PROVISION ⅡREADING 1
プロビジョンⅡ ReadingⅠ
Choices Are in Your Hands
①
“人生はチョコレートボックスのようなもの。何が出てくるか決して分からないわ。”映画フォレストガンプのこのセリフはリエという名前の日本の女子高生を含むみんなの心をとらえた。しかし彼女は、自分が、数年後にこのセリフが本当に意味するものを実感する者になろうとは思ってもいなかった。
「死なせて。お願いだから死なせて。」ほとんどの日がこのうめき声で始まった。リエは、将来この闘いに勝った後どんなことができるか話して母ルリコに応え、精一杯の励ましの笑顔を浮べて母のほほをなでていた。母を死なせる代わりに、自分の気持ちを抑えて母を支え続ける必要があるとリエには分かっていた。
リエは母の呼吸障害の兆候を見逃すことを恐れ、夜もほとんど眠らなかった。痛み止めのモルヒネを打ち始めたため、彼女はもはや以前のような生き方ができなかった。彼女はリエが知っていた母ではなかった。彼女はよだれで口をぬらしたまま急にうとうとし、自分の考えを言葉にまとめようとするときでさえ口から物が出てきて床に落ちるだけだった。リエは無理して感情を抑えていたが、愛する母の身に起きたそれとわかるほどの変化を見守るのは、17歳の少女にとってとても耐え難いことだった。
②
たまにではあるが確かに具合のよい日もあった。リエはそれがとても幸せなチョコの一噛みだと知った。そんな日は、母は楽観的になり、部屋には笑い声があふれた。具合のよい日とふだんの日の落差が激しかった。二人は日差しや公園の青葉を、ただその日そのものを楽しむことができた。自分たちは元気に生きていて、死に直面しているわけではないと感じた。具合のよい日の終わりにいつも、リエはこんな日が続くことを祈った。しかし彼女の祈りは決して聞き入れられず、翌日には苦痛に襲われた。闘いと実時間の悪夢が戻ってくるのだった。
リエには二つの面があった。一つは、全てがよい方向に向かうようにと─母が奇跡的に回復し親子でその後ずっと幸せに暮らせるようにと祈りながら母の回復への望みを突き通すものだった。リエのもう一面は、母を通して死につつある人のあらゆる危篤の兆候を認識しており、また、自分の祈りが非現実的な夢にすぎないことも知っていた。しかしいずれにせよ、彼女は全てがよくなるかのような振りをする必要があった。彼女は母にいかなる絶望という考えも見せたくなかったのである。
半年の間、母を休むことなく看病した後、リエの身に説明しがたいことが起き始めた。彼女は母が汗をかくまさにその瞬間を感じた。彼女は、化学療法のせいで髪の毛を失っていた母と同様にたくさんの髪を失った。リエもまた、四六時中疲れきっていてどこにいてもひどい寒気を感じた。他人には、どちら危篤状態なのか見分けるのは困難だった。ルリコとリエはほとんど双子のように見えた。後になって、リエはひどい拒食症になっていて体重が12キロ減った結果、彼女自身が死にそうになっていたと告げられた。母の看病にとても集中していたので、リエはどれほど自分の体を大事にしなかったかほとんど忘れていた。
③
母は秋の初めに他界した。リエは心の準備をしていたつもりだったけれど、実際はまったく準備していなかった。母を救い一緒に暮らすことが目的だったので、彼女は完全に自制心を失った。笑い方を忘れてしまい、かつてのように楽しそうに振舞うことができなかった。自分にひどい苛立ちを覚えた。彼女の母の死はリエの祖母を始めとする全ての人に影響を及ぼした。祖母は、まるで自分も生きる意志を失ったかのように、娘リエコのわずか四ヶ月後に他界した。そんな短期間で自分にとって最も大事な人々を失ったので、彼女は自分も生きていたくないとさえ思った。
けれども徐々に、彼女は生まれて以来ずっと母から受けていた愛情や気配りに気付き始めた。亡くなった二人の愛情あふれる支えによって、複雑なジグソーパズルがはめ込まれていくようにこの人物、リエと名付けられたこの少女は形作られた。それでも彼女は二人の作品であり、彼女自身のものではなかった。彼女は二人の作品を台無しにすることはできなかったし、絵全体を完成させるための彼女自身のピースを探すのをあきらめることもできなかった。何より、二人の愛情に応えるために自分自身の生を生き続ける責任があると知った。
責任に応えようとする決意がありながらも、リエは自分の将来の願いを求めて平常心を失う傾向があった。亡き母に極度に尽くしたことで、彼女は自分自身の気持ちを知ることがなかった。それにいつも疑問がこう思い起こさせた。「何で私はまだ生きてここにいるの?」苦しめられ、彼女は母の大きな期待に応えるかのように必死で本当の自分より大きくなろうとせざるを得なかった。それは心の中の苦痛に満ちた悲鳴だった。彼女は母の死を受け入れたくなかった。
④
しかし数年たったある日、何かがカチリと音を立てた。「私は自分をだましていたんじゃないかな?」一息入れてあれこれ考えた。そして、本当は母の死を克服できてないのに、それを克服できるくらい成長している振りをしていただけだったと気が付いた。それどころか悲しみ、怒り、むなしさといった長く閉ざされていた本当の感情から逃れるために、無意識のうちに自分にどんどん負担をかけていたのだ。「なんで母のような心のきれいな人が死ななきゃいけなかったの?」「どうして皆、回復の見込みがなくなったと分かったとたんに母を見捨てるほど残酷になれるの?」「なんでもうお母さんに会えないの!」渦巻く感情と素直に向き合って彼女はようやく母の死を、それがどれほど痛ましいものだったかを受け入れることができた。こうして感情を受け入れたことで、彼女はしだいに自分の人生と母の人生との区別がつくようになって、自分の存在理由を再発見するにいたった。母の死後はじめて彼女は自分の人生を生きることにときめきを覚えたのだった。
過去と心の奥底を振り返って、彼女は自分の足で立つ特有の恐れを自覚した。それは死別した母に極度に尽くすことから来ていた。覚えていることと嘆くことは別である。彼女は愛する母が喜ぶだろうと思い込んで後者の行動をとっていた。それは幸せで安全な、しかし保護された子供時代という巣にいるための込み入った方法だったが、その子供時代は永遠になくなって、ただ記憶の中に存在するだけだった。もし巣から去らなければ、本当の成長を遂げることはないだろう。この苦くも目を開かせるような教訓を得たので、リエはもう過去とは決別すべきだと、そして自分自身の道へと目を向けるべきだと考えるようになった。成長して過去から抜け出すのは痛みも伴うだろう。でももう怖くはない。ようやく生きることを選んで、今、うれしく思っている。
“人生という箱からは、苦いチョコが出てくる日もある。でも覚えておいて。びっくりするくらいおいしいチョコはいつだってあるの。箱全体を考えなさい。一粒のチョコで判断してはだめ。噛んで、食べて、そして勇気をだしてもう一粒取りなさい。箱を食べ終えるまで、あなたが何を手にするか誰にも分かりっこない。選ぶのはあなた自身よ。”/