常識的な話
- 世の中には「常識」というものが存在する。
時にはなぜそれが「常識」なのかなどという理屈や理由は二の次で、暗黙の内に定められているものもある。
電話を受けてまず「もしもし」と応答する者の何割が「もしもし」の意味を知っているだろうか。意味を知らなくてもそれが「普通」であり「常識」であるから、電話の相手も間違いなくそれを「常識」だと思っているだろうから、「もしもし」と応答するのだ。
個人が新しい「常識」を作り出すのは難しい。それは大抵、誰かが始め、誰かが真似て、全体に受け入れられれば広がっていく。代表者を持たない群集の意思が定めるのだ。
個人意思の集合体でありながら個人が操ることはできない「常識」は、サンゴや藻のようにそれ自体が一匹の群体生物だとも言えるだろう。
だがもしも、その群体生物を操ることができたら?
「常識」の元に個人意思を押し殺して、世を自由に作り変えることができるかもしれない。
いや、できるのだ。
伊勢原遼平はそのためのチカラを持っていた。
なにがきっかけでいつチカラを手に入れたのかは、遼平自身もよくわからない。交通事故に遭ったときからだったか、妙な中年男に怪しげな薬を飲まされたときからだったか、電車に乗って異様に長いトンネルを抜けたときからだったか。
思い当たるきっかけがないでもない。が、それが本筋ではない。
とにかく遼平は頭の隅で考えただけで、世の中を思いのままに操ることができるのだ。
まるで「常識」という群体生物に、催眠術をかけるかのように。
- 遼平は久しぶりに自分が通っている高校へと歩いていた。
今日はチカラに目覚めてから2週間になる。全くこの2週間は愉快なことばかりだった。
コーヒーショップに行けばウェイトレスがフェラチオをしてくれるし、街中を歩く女の身体は触り放題に見放題。近所の女子中学校など、まるごと遼平の奴隷にしてやった。
2週間前ならいざ知らず、いまそれはおかしなことではない。
求められれば店員が客に性奉仕するのも、どうしてもと懇願されれば街中で裸になって触らせるのも、遼平への隷属を教える学校が存在するのも、いまや全て「常識」なのだ。
通っている高校も、真っ先にいろいろと作り変えてやった。幸いにも遼平の高校は女子達の容姿レベルが軒並み高かったおかげで、なんの遠慮もいらなかった。僅かに居たレベルの低い女子達は既に転校させて追い出してやっている。
女同士で挨拶するときはディープキスをして、校内へ上がるときは靴とショーツを脱ぐ、などという行為を容姿が不自由な女子にやられても不快なだけというものだ。
朝の日差しの中、あくびを噛み殺す遼平を追い越して、背の小さな女子が走っていく。
そのまま彼女は、前を歩いていた背の高い女子へ抱きついた。
「おはようございまーすっ。んちゅ、ちゅぷっ」
「んうゆーっ。ちゅっ、じゅるぱっ」
唇を塞がれた背の高い女子が、モゴモゴと口の中で返事をした。
激しく涎ごと舌を絡ませている音が遼平の耳にまで届く。2人とも見覚えがある。確か背の高い方がテニス部の2年で、低い方が1年だ。
すぐに2人の唇は離れて、銀色の糸を引いた。
「ちゃんと挨拶できたね、偉い偉い」
先輩女子の方が口元をハンカチで拭きながら、後輩の頭を撫でる。
「えへへ、また怒られたくないですから。まだちょっと恥ずかしいですけど」
「そう? ちゃんと挨拶できない方が恥ずかしいよ?」
「そうですね。……挨拶しないで無視するのって、気分悪かったですし」
後輩女子は口元を拭いて貰いながら照れ笑いを浮かべた。
そういえば10日前に見掛けたとき、後輩女子の方は逃げるように走って登校していた。
面白いことに、新しく定めた「常識」を受け入れるまでの時間は個人差があるようなのだ。真面目な者ほど「常識」の受け入れが早く、不真面目な者ほど受け入れが遅い。つまりは常識的な奴と非常識な奴の差、ということだろうか。
他人と接する機会が少ない者も受け入れが遅いようだ。世間一般の「常識」とは関係ない生活をしているから、なのだろう。
しかしどうにしても、いずれは異常を受け入れて群体生物の一部となっていく。
『それが世の中の常識って奴だからな』
遼平はあちこちからの舌を絡ませる音色を聞きながら、気分良く歩を進めた。
そして、校舎が見えてくる場所まで来た頃だった。
