2009年8月12日
イラスト:阿部昭子
少女の怒鳴り声にYちゃんが飛んでくる。その場の雰囲気ですべてを察したナースYちゃん。こういう時は本当に頼りになる。
「はいはいはい、△△ちゃん、ちょっとこっちに来て私とお話しましょうね。先生は次の患者さんの診察があるからねぇ。お母さんは待合で待ってるからねぇ。心配しなくても大丈夫だよ。よく話し合おうねぇ」
Yちゃんは少女の肩を抱いて処置室の方へ連れて行ってくれた。
続いて母親が診察室に入ってくる。
「あの子ほんと、寂しがり屋なので私がいてやらないとだめなんです。今どこにいますか? 何か悪い結果が出ましたか?」
にこにこしながら母親はいう。
「お母さん、お嬢さんの事ですけど…、妊娠されてます」
私は努めて平静にさらりと言った。事実を淡々と述べる、でもいい。
「正確な最終月経を教えていただけなかったのではっきりしませんが、気持ち悪い、吐き気がするというのは、いわゆる『つわり』かもしれません。とりあえず、一度産婦人科に受診いただいてから今度の事を考えましょう」
母親は何の話かわからない、という顔をしている。
「妊娠って誰がですか?」
「お嬢さんです」
「そんなはずありません。まだ子供ですよ」
「そんなはずありました。検査で陽性と出ましたので」
「誰の子ですか?」
「存じません。まだそこまでお話できていません。というか、私と直接話してくれなかったのは先ほどの通りですから、お話はできません。おいおいご家族から聞いてください。とりあえず、今日はこれから産婦人科へ受診していただきます。もう一度正確な検査をしてはっきりした結論が出たら、今後について少し担当医と話しあっていただく必要が…」
「なんで妊娠したんですか? 間違いじゃないですか?」
「それも含めてもう一度婦人科に受診していただいて、ちゃんと診てもらって…話はそれから」
「できちゃった婚をするんですか?」
「14歳ですからまだ婚姻はできないでしょう? それに今そういうこと話すわけじゃないですから」
「学校はどうすればいいですか? 産休を取るんですか?」
「産休って中学生なんですから…だから、今大切なのはそういう話じゃないですから」
「いやだわ。夫になんて言えばいいですか? 近所の人になんて言えばいいのかしら? 恥をかくのは私なのに…」
ちぐはぐな会話は動揺しているからとしても、私はなんだか気分が悪くなってきた。この母親からはさっきから一言も娘の体を案じる言葉は出てこない。一言も。
「子供なのに産婦人科に行くなんてかっこ悪いじゃないですか。私が連れて行くなんて恥ずかしい。もう、そんなの自分でなんとかさせてもいいですよね?」
「自分でなんとかって。自分じゃなんともできないでしょう? 今一番心細いのはお嬢さんなんですから、こういう時こそさっきみたいにお母さんがちゃんとついて行ってあげてください」
「でもそういう子の母親だと思われるのはいやですし」
(事実そういう子の母親じゃないか!という台詞がのどから出そうになるのを押さえて)
「お母さん! さっきからずっと子供扱いなさっていたじゃないですか? 子供ですよ、ほんと、まだ精神は子供なんだから。お母さん、ついていってあげてくださいよ」
私は懇願口調になったが、母親は困った顔をしている。自分には関係ないことだと言いたげだ。
この母親にとって今最も興味のあることは「自分の立場」だ。自分が「子供思いのよい母親」が演じられる内科には代弁のために同行しても、「自分が親として恥ずかしい立場」になりそうな婦人科には同行したくない。そんな気持ちがありありと伝わってきた。この女の子は母親が気に入る時は子供扱いされ、母親の意に反した時はこうやって見放されていたのかと思う。あの子は子供扱いされながら、その実ずっと独りぼっちだったのかもしれない。
「いずれにせよ…、とりあえず婦人科へ回っていただきますね。じゃあ外の内科受付前で待っていてもらえますか?」
私は力なく伝えた。重い気持ちでカルテに事の流れを記載しているとナースYちゃんが顔をのぞかせた。
「先生、私あの子といっしょに婦人科行ってきますから。ちょっとここ、あけますよ」
「あの子、何かしゃべった?」
「はい。少しだけど」
ありがと、Yちゃん。少しの間だけでもあの子の心のそばにいてあげてね。
医学博士。医療崩壊の波が押し寄せる市中病院で勤務中。診療、研究、教育と戦いの日々。大学医局から呼び戻しの声があったものの、現場に留まる事を選んだがために青息吐息の不養生。愉快な仲間と必死に戦う現場での愚痴はおしゃべりすることで息抜きとする養生。医療現場の日常をちょっと変わった角度からお伝えします。