このページでは、ミステリ作家の視点から、書籍、映画、ゲームなど色々な「表現」について評論したいと思います。
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殺伐とした話題なので、お詫びのしるしです。
池袋猫。
さて、mixiをみていたら、DAICON7のわたしと唐沢のやりとりについて、わたしの日記(机上の彷徨)と唐沢俊一検証blogを引いて言及していらっしゃる方がいた(全体に公開した日記)。
そうしたら、なんとそこのコメント欄に―
当方の日記もお読みください(笑) http://www.tobunken.com/diary/diary20080823120155.html
と書かれてありました。「裏亭」という方からのコメントです。
「読んでも意見は変わらない」と返答されたら――
それはご本人のご自由ですから。 ただ、あの人もこっちの後の予定くらい調べてから凸して欲しいですねえ。 忙しいんだから、こっちは。
だって(笑)。
個人的な意見を述べている第三者の日記に降臨し、「ひえー唐沢先生! おっしゃる通りでごぜーます」という反応を期待して余裕の「(笑)」だったのに、反論されたら、すぐにさもしい本性がむき出しになる。
なんで、わたしの日記に降臨しないのかしら。
全体に公開しているのに。
唐沢くん。文章なら殴られたって痛くないから。
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“作家”唐沢俊一のアリバイトリック
8月23日、岸和田DAICON7で、唐沢俊一が、終了15分前に中座して帰京した件に関して、伊藤剛さん、京都大学安岡先生が、「唐沢俊一検証blog」に推理を寄せています。これらを加味して、当日、実際にはなにが起きたのか、仔細に検証したいと思います。
8月23日、唐沢俊一は、13:00から開催されていた企画「大阪国際児童文学館を救え」の中途で、出演を切り上げ帰京を図ります。以前も引用しましたが、唐沢の日記から――
1時間半の企画だったが、残り15分、質疑応答に入るという 時間(ママ。時刻だよね)で、帰りの新幹線にギリギリ、と司会のSくんからメモ回って きたので、NさんやK谷さんにお詫びを言って会場を後にする。
この書き方だと、唐沢は「何時の新幹線に乗りたいので、ギリギリの時刻になったら教えてください」と、あらかじめ頼んでいたようにも読み取れますね。唐沢はこの後、日記で新大阪16時発の のぞみ32号(N700系)で帰京したと明記していますから、主催者に、その旨を伝えて時間の調整を頼んでいたのかも知れません。しかし、このあとの記述が妙なのです。
タクシー、岸和田までだと時間が間に合わないので、ちょっと かかるがと思いつつ、なんばまで飛ばしてもらう。
昨日のエントリにも記載しましたが、この時刻には14:50岸和田発、南海特急ラピートβ48号(南海難波行)という電車があるのです。これに乗れば、なんと15:11にはなんばに到着してしまいます。なんばから大阪市営地下鉄御堂筋線で、新大阪まではたったの15分です。接続を思い切り多めに見積もっても(難波の乗り換えに10分)、15:36には新大阪に着いているということですね。いや、頻繁に走っている普通の特急でも22分、急行ですら25分です。しかも、ガラガラの電車ですよ。「浪切りホール」から岸和田までは徒歩でも10分、タクシーなら2~3分でしょう。つまり、「大阪国際児童文学館を救え」の企画、ちゃんと最後までいて、不義理をせずにそのときに来た電車で普通に帰ったとしても、充分に余裕があるのです。
なんで、タクシーなのかに関して、伊藤剛氏は唐沢俊一検証blogのコメントで、唐沢氏は脚が不自由だから、駅の乗り換え等を避けたのではという、好意的な指摘をされています。しかし、唐沢は東京での生活で、よほど疲労したとき以外はタクる(唐沢語? タクシーを利用する)ことなく、電車、バスを利用していますし、岸和田駅はエスカレーター、エレベーターが整備されたバリアフリー。むしろ御堂筋線の乗り換えの方が面倒なのではという環境なのです。
そこへ、安岡孝一先生から、以下のような指摘があったのです。
岸和田出身の私としては、なぜ難波駅でタクシーを降りたのか、の方が結構疑問だったりします。浪切ホールから車で大阪中心部に向かうとすると、普通は阪神高速湾岸線を使うわけですけど、そうすると阿波座ICに着いちゃうんですよね。ならば、本町駅に行く方が近くて、わざわざ難波駅に戻る理由が無い。しかも、阿波座ICまで来たのなら、なにも地下鉄なんか使わなくても、新御堂筋に入って新大阪駅に直接タクシーで向かう方が、圧倒的に速い。何がうれしくて難波駅にタクシーを乗りつけたのか、正直さっぱり理解できなかったりするのです。