全く非常識な、甲高い悲鳴じみた声が響いてきた。
「な、な、ななな……なにするの!?」
「なにって、挨拶しただけだよ?」
思わず飛び上がった遼平が音源を辿ってみると、2人の小柄な女子が口論している。
2人とも遼平と同じクラスの女子だ。悲鳴を上げたのは栗色のポニーテールを揺らす女子の方らしい。そういえば、チカラを手に入れてから彼女を見た覚えがない。
愛川瑞樹。学内でも1、2を争う美少女だが、ある理由で皆からはやや避けられていた。
- 宇宙人の仕業かもしれない。
あたしはあたしの顎に滴る友達の涎を拭いながら、わりと本気でそう考えた。
もちろん、そんなことが滅多にあるとは思えないけど。でも、あたしの数少ない友達で親友の千絵がおかしくなってしまったのは事実なんだ。
「キスするのが挨拶? し、舌入れてさあ……」
あたしが周りの視線に赤くなりながら、なんとかボソボソ聞き返せても、千絵は子供みたいな童顔を傾けて不思議そうな顔をする。
「そうだよ? 女の子同士はこうするのが普通でしょ?」
「ちょ、ちょちょちょ、ちょっと待ってってば!」
ツインテールを揺らしながら、千絵が瞼を閉じてまた顔を近付けてきた。
さっきは不意を突かれて舌まで入れられちゃったけど、今度はキスされる前に肩を押し返す。そうしたら、なんと千絵は涙ぐんだ。
「瑞希ちゃん、私のこと嫌いになったの……?」
「え、そ、そういう関係だったっけ、あたし達?」
「もしかして……お見舞いに行かなかったから怒ってるの?」
「いや、それは豚インフルエンザだったらって、あたしが来ないでって言ったし……」
なんか話が噛み合ってない。
ていうか話しながらよく周りを見ると、他にも女同士でキスしてる子達がいっぱい居る。ていうか皆がしてる。しかもディープなのを。うわあ、なんかニチャニチャ音まで……。
来るまでも何組か見掛けたけど、見間違いかたまたまそういうカップルだと思ったのに。
「ホントにキスするのが普通、なの……?」
通学路を包む異様な雰囲気に中てられてあたしが呟くと、千絵はまた不思議そうな顔で頷いた。そんなことも知らないの? とかでも言いたそうな顔だ。
あたしが風邪引いて学校休んだ期間は長かった。治ったと思って徹夜でゲームしてたらぶり返して、完治したと確信して夜通しアニメ見てたら再発したりしたせいだ。
2週間も経ったから皆変わってるかなあ、とは少しは思ったけど。これは変わり過ぎ。
やっぱり宇宙人が皆を洗脳してしまったのかもしれない。でもいったいなんのためにウチの高校をレズビアン御用達にしたんだろう。宇宙人はどこに隠れているのかしら。
- 「瑞希ちゃん、怒ってるなら私、謝るから……。挨拶、無視しないで……」
ああ、いま考えなきゃいけないのは宇宙洗脳装置がどこに隠されているか、じゃないよね。泣き出しそうな親友を宥める方法を考えなきゃ。
改めて周囲を確認してみても、さっきとほとんど変わらない光景。道行く女子同士が短い時間で濃厚なキスを交わし合っている。仲良しグループは大変だ。4、5人がそれぞれの唇をとっかえひっかえ。こんな感想もどうかと思うけど……まるでキスの乱交みたい。
うう、なんかあたしまで変な気分になってきちゃうな。
キスしてるのは女子同士だけで、男子と女子とか、男子同士の挨拶は普通に言葉だけ交わしている。まあ、あたしは男子同士のキスに喜ぶ趣味はないからどうでもいいけど。
女子同士で、それも自分が女の子とキスする趣味なんかも、ないんだけどなあ……。
あたしは千絵の肩をできるだけ優しく叩いた。
「えっと、うん、ごめん、怒ってないよ。ちょっと寝惚けてただけなんだ。あははは……」目を合わせ切れなくてきょときょとしながら「あっちで挨拶、しよっか?」
あたしは誰も通っていない小道の方を指差してみせた。
「ここでしないの?」
「それは……ちょっと、恥ずかしいから」
「変な瑞希ちゃん」
クスッと笑う千絵と一緒に小道へ入る。
あああ、とんでもないこと言っちゃった。千絵の機嫌を治すには仕方ないけど。
「じゃあ、いいよ……」
あたしはそっと瞼を閉じて、千絵を待った。心臓がドキドキしてる。こんなことなら始めにキスされたとき、大人しくしてれば良かったかも。下手にムードが出ちゃって余計恥ずかしくなっちゃったような……。
「んっ」
千絵の、唇が触れた。柔らかい。
