永琳の手から解き放たれた矢が、さらに『妖夢』の手の甲を射抜いた。
刀を握れずにいる隙に永琳が屋根の上から颯爽と飛び降り、鈴仙を瞬く間に『妖夢』の目の前から掻っ攫ってしまう。
一瞬で踏み込まれることのないギリギリの間合いをとった後、再び永琳は『妖夢』に弓を向けた。
「し、師匠・・・」
ぶるぶる震え続ける鈴仙の頭を、永琳の掌がぽん、と叩いた。
「隠れていなさい、優曇華。奴の相手は私がするわ」
「・・・」
永琳の背中に強く縋りつき、無言のまま鈴仙は頷いた。それでも、身体の震えはどうしても止まってくれない。
今、こうして生きていられるのが不思議なほどだ。永琳が現れても、極限の恐怖が冴え冴えと頭を揺さぶる。
怯える鈴仙の頭に、永琳がそっと手を置いた。
「怖いの?」
「・・・」
「安心なさい。そう長くはかからないわ。・・・それともなにか?私では頼りない、とでも?」
「えっ・・・」
背中に埋めていた顔を上げ、鈴仙が呆気にとられた。
『妖夢』の手に二振りの太刀が戻り、月光を浴び煌く。つかつかと足音が迫る中、永琳が矢を手にした。
「い、いえ・・・滅相もありませんっ・・・」
「なら、怖がる必要はないわよね。あなたの師匠は、この私・・・八意永琳なのだから」
頭を軽く撫でられると、不意に身体の震えが止まった。縋りついていた永琳の背中が、山のように大きく見える。
永琳の腕に力が篭もり、弓の弦がぎりぎりと緊張を増していく。永琳の背中から、鈴仙の手が離れた。
「・・・はいっ」
涙を拭いながら答える鈴仙の頬は、どこか赤く火照っていた。

(師匠・・・)

ここまで師匠を頼もしく思ったのは、本当に久しぶりだ。
『妖夢』も流石に永琳の実力は分かると見えて、鈴仙に対した時のように積極的に踏み込んだりはしない。
「八意永琳・・・あなたにだけは見つかりたくないと思っていたのですが」
「隠密行動はもう少し静かにやるものよ。あなたは騒がしすぎる。とっくに良い子はおやすみ、の時間。
こんな夜更けに、派手に物音立てて遊びまわっている悪い子は・・・私が寝かしつけてあげるわ」
間合いは『妖夢』の限界射程距離の一歩外。勝負は永琳の二矢を待たずして決する。
永琳が一矢で仕留めるか。それとも、仕損じて『妖夢』の一太刀が永琳を捕らえるか。
いずれにせよ二撃目はない。瞬きの間すら待たずに決着がつく。『妖夢』が間合いに踏み込んだ、その一瞬で。
「見つかってしまったものは仕方がありません。・・・いざ、尋常に・・・勝負」
重々しく張り詰めた空気が、二者の間に果てしなく静かに居座り続けた。鈴仙の頬を冷や汗が伝う。
永琳の表情にも、『妖夢』の表情にも、動揺の色は一切見られなかった。極限の集中のみがそこにあった。
しばし両者は微動だにせず構え続けていたが・・・刹那、『妖夢』の切っ先がわずかに動いた。

「!!」

次の一瞬、鈴仙は心臓が止まりそうになった。


永琳の腕が、突如として膨れ上がった。


「っ!?」
限界まで引き絞られた弦が解き放たれ、漆黒の虚空へと飛翔する。
矢唸りが響くよりも速く、渾身の一矢が『妖夢』の胸を貫いた。
影の血飛沫が、胸を貫通してなお止まらず伸びていく矢の軌跡を追うように躍り狂った。
「がっ・・・!!」
斬り込みの勢いが止まった。胸の中心に空洞を穿たれ、『妖夢』が永琳の目の前で膝をつく。
永琳の勝利だ。永琳の一矢は狙い違わず『妖夢』を射抜いた・・・のだが。

鈴仙の目は、変貌した永琳の右腕に向けられていた。

「し、師匠・・・まさか、それって・・・」
急激な筋肉の隆起で、肩口から袖にかけてが耐え切れずに跡形なく無残に破れてしまっている。
服を内側から引き裂いて存在を主張する岩山のような筋肉。右腕だけが巨大かつ筋骨隆々という不気味な図。
「特定部位の強化に特化した、改良版DCS・・・実験は成功ね」
「またかーっ!!」
右腕の筋力のみを極限強化して、放つ一矢に全力を乗せる。想像を絶する威力だった。色んな意味で。
『妖夢』が胸の中心を射抜かれながら立ち上がった。どうやら、心臓(にあたる部分)貫通は免れたらしい。
「・・・お見事。私の負けです」
「あら、微妙に手元が狂ったかしら。仕留め損ねたわね」
永琳がさらに一矢番え、『妖夢』の額に突きつけた。
「あなたは運が悪い。何せ、同じ死ぬのに矢を余計に一本浴びることになってしまうのだから」
「・・・敗れはしましたが、ここで殺されるわけにはいきません。私の使命はまだ達成されていない」
「けれど、逃れられはしない。潔く諦めることね。死に様は美しいに越したことはないわよ」
「どうでしょうか?・・・あなたは、私のことを何も知らない!」
『妖夢』が眼をかっと見開いた。鈴仙が注意しかけたその時には、もう遅い。

「師匠ッ!!気をつけ・・・ッ!!」
「・・・・!?」

永琳を狂気の瞳が襲った。流石の永琳も不意を突かれ、弦を引き絞っていた指を緩めてしまう。
その隙に『妖夢』の一太刀が永琳の胸を掠めた。斬り飛ばされた服の切れ端が宙を飛ぶ。
『妖夢』が刀を収め、自慢の速度を存分に披露した。永琳が再び弓を構えた時には、既に射程距離の外へ。
彼女の姿が夜空へ消えてしまうと、鈴仙は慌てて永琳の前へ。
「師匠、大丈夫ですか!?斬られて・・・」
「大丈夫。掠っただけよ。服が斬れただけだわ」
斬りつけられた胸元は服がはだけているだけで、特に目立った傷は見られなかった。鈴仙が胸を撫で下ろす。
けれど、『妖夢』に止めを刺し損ねてしまった。ここであの黒いスペルカードが功を奏することになるとは。
「・・・逃がしちゃいましたね」
「いいのよ。後悔しているのは簡単だけれど、物事は常に前向きに捉えるべき。
奴は期待以上に色々なことを教えてくれたわよ。・・・この私に手の内を晒すとは、良い度胸だわ」
年の功か、永琳はいつまでも悔いたりはしない。二億年の人生で、後悔からは何も生まれないことを熟知している。
弓を背中に差すと、急に永琳の手が鈴仙へと伸び、軽く抱き寄せた。
「怪我はないかしら、優曇華?」
「・・・っ・・・ぇ・・・は、はいっ・・・」
普段なら不気味がるところだが、何故か今夜は素直に彼女の優しさを受け入れられる。
軽く鈴仙の頭を撫でた後、永琳は足を玄関の方へと向けた。
「さあ、もう入るわよ。次のことは明日になってから考えましょう」
恍惚と永琳の背中に見惚れていた鈴仙も後を追った。もう既に、幻想郷の月は傾きつつあった。

「見つかってしまいましたか。出来るだけ手早く済ませたかったのですが」
銃口を突きつけても、妖夢は鈴仙の方を見ようともしない。
一体、いつの間に侵入されていたのだろう。鈴仙は勿論、永琳さえも気づかぬうちに。
『鈴仙』は、がちがち歯を鳴らしながらもがいたが、梁に縛り付けられているので身動きが取れない。
「やめてよ・・・なんで、私が・・・私、まだ何も喋ってない・・・何もバラしてないのに・・・!!」
「往生際の悪い・・・一度敵の手に落ちた以上、あなたの運命は決まっている。
私達は主の御意思あってこそ『身体』を保つことが出来るのです。主に見限られたあなたに、存在する権利はありません」
「い、嫌ぁ・・・っ!」
鈴仙がさらにじりじりと詰め寄っていったが、妖夢は気にも留めず握る柄に力を込めた。

ざしゅっ・・・

『鈴仙』は悲鳴すら上げる間もなく、妖夢の凶刃に倒れた。
舞い飛ぶ黒煙が空中で集約し、絵柄のない黒一色のスペルカードを出現させる。
「あなたの役目は終わりました。私の力となりなさい。それが、我が主の御意思」
妖夢の指がカードを掴んだ。彼女の指先のみが漆黒に染まり、黒いスペルカードと一体化する。
黒いスペルカードはそのまま妖夢の指先に取り込まれていき、彼女の瞳を狂気の真紅に染めた。
「・・・あ、あなた、一体・・・」
驚くべき光景の連続に、鈴仙の銃身が震えていた。『鈴仙』の消滅の後出現した黒いスペルカード。
それを体内に取り込んでしまった妖夢。彼女の瞳に走る紅の光が、鈴仙の目を貫くが如く飛び込んできた。

「・・・月符『鈴仙・優曇華院・イナバ』」

「うぅ!?」
脳髄に突如として激痛が走る。鈴仙が壁にもたれかかりながら呻き声を漏らした。
ぐらぐら視界が揺さぶられる。『鈴仙』の瞳を見た時と、全く同じ感覚が襲いかかる。

まさか、これは・・・私の能力・・・!?

