ガイドに頼んで、自ら10人を引率下山しようと考えていたようです。詳細は明日。

    さて、亡くなった方、遺族の方の心中を思うといたたまれなくなります。一旦は傍観しようと思い至ったのですが、「死人に口なし」となるのが気がかりです。そうならぬように、微力ながら努めてまいります。

    山仲間が「百万弁の理屈が佐川急便で運ばれも死者や遺族はあぁそうだったのとは納得しいのは当たり前です。」と書いてよこしました。

    これからも理屈に溺れず、遺族の方の心中を思いうかべながら、かといって感情に走ることもなく、慎重に見据えてゆきたいと思っております。

    silvaplauna

    August 5, 2009 um 11:06

  20. silvaplauna様

    >①最初に歩行が不能になった方への手当て(処置)が遅れたのではないか?もし迅速に処置がなされていたのならこの方の命を助けることが出来たのではなかったか?ということが気になっていらっしゃるのですね。了解いたしました。

    そういうことです。この方の命のことももちろんですが、それ以上にこの方を「適切なタイミング」で本隊から切り離せていれば、北沼における1.5時間~2時間の待ち時間だけでなく、北沼の到着時刻さえも早まったのではないかと考えているのです。
    行動時間が早まり、かつ待ち時間もなくなっていたとしたら、この方以外の故障者が出た時間帯には既に本隊は安全地帯まで下山していたのだろうと想像しています。
    一番の「適切なタイミング」は結果論では白雲避難小屋からのエスケープがベストだったでしょうがこれはそのような判断を下すほどの容態だと確認できなかったかもしれません。
    しかし実際の行動中にもこの方が遅れ始めたところがあり私はそこが「適切なタイミング」だと考えます。3人ガイドがいてそこで完全にパーティーを分つ決断出来なかった理由が知りたいのと戸田様の実感としてこの方を切り離す決断が適切なタイミングで出来ていたとしてもなおこの大量遭難が起きたと感じるのかが知りたいのです。

    私はけしてこの最初の故障者を責めたいわけではありません。
    体調不良は誰にでもありえますから。
    ただ今回の事故は歩行ペースの合わない者同士が行動をともにした場合に起きうる最悪の事故だと思いますので、事前にメンバーの足並みをそろえるのはもちろんですが、現場ででもガイド判断で歩行ペースの著しく違うクライアントはスタッフと装備の配置が出来るなら別行動にする方が良いというガイディングメソッドを裏付け確立できないかなと考えています。

    noho

    August 5, 2009 um 11:57

  21. はじめまして。
    登山未経験ですが、今回の事故にショックを受けて真実を知りたく思い、こちらのサイトをずっと拝読していました。
    silvaplauna様の緻密な考察には頭が下がります。
    関係者それぞれの思惑が交錯し、もともとの趣旨から脱線していることを危惧されているのは理解しましたが、それでも事実の解明を願ってやみません。

    ↑のnoho様のコメントの④多田ガイドに松本ガイドへの信頼が感じられなかったとの記述を読んではっとしたのですが、戸田様の証言にもあったように松本ガイドには常日頃から客を置き去りにする習慣があり、多田ガイドもそれを知っていたとしたら、吉川ガイドが行動不能となった時点でその場に松本ガイドを残すのも不安でしょうし(介抱せず自分だけ下山するかもしれない)、動ける客と一緒に下山させるのも不安だったと推測されます。
    それが原因で決断を遅らせてしまったのであれば、苦しい立場であったのだろうと。

    また、下記のサイトで「7月16日13:00頃には少なくとも1人が亡くなっていた状態で、ガイドが遭難救助要請をしなかった」という記述を見つけました。
    北沼付近で救助7名のうち、少なくとも2名はテント設営後すぐに亡くなったようです。

    http://iori3.cocolog-nifty.com/tenkannichijo/2009/07/105web-viewga-9.html

    これが本当であれば、恐ろしいことだと思うのです。
    ビバーク直後に2名が亡くなり、いつの時点かは不明ですが吉川ガイドと最初の故障者も亡くなった。そんな状況で救助要請をせず、客2名をテントの中に放置していたのでしょうか。
    またはビバーク地では携帯電話の電波状況が悪かったので、電波の良い場所を探し回ったため通報が遅れたのか・・・(山頂では携帯電話が使えたようなので、意図的に救助要請を先送りにしたとは思いますが)

    16:30に「すみません7人下山できません 救助要請します トムラの北沼と南沼の間と北沼の2箇所です」とのメールを送り、またその30分後に「すみません8人です 4人くらいダメかもしれないです 吉川さんも危険です」と送っていることから推測するに、メールを送った時点では吉川ガイド達と多田ガイド達は離れた場所で遭難していた、そしてに現地周辺を歩き回ってトムラウシ分岐近くで倒れている木村さんを発見し、「(遭難者は)8人です」と2回目のメールを送信したのではないかと。
    これは、多田ガイドが(松本ガイドが遅れた客を置き去りしているのではと)心配して歩き回ったことを裏付けるものではないでしょうか。

    松本ガイドは、戸田様の証言にもあるように自分のサバイバルを最優先して駆け足で下山したのでしょうが、多田ガイドが何をどのように考えて行動したのかとても気になります。
    緊急時にパニックに陥って適切な判断ができなくなるほど未熟な人間に正ガイドを任せた(または必要な教育を施していなかった)会社の責任も重大ではないかと思うのです。

    明日また新しい証言を掲載されるとのこと。
    憶測だけで暴走してしまわないように注意しながら読ませていただきたいと思います。

    hawaii

    August 5, 2009 um 12:08

  22. たびたびすみませんが、私もずーっと松本ガイドさんのことが気になっていました。戸田さんの証言で今回の仕事を「夏休みの代わりとして会社があたえてくれた」と言ってたのを知ってからです。富良野あたりの観光ならともかく、山のガイドがそんな「夏休み」気分で務まるのかな?と疑問でした。それは彼の不可解?な具体的な行動を詳細に知る前からの疑問です。

    結局会社はその山を知っていて多分信用できるガイド1名に、コース未経験のガイド(結果的に命を落としてしまうので「お年」のガイドさん)、それと「夏休み」と誤魔化して(お金払うのだろうか?多分払うでしょう。でも「休み」というからには何か通常と違う条件があるはず)結果的に過酷な仕事を課してしまう、楽なお手伝い感覚の、また戸田さんによると無責任な前科?のある(他のガイドから注意を受ける様な)コース未経験のガイドでチームを組み、人の命を預かるような仕事をさせた訳ですが、一体どういう会社なのでしょうか?

    私は「待機中顔をしかめじっとしていた」というのと背を水につけ、みんなを置き去りにするように(戸田さんでなくてもこれは結果的に「事実」と思われるでしょう)下山した、この松本さんこそ、この会社の体質を一番良く理解して、またそれを体現した方なのでは?と思います。

    でも、そんなことで命を落とされた方は浮かばれませんが…

    (私は当事者でもなく、彼を責めたい、とかいう気持ちもないのですが、明日戸田さんの証言で、もっとビックリが出てから書いたのではただの部外者のバッシングになりそうなので、今、思った事を書きました)。

    JULIA

    August 5, 2009 um 4:04

  23. noho様

    了解いたしました。
    noho様がおっしゃいますことは、至極妥当な団体行動のイロハであります。それこそ、小学校の遠足レベルでも、怪我をした人は、引率の先生が何人か付き添って、本隊は予定通り行動するというのが、通常で、これは「当たり前」の部類に入ります。

    個人的に、本件のように、一人または二人が倒れて、団体全体が止まっていたという事例には、実際出くわしたことがあります。

    そのときは、心臓発作で二人の学生が、急な登りのところで倒れて、付き添いの先生が看護されていたのですが、50人~60人の学生団体全員が、尾根の登山ルートで数時間ストップしていました。

    倒れた方の症状があまりに重く、看護のために、付き添いガイドのほとんどが協力して働かなくてはならなくなったような場合には、他の学生の事は手におえず、先に進ませないで止めておいたようです。

    それから今回のケースを推し量ると、ガイドは僅か3名ですので、最初に倒れた方の看護にガイド全員の協力が必要だったのかもしれません。
    となると、全体を止めざるを得なかったというのも理解できます。

    もしこれが、ガイドが6名ほど付いていたら、3名は介護に残し、残り3名で本隊を先に進ませるという判断が出来たのかもしれません。

    いずれにしても、noho様ご指摘のその他の問題も含めて現場にいた戸田氏のご意見を伺ってみる価値がありますね。

    noho様は、お仕事でガイド関係のことをおやりでしたら詳しいと思いますが、個人的には、登山道で一人が歩行不能になった場合に、一人のガイドが現場に付き添うというのは、数が少ないと考えます。

    救命救急医療の理想を追いますと、一人の歩行不能者に対して、最低3名のガイドが必要かなと・・。一人は手当てを行い、もうひとりは手当ての助手を行う、更に一人は、荷物持ち、テント設営その他の雑用といった感じです。(あくまで理想論ですが・・)