スッスッと斜めに動いて、触れ心地を確かめるみたいに湿った唇が擦り合わされる。それが変にくすぐったくて身じろぎしたあたしを、親友の両手が抱き止める。
「んんんっ!」
塗れた舌に唇をなぞられたかと思うと、中に入られて、歯と歯茎まで舐められた。
自分の顔が熱くなってるのがわかる。見っともないと思うけど、鼻息も荒くなってる。でもそんなにあたしを虐める千絵の呼吸は、不思議なくらい落ち着いてる。
しっかり閉じている歯列が苛立たしげな千絵の舌につつかれた。
うう、わかったよ。もうどうにでもしちゃってよ。
「んちゅぱっ。ちゅっ……じゅちゅうううっ!」
「ふうっ!? んんきゅう!」
受け入れた瞬間、あたしの舌が思いっきり吸い上げられた。ずぞぞぞって音があたしと千絵のあいだからしてる。涎も一緒に凄い勢いで吸われてるんだ。それでコクンコクンって動く千絵の細い喉を、あたしの涎が通ってるんだ。
真面目な千絵が女同士でこんなことをするなんて、宇宙人めえ!
-
ポコッ、とあたしの頬がへこんだ。
涎どころか口の中の空気まで吸い尽くされちゃった証拠だ。
あたしだって男の子に告白されたことくらいは何度かあるけど。でも皆、あたしが宇宙の話を始めると勝手に呆れて、結局キスもしないまま別れちゃうんだよね。
だから――小さな頃に友達と冗談半分で軽くチュッてしたのを数えなかったら――これがあたしのファーストキス。まさか親友に吸い尽くされるのが初めてになるなんて……。
ううん、千絵は吸っただけで終わらせるつもりはないみたい。
「ふぅー」って今度は空気が吹き込まれてきた。
ポコン、とあたしの頬が膨らむ。
鼻に千絵の匂いが抜ける。歯磨きの香り?
斜めにくっついた唇を繋ぐみたいにまた千絵の舌が侵入してきて、あたしの舌の上にピッタリ重ねられた。千絵の舌の裏側はツルツルしてて、ちょっとぬめった感触がする。
ヤバ、あたし、気持ちいいかもなんて思っちゃってる。
「いふよ、みうきひゃん。くちゅっ」
なにか言われたみたいだけどキスしたままだからよくわかんない。
でも、千絵の舌が軽く丸まったのはわかった。左右を反らせたスコップみたいな形。2人の口を繋ぐ舌がそんな形になると、あたしの唇も千絵の唇も薄く開かされることになる。
嫌がったりしたら親友を悲しませることになるんだろうな。だからあたしはされるまま。
いまはまた瞼を閉じてるから気配だけで感じたことだけど、そのまま千絵は爪先立ちになったみたい。反対にあたしは肩を押さえつけられて、少し膝を曲げさせられる。
同じくらいの身長のあたしに、千絵は上からキスをする姿勢にして、それから……。
とろーって流し込んできた。
「ん、んぐっ!? くふっ!」
反射的に咳き込んで跳ねるあたしの身体。
でもすぐに強く抱き締められて抑えられる。千絵はあたしの頭と腰を痛いくらいの力で抱き寄せて、求めてきた。それなりに自慢にしてる胸が身体のあいだで潰される。
うああ、なんかこれダメだよ。力が抜けちゃう。
「んくっ、んくっ、こくんっ」
あたしは次々に流し込まれてくる親友の唾液を、自然に飲み込んでいってしまった。
味は無いけど少しぬるぬるした感じがして、喉を動かしたときに千絵の香りがする。胃に落ちていく量が増えるにつれて、だんだんお腹の奥から温かくなるような不思議な感じ。
癖になったらどうしよう……。
「ぷちゅう」って濃い涎が弾ける音を立ててやっと唇が離された途端、情けなくもあたしはその場にへたりこんでしまった。
どれくらいキスをしてたのかな。あたしには20分くらいには感じられたけど。
「ふあっ、はあっ、はぷあ……」
途中から鼻で息をするのも忘れてたかもしれない。頭ほど身体は冷静じゃないみたいで、思うように動けない。ただボーっとして、地面にあひる座りしたまま深呼吸するだけだ。
口から涎、零れてるなあ。うう、首まで来てる。拭かないとブラウスに染みちゃうよ。
「だ、大丈夫、瑞希ちゃん! 顔、真っ赤だよ」
慌てた様子の親友があたしを覗き込んで「風邪、治ってなかったの?」なんて言ってる。
あれだけのディープキスをしてくれた張本人の癖に、千絵には全然照れた様子もないし、興奮した素振りもない。まるで気にしてないみたい。
これじゃ、こう、なんていうか、変な気持ち? になる方が悪いみたいじゃないの!