消滅した『鈴仙』。残骸から生まれたスペルカード。それを取り込んだ妖夢。
にわかには信じがたいが、妖夢が鈴仙の能力を自らのものとし、行使しているではないか。

いや・・・正確に言えば、妖夢ではない。

「・・・あなた、影法師ね・・・!!」
「なるほど、幻想郷の皆様方は我々をそう呼んでいるのですか。いかにも・・・その通りです」
妖夢ではない。妖夢の影法師だ。永琳の先見通り、仲間が捕らわれの『鈴仙』に対し行動を起こしてきた。
予想以上に動きが早い。『妖夢』は『鈴仙』の口を封じるのみならず、亡骸から能力を奪い取ってしまった。
痛みを堪えて銃口を向けようとしたが、『妖夢』の瞳が輝きを増し、鈴仙は立っていることも出来なくなった。
「さぞご苦痛でしょう。一思いに、この場で楽にして差し上げます」
『妖夢』が二振りの刀を振り上げた。断頭台の刃が、鈴仙の頭上で妖しく閃く。
今にも振り下ろされようとした刹那、鈴仙は死に物狂いで前方斜め上に向かって弾丸を連射した。
『妖夢』の手が弾丸に貫かれ、血飛沫の如く黒煙を吐き出しながら形状を乱していく。
永琳の言う通り、影法師は物理攻撃を受けると形状維持が不安定になる。『妖夢』が数歩後ずさった。
「楽にしてやる、ですって?結構よ。ところで・・・ここに来たってことは、何か知られたくないことでもあるのかしら?」
『妖夢』が怯んだせいか、頭痛が和らいだのをきっかけに、鈴仙がここぞとばかりに弾幕を撃ち込んだ。
しかし、決まったのはあくまで不意打ちの一発。追撃は悉く『妖夢』の刃の前に姿を消していった。
三歩ばかりの近距離で弾丸を跳ね除けたばかりか、次の瞬間にはその間合いすらも消え失せていた。
「えっ!?なっ・・・」
間合いを詰め、横薙ぎの一太刀。鈴仙はひっ、と小さく悲鳴を上げながら低く屈んだ。
姿勢を低めかわした鈴仙に、刃が頭上から襲い来る。どう避けるか考えるその前に、既に鈴仙の身体は動き出していた。
「ひゃああぁっ!」
情けない悲鳴と共に、横へ転げまわる。逸れた刃は止まらずに、勢い余って床に突き刺さってしまった。
「!」

(い、い、い・・・今だっ!!に、逃げなきゃーっ!!)

鈴仙は死に物狂いで『妖夢』に背を向け、逃げ出した。まずい、勝ち目が無い。
あれだけ近距離で撃って弾かれてはかなわない。しかも、踏み込んでからの一太刀が速すぎる。
無我夢中で避けたものだから、どう避けたかももう覚えていない。勿論次を避ける自信など皆無だ。

・・・・たたたたたたた・・・・

しかし、逃げれば逃げるほど足音は近づいてくる。冷ややかな殺気が、どこまでも執拗に追いすがる。
もう生きた心地もなくひたすらに走るしかなかった。一歩ごとに、響く足音が大きくなっていく。
だんっ、と一際大きな足音が聞こえたと思うと、鈴仙の姿は『妖夢』の影の下に没していた。
「お覚悟を」
月光をまとう刃が、天空から舞い降りてくる。今にも刀が鈴仙の頭上に下されようとした刹那、

「ぐぅっ!?」

響いたのは鈴仙の断末魔ではなく、『妖夢』のくぐもった声だった。
刀が弾き飛ばされ、風車のように回転しながら吹っ飛んでいった。
刀が地面に突き刺さるとほぼ同時に、飛来した矢が風唸りと共に空中の『妖夢』を貫く。
ぐらりと崩れ落ちる『妖夢』。鈴仙が涙目になりながら後ろを振り向き、肩を上下させた。
訳が分からずにきょろきょろと周りを見回していると、永遠亭の屋根の上に、弓を携えた人影を見つけた。
「~~~~~~!!し、師匠っ!!」

「あいにく、うちは診療所なの。・・・永遠亭の庭では、お静かに願えるかしら?」
八意永琳が、二本目の矢を番えた。

「逃げ回っても無駄よ・・・さっさと教えてくれた方が身のためだと思うけれど?
さあ、さっさと奴の居場所を吐きなさい。さもなくば・・・」
「あなたに付き合ってる暇はないんですっ!!邪魔しないでください!!」
「・・・ああ、そう」
真紅の光を掌中に握り締めながら、レミリアが椛を執拗に追い続けた。
最愛の従者を痛烈に扱き下ろされ、怒り心頭のレミリアに口先での説得など通用するわけがなかった。
紅く切り裂かれる夜空。レミリアの怒りの弾幕の中を、椛が死力を尽くし駆け抜けていった。
「全く、大した忠犬ぶりだこと。・・・だったらいいわ。残念だけど、今の私は最高に機嫌が悪いのよ。
もう、力ずくで吐かせてやるのも面倒だわ。こんなに月も紅いから・・・本気で、殺すわよ」

もう、時間がないのに・・・!!

早く。早く。早く。早く。

椛はそれだけをひたすらに口の中で繰り返しながら、無我夢中で飛び続けた。

文様を助けられるのは、私しかいないんだ――――――!!


永琳は部屋で一人静かに茶を口に運んでいた。ようやく仕事も一段落したというもの。
死にかけの急患が次々に転がり込んでくるし、『影法師異変』にいつの間にか巻き込まれてしまうし。
久々に多忙を極めた数日間だった。試作品の薬を試す絶好の機会となったのも事実だが。
「・・・影法師、か」
まだ、紫が危惧するほどの大異変は起きていない。各地に影法師が現れ、わずかに動きを見せている程度だ。
出現した影法師を虱潰しに叩いていくこと。今、未然に危機を防ぐために出来るのは、その程度のことしかない。
影法師原因の出現を掴み、直接叩かないことには、『影法師異変』はさらに激化するばかりだろう。

うちのNEETが二人に増えるだなんて、考えたくもないわ・・・

紅い月の夜空を眺めながら、永琳が身震い(?)していると、ふらふらしながら鈴仙が部屋に入ってきた。
「うぅ・・・酷いですよ、師匠」
「あら、優曇華。随分回復が早くなってきたわね。ふっふふ、私も負けていられないわね・・・」
「いや、対抗しなくていいですから!!・・・ところで、私の影法師はどうなったんですか?」
「物置に閉じ込めてあるわよ。薬は効かなかったけど、霊夢と早苗にフルボッコにしてもらったわ。
いやぁ・・・鬼巫女二人の競演はなかなか壮観だったわよ。新開発したDCSが早速役に立ったというものだわ」
鈴仙は全身の毛がよだつように感じた。『役に立った』って、まさか・・・?
「えっ、ちょ・・・師匠ッ!?まさかあの二人に注入・・・ッ!?」
「いずれ座薬バージョンも作るから、あなたにも使わせてあげるわ」
「患部で止まってすぐ数倍ッ・・・って、言わすなーっ!!」
「それはともかくとして。とりあえず、あの偽者はしばらくの間閉じ込めておくことにするわよ」
「え・・・どうしてですか・・・?」
『鈴仙』は言うまでもなく影法師の一人。放置しておけば、幻想郷に混乱を招くことは言うまでもない。
なのにあえて永琳が幽閉を選択するのは、それなりの理由があってのことだった。
「影法師の連中は一人一人勝手に暴れてるだけなのか、それとも組織的に動いてるのか・・・はっきりさせるのよ。
もし後者であるなら、影法師は共通の大きな『目的』のために動いている、と考えられるでしょ。
・・・となれば、組織の一員が私達の手に捕らわれていることを良しとはしないわよ。何かしら手を打ってくるわ」
さっきまでふざけた話をしていたかと思えば、急に至って真面目な話が始まった。
『鈴仙』を捕獲しておき、敵の出方を見ることで影法師に対するこれからの対策を考えようというのだ。
「組織的・・・ですって?そんなことが・・・?」
「ない、とは言えないわよ。霊夢とあなたの影法師が手を組んでいるような節もあったしね。
さて・・・どう動いてくるか。組織的に動いてくれる方が、まとめて叩けるから望ましい所だけど」
物置の方を眺める永琳。鈴仙はふと気づいた。今彼女が浮かべているのは、弟子でも滅多に見られない表情。
物憂げに、そして哀しげに・・・そんな顔をする時、永琳の視線の先には常に月の光があった。

