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 (もっとも深い) 嘘 
投稿者:  みともり   - 2009/08/05(Wed) 11:10 No.39646 [返信]  
>僕は、人に嫌われたくないので、時に嘘をつきます。

>>正直な方ですね

人に嫌われまいと(謀って)、嘘をつく
(ウソを見抜ける“魂”ではないと、タカを食う)

こんな正直なら、迷惑でしかありません

しかも、“つく”という、現在形で、未来(必然)形です


 



Re:  (もっとも深い) 嘘 
管理人エム - 2009/08/05(Wed) 14:05 No.39647

>人に嫌われまいと(謀って)、嘘をつく
>(ウソを見抜ける“魂”ではないと、タカを食う)

やっぱり、正直なんじゃないかと。。。。

 



Re:  (もっとも深い) 嘘 
zapo - 2009/08/05(Wed) 14:35 No.39648
>やっぱり、正直なんじゃないかと。。。。

なるほど、正直とは傲慢さの裏返しとも言えますね。

 



正直よりも誠実を
無宗だ - 2009/08/05(Wed) 15:34 No.39649
「この、クソガキャー」と思いながらも
『元気のいいお子さんですね』というのは、
その子の親と良好な関係を築きたいという
誠実な気持ちの現れである。

 



Re:  (もっとも深い) 嘘 
  みともり   - 2009/08/05(Wed) 17:49 No.39652
「この、クソガキャー」と思うところから、
誠実が出てきますか ?

 



正しい問、間違った問、無意味な問
無宗だ - 2009/08/05(Wed) 18:09 No.39653
>「この、クソガキャー」と思うところから、
>誠実が出てきますか ?

何をいいたいのですか?
いいたいことがあるのなら、問など発せず、ストレートに語ればいいのに。


あなたの頭と胴体は、おそらくつながっており、別々のところにあるということは無いでしょう。
だからといって、あなたの頭と胴体が同じところにあるとも言えないでしょう。

人は、
「この、クソガキャー」と思うところと、
誠実な思いとを
同時に抱くことができる存在だと私は考えています。


 



Re:  (もっとも深い) (もっとも強い)
  みともり   - 2009/08/05(Wed) 18:23 No.39654
正直な人が、嘘をつきますか ?

嘘をついたことを、
正直にいえば、そのときだけは、ウソつきから逃れられます

(自分の)嘘をついている姿を知ることは、
正直とは別にあります
それを、言うことも、同じです

嘘をつく人を、信用できますか ?
例えそれが、自分自身であっても、
信用してはいけないから、
ついたウソが分かるようにできているのです
(嘘をつかない限りは、信用に値します)
二度と、うそつきな自分に出会わないために、
知ったことを大事にすることが、
二度の矢を受けないことです

信用に値するのは、
決して嘘をつかない、人です

嘘つきに、言いくるめられて、
どこに、本当の自分に至る道が見えてきますか

正直であることは、
誰のためでもありません

人のためなら、それが迷惑です

そこのところの矛盾は、
もっとも深いところにあり、
その深いところが、もっとも強く、自らをブレさせるのです
(小さなものであるが、表面までに到達するまでに振幅を増して)

同様な構造は、
水色の空 様の、憎しみにも言えます

本当に、この世界を支配する憎しみは、
あのような、深いところにあるものなのです

悪魔が、もっとも、狙いを付ける、
強い力の源です

世界は、それによって、動くのです

 



Re:  (もっとも深い) 嘘 
  みともり   - 2009/08/05(Wed) 19:06 No.39655
>人は、「この、クソガキャー」と思うところと、
>誠実な思いとを
同時に抱くことができる存在だと私は考えています


都合良くできていますね。

ご都合主義です

 



嘘も方便
無宗だ - 2009/08/05(Wed) 19:50 No.39656
子供を亡くして半狂乱になっている母親に対して、
正直な人なら「死んだ子供は生き返らない」と告げるのだろうか?