    仮定のお話しになってしまい恐縮ですが、今回でも、もしガイドが、倍の6名もいれば、最初の歩行不能の方が出てからのその後の対応も違ってきたかもしれません。15名に対して、3名のガイドというのは、正にギリギリで、一人の歩行不能者が出ると、行動ストップ状態に陥りやすかったのかもしれません。

    引率人数に応じた、事が起こっても十分対応できるガイドの数というのも、今回の事例から導き出せると考えます。

    東京の高尾山や陣場山あたりの尾根(ハイキングルート)をガイドするなら、携帯も繋がるし、逃げ道もありますので、ツアー客15名で3名のガイドでも間に合おうと思いますが。今回の事件では、場所が場所だけに、天候を踏まえるとなおさら、安全なガイディングのためには3名のガイドでは少なかったのでしょう。

    silvaplauna

    August 6, 2009 um 12:00

  24. Hawaii 様

    コメントをお寄せいただきありがとうございます。なかなか鋭いご意見で考えさせられました。ご教示くださりありがとうございます。

    二点に関して簡単にまとめますと・・

    Ⅰ 空白の1時間30分~2時間につきましては、Hawaii様のご意見を含めますと以下のようになります。

    多田ガイドは、

    ①すでに思考不能状態(パニック状態)になっていた。

    ②手当てに追われて、ツアー一行の事など思い及ばなかった。

    ③ツアーを二つに分けて、先行下山組みを松本ガイドに委ねるべきか、自身が引率するべきか判断に迷っていたずらに時を過ごしてしまった。

    ④ツアー全体を分かつことなど思い及ばず、自分が引率することしか頭になかった。

    これはどれかひとつではなく、①②③④が絡み合っていたと考えるのが無理がないようです。

    お書きのように、ツアー会社の緊急時の対応マニュアルがどうなっていたのか、緊急時のガイディングについて、社員教育とかでシュミレーション訓練をしたことがあるのかが、鍵となりましょう。

    Ⅱ 多田ガイドの連絡が16時30分であった事に関しては二つの立場が考えられます。

    ①多田氏擁護論 
    hawaii様もご指摘のように、電波が受信できるところを探しまわったため、遅れてしまい、その時間になってしまった。遅れたのはやむないことである。とする立場

    ②多田氏批判論
    自力下山できると考えており、騒ぎが起きるのをためらって連絡しなかった。あるいは、連絡を思いつかなかった。更には、わざと連絡を遅らせた。等などの立場

    いずれにしても、多田氏が13時30分以降、現場で何をしていたのかは、多田氏ご本人から伺うしかありません。また、ビバーク組7名のうち生還された2名の方の目撃証言も極めて重要になります。

    多田ガイドには酷なようですが、もし多田氏が本気で、取り残された人がいないか、また、連絡できる場所がないかを探していたとしても、それは、ツアーガイド(チーフガイド)のなすべき当然の義務・期待される行動ですので、この点を捉えて多田氏を擁護するのはちょっと違うようです。

    そもそも、多田氏には、ツアーがそういった情況に陥らないようにするための義務があり、停滞ないし途中での引き返しによって、そういった状態を避けることが出来たわけですから、にもかかわらず先に歩を進めて、自ら招いてしまった状況であるともいえましょう。

    ちなみに、多田氏への非難は以下の4点に集中すると考えます。

    停滞せずに予定通り進んだ。

    ②行動が遅れたのに引き返さなかった

    ③最初の故障者が出たときに隊全体を先に進めればよかった(或いは引きかえす)のに、悪天候の中、2時間近くとどまらせた

    ④10名を一人のサブガイドに委ねて下山させたが、このサブガイドは、まとめて引率せずにバラバラな形で下山させ、結果として4名が死亡した。・・そういういい加減な引率をしたサブガイドに10名の引率を委ねる判断をおこなった責任もある。

    この4点だけでも、すでに十分にガイドとしての資質に疑問を感じさせます。

    上記の、110番通報が4時30分になったことに関して、もしそれが、必死で連絡しようとして頑張ったけれどその時間になってしまったんだとしても、4点の非難をいささかも減ずるものではありません。

    ちなみに④に関しては、多田ガイドが、110番通報を依頼したので、松本ガイドは先行して下山しました、という立場もあるようです。

    この立場は、一見もっともらしいですが、深く考えると、110番通報をするためなら、現実に目の前にいるツアー客を置き去りにしても構わないのか?といった難しい問題を抱えています。

    仮に④を措いても、まだ①②③の3点があり、この三つの点だけでも十分に、多田ガイドへの非難は成り立ちます。

    silvaplauna

    August 6, 2009 um 1:32

  25. JULIA様

    いつもありがとうございます。ご意見はお気軽にお寄せいただいてオッケーです。

    松本ガイドについては、

    Ⅰ とんだ災難だったねと同情する立場

    Ⅱ 形だけでもガイドである以上、任務は果すべきだという厳しい意見

    が成り立ちましょう。

    今回の事故で亡くなった方の遺族や、生存者の方からは、Ⅰの意見が出てくるとは考えられません。(自分が死にかけたのに、そういう状況に至らせたガイドを誉める人などいましょうか?)

    事件と全く関係ない人なら、Ⅰの立場をとり得ましょう。

    事件は当事者間で起こっているのですから、当事者間の視点でものを考えるべきであり、ここでは、Ⅱの立場が妥当であると考えます。

    ただ、多田ガイドは、もしかしたら、松本ガイドを最初から当てにしていなかったのかもしれません。このツアーのガイドは2名であるとしていろいろ考察すると、最初の歩行不能者が出たときに、全体を1時間30分~2時間も止めたことも理解できます。
    松本ガイドはガイドにしてガイドにあらずですので、介抱も、引率もすべて多田ガイドがやらねばならなかったのかもしれません。

    もし、そうだったとしても、

    ①ツアー客15名、ガイド3名(うち一名は、夏休み気分の形だけガイド)

    ②山は、2000m級のトムラウシ

    ③天候は暴風雨状況

    ④行動予定時間は、晴天でも10時間30分かかる

    ⑤ツアーメンバーに一名、昨日から体調が悪い者がいる

    ①~⑤ こういう状況下で、予定通り行動するのは、まさに「いちかばちか」だと考えます。安全登山の見地からは、行動するのはナンセンスでしょう。にもかかわらず行動した多田ガイドはやはり責任はまぬがれません。

    で、ツアー会社には、この企画に3名のガイドしかつけなかったこと、おまけに一名は名ばかりガイドで、実際は二名しかいなかったと同然であった、そういったツアーを企画し実行させた会社の判断が果して妥当であったかが、問われなければなりません。

    ①非常時に役立つ無線機も、衛星携帯電話も持たせず、

    ②ビバーク用の人数分のテントも与えず、

    ③ツアーガイド3名(実働2名、2名はルート初見)で引率させた。

    ツアー会社の企画立案責任ですね。これも問われましょう。

    ・・さらに、これに多田ガイドが社員として一枚絡んでいるという立場もあるのです。

    結局、山のツアーは、街中の観光ツアーと違って、今回のようにガイドに命を預ける面があるのですから、自分の命を預けてもよいツアー会社かどうかが、慎重かつ真剣に見極める選択眼をもつことが望まれます。

    ツアー会社の方は、街中のツアーと違って、山のツアーはガイドの判断ミスや、装備の不十分によって、大量遭難事故を引き起こす原因となるものであるから、慎重に企画するべきでしょう。その結果、多少割高の設定になったとしても「安全を金で買う」ことになりますので、現代においては顧客の方にも理解していただけるものと考えます。

    silvaplauna

    August 6, 2009 um 2:39

  26. silvaplauna様

    出張に出ており読むのが遅くなりました。申し訳ありません。
    下記は反論ではありませんが、このように考えるガイドもいることをお知りいただきたくて書かせていただきます。

    >それから今回のケースを推し量ると、ガイドは僅か3名ですので、最初に倒れた方の看護にガイド全員の協力が必要だったのかもしれません。となると、全体を止めざるを得なかったというのも理解できます。

    私はまったくこのようには考えられません。ガイドは「3名も」いたと私は考えます。最初の傷病者に対して出来る処置はツェルトに入れての「加温」と「休息」。そして全く動けないのであれば「搬送」か「救助要請」以外には無いだろうと思います。
    「加温」「休息」は一人のガイドとツェルト(テント)と食料と火力、そして全員が持っていたはずの「シェラフ」で充分です。
    当然残りの二人(もしくは一人)のガイドは安全地帯に健常者を退避させることに専念です。
    この緊急事態の退避のためにすら15名に二人のガイドでは少なすぎるという意見はわからなくはありませんが現実的とは思えません。退避行動中にアクシデントは起こる可能性はもちろんありますが、退避しないことで起こるアクシデントより遥かに確立は低いです。
    現在わかっている二人目の傷病者の発生時間までロス無く南沼方面に歩けていたとしたらそのころには健常者15名は既に随分と標高を落としていただろうと思います。トムラウシはあくまでも一般ルートです。ガイドと名のつくものが道をロストするなんてことは無い(普通は・・・)あのペンキ印がべたべたについた登山道を初めてだと歩けないとしたらそれはガイドとはいえないのではないかと思います。