(・・・師匠)

「・・・何かしら、人の顔をじろじろ見て?」
「いや・・・こんなに真剣な師匠、久しぶりに見たな・・・と思っただけです」
「失礼な。普段の私はいい加減だ、とでも言いたいのかしら?」
口を尖らせながらも、永琳のどこか暗い表情は晴れなかった。
滅多に見れない顔。けれど、永琳がこのような顔をするのは、決まって・・・
「今や月からの追っ手も途絶え、罪人の私達はようやく幻想郷という安住の地を得た。
・・・なのにまた居場所を失うなんて、冗談じゃないわ。嫌でも真剣になるというものよ」
「・・・姫様の居場所、ですか」
永琳が驚きの顔を見せた後、ふっと口元を緩めた。
「千年間も閉じ込めてしまったんだもの。もう、何も気兼ねなく暮らしていい頃よ」
輝夜を守ろうとする時、永琳は哀愁漂う表情を浮かべる。鈴仙はそれをよく知っていた。
月の追っ手を完全に遮断すべく、幻想郷の月を手中に収めた時も・・・同じ顔をしながら、事を進めていた。
永遠の罪人となった輝夜を、永遠に守り続けることが出来るのは、もはや八意永琳ただ一人。
「・・・優曇華、少し物置を見てきなさい。偽者がちゃんと大人しくしているかどうか」
「はいっ!かしこまりました!!」
いつにも増して威勢よく答える鈴仙に、永琳が首を傾げた。
「あら、随分元気ね。そろそろさらに強力な薬の実験にも耐えうる頃かしら」
「い、行ってまいりまーす!」
永琳が妙な事をし出さないうちに、鈴仙は慌てて部屋を飛び出していった。
影法師が捕まっているという物置へ向かいながら、ついつい込み上げてくる笑いを我慢できなくなってしまう。

NEETだなんだ言ってるけど・・・何だかんだで、やっぱり師匠は・・・

珍しく永琳がまともなことに対して真面目になってくれているのだから、勿論協力は惜しまない。
幻想郷の破滅は、必ず食い止めてみせる。永琳と輝夜が千年の苦難の末得た、永遠の住処を守るために。
「よーし、私も頑張るぞーっ!」
意気揚々、鈴仙が駆け出した。ますます月が紅く冴える中、物置前に辿り着いてみると。

「!!」

鈴仙の五指が、拳銃を模った。身も凍るような殺気が、物置の周囲に漂っている。
物置の戸板は真っ二つに斬り裂かれ、無残に転がっていた。脱走されてしまったのか、それとも・・・
忍び足で物置に踏み込み、息を殺しつつ不気味な静寂の中を進む。一歩、二歩、三歩。
そして鈴仙は足を止め、銃口を上げた。闇の中で蠢く、冷厳な刃の光へと向けて。
「・・・動かないで」

物置の中にいたのは、襟首を掴み上げられ、首の根に刀を突きつけられる『鈴仙』。
そして・・・漂う半霊に抱かれながら、刃の柄を握る少女・・・

・・・魂魄妖夢だった。

ここはどこ?

椛は、光一つない闇の中を彷徨っていた。
しばらく歩き続けるうちに、闇の中に文の姿を見つけた。
しかし、名を呼びかけても文は哀しげに微笑むばかり。やがて、文の姿が霞んでいった。

「文様・・・文様、どうしたんですか!?」
「椛」

頬に涙が一粒、きらりと輝いた。

「・・・今まで、ありがとう」


「文様ぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁーっ!!」
椛が弾かれるように体を起こした。文の姿はどこにも見当たらない。
体中に鈍い痛みが残っている。泳いでいた視線が、気づかぬうちに抱きしめていたカメラと手帳に向いた。
「!!」
はっきりしなかった意識が急に鮮明になった。震える指先で、椛が手帳をぱらぱらとめくる。
影法師の本拠地が湖上の石塔であること、『霊夢』が擬似大結界を展開しようとしていること。
様々な影法師関係の情報が記録されていた。カメラの中にはあの写真も収められているだろう。
全身から血の気が引いていく。今更のように置かれている状況が分かった。ということは、文は今頃・・・
「・・・あ、文様・・・っ!!」
椛が痛みも忘れ立ち上がり、すぐに文を助けに戻ろうとした。
足がもつれる。体中が震える。ろくに物を考えることも出来ないまま、あの湖を目指し足が動く。
そして今にも飛び立とうとした瞬間、最後に見た文の表情がぱっと目の前に蘇ってきた。
気づかぬうちに地面に置き去りにしていたカメラと手帳を拾い上げ、椛がきゅっと唇を噛み締めた。

行っては、ダメだ。

椛は何度も何度も手帳を読み返した。今まで文と共に集めてきた、数多くの特ダネが並んでいる。
思えば、今までいつも文の背中を追い、彼女に振り回されてきた。ページを捲る度、胸の奥が締め付けられる。
手帳のページにぽたり、と水滴が落ちた。さらに、ぽつ、ぽつ、と、雨垂れが地を穿つが如く、次々に。
「・・・うっ・・・うぅぅぅ・・・」
涙を拭うことも忘れ、椛はページを捲り続けた。
文が何故カメラと手帳を託し、椛だけを逃がしたか・・・そんなことは言うまでもない。
影法師首領と『霊夢』に対し、椛一人が加勢したところで結果は変わらない。二人揃って倒されるだけだ。

・・・文様・・・

どうして、今日に限って・・・

いつも無茶なことばかり言って、危険な取材に巻き込んで、迷惑をかけてくれたものなのに。
今日の文もいつも通り無茶を言って、危険地帯に自ら飛び込んで、盛大に迷惑をかけてくれた。
だから、いつも通り、一方的に巻き込まれて危険な目に遭わされる・・・筈だったのに。

どうして・・・

どうして・・・

今日に限って、あんなに優しかったんですか・・・?

文は自分の身を挺して椛を救い、最大風速の突風で闇の空間から逃がした。生命にも等しいカメラと手帳を託して。
あろうことか、謝罪の言葉まで付け加えて。決して聞くことはないだろうと思っていた、『ごめんなさい』の一言まで。

助けに戻ってはダメだ。

今やるべきことは他にある。文様は、私にその役目を託したんだ。

闇の空間へ再び赴こうとする足を強いて引き戻し、椛が涙ながらに紅き月の夜空へと飛び立った。
私の役目は幻想郷に影法師の情報を広めること。『文々。新聞』号外第二号を書くのは、文様ではなく・・・

「私なんですね・・・」

今まで散々迷惑をかけてくれたくせに。幾度となく危険な目に遭わせてくれたくせに。
さらに重荷を押し付けて、一言『ごめんなさい』で済ませようだなんて、余りにも虫が良すぎる。

「・・・許しません・・・あれくらいじゃ、絶対に許しません・・・
帰ってきて、もっときちんと謝ってもらうまでは、絶対に許しませんからね・・・」

今までありがとう、だなんて。
・・・謝り逃げなんて、させるもんか。

余りに薄い希望だとは分かっていても。間に合う可能性は限りなく低いとしても。
だからこそ、一刻も早く。一秒でも早く・・・仲間を募り、文の待つ闇の空間へ戻らなければ。

「だから、無事でいてください・・・っ!!」


夜空を飛ぶ椛の姿を、遥か彼方より見据える紅き悪魔の瞳。
紅の月を背に漆黒の翼を広げ、レミリアが牙を剥き出しにした。
「さあ、天狗狩りの時間よ」

「あ、あややややっ・・・影法師本拠地に潜入した射命丸記者、調査対象に発見されてしまいました!
調査中に勃発した思わぬアクシデント!!果たして射命丸記者の命運はいかにー!?」
「言ってる場合ですかーっ!!早く逃げましょう文様!!」
「仕方がありません、ここは一時退却です!!」
襲い来る陰陽弾に背を向け、文と椛が逃げ出した。しかし、『霊夢』も首領も、易々と二人を逃がしはしない。
首領は座して動かなかったが、『霊夢』はぐんぐんとスピードを上げて二人の背中に接近してくる。
「幻想郷最速のこの私に、速さで勝負を挑むつもりですか!?」
「ふん・・・いくら速かろうが、私達からは逃げられない」
首領が『霊夢』の背中に手をかざした。振り返っていた文の視界から、『霊夢』の姿が消失する。
文と椛が同時に空中で静止し、自分の目を疑った。既に『霊夢』が前に立ち塞がっているではないか。

(そんな馬鹿な・・・この私が先回りされるなんて!?)

