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ニックネーム:おつる (洗礼名ジャンヌダルク)
性別:女 
年齢:いい感じの年 
都道府県:兵庫県
サッカー大好き♪好きなサッカーチームもちろん★バンヴェール兵庫★マリリン・モンロー大好き♪自衛隊ファン♪ JAZZが大好きー♪ 猫が大好き♪ そして 何より好きなんは・・ビールやね♪

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2009年03月21日(土)
ジャンヌおつる東京へ 番外編A   〜靖国神社へ
東京最後の目的は 靖国神社


ニューギニアで戦死した 父の兄、私の叔父さんの写真が
実家で出てきたのです。

わたしの娘たちが

「ママにそっくりやー おじいちゃんよりも
この人のほうが ママに似てるー」って
言うんです。

だから おじさんの兄弟姉妹が誰も靖国にお参りとかも
しないし お墓参りもあんまりしない中
わたしが 一生懸命になるのは 
叔父さんが 甥っこ、姪っこがたくさんいる中で
一番 自分に似ている おつるに 思いを
くれたのかもしれません・・・







昨年の夏に初めて 靖国神社で
叔父さんに会った。

そのときは 涙が止まらなかった・・・・。

遊就館にも初めていったときに 
たくさんの亡くなった方々のお写真が飾られていたのを見て
叔父さんの写真も飾ってあげたいと 強く思ったのです。


でも実家に 写真が無くて、あきらめていたのが
先日 見つかった。

これは 叔父さんの願いだと思った。


靖国神社でまず お参りをしたら
叔父さんに会えたようで また ひとりでわんわん泣いちゃった。

そして遊就館へ・・・
受付で 叔父さんの写真をわたして パネル展示の申しこみをしたら
お神酒を下さって、遊就館に無料で入館させてもらいました。


昨年は暑い暑い日で、時間もあまりなくて
人もいーーーっぱいで ゆっくり
見れなかったけれど ひとりでゆっくり見てまわりました。
平日だから すいていましたが

驚いたのは、大学生の男の子が たくさん
一人で・・・・ そして カップルで来ていました。

若い子がたくさん 靖国に来ているのが うれしかった

ちょうど「私たちは忘れない 〜感謝と祈りと誇りを〜」という
映画が上映していたので ひとりで見ました。

日露戦争〜大東亜戦争の歴史のドキュメント映画。

私は またわんわん泣きました。

この今の日本の姿を恥ずかしいと、日本の教育を恥ずかしいと
思った・・・・

ごめんなさいって思った。

胸がいっぱいでした。

私は 靖国に祀られている人たちが
親のため 妻のため 子のため 日本のため尽くしたこと
そして アジアの独立のため 命を賭けたことを誇りに思う

そして 今のわたしにできることは
神さまから与えられた使命・・・・・・・・

前日のシンポジウムで 得た思い。
チベットやウイグルの人々のために

先人がアジアの人々のために ともに戦った
ように 尽力すること

そして カトリックの異常を正すこと。

そして携わる教育により 日本の未来の子供を守ること。
心からそう思いました。


真岡郵便局の乙女・・そして 美しい文字で書かれた
遺書の数々・・・

叔父さんの亡くなったニューギニアの遺品・・・・

胸がいっぱいになりました。



そして 靖国で お土産を買って
叔父さんにもう一度

 「またきますね
 あなたの弟で私の父は 孫が5人もいて 今度ひ孫もできるのよ
 おじさんは一人でさみしいよね。 ごめんね。
 でも 私は叔父さんが 大すきだよ」と 挨拶して

帰宅の途につきました。


*********************************************************

帰りの新幹線は 

充実の二日間に思いをはせて 

ひとりで ビール2本も飲んでーーーーーー
幸せーーーーーって いいながら

帰りましたとさ。












2009-03-21 01:07 | 記事へ | コメント(20) | トラックバック(0) |
| 戦争 / 東京旅行のまき |
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こんばんわ。