    私が上記のように考えるのは叩き込まれている次の二つの鉄則から導いたものです。

    ①レスキューにおいては自分を含む健常者の安全を最優先する。
    ②低体温症に陥るのは状況が悪ければ5分あれば充分

    これに自分自身が持ち合わせているガイド倫理を重ねれば、リーダーたるガイドが傷病者とその場にビバーグし傷病者の回復または救助を待つという行動をとっただろうと思います。
    ②に思い至れば当然「搬送」は①の見地から除外です。①に思い至れば②のような状況下では傷病者に複数のガイドがかかわっている猶予はありません。
    最後に出来ることとしての「救助要請」ですが本人がその場で出来る(つまり一人で出来る)ことを既に証明しています。

    私は多田ガイドは①②を鉄則として強く思い浮かべられなかったのだと思います。それが経験が不足していたため認識できなかったのか、状況が許さなかったのかはわかりません。
    いずれにしても同様のケースに3名の「普通のガイド」がいれば十二分に対応できたと・・・それが出来るのがガイドだと私は思っていますので、私としては3名では少ないとの意見には少々違和感を感じます。
    もちろん6名ならもっと良い仕事が出来たと思います。

    noho

    August 9, 2009 um 1:38

  27. 私の私見は把握できていない事実のことは除外して考えています。
    それは北沼で待機させられた1.5~2時間のうち最初の傷病者が合流するのを待つことでロスしたのが何分かということです。
    多田ガイドは最初の傷病者を安全地帯に移動させるのに吉川ガイドと協力しなくてはならなかったのかもしれません。
    それは状況(北沼の増水と吉川ガイドの体調)によってはやらざる得なかった可能性はあります。
    しかしそれも先に質問させていただいた短距離通話できる特定小電源トランシーバーをスタッフが持ち連絡を取り合っていれば、吉川ガイドと傷病者の様子をもっと早く把握できていたり、松本ガイドに本隊を任せる指示をすればで解決しただろうと思います。

    noho

    August 9, 2009 um 1:52

  28. noho様

    ガイドの現場からのご意見ごもっともです。私の意見はあくまでもガイドではない者からの「個人的見解」ですので、このケースではnohoさまのご意見を参考にさせていただきます。ありがとうございます。

    さて、アミューズ側が考える事実関係の資料が戸田様から出されました。読み解きますと、共同装備に無線(トランシーバー)はあがっておらず、また、テントも、大きな10人用はペンバ氏が持って還ってしまったように考えられます。多田氏がキャンプ場で捨ててある?テントを探しているくらいですので、そういった事情がわかります。

    立ち止まっている時間は、30分と戸田様の報告に比べると大分少ない時間です。

    いくつか問題はあるのですが、noho様は松本ガイドの行動について、プロのガイドの見地からはどう判断なさるか、是非ご教示ください。

    この場合、ご指摘の①②が、彼にも当てはまるので、松本ガイドの行動・・・つまり、コール漏れした2名を探しに戻ることなく下山に向かったことに関して、止むを得なかったと判断されるのでしょうか?

    私個人としては、なにしろ松本ガイドは、ツアー客の身の安全を確保しなければならない立場の方ですので、①自分自身の安全の確保の優先と、②低体温症にかかるのは状況が悪いと5分で十分ということを踏まえても、彼の行動を「やむないことだ」と得心するにはちょっと抵抗を感じております。

    立ち戻って二人を探し出しても有効な手当ては何も出来なかったかもしれないし、またその過程で松本ガイド自身の生命も危うくなったかもしれませんが、

    アミューズの理屈では
    110番通報+精神的、肉体的疲労極大>ツアー客二名を置き去りにすることも許される。

    となりそうですが、ツアー客の皆さんにとってはやっぱり頼みの綱のガイドですので、そうやすやすと、人命救助を放棄されては困ってしまうと思うのです。
    そこら辺の無理のない説得の論理が構築できれば、松本ガイドにたいする社会的非難も減るものと考えます。

    silvaplauna

    August 10, 2009 um 3:32

  29. noho様

    追記となるのですが、アミューズの説明では、渡渉時間と待機時間あわせても僅か30分となっております。すこし戸田様の報告と時間が違い過ぎますね。

    それと、上に書いたご質問に関して・・。
    アミューズの報告にのっかってでの話しです。戸田様の報告によりますと、松本ガイドはコール自体怠ったとされておりますが、まぁここでは、もし仮に、アミューズの言っていることが正しかったとしたら・・でご回答御願いいたします。

    また、プロのガイドの立場からアミューズの報告文を読み解いて、一番腑に落ちないとお感じになるところはどのあたりでしょうか?

    いろいろお手数をおかけいたします。

    silvaplauna

    August 10, 2009 um 4:01

  30. まず戸田様には質問にお答えいただきありがとうございます。ビバーグの判断が遅れた理由(物が無い)が分ったような気がしました。

    silvaplauna様
    まとまりの無い私の質問をうまく戸田様にお尋ねいただきありがとうございます。

    現在はアミューズの説明と戸田様の説明に差異がある部分があり、どちらの記憶がより事実に近いかによって、ガイドの行動の評価が分かれる部分があります。その部分は一時置いておきます。

    >プロのガイドの立場からアミューズの報告文を読み解いて、一番腑に落ちないとお感じになるところはどのあたりでしょうか?

    今までの情報にもアミューズの報告書の中には「備え」によっての措置が無いことが大変に奇異に感じます。
    アミューズの報告書におけるトラブルへの対処には「予防に努めた」痕跡が見られません。
    ツアー登山会社の最大の仕事はリスクマネジメントです。出発前のマネジメントは情報不足でわかりませんが、当日マネジメントを具現化するのはガイドの勤めであるはずですが、積極的にリスクをコントロールしようとした形跡を見つけることがとても難しい。

    まず山におけるリスクマネジメントにおいて要になるのはビバーグです。
    ビバーグを想定しないリスクマネジメントは屋根の無い病院しかないのに「市民の健康と安全を守る」と自治体が強弁するのと同じことです。
    ビバーグというと「予定外に宿泊すること」を想定されるかも知れませんが、例えば「雷をやり過ごす」のにツェルトを被って暖を取りながら待つのもビバーグと考えます。また今回のケースであれば体調不良者の体力回復のためにツェルトに入れて暖かいものを飲ませるなんていうのもビバーグです。ビバーグは切羽詰ってからするものではなく、予見できる悪い芽(今回で言えば行動不能に陥る前に体力を回復させること)を事前に摘み取るために使うものだと思っています。

    その装備を持っていながらヒサゴ沼に置いていったのが事実とすればリスクをコントロールすることは最初から放棄されたパーティーだったと感じます。
    会社はいったいどのようなリスクマネジメントの線引きをガイドに課していたのでしょう?

    >松本ガイドについて

    「レスキューにおいては自分を含む健常者の安全を最優先する」のは鉄則であるべきです。ただ先にも書きましたように「レスキュー」という大事になる前に食い止める注意義務は当然ガイドにはあるだろうと思います。一人で悪天候時に引率する場合は「全員が歩行可能なペースで固まって歩くこと」もまた2次遭難を防ぐ鉄則だと思います。

    これらのことにガイドは職業倫理を重ね合わせて「自己犠牲」の精神で動くのがスタンダードなガイドだと思います。
    私は事実だけをつなげると松本ガイドは自己犠牲の精神に欠けていたと感じますが、実際に低体温症に足を突っ込んだ人を見てきた経験では恐ろしく「無関心」になるのを見ていますので、彼の症状次第ではアミューズの説明のように彼自身がギリギリであった可能性は感じます。低体温症は一度陥ると自力で脱出するのはかなり困難であり、適切な加温が必要。その処置をしてくれる人間は彼の周りにはいませんでした。
    ただ彼が低体温症に陥ったとしたら彼の勉強不足と会社の教育不足にこそ原因があります。彼は本来であればクライアントの低体温症への移行を食い止めるべき立場の人間です。北沼で彼が濡れた事はまったく言い訳になりません。そのような場所を渡れば濡れたのはクライアントの可能性もありました。誰が濡れても「このような天候で濡れることは命取り」という知識を持ち、濡れない予防、濡れてしまった場合の低体温症の発症の予防は彼に低体温症の知識があれば出来たはずです。
    低体温症の知識の無いガイドにはリスクマネジメントは出来ません。低体温症の知識は「ガイドが当然持ち合わせるべき技術」に入ると思われます。

