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四か月ぶりに訪れた感想

 投稿者:Pas  投稿日:2009年 8月17日(月)03時33分55秒
返信・引用 編集済
  8月9日の「ノムさんの時事短評」を読んで、フルダ関連の情報をノムさんにお伝えしたいと思い立ち、
ここに来ればと思って、久しぶりにイエスの惑星BBSを訪ねてみましたが......。

正直言って、イオタ・ローさんの感想に一番親近感を持ちました。

私がここに書き込むようになったのは多分、昨年の一月だったと思いますが、今よりずっと閑散としていました。
「イエスの惑星に閑古鳥が鳴くようになって久しい。皆さんどんな内容でもいいから、投稿してください」
という彦左衛門さんの投稿があり(笑)、しかもそれに一か月以上誰からの反応もない(笑)。そんな場所でした。
月に何回か、彦左衛門さんの投稿があり、他の人の投稿は、なし。それが次の月も続く。
つまりその間、実質的な利用者は、彦左衛門さんただ一人だったわけです(笑)。
(私が書き込み始めた時期が、一番人がいなかった頃かもしれませんが)
今のギスギスした、殺伐とした雰囲気のイエスの惑星BBSしか知らない方々は、とても信じられないでしょうけど......。

私の前からいたのは、彦左衛門さんにノムさん、吉祥寺五右衛門さん、おとっつぁんさん、サボテンさんもかな?
あっ、頬白親父さんもか。ニュートラル親父さんという方も。
今からは想像もできないくらい、まったりしていました。気心を知る人たち同士のやり取りという感じで。
(そういえば、常連組の顔触れもずいぶんと様変わりしましたね)

ひょっとしたら今のような雰囲気になってしまったのは、昨年一月ここに私が来てしまったのが遠因かもしれない。
そのことが夢之介さんに大変申し訳なく、夜中にキーボードを叩きました。

イオタ・ローさんとのやり取りで、彦左衛門様のご健在ぶりを知り、嬉しく思いました。
(昔からの彦左衛門さんを知らない新しい方々は、たぶん相当誤解されていると思いますが)

......それでは皆さん、さようなら。
 

ヨゼフ・ジェンマさんへ

 投稿者:サボテン  投稿日:2009年 8月17日(月)00時56分42秒
返信・引用 編集済
   ネット上の人間関係は、スクリーンに打ち出された文字(文章)のやり取りが中心になるので、注意が必要ですね。面と向かっての対話やおしゃべりなら、相手の表情や態度が見えるので、冗談で言っているな、本気だな、と分かることが、掲示板では見えにくいですからね。


 maggieさんは、J.G.さんに対して、非常に友好的に接して来られたではないですか。
 「聖母マリアの花園」においても、「Rickさんのブログ」においても…。
 J.G.さんは、人との距離の取り方が、あまり上手ではないのではないかな…?
 「ヤマアラシ(ハリネズミ)のジレンマ」という、アレです。
 いや、人間関係なんて、たかが人間関係で、一人一人が神様との関係がしっかりできていれば、自然に横のつながりも成立するものかもしれませんが…。
 少し肩の力を抜いて、まあ、笑いながら、maggieさんの文章を読んでいただけないでしょうか?
 人間は不完全なので、相手に完ぺきさを求めるのは、私などははるか昔にあきらめています。
 小さい時はともかく、自分の息子でさえ最近は私に堂々と意見を言ってきます。私の望むように動いてくれる人間は、そうめったにいるものではないです。


 【掲示板の管理人さんに対するJ.G.さんの要望について】

 管理人さんは、働き盛りで、インターネットの掲示板の管理に時間などとれない可能性もあります。うちの同居人を見ていても、40代、50代、いくつになっても仕事は忙しく、地域での役割…etc.男の人は大変です。管理人さんには、掲示板という場所を提供されただけで十分感謝で、私はそれ以上は望みません。
 J.G.さんの望まれる“議長のような役割”は、忙しくて、あるいは疲労で、あるいは書き込んだ方の文章が難解で、あるいはその精神世界が理解できなくて、無理な場合もあると思います。仕方がないです。それで十分だと私は思います。
 

Re: 良い掲示板に…

 投稿者:ヨゼフ・ジェンマ  投稿日:2009年 8月17日(月)00時18分4秒
返信・引用 編集済
  使徒ヨハネさん。

> 使徒たちは、イエズス様に『使徒の中で誰が一番か?』と聞いた事がありますよね。
> この掲示板がそのような感じになりつつある事は見ていて残念です。

その通りだよ、使徒ヨハネさん。
その問題が私達に常にある。

というか・・使徒ヨハネさんの目には、私の事も入っているのか?
もしかして、筆頭?(笑)

私としては、正しいことは正しいと言ってもらいたいだけなんだけどね。
真実に直〔なお〕くなって欲しいだけだ。

「言葉のやり合い」については、「お互い様」のところもある訳だ。
だったら、私としては「個人攻撃はいけません」なんて言って欲しくないんだ。
「意見の交換はいいけど論争はいけません」なんて言って欲しくないんだ。
非現実的だからね。現実と乖離した言葉の置き方だ。
現に、私達にはそれ(争い)は「避けられない」んだから。「やっちまう」んだから。
それが「現実」だし、また、見方によっては、
それ全体を「ある程度は」ポジティブに捉えることも出来るのかも知れない。

> この掲示板がある種の信者たちの憩いの場になったらいいな
> という期待が私にはあります。

そうだね。
でも、思いっきし究極的なことを言えば、それは私達一人ひとりが
天国的な人間になるまでは「不可能」なんだと思う。
「不可能なんだから」といって拍車をかける必要もない訳だけれどね。

キリスト教はね・・・偽善になりやすいんだよ。。
本当は天国的な人間なんかではないくせに、何か、そんなふうな顔をしたがるのさ。
「自己像」が大事なんだね。(最初の話題と関連する)

ある程度「人生」を知った人は別だけれどね。

----------

パボさん、ご免よ。私、まだ書いてるね。
けれど、徐々に消えるから。
「要件」が満たされなくても、実は、徐々に消えるつもりではいるからね。

http://gokyo.ganriki.net/index.html

 

