女子サッカーの歴史
いつも 県リーグで いろんなチームを
見ていますが、
40代、50代、さらに 60代の女性まで
ほんとうに うまいです。
神戸FCマミーズさんや キャロッツさん
バンヴェール兵庫さん トパーズ神戸さん
北五葉ウィングさん 高砂FCさん
などなど・・・・
で 昨日
読売新聞の わくわくスポーツ阪神版に
いつも県リーグで お見かけする幸田さんという方が
大きく とりあげられていました。
写真は その 記事です。
わたしと同い年の方なのですが
サッカー歴は 雲泥の差。
すごい方です。
なんと 小学校5年から サッカーを始めて
中学もサッカー部
そして 結婚・出産を経て 20年前に
ママさんサッカーをはじめて
ずっと 続けてこられているとのこと。
そして 6年前から
4年連続 県代表で 全国大会出場。
三年前には 全国制覇。
すごいです。
継続は 力なり・・・・といいますが
30年以上サッカーを 続けてらっしゃる。
ほんと 尊敬です。
crospoの 神戸のjanさんも
ずっと 神戸のサッカーを愛し 支えて
こられた方です。
兵庫県レディースリーグのチーム には
こういう すごい方が たっくさん。
で 関西、
大阪・滋賀・京都・奈良・和歌山などには
あまり 女子の ママさん年代の
サッカーリーグが あまり ない。
なんでだろう????????????
で 女子サッカーの歴史を調べてみました。
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世界で もっとも古い女子サッカーの 記録は
「近代サッカーの母国」といわれるイングランドでの最古の記録として1895年に北イングランドと南イングランドによる対抗試合が残っており、近代サッカー成立の年とされる1863年からわずか30年ほどのあいだに女性にも普及していったといえるだろう。
1895年といえば 明治時代末ごろ、
まだ 日本では 着物きて 男尊女卑で
サッカーどころか・・スポーツする女性が
めずらしい時代ですね。
★日本の女子サッカー★
日本での女子サッカーの歴史はそれほど永くない。女性がサッカーに携わるのは、おもにマネージャーなどであり、選手としてプレーするということはほとんど考えられなかった。しかし1960年代から70年代にかけて競技を行う女性が少しずつ見られはじめ、1966年11月には神戸市立福住小学校で「福住女子サッカースポーツ少年団」が誕生。同じ年には神戸女学院中学部の3年生によるチームも誕生している。つづく1970年に神戸FCが、1972年には東京でFCジンナンが誕生。その後、ワイルド・イレブン・レディース(横浜)、三菱重工女子サッカー部、三菱養和レディース、実践女子大学サッカー同好会、高槻女子FC、清水第八スポーツクラブなどが誕生し、チキンフットボールリーグ(東京)、横浜女子サッカーリーグ、関西女子サッカーリーグといった小規模なリーグの結成により各地で試合が行われるようになった。
相次ぐ女子チームの誕生に注目が少しずつ集まり始めるが、一方で「女子には胸のトラップが危険」だとして特別ルールの話もあったといわれる。すなわち「胸トラップの際には手の甲を使って一度落としてもいい」という案であったが「ハンド容認になる」ということで実現はしなかった。女子選手が胸トラップを行っても身体に与える影響が少ないことは現実に証明されているが、創世記に起こりうる議論として留めておくことといえよう。
やがて1980年には全日本女子サッカー選手権大会が開催され、男子サッカーの天皇杯にあたる大会として日本全国のチームを対象とするトーナメントが行われるようになった。また1981年には神戸市で行われた博覧会「ポートピア81」の関連事業として女子日本代表が結成され、神戸市の中央競技場でイングランドと、東京の国立西が丘サッカー場でイタリアと対戦した。ただしこのときのチームはイングランド戦が関西と清水の、イタリア戦は関東と清水の選手により編成されたもので、むしろ「日本選抜」というべきであり、また監督・コーチ陣も臨時に任命されたものであった。
1986年に鈴木良平が初めて専任の女子代表監督に就任。日本サッカー協会では彼を「初代代表監督」と位置づけていることからもわかるように、このときから本格的な代表チーム作りが始まったといえる。
そして1989年には日本女子サッカーリーグも始まる。のちにL・リーグという略称を採用するこのリーグは、93年に開幕した男子のJリーグとともにサッカーファンに人気を博し、世界各国のトッププレーヤーが所属する「世界最高リーグ」と呼ばれた。しかしバブル経済の崩壊やシドニーオリンピック(2000年)の出場を逃したあたりから衰退が興り、一時はリーグの存在すら危ぶまれた。
だが2003年の第4回FIFA女子ワールドカップ(アメリカ合衆国)や2004年アテネオリンピックでの活躍により、女子サッカーは日本国内に浸透。女子日本代表の愛称「なでしこジャパン」とともに女子サッカーは認知されたといえる。またこの人気により「なでしこ」を日本女子サッカーのブランドとすることを決め、L・リーグになでしこリーグという愛称を制定した。
2005年1月、日本サッカー協会会長・川淵三郎は「2030年までに女子ワールドカップを日本で開催し、その年までに世界一にする」と宣言。また「女性監督の育成にも力を入れる」と明言した。
そして同年4月には、この年トルコのイズミルで行われるユニバーシアード世界大会に参加する女子サッカーチームの監督に本田美登里(岡山湯郷Belle(L・リーグ)監督)を任命。日本では各年代を通じて初の「女性代表監督」となる。8月10日から行われた本大会では、大学チーム所属選手とL・リーグ所属選手による混成チームを率いて第3位の成績を収めた。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A5%B3%E5%AD%90%E3%82%B5%E3%83%83%E3%82%AB%E3%83%BC
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ということで
なぜ 兵庫県リーグに
40代、50代、60代の すごい女性選手が いっぱい
いるのか 兵庫県代表が 優勝するのか
田崎ペルーレが 強いのかーーーー
わかります。
日本の女子サッカーは 神戸が 起源なのです。
おつるみたいな ほんの 数年前に
サッカーに目覚めたなんて
こういう 神戸の女子サッカーの歴史からすれば
赤ちゃんも同然。
でも
神戸中心の 兵庫県リーグに 参加させて
もらえるのが
夢みたいなこし。 ほんとに 幸せです。
神戸から 今後 関西、
全国に もっともっと サッカーする
ママさん 女性が がんがん 増えたらいいな。
ほんとに 何十年も続けてこられた
神戸の サッカー好きな 女性を 尊敬します。
県リーグで こういう ベテランの のプレーを見て
勉強したいと思います。
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2006-10-19 19:18
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コメント(4) |
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サッカー フットサル 大好き |
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女子サッカーってつい最近かと思ってました。。
それも静岡とかかな?って。。
ん十年サッカー続けてらっしゃるってすごいなぁ。
他のスポーツに転向しようとも思わなかったんかなぁ。
ほんとに継続は力なり ですね(*^_^*)
でも、胸トラップ危険って(笑)
確かに発育途中は痛いやろけど(#^.^#)
手で 防いだら・・・って
バレーボールになってしまうやん。
少々 胸にボールあたって 刺激与えたら
おっぱい 大きくなって いいかも笑
でも逆に言えば メチャクチャ普及していない今だからこそ 伝説を作るチャンスっす♪
まずはゴール決めた時の 個性あるポーズを考えるッス!(違)
試合の時はチーム全員 顔に女性らしいペイントをすると流行るかもしれないッス☆
伝説を作るにはファンサービスも大事ッス(^_-)-☆
体育の授業・・・そういえば そうですよねー。
昔 高校生のとき 男子がサッカーしてて
女子は バレーボールやバスケット・・・みたいな
ことが 多くて
バレーボールと バスケは ピアノの先生に禁止されていて
見学してた おつるは サッカーやりたーーーーーいって
いつも 思ってました。
試合時にペイント いいですねーー。
ハートマークとか、お花柄とか・・・。
個性あるポーズは インリン オブ ジョイトイでは
退場させられそうだし・・・
マリリンモンロー ウォークとか いいかなぁ。
ババロアの メンバーは
よく メイド服のコスプレで サッカーやると
うけるかも!!とか 言ってたよん。笑
ビーチバレーみたいな 水着でやるとか・・・
ああ お馬鹿なことかいてたら
真面目な 女子サッカーの歴史を 築いてこられた
方々に 叱られるーーーー。冷や汗。