純粋な気持ちでずっとサッカーをやっていた
──吉田さんのご出身はどちらですか?
吉田 生まれたのは日本橋なんです。5歳のときに引っ越して、それからはずっと練馬です。サッカーを始めたのは小学校3年生。当時としてはスタートは早かったと思います。今の全日本少年サッカー大会の前身である、全日本スポーツ少年団大会に4年のときから出ていました。上石神井スポーツ少年団といって、当時はすごく強かったですよ。東京都で3、4連覇していて、全国大会では4位、3位、2位。コーチの人が帝京高校出身で、非常に情熱のある方で毎日練習していました。毎日練習しているようなチームは当時はほとんどなかったですからね。
──前回登場していただいた荒川恵理子選手も練馬出身で、彼女は商店街をドリブルしていたそうです。吉田さんはどこでボールを蹴っていたんですか?
吉田 僕は練習が終わると、毎日家の前の塀に向かってボールを蹴っていました。今はうるさくいわれることもあるんでしょうけど、当時はそういうのはなくて、家に帰って暗くなるまで蹴っていましたね。
──吉田さんの少年時代はどんな目標を立ててサッカーをしていましたか?
吉田 釜本(邦茂)さんとか杉山(隆一)さんとかがメキシコオリンピックで銅メダルを取った後で、サッカーブームだったんです。だから日本リーグの試合はよく見に行きましたよ。父に連れていってもらったり、友達と一緒にいったり。よく行っていたのは駒沢陸上競技場や西が丘サッカー場。それから国立競技場。本当にサッカー小僧でしたね。それはずーっとです。今も変わりません(笑)。
──中学校、高校時代で思い出深いことはありますか?
吉田 中学校のときは全中(全国中学生大会)、高校では高校選手権を目標に一生懸命頑張ったんですけど、結局出られなかったんです。それがよかったのかもしれません。自分の情熱はどんどんどんどん膨らんでいって、次のところ、次のところへ行きました。ユース代表や日本代表に入りたいというのは個人としてありましたし、チームとしては全国大会に出たいという気持ちで必死にやっていました。だから、すごい充実していましたよ。純粋な気持ちでずっとサッカーをやっていましたね。
──吉田さんは現在、若い世代と接することが多いと思いますが、当時との違いを感じるところはありますか?
吉田 今はJリーグという目標があって、外国のサッカーもすぐに見れて、サッカーがあふれていますよね。当時はプロもないし、外国のサッカーも見れない。だからこそ、サッカーに飢えていましたよね。昔のほうが純粋さがあったかもしれません。今の子がないといっているわけではないので、そこは誤解しないでほしいのですが。
──高校卒業後は早稲田大学に進学しましたが。
吉田 僕が1年のときの4年生が岡田(武史)さん、3年生が原(博美)さん、同級生に城福(浩)、一個下に関塚(隆)がいました。岡田さんや原さんといった素晴らしい人たちの背中を見ていろいろなことを学びましたね。僕自身は大学を卒業したら教員免許を取って教師になろうと思っていたんですけど、2、3年のときに大学選抜や日本代表候補に選んでいただいて、サッカーに対する欲が出てきたんです。2年生のときには実業団に行こうと思っていて、三菱重工に入りました。
──1992年に現役を引退しました。
吉田 僕が引退したのは日本リーグが終わって、ちょうどプロ(Jリーグ)になるとき。僕はプロで絶対やりたいと思っていたんだけど、監督をやる森(孝慈)さんに「戦力としては考えていない。コーチをやれ」といわれて。結構粘ったんだけど結局ダメだったんです。
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