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韓国の最初の製菓会社は1945年に設立されたヘテ製菓だ。その年、国内最初の製菓である煉羊羹を発売した。お菓子ブームが本格的に起こるのは70年代だ。産業化によるインスタント食文化と脈を同じくする。これまで長寿菓子として生き残っているロングセラーの菓子が続々と発売された。71年、ヘテ製菓のブラボコーンを筆頭に農心セウカン、三養ポパイが発売された。74年、オリオンチョコパイとヘテのエースクラッカー、翌年マットンサン(ヘテ)は高級菓子市場を開いた。
この中でもチョコパイとセウカンは国民菓子の仲間入りをした。チョコパイは国外出張中だった研究員が、チョコレートコーティング菓子を味わってアイディアを出したという。チョコレートも貴重な時代にマシュマロまで加わったので、それほど洗練されたお菓子はなかった。当時は高たんぱく、高カロリー営養食として人気が高かった。もちろん最近は国内より国外で、より多く売られている。中国、ベトナム、ロシアなどから高級菓子としてヒットをした。
菓子の有害論議は日増しに激しくなるが、チョコパイの親しいイメージは変わらない。「言わなくても分かる」というCMソングに、89年からは製品名にまで“情”という文字を入れた。韓国的情緒に触れるイメージは、映画にも活用された。『JSA』では南北兵士らが仲良くチョコパイを分けて食べるシーンが登場する。身体は20歳だが、心は5歳の『マラソン』の自閉マラソンランナーはチョコパイと聞いただけでぐっとやる気を起こす。
しかし庶民性という面ではセウカンが断然先を行く。「手が出る。手が出る。ついつい手が出る」という中毒性に、質素な酒のつまみとして浮動の位置を守った。今回異物で問題になったケースのようにセウカンの似合う場所はカラオケやレクリエーションの場などだ。手で握って食べやすいため、子供たちにとっても最初に口にする菓子にもなった。
セウカンと同じ年に生まれたチェ・ジェギョンは 『息をするセウカン』という小説を書いた。セウカン開発者である男がお菓子の完成を目前に無念にも亡くなった後、その魂が女の子に乗り移るという設定だ。女の子はセウカンとともに生まれ、セウカンを食べて育つ。女の子の歴史はセウカンの歴史であると同時に、70年代以降の韓国社会の歴史でもある。
このような‘セウ(セウ=エビ)カン’だけに‘ネズミカン’となった波紋は驚愕だというほかない。セウカンといえば思い出すいくつかの思い出を持つ私たちに、セウカンはただのセウカンではない。私たちの衝撃は食べ物に対する不安感を超えたようだ。セウカンが呼び覚ます一時代、あるいは幼年の一時期が壊されてしまったような喪失感だ。