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挑 戦 無 き 者 は 去 れ !

北海道大雪山系 トムラウシ山 大量遭難を考える。 今回の事故について戸田新介様のご意見 と 幾つかのご回答

mit 26 Kommentaren


第四回分のご回答を掲載しました。8月6日 AM08:00 追記
戸田様からいただいた追記情報(事実関係)を掲載しました。8月7日 AM08:00 追記

この記事ですが、ご覧になる方は多いが、情報の提供が少なく、「議論」が成立しておりません。正確な裏づけも、ご覧の皆様のご協力あってこそです。情報の提供が少ない現在、議論を進めることは危ういですので、一旦、更新の停止を行います。

質問 1~20  A①~A⑱ で アウトラインは十分つかめてきたと考えます。それらの質問に対する戸田様からのご回答と、他のメディアで得られるであろう他の方の証言、客観的諸事実との照らし合わせによる一層の真実の追究は、ご覧になっておられます各自でおやりになってください。

戸田様によりますと山渓あたりで、いずれ検証記事を作るそうですので、そういった雑誌も皆様の検証の一助になると考えます。(何ページの記事になるか分かりませんが、この事件を余さず記事にしようとするなら、一冊の本が出来ることでしょう。)
 
私個人としましては、備忘録的にメモ代わりに作成した記事と、いくつかの考察、のうえに戸田様からの情報とご意見までいただけることとなり、十分に満足しております。 さらに、他の方との意見を照合し、客観的事実と照らし合わせといった地道な作業による更なる真実の追究は、さらに真実を知りたいと思う方や、当事者と直接的、具体的な利害関係を持っている方々、またはそういったことを職業としている方が、おやりになるのが宜しいでしょう。

考察①~⑫において、抽象的な論点はほぼ抑えてあると考えます。あとは、事実の確定の作業ですが、質問 1~20  A①~A⑱ でアウトラインはほぼ見えていると考えます。

最後のほうで問題となっている多田ガイドがアミューズトラベルの社員であったか、そうではなくただの雇われガイドに過ぎなかったかは、事案の解決の重要な分岐点となりましょう。これに関して、関係者は、もし真実であるとしたらあまりに不利益な事実であるので、黙秘を決め込んでいるようですので、現在は白黒決めかねます。ただ、そういった場合も十分考えられるので、事案の解決を追う方は、ご注目なさるのが宜しいでしょう。(多田ガイドが普通の雇われガイドであったら、彼への刑責もずっと軽くなりましょう。)・・これについてはいずれ裁判などでも取り上げられて白黒つくはずです。

また、実況見分レベルの話し、19で取り上げられているような詳細な個々人の動きなどは、裁判などで重要となりましょうが、個別事案の問題であり、安全登山一般の視点からは、いささか、詳細に過ぎる(そこまで段取りを考察する必要はない)と考えます。

※現在、第4回目のご質問を戸田様に送ってあるのですが、いただいたご回答を掲載するかどうかは検討中です。
※大勢の皆様のご協力により、30分テレビニュース番組レベルの情報は整えることが出来たと自負いたしております。lb005様のご意見も踏まえ、トムラウシ関連の記事は、他の岳人の為にも公開しておこうと考えます。
※しばらく休んで、従来どおりの通常の山の記事、トレイルランニングの記事に復帰する予定です。

8月4日 silvaplauna

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※ 以下、戸田様から質問形式でお答えいただいた内容(黒文字)を原文のまま掲載させていただきます。同一のものはメインの記事「北海道大雪山系 トムラウシ山 大量遭難を考える。」にも掲載してあります。

※ 原文に忠実に、一切の脚色を施さず、誤字脱字も修正しておりません。
※ 今回、ご質問(青色)を作成なさったのは、swanslab 様 なお、カッコ内は、私が噛み砕いて質問の趣旨を説明した文(青色)です。

※ メッセージ性の高いこの記事をトップに固定します。コメントは、ご自由に、私たちのために貴重なご体験を公開してくださった戸田様の真意を汲んでいただき、節度と理性ある討論が展開されることを期待します。

