捜査は予想以上に難航した。
被害者のヴィヴィアンは異性間の揉め事が日常茶飯事で、男性から恨みを買う事が多かった。
それに加え、彼女の交友関係は幅広すぎて、容疑者を絞りきれなかったせいである。なかなか犯人の姿が見えないことから“ghostの仕業だ”という都市伝説まで囁かれた。
一連の報道が沈静化し、再びこの事件が世を騒がすようになったのは事件から五ヵ月経った12月1日。犯人から大胆な犯行声明が、警察とマスコミに届いたのである。
“I’m not a ghost”と書かれた声明文(新聞の切り文字を使用)は、『ここにいるぜ!』と存在を誇示し、自分を捕らえられない警察や世の中を嘲笑っているようだった。
他に、犯人である証拠として

ヴィヴィアン殺人現場の写真

、そして

♠Qのバイスクルのカード

も同封されていた。
指紋は検出されなかった。
翌日、『世界で一番美しい殺人現場』としてLAサンシャイン紙が犯人からの写真を紙面のトップに飾る。
記事中で、幼子を抱えたマリアを真似た死体、黒い口紅、♠Qのカードなどから、ヴィヴィアン殺人事件を
ブラック・マリア事件と命名。
以降この呼び名が広く定着し、落ち着きを見せていたマスコミが再び活気づく。
時同じくして、犯人逮捕時に大怪我を追って一年間休職していたLA市警の
ハンク・ワイルド警部(当時50歳)が現場へ復帰、事件の陣頭指揮を執ることになった。
彼は叩き上げのベテランで過去にいくつもの凶悪事件を解決、いつしかマスコミは彼を“MR.JUSTICE”と呼び、地元市民の間ではちょっとした英雄だった。
事件終了時に決め台詞「Q.E.D.」と呟く事でも知られている。
『犯人の野郎舐めた真似しやがって!正義が悪に屈することはない!』メディアを通じて彼はLA市民に訴えた。
しかしハンク警部が復帰して数日後すぐに、もう一つの殺人事件が起きた。
12月12日、LA郊外の雑貨店で女性店員、
イライザ・セル(当時20歳)の惨殺体が発見される。
ブラック・マリア事件と同様に、死体の唇とヴァギナは黒く塗られ、顔には黒い涙が描かれていた。ハンク警部は二つの殺人を『同一犯の犯行』とし、連続殺人事件説を主張した。
ところがブラック・マリア事件と今回の殺人事件では相違点が多数あった。にも関わらずマスコミは、体の一部が塗られているという共通点だけをクローズアップして報道した。
マスコミがハンク警部の説を支持したのは明確な根拠があったわけではなく、その方が部数が伸びるからだった。
年が明けて1955年1月25日、事件の早期解決の為、FBIから
マイク・クアイエット捜査官(当時31歳)が派遣された。
彼はハーバード出身のエリートでFBIのホープ。連日の報道が市民の動揺を煽っている状況に苦慮し、LA市長がFBIに助け舟を求めたのだ。
「FBIなど必要ない!」とハンク警部は上層部に詰め寄ったが、市長は意に介さず。マイク捜査官はすぐに「これらの事件は同一犯ではない」と断言。
特にイライザ殺害犯は近々、より残虐な事件を起こす可能性があることを示唆し、自分の分析した犯人像に近い人物のリストアップを指示した。
しかしハンクは「これは同一犯による連続殺人事件なんだ!」とそれを無視。他のLA市警の警官達もハンクに従った。マイク捜査官は孤立状態になる。
マスコミは、熱しやすい野生派ハンク警部(ファイア)VSクールな知性派マイク捜査官(アイス)≠ニして、
対照的な二人の対立を面白可笑しく書き立てた。
そして、また事件は起きた。
被害者 ヴィヴィアン・プロムナイト
女優志望だったヴィヴィアンは、自慢のスタイルとブロンドヘアーを兼ね備えた美貌で、数々のミスコン受賞歴を誇っていた。しかし、その魅力と奔放な性格が相まって異性間のトラブルが絶えなかったと彼女の友人は語っている。
軍人専用のクラブでホステスをしており、交友関係も広く、容疑者を絞り込むにはあまりにも膨大過ぎるその数に、捜査は困難を極めた。また、ゴシップ誌に次のような記事が載ったこともある。
『ヴィヴィアンがある秘密倶楽部に参加していたことが判明した。その秘密倶楽部とは、各界の有実力者で組織された売春倶楽部である。
ヴィヴィアンは倶楽部内でチェリー≠ニ呼ばれ、彼女の目的はハリウッドの有力者と関係を持つことで映画スターへのチャンスを掴むことであったが、その結果が招いたのは妊娠、堕胎だけだった。
このことが公にならなかったのは、秘密倶楽部には警察上層部や法務執行関係者が多数所属しており、それ以上の捜査にストップがかかったからだ』
眉唾物の内容ではあったが、彼女の住む高級アパートや服装、派手な暮らし振りが、その噂を噂以上のものにしたのではないだろうか。
このゴシップから「犯人は現場で儀式を行った。黒く塗られた唇、ヴァギナは不浄なものを封じるためである。幼子を抱くマリア像に模したり、
黒い涙を描いたのは、犯人が被害者に愚かな行為や堕胎に対する懺悔を強いた」というのが、当時のミステリーマニア達の通説になっている。
ちなみに『La Traviata』とは「堕落した女」という意味であり、有名なこのオペラの主役ヴィオレッタは娼婦である。
死体発見時、音飛びで繰り返し再生されていたのは、オペラ第三幕、ヴィオレッタが神に「死にたくない」と訴えるシーンであった。