2009-08-11
■[philosophy]大雪山遭難事故当日の事実経過について(アミューズトラベルの認識)
あの日からもう三週間もたつのですね。
私の心はいまだにあの岩だらけの登山道をさまよっているかのようです。
さて、最近までずいぶんお世話になった事故の考察サイトの北海道大雪山系 トムラウシ山 大量遭難を考える。 今回の事故について戸田新介様のご意見 と 幾つかのご回答 « Sub Eight
に、8月7日付のアミューズトラベル発信のFAXが添付されています。これは恐らく生還者の戸田さんに送付されたものを上記ウェブサイトにリークしたもののようです。
全文スキャンデータはこちら(ただしこれでオリジナルの全文なのかどうかは不明。文章が尻切れトンボな印象。)。
http://subeight.files.wordpress.com/2009/07/tomuraushi0716.jpg?w=600&h=1283
ここには、生存者およびガイドに聞き取りした公式見解としての事故経過が記されています。
恐らくツアー参加者および遺族向けに流したものでしょう。
この文書から読み取れるのは、松本さんの目撃談および主観、斐品さんが目撃した内容、そして多田ガイド(あるいは野首さんの目撃内容とも照らしたかもわかりません)です。またこれまでほとんど報道されることのなかったビバークした人たちの様子が記されています。
この文書は、会社関係者が上記の証言者からの聞き書きを再構成した体裁のようにみえます。しかしながら、これらの認識がどの証言により構成されているかのアナウンスがありませんので、これも推測でしかありません。ただし、戸田さんの証言(幾多の報道およびSub Eight証言)が反映されていないことは確かのようです。
この文書は戸田証言との一部事実の認識の違いを際立たせている箇所があります(とくに時間に関して)。
これもまた、事実経過に対するひとつの史観として参考に値する文書といえます。
ちょっと長いのですが転載したうえで、コメントしようと思います。
率直に言って、戸田証言では北沼で1時間半も待たされていたことになっていたので、その空白部分の解明が今後の課題だったのですが、この文書でいろいろな謎が少し氷解してきました。
しかしながら、同時に事故を起こした会社が発表する事実認識として、FAX三枚弱のこの内容は、報道で明らかになった事実(特に全体的として時刻の記述および松本ガイドの行動)についてさえも記述が乏しく、あまりにも不十分です。また今回のFAX送付にあたり、戸田証言はどうして採用されなかったのか、そのあたりも釈明が必要ではないでしょうか。
参考:生還者戸田新助さんとの一問一答 - + C amp 4 +
トムラウシ山の遭難事故の経過について ◎本件事故のご報告(本年8月7日時点における弊社の認識内容)
1.事故の概要
平成21年7月16日(木)弊社アミューズトラベル主催の登山ツアー「旭岳からトムラウシ山縦走」が開始された4日目、ツアー客15名と弊社ガイド3名の全員がヒサゴ沼避難小屋を出発し、北沼分岐を渡渉の後、前トム平に至る間に激しい風雨にさらされ、低体温症のためガイド1名、ご参加者7名が凍死する大量遭難となってしった事故です。最愛のご家族を亡くされたご遺族の皆様並びにご参加者の皆様に改めて心からお詫び申し上げる次第です。
2.事故発生までの行動
7月13日(月)各地ー千歳ー旭岳温泉
13時30分頃、新千歳空港でお客様と弊社ガイドが合流し出発、バスの中でガイドの多田は「アウトドア用品店アルペンにてガスを買うのでお客様も何か買うものがあれば」とご案内。バスの中での説明は多田からは行程の説明、同じくガイドの吉川より東大雪荘に郵送する荷物のご案内をする。途中、コンビニに立ち寄り行動食の買い出しをご案内。旭岳温泉白樺荘に17時前に到着。夕食時、吉川より翌日の行程につきご案内をする。食事後、部屋にてガイド3名に加えてポーター役のペンバの4名にて共同装備の仕分けをする。松本は4人用テント2張と銀マット7枚、ペンバは10人用テント1張、多田は大鍋とガスヘッド2個とガス、吉川は小鍋とした。テレビの天気予報では翌日の天候は良いが、15,16日は崩れるとの予報。
7月14日(火)旭岳温泉ー旭岳ー白雲岳避難小屋
午前5時50分に予定通り宿を出発し、旭岳ロープウェイにて姿見駅に到着。降雨は無いが風が強くガスがかかる。体操をして出発、旭岳山頂近くになり、ガスが晴れ、風も弱まった。白雲岳登頂後、白雲岳避難小屋へ、ガイドたちはお湯を沸かして各自夕食を済ませてもらう。多田は携帯の天気サイトで上川地方の天気図を確認、翌日午後に寒冷前線が通過し、雷の心配があるので出発時間を30分早めるようにと提言。
7月15日(水)白雲岳避難小屋ーヒサゴ沼避難小屋
5時過ぎに出発。風はないが朝から雨。登山道には泥や水溜りが多く、水を選んで歩くので時間がかかる。歩くペースは遅いが、休憩時間を短めにしたので15時前頃にはヒサゴ沼避難小屋に到着。小屋は当ツアー関係者19名と他に6名の登山パーティとご夫婦1組が宿泊。ガイドがお湯を沸かし各自で夕食を済ませてもらう。翌日の天気について前日の天気予報から、多田は午前中までは崩れるが午後からは大丈夫と予想。
3.事故当日の行動について
7月16日(木)ヒサゴ沼避難小屋ー北沼分岐ー前トム平
雪渓上で風に曝されることを避けるため出発を30分遅らせ、午前5時30分に出発。雪渓があるのでアイゼンを装着。ペンバとは雪渓上部で別れ、岩場を通過し稜線に出る。風は強かったが登山道は昨日程水浸しではない。天沼手前と天沼付近で休憩。さらに日本庭園付近で休憩していると同じ山小屋にいた6人パーティが追い抜いて行く。
ロックガーデンに出ると物凄い風となった(松本談)。この頃からお客様の歩行状態にばらつきがでる。北沼分岐手前において北沼からの流水が氾濫して幅2mほどの川になる。膝下くらいの流れの中で多田と松本がお客様をサポートして対岸に渡す。松本はお客様がふらついた拍子に転倒し全身を濡らす。渡渉後に川角様がぐったりした様子だったので松本が介抱する。暖かい紅茶を飲ませたが、目を閉じたので大きな声をかけて励ます。ここでお客様の中から、「これは遭難だから早く救助を要請してくれ」などとガイドに対する申し出があった。渡渉と川角様の介護で他のメンバーも時間にして30分は行動を停滞させた。多田は、川角様と吉川、松本を残して本隊と歩き始めたが、雪渓手前で人数を確認すると2名足りなくて最後尾は松本だった。松本に、少し先に風をしのげる場所があるので本隊はそこで待つように指示して、多田は北沼分岐に戻ると植原様と石原様が残っていた。一人ずつ交互に背負って何度かピストンして雪渓を登りきると、市川様と市川様を介護している野首様がいた。多田は、雪渓上部の2,3分先で待っていた本隊に追いつき、行動不能の人はビバークし、松本は動けるお客様10人を連れて下山するよう指示する。又、同所の少し先にトムラウシ分岐があるので下山方向を間違わないように、同分岐で10人を連れて下山するようにとも指示した。松本は歩き出し、ゆっくりとしたペースでトムラウシ分岐に15〜20分程度で到着したが、点呼したら8名しかいなかった。当時の松本は前述の転倒で極限状態にあり2名を探しに行く精神力も体力も残されていなかった。松本は8名のお客様にこの道標に向かって下山してくださいと伝えて、救助の電話をする一心だけで歩き始めた。前トム平を少し下った所で前田様が電波が通じると言ったので110番してくださいと頼んだ。警察には4名以上自力で下山できないので救助を要請します(15時54分)と話したが、後はよく覚えていない。電話がすみ、先に下山するように伝える。意識が戻ったのは病院だった。
トムラウシ分岐の少し手前で後れた2人は木村様と斐品様で、松本が先頭で歩き始めてトムラウシ分岐手前5分の所で木村様がふらつき、斐品様は木村様を介護したが木村様は意識をなくした。斐品様が、下山を続けるとさらに動けない状態の味田様と竹内様を見つける。2人を必死に介護するがその甲斐なく意識をなくされたのでその場を離れる(13時40分)。斐品様がさらに下山すると真鍋様とシュラフに包まれた岡様と出会う。真鍋様は元気な様子だったが、この場所を離れたくないと話され、無理強いはせずに下山を続ける。
一方、多田は歩けないお客様の所へ戻り、唯一行動に支障のない野首様に手伝ってもらいツエルトの中に動けない3人を入れて体をさすり保温に努めた。多田はさらに救助要請のために携帯の電波が届く場所を探し南沼キャンプ地方面へ歩く。16時49分にメールを送信する。その先少し歩くと木村様が一人うずくまっていた。その先に青いビニールシートの塊があり、中にテント、毛布、ガスコンロを見つける。木村様に毛布をかけ、ビバーク地点へ戻る。野首様に手伝っていただきテントを立てお湯を沸かす。しかし、植原様の意識がなくなる。市川様には体温が伝わるように抱きかかえた。飲料水が少なくなったので南沼方面に再度行き、携帯で電話して19時10分に本社松下と警察と話す。テントに戻ると市川様の意識はなかった。