※ 質問①~⑨7月31日公開、⑩~⑱ A①~A⑦8月1日公開、19~19-8、20 A⑧~A⑱ 8月2日公開 A⑲~30 8月6日公開(一部非公開) 戸田様からいただいた追記情報(事実関係)を掲載しました。8月7日 AM08:00 追記

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今回の事故で、全国の山を愛する皆さんに対するメッセージのようなものがございましたら、ぜひお書き添えください。 私のところに掲示させていただき、皆さんにお読みいただこうと思っております。

自分が見たことをあまさずみなさんに知っていただきたいです。自分には知らせる義務があると思っています。
自己責任論が亡くなられた人に対しとなえられ、「ちょっと違うぞ」と思っています。不可抗力の要素はあると思いますが、それに対する一定限度のサポートはあってしかるべきとおもいます。それがツァー山行だと思います。突然サバイバルの場につれてこられて命を失った人に代わって、「それは違うぞ」と訴えたい。
後は低体温症の知識です。自分はガイドたちに低体温症の知識があったとは絶対おもいません。そして自分に低体温症の知識があれば、もっと早く対策を要求したのにとおもいます。

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以下ご質問事項です・・。

まず、ガイドの様子についてお聞きします。

①登山全体を通して、計画、状況、判断の説明をする人は、三名のガイドのうち誰でしたか。
(ガイドの名前は吉川ガイド 多田ガイド 松本ガイドのうち誰がリーダー格でしたか?という意味です。独りの人が全部決めていたのか、それとも、役割分担があったのかを知りたいのです。

32歳ガイドがすべてを決めていたとおもいます。北海道がはじめてで、気候やコースについて何も知らない人になんの決定権がありましょう。38歳ガイドとは行きの飛行機で相席となり、彼が「夏休みの代わりとして会社があたえてくれた」といっているのをきいています。つまり責任の軽いもので、お手伝いをすればよいとかんがえていたようです。吉川ガイドのことは分からないが、「雨は気にしないで歩けばよい」といったことをいう人です。(じぶんへの発言)また携帯は持たないとウソをいう人です。最終日には「今日は皆さんを下に送り届けるのがしごとです。」といっていたといいます。

②前日(15日)の天候をご教示ください。
(どのくらいの雨だったかとか、結構衣類が濡れてしまったとか・・、寒かったとか・・、避難小屋についても乾かなかったとか、そういった情報です。)

前日は朝から終日雨でした。風速は5mぐらいです。山の雨ですからはじめはそれほどには気にならなかったのですが、そのうちからだの芯からぬれたようにかんじました。眼鏡が外側は雨粒がつき、内側は曇り苦労しました。ただ着衣は上は春夏ようのジャッケトとゴアのカッパで十分でした。下着まで全部ずぶぬれです。靴はズクズクで靴下は絞れるほどです。自分は全部着替えましたが着干しの人もいました。女客のことは分かりませんが雨具以外を干しているようではなかったとおもいます。シラフをはんぶんぬらしシラフカバーを中にして寝ました。シラフを濡らした人は他にいると思いますが、どうしたでしょう。着替える場所はありません。
2階は別のグループと個人がつかい一階は私たちが使いました。干す場所がなくてこまりました。なおこの日は一時間早く小屋につきました。けっこう急がされたという感じです。それが翌日の判断ミスにつながったと思います。雨の中休む気にはなれませんし、平たんのコースで翌日の参考にはならんと思いますがねえ。

③最終判断をなしうるガイドはヒサゴ沼を出発するとき、理由を説明しましたか。そして、次にどこで天候の判断をすると説明していましたか。
(リーダー格のガイドさんは16日朝に避難小屋を出るときに、なぜ予定通りにトムラウシ温泉に向かうのか、メンバーに説明しましたか?天気が悪くなったらどうするとか、しばらくトムラウシのほうに進んで天気の様子を見るとか言っていましたか?ということです。)

