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山城新伍さん、悲し遺言「2人には伝えるな」 (2/2ページ)

2009.8.15 05:07
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山城新伍さん、悲し遺言「2人には伝えるな」
山城新伍さんと元妻の花園ひろみ。自らの浮気が原因とはいえ、闘病中、一度も会うことがなかった=1991年5月撮影【フォト】

 4年前から糖尿病をわずらっていた山城さんの容体が急変したのは今月10日。連絡を受けた弟の渡辺鎮雄さん(69)はすぐにでも駆け付けたかったが、地震と台風の影響で新幹線のダイヤが乱れ、京都の自宅から町田の老人ホームに到着したのは12日午前11時ごろだった。

 ベッドに横たわる山城さんは酸素呼吸器をつけ、話ができない状態。はじめは呼びかけに反応していたが、徐々に反応もなくなり、「手を握ったら冷たくなっていた」という。兄と弟、2人きりの別れとなった。

 関係者によると、山城さんは、元妻と娘への訃報の知らせを拒んでいたといい、「2人には伝えるな」との“遺言”を残していた。

 糖尿病で車イスの生活を余儀なくされていた山城さんは昨年6月ごろ、町田市の特養老人ホームに入所。同年秋、「週刊文春」の取材に「面会には昔のマネジャーと弟がふた月にいっぺんぐらい来るけどね。そうじゃないと寂しいじゃない」「ここが終の棲家」などと語った。この記事が掲載された後も、花園と南が見舞いに訪れることはなく、山城さんはそのことを恨んでいたという。

 それもこれも家族の複雑な歴史ゆえか。66年、東映の同期だった花園と結婚。助手席に花園を乗せた車を湖に突っ込み、「結婚してくれないとこのまま死ぬ」とプロポーズして手に入れた妻だったが、山城さんの浮気が原因で85年に離婚した。

 その後、山城さんは「復縁したい」「今でも愛している」と花園にラブコールを送り91年に再婚したものの、99年に再び離婚。当時、娘の南は山城さんの言動に不信をあらわにし、「父と呼びたくない」などと決別を宣言、父親の戸籍から自分の籍を抜いたことを明らかにした。

 「あんなに言いたいことを言いながら、よう渡り歩いてきたな。豪快な面と繊細な面を兼ね備えていました」と兄の性分を言い表した鎮雄さん。

 結局、父娘関係も、元夫婦の関係も修復することはなかった。山城さんは、「週刊文春」にこんな一言ももらしている。「娘には会いたいけれどね…」。昭和のスターと呼ばれた男の願いは、かなわなかった。




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