「ごめんね、久しぶりだから2週間分、挨拶したくって……苦しかった?」
ああ、やっぱり他の子達がしてるのよりずっと長い時間、キスしてたよね。多分、実際にはせいぜい3分くらいなんだとは思うけど。
あたしは深〜くため息をつくと気持ちを切り替えて、立ち上がった。
「窒息させようとしたのはこの口か! この口かぁ〜!」
「ふえええー、ごへんなひゃい〜」
できるだけ何事もなかったみたいに、いつものノリで千絵の頬っぺたを引っ張ってやる。
宇宙人の洗脳の影響は、朝のディープキスだけで終わってるのかな。
改めて登校しながら、一歩一歩校舎へ近付くごとにだんだん不安になってきた。
- 高校の敷地内へ入った途端、あたしの頭も洗脳装置の影響でおかしくなるのかも。
と、思ったけど別にそんなことはなかった。
代わりに昇降口で新たな異変は待っていた。異変と言ってもそう感じているのはあたしだけで、他の皆はキス挨拶と同じようにそれが当然だと思っているみたいだけど。
正直、さっきまであたしにはワクワクする気持ちもあった。ついに宇宙人の侵略が始まったなって高揚感だ。これが悪玉宇宙人の仕業なら、もしかしたらひとり無事なあたしは善玉宇宙人に協力を求められたりすることもあるかもしれない、なんてね。
いまでも善玉宇宙人とのファーストコンタクトは楽しみなんだけど……。
それはそれとして、それどころじゃない。宇宙洗脳はキスだけで終わってなかったんだ。
あたしが靴を脱いで上履きと替えてると、千絵がひと言。
「瑞希ちゃん、中に上がるときはパンツも脱がなきゃ」
「あ、うん」
最初、あたしはなにも考えずに頷いてしまった。
あ、制服でスカートだから下着の方のことだよね。えっと、つまりパンツヌガナキャ?
「はあ!?」
不意を突かれた思考がゲシュタルト崩壊を起こしたのも一瞬、とんでもなく非常識なことを言われたと気付いて素っ頓狂な声が出た。
「え、パンツまだ脱いでないよね? 穿いてきてるよね?」
千絵も驚いてるけど、それはあたしが上げた大声に、みたいだ。
なにを言ってんだか、この子は。スカートの下にパンツ穿き忘れるなんてどこの少年漫画の女の子だっての。ちゃんとあたしは穿いてきてる。ほら、千絵も穿いてきてる。
千絵はいままさにスカートの中に手を入れて、脱ごうとしているところみたいだけど。
「なにしてんの千絵!? ストップストップ!」
「きゃっ、あぶなっ――きゃあっ!」
中腰のところを飛びついたせいか、千絵に尻餅をつかせてしまった。勢い余ったあたしはさらに千絵を押し倒すみたいに圧し掛かった。
すぐに身体を起こすあたしの下から、拗ねた子供みたいな可愛らしい声が上がる。
「もー、どうしたの? 急にそんなことしたら危ないよぉ」
千絵はぷくっと頬を膨らませて怒ってるんだろうけど、あたしは別の方へ目を奪われた。
この子はあたしに文句を言いながらも、起き上がるよりも先に、めくれたスカートを整えるよりも先に、寝転がったまま腰へ両手を添えてた。
あそこに張り付いていたショーツの両端を掴んで、少し下ろして生地を裏返したかと思うと、スルスルと太腿から膝、ふくらはぎから脛を通して、脱いじゃったんだ。
ああ、やっぱりパンツって下着のショーツのことだったのね。
子供っぽいデザインをした淡いピンクのショーツ。一晩中、大事な場所を包んでいたんだろうクロッチの部分は、おりものが染みたのか、かすかなクリーム色に汚れていた。
見るだけでそんなこともわかるくらい無造作に、千絵はさっきまで穿いてたショーツを手に持ってる。昇降口には男子だってたくさん居るのに。
「あうう、お尻打っちゃった。けっこー痛かったよ?」
千絵が立ち上がって、もう一度頬を膨らませた。
「う、うん。ごめん、コケちゃった」
なんとかそれだけ返事ができた。
見ちゃった、千絵のあそこ。いまはもうスカートの下で見えないけど、さっき。
初めて目にした親友のあそこは童顔に似合って毛は薄くって、ぷっくりした土手が透けちゃってた。ひっそり閉じてて、びらびらもはみ出てなかったみたい。
他の女子も恥ずかしげもなくショーツを脱いでるところを見れば、これがキスと同じで皆にとっては異常じゃないことっていうのはわかる。宇宙人は、本当になにがしたいの?