自分はトイレに行ってて、その間に全部終わっていたようです。30分の延期はとなりに寝ていた木村さん(死亡)が教えてくれました。様子を見る、30分延期するというのです。妙だとおもいましたが、30分遅らせれば天気のピークをやり過ごせるとでも考えたのだとおもいます。それと30分以上は長い距離(予定タイムは10時間30分となていました)を考えると無理と思ったようです。だれかが中止を言い出したと報道にありますがそれは女客だとおもいます。だれが言い出したか知りたいのにいまだに分かりません、たぶん亡くなられたのだと思います。女客で生還した人なら分かるかもしれません。32歳ガイドが昼には天気が回復すると言って決行を決めたとの報道があります。途中での天気の判断なるものは彼(32歳)の頭にはなかったと思います。そのような話は誰からも聞いていません。途中で様子をみるという話もありません.そんなそぶりはありませんでした。りょうせんにでてからは前を見て歩くことだけ考えていました。

④出発時にガイドはお客さんの装備(アイゼン・防寒具)のチェックをしましたか。ヒサゴ沼避難小屋を出る時点で重ね着の指示はありましたか。(寒さ対策に中間着を着てくださいとか、フリースを着てくださいとかのアドバイスがなされましたか?という質問です。)

チェックはありません。ストックのゴムを抜くようにとの指示が32歳ガイドからありました。アイゼンはすぐに出せるようにというのは別のガイドの指示です。これは誰かが聞いたからでそうでなければ指示はなかったでしょう。重ね着の指示はありません、誰も聞かなっかたからだとおもいます。

⑤事故当日(16日)、先頭を歩いたガイドさんは誰ですか。最後尾を歩いたガイドさんは誰ですか。

先頭は今回を通じて32歳ガイドがつとめました,正ガイドの務めだそうです。最後は添乗員たる吉川ガイドがつとめ、サブガイドの38歳ガイドは中間に位置すると決めていたようです。

⑥ヒサゴの雪渓の登りで要した時間とアイゼン着脱に要した時間をおおまかにご教示ください。
(アイゼンを使うほどに雪がありましたか?雪がなくアイゼンを使わなかったのでしたら、お答えいただかなくって結構です。)

アイゼンをこのツァーで初めて使いました。一番長く勾配もありアイゼンがあれば安心という雪渓で、北アルプスのそれの小型のものだとおもいます。
雨と風があり少しガスっていたとおもいます。30分ぐらいかっかたと思います。ネパールのシェルパの人がスコップをもってステップを切ってくれて安心感を与えていました。
稜線まで計40分ぐらいと思います。着脱に時間はあまり掛からなかったと思います。

⑦雪渓を上りきった地点(コル)で、風・気温・雨等、天候の変化を感じましたか。疲労や体の不調を訴えるお客さんはいましたか。

コルに着いたときは風はありましたが、撤退とかいうことを考えるようなものではなっかたと思います。故障をいう人はなっかたとおもいます。
なおここで言うのが適当とはおもいませんが体調のことはここで初めて聞かれたのでここで言っておきます。最初の日にすでに一人の女客が旭岳から白雲岳へ行く途中でうつむいてゲロをはくこと、ゲイゲイとやっていた。体調をくずしていたようです、ガイドに連絡しなにかやっていたようですが、自分の視界からきえました。その日にもう一度目撃し、次の日に一度目撃しました。
彼女が延期を言ったのかもしれませんが、彼女が最初の故障者(歩けない人)だとおもいます。ガイドはだから低体温症の判断を誤ったかもしれません。前日、前々日の延長と考え休ませてなんとかやってきたから今回ももう少しだから、推測です、わかりません。彼女のサポートに足を取られ、大幅な時間遅延がしょうじ、それが誤算だったようにおもいます。

⑧雪渓を終えてからロックガーデン・天沼にいたるまでの天候状況は小屋出発時点と比べて劣悪と感じましたか。(小屋を出る頃に比べて、天気が悪くなっておりましたか?という意味です。)