「ぺけぺけすれば、生き返らせてあげる」などということは、
正直な振る舞いとは言えないだろう。

結局のところ、
言葉において正直であることよりも
人間関係において誠実であることの方が
大切だと私は思う。

自分自身が、何を言われても
うろたえることの無い
平常心を養うことは意味があることだろう。

だが、それを他人にも当てはめることが可能だろうか?
がん告知なども、正直に伝えればいいというものでもないだろう。

 



Re:  (もっとも深い) 嘘 
  みともり   - 2009/08/05(Wed) 21:03 No.39657
方便は使いこなす人が使わないと、

変だよ !

使いこなせば、標準です

 



Re:  (もっとも深い) 嘘 
  みともり   - 2009/08/05(Wed) 21:21 No.39658
 方便じゃなくて、

 方言だ !

 



でもね、嘘じゃないのよ。
zapo - 2009/08/05(Wed) 21:26 No.39659

>「ぺけぺけすれば、生き返らせてあげる」などということは、
正直な振る舞いとは言えないだろう。

逆じゃないかな‥。
これって、嘘じゃないのです。
だって、「ぺけぺけしなければ」「生き返らせて」もらえないのですから。
「ぺけぺけ」が絶対ありえないことなら、正しい事になるんですよね。
ブッダが行ったことは、
家族から死人がでたことがない人を探すというような話だったと思います。
なかなか、深い話です。
実際それをしたら、自分だけでなく他の全ての人が家族の死を体験している事。
そして、死なないことが絶対ありえないことなどを実感するということですから。
こうしたことができちゃうことも凄いですが、でもまあ一般的な誠実さとは違いますね。

ということで、決してうそつきじゃなく、正直者ではあるが、一般的な誠実な人とは一線をかくした存在がブッダなんでしょうね。

もっとも、ブッダに対しても「正直な降るまいとはいえないだろう」と言い切る無宗ださんはかっこいいです。(^^)

 



Re:  (もっとも深い) 嘘 
管理人エム - 2009/08/05(Wed) 23:32 No.39664
「嘘をつかない」と「真実を語る」とは、別のことがらですね。

まず、「嘘をつかない」が、先にきて、それから、次に「真実を語る」の順序で、ブッダは語ると思います。

この順序のうちに、方便の成り立つ余地が生まれると思います。

もし、誰も死人を出したことのない家から辛子だねをもらってくるなら、子どもをよみがえらせてあげよう

辛子だね、というのは、これ以上ないくらい、ありふれた食べ物といいますか、インドのどこの家にもあるものだそうです。
そんなものなら、すぐにもらってこれる!

でも、死人を出したことのない家(家系)。。これは、どこにもない。

嘘をつかないブッダの智慧が生んだ、方便ではないでしょうか。

半狂乱の母親には、何を言っても通じないでしょう。ただただ子どものことしか、頭にありません。
そういう姿を見て、真実をただ告げることが、なにもならず、ただ余計苦しみを与えるばかりだと思ったのではないでしょうか。

ブッダの(口には出さない)真理は、

「もし、誰も死人を出したことのない家から辛子だねをもらってくるなら、子どもをよみがえらせてあげよう」

という、表現の中にしっかりと含意されていると思います。

「生まれたもので、死なない人はいない」という真理が、ちゃんと入ってますから、ブッダは、嘘をつかず、母親を救いました。

辛子種をもって帰れなかったキサーゴータミーに、ブッダは、真実を告げるのです。

嘘をつかない、それから、真実を告げる、というこの順序を推奨するブッダは、自分でも、このとおりにしています。

やっぱ!ブッダだわ〜。。。これぞ、方便!





 



 誰にでも 理解できるように 
  みともり   - 2009/08/06(Thu) 07:26 No.39665
先になって、自分でも理解できなくては、
“お笑い”にもならない

*******

方便(地方弁)は使いこなす人が使わないと、
変だよ !
使いこなせば、(どの世界でも)標準です

*******

 



積極的に嘘をつかなくとも 
無宗だ - 2009/08/06(Thu) 09:08 No.39669
一部の情報を隠し、
一部の情報を相手が誤解するように
並べることは可能。

偏向放送などは、この例。
相手が誤解するのを看過するのは
一種の嘘だと思う。

 



