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再度、初心者Aさんへ

 投稿者:吉祥寺五右衛門  投稿日:2009年 8月14日(金)18時01分12秒
返信・引用
   前回の書き込みに加筆します。司祭に相談される時、「入籍当時は未信者でしたが、入籍後に洗礼を受けました」と申告してみて下さい。他の方々が「秘跡の有効化」とか「自動的な秘跡の成立」の可能性を指摘されています。入籍後に受洗されたことがネックになっているようです。

 つまり、本来、カウントされないはずの民事結婚が受洗によって教会で挙式したのと同じ扱いを受けるかもしれない可能性を示唆しているわけです。

 司祭が即答できない場合は教会裁判所の担当司祭を紹介してくれるはずです。裁判所といっても一般の法廷のように双方が言い争うわけではなく、面接(インタビュー)をして審理をするだけですのでご安心下さい。

 私の記憶によれば、結婚が無効であるための構成要件の数々がリスト化されていて、それに当てはまれば「二人には最初から婚姻関係と呼べるものはなかった」と解釈されるはずです。最も単純な例は「度々、夫が暴力をふるっていた」というようなケースですが、その他にもいろいろと細かい規定があるようです。

 なかなか前向きにはなれない案件でしょうが、一日も早くすっきりされることを願っております。人生は山あり谷ありです。しかし、常に「今が出発点」(某作家の名言)です。「今」から新たな一歩を踏み出せばよいと私は思うのです。
 

お二方ありがとうございます。

 投稿者:初心者A  投稿日:2009年 8月14日(金)12時53分35秒
返信・引用
  異邦人ヨハネ様、吉祥寺五右衛門様

お二人ともありがとうございます。
やっぱり、然るべき時がきたら主任司祭様に相談してみます。
私の為にわざわざ書き込みしていただいてうれしかったです。
ありがとうございました。
 

念のために付け加えると

 投稿者:パボ  投稿日:2009年 8月13日(木)23時19分33秒
返信・引用
  ヨゼフジェンマ氏はバチカンに手紙を書いてランジス大司教から返事をいただくという光栄に浴しながら、その後パウロ六世替え玉説に引っ掛かってしまいました。何人もの人が忠告したが彼は耳を貸そうとはしなかった。こうして彼の暴走が始まり、もはやカトリックとは言い難いところまで行ってしまった。サボテンさんだって本当はよくご存じのくせに。彼は危険です。彼に足場を与えてはいけません。  

サボテンさん

 投稿者:パボ  投稿日:2009年 8月13日(木)22時46分34秒
返信・引用
  ヨゼフジェンマ氏のHPの一部分しか読んでいないというあなたが、どうして彼が空位論者でないのは明らかなどと断言できるのですか。詭弁にも程があります。そもそもサボテンさんだって昨年、ヨゼフジェンマ氏がパウロ六世替え玉説を唱えていたことに言及していたはずです。姿勢と拝領に関する部分しか読んでいないという今回の主張とは、矛盾してませんか。イエスの惑星はネットの意外な場所に過去ログが保存されてますから、調べればすぐわかりますが。サボテンさんの今回の主張は、全く問題外です。  

RE: 母であるイエス

 投稿者:ヨゼフ・ジェンマ  投稿日:2009年 8月13日(木)21時57分22秒
返信・引用 編集済
  一聖公会員さん。

> 何が起きるか私は心配でいたたまれぬ気持ちで投稿しました。

本当にありがとうございます。

> でも、これは強権を発動すればたちどころに解決します。

ところが、その強権がなかなか発動されないのですよ。

> 9月23日には、こういう異教の女祭司も来訪して
> (…)
> 怪しげな教会に場所貸しすることが、蟻の一穴になります。

このようなお言葉遣いから、一聖公会員さんが米国聖公会には全く
醒めた目をお持ちであることが分かりますので、書きますが、
ニューヨークのマンハッタンに、思い切り悪魔的になってしまった
米国聖公会のカテドラルがあります。
「聖ヨハネ大聖堂 The Cathedral Church of Saint John
the Divine in the City and Diocese of New York 」
http://gokyo.ganriki.net/diary2009/d-2009-07-22.html

このカテドラルの中には、下のような十字架像があるそうです。
そう、女性です。「母であるイエス」そのまんまです!!!
信仰を、自分たちの思想(フェミニズム神学?)のハケでもって
上から塗りたくりたいんですね。勿論サタンの業です。