    noho

    August 10, 2009 um 1:31

  31. 今までの戸田様の記述や他の経験豊富な方々のご意見とアミューズ側の文書とを見ますと、アミューズ側は社員証言を忠実に(誠意をもって)記述しているのか判断に戸惑う部分があります。が、当初から疑問に思っていたのは、なぜ、体調不良の方を縦走させてしまったのか?(エスケープできなかったのかもしれませんが)。もしツアーがトコロテン方式なら、悪天の最終日にヒサゴ非難小屋に残し体力の残っている者のみが下山するという手段もあったのでは?。帰りの手段等の雑務が壁だったのでしょうか。スタッフがぎりぎりであればそれはタブーだったのかもしれませんね。「たら、れば」の話はするべきではないのですが、場所取りする人員がいるので不可能ではなかったように思えます。戸田様が指摘していた最初の体調不良者と吉川ガイドとビバークした方は同一人物なのでしょうか。不明とおっしゃているようなので違うのかもしれません。しかし同一者なら初日に下山するのも選択肢の一つではなかったかと残念です。いまさらですが。 ツアー中にガイドと添乗員の気持の連携が途切れてしまうと重要な判断をするべきときに命取りとなります。今回のツアーではいままでの記述をみるに少なからずあったように思えます。人間ですからある程度あるとは思いますが、そこのところいかがでしょうか。それとも記載されているように本当に体力消耗して判断力が欠如したのでしょうか。

    jopi

    August 10, 2009 um 2:45

  32. 良くツアーが無理をする理由に「帰りの航空券の手配」などが言われます。
    多くの旅行業者が採用している「標準旅行業約款」には下記のような記述があります。長いですが関係ありそうなところの一部を抜粋します。

    (当社の解除権-旅行開始後の解除)
    第18条  当社は次にあげる場合において、旅行開始後であっても、旅行者に理由を説明して、募集型企画旅行契約の一部を解除することがあります。
    一、旅行者が病気、必要な介助者の不在その他の事由により旅行の継続に耐えられないとき。
    三、天災地変、戦乱、暴動、運送・宿泊機関等の旅行サービスの提供の中止、官公署の命令その他の当社の関与しえない事由が生じた場合であって、旅行の継続が不可能となったとき。
    2、当社が前項の規定に基づいて募集型企画旅行契約を解除したときは、当社と旅行者との契約関係は、将来に向かってのみ消滅します。この場合において旅行者が既に提供を受けた旅行サービスに関する当社の債務については、有効な弁済がなされたものとします。
    3、前項の場合において、当社は、旅行代金のうち旅行者がいまだその提供を受けていない旅行サービスに係わる部分に係わる金額から、当該旅行サービスに対して取消料、違約料その他既に支払い、又はこれから支払わなければならない費用に係わる金額を差し引いたものを旅行者に払い戻します。

    (契約解除後の帰路手配)
    第20条 当社は第18条第1項一号又は第三号の規定によって旅行開始後に募集型企画旅行契約を解除したときは、旅行者の求めに応じて、旅行者が当該旅行の出発地に戻るために必要な旅行サービスの手配を引き受けます。
    2、前項の場合において、出発地に戻るための旅行に要する一切の費用は、旅行者の負担とします。

    おそらくアミューズもこの標準旅行業約款を採用していただろうと思われます(募集時に提示が義務付けられています)
    旅行会社は「旅行会社が関与しえない事由」で当初の計画が実行できない場合でもこれだけ法律的に守られています。残念ながらこの内容は旅行会社を利用される方も、また現場で働いている添乗員などの中にも把握していない人が多いです。この約款通りに考えれば、仮に悪天候(天災地変)で予定日を過ぎて帰宅できない場合でも、旅行会社はまったく腹は痛まないし、どれだけ遅延しても「契約解除後にお客様の安全を守るための帰路手配」であったと言える訳です。
    予備日の設定も良く取り沙汰されますが、予備日など無くても安全のための遅延であれば旅行会社に帰すべき責任は当初の計画がよほど無茶でない限り無いだろうと考えます(予備日があったほうがいいのは言うまでもありません)

    問題はこの約款を採用せざる得ない問題が発生したときに現場ではお客様のプレッシャーがすさまじいということです。そのプレッシャーを安全を司るべきガイドが浴びるとしたら判断ミスを誘発する恐れがあります。

    ところで上記は「やめる」方の判断ですが逆に「いく」方の判断にも上記約款は影響があります。
    上記の約款に照らせば集合場所を出発してしまえばお客様に返金するお金はほとんどなくなります。出発しなかった場合は「お客様への返金」「取消料」など面倒が多々発生します。
    「とりあえず何でもいいから出発だけしてくれ」というベクトルが旅行会社全体に働きます。現場のガイドがその面倒を被るのであればここでも判断ミスを誘発する恐れがあります。

    ツアー登山を企画する旅行会社は出発前に現場でガイド(添乗員)が浴びるべきプレッシャーを極限まで削ぎ落とし、現場判断の指針は「安全」だけにしないといけません。
    アミューズは出来ていたでしょうか?

    noho

    August 10, 2009 um 11:10

  33. jopi様

    今回のようなツアー登山のガイドは、今回がそうであったように一種の寄せ集めであり、市井の山岳会のような長年の人間関係に基づく相互意思連絡(いわゆるあうんの呼吸)が出来なかった面もあると思います。

    戸田様のご回答にもあるのですが、ガイドは仲間のガイドと「相談」はしないそうで、打ち合わせ程度はするそうです。(もちろんガイドの所属する組織によっても違いましょう・・noho様が運営なさっていらっしゃる会社のガイドですと、チームワークがかなり期待できそうですね。)

    チームワークの悪さは、結局、既定方針にしたがった行動になってしまい16日も流れのままにスタートしてしまった。と言えそうです。

    言って見るとリーダーシップの欠如という言葉が当てはまるかもしれません。停滞するにしても、一名を小屋に残留させるにしても、エスケープルートを採るにしても、チーフガイドに名実ともに「リーダシップ」が無ければ為しえないことだと考えます。

    多田ガイドは、形の上ではチーフガイドだったのですが、流れを変えられるほどのリーダーシップは無かったと言えると考えます。

    弱冠32歳では、今回のツアーは荷が重過ぎたようです。年上のガイド2名を統率し、身体に不調を訴えているものを避難小屋に残して、後続部隊に託したり、天候に応じて、途中から引き返すなどなど臨機応変に計画を変更することが、したくても出来なかったのかもしれませんね。

    (いささか同情論になっております。)

    ______________________________________________________

    追補

    戸田様のご回答を読む限りでは、15日に不調を訴えた女性、16日朝にスタートに異論を唱えた女性、16日に一番最初に動けなくなった女性とは、同一人物であったように記憶しております。

    ちなみにアミューズの公式声明では、15日にツアー客のなかに体調不調者が出たという事実は記載されていませんね。

    仮に、松本ガイドが軽度の低体温症にり患していたとして・・、noho様もお書きのように、(たとえサブガイドであっても)ガイドの身でありながら、低体温症を発症してしまい業務を放棄してしまいました。という言い訳が世間に通るかどうかは考えどころです。

    事は、人命にかかわるのですから、

    松本ガイドが遺族に面と向かって、そのような言い訳が出来るか、遺族にしても「ああそうでしたか。」と簡単に引き下がれるか、・・人命を扱うものの言い訳にしては底が浅すぎる言い訳でしょう。

    プライドを持ってガイドという仕事に取り組んでいるかたならそのような言い訳はしないと考えます。

    ですので、裁判で松本ガイド側が、彼の行動を正当化するためにどのような理屈を立てて来るかが、ひとつの見所であると考えます。

    silvaplauna

    August 11, 2009 um 11:32

  34. silvaplauna様
    小生、30年以上止めていた登山ですが、2年前友人の遭難で、捜索に加わり今年も追悼登山に行ってきました。今回の遭難で多くの疑問が湧いていたところ、このページを見つけ、数多くの情報収集と、沢山の考察非常に参考になりました。問題点はリーダー(ガイド)の状況判断と行動選択の善し悪しに有ります。
    見方を変えて、生還した人と亡くなられた方を分けたものは何だったんでしょうか?
     