現れた『霊夢』がにやにや笑いながら、偽りの月光の下で再び周囲の闇へと溶けていった。
「・・・あの虚像の月の下にある限り、あなた達には決して勝機はない」
声のみが周囲を駆け巡る。流石の文にも、こんな状況下で手帳にペンを走らせている余裕はなかった。
突然、椛の背後で闇がぐわんと隆起してきた。文が椛を突き飛ばし、背後からの攻撃をしたたかに浴びてしまう。
「文様ぁーっ!」
「か・・・は・・・」
闇のカーテンから、腕だけを出して御幣で殴りつけてきたらしい。
と思えばまた腕が闇の中に消えた。闇の中に溶け、姿を隠しながら攻撃してくる。
さらに加えて、ありとあらゆる方向から大量の陰陽弾が降り注いできた。頭上、下方、左方向、右方向・・・

(敵は一人だけのはずなのに・・・!)

首領がさっき『霊夢』に手をかざした様子があったが、あの時何かを仕掛けたのだろうか。
とにかく、この湖に留まっていては相手の術中により深く嵌まってしまうだけ。早く脱出しなければ。
さっき受けた打撃の痛みを堪えながら、文は手帳を握り締めて懸命に飛び続けた。
「無駄無駄。あなた達は見てはいけないものを見てしまった・・・決して、逃がすわけにはいかない」
『霊夢』が文の背後で頭から肘にかけてまでを闇の中から出した。
左手で闇に肘を乗せて頬杖をつきながら、右腕は依然として闇の中に潜り込ませたまま。

消えていた右腕だけが、突如として文の目の前に飛び出してきた。

「えっ!?・・・ぐっ!!」
狙い違わず、『霊夢』の右手が文の首の根を捕らえた。
ぎりぎり締め付けてくる手を必死で引き剥がそうとするが、余りに凄まじい力ゆえ動かすことも出来ない。
「ど、どういうこと・・・!?」
「文様、今助けに・・・うぅっ!!」
椛の方に今度は『霊夢』の足だけが現れ、腹に重い一撃を入れた。さらに、左手が椛の首を掴む。

上半身と、右手と、左手と、足が・・・それぞれ別の場所から現れている。

「ふふ・・・今の私は一面の闇全てを自らの身体としているのよ。どこからでもあなた達を襲えるわ。
いくら速かろうと関係ない。この湖の上にいる限り、それは私の手の内にいるのと同じ」

闇の中を泳いで移動しているのではなく、闇と一体化しているのか。

文はここで初めて天狗の団扇を手にした。暴風が『霊夢』の上半身めがけ吹きすさぶ。
しかし『霊夢』は闇の中に潜り込んでしまい、風の攻撃は全く意味を成さなかった。
「全く、面倒な・・・痛い目に遭わせなければ分からないようね」
右手に力が篭められた。指がみしみしと首に食い込んでくる。息苦しさに胸の奥が焼け付いていく。
文の目が、少し離れた場所で左手に首を絞められている椛へと向いた。
「も、も・・・み・・・かはっ・・・」
「あ・・・や・・・さ・・・ま・・・」
苦しみに歪む椛の顔が霞んで見える。せっかく影法師の本拠地を見つけ出したのに、捕まってしまうなんて。
自分一人が捕まるならまだしも、椛まで巻き込んでしまった。彼女は最初から『戻ろう』と言っていたのに。
文は、手帳とカメラを高々と宙へと投げ上げた。『霊夢』の注意は当然そちらの方向へ向く。
その隙を突き、圧縮された風の刃が霊夢の両手首を切り裂いた。二人の首から離れた手が闇の中に消える。
「!!・・・小癪な真似をッ!」
背を向けて逃げ出すかと思われた文は、何故かその場に踏みとどまった。
椛が投げ飛ばした手帳とカメラを受け止めたのを確認すると、文が椛に妙な表情を向けた。
文の顔を見て、椛が呆気にとられる。文が、天狗の団扇を椛に向けた。

「ごめんなさい・・・椛」

「文様・・・っ!?」

突然、嵐の如き暴風が、椛に襲い掛かってきた。
一瞬息が詰まったかと思うと、次の瞬間には椛は旋風に散らされる落葉の如く宙を舞っていた。
文の姿が、石塔が、湖が、銀の月が、どんどん小さくなっていく。椛が声を振り絞って叫んだ。
「文様ぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!?」

「しまっ・・・!!」
不意を突かれ、反応が一瞬遅れてしまった。慌てて手を伸ばしたがもう遅い。
文は全身全霊を込めて最大最速の風を放ったらしかった。ほぼ一瞬のうちに、椛の姿は湖上から消え去った。
しばらくの間、文は哀しげな笑みを椛へと投げかけていた。

「・・・本当に、迷惑をかけましたね。変なことにばかり付き合わせて」

手帳とカメラは椛に託した。『霊夢』が闇の中から這い出し、修羅の形相を文に向ける。
「味な真似をしてくれたわね、たかが烏風情が。・・・ただで済むと思うなよ・・・」
「あやややや、案外上手くいくものですねぇ。結界と同じでザルだらけですよ、あなた」
この期に及んで、文は彼女らしい不遜な笑みを浮かべた。
「これでこの地の情報が幻想郷に漏れましたよ。いずれ幻想郷の住人達が一斉に押し寄せてくるでしょう。
天狗二羽如き退治できなかったあなた達が、幻想郷全てを相手に出来ますかねぇ・・・果たして?」
「あぁ腹立たしい・・・口の達者な天狗だこと」
「口だけじゃありませんよ?一番達者なのはここです、ここ」
文が嫌味ったらしくペンで自分の頭を小突いた。『霊夢』のこめかみに青筋が浮く。
「あや?あやややや?怒りますか?怒っちゃいますか?プッツンしちゃいますか?」
「・・・いい度胸だわ。覚悟は出来てるんでしょうねぇっ!!」

『霊夢』の弾幕が唸りを上げた。

(今まで・・・ありがとう、椛)

文が翼を広げた。自らを飲み込まんとする、無窮の闇へと向けて。

レミリアが殺意の波動を漲らせながら飛び出していった後、パチュリーは咲夜の寝室を訪れていた。
差し出された『文々。新聞』号外を目にするなり、咲夜が硬直する。
「・・・っ・・・な・・・」
これまたレミリアとは違う理由で顔を真っ赤にする咲夜。
言うまでもなく写真に写っているのは影法師の『咲夜』。咲夜には当然のことながら身に覚えがない。
「ま、ま、ま、またいい加減なことを!!この私がこんなふしだらな真似をするとでも・・・ッ!?」
と憤慨の声を上げた直後に、咲夜が写真を見つめながらぶつぶつ呟き始めた。ごく小さな声で。
「・・・お、お嬢様がこんな可憐なお顔をなさるなんて・・・っ・・・ああ、なんて白くて柔らかそうなお肌・・・
・・・影法師・・・誰に断って私のお嬢様にこんな真似を・・・う、腕を・・・ぺろっ・・て・・・はわわわわわわわわ・・・」
「・・・咲夜?」
パチュリーに一声呼ばれ、自分の世界に入りかけていた咲夜が飛び上がった。
「はぅあっ!?・・・い、いえ、何でもありません!!」
パチュリーが盛大に溜め息をついた。いや、相思相愛なのは結構なんですが。
「そ、それにしても・・・あの天狗め、もしこんな身体でなかったらすぐにでも・・・」
「それには及ばないわよ。これ見るなりレミィが飛び出していったから」
パチュリーが窓の外へ目を向けた。日が沈み、鮮血の紅い月が漆黒の夜空に映えている。