最後のビールのコメントがおつるさんらしくて、微笑ましく思い、笑えました。

でも、良かったですね、叔父さまのお写真が発見できて。

彼岸で叔父さまが、おつる様に写真を見つけて、靖国に持って行ってくれと念を発していたのかもしれませんね。
鶴姫様

 東京シンポジウムの熱い報告、拝見しました。
 全編、生き生きとした良い記録です。

 日本シルクロード科学倶楽部の倶楽部誌創刊号
 のおつる編集が楽しみです。

 ありがとう!!!
 おつるさま お疲れ様でした。素晴らしい行動力ですね。バチカン大使館のルポも嬉しく、楽しく拝読しました。
 靖国にも行かれ、叔父上に再会。感動の極みです。また、お写真があって良かったですね。襟の隊号から拝見するに歩兵第44聯隊でしょうか。高知県の部隊のようです。あるいは見間違いかも知れません。
僕も靖国神社には何度か参拝させて頂いています。
あの靖国神社ならではの独特の雰囲気が好きです。

参拝に行くと、A級戦犯合祀反対とわめいている方を見かけることがありますが、やめていただきたいですよね。
こういう人達は、敗戦前後の日本がどういう状況下におかれてなぜ戦争に突入する決心をしたのか考えたことがないのではないでしょうか。

真珠湾攻撃前の御前会議での永野修身海軍大将の言葉ですが、「戦わざれば亡国、戦うもまた亡国であるかも知れぬ。戦わざる亡国は魂まで失った亡国であり、‥。 戦ってたとえ勝たずとも、護国に徹した日本精神さえ残れば、我らの子孫は再起三起するであろう。」と述べられています。
開戦前から勝てるとは考えておらず、日本が周辺のアジア諸国のように無抵抗のまま負けてしまっては後々に禍根を残すと考えていたのではないでしょうか。

歴史に「たら」はありませんが、日本が対米戦を決断しなかったら今のアジアの世界地図の国旗はどうなっていたことか。日本は独立を続けることができたのか疑問でなりません。


日本のはるか南にパラオという国があります。この国の国旗は日の丸にそっくりです。僕はその理由を最近知ったのですが感動してしまいました。過去100以上にわたりこの国は植民地であったのですが、その期間のうち27年間は日本の信託統治の時期がありました。

太平洋戦争中はミクロネシア地域の重要拠点となり、多くの日本軍が駐屯していました。そこでの日本は厳しくも、産業、教育、文化の発展に大きな功績を残し、パラオの人々に大変な信頼を受けました。
パラオの人々は「日本人は厳しかった。しかし我々に農業と、まじめに働くこと、そしてウソをつかないことを教えてくれた。」と今でも口々に日本を語るそうです。

1994年、パラオはアメリカから独立することとなります。それに際して国旗を制定することとなったパラオは、敬愛なる日本の日の丸と同じデザインにすることに決めたのです。黄色い丸は月を、背景は青い海を表します。この月は国旗の真ん中にはなく左にずれています。これは日の丸と同じデザインにしては日本に失礼だという配慮があったからだそうです。

A級戦犯合祀反対と叫んでいる人たちにはこのパラオの人々の言葉を聞かせてやりたい・・・。
2009年03月21日(土) 11:43 by キラーT細胞
 細かい事で恐縮ですが、靖国に祀られてゐるのはおつるさんの御尊父様の兄君ですので、「伯父」様ですね。「叔父」は父母の弟を指しますから。
 それにしても伯父様はハンサムですね。さぞかし持てたのではありませんか(笑)。
キラーT細胞様 初めまして。いや全く、昔、中学生の頃に、「伯夷叔斉(はくい・しゅくせい)」と2人の兄弟で覚えましたよ。たしかに仰るとおり、伯父上でした。失礼をいたしました。
2009年03月21日(土) 13:30 by キラーT細胞
荒木肇様
 わざわざレスを頂戴し、有難う御座います。
 さうですか、伯夷叔斉が元ですか。そこまで思ひ至りませんでした。勉強不足に赤面です。
2009年03月21日(土) 16:16 by 大田英夫
おつるさん。感動を以て東京シンポジュウム報告を拝読しました。感謝申し上げます。昨年も同じころ感動の出会いを致しましたが、今年も又ありがとう。
伯父さんの面影、おつるさんにそっくりですわー。(笑)
しかも美男子ですな。

cloud さんが記したパラオ共和国に関しての動画を見つけてきましたので、参考にご覧ください。

http://www.youtube.com/watch?v=cTRfPNEPR-A

次は一本目と内容がかぶりますが、記述がくわしく、メッセージも強いものになります。
文字が見にくければ、適宜画像を止めてご覧ください。

http://www.youtube.com/watch?v=EXaPHwy1oCs

※1995年当時の首相が村山富市というボケナスだったことと、阪神淡路大震災やオウム真理教の地下鉄サリン事件で残念ながら「それどころではなかった」ことを、パラオ共和国国民には真摯に謝罪したい。