Re:  (もっとも深い) 嘘 
管理人エム - 2009/08/06(Thu) 13:18 No.39674
> 相手が誤解するのを看過するのは
>一種の嘘だと思う。

明らかにだます目的でいう場合は、嘘をつくことになると思いますが。。。

ブッダの場合は、だまそうとしたのではないでしょう。
母親を正気に戻すためには、そう言うしかなかったのではないかと思っています。

どんなにことばを尽くしてもわかってもらえないこともありますね。
真実ほど嘘っぽく聞こえたりします。

 





無題
投稿者:T,T - 2009/08/05(Wed) 08:11 No.39645 [返信]  
>「相手の人が、すばらしく見える」ためには、やっぱり、それなりに心を磨いてなければならない、

物事を「あるがまま」に看る事が出来るには、血と涙なくしてあり得ません。

 





無題
投稿者:T,T - 2009/08/05(Wed) 08:02 No.39644 [返信]  
> 私の仕事に関して言えば、見たまま、感じたままを相手に正直にそのまま伝えています。

>勿論、言わないことはありますが、経験上、その方が相手にとって結局は利益になると知っている場合です。

それが何よりと思います。

>しかし、何回も同じことを説明しなければいけないケースもあり、そんな時は、本当に自分が
>情けなくなって来ます。

情けなく感じるのなら説明できないと言えばよろしいのではありませんか。

>そして、自身が吐いた内容で、このように、大変、困っています(笑)

困ったままで、弁解をしなければよろしいのでありませんか。

>自分は確かに存在している」みたいなことです(笑)

確かに存在しております。これは絶対ですね。間違いないです。
しかし、これ以上語れば、虚仮になり、嘘になる。

>「人の知覚はその人にとって真実である」みたいなことです(笑)

この知覚が問題であります。知覚は、錯誤がある故に余程の修練が必要です。
物事を極端に見れば解ります。例えば、誇大妄想の方を見れば、知覚は
当てにならない事が解ります。


><事実の見誤りに気づ事です。

>これは常に問題になりますが、難しい問題ですね。

そうです難しい問題です。
仏教の要です。悟り、覚、の領域です。

>>見誤りという以上、どういう方法であれ、正しさが示されなければなりませんが、多くの人人にとって、
>>たとえ明らかに示されたように見えても、それを本人が正しいと認識する必要がありますから。

絶対に正しいと言う事の正しさですね。
仏教の認識は、普通言われている認識ではありません。

全く個人の認識でありますが、しかし、普遍性が生じておりますから、自分の手を見るように
確実な間違いのない認識であります。

そこから看れば、「感覚的な生き方を変えるのは不可能です」的な意識操作は不可能と言う事が
わかります。「悟り、覚、の領域」からは感覚的な生き方は変わります。

仮に、意識操作から変えようとすれば、長続きしないか、無理が生じて他に問題点が生じます。


>肉体的或いは精神的なレベルで、人の存在を否定する、もしくは、本人が否定されたと感じさせる出来事や、
>又、それを生み出す社会構造は、残念なことですが、実社会の中には現存しますから。

言葉の表現の出来る限り一切は、存在して居り、また存在しておりません。

>その問題は、一度、大きく感じたことがあります(笑)

これは大事な事であり、感じるだけではいけません。
何故なら、相手を見抜くと言う事は、自分を知ると言う事であるからであります。

相手が解らない内は、自分と言う者が解らない事をいにして居るからでああります。
自分が解って、相手が解るのではなく、相手の事がわかって、本当の自分が解ると言う事です。



 



Re: 無題
お初天神の梟 - 2009/08/05(Wed) 17:30 No.39650
>情けなく感じるのなら説明できないと言えばよろしいのではありませんか。

私の仕事は、客観的な基準がしっかりあります。
ですから、何回も説明できますし、するのです。

どんな仕事でも同じですが、結局、自らが関わる人の将来の予見が含まれます。

物理学的な法則だけに従っている訳ではない、生きた人間に関わることで、将来における確実性はどこにもありません。

そこをしっかり説明しても、どうしても理解できない人はたぶん、自分が描く世界にずいぶんと固執している人だと思っています。
客観性を軽視しているともいえるかもしれません。