これは充分に納得のいく指摘です。無理矢理タクシーで難波までいって、なんでそこから地下鉄に乗るのか。大阪の地理に詳しい方なら、難波の地下の複雑な構造からしてあり得ないと思うのではありませんか。
いやいや、もう、皆さんもとっくにお気づきですよね。
ギリギリの時刻にタクシーで会場を去るというのは、単にわたしから逃げるための姑息な言訳に過ぎないのです。万が一捕まっても(事実、そうなったのですが)、時間がないと言訳して逃げるための手段。
唐沢は岸和田までタクシーで出て、特急列車(運賃480円)で、難波までいったに相違ないでしょう。
しかし、いかにわたしが空手道場の塾頭とは言え(嫌味な書き方だね)、ちょっと時間をとって下さいとメールしただけで、このあたふたぶり。
惨めとしか言い様がありません。
本気で冬コミに殴りこみましょうか(殴りませんが)。唐沢のうろたえぶりをとくと拝見したい所。
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DAICON7で唐沢俊一に声をかけたが、あっさり逃げられました。あらま、といった首尾でしたが、唐沢くんはそのことをネットでとやかく言われて頭にきたのか、滅茶苦茶な言い訳を日記に書いています。
あまりに杜撰で、頭の悪い言い訳なので、ちょっと面白いから逐一チェックしてみましょう。
そのまえに一言。ネットでは、ことさら、わたしの行動を唐沢俊一 VS 藤岡真といった構造で語ろうとする輩がいますが(唐沢くんの取り巻きか、ただの馬鹿か、両方かだと思います)、唐沢くんは万引きの常習者で、わたしはそれを追跡してとっ捕まえる立場なんでね、どっちが勝ったとか負けたなんて話ではありません。もっとも唐沢くんの取り巻きには、唐沢くんに寄生して生きているようなのもいますから、宿主の死は己の死と、必死になっているのかも知れませんね。
さて、わたしは、8月22日唐沢くんにメールを出し、DAICON7に参加するため23日に岸和田入りするので、23日のあなたの企画終了後(14:30)にちょっと話をする時間をとってくれまいかとお願いしました。予想通りなんの返事もありません。で、当日、唐沢くんは企画終了の15分前に会場から出て参りました。そのときのことを、自分の日記、「裏モノ日記」にこう記しています。
1時間半の企画だったが、残り15分、質疑応答に入るという時間で、帰りの新幹線にギリギリ、と司会のSくんからメモ回ってきたので、NさんやK谷さんにお詫びを言って会場を後にする。外に出たら、と学会のKさんや、ROCKY江藤夫妻などに会って挨拶。それから、ナントカと名乗って挨拶してきた中年の男性がいた。SF大会ではとにかく、いろんな人に挨拶されるので、いちいち相手を確認しないで返事をかえす。このときもよく名前聞き取れなかったので(私は人の名前や顔を覚えることが病的に苦手なのである)
「これはこれは」
とトリアエズ挨拶したら、
「ちょっとお話しできますか」
と言われたので、困ったファンだな、と内心思いつつ、すいません、下にタクシー待たせているもんで、と言って断り、スタッフに送られて階下に呼んでいたタクシーにSくんと乗り込む。車中、さっきのは誰だっけ、と考えつつ、胸にかけていた名札の名前の記憶が浮かんできて、そうだ、私の悪口をブログに書きまくっている人物だった、と思い出し、ありゃりゃ、と苦笑する。コレハコレハ、などと丁寧に挨拶されて、向うも面食らったのではあるまいか
はいはい(笑)。嘘すら下手ですねえ。名前が聞き取れないのと、「人の名前や顔を覚えることが病的に苦手」は関係ないじゃないですか。「藤岡です」と言われたが、「はて藤岡ってだれだっけ、人の名前や顔を覚えることが病的に苦手なんで」なら分かりますよ。あなたは言い訳に保険をかけているのね。「聞こえなかった」うえに「聞こえたとしても、覚えてらんない」。いやはや、一度会った人間のことは決して忘れないが、あなたの売りだったのに、それを捨ててまで自分を正当化したいのですか。で、ここで止めておけばいいものを、「胸にかけていた名札の名前の記憶が浮かんできて」って、あなた超能力者ですか? 誰だか分からないじゃ悔しいし、そんなことわざわざ日記に書くのも、不自然だと、特殊能力でわたしの名前を思い出したらしい。
「私の悪口をブログに書きまくっている人物」
ねえ、唐沢くん、わたしは事実は書いているけれど、悪口なんて一度も書いていませんよ。あなたが、知的財産権窃盗常習犯だから、そう書いているだけでね。それより、朝日新聞の書評委員で、自称作家であるあなたが、なんでここまで罵倒されて名誉毀損で訴えないのですか?
