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【伝統芸能】

<歌舞伎>節目の第20回『納涼大歌舞伎』 勘三郎ら感慨深げ さまざまに挑戦 若い層呼び込む

2009年8月8日

打ち上げ花火とともに、記念撮影をする(手前左4人目から)中村勘三郎、坂東三津五郎ら「納涼大歌舞伎」の出演メンバー=東京・神楽坂で岡本隆史撮影

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 今年で二十回の節目となった東京・歌舞伎座の「八月納涼大歌舞伎」(3部制、〜27日)。このほど都内で製作発表があり、中村勘三郎や坂東三津五郎ら常連の俳優がこもごも感想を述べた。今回は初回の時に演じた「真景累ケ淵(しんけいかさねがふち)・豊志賀の死」(2部)と「怪談乳房榎(ちぶさのえのき)」(3部)などを披露するが、勘三郎は「古典から新作まで挑戦させていただき感謝しています。何よりもお客さまによく入っていただきました」と、感慨深げ。 (増渕安孝)

 納涼歌舞伎がスタートしたのは一九九〇年八月。当時花形の中村勘九郎(後の勘三郎)、坂東八十助(後の三津五郎)をはじめ、中村児太郎(後の福助)・橋之助兄弟らが参加して立ち上げたもので、これまで歌舞伎を見たこともない若い観客層を呼び込んで人気に。

 九三年から、それまでの2部制を3部制に切り替え、「短い時間で安い料金」が一層、若い観客の呼び水になった。また、野田秀樹、串田和美ら新感覚の劇作家・演出家を招き、新しい歌舞伎の道を開拓。これがコクーン歌舞伎や平成中村座の隆盛につながっている。

 1部(午前11時〜)は、維新の立役者勝海舟の父・小吉のきっぷのいい生きざまを描く「天保遊侠(ゆうきょう)録」を橋之助、中村宗生、中村勘太郎、中村扇雀らが演じる。「六歌仙容彩(すがたのいろどり)」では小野小町に恋する五人の歌人を三津五郎が一人で踊り分ける。

 2部(午後3時〜)は、三遊亭円朝の怪談噺(ばなし)が原作の「豊志賀の死」を福助、勘三郎、勘太郎らが、松羽目物の舞踊「船弁慶」を勘三郎、福助、橋之助、三津五郎らが演じる。

 3部(午後6時〜)は、谷崎潤一郎の耽美(たんび)的な作品「お国と五平」を三津五郎、勘太郎、扇雀が、円朝の怪談噺「怪談乳房榎」では勘三郎が四役を演じ分け、橋之助、福助らも出演する。

     ◇

 「もう二十年なんだねえ」と切り出した勘三郎。「歌舞伎では十六年ひと昔というけれど、年を取ったのかなあ。野田秀樹さんらといろんなことをやり、勉強になりました。来年には歌舞伎座が(建て替えのため)なくなりますが、八月はずっと続けていきたいと思います」

 三津五郎も「二十年はあっという間ですね。第一回夜の部最後の舞踊を中村屋と踊り終え、三階席を見たら、お客が奥までいっぱいだったので、涙がウルウルと出てきたのを思い出します。納涼歌舞伎は伝統を守りながらも、いろんなことに挑戦していく集団。そのエネルギーを皆さんに感じていただけたのでは。これからも若い連中に負けないよう頑張ります」。

 「本当にいろんな役に挑戦させてもらい、学べたことはありがたかった。また、お客さまが喜んでくれたことが夏休みの自分の楽しみでした。この納涼には若い人もいっぱい出ますが、まだ(役を)渡したくないなという感じがしますので、歌舞伎座最後の納涼を一生懸命勤めます」と福助。

 一回目からの常連、橋之助は「二十年前は二十三歳。『乳房榎』の磯貝浪江のけいこをやらせてもらったとき、手も足も出なくて、実はやめちゃおうかなと、思ったことを思い出します。納涼では先輩のお兄さんたちに芝居に対する情熱などを教わりました。自分もどんどん、楽しい歌舞伎をつくっていきたい」と意欲を込めた。

 1万5千〜2千円。(電)03・5565・6000。

 

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