でも、通常人間であれば、私も含め、程度の差があれ、自身の描く世界への固執からは間逃れることは出来ません。

ですから、そのような相手の放つ言葉に対しては、言葉を常に変化させて対応しますが、仕事上、伝えるべきことは、客観的内容をしっかり含んでいますので、同じことを繰り返すことになります。

<困ったままで、弁解をしなければよろしいのでありませんか。

その言葉があって、それでも良かったのか、と今気付きました(笑)

これから、そうします(笑)

では(笑)

 





嘘ってどういう意味?
投稿者:sarah - 2009/08/04(Tue) 16:20 No.39637 [返信]  


ところで、嘘 ですが、フランス語は MENSONGE マンソンジュ<名詞>
 ですが、動詞<嘘を言う> MENTIRマンティール

 なので、動詞を活用させると、
 
  JE ジュ       MENS マン
  わたしは      嘘を言う
  
  で、嘘は、 マン、、という音素で、伝達されるんです。

  ラテン語はMANTIRE マンティレで
語源は、MENS「 マン 」という音素で、、 「心 」という意味なんです。<繰り返しますが、マンは嘘そのものと言う意味ではないです>

 英語でも、メンタルMENTALと使いますから、
 
 嘘、、という記号は、心が語源なので、
 
「 嘘つきは嫌いだ!」・・・と
 表現すると、
 「心を持つ者は、嫌いだ!」@@・・・と展開させてるように誤解されるかもしれません。

 
一種の人間の心作用を、「嘘」断定してしまう音素が問題なのかもしれません。
何故?一種の心作用である嘘をつかなければ、ならないのだ?
という結果<嘘をついた>に帰属しない、
他者との共感による、妥当点をみつけようとする行為の中に真理性を見ようと心がけるのだと思うのです。
他者とコミュニケートしようとする時
放った言葉は嘘であるという、ある判断が事前にないと、
「うそ」という音素は、放たれないと思うのですね。
ある判断は、「うそ」 はいけない、、という一般の通念
が、他者との間で同感を得られるはずだと、前予測しての
スムーズな他者との会話が生じているのだと思うのです。
つまり、そこ地点では、世間で通用されてるある倫理感が存在していると思われます。


ちなみに嘘<名詞>、MENSONGEマンソンジュ

は、MEN<心> と SONGE (思いつく、夢を見る、考える)動詞はsongerという合成語なんです。

何故なら、自分は嘘をついていると思っても、実は他者にとっては、嘘でなく真実であったりするかもしれませんから。
何しろ、語源を紐解くと、心が熟考するですから、

時間と空間の世界の人間のやることですから、いつ時間軸がひっくり返るかわかりませんし、それが観えてて、最初から嘘をついて、希望をもたす霊能者など沢山いるようですよ。・・・笑
そのような霊能者には、嘘を言ってるから、霊能者自身がある悔悛の念を感じているか?
と問われると、わたしは、ほとんど無いと思うのですね。<もちろん、聞いた事はないですが、・・目の前にして、感じた直感です>

信者さん?は、希望を持ちに、そのような方に会いに行かれると思うので、
人の苦しみが増すような事を、たとえ観えても、ワザワザ仰らないのではないでしょうか?

言葉の意味、
その言葉が生まれた語源を見ると
展開の仕方が、どちらに向うのか、
その方向の特徴が、使われてる言語の意味合いの違いよって感じられると思うのです。言語は思考ですから・・・

 色々で興味深いですね?・・・・・・ 


 





お世辞
投稿者:T,T - 2009/08/04(Tue) 12:40 No.39635 [返信]  
管理人エム様


>他人のために「嘘をつく」人は、そうは言われないかもしれません。

嘘をつくには変わりがないのですが、社会的(他人のため)に許されているのでしょう。

>昔、わたしもお世辞は必要だと思っていましたが、なんとなく、お世辞と思いながらお世辞を言うのがいやに
>なって、方針を変えました。

表面をつくろい、良く見せかける一種の形式のお世辞も時には必要かも知れませんが、見え透いたお世辞は、
聞かされる方も嫌味(慇懃無礼)にもなりますね。


>相手の人が、すばらしく見えたときには、かならず口に出して言うことにしました。
>お世辞じゃないし、ほんとに思っているから具体的になるし、どういうことを自分は良いと思っているか
>伝わるし、それにわざわざお世辞を言う必要がなくなるし、とてもいいです。