アミューズ見解についてのコメント
これまでの報道と戸田さんや前田さんを中心とした生還者の証言から強く推認していた事実の一部が崩れました。別段、驚くべきことではありません。
5点ほどあります。
まず第一に、最初の故障者
最初の故障者は、戸田新証言から、初日から体調を崩していた植原さんと推認していましたがこれは誤りで川角さんのようです。したがって第二ビバーク地に滞在していたのは、多田ガイド、野首さん、石原さん、植原さん、市川さんということのようです。また、ビバーク決定時に、テントを張ったという事実はありませんでした。少なくとも3人をどうにか収容できるツエルトの設営だったようです。
そもそも初期報道では、
ガイド3人が協議し、死亡した吉川寛さん(61)=広島県廿日市市=と多田学央さん(32)が、客5人とテントを張って残ることを決断。多田さんは松本仁さん(38)に「10人を下まで連れて行ってくれ」と頼んだ。
http://sankei.jp.msn.com/affairs/disaster/090723/dst0907231350013-n2.htm
とありましたが、これは会社の説明によると、テントという報道は誤りということになります。
また、3名が協議したかどうか(どこで協議したのかを含めて)は会社側発表からはうかがい知れません。
第二ビバークに使用されたテント
第二点目として、第二ビバーク地点で張られたコールマンの大型テントはパーティが持参していたものと認識していましたが、南沼キャン地に残置してあった他人のものを拾ってきたことが明らかになりました。また、幕営時刻も、少なくとも16時49分のメール送信後であることがわかりました。
それまでは3名ないし4名でツエルトにくるまっていた可能性があります。
会社側文書によれば、野首さんはご自身の体調に異常がないにもかかわらず仲間のためにビバークし、多田ガイドの補佐に回る決断をしているように伺えます。
ツエルトのサイズがわかりません。しかし、初日仕分けした共同装備リストにない装備です。多田ガイドが個人装備としてもっていたとすれば、五人収容できるものであったかどうかは疑問が残ります。
第二ビバークに使用されたツエルト
第三点目として、この文書からは第一ビバーク組にあてがわれたツエルト等の記載がありません。
それどころか、川角さんが倒れて吉川さんが居残ることになった時点でぷっつり情報が途絶えています。これまでは、野首さん所有のツエルトを第一ビバーク組に貸与したと推認していましたが、この事実について、会社の認識が不明となりました。この点をもう少し解明する必要があります。
遭難時刻
第四に、出発時刻について。
斐品さんは、13時40分に味田さんと竹内さんを発見したとされています。味田さんと竹内さんの遭難地点は前トム平とされていますので、これは戸田証言の出発時刻13時30分頃とは大きく食い違う事実です。戸田さんは時刻についてはたびたび修正し自信のない発言をしていますので、さしあたり両者の証言を合成した推理をしてみます。
また、戸田さんが「遭難と認めて救助を要請してくれ」と申し出た時点から30分の停滞とありますので、会社側としては、北沼渡渉した30分後に16名が出発したという認識になります。
すなわち第一ビバーク地からの出発時刻は、戸田証言の11時北沼横断とすると、11時30分となります。
戸田証言にある1時間半の空白は次のように解釈できそうです。
11時半に出発直後、2名が脱落したので、また隊列をとめた。多田ガイドは2名を背負って雪渓(登り)
を往復した。雪渓の対処が終わると市川さんが脱落していた。ここで多田ガイドは、第二ビバークの決断をし、10名を下山させる指示を松本ガイドに出します。戸田証言でいう待たされた時間というのは、多田ガイドが2名を背負って雪渓を登っていた時間だったのです。
松本ガイドに下山の指示を出した時刻は残念ながら不明のままです(大変残念ながら)。しかし、斐品さんのご記憶によれば13時40分には前トム平付近に到着していることになり、味田さん竹内さんがトムラウシ分岐を出発した時刻は、少なくとも1時間以上はさかのぼって12時20〜30分前後ごろとみるべきでしょう。つまり多田ガイドが石原さんと植原さんを背負って風の弱いところまで運ぶのに要した時間は約1時間と推定されます。そうすると、前述の30分とあわせて合計90分。戸田さんの1時間半待たされたという記憶と合致してきます。(ただ、この雪渓対処の時間は、もう少し少なめに見積もってもいいかもしれません)
天気判断の根拠
最後に、天候判断について。
当初、私は何の根拠もなく、当日の朝の天候も悪く、念のためラジオ発表を聞くために、30分間、出発の時間を遅らせたのではないかと勝手に想像していましたが、30分出発時刻をずらしたのは、雪渓での強風を心配したためでした。会社側発表によれば、前日の夕刻の予報をもとに16日の天候を判断した疑いがあります。これは多田くんが正直に証言したものと思われます。
そのほか浮かび上がってきた事実
雪渓の存在
北沼渡渉後に雪渓が出てくるとは。。たぶんほんのわずかの解け残りでしょう。
最終日の共同装備の大半を小屋に残置した疑いがあること
遭難パーティのうち少なくとも多田ガイドと吉川ガイドは、事故当日、コンロもテントも持っていなかった疑いがあります。残るは松本ガイドだが可能性は低いだろう。
どこでどの時点で誰がどのように行動できなくなったのか
・最初の故障者:川角さん(吉川ガイドとツエルトビバーク)
故障者目撃時の様子:渡渉後ぐったりする。お茶を飲ますも目を閉じる。
推定遭難場所1:北沼の渡渉後すぐの地点(北沼分岐手前)
推定遭難時刻:11時ごろ(ソース:戸田証言19加味)
推定ビバーク地:遭難場所1付近
推定原因:激しい風雨の連続行動(5時間30分)+膝下の渡渉
・2、3人目の故障者:植原さんと石原さん(多田ガイド+野首さんとビバーク)
故障者目撃時の様子:自力の行動不能。
推定遭難場所2:上記遭難場所1付近
推定遭難時刻:11時30分ごろ(ソース:会社発表+戸田証言19加味)
推定ビバーク地:北沼分岐の少し先(遭難場所1より雪渓を越えて先に進んだ地点 12時20〜30分頃ビバーク開始)
推定原因:激しい風雨の連続行動(5時間30分)+膝下の渡渉+30分間の待機による体力消耗
・4人目の故障者:市川さん(多田ガイド+野首さんとビバーク)
故障者目撃時の様子:行動不能(野首さんが付き添う)
推定遭難場所3:北沼分岐の少し先(雪渓を登りきった地点)
推定遭難時刻:12時20〜30分ごろ(ソース:斐品さんの行動から逆算してスワン推定)
推定ビバーク地:北沼分岐の少し先
推定原因:激しい風雨の連続行動(5時間30分)+膝下の渡渉+30分間の待機による体力消耗+1時間の現場待機による体力消耗
・5人目の故障者:木村さん(17時ごろより単独毛布ビバーク)
故障者目撃時の様子:歩行中にふらつく。斐品さんが介護するが意識を失う(12時50分ごろ)。16時50分過ぎにうずくまっているところを多田ガイドにより再発見され、毛布をかけられる。
推定遭難場所4:トムラウシ分岐まで約5分ほど手前の地点(南沼付近)
推定遭難時刻:12時30〜50分ごろ(ソース:斐品さんの行動から逆算してスワン推定)
推定原因:激しい風雨の連続行動(5時間30分)+膝下の渡渉+30分間の待機による体力消耗+1時間の現場待機による体力消耗+疲労α
・6、7人目の故障者:味田さん、竹内さん(ビバーク状態不明)
故障者目撃時の様子:斐品山発見時は動けない状態。斐品さんが介護するも13時40分ごろまでに意識を失う。時間的に少し前に長田さんと戸田さんが雪渓のサポートした形跡あり(サンケイ報道)。
推定遭難場所5:前トム平手前か前トム平付近(正確な場所は不明)
推定遭難時刻:13時40分より前(戸田さん、長田さん通過時)
・8人目の故障者:岡さん(真鍋さんに付き添われシュラフビバーク)
故障者目撃時の様子:真鍋さんに付き添われシュラフに包まっている(斐品さん証言)。サンケイ報道によれば長田さん戸田さん通過時点では「介抱していた」と表現されており、まだシュラフは登場していない模様。
推定遭難場所6:前トム平付近(正確な場所は不明)
推定遭難時刻:13時40分より後(ソース:会社発表)
