2009年8月7日
【1】MSFはシャーガス病の検査に、指から少量の血液を採取するだけの簡易検査法を導入している。しかし診断の確定にはさらに高度な検査が必要である【2】吸血虫サシガメ。人間の血を吸う際に糞を残し、この糞の中にいるトリパノソーマが血液中に入ってシャーガス病を起こす【3】家々を回ってシャーガス病の感染者を探し、サシガメの調査を行うMSFのチーム。サシガメは住居の土壁の隙間やワラ葺き屋根の中によく生息している【4】現在のところ、シャーガス病の治療薬には小児用の製剤がないため、錠剤を砕いて用いる【5】シャーガス病の治療を無事終え、自宅近くで元気に遊ぶアレハンドラの2人の子どもたち 【6】治療を順調に進めるワルド。自分のように身体や心臓が痛くなり不調を感じた人は皆すぐにも検査を受けてほしい、と話す 【7】シャーガス病の薬を手にして笑顔の少女。すべての人に必要な医療を届けたい
【1】中南米諸国の風土病、シャーガス病の存在が、ブラジル人医師カルロス・シャーガスによって発見されたのは1909年のこと。しかし、それから100年の間、研究や対策は遅々として進まないままである。いまも世界には推定1千万人以上の感染者がおり、少なくとも毎年約1万4千人が命を落としているにもかかわらず、この病気が顧みられないのは、患者層がへき地の貧しい人びとであり、製薬会社にとっては投資の魅力に乏しい市場だからである。国境なき医師団(MSF)は、1999年からシャーガス病の予防、診断、治療に取り組み、その経験をもとに、対策の拡充、薬や検査法の開発を呼びかけている。
【2】シャーガス病とは
シャーガス病は、サシガメという昆虫が媒介する寄生原虫「トリパノソーマ」によって内臓をむしばまれる病気である。サシガメに血を吸われるとこの原虫が血液中に入り込み、増殖する。輸血による感染や母子感染の危険性もあるが、人から人への接触で感染することはない。寄生後ただちに死亡する急性患者もまれにいるが、多くの場合、感染者は数年から数十年も気づかないまま過ごし、7割の人には大きな問題は生涯あらわれない。しかし残り3割の確率で、長期的に心臓や消化器官などに回復不能なダメージを負う。
【3】「沈黙の病」
世界で最もシャーガス病の罹患(りかん)率が高く、国民の一割以上が感染しているとみられる南米の国ボリビアで、MSFの活動に参加する医師ビクトル・コンデは語る。「多くの人が、シャーガス病では死なないと思い込んでいます。確かに長く生きられる感染者も多くいます。一方で多数の人に死の可能性があるのです。亡くなる人の多くは働き盛りで家族もある若者で、地域社会にとって大きな打撃となっています」。感染した人のうち、誰が一生無事に暮らすか、それとも心臓疾患を発症するかは分からない。病状が進行した場合、有効な治療法はまだ存在しない。早期の発見と治療が重要だが、現状ではシャーガス病の診断確定には高度な検査が必要で、医療機関の少ない地域では感染者の発見が難しい。このため、多くの人が感染していることや、病気の原因も知らないまま、沈黙のうちに命を落としている。
【4】35年以上前の薬
現在、シャーガス病の治療に使える薬は2種類しか存在しない。どちらも35年以上前に生まれたもので、シャーガス病治療を目的に開発された薬ではない。小児用の製剤はなく、妊婦は服用できない。服用期間は30から60日間と長期にわたり、副作用の可能性があるため、治療をためらう医師、患者も多い。年齢が高いほど副作用の発生率が高くなることと、ごく最近まで慢性患者には治療効果がないと考えられていたことから、治療は子どもに限って行われることが多かった。しかし、ここ数年の研究によって、内臓への影響が出始めた初期の慢性患者にも、副作用を慎重に観察しながら投与を行えば治療ができることが明らかになってきた。ただ、貧しい地域に住む多くの患者はまだその治療に手が届かない。
【5】アレハンドラの場合
ボリビアのコチャバンバで暮らすアレハンドラは2児の母。下の娘を妊娠したときに受けた検査でシャーガス病に感染していることを知った。「そんな病気は知らなかったので『それは何ですか?』とお医者さんに聞き返したら、サシガメがうつす病気だと教えてくれました。実家の村ではよく見かける虫でした」。上の息子を検査につれていったところ、やはり感染が分かった。まず息子が、そして出産と授乳を終えてから、彼女自身と娘も投薬治療を受けた。アレハンドラにはいったん薬のアレルギー反応が出たが、投薬を調整しながら無事に治療を終えた。彼女は、シャーガス病の知識が普及していないことに憤りを感じる。「農村の人びとを襲う病気なのに、私の田舎の貧しい村では誰も何も知りません。死んでしまえばそれまでだからです。一軒一軒、戸をたたいて、シャーガス病について教えて回りたいぐらいです」
【6】ワルドの場合
33歳の男性、ワルドは、身体の不調を感じて検査を受け、シャーガス病と分かった。彼は症状についてこう語る。「身体全体にうずきや痛みがあって、畑や家で仕事をするのが難しくなりました。つねに疲労と不安を感じ、ボロボロになるんです」。いま彼はコチャバンバでMSFが活動する診療所に通って、精密に経過を観察しながら60日間の投薬治療を受けている。数週間たった現在も副作用はなく、治療は順調だ。「ここに来られて無料で治療を受けられて、私はほんとうに幸運だった」とワルドは言う。「シャーガス病にかかるのはだいたい貧しい農民で、近くに診療所がなかったり、あってもそこでは治療ができなかったりするから」
【7】予防・検査・治療の向上を求めて
シャーガス病のように途上国の多くの命を奪いながら研究対象にならない病気に取り組むため、MSFは2003年に他の官民機関とともに非営利の研究開発組織「顧みられない病気のためのイニシアティヴ(Drugs for Neglected Diseases initiative)」(DNDi)を設立した。DNDiは現在、既存のシャーガス病治療薬の小児用製剤化や、代替治療法の研究・開発に取り組んでいるが、残念なことにこれらの薬が市場に出て必要な患者に届けられるまでにはまだ時間がかかる。より毒性が低く、より短期間で治療でき、すべての患者に効果をもたらす薬の開発が急務である。また、感染する人の多いへき地に、必要な予防知識、サシガメの駆除対策、検査・治療のための技術、必要な薬が行き渡るためには、政府や国際社会の積極的な取り組みが求められる。今こそ行動を起こし、100年の沈黙を破らなければならない。
★シャーガス病発見から100周年の今年、MSFはキャンペーンを展開中です。写真や映像が満載のウェブサイトを見て、知って、一緒にシャーガス病の沈黙を破ってください。
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