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医局の窓の向こう側   


隠密同心 心得の条

2007年03月05日

隠密同心 心得の条
我が命、我がものと思わず
武門の儀 あくまで陰にて
己の器量伏し
ご下命いかにても果すべし
なお、死して屍拾う者なし
死して屍拾う者なし
 

イラストイラスト・木村りょうこ

 なんてナレーションで始まる時代劇があること、ご存じですね。結構かっこいいのですが。まぁ、そんなテレビを見ている時間もない学会シーズンになりました。皆さんご準備さぞ大変でしょうが、がんばってますか。学会活動も大切なお仕事、お勉強。張り切ってまいりましょう。

 医局の研究方針というのは、医局によって随分差がある。医局員が各々好き勝手な研究をその人一代で行っているところ。まあ、自由でよろしいと言えばよろしいのだけれど、指導者もおらず蓄積された独自のデータもノウハウもなく、となると、それなりに評価される研究に打って出るにはかなりの力量が必要とされる。よほど先鋭的な着想がなければなかなか評価されない。好きなことができる半面、仕事が大きくなりにくい。

 その一方で、歴代脈々とある課題について研究成果を蓄積していく医局もある。優秀な先輩が立ち上げた実験系を基礎に、次々と新しいデータを積み上げていく。指導者もいて実験のノウハウもあり、その疾患で有名、となれば症例も多い。新人がいきなり世界的な仕事を成し遂げることもできる。こういう医局に所属すると、その研究課題の達成こそが最大の関心事になり、個人の希望は得てして後回しになりがち。割り振られた課題について研究しなくてはならない。それはそれで結構苦しいことでもある。どんな気持ちで与えられたお仕事をこなされているのだろう。不満もありそうな気がする。

 この病院に赴任しているY先生は、非常に優秀な医師だ。地元の国立大学を優秀な成績でご入学され、そのまま優秀な成績でご卒業された。元々、口数が少ないうえに、あまり笑わないところがクールな感じで、「切れ者」感が漂う。切れ者感はお仕事だけではなく、日常の生活にも及ぶ。何でもそつなくこなしてしまうのだ。Y先生に任せておけば、大丈夫という感じ。そのお陰で、Y先生はご出身の医局のお仕事まで教授命令が下る。離れた医局の後輩の研究指導やら学会発表指導やらを任されるのだ。私はそんなY先生のファンである。病院のみんなはちょっと取っつきにくい先生だと思っている節があるけれど、ニコリともしないで、ふとした時に飛ばす「ジョーク」にウイットが利いていて、たいへん面白い。

 その日の夜、Y先生が図書室のプリンターの前で、珍しく疲れた顔をしながら作業をなさっていた。クールなY先生は仕事も素早く、あまりだらだらと無意味に病院に残っていらっしゃることは少ない。横目でチラとのぞくと学会発表用のポスター作成中のようだ。Y先生クラスならシンポジウムかセミナーかで、ポスター発表なんて……。どうしたんだろう。

「Y先生、学会用のポスターですか」「ええ。教授命令で大学院生の子の分」「院生本人は?」「やらないんだよ。好きなことはやるみたいだけど、この研究はお嫌いらしい」「自分のことなのにやらないなら、先生が代行することないじゃないですか。本人が困るだけなんだから」「そうやって突き放すと今の若い医局員はすぐやめちゃうしね。それに困るのは本人より医局のほうですよ。この研究、確かに地味で面白くないけど、うちの医局がずっと出している研究テーマの一つだからやめられないんだよ。データを出すことが教授のご下命」とY先生はクールに笑った。

「でも、先生のトップネームの仕事にはならないし、なんだか損しているような気がする」。ひとごとながら、私は膨れっ面をした。「真田先生、『隠密同心心得の条』って知ってる?」「??テレビドラマの?」「そう。僕、今そんな気分」。Y先生はそらんじてみせた。

医局員 心得の条
我が命、我がものと思わず
学問の儀 あくまで陰にて
己の器量伏し
ご下命いかにても果すべし
なお、死して学会手伝う者なし
死して学会手伝う者なし
 

Y先生、かっこいい!!……か?

筆者プロフィール

真田 歩(さなだ・あゆむ)
 医学博士。内科医。比較的大きな街中の公立病院で勤務中。診療、研究、教育と戦いの日々。開業する程の度胸はなく(貯金もなく)、教授に反発するほどの肝はなく、トップ研究者になれる程の頭もない。サイエンスを忘れない心と患者さんの笑顔を糧に、怒濤の日々を犬かきで泳いでいる。
 心優しき同僚の日常を、朝日新聞社刊医療従事者向け月刊誌で暴露中。アサヒ・コムにまで載っちゃって、少し背中に冷たい汗が・・・。

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