推定原因:激しい風雨の連続行動(5時間30分)+膝下の渡渉+30分間の待機による体力消耗+1時間の現場待機による体力消耗+疲労α
・9人目の故障者:松本ガイド(ハイマツの陰でビバーク)
故障者目撃時の様子:風を避けるようにハイマツの陰で動けない状態。
推定遭難場所7:コマドリ沢下部(ソース:あまたの報道)
推定遭難時刻:16時ごろ(前田さんの下山を見届けた時点を遭難時とすれば。)
推定原因:北沼渡渉の際の濡れ+連続行動による疲労
不明だった松本ガイドと多田ガイドの行動の一部
会社発表によれば、第一の故障者が発生した時点での2人の行動は次のように記されています。
多田は、川角様と吉川、松本を残して本隊と歩き始めたが、雪渓手前で人数を確認すると2名足りなくて最後尾は松本だった。松本に、少し先に風をしのげる場所があるので本隊はそこで待つように指示して、多田は北沼分岐に戻ると植原様と石原様が残っていた。一人ずつ交互に背負って何度かピストンして雪渓を登りきる・・・後略・・・
北沼のほとりで、1人目の故障者の付き添いのため、吉川ガイドとともに3人で居残るはずだったのに、多田ガイドが出発すると、松本ガイドがなぜか最後尾についてきています。そのうえ、2人の客を置いてきてしまっている、と読むことができます。最後尾の松本ガイドが確認に戻らず、多田ガイドが確認のため戻ります。取り残された植原さんと石原さんを背負ったのは、雪渓を上りあがる行動技術を失っていると多田ガイドが判断したからでしょう。しかし背負ったのは松本ガイドではなく多田ガイドでした。多田ガイドが雪渓を往復し、故障者を隊列に戻します。
他方、松本ガイドは雪渓をあがったところで客と待機しています。と、こんな経緯が伺えます。
これを素直によむかぎり、松本ガイドは思考が止まっているかのようです。多田ガイドは松本ガイドがやるべき仕事を全部やっていた、そんな感じにみえます。
第二に、多田ガイドがトムラウシ分岐で10名確認してほしいと指示したあと、8名しか確認していないのに再出発したことが伺えます。松本ガイドは救助連絡のためと説明しています。
上記の会社FAXでは、松本ガイドは全身ずぶ濡れで極限状態にあったと記されています。
それを裏付けるような迷走ぶりを感じませんか。
野首さんと真鍋さんの行動
戸田さんの証言によれば野首さんも体調の不良を訴えていた、とありますが、多田ガイドとテントを張るのを手伝うなどしています。会社発表の文書を読むと、体調はよかったが故障者の救援活動のために自発的に居残ったようにみえます。
また真鍋さんについても、恐らく最後まで一緒に歩いていた岡さんや、もしかしたらあとから歩いてくるかもしれない味田さん竹内さんの安否を心配して前トム平付近でビバークを決意したようにみえます。あまり主観的な表現は慎むべきかもしれませんが、正直なところ、胸をうたれます。
出発時の共同装備と遭難時の装備
・出発時
松本は4人用テント2張と銀マット7枚、ペンバは10人用テント1張、多田は大鍋とガスヘッド2個とガス、吉川は小鍋
通信機の類は見当たりません。
・ビバーク時(遭難時)
ツエルト1、ガス缶の残り、鍋はもっていたものと思われます。
肝心のテントですが、もし16日も持参していたとすれば、誰がもっていたか、なぜ使用しなかったかがの疑問に答えることが難しく、小屋においてきたと強く推認されます。
のちに、コールマンテントとガスコンロが南沼で調達されます。
通信環境
少なくとも16時49分時点、19時10分時点で南沼付近(トムラウシ分岐付近)で携帯通話・メールともに通信可能な様子が伺えます。松本ガイドが通過時点ではどうであったかは不明。多田ガイドが連絡を取った場所は、午後にも松本ガイドが8名を確認した場所とほぼ同一の場所です。松本ガイドはそのとき圏外と確認したのでしょうか。さしあたり圏外であったと推認しておきますが、全身ずぶ濡れ状態で極限状態にあったとされる松本ガイドが通信環境の確認を怠った可能性も強く疑われます。(もちろん、全身を濡らしたとの記述自体を疑う余地もありますが、戸田証言では’背中を濡らした’ですので背中が濡れるようなすっ転び方をすればたいてい全身ずぶ濡れでしょう。)
ヒサゴ沼避難小屋の宿泊者
小屋は当ツアー関係者19名と他に6名の登山パーティとご夫婦1組が宿泊。
ここには、南沼付近で遭難した単独登山者竹内氏は含まれていない様子。
また夫婦1組の当日の行動も明らかではありません。
別ルートを下山したか停滞した可能性が高いのですが、もしこのウェブサイトをご覧になっていたら、情報をお寄せいただけると幸いです。
会社発表が語らなかった事実
吉川ガイドのビバーク体制とその経緯・判断
松本ガイドの下山行動記録
自力下山者の行動記録
事故当日の行動のタイムライン、場所
事故前日の小屋の様子
報道されている体調不良者の様子
アミューズトラベルへの苦言
事故報告(速報でよい)を体裁を整えてする時期では?
2009-08-10 トムラウシ遭難の教訓3〜ツアー参加者の問題
■[philosophy]今後のツアー登山はどうあるべきか〜参加者の問題 その3
前回まで、
において、ツアーを企画する会社側の問題点について考え、
において、ツアー会社が実際の登山運営管理を委託するガイドの側の問題に触れました。
ツアー会社のエントリの結論は、ちゃんと企画書をつくって共有しろ、です。
ガイドについてのエントリでは、ガイドの資質の分析とそれをどう向上させるべきかについて今後の課題を述べました。
さて、今回は、ツアーに参加する客の問題について考えます。
Preface
ツアー会社、ガイドとともに、ツアー登山そのものを成立させている第三の当事者が客です。
客がいなければツアーは成り立ちません。
まず第一に、自力で歩きとおす登山者としての資質、続いてツアー企画に参加する消費者という属性、の2つの側面から考えたい。
大雪山遭難事故の生還者の一人は次のように語っています。
登山歴16年で、月4回は広島県内外の山に登るが「初めての山のプラン作成や道案内は人に頼るしかなく、ツアーをよく利用している」と中高年登山愛好者の実情を代弁する。今回の事故ではガイドの状況判断に疑問が残る。一方で「主催者側だけの責任でもない。今後は、歩くのは自分という自覚をさらに強く持ちたい」と誓う。中国新聞 地域ニュース
登山愛好家が営業ツアーと接点を持つのは、自分で登山を企画したいが、未知の山域では、登山計画作成やルートに不安を覚えるという理由があるようです。
さらにもうひとつの理由として、ツアーに参加すれば、個人では煩雑な交通手段や宿の手配などの雑務をまとめてやってもらえるのも利点です。とりわけ本州から北海道へ登山しようと思うと、手配の壁は心理的にも大きいものです。
登山者としての客
確かに道外からの登山愛好家が北海道の山に登りたいと思ったときに、北海道の山は本州九州などの山と比べると、ルートの情報も少なく、登山者向けの整備ができていないなど不便です。そうすると、本来ならば、ツアーに頼らずに自力で山に登りたいと思っていても、手ごろなツアーがあれば、計画も自分でたてる必要がなく、宿や車の手配も必要がないので好都合ということになるでしょう。
しかし、そもそも山に登るツアーに参加するということは、何もかもお任せするということではなく最終的には自分で最後まで歩くということです。計画作りやガイドと手配はお任せする。しかし歩くのは自分自身です。生還者の一人はこの点を強調しているようにもみえました。何が彼女をこのように誓わせたのでしょうか。
歩くのは自分自身
私の想像ですが、生還者のこの女性は、遭難発生後、仲間が次々に倒れ、ほとんどの客が下山できなくなったこの事態を招いたガイドの判断を疑問に思いつつも、何か想定外の事態が発生したときでも、最後は自分の身を守るのは結局のところ自分自身しかない。自力で最後まで歩ききる、生還してくるだけの基礎的な力は必要なのではないかと考えているのではないかと思います。もちろん、このような厳しい気象遭難に備えて自力で帰れる能力が必要という意味ではありません。しかし松本ガイドに必死についていくもブッチ切られて、自分の身を守るのは最終的には自分だという自覚が彼女の下山への意思と行動を支えたのではないでしょうか。
遭難パーティの自力下山者に共通するのは、自分の身は自分で守るというサバイバル術が彼らの行動を支えていたということです。生還者の戸田新助さんは、自分の判断で防寒着を身に着けたり、雨具のポケットの中に行動食を詰め込んでいました。また、前田さんは16日の出発前、タオルの真ん中に首を通す穴を空け、シャツの上にまとったといいます。
ツアー登山を度外視していえば、旭岳〜トムラウシ山の縦走コースをただ歩いてリーダーについてくるだけの最低限の行動能力はどの程度かを考えたときに、上記の生還者の証言は非常に考えされれます。