良い掲示板に…

 投稿者:使徒ヨハネ  投稿日:2009年 8月16日(日)22時10分59秒
返信・引用
  私は、この掲示板が良い掲示板になる事をいつも願っています。前にも書かせて頂きましたが、私は見させて頂くだけで、皆さんと議論する力がありません。それだけの知識を持っていないからです。でも、カトリック信者としては皆さんと同等だと思っています。
神様は、いろいろな計画を持って私達をお召しになられました。使徒たちは、イエズス様に『使徒の中で誰が一番か?』と聞いた事がありますよね。この掲示板がそのような感じになりつつある事は見ていて残念です。何が正しいかも大変大切ですが、この掲示板がある種の信者たちの憩いの場になったらいいなという期待が私にはあります。この掲示板はいろいろな方が見ていると思います。カトリックがどのようなものか、カトリックを知らない人が訪れた時、興味をもってもらえるような掲示板になっていったらいいなぁと願っています。
夢之介さんはどういう掲示板にされたいのかはわかりませんけど、主を頭の中心に置いて投稿して頂きたいと願う自分です。
 

異邦人ヨハネさんへ

 投稿者:ヨゼフ・ジェンマ  投稿日:2009年 8月16日(日)21時39分17秒
返信・引用
  はい、全然悪くなど思いません。
むしろ、「ありがとうございます」と感じています。

ありがとうございます。

さて・・・少しPCから離れます(笑)

http://gokyo.ganriki.net/index.html

 

Re: 夢之介さん(そして、皆さん)

 投稿者:異邦人ヨハネ  投稿日:2009年 8月16日(日)21時16分28秒
返信・引用
  ヨゼフ・ジェンマさん

すごいパワーですね。
感心します。

でも、言葉は人の心に受け止められないと、虚しく響くだけです。
正しいかどうか、間違っていないかどうかも大切ですが、
その言葉を読んだ人たちがどう感じるかも大切です。
そのあたりをもう少し考えて書き込んでいただけると、
実りの多い議論になるのではないでしょうか。

彦左衛門さんほどではありませんが、私もおじさんなので、
これくらいのことは言っても悪く思わないでください。
 

夢之介さん(そして、皆さん)

 投稿者:ヨゼフ・ジェンマ  投稿日:2009年 8月16日(日)20時55分12秒
返信・引用 編集済
  夢之介さん。

連続の大量書き込みを申し訳なく思います。
あなたは、いつでも、私の書き込みを削除できます。
ボタンを一つ押すだけです。

しかしながら、出来得れば、削除しないで下さい。
そして、もし私に、人として、またカトリック信者として
間違った事があれば、指摘して下さい。
夢之介さんだけではなく、どなたでも結構です。

私は、人から指摘され、自分に過ちがあると分かれば、
それを素直に認め、皆さんの前で謝罪する人間です。

(おそらく、maggieさんより100倍素直に。)

http://gokyo.ganriki.net/index.html

 

悪気さえなければどんな書き方をしてもいいのだろうか?

 投稿者:ヨゼフ・ジェンマ  投稿日:2009年 8月16日(日)20時08分0秒
返信・引用 編集済
  夢之介さん。

私のこの書き込みは、あなたに、私の書き込みを削除したり、
私を出入り禁止にしたりするための、世間に受け入れられ易い「理由」を
与えるかも知れない。

しかし、まず、これは「事実」である。
maggieさんが、事実、書いたことである。

「公平」のために「全文」を引用する。
私も「全体」を見ている。決して「一部」のみを見ているのではない。
「それにしても」である。

みんなにも考えて欲しい。感じて欲しい。

ご年輩の方におかれましては、この事態を、笑って見て欲しい(笑)
(私も「若い」のです。)

本来maggieさんのところか、自分のところに書くべきだが、
申し訳ない、ここをお借りする。
(maggieさんはここの常連でもあることだし。)

(赤大文字は私による強調。白字は私による付加。)



***************************

パボさんへ
投稿者:maggie  投稿日:2009年 8月14日(金)16時00分0秒 返信・引用

どうして、そんなにヨゼフ・ジェンマ君を追及するのでしょうか?

確かに、ヨゼフ・ジェンマ君は一時(一時?)、ピオ10世会に傾倒して、
他からの忠告にも耳を貸しませんでした。
でも、今は少し変わってきているようですよ。
まぁ、あの気味の悪いHPはそのままですし(ご本人は変わっていると主張されますが)、
(私は確かに自分のHPのレイアウト等を確かに変えたが、自分のHPの「気味の悪さ」を認め、
それを「変えた」のだと、少しは「良くなった」のだと、maggieさんに「主張」したことはない.. 笑)

あの攻撃的な性格(maggieさんの主観である。また、多数決で決める事でもない)は・・・
人の性格ってそんなに簡単に変わるものではないと思います。

洗礼を受けてすぐに聖体拝領で躓いて、普通の人ならそこで教会から離れてしまうのでしょうが、
彼は聖座に訴えて、聖座の慈父的配慮によって望むとおりに拝領ができるようになりました。
ゆえに、彼は聖座には相応しい敬意を持つべきなのですが
(このへんの捉え方はかなり主観にかかっているものだという気づきがmaggieさんにはない)
環境が整わないのか・・・やたらと迷走・暴走(説明なしに「感じたまま」を言う)を繰り返します。

彼には、あのHPは恐怖(ホラー)映画のようだから見られないと言っていますが、
一応、少し開いたことはあります。
あなたのご指摘のパウロ6世の偽者というところで、馬鹿らしくなって
(これは仕方がない。しかし、私なら、このような言い方はしない)読むのをやめました。

彼は、実にあちこちのサイトからキワモノの記事を探し出してきて人心を惑わすのがお上手ですし、
行動力も目を見張るものがあります。(神からのタレントの浪費?)
でも、本当はそんなのに惑わされない確かな信仰が必要とされているんでしょうけど。

人間は人とのかかわりの中で成長するものです。そして信仰もそうだと思います。
神と自分だけではなく、神と自分、そして隣人との関わりの中で信仰も成熟していくと思っています。
(ご立派。ご自分は成熟しているつもりらしい。)

こういうことを書くと、ヨゼフ・ジェンマ君は怒るかもしれませんが、彼は信仰生活のスタート時点で躓き、
信仰の友や共同体に囲まれることなく一人で奮闘してきたのでは?と思えるのです。

私自身、彼にはよく追及されたり、冷たい言葉も幾たびもかけられていますが、
でも、彼が本来のカトリックの信仰に戻ってくるために、
この場は彼に開放しておきたいと思います。
(上のように言っておいて、いい気なものだと思う。とんだ「慈母気取り」なのではあるまいか?)