男子達にも普通のことなのか、いやらしい視線がないのだけが救いではあるけど。
「ほら、早く瑞希ちゃんもパンツ脱がなきゃ」
千絵の催促に思わずビクッと怯えてしまう。
宇宙人を甘く見ていたかもしれない。あたしは痛感させられた。
- 靴箱の前でまごついているあたしを尻目に、他の女子達は躊躇なしに脱いだショーツを靴と一緒に仕舞っている。千絵も靴箱の中にピンクの生地を入れてしまった。
こら、千絵、まがりなりにもあたし達は女子高生なんだぞ。女子高生の脱ぎたてホカホカ下着なんてそんなとこに置いといて、盗まれたりでもしたらどうすんの!
……なんて怒ったとしても、まともな反応はしてくれないんだろうなあ。
「えっと、どうして脱がなきゃいけないんだっけ?」
無駄なことはしない代わりに、状況を分析してみることにする。
知ってるけどド忘れしちゃったんだって感じにそれとなく訊ねてみた。
千絵はツインテールを揺らして、小首を傾げる。
「どうしてって、外じゃないから穿かなくていいでしょ?」
「それって穿いてもいいってこと、じゃないの?」
「えー、外で穿いてたのを中で穿いたら汚いよぉ」
「なら……上履きみたいに替えのパンツを穿けばいいんじゃない?」
「でも、だって、建物の中ならパンツ穿かなくてもいいしー」
うう、頭痛くなってきた。
「なんで、中だと穿かなくていいの……?」
「ええー? 瑞希ちゃん、からかってる?」眉を寄せて「外だったら砂埃とかあるから穿かなきゃダメだけど、学校の中だったら大丈夫でしょ」
「いや、それだと、あああ、ちょっと待って」
くう、この愛川瑞希さんともあろう女が、これくらいで頭の中をかき混ぜられるなんて。
宇宙人と話をしてるみたい……で、ちょっと違うか。映画の「未知との遭遇」なんかだと、宇宙人と言葉は通じないけど意思疎通には成功してる。こっちは言葉は通じてるんだけど意志疎通ができてないんだよね。
あたしは膝上丈のスカートに隠された千絵の股間をチラチラ気にしちゃいながらも、話を整理してみる。
「基本的に、パンツは穿かない方がいいんだ……?」
「もー、外だと穿いた方がいいけど、中で穿く人なんて普通居ないでしょ!」
「そ、そっか。うん、そうだったね」
だんだん千絵の機嫌が悪くなってきたから、鷹揚に頷いておく。
どうもいまの千絵にとって、というかあたし以外の皆にとって、ショーツっていうのは靴と同じような物みたい。ただし、屋内用のショーツって概念はないらしい。
宇宙人の生活習慣がそうなってて、地球人を合わせようと洗脳してるのかなあ……?