トムラウシ山登山に最低限必要な自己管理能力
ツアー登山や一般登山にかかわりなく、旭岳からトムラウシ山を縦走する登山者に必要な行動能力としては、三日間歩きとおす体力もさることながら、ある程度の自己管理能力が必要ではないかと思います。
上記記事の生還者の前田さんは前の晩、小屋で睡眠導入剤を服用したといいます。これも自己管理のひとつです。睡眠導入剤の服用ひとつとっても、山小屋にはじめて泊まるといった人は普段の下界と同じ量か、もしくは医師に相談せずに、眠れないと困るという不安に駆られて平素より多目に錠剤を服用してしまうケースがあります。多目に服用した結果、翌朝まで薬剤の影響が残り、フラフラになっているのを目撃したことがあります。恐らく前田さんはこの分量についてのわきまえがあったのかもしれません。
山小屋では他人のいびきや物音、たまたま陣取った環境などで眠れないことがしばしばあります。
しかし、それはありうることとして当たり前のことだと思わなくてはなりません。また北海道の山小屋が本州の営業山小屋と根本的に異なることも重要な条件です。管理人がおらず、暖をとるスペースが存在しません。雨の日には床が雨具から垂れた雫でびしょびしょになります。
そうすると、この点だけとらえても、少なくとも次のことがいえます。
2泊3日の山小屋泊ツアーに参加する登山者の最低限の行動能力のひとつは、眠りが浅く、場合によってはほとんど眠れていない状態でも3日間歩きとおせる力ということになります。また装備をぬらさずにパッキングする能力です。
どうですか?とても過酷な条件だと思いませんか。しかし実際には、あまたの夜行日帰りツアーが強行されているように、かなりの高齢者でも一日くらいは寝なくても平気で歩ける場合があります。
つまり、もっと一般登山者にわかりやすいたとえを使うならば、バスの夜行日帰りツアーを2日連続でこなすだけの体力があるかどうかを自問する必要があります。
またどんなに良好な天気を狙ったとしても、一日の行動が長くなれば、天候が急変して悪天につかまるケースが一度や二度はでてきます。
また停滞する前に低気圧につかまってしまえば、悪天行動をせざるを得ません。そのときに、防寒具をすぐに取り出せるようにザックの中にしまっておくとか、自分で雨具を着用し、フードをかぶり、休憩する場所がない場合でも、自分の判断で歩きながら行動食を口にいれることができるなどといった自己防衛能力が必要です。
トムラウシ山遭難についていえば、もちろんガイドの判断ミスが多くの命を奪ったことは間違いないでしょう。また、ガイドは客の自己管理についても可能な限り、指示を出す必要がありました。しかし、それにもおのずと限界があります。最終的に生死をわけたのは、ガイドの指示の悪さや、たまたま自分の立っていた位置などの運不運もあったでしょうが、最後は、どこまで自分自身を守れるかという自己管理能力の差だったかもしれない。前田さんはそういうことを生還者として感じとったのではないでしょうか。
消費者としての客
次に、消費者としての客の立場を考えてみたい。
参加条件
まず会社側からの視点で分析します。
会社がトムラウシ山縦走ツアー登山を企画する場合、少なくとも悪天行動と避難小屋泊の経験など上述したような最低限必要な能力水準を参加条件に示す必要があるでしょう。この参加条件は、もう少し具体的に必要な能力をブレイクダウンするのがベターといえます。これは参加希望者と電話面談で確認する程度になるでしょうけれども、出来れば書面で質問書を作成し、データを管理するほうがリピータの管理にもなります。
従来のツアーのように、年齢確認と山行経験のCVリストだけでは顧客のプロフィール確認としては不十分といえます。個別のツアー企画に即した参加条件テンプレートを作成し、山行報告をフィードバックできるデータベースを共有する必要があります。
しかし、現実の参加者が参加条件をクリアしているかどうかを確かめることのできる完璧な面談などできようはずがありません。登山経験を外部化することほど難しいものはないのです。
ツアー会社がオフィスで客に対してどんなに説明をつくしても、実際に山に入れば、客は自分が想定していた条件と違った!といったギャップは必ずでてきます。事前の申し込み段階で完全に把握するのは非現実的です。
そうなると、参加条件は、そういった不確定要素もふまえたうえで、より安全側にたった絞込みをするのが合理的ということになります。
提案
まず以下の項目を担当者が入力し、カウンセリングをはじめます。
・年齢・性別・身長・体重・登山経歴・雨天行動経験・長時間行動経験・避難小屋経験・他の季節の登山経験・年間山行日数・雪渓登降経験・高度障害の経験・所有装備・食料計画・歩行スピード・最近の登山はどこで何日前か・普段のトレーニングの有無・身体的弱点・既往症・常用薬
これらの情報のうちいくつかは定量的な基準を与えてチャート化し、申込者の行動レベルをランク付けしていきます。
例えば、年齢が70歳を越えていれば0点、雨天行動経験が1回であれば1点など。
また所有装備などは、漏れがないかどうか再確認します。
ツアー会社およびガイドの責任
さて、いったん以上のような参加条件を規定したうえで、客の申し込みを受諾した場合には、ツアー会社が責任をもってガイドに対してツアー中の客の行動の管理監督させなければなければならないでしょう。
前々回に、会社は登山の企画書をガイドと共有すべきだと述べましたが、客の管理の観点からも、ツアー会社は、客が参加条件を満たしていたかどうかを書面で確認するほうが安全です。
顧客の情報のマネジメント
ツアー会社の現状がいまひとつわかりませんので、いきなり結論からいいますが、安全管理の観点から、現状顧客情報は山行報告をフィードバックして更新・共有するシステムを確立するべきです。
少なくとも登山中のリスクマネジメントの観点からは、ガイドが、参加者の情報を事前に把握することが非常に重要です。
いいかえれば、安全管理の観点から、参加者の経歴を事前に会社とガイドの間で共有されるシステムを構築するべきです。
客の自己責任論
次に客側の視点で考察します。
ではツアー会社に示された企画書(装備・行程・進め方・登山の危険)や参加条件を理解したうえで申し込みしたのだから、装備や体力など自己の行動については自らが責任を負うべきだというべきなのでしょうか。
私は、その責任が成り立つためには、ツアー会社の説明内容がパーフェクトであり、かつ消費者にそれを理解する能力が合った場合に限られるのではないかと思います。
すなわち、たとえ客が参加条件の質問書に対してあいまいな答えをしたり事実と異なる回答をした場合でも、それだけをもって客の自己責任というべきではありません。なぜなら、ツアー会社がどんなにルートや天候・必要とされる能力水準などの情報提供をしたとしても、それはあくまで消費者がツアー選択する際の判断の一助にしかならないからです。それが事故の際の言い訳になりえるわけではないのはいうまでありません。
会社ないしガイドと消費者との間では、情報量と分析力・技術・判断力すべてにおいて対等ではないというべきです。つまり、会社は一部のお客さんがうっかり間違えて自分の能力を超えた過酷なツアーに申し込んでしまった場合でも、参加を認めるかどうかの判断を含めて、適切に安全に配慮する義務があるはずです。あるいは、途中で体調を崩してしまい、自分自身で適切な自己管理をしたいのは山々だか、自分の不調のためにパーティ全体に迷惑がかかることを思うと、誰にも不調を言い出せないといった状況は現実にありえます。その結果をツアー参加者の自己責任に負わせることは不合理というべきでしょう。
まとめ〜消費者側のリタラシー
消費者は賢くあるべきです。
きちんとしたマネジメントが出来ているツアー会社を選ぶ知恵が必要です。
そのためには、会社やガイドが本来どのような業務を行うべきなのかについて、ある程度の予備知識を持っているほうがいいと思います。
また消費者であると同時に、歩くのは結局自分自身だという自覚も当然求められます。法的責任は会社やガイドが負うでしょうが、甘い考えで登れば損をするのは結局は自分自身にほかなりません。
しかしながら、現実はきわめてお粗末な状況と推察されます。
客の意識は決して高いとはいえませんし、客の意識の低さが事故の誘因になっていることはいうまでもないことです。しかし、意識啓発のボトムアップ戦略は一体誰が啓発活動をするのかを考えれば一定の限界があるというべきです。
また多くの会社の管理体制は極めてお粗末というべきでしょう。アミューズトラベルだけが突出してお粗末だったわけではないはずです。
