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被爆の国から:オバマ大統領へのメッセージ/9 北朝鮮の姉案ずる弟

 ◆軍事大国の米国が核廃絶を訴えても、きれいごとに聞こえます。核の脅威から世界を救う道筋を示してほしい。匿名の在日朝鮮人被爆者

 ◇苦しみに国境はない

 北朝鮮にいる被爆者を追ったドキュメンタリー映画「ヒロシマ・ピョンヤン~棄(す)てられた被爆者」が7月23日、広島市で初上映された。市内に住む在日朝鮮人の男性(73)はスクリーンに見入った。40年近く前に日本を離れ、北朝鮮に暮らす姉(76)が映し出されていた。

 「目が飛び出た人、服が燃えて胸がそのまま出ている人……。これ以上の地獄はないと思いました」。民族衣装のチマチョゴリ姿で原爆の悲惨さを語る姉。家族でさえ思うように連絡がとれず、もう7年会っていない。

 「体調は大丈夫だろうか」「原爆症に苦しんでいないか」

 わずか40秒ほどの「再会」。心配が募った。

   ■  ■

 1945年8月6日。男性は、姉、父と共にたまたま島根県の疎開先から自宅のある広島に向かっていた。その日の朝、原爆が投下されたことなど知るよしもない。すれ違う汽車の窓は割れ、乗っている人の服や髪は焼けていた。「広島に大きな爆弾が落ちた」とだけ聞いた。汽車は途中で止まり、後はただ必死に歩いた。

 数年後、突然髪が抜け、同級生からいじめられた。東京の朝鮮学校に進んだが、広島出身というだけで同胞からも避けられた。結婚後も差別を恐れ、3人の子が全員結婚した60歳で被爆者健康手帳を申請した。「原爆は生き残ったものまで苦しめる」。その恐ろしさ、残酷さは身にしみている。

 毎年8月6日は、ある忘れられない橋に水を供える。必死に歩いたあの日、全身焼けただれ、「水を……」という言葉を残して息絶えた被爆者を見た橋。目に焼きついたその姿に核の恐ろしさを重ね、平和を祈る。

   ■  ■

 「何てことを」。今年5月、北朝鮮が核実験をしたと聞いて思った。それでも「朝鮮戦争は休戦中で、まだ終わっていない。敵国アメリカが軍事力を蓄えているのに、防衛しなければ、姉たちは死んでしまう。核実験を責められない」と主張する。「思いは複雑なんです。苦しいですよ……」。目に涙が浮かんだ。

 最近、ニュースを見るのが怖い。北朝鮮に対する経済制裁のニュースが流れるたび、北に渡った家族を思い、胸が痛む。在外被爆者の姉にも被爆者健康手帳を取ってあげたいが、その道は険しい。

 日本で生まれ、日本で育ち、日本人の友もいる。しかし「自分の考えは日本人には理解されない」と分かっている。「名前を公表すれば子や孫が嫌がらせを受けるかも」という理由で、男性は「記事にするなら匿名にしてほしい」と話した。

   ■  ■

 映画を製作したフォトジャーナリスト、伊藤孝司さん(57)は98年から毎年北朝鮮に入り、当局を介し、被爆者を取材した。国交がなく被爆者健康手帳の取得が進まず、支援から取り残された北朝鮮の被爆者の姿を伝えるためだ。「どの国の被爆者も苦しんでいる。核廃絶が私の願い」

 上映会の後、男性は伊藤さんと握手した。「国家の関係がどうあれ、被爆者の救済は積極的に行われるべきだ」。2人の思いは重なる。そして、平和を願う気持ちはどこの国に暮らしても同じだと信じている。【山田奈緒】=つづく

毎日新聞 2009年8月12日 東京朝刊

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