--夜が明けたときは。
早坂 見渡すかぎり何もないので、再び腰が抜けるほど驚きました。本当に広島は消滅したんだと思い知らされました。死体を掘り起こし、井げたに積み上げては、重油をかけて焼いている様を見て、完膚なきまでに負けたと痛感しました。と同時に、こういう兵器が出てきた以上、次の戦争は絶滅戦になると考えざるを得なかった。原爆によって十数万人が即死しましたが、約1万人は少年や少女だった。未来を殺すから絶滅兵器なのです。これを最後に、人類を絶滅させる戦争をしてはならないと思ったものです。
物書きになってまず考えたのは、あの原爆のむごたらしさと戦争をしてはいけない爆弾ができてしまったことを、どうやって伝えるかでした。核兵器を使う戦争は絶滅戦争になるのだから、造ったけれど使ってはならない--このことは原爆の惨事を見た人間が伝えなければならない、そういう使命をもらったのだと言い聞かせてやってきました。1000本くらいドラマやドキュメンタリーをつくっていますが、大半は戦争ないし戦争の傷跡を描きました。
--男女2人の被爆者に、当時の絵日記を描いてもらい2冊の絵本「ヒロシマ原爆の絵日記」(勉誠出版)を監修して出版されました。
早坂 当時、少年少女だった被爆者に、子どもの目で見た原爆の怖さを描いてもらいました。79歳になる女性からは、あの日を思い出すといたたまれない、それに多くの霊が現れて何で描くのと言われるのだとも聞きました。でも泣きながら、もだえながら描いてくれました。この絵日記で訴えたいのは、核兵器を使うと子どもたちをこのような目に遭わせる、だから核兵器は未来をつぶす絶滅爆弾だという警告です。
毎日新聞 2009年8月6日 東京夕刊