彼も、神の家族です。あたたかな目で見てあげてください。
(ご立派。)

おかしいところはおかしい!というのは大切ですから、ご指摘もどうぞなさってください。
でも、愛をもって行ってください。
(ご立派。)

http://9222.teacup.com/immacolata/bbs/163

***************************



「『一方的な個人攻撃』はダメです。
    それがあった場合、アタシの判断によって削除します」


と掲示板の冒頭で宣うている当人が、
ある者のことを「あたたかな目」で見ながら、
しかし、上のような表現をヘーキでするわけである。

サイテーだと思う。

こういう書き方を眺めていると、
「結局、この管理人の掲示板では、悪気さえなければどんな書き方をしても良い、
感じたままをそのまま書けばいいのだな」と思えて来る。

ご自分の善意を疑っていないから、余計に始末が悪い。
「慈母気取りの、準指導者気取りの上から目線」は、
カトリックの女にまま見られる病状である。

http://gokyo.ganriki.net/index.html

 

ついでに書かして下さい(概観)

 投稿者:ヨゼフ・ジェンマ  投稿日:2009年 8月16日(日)16時59分43秒
返信・引用 編集済
  前件のついでに書かして頂きたい。
これが、何事もない限り、
即ち、私の退場のための「要件」(後で書きます)が満たされる限り、
私の最後の書き込みです。

よく読んで下さい。

いつもの如く、否、いつもを超えて、押し付けがましいけれど。
以下、ここに居る皆さんが確かに考えなければならない事だと、私は思います。
ご年輩の方には、ある程度、ご理解頂けることと信じます。
(年齢は、ある種の宝です。笑)


★ 私が管理人さんである夢之介さんに願ったのは、次のような事でした ★

(これは、夢之介さんに対する「非難」ではありません。
しかし、とにかく「考えて」下さい。頭が痛くなっても。)

夢之介さんは、私とパボさんが少しだけ言葉を交わした直後、
「(あなたがたのそれは)議論の枠を超えているから
どうか相互同士、メールのやり取りか何かでお話ください。
利用者の方からの苦情をいただきました」という言い方をなさいました。
http://6019.teacup.com/sdyosefu/bbs/3712

これは、実質的には、「議論の枠を超えているから」という
表面の理由づけを少し超えたところのもの、すなわち、
「苦情」なるものを投じた者とそれを受けた管理人さんによる
私達二人への「退場勧告」だったわけですが(笑)
-------どうか、癖のあるモノの言い方をお許し下さい-------
そこを敢えて「議論の枠を超えている」という言葉に即せば、
私は、以下のようなことを管理人さんに希望しました。

*****

「議論の枠を超えている」

これは、私が思うに、次のようなことだろうと思います。
ある人が、ある事柄、ある人について何事かを言ったとします。
しかし、それはもともとの性質上、その真偽が見極め難いものであったり、
発言者の憶測や個人的な感じ方に依るところがあまりに多いものであったり、
また、真偽を調べようと思えば調べられるが、
そのためには今ここ(掲示板)で行なわれていることから離れて、
別の場所で多くの時間と労力をかけねばならないことであったりする時に、
言われるべきことだろうと思います。(「議論の枠を超えている」と。)
そして、私も、それは確かにそうだろうと思います。

しかしながら一方、私は、全てが全て「議論」のステージに
乗ることばかりでなくてもいいだろう、とも思っています。
「議論」のステージにまともに乗せられるものではなくても、
ある人が、ある人や、ある組織や、ある事柄に関して、
漠然とでも「これは警戒すべきではないか」と思った時、
良心から皆に向かってそれを発信することは許される筈です。
たとえば、「聖母マリアの花園」で私が「チャンネル桜」について
皆に若干の注意を促したようにです。
http://9222.teacup.com/immacolata/bbs/133

そこでは、それに対して「おつるさん」が、
「そんなことはないですよ」と私に反論しました。
http://9222.teacup.com/immacolata/bbs/142

しかし、私は、初めの自分の文章が「推定的」なものであると
弁えていましたので、つまり、それが十分に「議論のステージ」に
乗るものではないと弁えていましたので、
「おつるさん」とのそれ以上のやり取りは控えました。

それでいいと思うのです。
つまり、その程度の弁えがあれば、時に「推定的」なこと、
十分には「議論」の板に乗らないことも許されはする、と思うのです。

ですから、翻って考えれば、パボさんが一度や二度、
私のサイトや私の考えについて皆さんに警告を発することぐらいは、
私は「あって良い」と思っています。

(否、パボさんにとっては、問題は「推定的」なものではないでしょう。
しかし、要するに、私がここで言いたいのは、私も私自身、
私のサイトに対するパボさんの発言権を基本的に「認める」ということです。
何処に於てであろうと。)

しかしながら、私の考えでは、あくまで私の考えでは(限定)、
パボさんは何度も何度もそのようなことを繰り返すべきではありません。
一度か二度、皆に向かって注意を発して、
それが皆の心に入ったと思えば、それで一旦は手を引くべきです。
つまり、そこで、それこそ「個々の判断」に任せるべきなのです。

パボさんのそのような警戒警報を耳にして、
私のことを調べたいと思った人は、調べに行くでしょう。
その場においては、それで良いことです。(私の考えでは。)

ですから、私は、夢之介さんには、いわば「現場主義」
お願いしたいと思いました。
当面「イエスの惑星」のその場でなされた発言だけを問題にする
これを「原則」にして頂きたいと思いました。
それがこの掲示板における「秩序」である筈です。(私の考えでは。)

(私は何度でも「私の考えでは」と付け加えさせて頂きます。)

今、ある特定の主題について、私が何かを主張したとします。
あるいは、私や他の人達がある特定の主題で議論をしているとします。
そこに、別の人が入って来て、
「しかし、ヨゼフ・ジェンマは通常から基本的にこのような考え、
あのような考えを持っている者です。
だから、どんな主題においてであれ、カトリック信者は
このような者と話を交わすべきではありません」
と言ったとします。
それまで、その場で私がどのように確定的に問題ある発言を
していなくてもです


私は、そのような時、裁判所の光景ではないけれど(笑)、議長に、
「それは本件とは関係がありません」と言ってもらいたかったのです。
そのようにして議論の「場の秩序」を保護して欲しかったのです。

*****

たとえば、夢之介さんにこう言って欲しかったのです。

「パボさんがヨゼフ・ジェンマ氏について皆に警戒を促したい気持は、
既によく分かりました。
それは既に、ここを見ている皆さんに十分に伝わったことでしょう。
そして、ヨゼフ・ジェンマ氏について調べたい人は、
各自めいめい、彼のサイトに調べに行くことでしょう。
ですから、ここは、これで一旦は良しとして下さい。