そうだ、重要なことを聞いておかなきゃ。
「そういえば、いつからそうなったんだっけ?」からかってると思われないようにフォローも「ごめん、でも思い出せなくて、なんだか気になってきちゃってさ」
千絵は仕方ないなあって風に息をついて、表情を和らげてくれた。
「瑞希ちゃんって変なこと気にするよねー。んっとぉ……ずっと前からだったと思うけど……あれ、でも、先々週くらいからだったかも? んー、私もよく憶えてないかも」
唇に指を当てて目を泳がせながら、必死に思い出そうとしてくれたみたい。
おかげで確信できた。やっぱりあたしが休んでいるあいだに、皆は洗脳されたんだ。
差し当たり気をつけなきゃいけないのは、目立って宇宙人にマークされないこと。皆を洗脳した宇宙人に、あたしだけ正気だと知られたらなにをされるかわからない。
「ねえ、それより早くしないとチャイム鳴っちゃうよぉ」
足踏みをして千絵がまた催促をしてくる。
あたしは迷った。
目立たないためには周りと同じ行動をして溶け込む必要があるんだけど、だからってノーパンスカートなんて格好を躊躇いなくできるほど、あたしは恥知らずじゃない。
いくら普段、皆に「電波女」だなんて陰口を叩かれてても、あたしだって乙女なんだぞ。
「ごめん、千絵。あたしやっぱり、まだ調子悪いから帰るよ」
とりあえず家でゆっくりどうするか考えよう。
- しかし、そうは問屋も小売店も卸さなかった。
誰かががうしろから、パシンッとあたしの頭を叩いたんだ。
「こら、2週間振りに登校したのに、ここまで来ておいてもう帰るつもり?」
振り向いてみると、スーツ姿の女の人が腰に手を当ててこっちを見下ろしてた。
真っ黒なロングヘアーに凛々しいお顔、スレンダーな長身に目立つ大きな胸。
問屋……じゃなくて、クラス担任の綾瀬先生だ。
あたし達とは10歳も離れていないのに、キラリと光る眼鏡が示す通りの堅物だ。
ここであたしのマが抜けてたらすがりついて『皆がおかしいんです!』なんて助けを求めるところだけど、それが意味のないことっていうのは先生の冷静な態度を見ればわかる。
あたしは靴を履き直して、にこやかに手を振った。
「いや〜、先生大正解ですよ〜。もう帰るつもりなんです、ごきげんよう〜」
「待ちなさい!」うげ、襟首を掴まれた。「見てたわよ。明らかに、下着を脱ぎたくないから帰ろうとしてるでしょう?」
「あ、当たり前です!」
綾瀬先生が大きな声で言うもんだから、あたしまで大声を出しちゃった。
昇降口に居た皆の視線があたし達に集まる。うう、そこの女子、ショーツ脱ぎながらこっち見ないでよ。男子は普通に靴だけ替えて中へ入っていってるのにぃ。
「あの、綾瀬先生、瑞希ちゃんは本当にまだ風邪で悪いの、かも?」
千絵が擁護をしてくれたけど、なんだか自信なさげ。いきなり帰ると言い出したあたしに戸惑ってるのかもしれない。千絵は千絵で、あたしが理解できないんだろうな。悔しい。
「そう、ねえ。なんだか顔も赤いみたいだし……」
綾瀬先生はあたしの顔を覗き込んで、少し力を緩めてくれた。
あたしが2週間に渡る大風邪をひいてたのは事実だ。見逃してくれるといいんだけど。
そんな儚い願いも空しく、堅物眼鏡教師はピッと人差し指を立ててみせた。
「でも、脱ぎたくないって言ったのが気になるわ。校則違反をしてないかの確認だけはさせて貰いますからね。もし校則違反してたら仮病と見なすわよ、いいわね?」
「校則違反なんてしてないもんねー、瑞希ちゃん?」
綾瀬先生が背中からあたしの身体を抑えて、正面に千絵が回ってきた。
なんか、嫌な予感。
校則違反なんてしてるつもりはないけど。茶髪っぽいのだってあたしのはこれ地毛だし。
ううん、わかってる。きっとそんなことじゃない。
きっと、あたしのスカートの下に関係あることなんだ。
「ほら、綾瀬先生」千絵があたしのスカートをめくって「ちゃんと無地の……あれ?」
「千絵、ダメぇっ!」
男子だって居るのに! 騒いでるから、皆がこっちを見てるのに!
下着に包まれたあたしの股間が親友の手で、晒されちゃったんだ。あたしが自分の身体を見下ろしても、めくられたスカートに阻まれてそこは見えない。でもこの場に居る、あたし以外の全員にあたしのショーツが見られちゃってる。
「先生放して! お願いですから、逃げませんから!」
「あら、これは……」
身じろぎするあたしをガッチリ捕まえたまま、綾瀬先生は身を捻って覗き込んでくる。
下着くらい、学校で着替えるときに千絵とふざけ半分で見せ合うこともある。恥ずかしくないと思えば恥ずかしく――ないわけない! 男子も居るし、ここは昇降口!