そんなことしたら、旧悪が総て露見して命取りと、自覚しているからでしょう。分かり易いよねえ。
さて。この日、あなたは新大阪16:00発の新幹線で帰京されました。
タクシー、岸和田までだと時間が間に合わないので、ちょっとかかるがと思いつつ、なんばまで飛ばしてもらう。~中略~なんばから新大阪まではスムーズに行き、4時発の新幹線、またN700系
さあ、これがそもそもおかしな話なんだ。14:50には、岸和田発南海特急ラピートβ50号(南海難波行)がある。わずか21分でなんばについてしまう。休日とはいえ、事故や渋滞のリスクのあるタクシーで直線距離にして、26kmもあるなんばまで、なんでタクシーで移動しなければならないのか。
この特急を利用すれば、14:30まできちんと企画に参加して、余裕で帰ることが出来たのに。会場(浪切りホール)から岸和田駅まで、タクシーなら5分とかからないのだから。15分前に逃げ出したのは、わたしの来訪を恐れたからとしか考えられません。
唐沢くんは24日の日記にこんなことを書いている。
パソコンにほぼ二日ぶりに向い、メールなどの整理。
行き違いになってしまっているものあり。送り先が必ずメールを読める環境にあるとは限らない。
うーん。大阪のホテルはLANの具合が悪いので、接続できないと書いていたのだから、「送り先が必ずメールを読める環境にあるとは限らない」なんてことを、なんでわざわざ書くのかね。ま、普通なら「メールを下さった皆様、チェックできなくて返事が遅れ、申し訳ありません」と書くんじゃないかなあ。でなければ、メールをくれた人(わたしは別としても)に対して、随分失礼なもの言いだよねえ。つまり、この一文は「事前に藤岡からのメールなんて読んでないぞ」という苦しい言訳だとすぐに分かるよね。
しかし、義憤にかられていろいろ行動しているけど、全くカスのような奴だね、唐沢俊一くんってさ。
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「作家」という肩書きであちこちに出没している唐沢俊一だが、本格的な小説はこれが始めてのようだ。貸本マンガの世界は、なるほど著者の得意とする世界だが、しばしば自著に取り上げる(揶揄するような余計な解説は、はなはだ不愉快だが)作品群とは違い、ここに登場するのは明らかに徳南晴一郎 の『怪談人間時計』世界だろう。
話自体はよくある怪談で、不遇のまま死んだ漫画家(沼波恭一)が遺した『血で描く』という文字通り己の血を混ぜたインクで描き上げた作品の呪いに、翻弄される人間たちを描いている。そして、物語の最終部分では、ついに登場人物自らが、マンガ本の世界の中に入り込み、そこに神として君臨する作者沼波恭一と対決することになる。その部分は河井克夫が描く、徳南晴一郎風のマンガとして提示される。
唐沢俊一は弟なをきと「唐沢商会」名義でいくつか作品を発表しているし、妻であるソルボンヌ・K子のレディス・コミックの原作も担当している。だから、マンガの部分は自家薬籠中のものなのだろうが、小説世界そのものも、どう読んでも「マンガ原作」以上のもの足り得ていない。これなら、いっそ小説ではなく、“ちゃんとした”マンガ家と組んで、貸本風怪奇マンガと発表した方がよかったのではないか。ベテランの作家が、手慰みとして試みるようなコラボレーションに頼ったために、マンガ原作の雰囲気が強調されてしまい、どうしてもこうした印象は拭いきれない。
ストーリーは至ってチープ。どうだ怖いだろうというコケ脅しは、素直すぎて、ホラーとは程遠いものになっているが、これとて「貸本マンガ」のティストだと言われれば、それは否定できない。ただ、本当にホラー小説を書くつもりなら、こうしたマンガ的分かり易さを払拭すべきだろう。『血で描く』ではなくて、例えば『幸せへの招待』といったタイトルの、心温まる家族愛を描いたマンガが、実は呪われている。そういう恐怖の方がはるかに効果的だということを考えてもいいのでは。これからも作家を続けるつもりなら。
『血で描く』唐沢俊一・河井克夫 メディアファクトリー 2008
アマゾンの梗概、ちょっと違ってませんか?
