2009年07月26日

霊視「あのジイサンは凄かった」4 私の職業

ジイサンを紹介してくれたのは、美容学校のときの担任である。

本人いわく、弁護士の書生→中央大法学部→ヨーロッパヒッピー生活→美容師→美容学校教師という変わった経歴であった。 それを信じなくとも、その後まもなく美容学校教師を辞して、演歌歌手→ソロ舞台→吉本難波花月出演と変わった人生を歩んだ人である。


ジイサンにあった頃、22歳の私はスタイリストデビューをして間もない頃であった。 一応ヘアカットはできるものの、今の若者と同じように迷いと選択を繰り返し、見えない将来への不安をいつも抱いていた。



私の横に座っていた担任がジイサンに美容師としての私の将来を聞いた。

「ええなぁなかなか、美容師に向いとるな。」

ジイサンがそう答えると、担任は少し驚いたような表情をした。

大学浪人に失敗して美容学校へ行った私のことを、担任は心配していた。 校内コンテストの数日前に私の実家へ泊り込みで教えに来たにもかかわらず、私は入賞すらできないでいた。 手先の不器用さに、将来への不安を持っていた様子である。

「30代は特にええなぁ。 大阪でもまあまあのこと行くで。」

26歳の誕生日を迎えてすぐに、私は渡米した。 

ジイサンの言葉を励みに苦手であったワインディングコンテストでも西日本で準優勝し、東京へ行って2年を過ごした後のことだった。

31歳には全米ヘアカットのチャンピオンであった茂木氏とサロンを共同経営し、各国の雑誌にも紹介された。 

35歳で日本に戻り、全国を講習で回り、香港のカラーショップも任された。

ジイサンの言ったように、30代の私の美容人生はバラエティに富んでいた。


「40からは・・・・・」

ジイサンは何も言わなかった。 
絶句したように、ジイサンは黙った。

私にはどうでもいい遠い将来のことだった。

22歳の自分にとって、自分が選んだ職業が適職で、良い結果を出せることがわかっただけで、十二分だった。


ジイサンの霊視もだいぶ時間が経ち、担任は礼を言って私と一緒に帰途についた。

担任はまたジイサンに会う予定があるので、私のことを聞いておくと約束した。


つづく


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霊視「あのジイサンは凄かった」3 父の死の予言

大阪天神祭りの本宮は7月25日の船渡御でクライマックスを迎えた。
御神霊を乗せた船に奉納花火が打ち上げられ、大川沿いはビルの摩天楼とネオンの夜空がさらに華やかに輝く。 
今から13年前、その号砲を遠くに聞きながら私は父の入院する病院へと向かった。 病室の窓からは時折小さく花火が見えた。 ガンも末期から終末期に入った父が見た最後の花火であった。 