もちろん、上記に提案した対応がベストとはいえませんが、現実のツアー会社がこのレベルまで達しているかというと、私が知る限りにおいては、ごく少数ではないかと思います。
また会社はこれまでほとんどの場合で、ツアー会社の企画とガイドの資質、客の能力などの条件がすべて悪条件を重ねたことがほとんどなかったために、たまたま悲惨な事故を免れ、ニアミスですんできたのでしょう。そのため、成功していると勘違いしたまま、お粗末であったという認識すらないのではないでしょうか。しかし、条件が重ねればどこの会社でも起こりうる事故ではなかったでしょうか。
会社もガイドも、本来の業務分担がどうあるべきかを真剣に考えるときがきていると思います。
2009-08-09 トムラウシ遭難の教訓2〜ツアーガイドの問題
■[philosophy]今後のツアー登山はどうあるべきか その2
ツアー登山の課題〜ガイドの資質について
前回は、自分自身の過去の経験を踏まえて、ツアー会社がとくにプランニングにおいてマネジメント能力を強化すべきだという意見を述べました。
計画ないし業務指示書がしっかり立てれられていれば、ガイドの負担は軽減されます。
次に、ツアー会社からアウトソーシングされるガイドの問題に進みます。
ツアー登山のガイドの実態
・・というほどよく知っているわけではないのですが。
結論から先にいいます。
報道されているように、ガイドの資格規制を強化するなどの、日本全国のツアーガイドの能力底上げ作戦は、前述の企画会社のプランニング能力向上とセットでなければ効果的とはいえません。
ツアー登山の安全は、7割がたを企画書でカバーし、残りの3割を現場でフォローする体制が望ましい。どんなに規制をしてもヘナチョコガイドは出てきますので、あまり現場任せを前提にするべきではありません。
ガイドに最小限必要なスキルは、私が思うに、第一に、登山計画を読み込む力(業務の理解能力)であり、第二に、計画上示されたルート評価・パーティ評価・天気基準・装備を現場でアップデートする能力、第三にパーティを統括する能力(遂行能力)、そして最後に適切な知識すなわち、医療救急・自然リスク・気象・装備・食料計画・運動生理学に関する知識です。
もちろん、ガイドが緊急時に客を背負って下山できるような屈強さもあればあるに越したことはありませんが、ハイキングガイドの場合、野獣のような元気な学生を雇うなどしてアウトソーシングすれば足りますし、山での判断以外の雑務はアウトソースするのがベターです。急斜面や岩のルートでの客のサポートはガイドの仕事からはずしたほうが無難ですし、そういった業務は特段のスキルを要しません。ガイドは状況判断に専念するべきです。
しかしながら、現状では、上述の3つのスキルについては、ガイドの資質を確かめるすべは非常に限られているというべきです。いかにしてガイドの判断能力を計量するか。これは大きな課題です。登山の知識については講習会等でチェックすることが可能ですので、今後は資格規制強化に伴い、法令上の講習会受講義務といった制度をつくるのも一案です。
さて、理想はともかく、実態はどうでしょうか。
統計をとることができず、漠然とした印象に過ぎないことをお断りしたうえでいえば、組織登山とりわけ冬山登山を十分に経験したことのないガイドは、いまひとつ危険認識に欠け、判断に信頼がおけないという印象をもっています。また、たとえば、四十の手習いで登山を始めてガイドになった中高年の人たちや、学生のサブリーダーが慣れてきてガイドに昇格した場合(私などは典型)、あるいはツアコンが次第にガイドも兼務するようになったケースなど、出自もさまざまであり、少し怪しげです。ガイド専門で生計を立てているプロフェッショナルは、ツアー需要総数に比べると圧倒的に小数なのが実情でしょう。ほとんどが中高年登山ブームであまり計画性もなくツアー企画をやたらめったらに増やしたあげく、ガイドの人手不足を補うために、ツアー会社は助っ人を雇っているのではないでしょうか。もちろん有資格の専門ガイドだからとって判断能力があるという保障はどこにもないのですが、学生上がりのにわかガイドや中高年の趣味の延長からやってきたタケノコガイドに比べるとプロとしての自覚が期待できるだけに幾分ましです。ざくっとした印象数字でいえば、シーズン最盛期の7月で、少なくとも4割くらいはガイド業務に不慣れな人間がガイディングしているのではないでしょうか。
もちろん、これは印象論にすぎません。判断能力というのは本当に計測しがたく、実際に山で一緒に行動してみなければなかなかみえてきません。
また誰しもいきなり経験豊富なガイドになれるはずもなく、修行中の新米時代というのは存在するわけでその意味では、100%経験豊富なガイドで占められるべきとまではいえません。
しかし、この経験年数や出自に関する統計は今後きちんとしたベースライン調査を行い、把握されるべきです。それがなければ資格強化も絵に描いたもちだからです。
大雪山遭難パーティのリーダーに欠けていた能力とは何か
さきほど、ガイドとしての業務に最小限必要な能力を4項目に分解しました。
もう一度、整理しましょう。
1.登山計画を読み込む力(業務の理解能力)
2.計画上示されたルート評価・パーティ評価・天気基準・装備を現場でUpdateする能力
3.パーティを統括(Organizing)する能力
4.医療救急・自然リスク・気象・装備・食料計画・運動生理学に関する知識
1.登山計画の理解力
前述のとおり、ガイドに業務指示書を伝達しない風潮がツアー業界全体に蔓延しています。
これでは、ガイドが登山計画を理解する手がかりは、行程表と装備表くらいしかないことになります。ガイドは自分の想像力で、あるべき登山計画を自分なりに再構成するしかないわけですが、大雪山遭難の場合はどうだったのでしょうか。
いままでのさまざまな報道や生還者の証言を照らしますと、多田ガイドが最終判断権をもっていたと推察されますが、そうすると、焦点は多田ガイドがいかなる登山計画を想定していたか、がここでの問題になります。これに関して、私は生還者の戸田さんから情報を引き出そうと試みましたが、所詮、客の立場からは、ガイドの頭の中にある山行イメージまでは事実として証言することができないという印象をもちました。
しかし、いくつかヒントは散見されます。
それはいずれのガイドも、行動中のその時々において、客に今後の行動予定を理由を含めてきちんと説明していなかった様子が戸田証言から伺われることです。7月16日早朝の出発延期の判断に関して、戸田さんはトイレにいっていて聞いていなかったと残念な証言がされていますが、この判断はガイドの想定計画を知る手がかりになります。いずれにしても、この点の分析は保留とせざるを得ません。本人および松本ガイドの供述を待つほかないかもしれません。
2.ルート評価・パーティ評価・天気基準・装備を現場でUpdateする能力
リーダーには計画が想定していたルート状況、パーティの行動能力が現場で一致しているかを常に確認する義務があります。
ルートの一部が崩壊していた、あるいはパーティの一部に病人が出た、などの情報は常に更新され、それをオリジナルの計画にフィードバック(計画の再構成)する必要があります。
この点に関して、遭難パーティは、ツアー初日に嘔吐を何度も催すなどの体調不良者1名を認識しながら、翌日のツアーを続行し、2日目も依然として嘔吐するなどの体調不良者を認識していました。これは戸田さんの証言から明らかになった目撃事実ですが、これはパーティの行動能力を引き下げるべき重要な判断材料のひとつといえます。通常、組織登山では一人でも行動能力が劣化すれば全体として行動能力が劣化すると考えるべきだからです。したがってリーダーは一番体調の悪い人、脚力の弱い人を常にマークしておく必要があります。
またパーティ評価を更新する重要なツールであるハンドシーバの不携帯についても、疑問の声が上がっています。さまざまな証言から、行動中、ハンドシーバによる交信がなされた形跡がひとつもなく、これが迅速な判断を妨げた可能性が非常に高いというべきでしょう。
3.パーティを統括(Organizing)する能力
この能力は、上述のプランニングするスキルとは全く別といっていいリーダーシップの根幹にかかわるキャパシティです。
誰しも登山を始めたばかりのころは「処女峰アンナプルナ」を読んで興奮し、さも八千メートル峰にチャレンジしてきたかのような追体験を味わうものです。また山野井泰史の登攀記録を読んでは遥かかなたの辺境のクライミングに想像を掻き立てられるものです。
同様に、私たちは登山計画を立てる際に、何がしか過去の登山記録を参照することが多いでしょう。