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唐沢俊一検証blogを読んでいて、久しぶりに怒りがこみ上げてきた。
唐沢俊一が己の日記で、赤塚不二夫の死を語っているのだが、上記の検証blogが指摘するように、これが近来稀に見る酷い文章なのだ。
赤塚のようには人生を結局投げられない常識人・森田一義の、最後の感謝の気持があの文章。
ここは素直に感動して受け取りたい。
なんでも上から目線で書かなければ気がすまない馬鹿の文章だが、許しがたいのは「赤塚のようには人生を結局投げられない」という言葉だ。赤塚不二夫は自暴自棄になって人生を投げて死んだのか? 断じてそうではない。常識の枠組みからはみ出してはいたけど、自分の人生を思い切り生きてきた人だと思う(今、こう書いているだけで、不覚にも泣いてしまった)。
なんという、無礼極まりない文章だろう。
盗作事件を起こしながら、被害者との交渉を自ら決裂させて、ヒーローを気取りながら、一方では
読者の皆様、また『新・UFO入門』に好意を寄せたメッセージをお送りいただいた多くの皆様には、今回の件で多大な心配とご迷惑をおかけいたしました。心よりお詫び申し上げると共に、向後、このような事態のおこらぬよう、厳しく自分をいましめて今後の活動にあたるつもりです。よろしくお願い申し上げます。
2007年8月1日 唐沢俊一
などと殊勝なことを書きながら、その年の11月にはまたしてもネットからパクっている。
http://slashdot.jp/~yasuoka/journal/446450
こういう生き方を「人生を投げる」というのではないか。亡き手塚治虫を貶め、今またこうして赤塚不二夫に暴言を吐く。こんな馬鹿が「大阪のSF大会の橋下知事弾劾トーク(いや、ちょっと違う)に出席」するらしい。わたしもSF大会には出席するので、この件については是非問い質したいと思う。なんでこんな馬鹿にマンガを語らせるのか、主催者にも訊いてみたいところだ。
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こういうのをバカミスっていうの?
はてさて、奇想といえば門前典之、創元の文庫はずっとお預けという状況で、原書房からの書下ろしである。しかも蜘蛛手が活躍するらしい、どんな物凄い物語が展開するかと、期待はいやがうえにも盛り上がるのだが…。
(以下ネタばれ ↓)
バックミンスター・フラーの構造物が出ようが、トラウマになりそうな手足切断の挿話があろうが、それはそれでいいのです。しかし、冒頭で「髑髏教会」という言葉を出すのは、そりゃないんじゃないだろうか。「髑髏教会」で「浮遊封館」じゃあ、それで90%ネタバラシだと私は思うのだが。「雪の密室」みたいな物理トリックにはなから興味のない私は、ずっとネタのばれているストーリーを、後から愚直になぞっていくのには耐えられなくなる。筆が滑ったのか、露骨な伏線だが、ばれないと思ったのか。少なくとも私にとっては、マンマのネタばらしとしか読めなかった。だって、それ以外に考えられます?
(ネタばれここまで ↑)
なんで、こんなに無防備な小説にしたのかしら?