この『イエスの惑星』の場においては、ヨゼフ・ジェンマ氏は
まだそれほどは問題となる発言をされていません。
最近の二、三の発言にしても、カトリック信者としては
それほど確定的に問題となるようなことを言っているとは思えません。

皆さんには、この掲示板に乗った主題に沿った議論の進め方を
心掛けて欲しいと思います。
議論のスレッド(糸)を大事にして下さい。
『あのこと』と『このこと』を混ぜて語って、
当面焦点が当てられている主題の中に別の主題を引っぱって来て
議論に不効率な混乱を作るようなことは控えて下さい。

ここは確かに『カトリック信仰』のための場です。
しかし同時に『議論』のための場でもあるのです。」

実際には、なかなか難しいことでしょう。
しかし、私はそう望みました。
「そのような視点があっても良いのに」と思いました。

*****

以上が、ここ「イエスの惑星」における、
ヨゼフ・ジェンマの遺言のようなものです(笑)

ただ、私の退場は、maggieさんが
ご自分の書き込み http://6019.teacup.com/sdyosefu/bbs/3733 を
削除することを要件とします。
耳をかっぽじって聞いて頂きたいのですが、私は、
maggieさんがその「説」を否定したことが「不愉快」で
このようなことを言っているのでは「ない」のです。
前回書きましたように、彼女が「ものの弁え」を知らないからです。
私はいわゆる「幕引き」をしたのです。
この件全体を「引き上げる」ことに同意したのです。
しかし、maggieさんにはこの事が分かりません。
「女の浅○○」ということで済ますべきなのかも知れませんが、
私はどうも子供っぽいようで、それが出来ません。

maggieさん、私が退場した理由を、よくよく鑑みて下さい。
私は「市民的な判断」から「幕引き」をしたのです。
そのへんの「理(ことわり)」を理解して下さい。
私という人間がある種の事柄において極度に「しつこい」ことは
私自身も認めます。しかし、どうか、そこに「異常」というレッテルを
貼って済ますのでなく(maggieさんがしばしばやるように)、
是非「内容」を見、ご自分を見、そして「考えて」下さい。

そして、困っても、「被害者」「虚弱者」にならないで下さい。


★ そして、今後、誰によってであろうと、
 私のサイト、あるいは私の主張に直接的な批判があった場合、
 私は、自分を、この場に来て反論する権利がある者とみなします。
 これは、むしろ常識的なことです。
 この表明は「敵意」から来たものではなく、このような事を断わらないと
 このような事を「分からない」人もここには多いのではないかという、
 私の「懸念」から来たものです。

http://gokyo.ganriki.net/index.html

 

亀レスすみません

 投稿者:イオタ・ロー  投稿日:2009年 8月16日(日)16時52分12秒
返信・引用
  >>彦左衛門さん

「意見の対立は人間的対立ではない。」
このことは肝に銘じておきます。
ご忠告ありがとうございました。

>>Pasさん

「カトリックの教え」と「キリストの生涯」のサイトをご紹介下さり、ありがとうございました。
早速、閲覧して勉強してみます。
 

イオタ・ロー さん

 投稿者:Pas  投稿日:2009年 8月16日(日)14時59分15秒
返信・引用
  カトリックの教え
http://www.tomoshibi.or.jp/tv/hyatt.html

キリストの生涯
http://www.tomoshibi.or.jp/christ/index.html

ハヤット神父様が遺してくださった日本のカトリック信者への贈り物です。毎日毎日少しずつ勉強してください。
私もそうしています。

http://www.tomoshibi.or.jp/radio/writer/hyatt.html
 

maggieさんへ

 投稿者:ヨゼフ・ジェンマ  投稿日:2009年 8月16日(日)14時56分58秒
返信・引用 編集済
  > No.3733[元記事へ]

一時的な前言撤回をご容赦願いたい。

maggieさん、あなたは、私の今回の退場の奥には「暗黙的なルール」が
存在するであろうということを、普通の事として「分かる」ことが出来ないようだ。

パボさんの目的は、この場所で「教皇パウロ六世替え玉説」を論じ合う事ではなかった。
パボさんの意図は、私をここから排除する事だったのである。
そして、私は、カトリック信者たちが一般にそれに極めて強い抵抗・反感を
持つことは勿論分かり、理解できることであったから、自分の行動に一定の線を引き、
今回ここでは退場することにしたのである。

〔場の不適当〕私としては、その「説」については、昔も自分の掲示板で
人々とさんざやり合った事であるし、それに関しては実は多くの人が思って
いるよりも単純でない要素があり、論ずるとそう簡単には済まないから、
この場所で扱うには適当ではないと思っていた。
この場所には、それに関心のある人は居ないであろうし、
それに敢えて「検討」を加えようとする人も居ないだろうからである。
明らかにそれに関心のないだろう人々が集っている場所の真ん中に
誰かが突っ立ち、それを論じ、論じ続けるのは、一般に「迷惑な話」である。

〔秩序の保全〕私が私のサイトでそれを表示している限り、
私がここで「カトリック信仰」について語ることを断じて認めまい
とする人が存在した。その人は、私がここを出て行くまで諦めないようであった。
私は、その人がここに居る限り、自分も落ちつかないであろうし、
また、この場所にあるべき一定の秩序も戻らないだろうと判断した。

だから、退場することに同意したのである。
私のこの選択は、その「説」なるものそのものに関して行なわれた
ものではない。(当り前のことだが。)
カトリック信仰とも、皆さんが「説」と呼ぶところのそれとも関係のない、
私の「人」としての判断からのみ来たものだったのである。
言ってみれば、一つの「市民的判断」だったのである。

「市民的判断力」は、ここにおける一つの「暗黙的なルール」を
認識するであろう。私がパボさんの希望に応じたのが以上のような文脈から
であったことを考えれば(これは通常の頭脳と人の心が分かる能力の前には、
本来「説明」を要しないことであろう)、私がそれに応じ退場した限りは、
相手が去ったその後はそれそのもの(その「説」なるもの)には触れない
というのが「暗黙的なルール」であろう。

自分の過失を「素直に認める」ことが超苦手であるmaggieさんだが、
願わくは、然るべく「理解」した後、ご行動を訂正されたい。

以上。

http://gokyo.ganriki.net/index.html

 