これらをふまえて、これもご覧ください。

http://www.youtube.com/watch?v=XxWyulKJiJk


          パラオ共和国万歳!
おつるさん、写真が見つかって良かったね。
あの伯父さまの写真を見て
胸がキュン!となって、涙が出てきました。

まだ、あどけなさが残るお年で、激戦地に・・・
ご家族の悲しみはいかばかりか・・・
特におばあさまは・・・

この尊い犠牲の上に、今日の日本があるのです。
「感謝」以外の言葉は浮かびません。
★ 憂国者さん

憂国者さんの言葉で 気がつきました。
クリスチャンになってから お彼岸とかに
縁がなかったので・・・・・

でも そういえば お彼岸で
ご先祖の魂がかえってくると言われるときなのですよね

伯父さんが おつるに会いにきてほしいと
思ってくれたのかな
★J博士 様

偉大なる シンポジウムのご成功
心から お慶びいたします。

スタッフとして お手伝いができたこと、
倶楽部のたちあげに かかわらせていただくこと

この上ない喜びです。

さあ つぎは 日本シルクロード倶楽部 始動!!
がんばらなくちゃ。
★荒木肇さま

有難うございます。

>襟の隊号から拝見するに歩兵第44聯隊でしょうか。
>高知県の部隊のようです

すごいです

おつるは どんな隊に おじさんがいたのか、
どんな死に際だったのか
おじさんの事を何も知らないのです。
もう おじさんの母である 祖母も 20年ほど前に
亡くなっていますし 聞くことができません。

だから 少しでも いろいろな事が知りたいです。

おじさんや 父は 当時 熊本の天草に住んでいました。
本籍も天草でした。

父親が 大正15年 おじさんは 三歳ぐらい上だから
この写真は、 20才になるかならないかだと
思います。

10代だったと思います。

インターネットにのせて もしかしたら 伯父さんのことを知っている人に
であわないかなという 想いもあります。

伯父さんと うちの父親は 7人兄弟
そして 伯父さんが6才ぐらい 父親が3才のときに

おとうさん(おつるのおじいちゃん)は 過労死で亡くなったので

伯父さんと もうひとりの 長兄とも 戦争にいきました。
どちらも 母親や兄弟姉妹を守るという 思いだったと思います。

長兄の伯父さんのほうは 同じニューギニアでしたが
マラリアになったのと
技術系の人で、 前戦にたたなかったのか???
日本に帰ってきました

弟さんが亡くなって ご自分が戻られたこと
その気持ちは はかりしれないです。

いつも お酒を飲んでおられました。
そして そのおじさんも 
小学生の子供を残して 早くに亡くなりました。

写真の伯父さんが亡くなったことで
恩給をもらって おばあちゃんは、一生
過ごすことができたのだと思います。
一番 兄弟の中で 親孝行したのかもしれません


上にcloudさんが発言されているパラオですが
私、スキューバダイビングを嗜みますので
行ったことがありますが、本当に街中、「日本語」です
学校教育でも日本語教育を勧めているし
こういう国とはいくらでも国際交流すべきでしょうね

世界で一番親日な国家かもしれません
15年位前に独立した若い国家です
初代大統領は「クニオ・ナカムラ」(三重県出身)