その際、メジャーな山域ではルートの状況、天気などは詳細に記述がある場合が多いので、その追体験をもとに、それを自分の登山計画に活かすはずです。その結果、計画を発表する人間はさもみてきたかのようにルートの状況を説明でき、局地的な気象条件についても詳しく語ることができるようになります。
しかし、ここには大きな落とし穴があります。
それは計画で説明されたルート上のリスク、気象、デフォルトのパーティ評価に対して、実際にきちんと対応できる力がそのパーティにあるのか?経験があるのか?という問題です。
プランナーであることとオーガナイザーであることは全く別のことです。
誰でも想像力さえあれば、8000m峰のルート評価をし、気象について得々と説明することができるでしょう。また、たとえば、、ビッグウォールの途中のセクションで、5.10+ poor pro or A3+というトポの記載があった場合に、ノープロテクションでフリークライミングで速攻をかけるか、数時間かけてネイリング(ハンマーをふるって確保支点を作りながら前進)するか、というそこまでのイメージはできたとしても、じゃあ、実際にお前らは現場でどちらの選択をするのかというと、それは当事者にしか判断できないことですし、このパーティにはどちらかの選択が可能であろうという信頼は、リーダーのそれまでの経験から推し量ることによってしか生まれないのです。
もっと具体的にいいましょう。
たとえば、登山計画において、行動中ふらつくような風雨では行動をしないという指針を立てていたとします。さて、実際の行動中、ふらつくような風雨になりました。このとき計画(あるいはその後に更新された計画)したとおりに、ふらつくような風雨だから行動を見合わせましょうという決断を下すことのできる能力です。また客の行動能力の劣化を未然に防ぐべく、客のサポートをするのも危険を事前に回避しつつ業務を遂行する能力のひとつです。これは休憩をとる、食事や防寒具着用の指示を出す、といったこまごまとした実務が含まれます。
簡単そうにみえますが、この能力を確認するのは非常に難しい。
この点に関して、遭難パーティのリーダーはどうであったでしょうか。
また企画会社はどのような経験を参照して、リーダーの判断に信頼をおく根拠をもっていたでしょうか。初期の報道で、松下社長が吉川ガイドがこの縦走コースの経験者であると述べていたことに私は愕然としました。のちの報道で明らかになったように、吉川ガイドはこのコースの経験がありませんでした。結局、企画会社はガイドを委任するにあたり、リーダーシップがあるとする根拠はなんだったのか依然として不明です。
また、具体的な登山計画がリーダーの頭の中にしか存在しなかったとするならば、これはリーダーに聞く以外になく、現時点では、藪の中というべきです。だからこそ登山計画は共有されるべき情報なのですが、多くのツアーでは登山計画という概念が空洞化しており非常にあいまいなのが現状といえます。
事故パーティの16日以降の行動についての戸田さんの証言をみると、明らかにリーダーシップの欠如をうかがわせる事実がみえてきます。防寒具着用の指示が伝達されなかったり、風雨のなか、パーティを待機させたり、などです。
しかしながら、大雪の遭難パーティについて、私たちはどの時点以降の判断能力の欠如を責めるべきなのでしょうか。ある人は、風雨が強い中、小屋を出発する判断したこと自体が責められるべきだといいます。またある人は、天沼付近で引き返すべきであった、という。またあるひとは、北沼で1時間以上もその場で待機させたことに非があるといいます。パーティが分断したのが悪いというひともいますし、分断はやむをえなかったというひともいます。あるいは携帯電話での救援要請をなぜ優先しなかった/現実に低体温症で緊迫した状況ではどちらを優先するべきかはトリアージ的な決断になろう、など。
つまりヒサゴ沼避難小屋出発以降のパーティの行動については、本来どういう行動をなすべきであったかについては議論がわかれています。私は結果論の机上においても判断がわかれるような問題を現場の修羅場においては冷静な判断は期待できないと考えるのが妥当ではないかと思います。
今回のように、複数の場所で相次いで客が行動不能に陥ったスパイラルを想定すると、これに対する対策を事前に計画し、実行する能力はさほど重要ではなく、むしろ、判断するべき難題が次々に発生し、対応不能に陥る悪循環に至る前に、状況をコントロールし、すばやく組織する力こそがここで問われるリーダーシップです。
緊急時に適切に対処する能力よりも、緊急事態を予防する計画遂行能力がより重要です。遭難パーティのケースでいえば、7月16日に小屋を出るときの判断が焦点になります。
もしかりに、ガイドに対して、次々に故障者が発生したあとの緊急時の対応能力までを強く要求するならば、世の中のガイドの実態に全く即してない机上の空論というべきです。
実は、私は質問事項を作成しながら戸田証言には、この点の解明に期待を寄せたのですが、戸田さんの主観を取り除くと、証言の2割くらいにしか、そのヒントを見つけることができませんでした。これは被害者としてのやむをえない制約と思います。
この点は、裁判等で明らかになればと願っています。
(なお、この論点についての私の見解をみると、多田ガイド擁護の工作員と呼ばれてもいたし方がないかもしれませんね。評価は諸賢のご判断にお任せしたく思います。)
4.医療救急・自然リスク・気象・装備・食料計画・運動生理学に関する知識
これらがリーダーに必要な知識であることはいうまでもないことです。
しかし、遭難パーティはこの点で、重大な欠落があった可能性があります。
報道や生還者の証言から構成された遭難時のドキュメントをたどると、どれをとってもリーダーには不十分な知識しかなかったのではないかと疑わざるを得ません。
とりわけ気象と低体温症に関する知識は、生死を分ける重要な知識であったにもかかわらず、証言から浮かび上がる現実の対処のあり方からは、対処の十分な知識があったようにも伺われず、また予防策も不十分だったといわざるを得ません。戸田さんの証言によれば、北沼で発生した最初の故障者に対する初期対応は、しっかりしろと声をかける、テルモスのお湯を飲ませる、背中をさする、の三つです。素人目にも決して適切とはいえませんでした。少なくともすぐさまテントを張り、体温の低下を防ぐべきでした。もし三名のガイドに低体温症の適切な知識があれば、被害をもう少しは防げたかもしれません。
今後の方策
1.ガイドの登山計画の理解を促進する方策は、ツアー会社に対するインプットを検討することでボトムアップ的に可能かと思われます。つまり、ツアー会社はガイドとともに計画案策定に議論を尽くすべきです。そうすることでツアー会社はガイドを適切にコントロールすることができ、ガイドのクォリティの均質性も担保する道筋ができます。また下界で訓練が可能だというメリットもあります。
2.現場でのパーティ把握能力について。
これは難問です。コミュニケーションスキルもかかわってくる問題であり、これはガイドがこのスキルを習得するの時間がかかるようであれば、ガイドに向いていないものとして、淘汰されるべきでしょうね。妙案は浮かびません。
3.現場での判断能力について。
これについては、ハイキングでトレーニングするよりも、長期の冬期縦走や冬季登攀や厳しい沢登り・クライミングを通じて、精神的な余裕を磨くのがベターと思います。また自分自身が追い込まれるうようなシビアな登山の経験を通じて、余裕のない客のマインドも理解する一助になります。そういった研修プログラムを利用してみてはいかがかと思います。
4.登山の知識
これは前述したとおり、講習会メソッドが有効です。大勢のガイドを集めて開催できるメリットがあります。これは行政が関与してもいい対策ではないかと思います。
さて、ツアー会社の問題、ガイドの問題をひととおり軽く触れました。
次回は客の問題について考えます。トムラウシ遭難の教訓3 - + C amp 4 +
2009-08-08 トムラウシ遭難の教訓1〜ツアー企画の問題点
■[philosophy]今後のツアー登山はどうあるべきか その1
先月16日から17日にかけて発生したトムラウシ山遭難事故から2週間以上たちました。
この事故に大きな関心を寄せていた私は、さまざまな初期報道からは事実経過がどうしても飲み込めず、矛盾を整理するために、ありとあらゆるニュース報道を漁っていました。そんな折、文字通りありとあらゆるウェブ報道を収集し、分析を加えているサイトに出会い、これ幸いと、以降、そのサイトを中心に自分なりの意見を述べてきました。