ムリーリョ

 投稿者:Pas  投稿日:2009年 8月16日(日)14時06分30秒
返信・引用 編集済
  小鳥のいる聖家族 http://www.abcgallery.com/M/murillo/murillo1.html
         http://www.salvastyle.com/menu_baroque/murillo_pajarito.html
キリストの洗礼 http://www.abcgallery.com/M/murillo/murillo8.html
雲の中の聖母 http://www.abcgallery.com/M/murillo/murillo41.html
受胎告知 http://www.arthermitage.org/Bartolome-Esteban-Murillo/Annunciation.html
聖母の幼年時代 http://www.abcgallery.com/M/murillo/murillo42.html
聖ヨゼフと幼子キリスト http://www.abcgallery.com/M/murillo/murillo49.html
ナプキンの聖母 http://www.abcgallery.com/M/murillo/murillo50.html
ポルツィウンクラにおける聖フランシスコの幻視 http://www.abcgallery.com/M/murillo/murillo5.html
聖母と幼子 http://www.abcgallery.com/M/murillo/murillo23.html
聖家族 http://www.arthermitage.org/Bartolome-Esteban-Murillo/Holy-Family.html
いばらの冠に傷つく幼子キリスト http://www.arthermitage.org/Bartolome-Esteban-Murillo/Infant-Christ-Pricked-with-the-Crown-of-Thorns.html
キリストと洗礼者聖ヨハネの幼年時代 http://www.arthermitage.org/Bartolome-Esteban-Murillo/Infant-Jesus-and-St-John.html
聖母の被昇天 http://www.arthermitage.org/Bartolome-Esteban-Murillo/Walpole-Immaculate-Conception.html
聖母と幼子 http://www.abcgallery.com/M/murillo/murillo24.html
磔刑 http://www.arthermitage.org/Bartolome-Esteban-Murillo/Crucifixion.html
無原罪の御宿り http://www.abcgallery.com/M/murillo/murillo6.html
        http://www.salvastyle.com/menu_baroque/murillo_immaculate_a.html(解説中の「無原罪の御宿り」の説明に誤りあり)
貝殻の子供たち http://www.abcgallery.com/M/murillo/murillo7.html(キリストと洗礼者ヨハネの幼年時代)
        http://www.salvastyle.com/menu_baroque/murillo_concha.html
ロザリオの聖母 http://www.abcgallery.com/M/murillo/murillo12.html
聖母と幼子 http://www.abcgallery.com/M/murillo/murillo13.html
幼子キリストを導く聖ヨゼフ http://www.arthermitage.org/Bartolome-Esteban-Murillo/St-Joseph-Leading-the-Christ-Child.html
パドヴァの聖アントニオの幻視 http://www.arthermitage.org/Bartolome-Esteban-Murillo/Vision-of-St-Antony-of-Padua.html
羊飼いの礼拝 http://www.arthermitage.org/Bartolome-Esteban-Murillo/Adoration-of-the-Shepherds.html
エジプトへの逃避途上の休息 http://www.arthermitage.org/Bartolome-Esteban-Murillo/Rest-on-the-Flight-into-Egypt.html
羊飼いの礼拝 http://www.salvastyle.com/menu_baroque/murillo_pastores.html
ロザリオの聖母 http://www.salvastyle.com/menu_baroque/murillo_rosario.html
善き牧者キリスト http://www.abcgallery.com/M/murillo/murillo2.html
無原罪の御宿り http://www.salvastyle.com/menu_baroque/murillo_immaculate_b.html
無原罪の御宿り http://www.salvastyle.com/menu_baroque/murillo_immaculate_c.html
無原罪の御宿り http://www.arthermitage.org/Bartolome-Esteban-Murillo/Esquilache-Immaculate-Conception.html
巡礼者にパンを配る幼子キリスト http://www.salvastyle.com/menu_baroque/murillo_pilgrims.html
聖三位一体と聖家族 http://www.salvastyle.com/menu_baroque/murillo_trinidad.html
 

(無題)

 投稿者:やよい  投稿日:2009年 8月16日(日)13時55分8秒
返信・引用
  この板を荒らすつもりは毛頭ありませんが、
もう少し 大人になりませんか?どんな社会にも光と影があるものです。
教皇庁も然りでしょう。
替え玉があったかどうか、それは各個人が
判断すべきことでしょう。

ただ今年 ピオ10世会の破門解除の件で
世界のカトリックが ある意味騒然となりました。
ご記憶だと思います。

それを連日伝えたHP RORATE C?LIがあります。
これは伝統的なカトリックについて
報道しているようですが、自発教令は発表と同時に
日本ではかなり早い時期に 読めたところです。

そこでは、今回 破門に対する社説が載っていました。下記の文です
A RORATE C?LI Editorial: Standing with Peter.
恥を知れ、協議会の精神からはなれた進歩的な公式書記たちよ!君たちは「すばらしい教皇ヨハネ」と言う記念碑を建てたが、彼が伝統的な教義と典礼の美において支持した全てを拒否しました。君たちはパウロ6世を歓呼を持って迎えたが、最も権限のある「フマネヴィテ」を無視することが出来、無視しました。そして世界中の見るところ、彼の信用を落とした。君たちはヨハネ・パウロ2世に彼の任期のあらゆる日々に対して中傷をしました。が、いま君たちは彼を褒め称える。というのも君たちは、君たちの新しい生け贄、神が彼にゆだねた信者に対する一致をもたらそうと、この世での最後の仕事として漁夫の重い重荷を引き受けた 一人の男、ベネデイクト16世を見つけたからです。と言う内容の記事があります。

この記事も信じる人は信じれば良いし、教皇庁の中で あり得ないと思う人は
そう思えばいいのです。因にヨハネ・パウロ1世の急死の謎を解いた
「バチカンミシテリー」なり本もあります。
 

吉祥寺の「森」?