どこかで急に風雨がつよくなりました。自分はそのまえに隊列から抜け、そのためにあらかじめ前に出ておいてフリースを着ました。雨があり雨宿りもないところでカッパを脱ぐと、肌についているシャツが濡れるのでイヤだったが強引に着ました。それで肌寒さというか汗と風による寒さ冷たさから少しは逃れました。天沼からロックガーデンにかけてに木道があるとおもいますが、そこが一番風が強かったと思います。体とザックにたいする風の圧力で木道から飛び出すことになります。32歳ガイドが(自分も真ん中にいたから)風向きに向いて立ち横に歩けと言っていました。風のつよいときは屈めとも言いました。それでほとんど進めなくなりました。低気圧が通ったのかもしれません。7時30分~10時と思いますが時間については後で述べたい。

⑨北沼に至るまではふらつき、転倒する風と報道されていますが、具体的には、行動後何時間経過した時点でそのような気象条件になったのでしょうか。ときおりふらつく、烈風でバタバタ音を立てる雨具のフードを手で押さえる、風上に顔を向けられない、など、具体的な状況もご教示ください。
(報道記事によりますと、天気がとても悪くなったそうですが、ヒサゴ沼避難小屋を出てから、何時間ぐらいしてから、ものすごい風や雨となったのですか?風や雨は、レインコートのフードを手で抑えないと飛ばされてしまうほどでしたか?)

ザックカバーがめくれあがって困りました。ゴムをきつくしておいたのに、一度は直したが、次からは横に丸めて持つことにしました。大型ザックのカバーはどうもよくないようです、ふくれにふくれバタバタと音を立て取れそうになるといったところです。カッパのフードはゴムを強くして、あごのところに来るベルクロをつければ対応できます。時間ですがピークは8時~9時と思います。低気圧の通過時刻はわかりませんか?トムラウシ分岐が10時30分とされていますが自分は11時~11時30分と思います。小屋から5時間でなく6時間(コースタイムは2時間30分)です、2倍ではなく3倍に近い時間を食ったと思います。そして分岐の下で停滞したのが1時間半とされていますが、2時間と思います。2時間は現場で自分が最初に考えた時間です。出発が1時半でそうすると4時前に先行者がコマドリ沢分岐で110番をいれた事と時間的矛盾が取り除かれます。出発が12時というのではコマドリ沢分岐まで時間がかかりすぎです。(地図では2:05です)

分からない質問には、お答えいただかなくって構いません。
なにとぞ宜しくお願い申し上げます。

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戸田 様

毎度お手数をお掛けいたします。
以下、swaslabさまから戴いている質問の後半部分です。

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⑩北沼までの休憩回数と一回の休憩時間をお知らせください。

天沼かそのさきの日本庭園のあたりかよくわかりませんが、木道があってそこが一番風が強かったとおもいます。そこまでに3回ほど休憩をとりました。1回5分ほどのたち休憩です。休むひまはなっかった。32歳ガイドは日没を心配したのだろうとおもいます。それから一度休憩の指示が出て休もうとしたら大粒の雨ふってきてあわてて出発となりました。(2分)そのあとは一度も休憩の指示は出ていません。32歳ガイドにはケアのしごとがでてきたようです。もう32歳ガイドは隊を率いていくことはやめ、サポートに集中しだしたと思います。
以後休憩するとか、食事を取れとか、フリースを着なさいなどの指示はなくなりました。だれも何も言いません。自分はみんなは食事をきちんととったのだるうか、これが生死の分かれ目になったのではと思っています。今思えばですけれど。自分はカッパのポケットにたくさん非常食を詰め込んでいたのできちんと食べましたが食べないままの人もいたかも知れません。低体温症になれば判断力も低下するそうですから。

⑪北沼で最初に不調を訴えた登山客は列のどのあたりにいましたか。不調や疲労を表現できるタイプでしたか。遠慮するタイプでしたか。(苦痛を我慢してしまうタイプか、大騒ぎをするタイプかということです。)