最終的には、今後のトムラウシ登山のモデルプランのようなものをあのサイトを通じて提示できればよいな、という甘い目論見がありました。しかし、私にはどうすることもできない理由で管理人の機嫌を損ねてしまい、私の希望はいったん頓挫することになりました。というか、よくよく考えれば、最初から他人のサイトを宿借りするのがずうずうしいと反省すべきでした。
さて、09年のトムラウシ遭難は、およそ二つの観点から教訓を抽出するのがよいと思われます。
ひとつは、消費者という立場からみた、ツアー登山のクォリティの観点。
もうひとつは、比較的難易度の高いとされるトムラウシ山縦走コースに挑む一般ハイカーに対するアドバイス。
本エントリは、ツアー登山の落とし穴という観点から、事故の問題点と今後の処方箋について軽く触れたい。まずは、ツアー会社の問題点をとりあげます。次回以降のエントリでは、ガイドそして参加する客の問題、そして一般登山者向けのトムラウシ山縦走のプランニングについて提案します(帰国後、改めて既往資料をみてから作成します)。
トムラウシ遭難の教訓1 - + C amp 4 + ツアー企画の問題
トムラウシ遭難の教訓2 - + C amp 4 + ツアーガイドの問題
トムラウシ遭難の教訓3 - + C amp 4 + ツアー客の問題
ツアー登山の課題
解説委員室ブログ:NHKブログ | 時論公論 | 時論公論 「トムラウシ山遭難 ?ツアー登山の落とし穴」は次のように述べています。
【 ツアー登山の問題点 】
ツアー登山で参加者が死亡する事故は、たびたび起きています。同じ北海道では10年前に羊蹄山でツアー客ふたりが死亡し、7年前の7月には、今回と同じトムラウシ山でツアー客1人が低体温症で死亡しています。いずれの事故でも、ガイドは業務上過失致死で有罪判決を受けています。こうした事例がありながら、また大きな悲劇を生んだツアー登山。安全性を高めるために何が課題になっているのでしょうか。
その課題として、次の三点を指摘します。
▼まずツアーの日程に余裕を持たせるという点です。
予備日を設けるなどすれば費用が高くなりツアー客に敬遠されると言います。
▼つぎにガイドの技量の問題です。
ツアーとガイドの増加に伴って天候の急変やトラブルにきちんと対処できないガイドも増えていると指摘されています。
【 参加者側の問題 】
一方、参加者側にも大きな課題があります。登山ブームのなか装備や山の知識など十分な準備のないまま、ガイドまかせ、ツアー会社まかせで参加する人が少なくありません。
非常に正しいです。
NHK解説委員ブログの問題認識を基本として、三つの当事者グループの分析を進めます。
ツアー登山の主な関係当事者は、
A.企画する旅行会社(プランナー)
B.ガイド(リーダー)
C.参加者自身(客)
の三つであるといえます。
上記サイトによれば、この三つの当事者グループそれぞれにツアー登山の潜在的な危険因子が胚胎しているといえるでしょう。
ツアーの多くの場合では、ABCのうち何かしらほころびはあるものの、どこかでカバーし合って最悪の事態を避けてきた可能性があります。たとえば、企画した日程に無理があったとしてもガイドの腕がよく、適切な判断がなされたとか、参加者の行動能力が高かったとかです。
しかし、ABCの条件の組合わせが運悪くすべて悪い方に重なったとき、今回のような大惨事になるのではないでしょうか。
ツアー企画する会社の問題
通常、こうした登山ツアーは、旅行会社が計画を立て、日程を決め、それに添乗員をつけ、ガイドをアウトソーシングするという形が一般的のようです。添乗員がガイドもかねるケースもあるようですが、サービスの質がまるで違う、添乗員とガイドの二人羽織は避ける傾向があるようです。もっともこうした傾向は最近の話で、10年ほど前は、トムラウシ山往復ツアー20名を山岳経験もろくにない添乗員が羊飼いさながらに客を引っ張っているというケースもありました。トムラウシ山ではさすがに少しはなれた添乗員が来るのでしょうが、他の山では、羊飼いにすらなれず、添乗員がバテて途中で待機しているという姿も何度か目撃したのを覚えています。
こうした羊飼いツアーの大半は、90年代はじめに沸き起こった中高年の百名山ブームに乗って、登山旅行の分野に乗り出した大手の旅行会社やバス会社、鉄道会社でした。
旅行エージェントは当然、航空機・ホテルの格安手配を得意としますから、そこで価格差をつけようとしますし、バス会社は、とにかくどんなに遠くてもバスで行くセンスです。
バス会社の例
さしあたって具体例としてバス会社の例をとりあげましょう。
皆さんはバスの待合室でバス会社の企画した旅行ツアーのチラシやポスターをみたことがあるでしょう。なかには温泉ツアーなどに参加された人もいるかもしれません。バス会社の強みは、自分で登山口までダイレクトにつながる移動手段を持っているという、その機動力です。しかしホテルや航空機の手配には弱く、宿泊ツアーでは価格競争になかなか勝てません。したがって、バス会社の企画はそのほとんどが日帰りツアーとなります。つまり、バス会社としては基地局から日帰りで往復できる範囲が営業テリトリーとなります。
しかし、問題は、「ではどこまで日帰りで行ってしまうのか」です。
日帰りツアーの拡張概念に、【夜行日帰り】というタイプがあります。
これが曲者なのですね。夜行日帰りのギリギリの線ってどこまでなんでしょう。
土地勘がない方にはわかりにくい例かもしれませんが、札幌ー釧路を夜行日帰りでいく登山ツアーみたいなハードな企画が実在するのです。これは客より先に運転手がぶっ倒れます。
週に4回も夜中に日勝峠を越えるバスの運転手はいったいどこで休んでいるのでしょうか。
あるバスの運転手はいいます。
「いやぁ最近ほとんど寝てないさ。最近、夜行日帰りが連ちゃんよ」
運転手の間では、ハイキングツアーは貧乏くじのようなものです。一般道でも長時間運転のリスクがあるうえ、登山口までの林道をバスで突っ込むのもときには、命がけです。ですので、慣れている運転手しか割り当てられず、結局、適切なローテーションがなされず、同じ運転手が何度も夜行日帰りハイキングにまわされることがあるのです。
バスの運転手の悲哀は別の問題としても、ここにすでに、バス会社の企画の無理が現れているのがわかります。乗客はほとんど曲がらない座席で仮眠し、翌朝からがつがつと山に向かうわけです。
ところがバス会社のハイキングツアーで登山中の重大事故というのはあまり耳にしません。客は寝不足でフラフラになっているはずです。
なぜでしょうか。これは、ひとつに、バス会社のテリトリーが日帰りエリアに限られているため、難易度の高い縦走コース等を企画することがそもそもできないという偶然によるのではないかと思います。要するに、バス会社の制約条件として、日帰りピストン(同じ登山口からの往復)の企画にならざるを得ず、その結果、何かあったときの対処がしやすいツアーが多いということです。
バス会社の制約がツアーの安全を担保していたんですね。
それでも、どこの業界にも限界にチャレンジするバカがいるわけで、四国からオール仮眠4日間の富士登山バスツアーなるものも企画されているのを最近みかけました。参考:http://www.travelroad.co.jp/005/huji/fuji-o.htm
ではツアー会社に企画書なるものはあるのか
私はツアー会社の人間ではないので、憶測にすぎないことをお断りした上でこう勘ぐっています。
内部にはあるのかもしれません。少なくともガイドに手渡ししたり打ち合わせしたりする内容のあるものは存在しないことがほとんどでしょうね。
私は学生時代から好んでツアーのサブリーダーのアルバイトをしていました(学生にしてみれば日給1万円温泉付は魅力的だった)。しかし、どのツアー会社でも、行程表と地図と装備表以外のものをみたことがありませんし、事前の打ち合わせをしたこともありません。たいてい、当日の朝か夜に集合場所で初顔合わせをし、そのままろくに会話せずに山に突入!というパターンが多かった記憶があります。「あんた、この山初めてかい?」くらいは聞かれたかもしれません。しかし、学生のころは、いかにもリタイアしたじいさんが小遣い稼ぎにしてるんじゃないかと思われるような無能そうなガイドに当たってしまうと、自分もそうであるくせに、内心、何事もないことを祈る気持ちでした。実際のところ、ツアーが始まってしまうと登山計画について打ち合わせする時間などありません。
しかし、山岳部等の組織登山を経験すると、机上でのプランニングがいかに大切かを身にしみて思い知らされます。詳しくは、http://d.hatena.ne.jp/swan_slab/20090806#Planningに私の考え方を記載しましたのでご覧いただければと思います。あらゆる軍事行動がそうであるように、登山の成否は、プランニングにかかっています。机上のシミュレーション抜きに現場の司令官の行き当たりばったりの判断に依存していたら、必ず失敗します。
