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yakobu 's Diary
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2008年02月29日
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- 恩人の松尾竹文さんの過去の記事(yahooブログから転載)
- 【ひと登場】
学校を変えねば いじめはなくならない
いじめ解消ボランティアネットワーク ―松尾竹文さんに聞く―
理由は、全く分からない。
小、中学校を通して、何故かいじめられ続けた。周りの子どもたちからは勿論のこと、教師からまで徹底的にいじめられたという。
殴られる蹴られるの暴行と、人間性がずたずたにされるような暴言を浴びせられる毎日に、学校生活はまさに地獄だったと話す。
いじめられたことを担任に訴えても「おまえんごたっとの言うことは信用出来ん」と取り上げてもらえない悲しさ。学級の中で「おまえの親父はなんか」と、父親を非難された時の憤り。子ども心に、必死になって書いて手渡した「アイラブユー」の紙切れが担任に持って行かれ、みんなの前で「勉強も出来んくせに、これはなんだ!」とば倒された時の屈辱感。「特殊学級に入れ」と言われたり、受験希望校を言っても「どうせ○○校しか入らんのだから」と聞いてもらえず、反抗的に希望校を受験して失敗すると「ほら見れ、入らんやったろが」とあざ笑う教師に対する怒り。心底恨み何度も泣いた。
そんな松尾さんに、今でも強烈な印象として残っている。忘れられない教師の言葉がある。
小学校一年の担任から「勉強っていうとはね、自分のためでもあるけど、人のために役立つようにもせんばとよ」と言われたこと。
四年生の遠足の前日、弁当を持って行けないため(両親が離婚調停中のため)に欠席すると言うと「先生が二人分作ってくっけん、一緒に行こう」と言ってくれた担任。
修学旅行の食事の時、一人ひとりの御飯を盛っている先生を見て、仲居さんが代わろうとすると「この子たちに御飯をついでやれるのもこれが最後でしょうから、私にやらせてください」と言い、心をこめてつぎ続けた高校教師。
「こんな先生もいてくれたからこそ、僕は救われたんです」と目を潤ませる。
高校三年の時、長崎大水害で友人を亡くす。その悲しみのさ中、救護に駆けつけた自衛隊員の活躍を目の当たりにして「人のために尽くすとはこういうことなんだ」と感動し、卒業と同時に入隊。しかし、戦争を想定した教育が主で、救護活動はその一部にすぎないことに気付き、理想像との違いに幻滅を感じて除隊。
専門学校へ通う傍ら、似たような過去を持つ物同志が集まり、暴走行為を繰り返すようになる。
仲間で酒を飲みながら、周りの者からのいじめや、教師からの冷たい仕打ちを語り合う中で、松尾さんは「学校を変えねば」「教育を変えねば」と真剣に考えるようになったという。
そんな折、大河内君の事件(http://yabusaka.moo.jp/okouchi.htm)にがく然となり「今こそ何かやらねば」という熱い思いがこみ上げる。
「親と教職員のつどい」で体験を発表。いじめに苦しんでいる子どもたちの多さにじっとしておれず「いじめ解消ボランティアネットワーク」を作り、会員を募集。すぐに県内から二十六人が集まった。
この会で行政に対し、子どもの立場に立った「いじめ相談室」の開設を迫ったが「団体の資格なし」と門前払いをくらう。
そんな時、長崎市内で相次いで起きた、中、高生の自殺に、行政も「ネットワーク」との話し合いのテーブルにつかざるを得なくなる。
でも行政の壁は厚かった。どんなに要請を繰り返しても、教師も学校も変わらない。変えようという努力さえ見えない。腹が立って、情けなくて、教育委員会に対する抗議の遺書を書き、市役所の屋上から身を投げて死んでやれば、少しは効果があるのではと、何度考えたことか。
そんな気持ちを思いとどまらせてくれたのが、子どもたちだった。
全く見ず知らずの子どもたちから届く、たくさんの電話や手紙やFAXでの「ありがとう」「頑張って」の一言に、ふつふつとして闘う勇気と気力がわき起こって来たのだと話す。
「子どもたちのためにと思って始めたことが、今では逆に私の方が、子どもたちに支えられ、成長させられている感じなんです」
松尾さんの顔は明るく、自信に満ちている。子どもたちにとっては、実に頼もしい味方である。