・・・あぁ、今宵限りで『文々。新聞』は廃刊ね。


「ちょ、ちょっとーっ!!もう戻りましょうよ、危ないですよぅ!!」
「なーに馬鹿なこと言ってるんですか!!私の勘に間違いはありませんっ!!」
日没後もなおスクープを探して飛び回る文と椛は、何故か眩い弾幕を掻い潜りながら突き進んでいた。
四方八方から光の弾丸が飛び交い、闇に沈んだ夜の森を鮮やかに彩る中、文と椛はさらに深奥へ。
「虎穴に入らずんば虎子を得ず!!この先には、私達が夢想だにしない大スクープが待っているに違いありません!」
「う、うぅぅ、何を根拠にぃぃぃ・・・」
幻想郷最速の翼を遺憾なく発揮し、襲い掛かる弾幕をひょいひょいとあしらって突き進む文。
そんな彼女を追いながら弾幕を避け続ける、という所謂無理ゲーを強いられている椛は、既に半泣き状態だった。
「根拠?勘と経験です!この弾幕、どうも私達をこの場所から遠ざけようとしているように思えてならないのですよ!
何者かは知りませんが、これしきで清く正しい射命丸が引き下がると思ったら大間違いですよーっ!!」
「お願いだから引き下がってくださいぃぃぃぃ!!」
先に進めば進むほどさらに弾幕は密度と激しさを増していく。文の言う通り、これ以上進むなと警告するかのように。
本当に弾幕が『二人を近づけないため』に放たれているとしたら、これ以上深入りしてしまうのは危険すぎる。
無論、危険であるからこそ文がスクープの匂いを嗅ぎつけているのだということは言うまでもないが。
「そんなに怖いならあなただけでも戻ればいいでしょう。私は絶対に戻りませんよ」
「い、いいえ、そんなこと出来ません!文様を一人で先に行かせるなんて・・・!!」
「なら文句を言わずについてきなさい!・・・あややや?」
文が急に静止した。絶え間なく降り注いできていた弾幕が、ぴたりと止んでしまっている。
気づくと既に文と椛は闇夜の森を抜け、黒々とした夜の色と、輝かしき銀の月を映す湖を前にしていた。
荘厳な静寂を湖上に湛える広大な湖の中心に、銀の月に届けとばかり石造りの塔が伸びている。
「こ、ここは・・・?」
文が神秘的な光景をまず一枚フィルムに収めた。銀の月は天頂に座し、微動だにせず光を投げかけ続ける。
椛も思わず美しい景観に見惚れていたが、何の気なしに背後を振り向いた時、湖は視界から外れてしまった。

紅の月が、夜空に浮かんでいる。

(月が・・・二つ・・・!?)

森の上空には紅い月。湖上には銀の月。二つの月が同時に空に浮かぶなど、どう考えてもおかしい。
「文様、後ろにも月が・・・!」
「分かっていますよ、そのくらいのこと」
文も気づいているらしいが、あくまで彼女の関心は謎の湖に対して向けられているのだった。
「どこかで、空間の境界を越えたようですね。紅い月は、幻想郷の月。そして・・・この、銀の月は」
森で弾幕を掻い潜っていたせいか、気づかぬうちに二人は空間の境界を越えて異空間に踏み込んでいた。
たまたま境界が不安定になっていたのか、人為的に仕切られたものなのかまでは分からないが。
いずれにせよ、文の勘は的中していた。もし仮に、この湖と『影法師異変』との間に関係があるとしたら・・・
「大スクープには違いないんですが、記事のネタにしてもあんまり面白くなさそうですよねぇ・・・これ。
個人的にはやっぱり『主従間の許されざる情愛』みたいな危険な香りが漂うネタの方が」
「何でそういう方向に話が飛ぶんですかーっ!!」
「まあ、とりあえず湖の中央まで行ってみましょうか。あの石塔で何か見つかるかもしれません」
森を抜けた先に情事ネタを期待していたんだろうかこの烏天狗は。椛の突っ込みを待つまでもなく文が翼を広げた。
近づくにつれ石塔の外観がはっきりと目に入ってくる。塔の外壁を、滝の如く清らかな水流が流れ落ちていく。
塔の四方に落ちていく水流の源たる泉は、塔の頂上にあった。泉が、鏡のように頭上の銀の月を映していた。
水流が湧き出す泉。頂上の空間に備え付けられた祭壇。そして・・・塔の上に立つ、二つの人影。
「!!」
文がカメラを構えた。片や青装束の巫女・・・影法師『霊夢』。霊夢との接触後、ここに来ていたのか。
本来なら物陰で撮影したいところだが、上空からでなければベストアングルでの写真が入手できない。
『霊夢』の前に佇むもう一人の方が、祭壇へ向けて手をかざした。月光が床に落とす影がぐにゃぐにゃと蠢き出す。
文がごくり、と生唾を飲み込んだ。レンズ越しの視界の中で、蠢く影がやがて人の形を成していった。
人の形をした影が本体の影から切り離される瞬間を、文のカメラが捉えた。
レンズから目を離し、文が頬を紅潮させながら身震いした。新たに誕生した影法師が、夜空へと飛び立っていく。

(や、やった!!)

影法師誕生の瞬間を捉えた。つまりそれは、この秘境が影法師の本拠地であるという裏づけが取れたということ。
霊夢らが異変解決のために奔走している今、彼女達にとっては喉から手が出るほど欲しい情報に違いない。
さて、もう少し多くの情報を持ち帰りたい所だ、と、文がカメラを記者手帳に持ち替え、二人の会話に耳を傾けた。

「残りどれくらい時間を要するのだ?結界の完成には」
「まだまだかかるわよ。本物の私もさぞ苦労したでしょうね。博麗大結界なんて代物を作るのは・・・
今私が行っているのは言わば擬似的な大結界の展開。短時間でやれという方が無理な話だわ」
「・・・それでも、可能な限り大至急行うのだ。影妖精の警備のみでは余りにも心もとない」
「はいはい・・・分かったわよ、ボス」

文がボス(首領)と呼ぶ者に注目を集める。
しかし、ボスとやらの姿は黒い煙のようなものに覆われており、はっきりと目視できなかった。
影法師には首領が存在し、少なくとも『霊夢』はその支配下にあり、擬似大結界の展開を命じられているらしい。
文が手帳に情報を書き込み、さらなる情報に備えて聴覚を最大限に研ぎ澄ました。

しかし。

『霊夢』の視線が、文を射抜いた。

「!!」

「確かにあなたの言う通りだわ。・・・たかが天狗二羽ぐらい追っ払えないようじゃ」

爆音が、湖上の静寂を掻き乱した。

あぁ、そう・・・変なこと考えてたのは私だけ・・・か・・・あはははははは・・・

咲夜の寝室から離れたところで、レミリアは盛大に肩を落としていた。
カリスマがどうこう以前の話だ。これでは咲夜達に合わせる顔がない・・・と思っていると。
「レ、レミィ!!ここにいたのね、やっと見つけたわよ!」
珍しく大図書館から出てきたパチュリーが声をかけてきた。その手には新聞らしき紙が握られている。
「・・・何よパチェ、そんなに慌てて」
喘息持ちなのに無理をしてここまで足を運んできたのだろうか、相当に焦っている様子だった。
パチュリーが息を弾ませながらレミリアに新聞を差し出した。レミリアが紙面を一目見るなり絶句する。
「・・・・・・な・・・っ・・・」
「魔理沙が本を盗みに来たついでに置いていったのよ・・・全く、あの天狗ときたら」
「・・・・・・・・・」
新聞を握る指先が震え出す。先程までとは違った理由で頭に血が上ってきた。
しばらく紙面を穴が空くほど見つめていたレミリアが新聞を床に投げ打ち、パチュリーを置き去りに駆け出した。
「レミィ、どこへ!?」
「言うまでもないでしょ」
レミリアが振り返り、不敵に笑ってみせた。歪めた口の端に、悪魔の牙が妖しく煌いていた。

「一度、天狗の血を味わってみるというのも・・・一興ね」

レミリアが去っていった。久々にカリスマ全開のレミリアを、パチュリーは無言のまま見送った。
極限に達した怒りはえてして冷ややかなもの。恐らく、止めようとしても無駄だろう。
「・・・レミィがあんなに本気で怒るなんて、久しぶりに見たわね・・・」
パチュリーが新聞を拾い上げた。新聞の一面にでかでかと光る、問題の大見出し。


