2009年07月23日
| 栗田 亘 | コラムニスト、元朝日新聞「天声人語」執筆者 | 経歴はこちら>> |
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気が進まなかった理由はもう一つ、こうした「声」がどれだけ社会総体の意見を反映しているか、メディアが手前勝手に意見をこしらえているのではないか、という後ろめたさが、どうしても払拭できなかったからだ。
その人が、紙面に印刷された意見を語ったことは間違いない事実である。でも、正反対の意見を述べる人だっていたかもしれない。
などと迷ったのは、「識者の談話」を取材した経験が下敷きになっていたからだろう。
「街の声」の、いわば一角上に「識者の談話」がある。ことがあると、その道の専門家のコメントを記事に添える。
正真正銘の専門家のこともあるし、何でもござれの有名人のこともある。
ある社会部デスクは勉強家で、どんな人がどんな意見を持っているか、実によく知っていた。○○について、これこれこんな意見を言ってくれる人、という問いに、彼は即座に答えることができ、私たち若手の記者は指示に従って電話取材すればコトが足りた。
こうして出来た紙面は、取材の成果というよりは編集の成果だった。
こういう紙面をつくりたい、との編集方針がまずあって、予期通りの紙面をつくるのである。
その辺の機微を知り尽くしていたのが評論家の大宅壮一で、メディアから意見を求める電話がかかると、「そう、どんな意見が聞きたいの」と問い返し、注文に応じて都合よく話す内容を変えてくれる、という伝説が生まれた。
「街の声」も、私の体験では一定の編集方針が立てられ、方針に沿った意見を集める傾向があった。
→次ページに続く(しかしどこかでウジウジ…)