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アヴェ・マリア!
一聖公会員さんに感謝します
反応が遅くなりましたが、私は、
題名「混乱の元」の「一聖公会員」さん
http://6019.teacup.com/sdyosefu/bbs/3666 に
心から感謝したいと思います。
この方は、私達の信仰を(も)思って、「警告」をして下さっています。
「大変なことが起きようとしているのです」と。
一聖公会員さんの仰ることが事実ならば、
特に米国聖公会の総裁主教のことが問題だと思います。
この方は「女性の主教」であり、「女性司祭賛成」であり、
「同性愛者の聖職叙任賛成」であり、
「同性愛者の結婚の祝福賛成」の方である、とあります。
更に日本聖公会には、女性司祭(事実婚の人も?)はもちろん、
女装趣味のある司祭すらいて、もしかすると、
9月23日、このような人達も東京聖マリア大聖堂の祭壇を
囲むかも知れないということです。
以上、ただ一聖公会員さんの仰ったことを繰り返しただけですが(笑)、
そうせずにはいられませんでした。
> 東京大司教区の事務所や、日本聖公会の管区事務所に
> 問い合わせたらいかがですか。
(一聖公会員さん)
私は、カトリック信者はそうすべきだと思います。
他の罪と同様、「同性愛の傾向を残しているがそれを罪と認識し、
そこから抜け出したいと思っている者」がカテドラルに入ることは、
私は問題ないと思います。
けれども、どうして「頭から同性愛を肯定している者」(もし、そうなら)を、
しかもそのように自分の信者たちを教えている他宗派の指導者を、
私達はそこに入れなければならないのでしょうか。
私は、東京大司教区がそれを知っていながら黙認する時、
それは東京大司教区自身の手による天主様に対する極めて大きな
「冒涜」ということになるだろうと思います。
「冒涜」という言葉は、今、ともすると「宗教原理主義者」の
怖い顔を連想させ、その「狂信的な過激さ」を想起させます。
また、十分に「民主的」になった世界に住む私達にとって、
それはともすると「人権蹂躙」「差別」等をも想起させます。
ここが誰しもが弱いところです。
しかし、一言で言えば、違った種類の事柄を「混同」しない
ようにしなければならない、と思います。
「人権」と「天主の教えに基づく秩序」は全く別の話だからです。
「罪を憎んで人を憎まず」のつもりが、知らず知らず、
おそらくは「臆病さ」により、「人を憎まず罪も憎まず」に
ならないようにしなければならないと思います。
キャサリン・ジェファーツ・ショリ総裁主教 (Presiding Bishop
Katharine Jefferts Schori) について調べてみようと思います。
前述の「もし、そうなら」を確かめるために。
「肯定」と言っても、実際はいろんなニュアンスがあると思うから。
(おそらく完全肯定者だろうと思うけれど。)
一聖公会員さん、ありがとうございました。
http://gokyo.ganriki.net/index.html
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