この総裁主教さんについての「事実」は、一聖公会員さんが
助言して下さいました通りに、東京大司教区に確かに伝える
ことに致します。カトリック信者でこの事に気づいている人は
ほとんど居ないのかも知れません。それを思えば、一聖公会員
さんにはちょっと感謝し切れないです。

http://gokyo.ganriki.net/index.html

 

やはり同性愛の完全肯定論者でした

 投稿者:ヨゼフ・ジェンマ  投稿日:2009年 8月13日(木)21時49分51秒
返信・引用 編集済
  来月23日に東京カテドラルに入るだろう米国聖公会総裁主教
キャサリン・ジェファーツ・ショーリは、一聖公会員さんの仰る通り、
同性愛の完全肯定論者であることが分かりました。
大した調べではありませんが、関心のある方はご覧下さい。
http://gokyo.ganriki.net/diary2009/d-2009-08-13.html#news
上の事を確信するためには十分だろうと思います。

彼女は同性愛の完全肯定論者であるばかりでなく、宗教指導者です
当然ながら、信者をその方向にリードしようとするでしょう。
というか、実のところ、その程度ではないようです。
彼女は米国聖公会初の女性主教で、今、非常に "はりきって" おり、
アングリカンの教会の「全てが」同性愛者に心を開き受け入れるべきだと、
そのような方向に情熱を注いでいるようです。彼女自身においては、
アングリカンの教会の「全体を」変えるような勢いなのだろうと思います。

そのような宗教指導者が聖マリア大聖堂に入ろうとしています。

http://gokyo.ganriki.net/index.html

 

Re: 離婚後の聖体拝領について

 投稿者:異邦人ヨハネ  投稿日:2009年 8月13日(木)20時12分44秒
返信・引用 編集済
  初心者Aさん

> 妻(成人洗礼・・・結婚数年後)
> 夫(幼児洗礼・・・ただし幼児洗礼のみで初聖体、堅信ともにやってません)
> 教会で結婚式はしておらず、入籍のみです。
> この状態で離婚した場合、私は聖体拝領できますか?

Aさんが洗礼を受けた時点で、自動的に婚姻の秘跡も成立しているのではないでしょうか。
公教要理を教えてくれた神父さんから、そのように聞いた記憶があります。
教会で結婚式をしたかどうかは関係ないと思います。

婚姻の秘跡が成立していれば、法的に離婚したとしても、教会の立場からは別居ですよね。
別居であれば、秘跡に与ることは可能なのではないでしょうか。再婚はAさんも、配偶者の方も不可でしょうけど。

いずれにしろ、信頼できる神父さんに相談されることをお勧めします。
 

初心者Aさんへ

 投稿者:吉祥寺五右衛門  投稿日:2009年 8月13日(木)19時21分3秒
返信・引用
   私は教会法に通じている者ではありませんが、カトリック教会が「結婚」という時、民事結婚(役所に提出する入籍届け)を指さないと思います。したがって、教会で式を挙げていなければ民事上の入籍はカウントされないはずです。文書で読んだわけではありませんので、ここにポイントを絞って聖職者に相談してみて下さい。  

母であるイエス

 投稿者:一聖公会員  投稿日:2009年 8月13日(木)18時15分1秒
返信・引用
  「母であるイエス」と題名をつけても私はカルトの一員ではありません。先に、題名「混乱の元」http://6019.teacup.com/sdyosefu/bbs/3666 を投稿しましました。
「母であるイエスは」アメリカ聖公会のショーリ総裁主教(女性。女性司祭・主教賛成、同性愛聖職賛成、同性愛者の結婚賛成)が就任した直後の演説で真っ先に口にした言葉です。この方は口を開くたびに、この種のことをいっていますが、未だに首にもなっていません。
「アメリカ聖公会はなんでもあれの教会だ」と言われます。

9月23日には、こういう異教の女祭司も来訪して、カンタベリー大主教がいらっしゃって宣教150年の礼拝をします。
式次第は知りませんが、こういう方も加わってカトリック東京大司教区の大聖堂をお借りして礼拝します。異性愛も同性愛もどうということはないという日本の主教、男性で司祭になったのに女装(性転換)をしている人間を放置している日本の主教も大聖堂に集います。女性司祭も参加します。