一番最後です。彼女は最初の日から調子が悪かった人だと思います。だれも皆遠慮しました。ツァーはそういうものです。わがままは言えません。大騒ぎなど誰がするものですか。そんな質問を受けるとは思いませんでした。

⑫最初の行動不能者が発生したあと、パーティ待機の指示は誰が出しましたか。理由は説明されましたか。
(単に体調不良であるとか、頭がだるいとか、具体的に風邪ですとか、低体温症ですとか。)

だからそれは32歳ガイドがしました。添乗員の仕事とおもいますが、吉川さんはすでに低体温症にかかってていたのではとおもいます。32歳ガイドがふれ回ったと思います。理由の説明は一切ありません。みなを動揺させたくなかったとあとで語ったそうです。テレビだとおもいますが。

⑬低体温症との判断はどの時点で誰によりなされましたか。

誰も低体温症と知らなかったと思います。救急隊によって、マスコミの発表によって救助の時にというのが自分の回答です。

⑭低体温症であると判断されたあと具体的な処置はどのようなものだったと観察(推測)されましたか。

低体温症と判断したのではないと思いますが、最初の故障者が列の中ほどにいた38歳ガイドのところへ連れてこられ、彼が看護をすることになりました。これは出発40分前としておきます。サブガイドの仕事として看護があるといいますからそれに従ったのでしょう。彼は背中をさすり、大声で「元気を出せ」と叫んでいました。吉川さんがやってきてテルモスの湯を与えていました。ただそれだけです。もうしませんでした。

⑮報道によれば、戸田さんは遭難と認めて救援要請をしてほしい旨をガイドに伝えた とのことですが、どのガイドに伝えましたか。また、そのときの返答はどういったものでしたか。通信状況はどのようなものでしたか。

自分がどなったときの10分前に、吉川さんのところへ出向き「どうしますか」ときくと、「ようすをみる」とだけこたえました。妙な答えです。自分はもとの位置にもどり10分まちましたが何も動きはありません。その時自分はこのままではみんな死を待つことになると突然思いました。それで遭難と認めてどうしたらよいか指示を出せといったのです。それは隊のみんなに訴えたのです、ガイドのだれに言ったのではありません。だから返答もありません。
自分は携帯をもたなっかたので通信状況は分かりません。持っていたら一方的に110番したと思います。かれらに110ばんを迫らなっかたのはまだ信頼していたからです。ここではできないのだと。4時半に32歳ガイドは会社にメールをいれていたといいます。自分は前トム平へ降りてきてしたのかとおもっていたら、頂上でできると教えてもらいました。そうすると38歳ガイドに依頼する必要はない、つまり依頼の要請はなかったのではと思います。また風雨がつよく通信はできないというひともいますが、出発のころはあまり風雨は感じなかったと思います。ピークは過ぎていたと思われます。なお時間の問題があります、出発が12じでは、コマドリ沢分岐で110番したのが4時と確定しているから4時間もかかったことになり(地図では2時間5分)おかしい。出発は1時半ごろではないか、あの時自分は空腹を覚え時計を見て1時20何分だったと記憶しています。それと待機時間は少なめに見て2時間とおぼえておこおうとしましたが人に説明するたびに少なめになっていったようです。これらはみな仮説ですからきちんと検証をする必要があリます。だから1時過ぎの電波状況が問題となり風雨は問題ないとなるとおもう。32歳ガイドがメールを4時30分にいれているがいやいやながら入れたかんじで探そうとしていなかったと思います。認めたくなかったのではとおもいます。

