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二宮尊徳翁の教えを生かしての企業経営

~「分度」が企業を破綻から守る~

二宮尊徳翁と聞いて、皆さんはどのようなイメージを持たれるだろうか。筆者のような団塊の世代ならば、小学校の校庭にあった、マキを背負った本を読む銅像といったところだろう。意外と二宮尊徳翁の教えは知られていないのではないだろうか。「翁の『分度』という教えが企業経営に役立っている」という、掛川信用金庫・杉本会長の話を紹介しながら、生き残る企業経営を考えて見る。

最近、江戸時代末期に生きた二宮尊徳翁に興味引かれている。きっかけは、掛川信用金庫の杉本会長との出会いにあった。杉本会長は82歳になられるが、矍鑠としておられ、掛川信用金庫の経営も自己資本比率が18%をこえて順調そのものだ。その健康の秘訣と安定経営の秘密を問うたときの答えが、「二宮尊徳翁の教えが役に立っている」というものだった。

信用金庫としては、日本で最も古い歴史を持つ掛川信用金庫の創始者は、二宮尊徳翁の弟子だったという縁があってか、杉本会長は翁の偉業を記録した「報徳記」等々に学んでこられたと聞く。

筆者の尊徳翁に対しての知識は、マキを背負って本を読む銅像程度のものだったが、杉本会長に、尊徳翁の教えのなかで経営に役立っていることは何ですかと聞いたときの答えは、「分度」というものだった。「分度」とは、聞きなれない言葉だが、その意味するところは、「自己の経済的実力の範囲内での限度」とご理解いただければいいだろう。

「報徳記」には、尊徳翁が困窮に陥っていた地域を復興させた事例がいくつも紹介されているが、「分度」という言葉は、以下のような使われ方で頻繁に登場してくる。

「既往10年の貢税を平均し、その中庸をとって、再興の道が成就するまでの分度とし、この分度によって入るを計って出を制し、節倹を行って余財を生じ、万民を救助されるべきであります。- 略 -分度を立てるときは大仁を行うに足り、分度がないときは国を廃するという大凶になるのであります。もし、分度は立てることは相成らぬ、ただ領中だけ再興せよとの命令でありますならば、重い君命ではありますが、私はお断りいたします」(一円融合会刊『補注 報徳記』より)

尊徳翁は、いずれの地域の復興に際しても、過去の収入を分析して、1年間に支出していい金額をまず決めてからでないと、実行に取りかかることはなかった。それほどまでに、尊徳翁は分度を重要視していたのである。この尊徳翁が説いた「分度を定めての組織運営」は、杉本会長も指摘するように、企業経営にも大きく参考になると思える。

単純には、分度なき経営が企業を破綻させ、分度を守っての経営が企業を繁栄させるのだ。本連載で何回か紹介した沖縄のスーパー・サンエーの創業者の口癖は、「分相応の経営に徹する」というものだった。「分相応」とは「分度」と同義語と考えていい。サンエーの場合には、分相応の経営を実施するために、借入は売上の25%以内といった「経営安全数値ライン」というものを設定していて、これを守りながら、長引く不況の中にもかかわらず、安定して成長してきている。ちなみに、サンエーの2003年2月期決算は、年商1011億円で経常利益は61億円、8期連続の増収増益だった。

一般的に、「分相応」と聞くと、縮小均衡になって成長できないのではないかと思われがちだがそれは違う。「報徳記」にもあるように、余財を生じさせて、その余財の「分相応」に新しいことにチャレンジしていけば、バブリーでない成長を遂げることができるのだ。それを証明してみせてくれたのがサンエーなのだ。

「不況になると尊徳翁が話題になる」と杉本会長は笑うが、いつの時代も、経営者が尊徳翁に学ぶべきことは多いと思える。

著者プロフィール

疋田 文明(ひきた ふみあき)
有限会社 ABO
経営コンサルタント・元気塾主宰
日本交通公社(JTB)勤務後、中小企業経営者を対象とした各種セミナーの企画・運営会社等々を経て、1979年に竹村健一未来経営研究会を企画設立し事務局長に就任。1986年に竹村健一氏のもとから独立。現在、フリーランスのライターとして活躍中。
http://www.hikita10.jp

[2003年7月25日 掲載]


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