    ①一つには、それは下着[肌着]にあるのではないかと思っています。マスコミにも、戸田様のコメントにも無いようなので、調べてみる価値があると思うのです。 小生も若い時先輩が、疲労凍死(当時は低体温症の用語は無いようです)されています。その時の報告書を読むと、非常に短時間で意識が朦朧としてしまっています。木綿等は濡れた場合は体温を奪われますが、ウールはそれほどではありません。その教訓で、悪天の場合は純毛厚手セーターを濡れたとき、寒さが収まらないときは素肌に直接着込むようにしていました。どんな優秀な雨具でも、20Mの風雨では、下着までビショビショになってしまいます。
    ②もう一つは食料摂取です。パーティーとして昼食や行動食を、りーダーの指示で、どう摂ったのかわかりません(戸田様は個人で非常食を摂られたことを回答されていますが)。また、個人非常食について他の方はどうだったのでしょうか。

    60歳手前の小生は(フィットクラブの測定は45才でしたが)、この計画は参加できないくらい行動時間が長すぎる計画だと思います。今回の参加者は、小生より年輩の方ばかりです。中高年者の体力の低下・疲労感・回復力など、30歳代の人間(ガイドの方)には想像がつかないのだと思われます。

    昔の山人

    August 11, 2009 um 4:22

  35. noho様

    お返事が遅くなり恐縮です。松本ガイドに関するご意見をありがとう御座います。約款のほうは、背景事情として参考になります。引用していただきありがとう御座います。

    アミューズの文書にも出てくる6名の登山パーティは、同日に同じコースを事故も無く歩いていますので、天候判断の点では、多田ガイドが、16日朝にスタートできると考えたのは(アミューズ側に有利なようにひいき目に見ると)無理ではなかったと考えられます(もちろん引率するパーティの力量は除外して考えます)。

    当然、その6名のパーティも、北沼からの水が流水となっている沢を渡渉したわけであり、暴風雨と渡渉などによる寒冷さという点でも同じ環境にさらされたはずです。

    なのに、なぜ、方や8名もの死者を出し、片方は無事故で済んだのか、パーティの力量といってしまえばそれまでですが、キーポイントは、noho様もご指摘の、悪天候のなか速やかに行動が出来たかいなか、にあると考えます。無事故で済んだパーティは、せいぜい5時間~6時間で安全圏に抜けたのではないでしょうか?

    方や、事故を起したアミューズ一行は、朝5時30分~13時ごろまでかかって北沼分岐付近、さらに、会社の文書に出てくる斐品様の記事では、トムラウシ分岐を過ぎて13時40分となっております。8時間以上も時間をかけて休み休み歩いて、その間に風雨によって体力を奪われつつあったものだと考えます。

    私のささやかな経験から推しても「暴風雨状況ではそこにいるだけでも、暴風雨にさらされるだけでも絶えず体力を奪われる。」と考えます。まして、夏の台風のような生暖かい熱帯性の暴風雨ではなく、体感気温-5度の暴風雨ですのでなおさらです。
    (これは、noho様がツエルトの重要性をお書きになっているのと同じ理由です。ツエルトがあれば、身体が暴風雨にさらされないわけで少なくとも、体力の温存が出来る。ツエルトが無いと、暴風雨にさらされて、それだけで十分体力を奪われる。これと同じ理由です。)

    悪天候の状況下を8時間かけて休み休み進むよりも、それなりの歩行スピードを維持して、5時間~6時間以内で切り抜けてしまうほうが、体力的な消耗は少ないと考えます。(数値的な裏づけは無いので経験的な事実で恐縮なのですが・・。)

    こうしてみると、アミューズツアーには、悪天候を短時間で切り抜けられるスピードが求められたにも拘わらず。もはや迅速な行動が出来るほどにツアー客には体力が残されていなかった。ということになりましょう。

    コメントが前後しますが、昔の山人様がお書きのように32歳の若い多田ガイドには、60代の方も多く参加されているツアーの力量を正確に把握するのがちょっと無理で、それを見誤ってしまった。
    で、追い討ちをかけるように、低体温症への予防的知識の不足と、発症した場合の看護のための備えの不足が祟った。

    まとめますと、ツアーメンバーに残された①体力の見誤りがまずあって、その上に、ツアーガイド、メンバーともに②低体温症への心構えと装備が無かったことが災いし、低体温症を次々と発症する経過をたどったと言えそうです。

    silvaplauna

    August 11, 2009 um 11:20

  36. 昔の山人 様

    コメントをお寄せいただきありがとう御座います。戸田様の情報によりますと、9月発売の山渓に、今回の事故の詳細な検証記事が掲載されるそうです。

    私見ですが、事故発生にいたる重要ポイント①②を簡単にまとめますと以下のようになります。

    _________________________________

    15日の段階で、16日は午前中は崩れていると予想しているので、16日午前の悪天候はいわば覚悟のうえでスタート。つまり、天気予測が外れたわけではない。

    問題は、

    ①ツアーメンバーに残された体力を見誤り遅々としたペースでしか進めなかったこと。

    ②低体温症への心がまえがなく、具体的予防策も施さず、発症した場合の介護の備えも乏しかったこと。

    その結果、暴風雨に長時間(6時間以上)さらされたツアーメンバーが低体温症を次々と発症し、有効な手当てもなされないまま計8名が死亡するに至った。

    ここで、死亡の直接の原因は、申すまでもなく低体温症(②)なのですが、それを招いたいわば、誘因として、ツアー客の体力の見誤り(による行動の遅延)(①)があると考えます。

    _________________________________

    お書きの、厚手のセーターや肌着、食料摂取による栄養補給、などはこの「具体的予防策」に含まれると考えます。

    そして、多田ガイドにはおそらく分からなかったのでは?とご指摘の中高年の体力の低下・疲労感・回復力なども「ツアーメンバーに残された体力の見誤り」としてキーポイントになると考えます。

    ※戸田様への次回のご質問の際に、昔の山人様お気づきの幾つかの点についてご質問しようと思います。アドバイスをありがとう御座いました。

    とくに、ご指摘の「厚手のセーター」ですが、いわゆる北欧の漁師が着るフィッシャーマンセーターのような厚手のセーターがあれば、結果も大分違ってきたはずと考えます。秋のアルプスのつもりで出かけたら当然そういった装備も持参したと思うのですが、そこはやはり夏山のイメージで装備を選んでしまったのでしょう。

    silvaplauna

    August 12, 2009 um 1:46

  37. silvaplauna様

    私はメンバーの力量のそろっていないツアー登山においては「速攻」は逆にリスクを高めると考えています。運動強度に耐えられないものを出さない歩き方。「のんびりした気分で疲労を最小限にして歩ききること」こそが中高年の最適な歩き方だと思います。
    (別の考えを否定はしません)

    そのような考えからスケジューリングは登山道では平均歩行タイムの1.5倍かかるものと計算します。(林道、もしくはそれに順ずる道は平均歩行タイムに1.2倍で充分です)
    この計算をして日没の2~3時間前に行動を終了させるくらいを目処にスケジュールを考えます。
    ちょっと私なりに計算してみます。

    ヒサゴ沼から北沼は3時間45分・北沼~山頂~南沼60分・南沼~コマドリ沢3時間・コマドリ沢~短縮登山口3時間30分

    トータルでは休憩を入れて行動時間12時間半~13時間半というところが私の歩行時間の読みになります(なお北海道の平均歩行タイムは本州に比べて厳しい印象があります)

    これを加味して下山場所の日没から逆算して各チェックポイントの通過タイムリミットをだすと下記のようになります。

    短縮登山口PM16:30~19:00、コマドリ沢PM12:30~15:00
    南沼分岐AM09:00~AM11:30、北沼分岐AM8:00~10:30、ヒサゴ沼4:00発

    私ならヒサゴ沼は遅くとも4時には出たいと考えるだろうと思いますが5時半でもまだ貯金がまったく無いわけではありません。
    ですが実際には私の考えるタイムリミットは北沼分岐の段階で大きく過ぎています。通常初期のチェックポイントで使ってしまう貯金は少ないものですが、発時刻が遅かったこととその間で何がしかの困難があったのでしょう。
    最初のチェックポイントで時間の貯金を使い果たすのは一大事です。その後の歩行はタイムリミットというタイトロープ上の行動となります。

    ところで、
    私は亡くなられた方のうちのお二人の歩行能力を想像することが出来ます。
    味田様と同行した記憶は4年前ですので古いものですが、その際の奥穂高岳へ登るパーティーの中では最も強い方だったと記憶します。その後、彼女があちこちの山に登っている噂を聞いておりましたので登山を継続されていたのだろうと思います。現在の年齢を考えればそれほど当時と比較して体力が落ちては居ないだろうと想像は出来ます(あくまでも想像です)
    また市川様は私は直接歩いていませんが、私のところのリーダーが今年の4月に石鎚山に同行した際の印象では(こんなに強くて立派な方が何でツアーを利用するんだろう?)という印象であったそうです。少なくともお二人とも私の考える範囲でなら通常の状態のこのコースを歩けないかもしれないとの判定はしないお客様です。

    そう考えると何事も無く歩いていれば少なくともお二人は私の考えるチェックポイントの通過時間の範囲で行動できるだろうとの想像が成り立ちます。そのお二人の北沼到着時刻が報道のようなものであるのなら

    ①よほど歩きにくい要因があった(風か足元の悪さか)
    ②メンバーの中に彼女たちと同様のペースで歩けない方がいた
    ③彼女たち自身の体調が悪かった

    予定のように進めないのならガイドは(引き返すべきか?)とか(隊を分けるべきか?)と時計を見ながら自問するべきです。そして①でこれほど遅れたのだとしたらヒサゴに引き返す決断を・・・。②③なら隊を二つに分ける決断を速やかに下すべきだったと感じます。

