|
||
久々に二次元のMA@YAセンセーの絵を見た気がする、というか二次元のMA@YAセンセーの絵は需要があるのかないのかイマイチよく分からない絵なんだよな。汎用的というか。それにしても三次元のMA@YAさんも仕事的にはビミョー。あのアニメからは(いくら某ハミガキ大先生が絶賛しようとも)面白み成分を感じることができず、むしろアニメーターに好き勝手をさせてはいけないという教訓しか得るもんがない。某引退系男子S科氏が飲み会の席でアニメ表現論の危険性を言っていたけど、確かに多数決でやればアニメーターの方が強烈なんだから、評論なるもので彼らを商業性と物語性なるものにしっかり縛りつけないといけないのに、むしろ調子に乗らす可能性があるよな。つまり化●語がああなってしまったのは、黒●陽平のせいなのだ(ウソ)。ゲームの方は、ダンスで村が救えるわけないじゃないみたいなことしか浮かばないし・・・というか書いていてすでにMA@YAセンセーに興味が薄れていることに気づいた。
こんな感じでいつも通り本編よりも挿絵の話の方が長い感じなんですけれども、知り合いが(註、卯月四郎氏ではない)褒めていたので読んだ。うーん、ゲーム的リアリズム、決断主義、サークラとか言っておけば最近のラノベについて語れちゃう風潮を何とかしたいです。
というわけで、出てくるヒロインが全員地雷女という、「空の境界はメンヘル女が日常化した時代の小説」(by前田久)とか「何故俺たち文化系男子はメンヘル女子に惹かれるのか」(by峰尾俊彦)みたいな忘れがたい(しかし忘れたい)名言が頭をよぎる小説に仕上がっております。サークラは良い、心が洗われる。
それにしてもコレ、ハッピーエンドじゃないだろ。あの流れからしたら便所女だぞ、あの方。俺はそもそもの問題として、主人公を(桃山女史の事情を知らずにあっさり陥落してしまう)「信用できない語り手」だと思っているので多分あの方はいじめにあって(以下エロマンガ的展開)になっていると思います! 人は何故同じ過ちを繰り返すのか!
仮にそうじゃないとしても、「惹かれる女より、支配しやすい女」という、結婚を視野に入れたアラサーのような恋愛論みたいな話にすぎないよな。散々色々な怒涛の展開をやっておいてオチはこれだけかよ!みたいな。
色々書いていますが、結構好きですw。もこもこ、いえ噛みました、ぷりるん!