ところが、バス会社のツアーの場合、軍事行動になぞらえるほど、緊迫した企画ではないのです。
往復5〜7時間程度の山中行動のハイクツアーがほとんどです。半日程度の日帰りハイクで、イラクでの軍事作戦なみの綿密な企画書をつくれといったら、誰でもバカバカしいと思うでしょう。
つまり、装備の一つ一つの重量までチェックするといった綿密な計画を立てるほど、切羽詰ったルートでもないため、ツアー会社の側で、安易な企画書で通してしまうインセンティブが働いてしまうのです。また、バス会社は所詮、流行に便乗しているにすぎず、リスク管理に通じた専門のスタッフを適切に配置しているわけでもないので、綿密な計画を立てる能力と習慣がそもそもないといっても過言ではないでしょう。
つまりバス会社の企画において、安全管理は漠然と理解されているにすぎず、かりにマニュアルが存在するとしても、それが実行部隊たるガイドには公開されない以上、単なるお役所向けの文書に過ぎません。
アミューズツアーの事例から学ぶこと
アミューズトラベルのツアー企画は、バス会社の日帰りツアーに比べると、本社のバックアップ体制から装備の検討、顧客への事前の確認など安全性への配慮を含めて、あらゆる点でマシです。工作員呼ばわりされそうでいいにくいことですが、その辺のバス会社と比べるとずいぶんしっかりした体制にみえます。
90年代後半、まだアミューズトラベルが北海道の山に現在ほどは進出していなかったころ、アミューズトラベルは価格では勝負していませんでした。他社比2割増くらい?だったのではないでしょうか。
恐らくその理由として、価格で勝負したくともできなかったのでしょう。山岳専門のツアー会社としては業界で新参者でしたし、エージェントとのコネクションも薄く、ホテルの割引も交渉力が低かったと推察しています。
それでも顧客を徐々に獲得していったアミューズの戦略のひとつに、サービスの向上があげられると考えられます。客の立ち話を盗み聞きすると、浮かび上がってくるのは、固定客の創出戦略です。まず添乗員にボンクラを絶対に雇わず人間的にも魅力的な精鋭を揃え、お客さんの立場にたったツアー作りを心がけ、固定ファンを次々に引き寄せます。
第二の戦略は、登山ツアーのターゲットの拡大です。従来、どこのツアーも厳しい登山計画では年齢制限を設けていました。アミューズトラベルは、年齢にとらわれることなく、実際の登山歴をヒアリングすることによって能力確認をする戦術にでました。これにより、潜在的な顧客層のパイを大きく広げることになりました。客側にとっては、どこのツアー会社でもお断りされる高齢者でもアミューズが面倒みてくれることになり、結果としてアミューズツアーの平均年齢が相対的に高くなりました。「来る者は拒まず」戦略とでもいいましょうか。
第二の戦略は、登山計画に反映されており、過去のデータから、アミューズ独自ともいえるゆるい歩行スピードをもとに、行程表の時間読みが計算されています。これは客のヒアリングでもはっきりわかるのですが、アミューズツアーの固定客は、他社のハイスピードの登山を敬遠して流れてきているケースが多くみられます。山をゆっくり楽しみたいという動機の客もいれば、体力的な問題を抱えている人もいます。お客さんのひとりはこういいます。「某社のツアーは、弱い人にペースを合わせない。先頭集団についていけない人は次々にリタイアし、そこで待機させられます。先頭集団についていけた人たちだけが頂上を踏めるんです。それにくらべるとアミューズは・・略」と新聞社系列のツアーをこう評しています。このように、客の中には、他社のツアーの安全面に不安をおぼえてアミューズツアーに参加するひともいます。ただ、一方で、恐らく、客のなかには、もはやアミューズトラベル以外のツアー会社では断られて仕方なくアミューズに参加するひともいるはずです。つまり、顧客の基盤として、中高年のなかでも、さらに行動力の弱いグループをターゲットにいれていることになります。
しかし、パーティの標準的な行動能力を低く見積もることにリスクはないのでしょうか。
つまり一般の登山者が9時間かけて歩くコースはアミューズタイムで11〜12時間かけて牛歩のように歩く、といった行動能力の引き下げは、計画上、安全を阻害するリスクにならないのでしょうか。
当然のことながら、山中での行動時間が長くなればなるほど、行動中の危険は増します。
行動時間が長ければ体力を消耗しますし、悪天につかまるリスクもでてきます。
いいかえれば、牛歩センスは、比較的良好な天候の場合は、安全側に作用する場合がありますが、悪天候の場合は、パーティの行動能力を減退させる悪循環にはまり込む危険性をはらんでいるのです。
では、アミューズトラベルの企画において、こうしたリスク分析が反映されていたかどうか。
具体的には、行動可能な天候基準を厳格にとらえていたかどうか。
もしかりに計画段階で、7月16日のトムラウシ山越えの行程について、行動できる天気基準を明確にしてあれば、会社がその説明をすることが可能であったはずです。たとえば「小雨程度なら行動する予定になっていた」とか「体力の消耗する天候では行動しない」などです。これはマニュアル等の一般的事項ではなく、個別の行程について検討されていたかどうかです。しかし、現実には、一切の説明はなく、すべて現場の判断にゆだねていたといいます。これでは登山計画があったとはいえず、ガイドに行程表だけを渡して丸投げしたと批判されても仕方がありません。
パーティが行動できる天気というのは、ルート評価とアップデートされたパーティの行動力との関数できまります。もともとの計画で設定された行動可能な天気をもとに、パーティの能力の変化に応じて、天気基準の見直しをする作業が現場のリーダーの仕事となります。リーダーはその場で登山計画を立てるべきではなく、所与の基準を現場で確認するべきなのです。この計画と実施のプロセスのデマケができていなかった可能性があります。
これはアミューズトラベルに限った話ではなく、ほぼすべてのツアーに当てはまる大問題です。
多くのツアーは、実践上の登山計画をガイドやツアーリーダーに丸投げしているのです。
これにより、結局、行動できる天気基準ひとつをとっても、確たる標準化がなされないため、ガイドの資質に依存することになります。攻撃的なガイドは悪天候でも突っ込むし、弱気なガイドは石橋を叩き割ってでも渡らない。そんなガイド任せの登山計画は今後は厳しく批判する必要があります。
組織登山のメリットは情報の共有化にあります。
登山パーティがどのような基準で行動するか、悪天時の行動パターン等をあらかじめ共有していれば、緊急時においてバックアップ体制も充実しますし、パーティの行動の予測を立てやすいのです。
しかし、アミューズ遭難パーティのケースでは、事故直後の社長の会見で計画性のなさを露呈していました。
読売新聞の初期報道によれば、現地のルートの精通しているのは、吉川ガイド一人であったと報道されていました。私はウソでしょと瞬間的に思いましたが、松下社長はその会見で組織登山のメリットをまるで生かしていないことを示してしまったわけです。
ツアー会社とガイドとの連携の強化
そこで、教訓として、確実に次のことを私は提案できると思います。
まずツアー会社は、10〜20名規模の登山計画検討委員会を定期的に開催し、新規の計画だけでなく、既存の山行報告をもとに計画にムリがなかったかどうか、ブレインストーミングをまじえて、入念にチェックする機会をもつべきでしょう。とくに悪天候のシミュレーションは綿密に行い、考えうるケースは考えつくした上で、あらかじめいくつかの選択肢を計画に盛り込んでおくことです。たとえば、故障者の離団ないし故障者が生じた場合のパーティ分割の動き方、エスケープルート、停滞日の使い方などです。
その委員会を開催することで、参加者(添乗員やリーダー)同士が啓発しあい、自分では気がつかなかったリスクの発見につながる可能性があります。
したがって、ここで議論された内容は、参加できなったガイドグループにも議事録を配布するべきです。またガイドにとっても、企画会社側が責任をもって、行動基準を明確にしてくれれば、現場で撤退やエスケープの判断を客に説明する際に、「登山計画上、ある一定の条件下では行動しないことになっている」等と理由をつけやすいはずです。
また、そもそも企画会社がこうした計画策定作業に慣れていないという、シュールな事態も想像されますので、プランニングとは何かについて徹底的な社内研修をすることをお勧めします。
トムラウシ遭難の教訓2 - + C amp 4 + (ガイドの資質の問題)に続きます。