⑯南沼→前トム平の天候について。どちら方面からの風が強かったですか。また天候に変化はありましたか。

下りでは風のことは忘れました。既におさまりつつあったと思います。

⑰コマドリ沢より急な新道を登り、カムイ天上より泥んこの道を下ったと思いますが、そのときの天候、時間、登山道の状況について概況をご教示ください。

この辺のことが自分にはよくわかりません。①新道へ上るところでビバークを考え場所を探していて長田さんをみつけビバークすると伝えてくれといったら一緒に帰ろうというので歩きだしたが自分はビバークの場所を探していてつながりをぎゃくにかんがえてしまいもとにもどりました。それで1時間のロスとなりました。②それから真っ暗な道を一人、どうも谷道を歩いたようでよくわからない。とにかく黒い筋を歩くようにしていました。障害物は分からないので転ぶだけです。カッパが穴があいたし泥だらけです。道の状況などまったくわかりません。それで向こうから2人がきてそれが斐品さんと長田さんで、自分はもと来た方に戻ろうとしていたところを助かったということです。よくわからない。10時ごろか?天候は風もなく暖かくなっていたと思います。

⑱報道では、松本ガイドは救助を呼ぶために、先を急いでいたとされています。携帯電話のつながるところに空身でとりあえずおりて登り返すといったことはされていましたか。(軽装でいったん下降し、110番連絡した後に、皆がいるところに戻ってきたとか、そういったことがありましたか?という意味です。)

まったくの誤報です。彼の行為が理解できないので作り上げた作り話です。かれのあたまは自分のサバイバルだけと考えれば説明がつきます。かれは北沼の小川で客のサポートに回っていて背を水につけたと聞きました。待機中は自分の前で顔をしかめジッとしていました。彼はサバイバルのため先を急いだのです。曲がり角で10人を確認するようにと言われ、20m下でおーいおーいと叫び、自分がおーいおーいと答えると一目算に下って行ったのです。救援依頼の使命が告げられたというのは自分はその横にいたが聞いていません 。コマドリ沢での110番も偶然によるものでかれが積極的にじぶんの携帯を出して連絡しようとした要素はどこにもない。だから上り返すというのは社長の願望がしゃべらせたフィクションです。かれはコマドリ沢分岐の上の草付きでねていて長田さんが見つけ目の前で電話しなさいといわれ5時に会社にメールを入れたのです。長田さんが自分にいったことです。そこへ自分が通りかかり義務があるという意味のことを言いました。彼は2人が去ってからハイマツ帯にもぐりこみ、翌朝の救援隊を避け最後の行方不明者となりそのご、道の近くに移動して登山客に見つけてもらったのです。救援隊にみつかるのはさけたっかたというわけです。じぶんのすいそくですよ。彼は命をつないだので非難は覚悟のうえとおもいます。

swanslabさんからのご質問は今のところ以上となります。
また追って、前回いただいたご回答に対するご質問も出てくると思います。

また、次の私の質問もよろしくお願いいたします。

A①ヒサゴ沼避難小屋を出るときに、屋外は、低体温症が起こるかもしれない気象状況であるといった認識が、ガイドにあったと思いますか?
また、ツアーの全体を振り返って、ガイドは、ツアー客に対して「低体温症」という言葉を使ったことがありますか?使ったことがある場合、初めて使ったのは何時でしょうか?(例 ツアースタート時、15日初めて倒れた女性が出たとき、16日に倒れた女性が出たとき、さらにそれ以降・・)

32歳ガイドにそんな認識はなかったのでしよう。全員を連れて帰れると思っていたでしょう。かれはその言葉は知らなかったと思います。さいごまで低体温症が原因と知らなかったと思います。

A②戸田様が16日にご着用になっていた雨具のメーカーと商品名を教えてください。また、ほかの御仲間が着ていた雨具はどのようなものでしたか?

モンベルのゴアテックスでひとつ前のタイプと思います。北海道警察が死んだ人の雨具は全部ウィンドブレーカー等防水の弱いもので、生還者は本格的な防水透湿のものだったと発表した。歪曲です。竹内さんはゴアテックスをきていました。

A③また16日の戸田様のウェアは、どのようなものでしたか?

例 
上半身 速乾性の半袖Tシャツ+化繊の長袖シャツ+セーター(ないしフリース)+レインコート
下半身 下着+ズボン+雨具のズボン
このほか、帽子と手袋は着用なさっていましたか?

