生きる力の源泉
全国先進地ルポ

福岡県・県立城南高校「ドリカムプラン」


生徒の「自分探し」積極支援
職業体験などテーマ多彩に


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夢の実現のため

 Dreams come true。「高校の3年間は自分の『夢の実現』のためにある」という明確な定義のもと、生徒の「自分探しの旅」を支援する。1994年、福岡県立城南高校がスタートさせた進路学習システムは「ドリカムプラン」と名付けられた。

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 昨年12月には、2年生の男女3人がJR博多駅前の大型ホテルの門をたたいた。結婚披露宴のスタッフの仕事を体験したが、正装してもそこは高校生のこと、動作はぎこちない。それでも次第に緊張が解け、新婦に付いた女子生徒が目を輝かせた。職業人として立ち働く将来の自分に夢をはせる瞬間だ。

 今でこそ高校生の職場体験は珍しくないが、同校はドリカム導入と同時にいち早くここに着眼した。「自分の進路を自ら導いていける生徒を育てるため、教師が生徒をどんどん刺激する。そうすることで臆(おく)せずどこへでも出て行くことができ、広く社会を見られる生徒が増えるはず」と名倉政雄教頭。

 ただ、これだけではドリカムプランの全体像をつかむことは難しい。記者のそんな思いを察してか、名倉教頭が説明を加えてくれた。

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大学授業と同等

 ドリカムは基本的に1学年10クラスを解体し、同じ志望を持つ生徒を集めた学年横断組織(ドリカムグループ)をつくるところから始まる。3年間にわたってそこで展開される活動は「同じ形を繰り返したことがない」と言われるほど、目まぐるしく変わる。

 こうした「自分探しの旅」は基本的なフローチャート=図参照=に沿って繰り広げられる。このうちドリカムグループによる活動内容はディベート大会、小論文コンクール、課題研究プレゼンテーションなど多彩だ。

 さらに「ジョイントセミナー」と呼ばれる“出張講義”の内容を聞いて驚いた。バイオテクノロジー、クローン技術、健康と薬膳(ぜん)、言葉と文化、作業療法など、そのテーマは大学の授業にも引けを取らない。

 そもそも、ドリカムの発想は同校の「危機」から生まれた。94年当時、教師らは新教育課程に伴う新たな指導法がつかめずにいた。そこに襲った私学の攻勢。「このままでは生徒が大量に流れる」。関係者が「黒船の来航」と呼んだダブルパンチを、教師らはドリカム構築への追い風に変えた。

 試行錯誤の末、同校の命運を懸けたドリカムプランがスタート。以後、年間100校を超す学校訪問があり、2002年の研究発表大会では、北海道を含む全国500校余りから見学者が殺到した。城南高校の代名詞となったドリカムは、静かにその波を全国に広げている。



「ふれあい看護体験」で積極的に校外に飛び出す生徒ら。「自分探しの旅」の1つの通過点だ

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第2の挑戦期に

 ドリカムの導入は結果的に、03年から高校に導入された「総合的な学習の時間」を先取りする形となった。福岡県教育庁教育振興部高校教育課の青木圭子指導主事は「生徒の実態に応じた進路指導の好例として全国に情報発信することができている」とドリカムを高く評価する。

 鉄は熱いうちに打て−。ドリカムの取材では常に教職員らの積極性を感じたが、名倉教頭は「今は惰性の時期。校外学習をもっと仕掛けたい」と攻めの姿勢を崩さない。

 “ニュードリカム”の構築という城南の第2の挑戦が始まった。(國井正行)(05.1.6)
 


<福岡県立城南高校>福岡市城南区茶山6。1964年、全日制普通科高として開校。亀岡靖校長、生徒数1203人。もともと県内有数の進学校で、毎年100人以上の国公立大学合格者を出していたが、ドリカム導入後は200人以上に倍増した。ドリカムによる「人間力育成」と日常の学力向上を両立させ、相乗効果を生んだ好例として注目されている。

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