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イラスト・木村りょうこ |
正月明けの医局メールボックス(電子メールじゃないですよ。郵便物のメールボックスです)に、はがき大の高級和紙封筒が送られてきていた。金色の扇が封印のシールに使われ、一目で結婚披露宴の招待状と分かる。こういうものはたいてい父親の名前で出すものだから、差出人の名字から結婚しそうなのって誰だったっけと想像する。あまりなじみのない名前だ。開けて見てみると、去年入局したばかりの若い研修医(男性)君の名前があり、相手の女性は知らない名前だった。研修医君ご本人とはあまり親しい間柄ではないが、彼が学生時代に多少指導したことを覚えていてくれたのだろう。予定を確かめて、出席の返事を出した。それにしてもずいぶんと急な日程の披露宴だ。
急な日程の理由はすぐに分かった。いわゆる「できちゃった婚」。最近はこういう結婚も珍しくなくなった。当人同士が幸せなら何よりであろうとぼんやりと構えていると、医局の女医さんがすごい勢いで近づいてきて、批判的な意見をおっしゃる。彼女にも招待状が来たらしい。曰く「ろくに研修も終わらないうちに新婚旅行だといって長期の休みを取るなんて信じられない」、曰く「医者ともあろうものが、できちゃった婚だなんて見苦しい」、曰く「この程度の女と結婚するなんて○○君も先が見えたものよね」。ある意味、いちいちごもっとも。でも、そんな言い方もないんじゃないかな?
この手の話題は彼女にはタブーなのだ。下手に反論すれば、こちらにミサイルが飛んでくる。許される反応は同調かどっちともとられないような相づちのみ。他人の結婚に妙なリアクションを示し始めたのは、3、4年前に彼女が30代になったころ。結婚を考えた真剣な付き合いをしていた看護師君に振られてからだ。その失恋は彼女にしてみたら、彼氏の浮気ということになってはいるものの、実際はそうでないことを周りの人間は皆知っていた。
「結婚してよ」と言った彼女に、お付き合い程度にしておきたかった彼は、はっきりとした返事をしなかった。ここで彼女に“引いてみる”という余裕があれば別の展開があったかもしれないのに、取った行動は全く反対のもの。「私が食べさせてあげるから、あなたは好きなことしていればいいのよ」。結婚を迫るために好条件を出したつもりが、逆に男性の気持ちを萎えさせ、一気に別れることになってしまった。彼女は本当のところ何に失敗したのか気が付いていない。いずれにせよ、その時あたりから彼女は他人の結婚に厳しくなり、自身の結婚願望を臆面もなく表現するようになった。
医師というやりがいのある仕事を持ち、社会的自己実現はある意味達成されているはずである。ブランド物を身に着け、高級車に乗り、何一つ不自由はしていない。結婚を考えてくれる異性だけを除いて。結局、彼女は“一般的な女性の幸せとしての結婚”ができないことで、不満な日々を過ごしている。女では滅多に手に入らないものを手に入れたなずなのに、女性なら誰にでも手に入れられそうなものが手に入らない。結婚という“女性性”の実現と、仕事に代表される社会的自己実現の両方があってこそ、初めて自分を「人生の勝者」と感じられる人なのだろう。今回の“できちゃった婚”はますます彼女の神経を逆撫でした。
その女医さんの結婚できないという欲求不満は独特の臭気を伴って周りにまき散らされている。1人の男性に選ばれてこそ、女性としての自分を自他ともに認めることができるいう臭気。それは、ますます濃くなる化粧、看護師から不評を買うほどの華美な服装というように、においから実体へと変化するのに時間はかからなかった。結婚対象となる年齢の男性医師に対しては、親しげに近寄り、猫なで声でしゃべりかけ、シナをつくる。その一方で、部下となる女医や看護師に対する態度は別人のようだ。そうした、彼女の結婚への必死さ、人を見て態度を変える計算高さこそが、彼女を最も結婚から遠ざけている原因だということに、彼女自身は気が付いていない。
ある時、彼女は私に見合い相手を紹介してくれ、と頼んできたことがあった。相手に対する希望を聞くと「私に釣り合うステータスのある人」。聞けば、彼女が医者になるのを選んだのも、ステータスの高い男性と結婚できる確率が高くなるからだったそうだ。さすがの私もそんな話を聞かされていささかうんざりした。振られた看護師君に対する当て付けもあったのだろうが、そのせりふ一つをとっても、誰かを紹介する気持ちにはとてもなれなかった。
結婚が遅くなればなるほど、適当なところでの妥協はますます許されなくなり、自分を振った男たちよりもずっと高級と彼女が思う男性を求めるようになるのだろう。こんなことをやっていたら、ますます結婚は遠ざかってゆく。彼女がそんな束縛から自由になって、本当の意味で自分自身を見つめられるような日がくれば、希望通りの結婚も夢ではなかろうに。一緒に出席する披露宴を想像すると少々頭が痛い。