何が起きるか私は心配でいたたまれぬ気持ちで投稿しました。

日本のカトリック教会では、北朝鮮の貧困な政治思想にだいぶ毒されていることが分かりました。でも、これは強権を発動すればたちどころに解決します。

しかし典礼の崩壊・聖書の権威の相対化・教理の解体は、物事の信仰的な解決を不可能にします。
「母であるイエス」は、その象徴です。怪しげな教会に場所貸しすることが、蟻の一穴になります。
混乱した日本で道を示すことができるのは、正しい典礼を捧げ正統教理を堅持する教会だけです。
 

ありがとうございます。

 投稿者:初心者A  投稿日:2009年 8月13日(木)15時40分30秒
返信・引用
  maggieさん

早速教えていただいてありがとうございます。
幸い、自分の教会の主任司祭様はとても信頼できる方なので、
もし離婚することになった場合は個人的に相談してみようと思います。
本当は離婚しないのが一番いいんでしょうけど、自分と夫にとって
一番いいと思える選択を勇気をもって出来るようにしたいです。
ありがとうございました。
 

難しい問題ですね

 投稿者:maggie  投稿日:2009年 8月13日(木)15時17分59秒
返信・引用
  初心者A様
信徒の私が、細かい点についてお知らせできないのですが、非常に複雑であることは確かと思います。
再婚を望まない限りは、別居扱いですので、聖体拝領は日本人の神父様なら可能と仰るでしょうね。
一番、いいのは、主任司祭に直接、「良心上の相談がある」と言えば、秘密裏に話ができます。
教区にはそれぞれ教会法担当者がいますから、司祭からそちらに確認していただけるかと思います。

教会での誓約をしていないので教会法的には未完成婚だったと思いますが、妻が洗礼を受けた時点で有効化されているかどうか・・・。
他の方と再婚を望む時には、前婚を無効にする申請が必要になります。
夫は、初聖体も受けていませんから、カトリックの婚姻の意味もわからず・・・という精神的未成熟との理由も、婚姻の無効の理由にあったと思います。
ただ、妻の方に明らかな非がある時には、妻からの申し立ては認められませんが。

まずは神父様に個人的に指導いただくのが大切と思います。

http://blogs.yahoo.co.jp/st_cuore

 

離婚後の聖体拝領について

 投稿者:初心者A  投稿日:2009年 8月13日(木)10時39分12秒
返信・引用
  はじめまして。
しばらく前からこの掲示板を見させて頂いてます。
どこで聞いていいかわからないので(自分の教会の人にはちょっと話せないので)
こちらで聞けば詳しい方がたくさんおられるだろうと思い質問させて頂きます。
もしおわかりになる方がおられたら教えて下さい。

妻(成人洗礼・・・結婚数年後)
夫(幼児洗礼・・・ただし幼児洗礼のみで初聖体、堅信ともにやってません)
教会で結婚式はしておらず、入籍のみです。
この状態で離婚した場合、私は聖体拝領できますか?
(夫は教会に行ってません)
自分の教会が大きい教会ではないため、みんながみんなを知っている状態で、
ある日突然聖体拝領を
私がしなくなったら絶対に理由を聞かれたりするだろうと思います。
個人的なことを話したくないので、
それは嫌だと思いますが、そういう噂を避けるためにもしダメだとわかっていても聖体拝領を続けるというのは
もちろん考えていません。
また、教会を変わるということも考えていません。
わかりにくい文章かもしれませんが、どなたか
わかる方がおられましたら教えてくださるようお願いします。
 

Re: ノムさん フルダの関連情報がありますので

 投稿者:ノムさん  投稿日:2009年 8月13日(木)10時20分11秒
返信・引用
  > No.3691[元記事へ]

Pasさんへのお返事です。

貴重な情報、ありがとうございます。
フルダへはいずれ必ず参りますので、記憶しておきます。

http://www.yokohama-yamate.jp/nomu/index.html

 

Vincentさん、あなたは

 投稿者:パボ  投稿日:2009年 8月13日(木)02時36分11秒
返信・引用
  あなたは、兄弟の目にあるおが屑は見えるのに、なぜ自分の目の中の丸太には気づかないんですか。両方の掲示板を読み比べてあなたの手口を発見しました。  