そうですね。それが本当の儀礼じゃありませんか。

素直な心の時には、その折に触れ、嘘の方便もなくなり、「相手の人が、すばらしく見えたときには」
すばらしいと素直に言えますし、また、相手に対して適応した対処の言葉が自然と出て来ます。
その時、お世辞は、お世辞でなくなり、人を幸福にしに、同時に自分をも向上して行くものであります。



 



Re: お世辞
管理人エム - 2009/08/04(Tue) 18:47 No.39638
T,Tさま

>その時、お世辞は、お世辞でなくなり、人を幸福にしに、同時に自分をも向上して行くものであります。

ほんと!こうなると、とてもいい感じですねぇ。

ただ一つ、ちょっと問題なのは

「相手の人が、すばらしく見える」ためには、やっぱり、それなりに心を磨いてなければならない、

ってことでしょうか。。。そんなに楽な道はないですね。



ってことですよね

 





僕も嘘つきです
投稿者:T,T - 2009/08/04(Tue) 11:53 No.39634 [返信]  
水色の空 様


>T.T 様は嘘つきではありません(笑)
>T.T 様は嘘つきではありません。たぶん(笑)

どのように思われようが、
日常生活が上手く行く時には、例外なく僕も嘘もつきます。

僕の知っている人の話で、妻のご機嫌を損なわない様に朝から晩まで
嘘をついてるそうです(笑)。
この様な状態では、嘘が本当の様になっているのではないかと思いますが(笑)。

禅仏教に関しては嘘、間違いには特に気をつけて
そのようにならないように努力し、また、嫌われる覚悟で
対応して居ります。


>これでも、感覚的な生き方を変えなければと常に努力しているつもりなのです。

感覚的な生き方を変えるのは不可能です。これは疲れるばかりで何の役にもなりません。
禅匠でも出来ない話です。
生き方を変えるのではなく、事実の見誤りに気づ事です。

>初めて思わず横入りしてしまいました。
失礼しました。

失礼も何も、掲示板はそれでよいと僕は思いますが。


>というか、誰でも、絶対に嘘を付けないことについて嘘は不可能です。

その考えは正しくない。
神経症を患えば、誰が考えても解る事柄でも、平気で嘘がつける者です。


>でも、誰にも信じてもらえないということは世の中いっぱいありますね(笑)

「世の中いっぱいありますね」は、どうか解りませんがありますね。
しかし、大事なことは、自分が相手に理解されない事よりも、相手を理解出来ないと
言う事の方が問題だと思いますが。



 



Re: 僕も嘘つきです
お初天神の梟 - 2009/08/05(Wed) 04:22 No.39643
T.T 様

お久しぶりです(笑)

私に向けて書き込んで頂きまして有難うございました。

<失礼も何も、掲示板はそれでよいと僕は思いますが。

その言葉を聞いて、安心しました。

<禅仏教に関しては嘘、間違いには特に気をつけて
そのようにならないように努力し、また、嫌われる覚悟で
対応して居ります。

私の仕事に関して言えば、見たまま、感じたままを相手に正直にそのまま伝えています。

勿論、言わないことはありますが、経験上、その方が相手にとって結局は利益になると知っている場合です。

しかし、何回も同じことを説明しなければいけないケースもあり、そんな時は、本当に自分が情けなくなって来ます。

<どのように思われようが、
日常生活が上手く行く時には、例外なく僕も嘘もつきます。
<僕の知っている人の話で、妻のご機嫌を損なわない様に朝から晩まで
嘘をついてるそうです(笑)。
この様な状態では、嘘が本当の様になっているのではないかと思いますが(笑)。

私は、感覚的な言葉は人に対して吐くことは出来る限りしないように気をつけているのですが、あの時は思わずしてしまいました。

そして、自身が吐いた内容で、このように、大変、困っています(笑)