    くりかえしになりますが私は彼女たちがアミューズの平均的な顧客の能力を有していたと思います。彼女たちに出来ないことは他の人にもできないのではないか。
    アミューズの平均的顧客ではこなせない悪天候だったか、あるいはどなたかの歩行ペースに合わせて全体が遅れたか、あるいは自分自身が体調不良でない限りは、少なくとも彼女たちはもっと早く北沼に到着していたと思います。
    そう考えると今回の事故の要因に「お客様の能力不足」を入れることは躊躇われます。

    noho

    August 12, 2009 um 2:45

  38. noho様

    たびたび貴重なご意見をいただき感謝いたします。

    どうも、速攻登山というのは私の偏りでして申し訳御座いません。お書きになる通り、普段の登山の平均心拍数よりもハイペースでの歩行を強いると、心肺機能に過負荷となり、かえって疲労が溜まり、むしろ歩行不能に陥ってしまう恐れが高いです。

    こうした中高年のツアーペースを熟知されているnoho様のご意見に一日の長があります。参考にさせていただきます。

    さて、ご指摘の通り、戸田様のご意見によりますと北沼分岐付近ですでに10時30分となっており、タイムオーバーです。距離的にはヒサゴ沼避難小屋から地図上でざっと見ても3キロ少し、せいぜい4キロ弱ぐらいでしょうか。

    http://watchizu.gsi.go.jp/watchizu.html?b=433155&l=1425102

    ①については、質問の⑧、⑨あたりのご回答にヒントがありそうです。歩行不能なくらいの強い風が吹いたとあります。

    「天沼からロックガーデンにかけてに木道があるとおもいますが、そこが一番風が強かったと思います。体とザックにたいする風の圧力で木道から飛び出すことになります。32歳ガイドが(自分も真ん中にいたから)風向きに向いて立ち横に歩けと言っていました。風のつよいときは屈めとも言いました。それでほとんど進めなくなりました。低気圧が通ったのかもしれません。」

    また質問⑩に対するご回答では・・

    「このあたりで、悪天候による事実上の停滞がなされたように考えられます。天沼かそのさきの日本庭園のあたりかよくわかりませんが、木道があってそこが一番風が強かったとおもいます。そこまでに3回ほど休憩をとりました。1回5分ほどのたち休憩です。休むひまはなっかった。32歳ガイドは日没を心配したのだろうとおもいます。」

    とあります。

    この事実上の停滞による遅延で、本来の休憩は短く切り上げられたようです。noho様と同様に多田ガイドも日没を心配したのではないかと、戸田様の推察もあります。

    ②については、最初の歩行不能になった女性が挙げられます。

    19-2 あたりの戸田様のご回答によると・・

    「そして彼女をトムラウシ分岐まで連れてくる経緯が野首さんが語っているところでしょう。彼女をやっとトムラウシ分岐までつれてきて、十分に休ませるというのが停滞の原因だとおもいます。自分たちは何も知らされず彼女が来るまでと、彼女を休ませる時間を合わせて2時間待たされたのだと思います。1じ半に出発となりました。彼女を吉川ガイドのところに運ぶ予定で。」

    なお、ここでは、トムラウシ分岐とありますが、それは間違いで北沼分岐だと考えます。又、時刻は1時半とされていますが、A41へのご回答から、北沼分岐発が1時と訂正されています。

    そうすると、①で書いた暴風によるやむない停滞の他に1時間30分ほど故障者の介護のために停滞したことになります。(この部分が、アミューズ社の文書では30分と切り上げられているので、大分事実認識に違いがあるようです。)

    ③についての情報は、市川様については、アミューズ社の報告によりますと、北沼~トムラウシ分岐までにある雪渓の上で、野首様に介護されていたそうですので、アミューズの記事に出てくる二番目の雪渓付近で既に体調が悪くなっていたのだと考えられます。
    時間的には、戸田様のご指摘により13時少し前となりましょう。

    味田様に関しては、同じくアミューズ社の報告に記載されている斐品様のレポート部分と思われる箇所を読みますと、13時30分~40分ごろ、トムラウシ分岐を過ぎたあたりで不調のために動けなくなったと考えられます。

    お2人とも、北沼までは何とか歩行できたが、そこから先、時間的にはで13時少し前ごろ~13時40分にかけて歩行不能に陥ってしまったようです。

    すでに、スタートしてから、7時間~8時間経過しているのですから、低体温症が発症したと考えておかしくはありません。

    ②に関して、思い出しましたが・・

    6人パーティがアミューズのツアー一行を追抜くときの状況について触れた記事がメインの記事の参考記事(後半)に掲示してあるのですが、アミューズ社の報告文とは大分追抜くときの状況が違っているようです。

    「別のパーティーのメンバーで、同じ山小屋に宿泊した静岡県函南(かんなみ)町の男性(66)は16日早朝、遭難したパーティーから5分ほど遅れて山小屋を出発した。「横殴りの雨が降り、突風にあおられて倒れた仲間もいた。遭難したパーティーはとてもペースが遅く、バラバラになった人たち全員を追い越してしまったが、『この人たちは大丈夫だろうか』と心配していた」と話す。この男性と一緒に下山した静岡県沼津市の女性(69)は、「遭難したパーティーには、風で飛ばされて転倒した人もいて、『大丈夫か』と思った。自分たちも強風で岩にしがみつくほどだった」と劣悪な天候を振り返った。(2009年7月17日14時56分 読売新聞)」

    やはり、もともとのペースが相当に遅かったようです。

    それが、既に体調が悪くなってきていた最初の歩行不能者のペースに合わせていたためであるのか、もともとアミューズツアーのペース標準自体が遅いものであるのかは不明ですが。

    おそらくは前者ではないかなと思われます。

    つまり、最初の歩行不能者になる女性に合わせて全体の歩行ペースをヒサゴ沼スタート時点からすでに落としたのではないかなと考えられます。

    まとめますと、①風が強くて思うようにペースがはかどらなかった要因と、②ツアーメンバー中に、小屋を出るときから既にペースが遅れる方がいて、その人のペースに全体をあわせ、さらには、その方が介護が必要になったときには全体を止めたので、ますます遅れてしまった。
    ・・とこのようになりそうです。

    この②に関しては、多田氏の証言もいずれ得られましょう。戸田氏のご意見も伺いたいと考えます。

    で、結局、①②の結果、8時間近く暴風雨に吹き付けられて、平均以上の体力を持っていた味田様や、市川様さえも低体温症を発症されてしまった。

    となりそうです。

    (もちろん、その間の介在事情として、15日に雨で濡れた衣類を交換したか?とか、16日に行動食をきちんと補給していたか?とか、16日当日の体調はどうであったか?等ももちろん影響すると思います。)

    ・・となると、noho様が当初よりしばしばご指摘となっておられるやり方、つまり、「小屋を出る最初から体調不調者を分けて、この方は停滞するかビバーク装備とともにゆっくり歩いてきてもらい、その他の普段通りに歩ける人は別グループとして先行させるべきであった。」となります。

     それにもかかわらず、ガイドは漫然と、全体を体調が悪いツアーメンバーに合わせて進ませたために、普段の歩行ペースなら無事下山できるほどに十分な体力を備えた方をも巻き込む結果となってしまった。みすみす助かる命さえも失わせてしまった・・。

    このようなことが言えると考えます。

    上のコメントに記載した私見の「①ツアーメンバーに残された体力を見誤り遅々としたペースでしか進めなかったこと。」

    これを

    ①’ツアーメンバーを二手に分けずに漫然と体力のある者も含めて全員を体調不調者の歩行ペースに合わせて歩ませたこと。その結果、折からの暴風雨による遅滞とをあわせて、全員を暴風雨に7時間~8時間もさらされる状況に引きずり込んでしまったこと。

    に変更しますと、noho様の見解に近いものが出来ると考えます。

    極論しますと、隊を二つに分けておのおののペースで進ませるということをせずに漫然と、全体を不調者のペースで進めたガイドの些細な判断ミスこそが誘因である。・・とこのようになろうかと考えます。

    以上、noho様からいただいたヒント①②③をもとに、自分なりに推理した結果なのですが、こんな感じでいかがでしょうか?? どこかに無理があったら遠慮なくご指摘を御願いいたします。

    silvaplauna

    August 12, 2009 um 6:01

  39. silvaplauna様

    太字のまとめで私の見解と同じです。
    多くの問題が出てはきましたが、私はこれが無ければ少なくとも大量遭難にはならなかったのではないかと考えています。

    少々横道にそれますが・・・
    私は複数のガイドが同行する一番のメリットはグループを分割することが出来るからだと考えています。
    私の会社のツアーでは15名に3名のガイドであれば基本は3グループに分けて行動します(無線機でお互いの距離を調整しながら歩きます)
    こうすることで多くのメリットがあります。

    A,他のパーティーにとって行列の長いうっとうしいパーティーにならない。
    B、お客様にとってガイドの指示がとどきやすい。
    C、ガイドにとってお客様を観察しやすい。
    D、お各様同士もコミニケーションが取りやすい(つまりお互いがわかるということです)
    E、お客様にかかる歩行負荷が均等に近くなる。

