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特集ワイド:10歳で被爆 美輪明宏さんの目に映る日本(4/6ページ)

 「死んでたまるか、と思ってました。怖いなんて言っている暇はなかった」

 上京後まもなく実家が破産。東京も長崎と同じだった。食物も家も仕事もなかった。銀座6丁目のキャバレーが3人のボーイを募集し、美輪さんも赴くと応募者が新橋まで列を作っていた。

 今秋、美輪さんは恒例の音楽会<愛>のプログラムに、原爆孤児を思って作った「ふるさとの空の下で」を入れた。「やわになった日本人に活を入れるためです。不況というけれど、戦争中や終戦直後に比べれば極楽です」

   ■

 取材中、美輪さんは繰り返した。「私の原爆体験より、いかに一般の日本人が知力に欠けた生活を強いられたか、をお書きなさい」

 米軍は武器も弾も食料もふんだんにあるのに、日本は竹やり。米軍の上陸に備えて、なぎなたの先生は女の子たちに「金玉の握りつぶし方」を教えていた。

毎日新聞 2009年8月7日 東京夕刊

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