Vincentさん

 投稿者:パボ  投稿日:2009年 8月13日(木)02時15分58秒
返信・引用
  聖母マリアの花園でも書きましたが、東京教区のイエズス会修道院のセルフインティンクションの件の話題が出た時、あなたはなぜか木更津教会を引き合いに出して答えていた。異邦人ヨハネさんがそれに当然の疑問をぶつけた時、あなたはうまく答えをはぐらかしていた。自分はそういうことをしておきながら、こっちの掲示板では、ノムさんや一太郎さんに答えさせている。いくらなんでも、人間としてそれはないのでは。  

ノムさん フルダの関連情報がありますので

 投稿者:Pas  投稿日:2009年 8月12日(水)20時23分34秒
返信・引用 編集済
  >ノムさん

8月9日の「時事短評」を拝見しました。
http://www.nomusan.com/~essay/index-jubilus.html

フルダから北北東に三十キロくらい行ったところに、アイターフェルト(Eiterfeld)という小さな町があります。
アイターフェルトには、ウーフハウゼン(Ufhausen)という場所がありますが、このウーフハウゼンにある教会は、
1950年2月に平壌で獄死した、ボニファチウス・ザウアー(Bonifatius Sauer)司教ゆかりの教会です。
というより、ザウアー司教の生まれ故郷が、このウーフハウゼンでした。
ウーフハウゼンの教会近くには、"Abt-Sauer-Strasse"(ザウアー大修道院長通り)という通りもあります。
これも、朝鮮北部で大修道院長であったザウアー司教にちなんで命名されたようです。

Google mapsで"Fulda"および"Ufhausen"で検索すると、すぐに場所は同定できます。
http://maps.google.com/maps?client=safari&rls=en&q=fulda%20ufhausen&oe=UTF-8&um=1&ie=UTF-8&sa=N&hl=ja&tab=wl
(「Ufhausen 36132 アイターフェルト, ドイツ」と一カ所が表示されます)
地図の左上にある縮尺バーをいろいろ調節すると、ドイツ国内の位置関係がよくわかると思います。

In Ufhausen gibt es eine Abt-Sauer-Strasse, so benannt nach einem Sohn dieser Gemeinde. (alle folgenden Fotos von Frau Matern, Fulda)
http://picasaweb.google.com/WillibrordDriever/Sauer#5291078426210284722

Eine Gedenkstätte für Abtbischof Bonifatius Sauer OSB im Pfarrhaus von Ufhausen.
http://picasaweb.google.com/WillibrordDriever/Sauer#5291077594907109506

Eiterfeld - Wikipedia
http://de.wikipedia.org/wiki/Eiterfeld

......「フルダ」という文字を見て、ふと思い立ち投稿しました。
 

「事実」に関する追加投稿

 投稿者:ヨゼフ・ジェンマ  投稿日:2009年 8月12日(水)19時38分53秒
返信・引用
  前回投稿した写真 http://6019.teacup.com/sdyosefu/bbs/3654
にあるような「事実」をそもそもあまり「知らない」人もいるようなので
(これは私にとって少し驚きでした)、追加投稿させて頂きます。
写真が多いのでリンクさせて頂きます。
http://gokyo.ganriki.net/diary2009/d-2009-08-12.html
 

一聖公会員さんに感謝します

 投稿者:ヨゼフ・ジェンマ  投稿日:2009年 8月12日(水)19時36分57秒
返信・引用 編集済
  アヴェ・マリア!

一聖公会員さんに感謝します

反応が遅くなりましたが、私は、
題名「混乱の元」の「一聖公会員」さん
http://6019.teacup.com/sdyosefu/bbs/3666 に
心から感謝したいと思います。
この方は、私達の信仰を(も)思って、「警告」をして下さっています。
「大変なことが起きようとしているのです」と。

一聖公会員さんの仰ることが事実ならば、
特に米国聖公会の総裁主教のことが問題だと思います。
この方は「女性の主教」であり、「女性司祭賛成」であり、
「同性愛者の聖職叙任賛成」であり、
「同性愛者の結婚の祝福賛成」の方である、とあります。

更に日本聖公会には、女性司祭(事実婚の人も?)はもちろん、
女装趣味のある司祭すらいて、もしかすると、
9月23日、このような人達も東京聖マリア大聖堂の祭壇を
囲むかも知れないということです。

以上、ただ一聖公会員さんの仰ったことを繰り返しただけですが(笑)、
そうせずにはいられませんでした。

> 東京大司教区の事務所や、日本聖公会の管区事務所に
> 問い合わせたらいかがですか。
 (一聖公会員さん)