    コンディションの悪い人がいれば先頭班に入れます。ペースは先頭班が作り、2班3班は前の班と極力均等な距離を保ちます。
    こうすることで「Eのメリット」お客様にかかる負荷は実は随分と軽減されます。

    なぜか?
    運動場を行進しているとします。平らなうちは全員同じスピードで歩けますが、もしそこにハードルを置いたらどうなるか?
    最初の一人はストレスも無くハードルをまたぐでしょう。二人目は1秒ほど待つかもしれません。三人目は2秒、4人目は3秒・・・・
    15人目は14秒待つことになります。
    ハードルを一つ通過するだけで隊は14秒も間隔が開いてしまいました。
    この差をそのままにしておけば次のハードルの時には14秒差のまま通過できるのですが、人の心理としてはついつい差を元の差にしたくなるのです。そうすると待った時間分だけ早く歩くことになるのです。
    もし1分に1箇所ハードルを置くとどうなるか?
    先頭はハードルとハードルの間を1分で歩けますが、最後尾が前の人との差を同一に保とうとすると、ハードルとハードルの間を46秒で歩くことになります。先頭と最後尾でどちらが疲れるのかは言うまでもありません。

    これをあらかじめ3グループに分けグループごとの間隔を10秒あけておけば、各グループで最も待たされる6番目の人でも5秒待つだけにできます。

    同じことがツアーでは頻繁に起こります。梯子の通過で散々待たされて、やっと自分の番になり越えてみると前に人がいなくて不安になり小走りで追いかける。ツアー参加者なら誰しも経験があるのではないでしょうか?歩きにくければ歩きにくいほど立ち止まる回数と追いかける回数は多くなります。速く歩くことで転倒、滑落などのミスを誘発しやすくなるし、疲労も蓄積します。そして厄介なことに速く歩いている実感があるのに先頭より到着が早くなることは無い。

    ロックガーデンは岩塊が積み重なった場所です。ここを通過する際に風が強かったとしたらバランスを取るのが苦手な人は大変な時間ロスをしたと思われます。
    そのときグループが一列で歩行能力で分かれていなければ、隊は遅い人の前が距離が開く形でバラバラになったことでしょう。そして遅い人は岩をやっとの思いで通過してみたら前には誰もいない。後ろは詰まっている。という状況で大いにあせったことでしょう。後ろの人は寒い中遅々として進まないことに苛立ちを隠せなかっただろうと思います。中には飛び石で横から追い越した人もいたのではないでしょうか?
    そのような状況で無線も無くてガイドたちは疲れが蓄積していくクライアント個々の状況をどうやって把握できたのかなと考えています。

    noho

    August 12, 2009 um 10:39

  40. noho様

    noho様からご教示いただいたことを踏まえて、多田氏の弁護論なるものを考えてみました。(私はもちろん、多田氏のえこひいきはしませんが、多田氏の立場にたってものを考えて、立論してみようといった試みです。)

    長いものですが、お時間がございますときにチェックされてください。

    ____________________________________________

    停滞、エスケープの可否

    当日は、午後からは天気の回復が予想されており、また、ヒサゴ沼避難小屋に同宿した他の登山グループ6名もトムラウシ温泉に向けて出発している状況を踏まえると、当該アミューズツアーに限って停滞ないし、エスケープルートを辿るということは、ツアー客に相当数の体調不調者がいるといった特段の事情ない限り、そうするべき理由はなかったと考えられる。

    ツアー客の体力、体調不調者の有無

    16日の行程は12時間~13時間の長丁場が予想されるがツアー客の体力的に関しては、問題はなかった。 ただし、15日の行程途中で1名体調不調を訴えるツアー客がいた。

    ルート状況

    天沼、日本庭園付近では強風に見舞われ、北沼手前では、水が沼からあふれておりその流水を渡らなければならなかったが、6名の登山グループも時を前後してそれら(暴風雨、流水)を経験して、ルートを辿っており、厳しい環境ではあったが、けして、登山を行うのが著しく困難なほどの状況ではなかった。

    ツアー引率の形式

    ツアー客15名を中に挟んで、トップと、最後尾、そして半ばにツアーガイドがそれぞれ配置する(計3名)スタイルで引率した。

    ツアー歩行のペース

    後からスタートして、途中で追抜いた6名の登山グループの証言では、かなり遅いペースで進行したとあるので、18名が一つの集団となって、体力のある者も、一番体力のない者のペースにあわせて進んだものと考えられる(推測)。

    通過予定時刻のタイムリミット

    強風による自然停滞、体調不調者のペースに合わせたゆっくり目の歩行スピードにより日没前に短縮登山口に下山するペース配分で計算した北沼通過予定時刻のタイムリミットが北沼付近で早くもギリギリとなってしまった。

    最初の歩行不能者と介護のための停滞

    最初の歩行不能者は、北沼から流れ出る流水を渡ったあと、北沼分岐付近で出た。この方の介護のために、11時ぐらいから1時間30分ほど停滞する。吉川ガイドが付き添ってビバークすることとなった。前日からの体調の不調と折からの悪天候が引き金となり、低体温症を発症したものと推測される。

    二番目の歩行不能者発生と5名のビバーク

    北沼分岐を通過した後に、二番目の雪渓となるがその手前で2名の故障者、雪渓を登ってさらに故障者が出て、多田ガイドは、4名のツアー客とともにビバーク。
    悪天候による自然停滞18名からなる集団の歩行ペースが遅かったこと最初の歩行不能者の介護のために、1時間30分ほど停滞したことなどの悪条件が重なって、低体温症を発症するツアー客が急に現われ始める。

    午後1時以降、低体温症発症者次々現れる

    その後、松本ガイドに引率され、残り10名のツアー客がトムラウシ分岐に向けて現地をスタートしたのは13時頃となってしまった。
    その後も、さらに低体温症の発症は止まらず、歩行不能になるものが次々と現れて、4名が死亡し、2名は救助され、ツアー客15名のうち僅か5名が自力下山出来たにとどまる。

    低体温症発症の誘因となったもの

    お亡くなりになった方の直接の原因は低体温症であるが、その誘因となったのは、寒冷な天候に長時間(7時間~8時間)さらされたからであり、そうなったのは、①悪天候のための自然停滞、②18名からなる集団の歩行ペースが体調不調者に合わせた遅いものであったこと(推測)、③最初の歩行不能者の介護のために、1時間30分ほども停滞したこと、という三つの原因のためである。

    三つの原因の分析

    ①はやむないものとして、②、③に関しては、ツアー客を二つないし三つに分かち、当初よりの体調不能者の歩行ペースにあわせることなくあらかじめのペースで進ませて、さらに介護者が出たときにも現場に停滞させることなく、あらかじめ設定したタイムスケジュールにあわせた歩行ペースを維持して引率していたならば、先行した6名の登山グループのように低体温症も発症せずに安全に下山出来たものと考えられる。

    つまり、今回の事故は、ツアー引率のちょっとした技術次第で十分に避けえたものと考えられる。

    引率方法を間違えたと多田ガイドを非難できるか?

    A 多人数集団引率形式ではなく、B 小人数に分けての引率形式ならば、あるいは、C 当初からの体調不調者と切り離した形で引率していたならば、最初に歩行不能となったツアー客以外の7名のツアー客については、低体温症も発症せずに自力下山出来たのではないかと、考えられる(noho様のご意見)。

    では、この場合、多田ガイドを、A ではなくB ないしC の引率形式をとらなかったとして非難することが出来るか?

    多田氏の引率の経過を見ると、一人も余さずに一緒に引率して行こうとの意思が感じられる。

    結果として、それは正しくはなかったのであるが、ツアーガイドの実態(時と場合に応じて、多人数集団引率形式から小人数、その他の形態へ分けて引率することへの移行が柔軟に認められているか?)、アミューズ社の引率の方針(ガイドライン)、現場のツアーガイドに委ねられた裁量の範囲、等が問題になってこよう。

    多田氏が、アミューズ社の既定方針に忠実に従っただけで、現場のガイドには裁量の余地がほとんどなかったのであるならば、社で決められた通常の業務方針に従って行動しただけであり彼への社会的な非難も減少しよう。

    この場合、2002年7月の低体温症による遭難事例を彼にガイドとして備えるべき当然の知識として求めることは出来ると考えるが、16日午前の同ルートの実際の状況を読んで低体温症の発症を予見し、または予知することまで多田氏に求めることが出来るか?