ここには、太平洋戦争の激戦地
「ペリリューの戦い」でも知られています
ダイバーにとっては、流れが急なため
経験をこなした者でないと行くことができません

このペリリュー島には、神社が建っています
ひとつの石碑があり、碑文にはこうあります

「諸国から訪れる旅人たちよ この島を守るために日本軍人がいかに勇敢な愛国心をもって戦い そして玉砕したかを伝えられよ 米太平洋艦隊司令長官 C.W.ニミッツ」

敵も味方も、このように死闘の果てに見る
個を超越した崇高な精神に対して賛美を送っています
これは「戦争」の一面でもあるのです。
★cloud  さん

貴重なコメント 有難うございます

、「戦わざれば亡国、戦うもまた亡国であるかも知れぬ。戦わざる亡国は魂まで失った亡国であり、‥。 戦ってたとえ勝たずとも、護国に徹した日本精神さえ残れば、我らの子孫は再起三起するであろう。」

この言葉は ちょうど 靖国でみた映画で流れた言葉です

私は この言葉を聞いて わんわん 泣きました。

私たちは 勝たずとも、護国に徹した日本精神を
胸に秘めて 再起三起さなければならないはずです
なのに 今の日本のあり様は・・・・
情けなくて 恥ずかしくて 申し訳なくて 悲しくて
ごめんなさい ごめんなさい こんな日本で
ごめんなさいって 思いました。

でも これから 取り戻さなければならないです
この精神を。

パラオや インドや インドネシアや 台湾や
いろいろな国に感謝されている日本

パラオのお話も 少しだけ聞いていましたが
いっぱい有難うございます
勉強になりました

★キラーT細胞 さん

おじさん 純粋で 心のまっすぐな人だったみたいです

伯父と 叔父

勉強になりました。
さっそく 書きなおします。有難うございます

★荒木様
伯夷叔斉という 言葉は 知らなかったです。
またまた 勉強になりました。
★大田英夫 さま

大田様が 自衛隊のお仕事を選ばれた若き日の
想いは、わたしの おじさんと 同じまっすぐな
純粋なお気持ちだったのではないかと 勝手に
思っています。

有難うございます。

いつも 励ましに感謝します。
また お会いしたいです。
★ ゆうさん 
動画 ありがとうございます。

おつるは こういうの見たら 泣いちゃいますので
家族が寝てから こっそり見ます・・

それと CROSPOのゆうさんのコメント 転載させてくださいね
*************************************************

★ゆう

目鼻だちの感じに加え、顔が少し上向き加減、かつ向かって左にわずかながら傾き加減の微妙なしぐさ、全体のすまし顔の印象、おつるさんにそっくりです。

 伯父さんも、自分の写真がインターネットに載ることまでは想定していなかったでしょうが、

 伯父さんのこれまでの御苦労を偲び、駄作ではありますが、歌を詠みました。




  南方の 激戦地にて 倒れたる 
  益荒男(ますらお)の笑み 誇らしくあり

  亡き伯父の 遺影つぶさに 見入りおり
  諸人申す 似つる面影

  幾十年(いくととせ) 見ざり武人の かの遺影
  靖国に入れり これが我が伯父

 


 
     合掌。

***********************************************

表情やしぐさまで きちんと見ていただいて
有難うございます  
特におつるの 純粋な笑 若いころに似てます。

歌は すばらしくて また おつる 泣きました

**************************************************

みなさま

三か月〜四か月たてば 小さなパネルの写真が
靖国の一番新入りの写真のところに飾られるので 

もし 靖国に行かれることがあれば 見てくださいね

中野哲夫という 名前です。


★tonton さん

この写真 すごく幼いでしょ

でも 20才前後、もしくは 10代後半ぐらいだと思います

まじめで まっすぐで 国のためにと
自分から 志願されたようです。

遊就館には 同じ 天草から
村中の 見送りと 称賛をうけて 出征した人のことが
書かれていました

おじさんも きっと 天草の村の誇りだったんだろうな


でも ニューギニア 暑かっただろな
虫とか へびとかいっぱいで
食べるものもなくて 爆弾とかで死んだのか
わからないけど 苦しかっただろな

でも 国のために 親のためにと 
誇りを持って 靖国で待ってるよと しんだと思う。

だから わたしは 靖国にいくの。
★ノコさん

パラオに行かれたのね

こういう話を 子供たちに伝えていかねばならないと
わたしは思います。

日本の美しい精神と アジアの国々との友情を。

おつるは いつか パラオや ペリリュー
そして おじさんの亡くなった ニューギニアに
いってみたいです。

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