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2009.08.09 |
インカ帝国滅亡からさかのぼること約500年前に、ペルーには「黄金国家の都」があったと考えた一人の日本人考古学者がいたのだ。
南イリノイ大学教授の島田泉氏は、誰もが思いもつかなかった「仮説」を立てて調査に乗り出した。1978年のことだ。
インカ帝国よりはるか以前に存在した「黄金文化」。それが黄金都市「イカン」なのだ。
ものすごい太陽が「どーだ、どーだ」と照りつける日に、ワシは「あじじ、あじじ」と逃げまどう小鹿のように日陰を探しながら上野の森にやってきた。
国立科学博物館 「黄金の都 シカン展」。
http://www.tbs.co.jp/sicanten/
今をさかのぼること1、000年前に、こんな金の精製技術と彫金技術が南米ペルーにあったなんて信じられん。
島田教授は、1991年になってピラミッドで造られた神殿の脇を掘ることで、画期的な発掘を成し遂げた。
総量1.2トンに及ぶおびただしい黄金やアクセサリーの装飾品と埋葬品。
う〜む。
デザインも素晴らしい。
月と太陽。
シカンの時代から、その相対する対極のモチーフは、人間のバランスを取るものとして明確に施されてきた。
1,000年前の人ぞ、何を想うか。
写真は、シカン文化を特徴付ける1、000年前の儀式用のナイフだ。(実用的なこの”トゥミ”は、いけにえ人間の首を切り裂き、生き血を神に捧げた)
島田教授は、この文明都市を「シカン」と名づけたそうな。
先住民の言葉で「月の神殿」という意味だそうだ。
黄金で作られた1,000年前の儀式用のグラス。
両眼を共有して、横向きにも違う顔を現すデザインだ。ピカソのモチーフを連想する。
(耳の部分に見える突起物は、横向きの顔の鼻のデザインになっている)
昼と夜。
善と悪。
陽と陰。
すべての考え方の基本が、「見えるもの」と「見えないもの」でこの世がつくられているのだ、とワシには呼びかけられているように考えさせられた。
たくさんの副葬品とともに発掘させられたのは、おびただしい数の「生贄(いけにえ)」。
権力者の墓には、あの世に行く上でいろんなものを携えていく慣わしがあった。
そのひとつが、従事者である人間、つまり生贄(いけにえ)なんだな。
1,000年前のペルーの謎。
当時のペルーには「豚」はいなかったと思われる。しかし、埋葬品の中に豚ちゃんそっくりの焼き物が出てきた。
それも超カ・ワ・イ・イ。
日本人考古学者が世界的な大発掘をなし得た。
興味いっぱいの東京・上野の夏であったのだ。 
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