それから遡ること12年、ジイサンの予言を振り返った。



「あんたのお父さん、寒い寒いと言わへんか?」

ジイサンは家系図を見ながら、唐突に父のことを尋ねた。
血圧が高く暑がりの父は、冬でも布団から足先を出して寝るような人だった。

「そうか、なんか身体の中が冷たいとか重いとか言わへんか?」

定年を終えて間もない父は、趣味の釣りが毎日のようにいけることを楽しんでいた時期であった。

「あんな、あんたのお父さんは早よ死ぬで」

泥酔することはないにしろ、父は毎日酒を嗜んでいた。 しかし、それとて健康を害するほどには見えない。 

母と比べると父が長生きするとは思えないが、根拠のないジイサンの言葉に私は戸惑った。

「ああ、あんたのお母さん、この人は長生きしよるわ」

父の本籍地や生年月日を書いた紙を見て、ジイサンはさらに続けた。

「67ぐらいまでやな。 人には天命ちゅうもんがある。 定められとるんや。 神様がこれぐらいやって決めるんや。」

不確実な話である。 信じるかはわたし次第であるが、気のいいものではない。

「伸ばすことはできる。 神様にお願いすることもできる。 でもな、伸ばせても7日から7年の間や。 どうなるかは、神様しだいや。」

定められた天命を伸ばすために、余命をすべて命乞いに使うことは無駄である。 そして「当たるも八卦当たらぬも八卦 」、無宗教者の父に話せる内容ではない。

子として日常にできる簡単な祈祷をジイサンは教えてくれた。



それから数年して、母は腫瘍ができて入院した。
東京に暮らす私に父が電話で知らせてくれた。

「お母さんは来週に手術やけど、お前は心配せんでええ。 悪性やったら先はそんなに長くはないけど、まだわからんから。」

父が電話で心配する母の余命を聞きながら、私はジイサンの話を思い出していた。

幸いに母の腫瘍は良性で、手術後すぐに退院できた。

私は母への心配とは別に、ジイサンに教えてもらった祈祷を思い出すたびに父へと捧げた。



やがて知らぬ間に69歳を迎えた父は、初老の男の寂しさを感じさせながらも何気に元気であった。

ロサンゼルスに暮らす私は、アメリカ人顧客のイベントのお供として日本に帰国した。

体調が思わしくない父は大学病院へ検査入院に出かけた。 家を出る時に荷物を持っていこうかと私は尋ねたが、「ええ、わし一人で行けるから心配せんでええ」といって玄関を出て行った。 次にこの玄関を戻るったときは、手を胸に当てて合掌し帰らぬ人となっていた。


つづく
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2009年07月25日

霊視「あのジイサンは凄かった」2 守護霊

呪文を唱えることで、未知のパワーを感じることになった私は、早速次の休日に実家へ帰り、母と父にそれぞれの本籍地を尋ねた。

母はすんなりと紙に自分の本籍地を書き記したが、父は煙たがった。

「そんなん何が当たるんや」

若い頃はクリスチャンでもあった父は、やたら坊主を嫌う無神論者となっていた。
父の宗教嫌いは徹底していて、自分の葬式は線香1本すら焚かない献花での「お別れ会」であった。

しかし渋々と本籍地を教えてもらい、私は数週間後にジイサンを尋ねた。



古びた大衆食堂のテーブルに向かい合って座り、ジイサンはじっと両親の本籍地を見つめながら、モゴモゴと一人つぶやくようにお経のようなものを唱えていた。

「あんた親戚に合うんはだいたい法事や葬式や結婚式ぐらいちゃうか」

確かにそうである。 両親が若いことは、夏休みや連休で実家へ出向き、祖母にあったりはした。 両親とも祖母を亡くしてからは、実家へ出かけることもあまりなくなった。

「父方と母方、だれでもどっちかの方が家に行ってもなんか落ち着きが違うということがある。 ご先祖さんもそうや。 どっちかのほうが、あんたのことをもっと気にしてくれてるんや。」

そう言ってジイサンは、私が差し出した本籍地と簡単な家系図に印を入れていった。 母方の祖母の上に線を書き、祖母の両親を書き足した。

「あんたの母方のひいばあさんは兄弟何人おる?」

わかるわけがない。 私が生まれた頃には祖父は亡くなったおり、祖母も北陸の片田舎に住んでいて、一年に一度会えれば良いほうだった。

「わからんかったら、お母さんに聞いてみるんやな。 あんたのひいばあさんの妹が、あんたの守護霊や。」

守護霊や背後霊はご先祖様である場合がほとんどらしい。 しかしご先祖様は父方にも母方にもたくさんいらっしゃる。 親戚と会っても、自分のことを良く覚えていてくれる人もいれば、そうでない親戚もいる。