    低体温症発症の予防のための気象判断のガイドラインがガイドの間で、あるいはアミューズの社内で共有されているならば、それに従って判断すればよいのであるが、どうも、現状においてそういった具体的なガイドラインの共有はなされていないのではないだろうか?(noho様、もしそのようなガイドラインをお持ちでしたらご教示ください。よろしく御願いいたします。)

    ・・とするならば、具体的状況において、低体温症を予見し得なかったとしても多田氏を一概に非難することは出来ないだろう。

    ◇ ◇ ◇

    こんな風に考えてゆくと、多田氏に、業務上過失致死の責任を、問えない場合も十分ありうるのである。

    皆様のご意見はいかがであろうか?

    silvaplauna

    August 13, 2009 um 3:01

  41. silvaplauna様

    >多田ガイドを、A ではなくB ないしC の引率形式をとらなかったとして非難することが出来るか?

    これは出来ないと思います。私の知る限り一般的な旅行会社のツアー登山と呼ばれている会社の歩行形態はAです。Aで9割以上ではないかと思います。実は私も5年前位まではAの形態で歩行していました。前後を挟むことで隊は安全になると思い込んでいました。

    現在のスタイルで案内することはある意味私のところでは「売り」ですらあります。グループは同一行動するほうが相互補助の観点から安全と良く聞きますが、個人で山岳ガイドをされている方は一人で少人数のクライアントの世話をします。私はこの形態のパーティーが同じ山中で連絡可能な位置で行動し、いざというときに助け合うスタイルが最も安全で理想的と考え、現在は離れて歩くようにしているのです。

    Aのスタイルで歩いたことで多田ガイドの過失を問うことは無理ですが、いまだにAのスタイルで歩いている旅行会社の勉強不足は糾弾できると思っています(Bスタイルが広まることは売りがなくなることで複雑ですが・・・笑)

    ただしAでもBでも場合によってはCにはなるものです。Cに出来ないのであればガイドが複数いる意味は無いのだと思っています。よくある旅行会社の先頭ガイド、最後尾添乗員でゾロゾロ歩くパターンでも誰かが動けなくなったら必要なら添乗員がその方を介助し、救助要請し、必要なら一緒にビバーグできなければ、リスクマネジメントは不可能です。
    Cに出来なかった責任は多田ガイドではなく会社が負うべきだと考えます。

    >低体温症発症の予防のための気象判断のガイドラインがガイドの間で、あるいはアミューズの社内で共有されているならば、それに従って判断すればよいのであるが、どうも、現状においてそういった具体的なガイドラインの共有はなされていないのではないだろうか?

    この質問を一般の方から浴びるのは非常にドキッ!とさせられます。
    個々のガイドでノウハウはあってもガイドラインの共有はありません(ただ知識として持っていない人がガイドのアベレージとはとても思えませんけれど・・・)
    日本山岳ガイド協会ではそのガイド試験においてツェルトでのビバーグという科目はあります。でもすばやく場所を選んで張れる事程度のチェックですから、その試験はざるのような科目ともいえます。
    ガイドラインというのであれば例えば「ツェルトはパーティー全員が入れるように準備しなくてはならない」位のことをガイド協会が言っても良いように思います。

    ところで登山者で低体温症を発症した人を見たことがある人はどのくらいいるのでしょうか?実際にはガイドの中にもさほど多くないと思います。(今度総会があったら聞いてみます)
    おそらく過去に見たことがない人で初期症状のときに気がつける人はいないだろうと思います。
    私が初めて低体温症の人を見たのは夏の利尻岳です。あるクライアントが山頂直下10分で靴のソールが壊れたため、隊を割って僕が修理することになりました。座らせて靴にテーピングを巻き始めて5分。そのクライアントが欠伸をしたのです。ドロドロの靴を触っている私の手も泥だらけ。
    (こいつ!人がこんなになって直しているのに欠伸かよ!)
    こみ上げる怒りを我慢しながら「この靴久しぶりにはいたでしょう?」などと話しかけたときの返事が妙にやる気が無い。
    そこで知識として学んでいた低体温症のことを思い出して、その方を観察して異変に気が付くことが出来たのです。その方はダウンを着せて避難小屋に下山させることで嘘のようにまともになりました。

    もう一度あります。
    6月の雨の中、四阿山を下っていて急に一人のお客さんの動きが鈍くなった。顔面が白く言葉にやる気を感じない。利尻の経験から低体温症の可能性を感じ隊を分けツェルトに入れてお湯を沸かし、飲ませて加温。すぐに元気になられました。

    この2度の経験があるので私はいかに簡単に低体温症に陥るのか、そして加温がうまくいけばすぐに元に戻るのだということを知ったのです。それ以降私のところのスタッフの訓練では1分以内にツェルトに入れて5分以内にお湯を沸かすというメニューを取り入れるようになりました。
    しかし私は人が死なない程度の低体温症のサンプルを見せてもらえたから今なら気がつけると思えるのであって、もし私の始めての低体温症との遭遇が今回のトムラウシであったとしてすぐに気がつけたかは正直自信がありません。

    ただ歩行ペースが合わない人が出たらすぐに隊を分けただろうなと思います。医者ではないので低体温症なのか単に体調不良なのかの見分けが出来ないことはありますが、そういう方が出たときは躊躇わずに隊を分け、その後の連絡方法、連絡が取れなくなった場合の最悪のケースでの行動、連絡が取れなくなった場合の傷病者に付いたガイドと健常者に付いたガイドの行動を事前に打ち合わせておけばすむのです。(これはリスクマネジメントです)

    ガイドラインが特別無いので私のところのやり方をつらつらと書いてしまいまとまりが無くて申し訳ありません。

    >多田氏に、業務上過失致死の責任を、問えない場合も十分ありうるのである。

    それはもちろんあると思います。
    気象に関して言えば私は7月の過去の天気図を「気象人」のHPで遡れるだけ遡ってみましたが、あの日のような天気図は見つけることが出来ませんでした。
    (ところが今年の7月には数回そっくりの天気図がありました)

    松本ガイドにおいても正常は判断を求められない状態での過失であればこれも業務上過失は問えない可能性があります。

    ヒサゴ沼から北沼までの区間で一般的なガイドのスタンダードな判断であれば違った行動をとる可能性が高いと裁判所が認定するかですね(私は違った行動をとるガイドのほうが多いと思っています)
    刑法上の罪を問われるかどうかのことは司法判断でありますから見守るだけです。

    しかし民事や社会から無傷で逃げることは出来ません。特に遺族と顧客からは無理です。次に同様のことがあったときにアミューズは同様の対応しかしないとは絶対にいえないでしょう。次に違った対応するといい、それがよほど他のガイドが日ごろから思っていないような斬新さを伴わない限り、今回のケースにおいての過失を自ら認めたのと同じことです。

    noho

    August 13, 2009 um 7:14

  42. noho様

    お返事が遅くなり恐縮です。
    うまいお返事は何がよいかあれこれ考えておりました(笑)。また、二点につきましてご教示賜りありがとうございます。

    後半に天気図についてご指摘なさっておられますが、それを思い返して、やはり当日はめったにない悪天候だったということに美瑛岳(ツアー客一人)と、トムラウシ(ツアー客8人と単独男性一人)の同時多発遭難のヒントがあるように思います。

    予期する以上の冷たい風雨が一帯の登山者を襲ったのかもしれません。

    申すまでもなく夏山はそもそも、厳しい自然が見せる僅かに柔和なひと時であり、積雪期に入山するほど体力のない方でも比較的楽に入れるわけです。

    でも、気象状況によっては、厳しい山岳気象に戻ることもありうるわけで、そういった厳しい状況には、やはり、夏山と思って入山した方々は手痛い思いをしなければならないのでしょう。

    そういった意味では、「気象遭難」の一種といえるかもしれないですね(2002年7月の事例について気象遭難の事例として解析されている本が山渓から出ているようです。お仕事柄とうにご承知のこととと思いますが・・。)

    もともと薄氷の上を渡り歩くような登山計画のツアーだったようですので、天気が荒れると大きな事故になるという危険性を内に秘めていたように思います。

    やはり、夏山だから、といった甘めの見通しが、ツアー会社と、ツアーガイド、それと参加したツアー客に共有されていたのでしょう。

    それは、いつかもどなたかへのお返事で書いたように、飼い猫で人に慣れていると思って手を出したら、野生の獣であって大怪我をした。・・そんな見込み違いに似ているように思います。

    その見込み違いを評して、「自己責任」とする立場や、「ザマーミロ」と酷評する立場、あるいは「ガイドに同情」する立場がいろいろあるようですが(ちなみにこれらは戸田様のご指摘に拠っております)、「人の振り見て我が振り直せ」と、今回の事故からあれこれと教訓を得たいものだと思っております。

    人の生活が都市化して、山から離れれば離れるほどに、山がイメージ的なもの(抽象的なもの)となり、その分、見込み違いの領域も広がり今回のような事故も発生すると考えます。
    山を深く知るほどに、見込み違いの領域も減り、想定と現実のギャップが減り、無事に山から還って来られる可能性が高まるのだと考えます。

    ※今日(17日)あたりは、2人のガイドを伴った現場検証が行われるようです。また、新たな事実も明らかになることでしょう。

    silvaplauna

    August 16, 2009 um 8:37


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