<というか、誰でも、絶対に嘘を付けないことについて嘘は不可能です

私の、この言葉も、その脈絡上にあります。

説明できないわけではありませんが、結局、あたりまえの事を書いているだけに落ち着きます。

「自分は確かに存在している」みたいなことです(笑)

「人の知覚はその人にとって真実である」みたいなことです(笑)

<感覚的な生き方を変えるのは不可能です。これは疲れるばかりで何の役にもなりません。
禅匠でも出来ない話です。

そうなんですか。
そうかもしれません。

<事実の見誤りに気づ事です。

これは常に問題になりますが、難しい問題ですね。

見誤りという以上、どういう方法であれ、正しさが示されなければなりませんが、多くの人人にとって、たとえ明らかに示されたように見えても、それを本人が正しいと認識する必要がありますから。

<神経症を患えば、誰が考えても解る事柄でも、平気で嘘がつける者です。

神経症の内容にもよりますが、先に私が記した内容の裏返しのように、たぶん、その存在が否定されているか、されたと感じているかということと深く関係していると思います。

肉体的或いは精神的なレベルで、人の存在を否定する、もしくは、本人が否定されたと感じさせる出来事や、又、それを生み出す社会構造は、残念なことですが、実社会の中には現存しますから。

たぶん、どんな小さなコミュニティーでも、程度の差があれ存在すると思います。

<しかし、大事なことは、自分が相手に理解されない事よりも、相手を理解出来ないと
言う事の方が問題だと思いますが。

その問題は、一度、大きく感じたことがあります(笑)

今は何ともいえません。
言葉では少し表現できません(笑)

明け方となって参りましたので、この辺で失礼いたします(笑)


 





嘘をつく。
投稿者:T,T - 2009/08/04(Tue) 08:14 No.39632 [返信]  
>嘘をつかずに生きる道はある! と言ってみます。
>なに? もう嘘ついてら、ですって。そんなこと、ないです、ないです。

そう、そう、その調子で嘘をつくものです。

>&嘘つきと言われない人もいます。

それは所謂、嘘の方便に従っているからではないのですか。

>いつも正直者で通っていたのに、

「いつも正直者で通っていたのに、」と言う事は難しい、先ず、日常生活に於いて
一般的な礼儀、心にもないお世辞、弁護士等は、内科系の医者、特に正直に生きようと
すれば商売に成りませんね。
新聞広告、テレビコマーシャル等、、、、、
戦争など表面的な正義を掲げての理不尽な経済界の主張など嘘の代表ですね。

>たった一度の嘘で、&嘘つきと言われない人もいます。

「たった一度の嘘で」とは信じられませんが、嘘つきのレッテルが貼られるのは、
所謂、許される嘘と許されない嘘との違いではないのですか。


>語っていることばと行動を一致させるなら、嘘ではない。。。

>言ったとおりに行動し、行動しているとおりに言うならば、嘘つきにならない。ここに矛盾はないです。

禅仏教の教えが大体そのような方向で進みますが、必ずしもその過程を通るとは限らないし、善であると
知りつつも実行できな事が多くある。

「われわれは、真理の影像を知りながらも嘘ばかりしか持っていないのである」パスカル
 

>とはいえ、これは至難の技ですが。

と言うより不可能です。

>これを見抜ける人は、嘘つきにならないけど、見抜けず、自分をだまし続ける人が、嘘つきとなる

>のではないでしょうか。T,Tさまは、どう思われますか?

世間で言われる嘘つきはと言われる人は、「空」の領域から外れた、根底が崩壊したした状態です。

しかし、どのように嘘の定義づけをしようが、人間は嘘つきであります。
本音ですべて語れば、この世の中(特に上下関係に関する事柄)は成り立たないと思いますね。
従って、僕は、嘘は生活の潤滑油と思っております。

僕は、人に嫌われたくないので、時に嘘をつきます。



 