 投稿者:パボ  投稿日:2009年 8月16日(日)12時27分46秒
返信・引用
  私は過去に吉祥寺近辺に住んだこともあるし、小学校の全児童数が18人という山の中に赴任したこともありますが、その経験からいうと、吉祥寺近辺の箱庭のような自然を「森」と表現できる感性にまず疑問ですね。彼は本物の森というものを知ることなく、スケールの小さな世界の中でしか生きてこなかったのではないでしょうか。井の中の蛙のような、偏狭なものの見方しかできない人のように思えます。さて、私もこの辺で失礼しますか。  

随想 吉祥寺の森から

 投稿者:AY  投稿日:2009年 8月16日(日)10時33分55秒
返信・引用
  プロテスタントのある信者の方のブログで、以下のご意見が披歴されていました。

2009年8月14日
靖国神社 クリスチャンの集団参拝
明日、64回目の終戦記念日である。8月15日は、戦没者追悼・平和祈念の日として多くの教会でも追悼の祈りが捧げられる。死者を弔うという古くからの慣習を持ってきた「お盆」の季節にも重なっており、さらにまた、カトリック教会ではこの日が母マリアの被昇天日にも当たっている。それゆえ、日本中のカトリック教会で明日、追悼と平和、被昇天の意味をこめたミサが捧げられるはずである。真夏の15日は日本にとって象徴的な日になった。

 明治維新の成立以降に日本という「お国」のために戦って死亡した兵士のことを「昭和殉難者」という。この殉難者を専門に祀っている市ヶ谷の靖国神社に毎年、この日、参拝するキリスト教徒の集まりがある。特に名前はないが、ほぼ全員がカトリック信徒を中心にした集まりで、横浜教会の野村勝美という老人が旗振り役になって毎年、靖国の敷地内で落ち合って神社に参拝している。写真のような旗が目印である。

 今年も明日、

 8月15日(土曜) 午前11時45分
 靖国神社・大村益次郎銅像下

 に集まって拝殿へ向かう。

 http://www.nomusan.com

 彼は、正義と平和協議会(正平協)が大嫌いでこれに対する反発から執筆、行動を旺盛に行っており、一部のカトリック信徒に名が知られている。

 靖国神社の戦争史に対する理解のあり方は横へ置くにしても、国家神道の神主が儀式を執り行い、宗教法人である靖国神社の拝殿で、御霊(みたま)に向かっての参拝をキリスト教の信徒が集団で為すという考えは理解できない。十戒に抵触しないわけがなく、信徒にとって「御霊(みたま)」とは聖霊(Holy Spirit)以外には存在しない。彼らはキリスト教そのものだけでなく、「カトリック」に限定してもその理解に初歩的な認識の誤りがあまりに多い。彼や彼らの行動、考えには賛成できない。

 ノムさんの時事短評
  http://www.nomusan.com/~essay/index-jubilus.html

 毎年参加している「頬白親父」のページ。埼玉県のカトリック信徒。
  http://blog.livedoor.jp/kasahara_7524/archives/cat_50037255.html

 おつる(兵庫県、カトリック女性信徒)
 http://blog.zaq.ne.jp/otsuru/daily/200808/17

http://blog.livedoor.jp/mediaterrace/

 

パボさんへ

 投稿者:maggie  投稿日:2009年 8月16日(日)05時43分39秒
返信・引用
  私は、自分の掲示板でも書いたように、教皇様替え玉説などもっての外だと思っています。

あの記事を読んだだけで、ごく普通の信者はひいてしまい、読むに値しないと思うでしょう。

そして、教皇様を敬愛している信者の心を酷く傷つけている行為です。
ピオ10世会やヨゼフ・ジェンマ君はヨハネ・パウロ2世に関しても散々な批判をしていますが、物事を写真で評価するようなことは適当ではなく、それはどういう動機からのものなのかを考えることが必要と思います。

そしてそれら多くの責任ある聖務に就かれておられる方々のため、聖霊の導きを祈ることこそ必要かと思います。

母なる教会は、神様のみ摂理の中にあり、いろんな現象を通して導かれているということ、母なる教会から離れてはならないということだけは確かです。

http://blogs.yahoo.co.jp/st_cuore

 

パボさん、降参!

 投稿者:ヨゼフ・ジェンマ  投稿日:2009年 8月16日(日)01時02分15秒
返信・引用 編集済
  (これはパボさんの最新の書き込みには関係ありません。)

わかったわかった、パボさん、私も相当にしつっこいが、
あなたのしつっこさには負けた! 降参だ!(笑)
あなたがいたら私の信仰生活も集中が妨げられるから、
私はこのへんでここから退場することにする。
誰からも「一笑に付される」だろうひたすらに「馬鹿馬鹿しい」ものが、
同時に「現代の日本のカトリック信者たちにとっては重大な脅威」
であるというのは理解に苦しむが、まあ、それはもういい。

最後に、「天邪鬼な」(by Rickさん.. 笑)癖のある表現を
得意とするヨゼフ・ジェンマらしく、多くの人にとっては
嫌であるだろう推薦資料を紹介して終わることにする。

・司祭達へのメッセージ「福音の生活に戻ることの奨励」
http://gokyo.ganriki.net/exorcism/garandieu1.html
(パボさん、「決して読んではいけません!」と頑張るように。)

・ビデオ「アンネリーゼ・ミシェルのエクソシズム」
http://www.youtube.com/watch?v=-oW-IhoxzyQ
(maggieさん、「オカルトです! 気持悪っ! ゲテモノ!
もっと美的なものにしてもらいたいものだワ」と宣うように。)

皆で、「なんて嫌な人なんだろう」「大変な人だったわね」
と少し言うように。(少しね。笑)

http://gokyo.ganriki.net/index.html

 

むしろ他の皆様に質問します

 投稿者:パボ  投稿日:2009年 8月16日(日)00時14分59秒
返信・引用
  カトリック的には、教皇替え玉説というのは「あり」ですか? 一笑に付されるのを覚悟で主日のごミサの後、ご自分の教会の神父様に質問する度胸のある人はおられますか。ヨゼフジェンマ氏以外の皆様への質問です。  

Re: 汝の敵を愛することが出来るか?