守護霊もそれと同じで、私を懇意にしてくれる霊とそうでない霊あるという。ジイサンにはそれが誰であるかがわかるというのだ。


ジイサンの言葉をそのまま母に尋ねると、確かに母の祖母、私の母方のひいばあさんには妹がいた。

それから数週間して私は母を車に乗せて、早春とはいえ寒々とした北陸の田舎町へ出かけた。

波の花が舞う海岸沿いの墓地で母方の先祖代々の墓に手を合わせ、同じ墓地にあるその妹が嫁いだ先の墓にも花と線香をお供えした。

つづく
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2009年07月24日

霊視「あのジイサンは凄かった」1 水子霊

22歳の頃に、霊視をしてもらった。

大阪緑橋の店をたたんだ大衆食堂の中だった。

ある人に紹介されて、すごいジイサンがいるとの話で、占いなどの経験もなく、訳わからずに緑橋へと出かけた。

紹介してくれた人と、どこかのサロンの40歳ぐらいの女性オーナーさんとが一緒だった。

女性オーナーさんの相談が先にあったのか、私はクルマでしばらく時間をつぶしてから、その古びた食堂に入った。

童顔のジイサンで70歳ぐらいの感じだった。

どえらい大阪弁で、愛嬌のある笑顔。 そして、目だけは恐ろしいほどに鋭い眼光をこちらに向けていた。


名前と住所、家族構成を紙に書いた。

「あんた、お父さんとお母さんの本籍地わかるか?」

町名や番地まではわからないと伝えると、

「ほな、それは今度でエエ。 今の住所やなしに本籍地やないと、昔のことはわからんやろ。 お父さんとお母さんに聞いて、今度もってきいや。」

と、次回があることを約束させられる。

「あんたみてたら、水子がついとるなぁ。 心当たりはないか?」

22歳である。 付き合った女性もいれば、エッチも経験している。

しかし、子供をおろすような事は全く記憶にない。

というか、私は物心付いてから・・・いや、エッチを経験してからか? 中絶反対論者である。 そうAnti-Abortion である。 

宿った生命には何も罪はないのである。 性的犯罪と母体に死の危険がある場合は別であると考えている。 それ以外の中絶は私は良いとは思わない。 経済的理由や若いからなどは理由にならないと思う。

2人目の子供の妊娠の時、羊水テストをするかどうかで夫婦で話したことがある。 当時妻は40歳であったが、結果がどうであっても産んで欲しいと私は言った。 妻は羊水テストを諦め、ダウン症の赤ちゃんが生まれてきた。 羊水テストをしなくて良かったと、私は思った。


話がそれてしまったが、22歳の私には身に覚えのない水子霊。 浮遊霊がついたのではないかとも思ったが、ジイサンはあんたの子やと言った。

「まあ彼女があんたに黙っとったかもしれんし、妊娠1ヶ月もたたんとわからんうちに流れたかも知らん。」

ならば別れた彼女だけれど、確かめましょうか?

「いや、その必要はない。 その霊を取り払えばエエ話や。」

そう言って、ジイサンは紙にカタカナで何か書き始めた。


「あんたの近くに神社あるやろ。 お宮さんやったらまあなんでもエエ。 だいたい子授けとか書いてあるから、そこへ行ってコレを唱えなるんや」

渡された紙には呪文が書かれていた。


それから何日かが経った。

そんな呪文を唱えるべきかで、考えていた。

店の裏にちっさなお宮さんがあった。

ビルの屋上にあるくらいの、形だけお宮さんみたいなものだった。

近くのというとここかぁ・・・ご利益なさそうやなぁ。

人に見られると恥ずかしいので、夜みんなが帰ってからそのお宮さんに行き、手を合わせてモゴモゴと呪文を唱え始めた。

呪文を3回ぐらい唱えると、足のかかと辺りからどうすることもできない震えが襲ってきた。

怖かった。 

でも呪文を止めたら死んでしまうんじゃないかと思った。

呪文は20回ぐらい読まなければならなかった。

無心に読み続けていると、その震えは徐々に身体を上ってゆき、頭のてっぺんから抜けていった。



神社には神様がいて、世の中には目に見えない力があることを知った瞬間だった。


続く
posted by jeff at 19:34| Comment(1) | TrackBack(0) | Diary | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年07月21日

人生2度目の日食

連休2日目・・・寝てしもた〜。

午前中は雨に負けずに子供を自転車で学童保育へ送り、家に戻って用事を済ませ、雨に負けてタクシーで市役所へ行き、雨がやんで電車で家に戻り、雨に関係なくざるそばを作って食べて、昼から出かける用事をして2時ごろ凄い雨でちょっと待ってよって思いながらベッドに横になると5時半になってしまった・・・(ちょい泣)


ブログでも更新しよ〜っと

211_telop_tomorrow.png


明日は日食です。

沢尻エリカ様と同様に楽しみです・・・南の島にはいけないですが。

日食を記憶しているのは20年近く前の、ロサンゼルスです。

このときも部分日食でしたが、70%ぐらいだったのかな?

太陽が欠けるのを見るのもいいですが、これは「なるほど」程度で感動より感心って感じ。 理屈が目に見えているって感じやね。

それよりも感動的なのは木漏れ日。 そうです、木の間から漏れる光が三日月なのです。 地面に三日月の光がいくつもゆらゆらしているのです。 これは感動です。

そして明るさ。 皆既日食でなくとも、あたりは夕方のように薄暗くなります・・・あたりまえですが、昼間に暗くなることが、わかっていても感動します。 

そして気温。 涼しくなります。 多分2〜3度は下がるのではないでしょうか。 太陽のありがたさを感じます。

まあ晴れないと、そんな感動もないわけですが・・・大阪の明日は雨のち曇り。 びみょう〜
posted by jeff at 18:52| Comment(0) | TrackBack(0) | Diary | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする