1954年6月30日
ヴィヴィアン・プロムナイト(当時21歳)殺人事件発生。[詳細]

12月1日
事件未解決のまま世論は沈静化。 “I’m not a ghost”と書かれた声明文がマスコミと警察に届く。[詳細]

12月2日
『世界で一番美しい殺人現場』LAサンシャイン紙が犯人からの写真を紙面のトップに飾る。[詳細]
ヴィヴィアン殺人事件をブラック・マリア事件と命名。
LA市警のハンク・ワイルド警部現場復帰。事件の陣頭指揮を執る。


12月12日
LA郊外の雑貨店でイライザ・セル(当時20歳)遺体発見。[詳細]
ハンク警部は二つの事件を『同一犯の犯行』と断定。マスコミはハンク説を支持。


1955年1月25日
FBI捜査官マイク・クアイエットが捜査に参加。[詳細]
マイク捜査官はブラック・マリア事件とイライザ・セルの犯人を「同一犯ではない」と唱える。
マスコミは『ファイアvsアイス』と面白可笑しく報道。


2月2日〜
国道に停車した車内からアイーシャ・イニング(当時34歳)の惨殺体発見。[詳細]
エドモンド・キャリー(当時21歳)をイライザ・セル、アイーシャ・イニング殺人容疑で逮捕。
ブラック・マリア事件の陣頭指揮権がハンク警部からマイク捜査官に移る。


5月23日
捜索の末、新たに3体の遺棄された惨殺死体を発見。[詳細]
マイク捜査官はこれをブラック・マリア事件と同一犯による犯行と断定。


7月20日
ハンク警部、新聞配達員リチャード・ブレイニー(当時21歳)を重要参考人として連行。[詳細]
しかし当日に釈放される。


7月24日
証言者ブレンダ・バレンタイン(当時23歳)惨殺体発見。[詳細]

7月25日〜
ハンク警部リチャード宅を強制捜査。数々の証拠品発見。リチャード逮捕。[詳細]
マスコミは【リチャード=猟奇殺人鬼】を大々的に取り上げる。
ハリー・パウエル(当時37歳)がリチャードの弁護を申し出る。
リチャードの冤罪を訴えるが警察も世論も覆らない。


某 日
リチャードがブラック・マリアを含む数件の殺人容疑を認める。[詳細]
ハンクが“Q.E.D.”を叫び事件終了。