被爆の国から

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被爆の国から:オバマ大統領へのメッセージ/2 ハワイの日本語教師

 ◆ハワイで育ったあなたは違う文化を受け入れられる。他国と共存できる核なき世界を目指してほしい。 ピーターソン・ひろみ

 ◇「核いらない」世代育成 古里ヒロシマ教科書に

 太平洋の青と砂浜の黄色。オバマ米大統領が学んだ古びた校舎の屋根のドームは、2色のシンボルカラーで彩られている。ハワイ・ホノルルのプナホウ学園。ここで学ぶ中高生の日本語教科書には、ヒロシマが取り上げられている。

 ケン「その時、何が起きたの?」

 祖母「急にピカッと光って、ドンとものすごい音がしたんだよ。子供たちの顔が真っ黒になっていた。庭の水で洗ってやったけど、孝子(娘)の体にガラスがたくさん刺さって……」

 被爆2世の日本語教師、ピーターソン(旧姓・中井)ひろみさん(60)が、母や祖母に聞いた被爆体験を自作の教科書につづった。「日本語を学ぶには、日米の歴史の接点を知らなければ」。そんな思いから、原爆や日系移民などを題材にした教科書を作り始めて23年がたつ。

 父は広島の爆心地から約1・4キロで被爆し、右半身に大やけどを負った。山陰(やまかげ)の自宅にいた母や兄姉は大きなけがを免れたが、仕事で外にいた祖父は約1週間後に亡くなった。その3年後の1948年、ひろみさんが生まれた。

 戦争のしこりを意識したのは、大学時代に出会った米国人男性と結婚するためハワイに渡るときだった。「行かないで」と泣きながら祖母は引き留めた。原爆で夫を失い、息子も戦地から帰らなかった。「アメリカに人生をめちゃくちゃにされたという気持ちだったんでしょう」。わだかまりは解けなかった。里帰りしても祖母は決してひろみさんの夫に会おうとしなかった。夫は祖母の葬儀にも出られず、娘を抱いたまま外で待った。

 祖母の体験から「被害者」として見てきた日米の過去。だが数年前、中国系生徒の発表を聞いて、はっとした。生徒の家族は日本軍に殺されたという。中国戦線に出征した父の顔が浮かんだ。傷を負って広島に帰還し、被爆した父を「被害者」と思っていた。「でも、もしかしたら……」

 孫と祖母の語らいはこう結ばれる。

 ケン「戦争で殺されるのは、ほとんど無実の普通の人たちなんだよね」

 祖母「原爆で広島の人口のうち20万人以上も亡くなったんだよ」

 太平洋戦争が始まった地。「原爆は正しかった?」と尋ねると、ほとんどの生徒が「Yes」と答える。だが、ヒロシマを学んだ後は、ほぼ半分の生徒が「落とすべきではなかった」と答える。「核はいらない」と考える世代が米国にも育ってきていると、ひろみさんは感じる。

 プナホウ学園は、白人やポリネシア系のほか、アジア系など多民族が学ぶ。「多様な価値観を持つ生徒たちと同じ教室で学んだオバマさんは特別な大統領。新しい時代が来たと感じます」とひろみさんは期待する。

 オバマ大統領の担任だったエリック・クスノキさん(60)も「気さくな人柄の彼はいろいろな意見を聞き、一緒に解決に導いていく生徒だった。ぜひ平和のために働いてほしい」と話した。

 ひろみさんはこの夏、教科書の収益を基に設けた平和奨学金を使い、ハワイから2人の生徒と広島にやってきた。祖母に伝えたい。悲しみは繰り返さない、と。【井上梢】=つづく

毎日新聞 2009年8月3日 東京朝刊

 

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