心太俳諧通信 食物連鎖おまえを食らうのは俺だ

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山中問答 原文対訳  蕉門正風の俳道-(7/21-13:29)No.14244
 ┗┳正風俳諧のこころ-(7/21-13:31)No.14245
  ┗┳俳諧の道理に-(7/21-13:31)No.14246
   ┗┳虚実に文章あり-(7/21-13:32)No.14247
    ┗┳古へより-(7/21-13:34)No.14248
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14244山中問答 原文対訳 蕉門正風の俳道 7/21-13:29


蕉門正風の俳道に志しあらん人は、
世上の得失是非に迷わず
烏鷺馬鹿の言語にになづむべからず

天地を右にし、万物山川草木人倫の本情を忘れず、
飛花落葉に遊ぶべし

其姿に遊ぶ時は、道古今に通じ、不易の理を失わずして、流行の変に渡る。
しかる時は、志寛大にしてものに障らず。けふの変化を自在にし、世上に和し、
人情に達すべし、と、翁申し給ひき

 (私、芭蕉の考えまする俳諧の道を、なんとかものにしてやろうという風なこと
を、
考えてくださるってな方はね、
やっぱりねえ、こう、心の持ち方っていうんですかね
そういうものが、はじめでございますね
世の中の人はいろんなこと申します
あれが得だとか、あれがいいとか悪いとか
そんな話きいちゃあいけません
馬鹿がいってるんでございます。
そんなこと聞いて、ああか、こうか、なんて迷ってちゃぁあ始まらない)

 (お天道様の下のものみんな、良く見ますとね
みんな持ちまわりで釣り合っておりましょう
よくできてるもんです、釣り合うって、これがね。
それぞれ、もって生まれた持ち前ってのがあるんですよ
山は山なり、落ち着いておりますしね、川はもうこれは低いほうへ流れるってのが
持ち前
咲いたり枯れたり、生まれたり死んだり、
草や木だって、わたくしども人だって、そんなうちの一つってもんですよ、
それを忘れちゃいけません)

 (そんな心持で花がちらちらと散ってるのも、
秋にゃ紅葉がおちるのも見たいもんです
そういたしますとね
その心持こそが昔から申します、歌の道ってのにつながっているんでございますよ
この世の中、ほんとに変わらないものもございます
良いものは、いつの世もいいもので
また、このごろのはやり、これもまた変われど、変われど、その時々によいもの、
このどっちもが、ああいいもんだって思えるんでごさいます、
こうなったら、もう、何も思案することはございません
心の中がひろーくなりましてね
気にするものがなくなってしまいます
春夏秋冬一日一日変わっていくもの
あたりのものじっくり味わい
世間の人やら、ご政道やら、おだやかに眺めさせていただいて
人の気持ちのあったかいものまでよおくわかるようになるんですよ
これがまあ始めでございますねぇ
翁は、ゆっくりと話された)

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14245正風俳諧のこころ 7/21-13:31
記事番号14244へのコメント
一、正風俳諧のこころは、万物の道、万の業にもかよいて
一端にとどまるべからず。
世に俳諧の文字をときて、誹は非の音なりとて、俳の字然るべしといへる人もあり
或いは史記の滑稽を引きて、穿鑿のさたに及ぶ者も在り。

然れども、吾門には俳諧古人なしと看破する眼より
言語に遊ぶといえる道理にまかせて、
俳、誹の二字ともに用いて捨てず

他門に対して論ずることなかれ、と翁申したまひき
道理と理屈の二種あり

 (あたくしどもの俳諧と申しましてもほかのものと何のかわりもございません
世の中のものなんでも、こう動いてるじゃぁございませんか
それこそ花や草も人の心も、世間の動きってものも
一つところにじっとしているってことはございません、変わってまいります
それと同じでしてね、
とにかくじっと立ってちゃあいけない、話を進める、これでございますね
 世の中にはいろんなことを言う人がおりまして
俳諧って四角い字を弁じ立てましてね
まあ、俳諧とか誹諧とか書くんですけど
誹の字はいけないっていうんですよ、
誹は非って字の読みとおんなじだからってね、
中国の史記って本には滑稽なんてのと一緒に俳諧ってのが出てくるそうですがね
まあ誹はひとの悪口を言う、俳はふざけるってことですかね
どっちでもいいじゃありませんか
そんな、むかしはどっちの字書いたんだ、だからいいとか悪いとかっていうような
理屈)

 (そりゃたいした知恵者だけど、そんな知恵より
それよりも、俳諧ってのは、言葉ですからね
花に遊ぶ人あり、月に遊ぶ人あり、俳諧てのは言葉に遊ぶんです
だからあたくしどもはね、誹って言って字はいってるのもいい、
あたりまえに見たとおりてことですかね、
俳も誹もどっちもいけないとは申しません)

(よそ様がなんとおっしゃっても、あっちが間違ってるとか何とか
そんなことを、言うものではありません
この世には理屈もあれば
それとちがう、あたりまえにみたままってのもあるんでございます)

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14246俳諧の道理に 7/21-13:31
記事番号14245へのコメント
一、俳諧の道理にあそぶ人は俳諧を転ず
俳諧理屈に迷う人は、転ぜず。

世に上手下手の論のみして、俳諧と言う道の所以をしらず。
蕉翁は、正風の虚実に志深き人を、我が門の高弟也と誉玉ひき

(俳諧は言葉で遊ぶものでございます
難しいことを言わず、あるがままの心で言葉で遊ぶ
こういう心持をわかっている人は
俳諧のなかで、心のおもむくまま楽しんで、進んでゆかれます
また、俳だの誹だのというのもそのうちかと思いますが
どうしても、理屈が先に立つ、こういうお人もいるもんです
理屈が先に立つと、どうしてもそこで立ち止まってしまうんですな
ああだこうだと、考えて迷ってしまわれる)