聞き手 松崎 龍一
この記事は、松尾さんが自宅で最近久しぶりにみつけた記事で、僕が見せてもらった時に、日記に掲載しても良いか聞いて、許可して頂いたので、日記に掲載しました。
今では、いじめ問題、教育問題に本気で関る方は誰でも知ってるような松尾さんですが、会が始まった当初は大変だったようです。
記事にあるように、行政・教育機関の子ども達の命の叫びに対して、無責任で自己保身なお役所仕事に失望して、死んでアピールしようと思ったようですが、子ども達の多くの言葉に勇気を受け、死ぬより覚悟が要る死ぬ気で頑張る生き様が展開されていったようです。
かつては申し入れしても知識も努力も足りなく、無名の認められない団体として鼻であしらわれたいじめ解消ボランティアネットワークでしたが、松尾さんは子ども達の気持ちに応えて必死に勉強し、必死に努力して、教育委員会とも沢山ぶつかりながら今の状況になっていったようです。 生半可な覚悟では出来ないことです。
今では県教委も市教委も長崎県も長崎市も松尾さんは侮ることは出来ない存在になってますが、ただ侮れないというだけでなく、松尾さんの自己犠牲の本気の生き様に惹かれ賛同する方も多く居られます。たとえ考え方や立場、方向性が違っても、松尾さんの生き様と心根を認める方も多数居られます。
僕自身は松尾さんと出会って9年くらいになります。前は松尾さんの愛の故の厳しさに反発して、松尾さんを裏切って、松尾さんを売るような真似すらしたこともあります。 僕が欺いて現実逃避的に松尾さんに反発している最中、決して松尾さんは僕を甘やかせるような甘い言葉は言いません、かえって、嫌われ、憎まれる覚悟で、涙を隠して心を鬼にして、現実の厳しさを僕に教えてくれました。 僕が現実から逃げ、努力と反省から逃げたことを認め、少しでも努力し始めた時、過去の事が無かったかのように僕を弟と再び呼んでくれるほど受け入れてくださいました。
僕との関り方ひとつとっても、松尾さんの生き様は他人のために自分を捨てる覚悟で生きてる方だと思います。
しかし、愛の故に物凄く強く、努力と行動の松尾さんですが、人間として、誰よりも真っ直ぐに人間らしい方だとも思います。 松尾さんが誰よりも強かった方ではなく、誰よりも自分の弱さも認め、弱さも沢山あるなかに愛と、その為の努力と行動を選んで来られた方だと思います。
もし、ただロボットのように正しく、強いだけの方だったら僕は離れていると思います。 弱い中にも欺かず、自分と戦い続け、真っ直ぐに生きた方だと思います。
僕自身は弱いから反省しない、弱いから努力しないと理屈ばかり言いながら甘ったれ逃げ続けてきた人生でした。
口では純粋っぽい事を言い続けましたが、松尾さんと出会って苦しみながらも学んだ結果、ある程度必死に生きてみないと、現実と闘ってみないと、純粋にものを考え、純粋に語ってるように見えても、自分の心が純粋ではなく、欺きを嫌っていながら、努力と現実と反省から逃げ続ける自分自身が一番欺いている事になると気がつきました。
最近まで何度も、神様や松尾さんは厳しすぎる、僕なんか生まれなかったほうが良かったと、信じてる神様に面と向かって恨み言を隠さず言う僕でした。
しかし、つい最近ぐらいから、厳しさの裏に隠された愛、涙、忍耐、慈しみ、赦しを感じるようになってきました。
最近聖書読む時も、神様は厳しいと思う反面、全ての人間の心の救いを願う神様は、私達の知らない隠れたところで沢山心を震わせて泣いてこられたんだなと思うようになりました。
僕自身も、もっと他人の痛みを知り、誰かではなく僕こそ反省をして努力できるように前進できるように、なりたいと願います。 正直、今後躓かない自信なんて100%ありません、しかし、たとえ躓いても、躓いたという現実から逃げずに、今日という日に立って歩む人生にしたいと思います。
どんな立派な人だって間違うもの、指導者だって間違うもの、反省を忘れた時点で人間として、その心根は堕落に突き進んでると思います。
どんなに低いところからの出発、人生の終末からの再出発であろうと、今日という日に反省という新しく生まれて真の苦労と喜びを知る道を思い出したら人間としての謙遜な心を取り戻した勝利者だと思います。
どうか間違わなかった事にしてしまうことによって、自分の心だけでなく、多くの子ども達の心まで殺すようなことの無い社会が実現しますようにお祈りいたします。

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