08: 紹介;安田将三、石橋孝太郎著太田出版『朝日新聞の戦争責任』
本書は1994年にリヨン社により発刊され、著作権侵害を理由に朝日新聞が圧力をかけ、発売停止となった本の復刻版です。 戦時中の新聞は言論統制されていたから、責任は問われないという見方がありますが、現実にその紙面を見るとそれはウソであるとわかる。 統制は確かにあった。しかし、勝利戦報道による売上大幅増加に味をしめ、むしろ統制が求めた以上に率先して戦争を煽りまくり、 結果として軍部をして、負けを認めることが不可能な地点まで追い詰めていったのが真実に近い。
caption--東スポもびっくりの戦争記事を徹底検証
■戦時報道の責任をとって辞任した形の当時の社長会長は、6年後に再び社長に復帰し、部長級実務責任者はそのまま社に残ってその後も順調に出世。 結局誰も戦時捏造報道の責任を実質的にとらなかったことで、 捏造体質が脈々とそのまま受け継がれました。
全く反省のない捏造体質は従軍慰安婦問題をでっち上げ、結果として韓国を恥知らずの恐喝国家に仕立ててしまい、 韓国の政治家や国民をして、このことに冷静に話し合えない哀れな立場に追いやってしまった。 これから先韓国には、日本人が納得できる実証的な話し合いをしようとしても、ヒステリックに検証を拒否するしか道はないような気がする。
■戦時中の報道責任者のその後の昇進ぶり
| 氏名 | 戦前の社内における地位 | 戦後の主な経歴 |
| 村山長挙 | 社長 | 朝日新聞会長(1951-1960),朝日新聞社長(1960-1964) |
| 上野精一 | 会長 | 朝日新聞取締役(1951-1970)朝日新聞会長(1960-1964) |
| 緒方竹虎 | 副社長 | 衆議院議員、自由党総裁、吉田内閣副総理 |
| 原田譲二 | 代表取締役 | 貴族院勅撰議員、大阪観光バス社長 |
| 石井光次郎 | 代表取締役 | 衆議院議員、通産大臣 |
| 鈴木文四郎 | 常務取締役 | 参議院議員、NHK理事 |
| 美土路昌一 | 常務取締役 | 全日空社長、朝日新聞社長(1964-1967) |
| 小西作太郎 | 常務取締役 | 日本高野連顧問 |
| 上野淳一 | 取締役 | 朝日新聞取締役、朝日新聞社主(上野元会長の息子) |
| 杉山勝美 | 整理部長 | 朝日新聞取締役 |
| 長谷部忠 | 報道部長 | 朝日新聞会長(1947-1949,朝日新聞社長(1949-1951) |
| 高野信 | 報道部長 | 朝日新聞取締役、テレビ朝日社長 |
| 荒垣秀雄 | 報道第二部長 | 朝日新聞論説委員 |
| 島田撰 | 欧米部長 | 朝日新聞論説副主幹 |
| 遠山孝 | 写真部長 | 朝日新聞取締役 |
| 飯島保 | 連絡部長 | 朝日新聞論説委員 |
■戦時中の報道実例と解説(膨大な実例の中のほんの一例です)
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全滅したアッツ島戦当時の天声人語-神風賦。 「いやしくも日本人たる以上 、例外なく、玉砕精神がその血管内に脈打っている事実がここに立証せられた」と日本人が死を選ぶのが当然という主張をした。こうした報道姿勢が、 多くの人々に降伏を拒否させ、死に向かわせる結果となった。 タイアップした生命保険広告がブラックジョークである。 このような朝日新聞の文章力が多くの人に自決を選ばせる結果になった。軍人に、このような文章の力で人を死に追いやれる能力などありえない。 この一点でも、朝日の戦争に対する積極的な関与が証明される。 また、このアッツ島戦で全滅の代用として玉砕という言葉を使う選語能力も遺憾なく発揮した。 |
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「欲しがりません勝つまでは」「撃ちてしやまむ」は戦時標語の代表で、朝日新聞はこの標語の普及に当たり、紙面や催しを通じて大キャンペーンを実施し、 有楽町元日劇壁面には、左の兵士の写真を畳100枚分で展示した。紙面では13回にわたり、撃ちてしやまむのタイトル付記事を掲載。国民の戦意を掻き立てた。 |
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あたかも朝鮮民族が徴兵制実施を待ち望んでいたかのように伝えている。今でこそ従軍慰安婦について 盛んに取り上げるのに、当時の記事には従軍慰安婦報道は全くない。朝日の記者は当時その存在を知らなかったのだろうか? 当時26万人いた朝鮮人兵士は、もしも強制連行で自分の妻や姉妹が慰安婦にさせられていたとしたら、どうしてそんな国のために戦ったのだろうか? |
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実際には完敗したミッドウェー戦を勝利したように解説。戦果と味方の被害数字はデタラメ。 戦略的に重要でないアリューシャン戦の成功を強調。太平洋戦争覇権の帰趨を決したと論じ、社説ではミッドウェー戦結果で気を緩めてはいけない、などと解説した。 |
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