Re: 嘘をつく。
管理人エム - 2009/08/04(Tue) 08:53 No.39633
T,Tさま おはようございます。

> 世間で言われる嘘つきはと言われる人は、「空」の領域から外れた、根底が崩壊したした状態です。

自分のために「嘘をつく」人は、嘘つきで、他人のために「嘘をつく」人は、そうは言われないかもしれません。

自分のために嘘をつくというのは、自分の中に矛盾があるのに、気づいていない状態であるようにも思います。だから、自分に嘘をついている人、と言いました。

> 僕は、人に嫌われたくないので、時に嘘をつきます。

正直な方ですね。
昔、わたしもお世辞は必要だと思っていましたが、なんとなく、お世辞と思いながらお世辞を言うのがいやになって、方針を変えました。

相手の人が、すばらしく見えたときには、かならず口に出して言うことにしました。
お世辞じゃないし、ほんとに思っているから具体的になるし、どういうことを自分は良いと思っているか伝わるし、それにわざわざお世辞を言う必要がなくなるし、とてもいいです。



 



Re: 嘘をつく。
  みともり   - 2009/08/04(Tue) 23:02 No.39640
>僕は、人に嫌われたくないので、時に嘘をつきます。

嫌われてもいいから、嘘をつくのでしょ ?
行き当たりばったりです

>「われわれは、真理の影像を知りながらも嘘ばかりしか持っていないのである」パスカル

「私は、真理の影像を知らないから、嘘をつくことも知らない」
嘘を知るのが、真理です

真理を知る者には、嘘はない

真理を知らぬものには、嘘しかない
(やはり嘘がない)

>と言うより不可能です

誰が決めた真理ですか ?
誰にとって不可能で、
誰にとっても不可能と、断言できる根拠は、
誰から来ていますか ?

ウソツキが、その根拠を保つことができますか ?



>「相手の人が、すばらしく見える」ためには、やっぱり、それなりに心を磨いてなければならない、
ってことでしょうか。。。そんなに楽な道はないですね。

心に映る(通る)、輝きを見るわけですが、
心の曇りは、心には見えません
磨いたつもりで、曇らしているのでは “ない”と、
どこの立場から、眺めますか ?


楽と、苦は、
衆生において、顛倒していることを知って(いる筈ですが)、
ないと言っているのですか  ?

>正直な方ですね。

正直は、どこからが、正直でしょうか ?

>昔、わたしもお世辞は必要だと思っていましたが、なんとなく、お世辞と思いながらお世辞を言うのがいやになって、方針を変えました。

>相手の人が、すばらしく見えたときには、かならず口に出して言うことにしました。
お世辞じゃないし、ほんとに思っているから具体的になるし、どういうことを自分は良いと思っているか伝わるし、それにわざわざお世辞を言う必要がなくなるし、とてもいいです。

どこの“ところ”からみて、いいのですか ?

 



Re: 嘘をつく。
管理人エム - 2009/08/05(Wed) 00:26 No.39641
みともりさま こんばんは。

ちょっと、なんでしたか。。。やっぱり。。。甘口はお嫌いですね。

>磨いたつもりで、曇らしているのでは “ない”と、
>どこの立場から、眺めますか ?

わたしがもってる鏡に照らして見るのです。
その鏡は、わたしが、すばらしく見えた人の心です。優しいその人は、なんでもないわたしのことばや行動にも、いいところを見つけてほめてくれたのです。
こんなたいしことないことにも、感動できるこの人はなんてえらいんだろう、って思ったのです。小学生の時です。同級生でした。

でも、そういうことは、それからほとんど起こらないということを知りました。

それから、世界は、顛倒していることを知りました。つまんないですね。お世辞もつまんないです。

>どこの“ところ”からみて、いいのですか ?

顛倒している世界から見て。

>真理を知る者には、嘘はない

そう言ってくれる人がいることが、わたしには幸せです。


 



Re: 嘘をつく。
管理人エム - 2009/08/05(Wed) 01:41 No.39642
みともりさま 

>正直は、どこからが、正直でしょうか ?

お答えするのがむずかしいですが、見栄(?)を張ることを忘れているとこから、でしょうか。

顛倒してるんですから、そんなこと聞かないでください。
その意味では、いつも、人は正直です。。。。。

が、

顛倒してるかもしれないと気がつくときが、誰しもあるのです。。だから、混迷してくると思います。


 
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