『紅き悪魔の忠犬、突如主に牙を剥く!?』


・・・黒衣の咲夜が、レミリアを床に押し倒している写真が掲載されていた。


「特ダネゲェェェェェェェェェェェェェェット!!ひゃっほぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉう!!」

その頃、問題の天狗は新聞記者就職以来の大スクープの嵐に酔いしれていた。
幻想郷を襲う異変も、彼女にかかれば宝の山。もうシャッターが止まらない止められない。
幻想郷最速の翼を存分に働かせた後、射命丸文は一旦翼を休めに着地した。
「ふっふふふふふ・・・こういうのを待っていたのですよ・・・『文々。新聞』の紙面が久々に潤うわね・・・」
平和な日常にはスクープは生まれない。異変の中にこそ新聞記者を歓喜させるネタがある。
『紅魔館メイド長の負傷』を初めとし、次から次へと流れ込んでくる特ダネの数々。
しばらくはネタに窮することはないだろう。まず幻想郷中を回った後、あることないことをつらつらと・・・
文が早くも興奮していると、遠くの空からふよふよと白い影が飛んできた。
「・・・あ、文様ぁぁぁ・・・速すぎますよぅ・・・」
いつも以上に張り切っている幻想郷最速に追いつけるわけもなく、椛が息切れしながらようやく追いついてきた。
手帳に何か書き込みながらにやにやしていた文が椛を睨んだ後、身を翻し即座に椛の背後へ。
「?」
「おーそーいー!!なーにをモタモタしてたんですかこの馬鹿犬ぅぅぅぅぅぅぅ!!」
「ひゃ、ひゃあぁあぁああ!?や、やめてください文様ぁぁぁぁぁ!!」
文が、椛の服の下に手を滑り込ませた。

もふもふもふもふもふもふもふ。

「分かっているんですか椛!?報道というものは何事にも増して急を要するものなのです!!
私達は常に幻想郷に最新の情報を提供し続ける立場であらねばならない!!それなのにあなたときたらぁぁぁぁ!!」
「ふ、ふぇぇ、そんなとこもふもふしちゃらめですぅぅぅぅぅ!!」
「まして今幻想郷には史上最大の大スクープ旋風が吹き荒れているのです!!この機を逸して何が新聞記者かぁぁ!!」
「す、すみませんでした!!い、い、い、以後気をつけます!!だからやめてくださいぃぃぃぃ!!」

しばらく後。

頬を上気させながら地面に沈む椛を見下ろしながら、文がくどくど語り出す。
「全く・・・私は既に『文々。新聞』号外第一号を書き上げてしまったというのに、何をやっていたんですか。
いかに私が幻想郷最速とはいえ、もう少し新聞記者としての自覚をしっかり持ってほしいですね」
「す・・・すみまふぇん・・・」
「今幻想郷に起きている『影法師異変』は、良質なスクープのネタを数多く提供してくれるんですよ。
『完全で瀟洒な紅魔館のメイド長が突然豹変して主人に襲い掛かる』だなんて、最高の特ダネだと思いませんか?」
「ふぇ・・・?でもそれって、確か影法師の方が・・・」
「そこが都合のいいところなんですよ!!本人には出来ないことを、影法師なら平然とやってのけてくれるのです!!
そこに痺れる憧れるゥッ!!・・・ってわけですよ!!何より、元々疑惑捏造は『文々。新聞』の十八番ですし!!」
「う、うわぁ・・・」
「さらに!!裏ルートに流すネタだって山ほど入手出来ましたっ!!
まずこれ!!服がボロボロに焼け焦げてあちこち変なところが見えちゃってるダブル巫女のセクシーカット!!
そして、全身どろどろのぐちゃぐちゃにされてハァハァしてる永遠亭の兎の淫らな姿ぁぁぁーッ!!」
文のテンションがいよいよ全開になってきた。淫猥な写真をひらひらさせながら絶叫・・・頭のネジが飛んでいる。
「いやいやいやいやいやいやいや!!どさくさに紛れて何撮影してるんですかーっ!?」
「ふふ、劣情に飢える変態という名の紳士の皆様に夜のオカズを提供するのも仕事というものです!!
自ら探すまでもなくネタが勝手に手元に流れ込んでくるのです、最高の稼ぎ時と言わずして何と言いますか!!」
「よ、夜のオカズ、って・・・良いんですか、そんなことして・・・?」
「何を今更。スクープ不足の平穏な時期、私達の収入の大半は裏ルートから得たものだったのですよ?」
「え、えぇぇっ!?」
文が最高にどす黒い笑みを浮かべた。
「知らなかったとはいえお給料を受け取ってしまったのです・・・あなたも立派な共犯ですよ・・・?」
「そ、そ、そんなぁあぁぁぁぁぁ・・・」
へなへなと肩を落とす椛に背を向けて、文が背中の翼を一杯に広げた。
「・・・さあっ、休んでいる暇などありません!!そろそろ行きますよ椛!!遅れずについてきなさい!!」
「えっ・・・も、もう行くんですか!?」
「当然!!最初に言ったでしょう、報道は何よりもまず急を要するものなのですっ!!」
文が地面を蹴り、空へと高々と舞い上がった。ろくに息つく暇もないまま、椛が慌てて続いていった。
幻想郷の空を、橙の夕闇が染め始める中、黄昏の陽光を一身に浴びながら、『文々。新聞』の記者達が飛翔していった。

「へぇ~・・・霊夢さん、間違いありませんよね」
「ええ。さっきはよくも小賢しい真似をしてくれたわねぇ?」
「・・・うぅぅ・・・」
哀れな囚われの兎が、霊夢と早苗を初めとした面々の前に晒し者にされていた。
亀甲縛りで身動きを封じられた上、様々な視線の前に晒された『鈴仙』の心中は察するに余りある。
「うちの早苗をこんな目に遭わせてくれるとはいい度胸してるじゃないか。さあ、早速お礼参りと・・・」
「お待ちください神奈子様。今、永琳さんが準備をしている所だそうですから」
「何の準備だい?」
「せっかく生け捕りにしたわけだし、身体を徹底的に調べつくして秘密を暴き出すつもりらしいわよ。
そのために何の準備が要るのかは分からないけど・・・っ・・・!?」
霊夢が言い終わらないうちに、室内に毒々しい紫色の煙が流れ込んできた。

濛々たる煙のベールに包まれながら、永琳が大量の試験管やらフラスコやらを携えて現れた。

紫やら緑やら、総じて毒々しい色の薬剤をずらりと並べたケース。
しかも一つ一つがボコボコ泡を立てている。軽く吹き出した一滴が落ち、床を焼き焦がした。
「さあ、徹底的に調べつくすわよ。身体のありとあらゆる穴の奥に至るまで」
「待て待て待て待て待て待て待て待て待て待て待て待て!!」
その場にいる全員が首を横に振った。洒落にならない刺激臭が部屋に充満する。
身体を調べつくす・・・というより、本気で殺しにかかっているとしか思えない薬の数々。
「何よ、血相変えて」
「待ちなさい永琳、それ何の薬よ!?」
「別に何の薬でもいいでしょ。全く、私は私なりに幻想郷の異変解決に貢献しようと」
「む・・・ま、まぁ、そうね。月の賢者が考えることはよく分からないわ」
「よくなーい!!よくなーい!!」
『鈴仙』が必死に訴えた。そりゃ、服用させられる立場としてはたまったものではない。
「さあ、今日はヤゴコロ印のハイポーションシリーズを試用するわよ・・・
①栄養ドリンクやら精力剤やらを混ぜまくりニンニクや生姜などを配合した廃ポーション(乾燥剤入り)
②様々な漢方を調合した末に濃縮した(ここ重要)なポーション、ちなみに炎のシジミは入っていない
③天然ハーブで作り上げた白魔道士製のポーション、月から持ってきたハーブで試してみようかしら

・・・上記の元ネタはニコニコ動画(ββ)で「ポーション」タグで検索すればいいんじゃないかしら」

「馬のマスクの額に『犬』って書いてあるあの人ですか・・・!?」
「ま、まぁ、とりあえず薬については後にして。・・・で、永琳」

霊夢が、永琳の傍らを指差した。

「なんで本物まで縛るわけ?」

何故か、本物の鈴仙まで拘束の憂き目を見ていた。
当然鈴仙は必死にもがいているが、縛られていては陸地で跳ねる魚程度の動きしか出来なかった。
「し、師匠ーっ!!なんで私までーっ!?」
「ふふふふふふふふ・・・諦めなさい優曇華。薬学の発展には尊い犠牲は付き物なのよ」
「犠牲?犠牲確定ですか?生贄前提なんですか?」
「大丈夫よ、最悪でも口から青い泡吹いてビクンビクン痙攣するくらいで済むから」
「む、無駄に生々しい・・・」
「問題ないわ、私を誰だと思っているの?私が作り上げる薬に失敗作などは存在しないわ」
「それ以前に師匠の頭の中が失敗作です・・・」
「何を言ってるのかしら。この実験によって、幻想郷の住人の命がいくつ救われることになると思う?」
「少なくとも私の命が救われないことは確かだと思います!!」
「ふぅむ、100点満点中50点ね。影法師の命も救われないわよ」
「いや、そこ否定するとこですよね普通!?」
「問答無用!!覚悟なさい優曇華×2!!」
「ストップ!!ストップ!!HELP ME,ERIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIN!!!!」

