特集
【ここで暮らす】(1)産科がない
2009年08月10日 14時54分
医療、雇用、教育…。地域を取り巻く環境はなお厳しく、管内町村でも、住民がそこで暮らし続ける上での課題が後を絶たない。衆院選(18日公示、30日投開票)が近づく中、マチ、ムラの“今”に改めて目を注いでみた。
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「地域助産所の整備などが不可欠」
「あの時は妻と子の無事を祈るばかりだった。今があるのは、本当に幸運が重なったからだと思う」。本別町の野崎昌也さん(37)=役場職員=は妻・真澄さん(38)の最初の出産を振り返り、しみじみと話す。
1996年9月の早朝。本別から帯広市内の病院に向かっていた真澄さんは、昌也さんが運転する車の後部座席で横になり、意識がもうろうとし始めていた。傍らでは、へその緒がつながったままのわが子が、か細い産声を上げていた。「赤ちゃんも私も、このまま死んじゃうのかなぁ…」。突然の陣痛が始まって1時間余り。帯広まで30分というところで破水し、車中で第1子の長男を産んだ。
十勝管内で産科を備えた病院は、帯広市と芽室町にあるのみ。帯広圏から約50キロ離れた本別では、年間の妊婦数のほぼ全員に当たる60人前後が帯広の病院で出産する。多くは陣痛の間隔が短くなってから約1時間、車に揺られ続ける。町内から産科が消えた70年代以降、この状況は変わらない。帯広圏からさらに遠い広尾や陸別でも同じだ。
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帯広にとんぼ返り
帯広圏から遠い地域では、出産に“病院までの距離”というリスクが付きまとう。自分で車を運転し、帯広まで検診に通う妊婦も多い(写真と本文は関係ありません)
野崎さん夫妻のように、陣痛開始から間もない出産はまれな例だが、「何が起きるかは分からないのがお産」(真澄さん)。車中出産の妊婦を応急処置した経験がある「クリニックつつみ」(広尾町)の堤伸一郎院長も「出産は病気ではないし、車中が衛生的にだめとは言い切れない。ただ、異常分娩(ぶんべん)なら、当然、母子共に命の危険にさらされる」と話す。
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「不足」以前の状況
帯広圏の産科病院の多くは、陣痛が始まった地方の妊婦を早めに受け入れる傾向にある。しかし、検診や出産に要する移動距離だけは解消しようがない。全国的に産科医不足が問題となる中、都市部から離れた地域では、それ以前の出産環境さえ整っていないのが現状。“病院までの距離”が出産のリスクとなっており、「地域でリタイアした助産師の活用、妊婦検診で正常分娩が確実な人を受け入れる地域助産所の整備などが不可欠」(堤院長)という。
野崎さん夫妻の長男は今年、中学校に進み、地元の剣道連盟でも活躍する。あれから13年。壮絶な経験を経て手にした幸せを、今、夫婦で改めてかみしめている。
(杉原尚勝)