 投稿者:異邦人ヨハネ  投稿日:2009年 8月15日(土)23時58分9秒
返信・引用
  ただ今求道中のイオタ・ローさん

彦左衛門さんがアップされたこととダブルかもしれませんが、
「雰囲気が最悪」なのはなぜ?
というイオタ・ローさんが感じておられるであろう疑問について、少し書かせてください。

イオタ・ローさんご指摘のように、ここの掲示板には雰囲気がよくないという面があるかもしれません。
「どこそこの司教や司祭が気にくわない。」
「○×△神父なんて、大嫌い。」
といった趣旨の書き込みを読めば、そう思われるのも無理はないかもしれません。でも、それは個々の司教さんや神父さんを嫌ってのことではなく、その司教さん、神父さんの思想、発言、行動を問題にしてのことです。それはカトリックとしてふさわしいことだろうかと。大げさになるかもしれませんが、「罪を憎んで人を憎まず」の精神で議論していると理解していただけたらよいのではないでしょうか。

カトリックは、異端を奉ずる人たちと議論を重ねることで、カトリックの信仰を精緻なものにしてきました。当時はそれこそ、激しい議論が交わされたことでしょう。その激しい議論を経て、今のカトリックがあります。議論、特に激しい議論は、おだやかな人の目には悪と映ることがあるかもしれません。でも、論じ合われている事柄に目を向ければ、時には激しい議論が必要ということも理解していただけるのではないでしょうか。

ここでの議論には無縁のカトリックの方も多くいらっしゃるでしょうし、イオタ・ローさんが抱いておられるイメージに近い信者の方もおられると思います。ここの掲示板のイメージがカトリック全体を象徴しているわけではありません。「キリストの信仰に関する勉強をすること自体」は大きな恵みです。まず、知ることが必要ですから。イオタ・ローさんがこの恵みを生かし、カトリックのことを勉強した後に、洗礼の恵みを受けられるよう祈ります。
 

イオタローさん

 投稿者:パボ  投稿日:2009年 8月15日(土)23時34分13秒
返信・引用
  例えばあなたの父親が、弁護士なり建築士なり医師なり教師なり、要はしかるべき課程を経て長年努力した上で資格を取得し、その資格で真面目に日々の糧を得ている人だとしましょう。ところがその父親に対して、「あそこの父親は資格がないくせに別人になりすまして活動している。替え玉、偽者だ」などと、いい加減な噂を立てられたら、あなたはどう思いますか。ましてその噂を流しているのが他ならぬあなたの身内の一人だったとしたら、どれほど悲しく、どれほど情けなく、どれほど憤慨することでしょうか。それと同じことですよ。ところでカトリックという家族には何億人いますか。  

Re: 替え玉説の馬鹿馬鹿しさと危険性

 投稿者:ヨゼフ・ジェンマ  投稿日:2009年 8月15日(土)23時23分53秒
返信・引用
  パボさんへ。

その話題は、管理人さんである夢之介さんが、
「どうか相互同士、メールのやり取りか何かでお話ください」と
私達二人に言い渡した筈のものだと思います。

ですから、私はあなたに応じません。
この場所では、管理人さんの希望を無視できません。

以上。

http://gokyo.ganriki.net/index.html

 

替え玉説の馬鹿馬鹿しさと危険性

 投稿者:パボ  投稿日:2009年 8月15日(土)22時31分25秒
返信・引用 編集済
  現教皇ベネディクト十六世は、1977年6月27日に当時の教皇パウロ六世によって枢機卿とされ、コンクラーベへの資格を得ました。ところが替え玉説によると、この時点のパウロ六世は既に偽者だったということです。替え玉説論者は、ベネディクト十六世のコンクラーベにおける資格の有効性についてどう説明しますか。さらに言えば、先のヨハネパウロ二世もその前のヨハネパウロ一世も、パウロ六世によって枢機卿とされました。替え玉説の行く先は空位論です。替え玉説の馬鹿馬鹿しさと危険性がわかると思います。  

Re: 意見の対立は人間的対立ではない

 投稿者:ヨゼフ・ジェンマ  投稿日:2009年 8月15日(土)21時54分32秒
返信・引用 編集済
  > No.3723[元記事へ]

彦左衛門さんのこれには、私も基本的に大賛成!

けれども、実際には難しいかも知れません。

http://gokyo.ganriki.net/index.html

 

Re: 汝の敵を愛することが出来るか?

 投稿者:ヨゼフ・ジェンマ  投稿日:2009年 8月15日(土)21時46分5秒
返信・引用 編集済
  (書き方が紛らわしいけれど、
これはイオタ・ローさんに対するものです。)

アヴェ・マリア!

イオタ・ローさん。

彦左衛門さんは次のように仰っておられます。

> 相手に対して、言論上厳しい判断をぶつける事は、
> 直ちに相手を憎んだり、その人格を否定することには
> ならないんじゃないでしょうか。

私は、これに同意します。

けれども、言葉には常に「見かけ」というものがあり、
私もこの点「反省しなければならない」と思っている今日この頃です。


また、こうも。

> その同じイエス様が、パリサイの徒や律法学士には、
> 極めて厳しい批判、いや、罵倒、呪詛と言ってもいい言葉を投げつけている

これに関連して私が思い出すこと。
聖ピオ十世教皇様は、近代主義者達に対して「柔和に応ずる」ことを
願ったある人に対して、次のように鋭く言い返したそうです。

「親切など愚か者のためのものだ! 彼らは香油と石鹸と愛撫を
もって扱われるのを望むが、拳で叩かれるべきなのだ!
人は決闘では打撃を数えたり測ったりせず、ひたすら打つ!
闘いは慈悲をもって行われず、それは取っ組み合いの決闘である。
もしわれらの天主が恐ろしい方でなかったなら、
天主は今迄も例を作ることはなかっただろう。
しかし、天主があの誤謬を蒔き散らす者、羊の衣を着た狼、
神殿における裏切り者であるペリシテ人をどのように扱ったかを見るがよい。
天主は彼らを鞭をもって罰したのだ!」


しかしまた、イエズス様は最後にはこう仰っています。

「父よ、彼らをおゆるしください。彼らは自分らが何をしているのか、
わからないのです。」(ルカ 23:34)

このことも、心のどこかには置いておきたいものです。

そして、イオタ・ローさんのご感想にも、私達は、
素直に耳傾ける部分が必ずなければならないと思います。


けれども、イオタ・ローさん、
「言い訳」に聞こえたらいけないけれども、
一つだけ言えば、次のようなことが確かに言えます。

神の信者たちほど、悪魔によって憎悪を『煽られる』人達はいない。」

現実的なことです。
求道中の人にこんなことを言うのはアレですけれどね。

悪魔が何処かのガソリン・スタンドの敷地に立っている訳はないんです。
悪魔が何処かに立っているとすれば、それは必ず神の教会のそば、
そして、神の信者たちのそば(中でも、熱心な者たちのそば)なんです。
これを「オカルト的発想で嫌だワ。気持悪いワ」と言う人もいるのですけれど、
「悪魔が居るとすれば必ずそうするだろう」という類推は、
頭で考えても、筋の通ったことです。