私は、カトリック信者はそうすべきだと思います。
他の罪と同様、「同性愛の傾向を残しているがそれを罪と認識し、
そこから抜け出したいと思っている者」がカテドラルに入ることは、
私は問題ないと思います。
けれども、どうして「頭から同性愛を肯定している者」(もし、そうなら)を、
しかもそのように自分の信者たちを教えている他宗派の指導者を、
私達はそこに入れなければならないのでしょうか。
私は、東京大司教区がそれを知っていながら黙認する時、
それは東京大司教区自身の手による天主様に対する極めて大きな
「冒涜」ということになるだろうと思います。

「冒涜」という言葉は、今、ともすると「宗教原理主義者」の
怖い顔を連想させ、その「狂信的な過激さ」を想起させます。
また、十分に「民主的」になった世界に住む私達にとって、
それはともすると「人権蹂躙」「差別」等をも想起させます。
ここが誰しもが弱いところです。

しかし、一言で言えば、違った種類の事柄を「混同」しない
ようにしなければならない、と思います。
「人権」と「天主の教えに基づく秩序」は全く別の話だからです。

「罪を憎んで人を憎まず」のつもりが、知らず知らず、
おそらくは「臆病さ」により、「人を憎まず罪も憎まず」に
ならないようにしなければならないと思います。

キャサリン・ジェファーツ・ショリ総裁主教 (Presiding Bishop
Katharine Jefferts Schori) について調べてみようと思います。
前述の「もし、そうなら」を確かめるために。
「肯定」と言っても、実際はいろんなニュアンスがあると思うから。
(おそらく完全肯定者だろうと思うけれど。)

一聖公会員さん、ありがとうございました。

http://gokyo.ganriki.net/index.html

 

同意です

 投稿者:一太郎  投稿日:2009年 8月12日(水)19時09分35秒
返信・引用
  私が見たのは、信徒全員に行われるものでした。
祭壇の前の司祭からホスチアを頂き、後ろの祭壇の上にある
カリスに信徒が自ら浸して拝領する方法でした。
自分も「禁止令」は出した方が良いと思います。
なにせ御聖体の事なので。。
 

禁止令について

 投稿者:Vincent  投稿日:2009年 8月12日(水)18時00分3秒
返信・引用
  ノムさん、横浜教区の現状に関する質問への返事をいただき、どうもありがとうこざいます。それにしても、中央協議会の方でセルフ・インティンクション禁止の通達を出せば済むのに、なぜそれが出来ないか全く理解できません。

ここでは大阪教区のことがよく書かれますが、横浜教区を含むほかの教区も同じような問題を抱えています。私の意見では横浜教区にも禁止令は必要だと思います。
 

「解放神学」の特定の側面に関する教書

 投稿者:ノムさん  投稿日:2009年 8月12日(水)13時05分36秒
返信・引用
  『「解放神学」の特定の側面に関する教書』がアップされました。
http://homepage3.nifty.com/yuuryo/shiryou/shiryou.html
http://homepage3.nifty.com/yuuryo/shiryou/theology-liberation1984.08.06.html

http://www.yokohama-yamate.jp/nomu/index.html

 

Re: ノムさんへの質問

 投稿者:ノムさん  投稿日:2009年 8月12日(水)12時46分24秒
返信・引用
  > No.3683[元記事へ]

Vincentさんへのお返事です。

私は直接の情報を聞いたことがありません。所属する教会では特別な場合(初聖体とか)以外は両形態での拝領はありません。それも当該者のみで、全員が受ける訳ではありません。そしてセルフ・インティンクションは行われません。

ずっと前にはあったような気もしますが、今回の通達云々に関係なく、もっと前から見たことがありません。ことさら「禁止」をいうこともないのでしょう。

http://www.yokohama-yamate.jp/nomu/index.html

 

セルフインティンクション

 投稿者:一太郎  投稿日:2009年 8月12日(水)10時08分13秒
返信・引用
  アヴェ・マリア
横浜教区のとある教会に通ってます。
5月頃にセルフインティンクションがこちらでも行われておりました。
最近は行われていないと思われます。
自分は、求道者なので情報がつかめていないだけなのかもしれませんが、
セルフ・インティンクションの禁止のお達しは特に行われていない気がします。
とても気になっております。
 

ノムさんへの質問

 投稿者:Vincent  投稿日:2009年 8月11日(火)22時23分4秒
返信・引用
  以前、ここで横浜教区でのセルフ・インティンクションを見かけたことを書きましたが、他に横浜教区の方がおられないので、質問させていただきます。

