東京地裁で開かれた全国初の裁判員裁判が終了した。裁判員制度に対する批判や不安は強かったが、まず順調に滑り出したといっていいだろう。
主役はやはり、一般市民の裁判員だった。終了後の記者会見には、補充裁判員1人を含めた7人全員が出席し、うち5人はカメラ撮影に同意した。一言一言に重圧からの解放感や、なお残る悩ましい思いがにじんだ。
審理の進め方については「分かりやすかった」の声が多かった。プレゼンテーションソフトやイラストを使った立証、主張が効果的だったのだろう。
初日は、裁判員が質問する前にいったん審理を中断する場面が目立ち、裁判所の意図が疑問視されたが、裁判員は緊張を和らげ活力を取り戻すブレークタイムと受け止めていた。極度の緊張感の中で意見が言える雰囲気づくりに裁判所が配慮したとすれば妥当な判断といえる。
被告や被害者のことを思い浮かべて「無常感というか、不条理ということを考え、少し泣いた」という裁判員の言葉は、真剣に審理に参加したうえでの人を裁くことの難しさ、つらさを語っている。
公判では全員が質問した。凶器のナイフが亡くなった子どもの遺品だったことや、被告が犯行後に預金をおろした意味を問う質問などに、市民ならではの新鮮な感覚が表れていたと感じた人は多いだろう。
市民感覚は量刑にも反映されたといえる。求刑懲役16年に対して、評議を経た判決は15年だった。従来の相場とされた「求刑の8掛け」より重い。被害者遺族も参加した公開の法廷で、双方の証言などを実際に見聞きしての判断だろう。これは同時に、組織として用意周到だった検察側に比べて、個人レベルの弁護側の法廷戦術に不安があることを浮き彫りにもした。
今回は事実関係に争いのない比較的単純な事件を4日間かけて審理したが、裁判員の精神的負担は決して軽くなかった。より難解で死刑選択も求められるケースでは負担はさらに増えよう。審理と評議の日程設定と、裁判員の負担軽減をどう両立させるかは大きな課題だ。
裁判員の一人は会見で、「お上」に何も言えなかった日本に裁判員制度が生まれたことを喜び、個人個人が声を上げないと社会は変わらないと語った。
そのためには、守秘義務の見直しや評議の仕方の公開検討も含め、国民が情報を共有し参加する民主的な制度へ向けた法曹界の努力がより必要だ。
夏本番を迎えても新型インフルエンザの流行拡大が続いている。一時に比べ一般の関心が薄れてきている感が否めないが、警戒は怠れない。
国内では7月下旬に感染者数が5千人を突破した。厚生労働省は感染対策上、個別事例を把握する意味が薄れたとし、感染者の全数把握を中止、集団発生の早期把握に重点を置く対応に切り替えた。先進各国も同様で感染者が増えすぎて検査しきれない事情もあるようだ。
奈良県を中心に開催中の全国高校総合体育大会(インターハイ)でも選手が感染して途中から出場を辞退した学校があるほか、夏の甲子園出場校の部員にも感染者が出ている。10代の感染者が多いのも特徴だ。
世界的には7月末時点の感染者は15万人超。特に現在冬の南半球で拡大しており、秋以降日本国内で第2波の流行があるのは確実とみられる。国は学校や社会福祉法人などに集団発生の疑いがあれば都道府県に届け出るよう求めている。しっかり監視していく必要がある。
新型用ワクチンは開発、製造が遅れ気味のようだ。国は年内に1400万01700万人分を確保する考えだが、不足する場合は輸入も検討するという。適切な対応が求められる。
個人でも、手洗いやうがいなどを心がけたい。また、夏休みの海外旅行シーズンを迎えている。渡航先の情報把握などに努めたいものだ。米国では感染者が実数では100万人を超えているとの推計もある。
今回の新型インフルエンザは多くの場合症状が軽く、それが警戒感の薄れを誘った面があろう。しかし、感染を繰り返すうちに悪質化する危険が去ったわけではない。まだ未解明の部分が多いウイルスであることを忘れてはなるまい。
(2009年8月8日掲載)