哀れな兎の断末魔が、永遠亭に響き渡った。


「なるほど。とても分かりやすく差が出てるわね」
数時間後、永琳がまとめた実験結果に目を通していた。
どろどろした液体に塗れてダウンしている鈴仙。服がはだけて半裸状態なのは何故だろうか。
対して、『鈴仙』は特に変わった様子がない。この結果を見るだけでも十分だった。
「本物には効くけど、影法師には効かない。飲み薬に塗り薬に座薬も試したけど全部結果は一致していたわ」
「座薬?座薬なの?注入したの?」
「そこに突っ込むか。・・・結論から言えば、影法師は『生物の肉体を持っていない』ということは分かったわ。
霊体に近い存在と言えるわね。レントゲン撮影しても空っぽだし、聴診をしても鼓動は聞こえない・・・
姫様経由で情報を仕入れたニコニコ薬学部のポーションが全く効果をなさなかったことからも明白ね」
「そうか、情報源はあのNEETか」
「生物の肉体を持っていないから、咲夜の能力で肉体に負担がかかることなく時間停止が出来た。
さらに生物でないから波長も存在しない。そのため優曇華の波長操作の能力が通用しなかったのよ。
・・・ただし、肉体を持っていないのに咲夜のナイフ攻撃は効いた。『物理攻撃は通用する』のよ」
「・・・どういうことよ、それ」
「あくまでこれは仮説だけど」
てゐに運び出されていく鈴仙の姿を見送りながら、永琳が続けた。

「影法師は、『能力だけが具現化した存在』と考えられるわ」

「具現化・・・?」
「例えば優曇華であるならば、波長操作の能力が優曇華の姿形を真似て独立し具現化した、と言えるわ。
持ち主に行使されることでしか発揮されない筈の能力が、自ら明確な意思を持って行動しているの。
能力そのものだから肉体の限界に縛られることはない。そのため能力を本体以上に上手く発揮できるのよ」
「・・・そうだとして、どうして物理攻撃が効くわけ?」
「例えば。水というものには本来決まった形は存在しないけど、容器に入れると決まった形に収まるでしょ。
容器の形が変われば水も形を変える。また、もし容器が粉々になってしまえば、中の水は形を失ってしまうのよ。
それと同じなのよ。能力というものは本来形を持たないはずでしょう?それが『影法師』という形になっている。
攻撃を受ければ形状維持が不安定になり、最悪の場合は維持が不可能になって消滅してしまうのだと思うわ」
分かったような分からないような。霊夢が難しい顔をした。
「難しい話のようだけど、要するに『本物を殴るのと影法師を殴るのに特に違いはない』と考えてくれればいいわ。
影法師を倒す方法は単純明快。『殺す』・・・ただそれだけよ」

『咲夜』も心臓にナイフを突き刺され、生物で言えば『死亡』の状態に追い込まれた。
こうなれば影法師は形を維持できなくなり消滅する。生物の『死』と影法師の『消滅』は同義なのだ。

「なるほど。分かりやすくていいわ。特に難しいことを考える必要はないのね」
「ええ。結論を言ってしまえばそうなるわ」
「あの薬で何を調べるのかと思いましたが・・・れっきとした目的があってのことだったんですね!」
早苗が目を輝かせた。傍から見れば鈴仙を虐めているようにしか見えなかったのに。
「当然でしょ。私を誰だと思っているのかしら」
「やっぱり・・・幻想郷では常識にとらわれていてはいけないのですね!」
「・・・いや、それは違う」
霊夢が冷静に突っ込んだ。・・・このフルーツ(笑)め。

白い耳が、草茂みの中で眩く生える。狙撃手は、耳を目印にして弾丸を撃ち込んできた。
茂みを掻き分けて先へ先へと突き進みながら、鈴仙は狙撃手が潜む方角を目で追い続けていた。
物陰に身を潜めながら、銃口を向けるべき方角を探る感覚。月で軍役生活を送っていた頃以来だ。

木の上で、二つの紅い瞳が煌いた。

(今だ!!・・・私の目を見て、狂わずにいられるかしら!?)

それと見るなり、鈴仙はすかさず銃口を相手へと向けながら、『能力』を浴びせた。
二つの紅い眼光が火花を散らした瞬間、鈴仙が大きく仰け反った。激しい頭痛が、突然脳髄を駆け抜ける。

(っ・・・く・・・)

忘れていた。相手が永琳の言っていた『影法師』であるなら、同じ『能力』を持っているのは当然。
そして、能力発動のために目を合わせるのは、相手の能力発動の好機を与えてしまうことに他ならなかった。
視界に映るもの全てが二重三重になって見える。頭の内側がギリギリと締め付けられるような激痛が続く。

「あなたでは、私には勝てないわよ」

『鈴仙』の声が聞こえてきた。それが、自分の居場所を鈴仙に知らしめるものと知りながら。
鈴仙が銃口を向けたが、ぼやける視界が照準を合わせることを許さなかった。
「惜しい所で止めを刺し損ねたとはいえ、博麗と守矢の巫女はもろとも我が手に落ちた。
博麗霊夢ですら、私の手の上で踊る以外術を知らなかったのよ。ましてや、あなた如きに何が出来るというの?
仲間を捨てて幻想郷に逃げ込んだ、哀れで臆病な一匹兎如きが!!」
鈴仙は遮二無二弾丸を声の主の位置へと撃ち込んだ。しかし、やはり照準が合わない。ブレる。
『鈴仙』はその位置から微動だにしていないというのに、一発たりとも『鈴仙』の体に命中することはなかった。
「ふふ、止まっている相手にすら当てられないとは・・・よほど幻想郷で平和ボケしたらしいわね」
対して、『鈴仙』の弾丸は正確に鈴仙の体を狙ってくる。照準が合わない以上、避けるのが精一杯だった。

(そんな!?さっき、確かに目を・・・)

『鈴仙』には、鈴仙の能力が通用しない。しかし、『鈴仙』の能力は鈴仙に効果がある。
これではどちらが勝つかなど考えるにも及ばない。能力を完全にシャットアウトする相手と、一体どう戦えばいいのだろう。

・・・と、絶望的な考えに浸っていると。


がしっ


「はうぁっ!?」
思わず素っ頓狂な声を上げてしまう鈴仙。何者かの手が、頭を鷲づかみにしてきた。
続けて背後から聞こえてきた声に、鈴仙の顔から血の気がさーっと引いていった。
「さあ優曇華、私が命じた用事を言ってごらんなさい?」
振り向かなくとも身体をちくちくと刺すおぞましい殺気。小刻みに震える歯がかちかちと鳴り続ける。
「・・・言ってごらんなさい?」
「く・・・く・・・薬の・・・ざ、材料を・・・と、取ってこい・・・と・・・」
「ええそうよ、よく分かっているじゃない。・・・で、何を遊んでいるのかしら?」
「い、い、い、い、い、いや・・・ち、ち、ち、ち、ちが、違うんです・・・あ、遊んでたわけじゃ・・・っ」
頭蓋骨に食い込んでくる指圧に涙目になりながら、鈴仙が必死で『鈴仙』の潜伏している場所を指した。
しまった。すっかり忘れてた。影法師との戦いに必死になりすぎて、肝心の用事を頭の中から捨て去ってしまっていた。
「ねぇ優曇華、私また新しい薬を調合してみたのよ。特別に調合法を教えてあげるわ。

数え切れない薬剤を精密なバランスで配合し、特殊な味付けを施して煮込むこと七日七晩・・・」

「ちょ、ちょっと待ってください師匠!幻想入りにはまだちょっと早くありませんか!?」
「血管や尿からは決して検出されず以下省略。というわけで、折角作った薬だし、試してみたいのよね」
「ま、ま、また・・・私に、使うんですか?」
「いいえ。心配しなくていいわよ。もうとっくに自分で使ったから」
「え!?」

鈴仙が後ろを振り向く間もなく、彼女の足が地面から離れていった。
不気味なほど軽々と持ち上げられていく身体。余りの恐ろしさに、鈴仙は抵抗することも出来なかった。

(今、師匠の腕は一体どうなって・・・ッ!?)