 (こうなるとあるがままの心でゆっくり楽しんでゆくってのが難しい
やれ、今の世では誰が上手の、下手の、いやあれは、本当の、嘘のと
そんなことを、みなさんで、
それは理屈なんでございます
俳諧は理屈ではございません
俳諧ってのは、まずは心持、
あるがままの心で遊ぼうっていう、これでございます
世間の嘘か本当か、それなら理屈でございます
そうではない、俳諧という遊びの中の嘘とまこと
それにしっかりと目をすえてみようという
そんなお人こそが、私のこころざしを一番次いで下さっていると
うれしくおもっているんでございますよ)

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14247虚実に文章あり 7/21-13:32
記事番号14246へのコメント
一、虚実に文章あり、無智弁あり、仁義礼智在り
虚に実あるを文章といひ、礼智といふ。

虚に実あるものは世に稀にして、また多かるべし。
此人をさして正風伝授の人とするとて、翁笑い玉ひき

 (一、嘘とまことって申しますがね
嘘とまこと、ないまぜになっているもの、
理屈ではどうにもならぬものはたくさんございます
古い事柄や何か、本当のように文字で書かれたものがあるかとおもえば
仏の教えもいろいろ、これも理屈ではないと申しますな
孔子様は仁義礼智、これも形と心持、どちらが先とも
まことばかりが、世の中ってものでもございません
つくりごと、いはば嘘のなかに、人の心のまことがあるものを書や歌といい、
形のなかに、まことの心こめられたものを礼智ともうします
いづれも理屈ではうつろな嘘ごとといわれましょうが、
だがこの上なく良いものでございますな)

 (人の世はやはり、嘘はうそ、嘘のなかにまことあるなんぞということは
少のうございます。がまた、すこし、こう、見方を変えますとな、
世間様には、嘘、絵空ごとといわれるもののなかにも
人の心や、草や木、生き物のまことの姿がよく見えているものも多いんでございま
すよ
この、絵空ごとのなかに、まことの姿を見せる、
これが私の俳諧を本当にわかってくださってるってひとじゃぁないかと思っており
ます
ははは、すこうしお話が回りくどうございましたかな)


私(北枝)曰、虚に虚なるものとは、儒に荘子、釈に達磨なるべし

          (ここでまかり出ました、あたくし北枝でございます
          翁のお話を書留させていただいてるものでございます
          いやあ、ここのお話はむつかしい
          絵空ごととまことの姿、
          このまことを見せている絵空ごと、
          その中でも一番の絵空ごとは
          孔子様のほうでは荘子、
          仏様のほうではだるま大師なんてことになりますか) 

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14248古へより 7/21-13:34
記事番号14247へのコメント

古へより

一、古へより詩といひ歌と、道の外に求むるにあらず。
然るに世の常、俳諧の文字に迷ひて、和歌に対したる名の道理を弁えず。
頓作当話の理(里)俗に落ちて、狂言綺語にのみ覚えたる人も有るべし。
是浅ましき事也

一、俳道は道学の花と見て、智を捨て愚にあそぶべしとぞ。

俳諧の姿は、俗談平話ながら、俗にして俗にあらず。
平話にして平話にあらず。その境を知るべし。此境は初心に及ばずとぞ。

 ( 一、俳諧と新しく申しましても
むかしから、中国では詩といい、この国では歌と申しましたものと
心根は変わるもんじゃありません、
言葉のかぐわしさ、気持ちの美しさ、励むところはおなじでございます     
じゃあ、俳諧なんて名をなぜ使わせていただくかと申しますとね
この国には長く和歌ってもんがございましょ
これとの区別なんでございます
俳は和歌で詠われました古い変わらないものといっしょに、
今のありのまま、動き変わっていくものも良いものといたします
それを、俳と申しましたまでで
それを、なんというんでしょうかねぇ
当座の笑い話や、つまらぬ世間のあれこれを詠んで
奇をてらいましてね
笑っていただこう、ちょっとは人をおどろかしてやろう
てなふうに、それだけが俳諧だと思ってしまうかたもございます
つまらんことですよ
俳諧の心根がおわかりではないってことですからね、
そりゃあ、みっともないことです)

(一、あたくしども、毎日、起きたり寝たり、
お商売の方も、腕に付いたもので世渡りをしている方もだれもかれも、
まあ、道に外れたことだけはすまいと、思う心はおなじでございます
とはいえ、この道というもの、たやすいようでなかなか、苦労も多うて、
俳諧と申しますのはね
この道に咲いております花なんでございますよ
世渡りは理屈よりは、心持、情けが大事の世の中なんて申しましてね
利口になることはお忘れなさいまし、
なに、たやすいこと、たやすいこと
ただ、思うがまま、言葉に心を遊ばせるんですな)

(一、俳諧のかたちは、気楽なものでございます
床や風呂やの仲間内のひま話、
あたりまえの暮らしのどこにでもあるような出来事
そんなものが、出て参ります
だがそれだけではない、そこが勘所でございます
ひま話のようでも、自堕落でも、わるふざけでもない
どこにでもあるような話なんだが、どこかしら目の付け所がある
この区別、紙一重のところでありながら、大事の要所でございます
今からこの道に入ろうって方ばっかりじゃございません
いくら長くお励めの方でも、これは大事なかなか気楽とはまいらぬところでござい
ますな)


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14261Re: 古へより 7/21-13:52
記事番号14248へのコメント
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