6月に司教会議でセルフ・インティンクションの禁止を決めたということですが、その後横浜教区で何かおしらせがありましたでしょうか。もし、ご存知でしたら少しでも結構ですので、返事をお願いします。
 

ノムさんへ

 投稿者:maggie  投稿日:2009年 8月11日(火)22時06分37秒
返信・引用
  お察しします。
私なども、書き込みに遊びが多すぎると叱られていますぅ

でも、物事、何でもかんでも突き詰めればいいってもんじゃないと思うんですが。

ノムさんの台湾への思いは、イデオロギーとは別物の信義に基づくものでしょうか?
私は、そんな思いを持っています。蒋介石に踏みにじられた台湾の方々へ。

台湾も異常気象のために酷い状態だそうですので、どうぞ、お気をつけてご旅行ください。

http://blogs.yahoo.co.jp/st_cuore

 

「台湾人生」

 投稿者:ノムさん  投稿日:2009年 8月11日(火)18時32分24秒
返信・引用 編集済
  この場所は、以前は詰まらん冗談の許容される気楽な場所でしたが、最近は私のような者は出入りしづらくなりました。
『台湾人生』という映画があります。
http://www.taiwan-jinsei.com/

一般の映画館では上映されていません。皆様のところへ回るのは時間がかかるかも知れませんが、機会があれば是非ご覧下さい。

私は三回みました。三回観て、これが凄いドキュメンタリー映画であると確信しました。

私は、この19日より24日まで、台湾南部へ行きます。予定では、高雄、屏東、台東でした。
台東は、とても行ける雰囲気ではないですね。
屏東もムリかも知れません。
高雄までは行って、そこで状況を判断するしかありません。

台湾も日本も、今年は大変な夏ですね。しかしもっと大変な奈落が、その先にあるかも知れません。
私は楽観していますが。日本人は愚かではないと。

「台湾人生」を、ご覧下さい。
そして、次の私の言葉を、思い出して下さい。

「私が靖国を参拝するのは、思想信条の問題ではありません。(右翼左翼に関係しません)」

http://www.nomusan.com/~essay/jubilus2009/08/090801.html

 

朝日新聞について

 投稿者:おつる  投稿日:2009年 8月10日(月)21時11分6秒
返信・引用 編集済
  夢之介さん、民主党は、政権獲得のために
今まで一貫して与党の自衛隊インド洋給油活動に対して反対したにも関わらず、
今回民主党は自衛隊のインド洋給油活動を容認する発言をしましたね。
政権交代にむけたパフォーマンスでしょぅ。

朝日は、民主党の政権獲得を応援し宣伝紙になり下がっていますから、
そのために民主党が主張を変えてごまかしているように、政権交代のために
左翼でない国民にも広く受け入れられるように動いている部分はあると思います。

詳しくは「民主党の正体」http://www35.atwiki.jp/kolia/pages/159.html
のページを読み、その中にある「朝日新聞の正体」・「テレビ朝日の不祥事年表」を
読んでくださいね。
 

やよいさんへ

 投稿者:maggie  投稿日:2009年 8月10日(月)20時32分40秒
返信・引用
  >大阪教区の皆さん!!
>とんでもない司教のために,祈ると言う言葉は出ないのでしょうか?
>あなた方の敵(?!)である司教のために、祈ることは出来ないのでしょうか?

おつるさん、
やよいさんは彦左衛門さんではなく、大阪教区の私たち(おつるさん、Rickさん、夢之介さん?)に問いかけておられるので、私が代わってお返事しますね。

司祭年も始まり、今まで以上に司祭のために祈らねばとせっせとロザリオ、体力の許す限り聖体訪問といそしんでいます。
この司祭のためにというときは当然司教方(教皇様も)も入るわけで、その時に「大阪教区の司教方を除外します」なんて前置きなどは致しません。
すべての司祭が、よき司牧、よき教導、よき判断をできるように祈るのは信徒の務めですから。

灰の水曜日にI神父様は釈放されたのですが、その時、教区司祭から、「今回のことはすべて人間関係の歪みから生じたことです。これから、その教会内の人間関係を修復しなくてはなりません。皆さんも祈ってください」との説明と依頼を受け、信者一同、まったくその通りと思い、祈りをお捧げしました。

http://blogs.yahoo.co.jp/st_cuore

 