見たくない。決して見たくない。見たら一生物のトラウマを植えつけられること請け合いだ。

次の瞬間、鈴仙の身体は、衝撃と共に宙を舞う空中の旅人となっていた。


「きゃああぁああぁああぁあああぁあああぁあぁぁああぁぁぁああぁぁぁっ!?」


銃弾の如くぶっ飛ぶ鈴仙。その視線の先には、潜伏していた『鈴仙』の姿があった。
「ちょ、え!?な、何してんのあんた!?こっち来るなーっ!!」
「いや無理無理無理無理!!止めて!!止めてくださいーっ!!」
急に時間の流れが減速した。『鈴仙』の表情が見る見るうちに凍り付いていく。
少しずつ少しずつ、ルビーの瞳と瞳の距離が縮まっていく。3、2、1・・・・・・・・・


がさり(×2)。


悲鳴すらも上がらぬ間の惨劇。草茂みに、二匹の兎が折り重なって沈んでいた。


「実験材料(モルモット)、二匹確保~っと」


鋼鉄の豪腕が、二人の襟首を掴み上げた。

ここまで来たら、もう後には退けない・・・!!

一足先に部屋に入っていったフランに続き、レミリアも意を決して部屋に入ってしまった。
「あんた達っ、主の見てない所で何をふしだらな・・・ッ・・・って、あれ?」
瞬間、レミリアが絶句する。美鈴は、咲夜の太股辺りに新しい包帯を巻きつけているところだった。
見る見るうちに真っ赤になっていくレミリアの顔に、フランが首を傾げた。
「どうしたの、おねーさま?」

あ、あれ?『あーんなこと』や『こーんなこと』してたんじゃないの・・・?

いや、咲夜が変な声出してたし!!
・・・あ、『痛い』とか『強すぎ』とか、そういう意味だったのね・・・
・・・慣れてないってのもそりゃそうね、門番だし。普段は咲夜がしてあげてる・・・そりゃそうね。

下の方も・・・ええ、そうね、今まさにやってる所だわ。上半身の方は巻き終わってるし。

じゃあ何?私が勝手に妄想して暴走してただけ?変なこと考えてたの私だけ?

「・・・ふしだら、って・・・?」
「いいいいいいいいやそそそそそそそそそそそんなこといいいいいいいいいいい言ったかしらーっ!?」

レミリアは逃げた。

とりあえず、逃げた。


「困るわね、厄介な怪我人ばっかり転がり込んできて。まぁこの前の咲夜よりはまだマシだけど」
一通りの治療を終えた後、薬瓶を抱えながら永琳がぶつぶつ言い始めた。
霊夢も早苗も、酷い怪我は負ったものの命に別状はなく、むしろ深刻なのは霊力の消耗の方だった。
「火傷なら簡単に治療できるし、銃創も内臓を撃ち抜かれてるわけじゃないし、特に問題ないわ。
ともかくしばらくは安静にして、霊力を回復させることね。薬もいくつか出しておくわ」
「はぁ・・・ありがとうございました」
医療用ベッドに横になりながら、早苗が薬に手を伸ばした。
永琳が霊夢に対しても薬を差し出す。霊夢はそれを受け取りながら、永琳に尋ねた。
「永琳。あんた、今回の異変については知ってるわけ?」
「ええ、咲夜の手当てをした時に聞いたわよ。全く同じ能力を持った偽者、だったわね」
「なら話が早いわ。・・・あんたの所の兎・・・鈴仙の影法師が現れたわよ」
「・・・何ですって?」
別の薬の調合を始めていた永琳が手を止めた。
「私の影法師を追ってた時、現れたのよ。私の前に出てくるなり、例の変な目で私を狂わせてくれたわ・・・」
「じゃあ、霊夢さん・・・やっぱり、正気じゃなかったんですね」
「当たり前でしょ、服の色が似てるぐらいで偽者とあんたを見間違えたりしないわよ。普通だったらね」
鈴仙の目を見た者は、例外なく正気を失って狂気に走らされることになってしまう。
弾幕勝負では多少の妨害程度にしか使わないが、フルパワーで放てばやはり恐ろしい能力だった。
「そして、傷ついた私達を森の中で付け狙ってくれたのもあの偽兎と考えてほぼ間違いないわ。
・・・理由は分からないけど、影法師の連中は何が何でも私達を消さないと気が済まないらしいわね」
『能力』で霊夢を狂わせ、早苗と同士討ちさせて弱らせた所を確実に仕留める。
もし紫がいなければ、今頃森の中に二つ出来立ての屍が転がることになっていただろう。
「優曇華の影法師、ねぇ。優曇華が何か知ってるかもしれないけど、今ちょうど薬の材料を取りに行かせてるのよ。
・・・・・・遅いわね、あの娘。ちょっと材料集めてくるぐらいで何を手間取ってるのかしら」
永琳が調合しかけの薬を置き、立ち上がった。
「少し待ってなさい、連れ戻してくるわ」

扉が、閉じた。

病室に残っているのは霊夢と早苗の二人だけとなった。
永琳が姿を消した後、霊夢が病室中に視線を泳がせた。他の誰かの視線は感じられない。
それを確認した後、間の悪そうな顔をしながら霊夢が口を開いた。
「早苗・・・悪かったわね」
「・・・え?」
早苗は自分の耳を疑った。・・・今、霊夢さんが、『悪かった』って・・・?
霊夢が自分の非を認めて謝るなんて。今日、これから大嵐でもやってくるんじゃないだろうか。
「あんたまで面倒事に巻き込んじゃって・・・さ。おまけに、そんな怪我までさせちゃったし・・・
・・・って、何よその顔。せっかく人が謝ってるってのに」
真っ赤になって照れる霊夢の顔に、ついつい早苗は口元を緩めてしまっていた。
確かに戸惑いはしたが、別のことを思わないでもなかったのだ。霊夢が頬を膨らませながらそっぽを向いてしまう。
「ふ、ふふふ・・・ごめんなさい、つい」
「・・・もういいわよ。謝って損したっ!!」
「気にしないでください、霊夢さん。私が勝手にしたことなんですから」
霊夢が一瞬だけちらりと早苗の方に目を向けた後、また別の方向を向いてしまった。

(・・・霊夢さんも、可愛いところあるんだなぁ・・・)

「早苗ぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇっ!!」
「きゃーっ!?」
微笑ましく思っていると、突然病室の障子が轟音と共に吹っ飛ばされてしまった。
部屋奥の壁に障子が激突するのとどちらが早いか、守矢神社の二柱が病室に突撃してきた。
そして、突撃の勢いのまま早苗に飛びつき、脳味噌がひっくり返されるほどぐらぐらと揺さぶった。
「早苗、早苗っ!!怪我したんだって!?大丈夫!?まだどこか痛むの!?」
「どうしたんだい!?何が起きたんだい!?何があったんだい!?もしかして・・・誰かにやられたのかい!?
誰だい、お前をそんな目に遭わせたのは!?許せない・・・今すぐにこの私が冥土に送ってやる・・・!!」
「た、大変だよ神奈子ーっ!早苗が返事をしてくれないよーっ!!」
「な、なんだってー!?さ、早苗、しっかりするんだ!!死ぬんじゃない、早苗ーっ!!」
「だだだだだだだだだだだだだだ大丈夫ですってばばばばばばばばばばばばばばば!!」
ようやく神奈子と諏訪子の早とちりを抑えると、頭をグラグラさせながらも早苗が微笑みかけた。
「だ、大丈夫ですよ。ご安心ください・・・お二人を置いて、私だけ先に逝くようなことはしませんから」

余りの笑顔の眩しさに、一度動きを止めた神奈子と諏訪子の腕が再始動した。

「ああああああああなんて良い娘なんだお前はーっ!!」
「あんなに小さかった早苗がこんな立派に大きくなってぇぇぇ・・・ケロちゃん感激だよぉぉぉぉぉ!!」
「っちょっ諏訪子様、大きくなって、ってどこのことですか!?どこに顔突っ込んで・・・っ!」


・・・・・・こんな神様が信仰を得てるなんて・・・私の神社は一体・・・?

霊夢は、心の中で深く溜め息をついた。

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