上半身  モンべルジオライン3d長袖、モンベル薄フリース、雨具
下半身  ブリーフ(廉価品)、ワコールタイツスタビライクス、ズボン、雨具
帽子なしでカッパのフード、手袋なし 反省しています

A④16日の朝は、ガスバーナーなどを使って温かい飲み物(コーヒー、紅茶)などは飲みましたか?16日に戸田様の魔法瓶(テルモス)に入っていたのは、温かい飲み物でしょうか?それとも、冷たい飲み物だったでしょうか?

バーナーで紅茶を作りました。湯はガイドがわかしてくれることになっていた。ただ朝食は夜のうちに作っておくようにというのだ。汁や紅茶などは湯をくれるというのだ。自分は北海道でボンベを買いこんろをつかった。

A⑤(大変失礼ながら・・)もし仮に、戸田様が、もう一度同じ暴風雨を体験するとしたら、今度はどのような装備、ウェアを持参なさいますか?何があったら、もっと楽に切り抜けられたとお考えになりますか?

A⑥ツアーの中には倒れた方とそうでない方がいらっしゃいます。生死を分けたのは端的に言って何であったかと考えますか?(体力、装備、寒さ慣れ?)

今はきちんとカロリーを取っていたかが気になっています。低体温症になると3倍のかろりーがいるそうですから。
防寒はもちろんですが、案外そんなところかもしれません。

A⑦美瑛岳で一パーティの一人と、南沼のテント場付近で単独の男性が一人、時を同じくして、低体温症で倒れてしまいましたが、これは、偶然の一致でしょうか?装備または体力とか、なにか共通する弱点があったのでしょうか?

オフィスコンパスはアミューズのもと社員が自分たちで作った会社で同根の要素を持つといいます。単独行の人もふくめ大雪の夏は北アルプスの秋山だとシラナッカったんだとおもう。低体温症のことも知らなかったと思う。北海道のツァーをやるにははやい。

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もっとお聞きしたいことがあるのですが、このメールではここまでとさせていただきます。
また後日、よろしくお願い申し上げます。

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戸田様よりメッセージをいただきましたので原文のまま掲示させていただきます。

自分の言ってることはあくまで推理です。しかし当時のことを知ってる人は限られていて、責任の重さを感じています。ほかの人と話せるとはっきりするんですが。トムラウシ分岐で停滞したのが10:30~12:00とされているのも自分が言い出したことが独り歩きしたようです。1時間30分の長さは「少なくとも」という意味で言ったのですが、10時30分は出発時からのおおよそをのべたのです。それが確定した事実のように扱われてしまって誰が言い出したかわからなくなりそうで、マスコミの怖いところです。

遭難発生時の時間と場所についてお聞きいたします。

19. 最初の故障者が発生した北沼に到着したのは11:30~との認識でよろしいでしょうか。

トムラウシ分岐に着いたときです。ここで停滞しました。その始まりが11時30分と自分は今は考えています。北沼に到着したときは小川を渡ったときで、11時ごろかとおもいます。

19-2 そこで吉川さんが故障者に付き添いますが、その後一行が歩き出すのは何分後でしたでしょうか。

この故障者はすでにロックガーデンより前から吉川ガイドが付いていたようです。小川を渡るときも彼女だけ渡れず、32歳ガイドが別のところを探してきて手を伸ばしていました。この時38歳ガイドが水に入ったのだと思います。そして彼女をトムラウシ分岐まで連れてくる経緯が野首さんが語っているところでしょう。彼女をやっとトムラウシ分岐までつれてきて、十分に休ませるというのが停滞の原因だとおもいます。自分たちは何も知らされず彼女が来るまでと、彼女を休ませる時間を合わせて2時間待たされたのだと思います。1じ半に出発となりました。彼女を吉川ガイドのところに運ぶ予定で。

19-3 一行が前進を開始後、次の故障者が現れるのは場所はどこで何分後になりますか。

1時半に出発しようとしたら立てない人が一人出ました。低体温症が停滞中に発症したと思います。市川さんです。真鍋さんは彼女と一緒にツァーに参加したのですが、彼女が出発の時来なかったので心配していたと言っていました。
だから出発の時。出発のところで。彼女は32歳ガイドが機会をみつけて回収していったのでしょう。

