7月19日、ハンク警部の元に、以前聞き込みをした
ブレンダ・バレンタイン(当時23歳)から

思い出したことがある

と突然連絡が入る。
彼女はヴィヴィアンの数少ない女友達であった。「ヴィヴィアンは、記事中の

L

と

O

と

V

と

E

の文字が○で囲まれた新聞を毎日のように投函されて困っていました。
それを新聞配達員の男の仕業だと思い、顔を合わせた時に彼を睨み付けたら、薄気味悪く笑い返され、翌日の新聞から囲まれる文字が

HATE

に変わったって。
彼女は『逆恨みにもほどがあるわ』と怒っていたけど、ヴィヴィアンが男性から好意を持たれ、それが恨みに変わることなんて日常茶飯事だったので今まで忘れていました」と彼女は証言した。
ハンク警部は早速、ヴィヴィアンの遺留物から

LOVE


HATE

と記された新聞の存在を確認。もっと早く気づいていれば、と悔やんだが、しかしこれで腐り気味だったハンクに再び火がついた。
翌日ハンク警部は、新聞配達員
リチャード・ブレイニー(当時21歳)を重要参考人として連行。
そこへ、この情報に驚いたハリー・パウエル(ヴィヴィアン殺人現場の第一発見者)から警察に連絡が入った。

凶悪な殺人を犯すような男ではないから釈放して欲しい

と弁護士の特権を利用し警察上層部に働きかけたのだ。
ハリーがリチャードの人柄を知っていたのは、リチャードが自分のところに新聞を配達に来る時間と、
ハリーの日課のジョギング時間とがよく重なり、毎日のように顔を合わせる内に交友を深め、親しくなっていたからだった。
マイク捜査官も『ブラック・マリアの犯人像とリチャードは一致しない』として釈放を命じた。
ハンク警部は抵抗したが聞き入れられず、渋々釈放に応じた。
しかし、事態は一転。リチャード釈放から四日後、ブレンダ・バレンタインの惨殺体が彼女の自宅から発見されたのだ。
ハンク警部は、強引にリチャード宅を家宅捜査。彼の自宅から、化粧箱、ピアノ線、バイスクル・トランプのデックを数束、新聞を数十部、殺人リストと思われる名簿、などを証拠品として押収した。
マイク捜査官は

物的証拠にならない

と主張したが、
押収したリチャードの所持品の中から、彼の指紋とブレンダの血痕が付着する

H


A


T


E

の文字を囲んだ新聞が確認され、ついにハンク警部はリチャードを逮捕した。
逮捕以降、リチャードの残虐性を露呈しようと、マスコミは連日のように報道した。
『血だらけの犬や猫を抱きかかえていた(動物を惨殺か?)』『リチャードの複雑な家庭環境(幼少時の両親の離婚、母の再婚、継父との不仲及び虐待疑惑)』
『愛情の飢餓が母性への執着を育て、ブラック・マリア事件を起こした』など数々の虚実入り交じった記事が誌面を踊った。
ハリー・パウエルはリチャードの弁護人を引き受け彼の冤罪を必死になって訴えたが、もはやLA市民のみならず、
アメリカ全国民にリチャード=陰湿な猟奇殺人鬼という図式が完全に定着してしまい、その声はどう足掻いても、警察はおろか世論にさえも届くことはなかった。
長期に渡る取り調べに、無実を訴え続けたリチャードも遂に心が折れ、全ての犯行を認めた。
そして、『お前が犯人だ、ってことはすべて証明できたぞ!』とばかりに、
ハンクは決め台詞

Q.E.D.

を叫び、事件の終了を宣言したのであった。