煽られるのは憎悪ばかりではありません。
高慢(自分にある種の権威を一種「微妙なかたちで」感じていたい、
そして、それを保ち続けたい)、
偽善(自分を偉く見せたがる、自分を愛深い人間に見せたがる、
自分の霊魂を綺麗に見せたがる)などの悪徳も、
非常に煽られます。

イオタ・ローさんが幸いな求道をされますように。

http://gokyo.ganriki.net/index.html

 

(無題)

 投稿者:彦左衛門  投稿日:2009年 8月15日(土)21時20分0秒
返信・引用
    彦左衛門はこれまで、このサイトでも、また他でも司教、聖職の方々を批判して来ましたが、それは彼らの公的な言動に限定されていました。

 この人たちの私生活に属する部分を暴露して、個人的非難、攻撃をするなんてことは一切していません。

 この人たちは、信徒にとっては大切な人たちです。そして、司牧宣教において大きな責任感を持ってて行動されている事を疑う理由はありません。その限りにおいて敬愛に価する方々です。

 しかし残念ながら、ある一点において、どうしてもそれを看過できないことがあるのです。
 続く:
 

意見の対立は人間的対立ではない

 投稿者:彦左衛門  投稿日:2009年 8月15日(土)20時50分49秒
返信・引用
  >相手に対して、言論上厳しい判断をぶつける事は、直ちに相手を憎んだり、その人格を否定することにはならないんじゃないでしょうか。

 彦左衛門は、嘗て,若いころ、ドイツやイスラエルで生活していたことがありますが、連中、二人、三人集まれば、すぐ議論になっていました。

 そして自分の主張をすぐ引っ込めるのでなく、どこまでもその正当性の根拠を主張しているのですが、同時に相手の言う事をじっくり聞くという態度がそこにありました。

 日本人の僕から見ていると丸で、大喧嘩としか見えないような剣幕で遣り合っているのですが、議論の時間が終われば、みんなけろっとして、和気藹々、冗談をいいあったりしていました。

 これは日本人が学んでいいことだと思います。我々は意見が対立すれば、それをすぐ、人間的、人格的対立関係に置き換え、相手に対して人格的批判、誹謗を始める事になり勝ちなのですが、それでは言論は不毛になってしまいます。

 このブログでもどうか皆さん、意見の対立を人間的対立とされないで下さい。
 

(無題)

 投稿者:彦左衛門  投稿日:2009年 8月15日(土)20時15分24秒
返信・引用 編集済
  相手に対して、言論上厳しい判断をぶつける事は、直ちに相手を憎んだり、その人格を否定することにはならないんじゃないでしょうか。勿論、そういう場合もあることはあるでしょうが。

 それとイオタ・ローさんに考えていただきたいのは、『汝の敵を愛せよ』と確かにイエス様はおっしゃっていますが、その同じイエス様が、パリサイの徒や律法学士には、極めて厳しい批判、いや、罵倒、呪詛と言ってもいい言葉を投げつけていることです。(マタイ23章参照)。

 これは矛盾ではありません。我々、親子、兄弟、夫婦、友人、知人隣人の間でも対立したり、けんかになったり、互いに敵として憎み合ったりすることが稀でありません。

 イエスの『汝の敵をも愛せよ』と言うお言葉では、こういう敵対関係が取り上げられているのです。

 それは、公人として責任ある言動と生活を義務づけられている者が、その義務に違反している場合、そのいわば被害を受けている人との間に生じている敵対対立関係をさすものではありません。

 イエス様はそういう場合でも、その公人を批判したり、憎んだりしてはいけないとおっしゃっているのではありません。

 公人としての責任を蔑ろにしているばかりでなく、犯罪的な所業を繰り返している輩らをもイエス様は赦しなさい、愛しなさいとおっしゃっているのではありません。
 

汝の敵を愛することが出来るか?

 投稿者:イオタ・ロー  投稿日:2009年 8月15日(土)19時37分12秒
返信・引用
  初めまして。ただ今求道中のイオタ・ローです。よろしくお願いします。

ここ1〜2ヶ月、キリストの教えやカトリックの信仰について勉強中で、先日からこの掲示板を拝見させて頂きましたが、
正直言って、

「雰囲気が最悪。。。」

というのが私の感想です。
この掲示板の雰囲気が、何か、憎悪のオーラみたいなもので充満しています。
ここは本当にクリスチャンの掲示板なのでしょうか?

「どこそこの司教や司祭が気にくわない。」
「○×△神父なんて、大嫌い。」
「異教徒たちと一緒に写真に写って、にこやかにしている前教皇様って、大嫌い。」

とか、

「私は、Pさんがどうしても許せない。」
「私は、パウロ6世替え玉説を信じている某氏が憎い。」
「某氏は異端審問にかけられて火あぶりにされても仕方がないと思う。」

とか、あたかも中世ヨーロッパで主にカトリック教会が煽りまくった魔女裁判の一歩手前に来ているような。。。

イエズス・キリストは、

「汝の敵を愛せ」

とおっしゃりましたが、正直言って、この戒めを守ることが出来る人って、未信者の中にも、クリスチャンの中にも見いだすことは、らくだが針の穴を通ること以上に難しいな、と思います。絶望的なくらい。
※もちろん、私自身も含めてですが。。。

少なくとも、「自分の敵を愛せない」人がクリスチャンやっていたりするのは、何だか違和感を感じてしまいます。
十字軍兵士たちが、自分たちの敵である異教徒を愛したなんて、私の勉強不足かもしれませんが、寡聞にして聞いたことがありません。
それに、イエズス・キリストの教え、

「汝を迫害するものたちの為に祈れ。」

↑これを、この掲示板に居る人が、本当に実行しているのかどうか、今の自分には信じることができません。

何だか、私がキリストの信仰に関する勉強をすること自体、空しく感じてしまいます。

すみません。取り留めのない話をしてしまいまして。
それでは、失礼します。
 

正平凶弾劾

 投稿者:彦左衛門  投稿日:2009年 8月15日(土)19時02分42秒
返信・引用 編集済
  以前に漢詩を作ったことがありました。漢詩には慷慨詩とでも言うべきジャンルがありますが、今時、余りはやりません。しかし時にはそういうものがあってもいいのではないかと思いますので、一つ。

 慷慨詩の特徴として、多少の誇張があるのは、ご寛恕を。


  姦徒群集正平狂   姦徒 群集す 正平狂
 無頼専権尽悪行   無頼 専権 悪行を尽くし
 非道北韓賛楽土   非道の北韓 楽土と称う
 人若不裁神罰当   人もし裁かずとも
               神罰 当らん
 

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