「少しくらいの模様ならいいけど、これはちょっと見逃せないわね」
「瑞希ちゃん、学校にこんなの穿いてきちゃダメだよ……」
口をへの字に硬く閉じて羞恥を堪えるあたしとは対照的に、綾瀬先生と千絵は冷めたようなため息をついた。あたしが宇宙や古代文明について力説したときによくされる仕草だ。
なによう、下着がドローンズ型UFO柄でなにが悪いのよう。
- 男子の視線までいやらしい感じじゃなくて、冷めた感じなのが逆に羞恥心を煽られる。キスのときもそうだったけど、恥ずかしがるあたしの方が悪いみたいで。
あれ、でもひとりだけ他と違う感じの視線を向けてきてる男子が居る。なんか頼りない雰囲気のなよなよした男子。あの子は確か、同じクラスの伊勢原……そう、伊勢原君だ。
うう、そんな気まずそうな目でチラチラ見ないでよぉ。
だけど、なんで伊勢原君だけ? あの子は正気なの?
「やっぱり仮病だったのね。イラスト入りの下着は校則で禁止されてます」
綾瀬先生がうしろで体勢を変えた。
でも、あたしは伊勢原君に気を取られていたせいで、すぐにはそれに気付けなかった。
「違反したら……わかってるわね?」あたしの腰に先生の両手が当てられて「下着は没収します!」最悪な予想よりも最悪なことに「罰としてスカートもです!」
スカートの硬い感触とショーツの柔らかい感触が、同時に素早く太腿を擦る。
いつの間にかホックを外されてたみたい。スカートは引っ掛かることなく下ろされた。
「え……?」
あたしは一瞬、なにをされたかわからなかった。
視線を落としてみると、白いブラウスの先に見えるはずのスカートがない。ブラウスの裾からは直接太腿が覗いてる。さらにその先を辿ると黒のハイソックスがあって、足首には紺色の生地が絡まっていた。
スカートだ。足首を囲んで床に崩れたスカートは蛇腹みたいに重なり合ってる。そしてそのチューブ型の生地の内側に、また別の布切れが絡まってる。
ショーツだ。虫を幾何学的に描いたようなドローンズ型UFOが、薄い生地と一緒によれて丸まってる。かなり苦労してようやく探し出せたデザインなんだよね。
そのお気に入りショーツとスカートが一緒になって足元まで落ちているってことは……。
「あ……!」反射的に顔を上げると皆が見てる。「あ……!」叫びたい。でも叫べばもっと注目を集めちゃう。「あ……あぁ……」
「きゃっ、危ない」
あたしがふらふらしながら寄り掛かると、目の前に居た千絵が抱き止めてくれた。
見っとも無く泣き喚きたい。口を大きく開けて、喉が枯れるくらいの絶叫を上げたい。
千絵にギュッと抱きついて、衝動を抑える。
落ち着け、落ち着け愛川瑞希。ここで騒いだって目立つだけでなにもいいことはないんだ。校則違反の罰くらいで大泣きするあたしに、千絵や先生達はわけがわからないって顔を向けるだけだ。大丈夫、女子も男子も、これがいやらしいことだなんて思ってないはず。
伊勢原君は、あたしを見て鼻の下を伸ばしていたけど。伊勢原君?
あたしは慌てて周囲に首をめぐらせた。チャイムが近いのか、昇降口にはもうほとんど人は残ってない。こっちへの注目も一時的なものだったみたい。
目に溜まった水分のせいで歪む視界には伊勢原君の姿も、他のエッチな視線もなかった。
大丈夫、あたしの裸のあそこを変な目で見てる人なんて居ない。大丈夫、大丈夫……。
「瑞希ちゃん、ぐるじいよぉ……」
千絵にわざとらしく呻かれて、あたしはやっと身体を離そうとした。けど、そうするとあそこが皆に見られちゃいそうで、抱きついていた手を解くだけにしておく。
「ごめんね」やだ、声が震えちゃう。「よろけちゃって……」
鼻がくっつきそうなくらい身体を寄せたまま。
腰を反らせて裸のあそこを隠すのは、千絵のスカートに擦りつけるみたいで照れるけど。
「愛川さん……本当に悪いの?」
背中側、足元の方から綾瀬先生が心配そうに聞いてくれた。でも、手ではしっかりあたしの足首を持ち上げて、スカートとショーツを抜こうとしてる。蹴飛ばしてやろうかと思ったけど、あたしがこんな目に遭うのは綾瀬先生のせいじゃないんだ。
少しだけ足に力を入れて抵抗してみたけど、結局2枚の衣服は剥ぎ取られてしまった。