『浮遊封館』 門前典之 原書房 2008
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デヴューからずっと知っていた。
だから、俺にとっては、最初の等身大の漫画家だった。
大人になってからの、マンガ作家としてどうとか、そういったレベルでは語りたくない。
小学生のとき小学館のグループインタヴューを受けた。そのとき手渡された少年サンデーに、赤塚不二夫の『インスタント君』という、滅茶苦茶に面白いマンガが載っていた。「この『インスタント君』というマンガ面白いから、もっと読みたいです」と発言した。まもなく「少年サンデー」に『おそ松くん』が連載された。これは俺の力なんだと本気で思った餓鬼(小6)であった。
死ぬほど笑った。呼吸困難になるほど。そういう漫画家だ。後にも先にも、ね。
天才だった、と思う。
ミステリ作家としても、思い切り影響された。
破天荒というと、インチキな作家とか落語家と混ざっちまうので、そんな陳腐な言葉は使わない。
凄かったよ! あんたは。
あんたの何分の一でもいいから、滅茶苦茶やりたい。
いや、やるよ。やらなくちゃ。
以上。
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五十余年の人生、初めての経験です。
これは、参った。面白いミステリを読みたいというのは人生の夢だし、そんなものに出会えたときは素敵な瞬間だと思っておりました。
生意気にも、ここで「やられました!」とか「素晴らしい!」なんて書いたりしていましたが、なに、「でも、俺だってこんなもの書けるぜ」という想いがあったんですよ。はい。況や「わたしには絶対に書けない」なんて書いた場合は、はなから「こんなもの頼まれたって書く気はないぜ」という気持ちの発露だったんであります。
で。
道尾秀介『カラスの親指』であります。
御免なさい。
これは、わたしが書きたいと思っていた世界を、ストライクゾーンで抉っちまった小説です。いや、本気で筆を折ろうと思いましたぜ(思い直しましたが)。
こんな素敵なコンゲーム。でもじわじわ聞こえてくる通奏低音は『ラットマン』に共通していて、どうせああいった話だろうと思っていたら、まあ、なんて素敵なコンゲームだったんでしょうか。
凄いなあ。
これから、誰もが言うだろうから、先に言っちまおう。時系列をちょっと遡って終る、このラストシーン。だから、ぐっと余韻が深まるんですね。
ミステリとしても小説としても超一流。
悔しいが、わたしの才能では到底届かないものです。
『カラスの親指』 道尾秀介 講談社 2008
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ついに出ました。
わたくしの東京居酒屋の師匠藤原法仁さんの、居酒屋本(共著)であります。
達人級の皆様の共作でありますから、東京の居酒屋を網羅すること凡百の
類書の到底及ぶところでないと断言します。
呑屋に入りいい気分で出てきておいて「値段 70点 味 65点 雰囲気70点」なんて偉そうに書いてある本なんぞを読むとはり倒してやりたくなりますが、この書はその気分のいい酔いが持続するような、そんな素敵な肌合いの本なのであります。
以前紹介した「伊勢籐」のような店から、会話もままならぬくらいの喧騒に包まれる店まで、本当に東京の居酒屋の世界は奥が深いなあと、しみじみ思いました。
この本を片手に今宵出撃するあなた。あなたは幸せ者だ。
『東京 名店居酒屋三昧』 石原誠一郎、小関敦之、浜田信郎、藤原法仁
東京書籍 2008
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唐沢俊一がまたいい加減なガセを垂れ流して、京都大学の安岡先生にしかられている。『pronto pronto?』Vol.6のガセネタ
ここでのテーマは「アメリカの私立探偵のライセンス」なんだが、唐沢はフィリップ・マーロウの「タフでなければ生きていけない。優しくなければ生きている資格がない」という台詞を引用している。
この名台詞に「タフ」という訳語を最初に使ったのは、生島次郎だったと言われている。角川映画の「男はタフでなければ生きられない。やさしくなければ生きている資格はない」が最初という説もあるが、最初この広告コピーを目をしたときに、「なんで『男は―』なんて言葉がプラスされたのだろう」という違和感はあったのに、「タフ」には抵抗なかった記憶があるから、それ以前に耳に親しんでいたはずなのだ。
角川のコピーに対しては、丸谷才一が「角川映画とチャンドラーの奇妙な関係」(週刊朝日, 1978年10月20日号)の中で
「やさしくなければ」と角川映画的に訳したのでは、「ハード」から「ジェントル」への時に応じての変化という一番大事なものが落ちてしまふ。
と、クレームを付けているが、それよりなにより、わたしが最初に引っ掛った「男は」という言葉に言及していただきたかった。原文は―
If I wasn't hard, I wouldn't be alive.
If I couldn't ever be gentle, I wouldn't deserve to be alive.
で、これは作中(『プレイバック』)の
「あなたのようにしっかりした男がどうしてそんなにやさしくなれるの?」と、彼女は信じられないように訊ねた。
に対する答えなんだから、当然「男は」ではなくて「わたしは」なんである(角川のコピーはそれを3人称にしただけではないかと思われるかも知れないが、そもそもこの台詞は「男はかくあるべし」などという、偉そうなものじゃないのだ)。だから。
「タフでなけりゃ生きていけない、でも優しくなれなかったら生きていく資格もないからだよ(だから優しくなろうとしているんだよ)」ってニュアンスなのだ。唐沢は雑学王を自認し、翻訳本も上梓しているのだから、機械的に「誤訳」を引用せずに、まずここを語ってもらいたかったな。最初から知りもしない上に、調べる気もない「私立探偵のライセンス」なんてテーマじゃなくてさ。