カトリックとは関係ないですが

 投稿者:夢之介  投稿日:2009年 8月10日(月)20時26分56秒
返信・引用 編集済
  みなさんこんにちは
みなさんにご意見を伺います。

最近、思うのですが朝日新聞とテレビ朝日、これまでの左翼一辺倒
から何か路線が違ってきたような気がするのですが、僕の気のせい
でしょうか?
皆さん、どう思われます?
これまでの「反日反米憲法9条死守」
という立場から、過去の戦争を客観的に見て、戦争は決してよくない
が、正当防衛による戦争は最後の手段としてあってもいい、という
ような方向になってきているような気がしてきます。

僕はこの夏の異常気象とノリピー逮捕によるショックから頭が変に
なってきたのでしょうか?
 

平和の鍵

 投稿者:ヨゼフ・ジェンマ  投稿日:2009年 8月10日(月)20時12分22秒
返信・引用 編集済
  アヴェ・マリア!

左傾化した聖職者たちは、たとえその考えが甚だしく間違っていようとも、
彼ら自身の「主観」においては、確かに「世界における平和の構築」に向かって
力強くポジティブに進んでいるのでしょう(あくまで彼ら自身の主観において)。
そしてまた、彼らの考えと運動は、たとえ平和問題に関して実のところ全く
非現実的であろうと、また、その中で彼ら自身の聖職を甚だしく裏切り破壊して
いるのであろうと、それでも世間一般の感覚から見れば、「平和の構築」に
向かったある種ポジティブな「外観」を持っている、と言えるのかも知れません。
簡単に言えば、彼らは、いわば「平和の鍵」に関して、
「こうすれば世界は平和になる(だろう)」と打ち出しているようだからです。
そして、その時、彼らはおそらく「福音化」といった、曲がりなりにも信仰的な
言葉を使います。

それに対して私達は、あらゆる方面から、
彼らの考えの間違いであることを、非現実的・空想的であることを、
矛盾であることを、聖職への裏切りであることを、言うことができ、
また実際、言っています。
そして勿論、そこには見るべきものが多くあります。
もちろん、非現実的・空想的なことを言ってこの国を危うくするよりは、
そのような姿勢の方がずっと良いに決まっています。

しかし同時に、このことを、私は一面、寂しく思います。
私達は彼ら左傾化した聖職者たちに対し、彼らの目の前に、
「いや、そうではない。そうではなくて、世界の平和はこのようにして成るだろう」
という、政治談義ではないけれども、ハッキリとした代替案・対抗案のようなものを
提出することに失敗しているように思われるからです。
私達は彼らの「信仰」の装いを持った安易な現実感覚を批判するのですが、
他方自らは、地上の「平和の問題」と自分たちの「信仰の問題」の間にある
距離を計りかねているようなところがあります。
つまり、誰も、「平和の鍵。それは祈りです」と自信を持って言うことが
出来るようでありません。平和問題に関する私達の感覚は、実際のところ、
信仰を持たない善良な市民達とそう大差ないように思われます。

私としては、「平和の鍵」は「聖母の汚れなき御心」にある、と思います。
「平和」の問題に関して、左傾化した聖職者たちの考えの前に私達が置くべきなのは、
「聖母の汚れなき御心」、これなのだろうと思います。
これは私の意見です。あくまで、私個人の意見です。
しかし私は、私と同じくカトリック信仰者である皆さんにお訊きしたい。
時間のある方だけで結構ですが、次のページの中の
「ポルトガルの奉献:『聖母のショーケース』」以下を、よろしければお読み下さい。
http://www.d-b.ne.jp/mikami/addup.htm

私はこの事例を、以前、カトリック教会の召命の減少との関係で目をつけましたが
http://gokyo.ganriki.net/diary2007/d-2007-11-07.html(読む必要はありません)、
もちろん平和問題とも大いに関係があると思うのです。
そこには、人類と聖母の汚れなき御心が強力に結びついた時、
地上の政治情勢までを変える
、ということが書かれています。
これはカトリックの信仰世界における歴史による一つの力強い「証しtestimony」
だろうと思うのです。

それで、いつものようにちょっと強い調子で訊きますが(笑)、
あなたは、左傾化した聖職者たちの考えに「非現実的」という形容詞を付すと同様に、
このようなことにも「非現実的」という語を付しますか?

http://gokyo.ganriki.net/index.html

 

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