- 綾瀬先生は堅物だけどなんだかんだで一番年齢の近い女の先生だし、悪い人じゃない。
千絵は変人扱いされてるあたしを色眼鏡で見ない、大事な親友だ。
なのにその2人に公衆の面前で、あたしの下半身は裸にされてしまった。信じられないけど、冗談でも夢でもない現実。皆を、2人をこんなにした宇宙人、絶対に許さない。
「どうしたの? 頭痛い? 気持ち悪いの?」
千絵は自分の肩にあたしの頭を乗せるように抱いてくれた。
いくらあたしの体調が悪くても女同士でこんなふうに身体を密着させれば、以前の千絵だったら慌てるなり照れるなりしただろう。でもいまの千絵は全然気にしてないみたい。
大事な場所とお尻がスースーする。あそこの毛が千絵のスカートと触れてるのがわかる。
あたしは爆発しそうな感情を必死で飲み込む。
なのに、異常事態は手を休めてくれなかった。
「あら、濡れてるわね」
綾瀬先生のそのひと言だけで、顔がカッと熱くなる。
「え、見せてくださーい」
千絵はあたしを受け止めたまま、両手を伸ばしたみたいだった。あたしはきつく瞼を閉じて、2人があたしのショーツになにをしているのか見ないようにする。
そうすると余計、耳に飛び込んでくる声と水音に注意を惹きつけられてしまった。
「くちゅっ。ん、少し薄いけどおいしいわね」
「先生、私にもください。いいよね、瑞希ちゃん?」あたしは返事をしない。
「放っておいたら乾いちゃうんだから、いいわよね? はい、どうぞ」
「わーい、ちゅぱっ……くちゅくちゅ。うん、ちょっと酸っぱくておいしい。瑞希ちゃんの蜜ってこんな味なんだぁ。まだたくさんついてますねー」
いっそ、気絶でもしちゃいたい。
さっき千絵とディープキスしちゃったときだ。あたしは多分、量が多い方だから、あれだけでクロッチに染みるくらい出てたみたい。ああ、ダメ、考えないようにしなきゃ。
「さ、もういいでしょ。2人とも早く教室へ行きなさい」
「えー、まだ残ってますよぉ。先生、ひとりで舐めちゃうんですかー?」
「あとは乾かします。もうチャイムが鳴りますからね。愛川さんは、大丈夫?」
綾瀬先生は、あたしのなにについて大丈夫かと聞いているの?
わからないけど答えは決まってる。
「大丈夫じゃありません……」
やっと滅茶苦茶な会話は終わったみたいだから、あたしは瞼を開いた。
これくらいで――いままで生きてきた中でもかなりのショックだけど――落ち込んだり弱音を吐いたりなんてしていられない。逃げ出したいけど逃げ出すわけにはいかない。
あたしだけが異常を異常と認識できて、正気を保ってる。それは偶然とは思えなくて、なにか意味があるような気がする。いまあたしが自分ひとりだけで逃げてしまったら、皆はもっともっとおかしくなってしまうのかもしれない。
あたしが諦めたら、この事態を招いた宇宙人を止める地球人が居なくなってしまうんだ。
絶対に、負けない。
そう決心もするけど、あそこを晒したまま教室に行くなんてのも考えられなくて。せめてまずはオーバーヒートしそうな頭を休ませて欲しい。
「早退は諦めましたから、保健室に行ってもいいですか……?」
あたしのショーツを持っているだろう綾瀬先生の顔を見る気にはなれなくて、千絵の肩に頭を乗せたまま声だけで聞いてみた。あそこは千絵のスカートで、お尻は鞄で隠して。
「しょうがないわね、しばらく休んで来なさい。調子が良くなったら教室に来るのよ? もしも悪くなって早退するときは、誰かに言付けておきなさいね」
「私、付き添っていきます。瑞希ちゃん、歩ける?」
どうやら2人ともあたしの風邪が完治していないと信じてくれたみたい。
そりゃそうだよね。顔が真っ赤になってフラフラしてて、涙目にまでなってるんだから。
期待はしてなかったけど、体調不良だからってスカートとショーツを返して貰えたりはしなかった。放課後返すって話だけど、早退するときは取りに来いって言うのかな。
どうするにしても、もう退路は塞がれたのかもしれない。
チャイムの鳴り響く廊下を千絵の肩を借りて歩きながら、あたしは昨日まで親友にも見せたことのなかったあそこを、窓からの朝日が照らすのを感じていた。
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