19-4 32歳ガイドがテントを張って故障者を運び入れた地点と時間を覚えていましたら教えてください。
それは北沼から南沼方面にトラバースする道との分岐付近でしょうか。

じぶんたちはしゅっぱつしていたからわかりません。すぐではなく時間をかけて一人づつ運んだのでしょう。

19-5 32歳ガイドがケアに集中し始めた時点の一行の編成(各故障者とテントとの距離、故障していないパーティの位置)をご教示ください。

亀田   前田   真鍋  市川  岡  味田 竹内 長田   戸田  植垣 松本 第一故障者 植垣  斐品   野首  木村 女救出者 吉川
男生還 女生還 女生還  女亡 女亡 女亡 女亡 女生還 男生還 女亡 男生還 女亡     女亡 男生還 男生還  男亡 女生還  男亡
テントは32歳ガイドがあとで建てたのです。待機中はありません。

19-6 32歳ガイドが38歳ガイドに指示を出した時間と場所は第二の故障者収納テントと理解してよろしいでしょうか。

指示をだした時は出発から10分として1時40分。場所はトムラウシ分岐から70m下。テントはまだどこにもありません。吉川ガイドのところに2人を集めてどこにたてるかかんがえるということです。

19-7 1.5時間~2時間の滞在中に風や雨に変化はみられましたか。

始めより弱くなったと思います。雨はばらばらと降る感じです。風はむしろ乾くので心地よいにですが、のちに体が冷えると肌についた下着のあせでたえられなくなってくる。

19-8 滞在時間が長引いた原因は、32歳ガイドが故障者の搬送に追われていたからと理解してよろしいでしょうか。

動転していてなにをすべきか考えていないのだ。方針なるものがなく、全員を連れていくとの考えにしがみついたのだと思います。危機対応能力の問題です。できたことは後で考えることにして、現実に対し最善を尽くすのが普通の考えだと思いますが、かれはその点でじゅうだいな欠点をかかえていたということでしょう。搬送に追われたのは現象であり原因ではありません。さらに言えば、かれは頂上付近で電波が通ることを知っていたのです。4時30分に会社にメールをいれているのが証拠です。風雨が強かったからという説もありますが風雨はおさまってきています。かれは携帯を出して連絡しようともしていない。なお38歳ガイドに救援を依頼したというのもよくわからない。頂上でできるのになぜ下に行くのか。だれもそんな話は聞いていません。あれは38歳ガイドの行為が理解できずマスコミが作った仮説でしかない。かれは偶然によって110番に関与したが、自分の携帯で詳しく連絡を取ろうともしていない。さらに前トム平あたりでためそうともしていない。これが自分の仮説です。

20. 32歳ガイドが『トムラウシ分岐』で10名を確認してほしいと38歳ガイドに伝えたとのことですが
それは南沼キャンプ場の分岐のことですか。

トムラウシ分岐のことならそうですが、そこから70m下というところです。

とりあえず以上です。
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毎度お手数をおかけいたします。

よろしく御願いいたします。

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戸田様

おはようございます。

戸田様の文がとても興味深いと、昨夜私の山仲間が電話をしてきました。
そのひといわく、ツアーにおいては延期が出来るわけがなく、ルートを変えることも先ず出来ないそうです。
理屈では、停滞するべきだとか、ルートを変えるべきだったといえるのですが、現実は、出来る相談ではなく、空論だそうです。

思うことをご自由にお書きいただいて構いません。
ご遠慮なさることはありません。

今回の事故はアミューズの体制に問題があると思います。最大の問題はあの2人がガイドになったことです。北海道が初めてで、下見もしないガイドなんて単なる荷物運びですよ。だれがこういう人選をしたのか、各営業所の責任者がいると思います。また全体を統括する本社の責任者がいるわけです。

札幌営業所はアミューズにとって先兵というか、現地事務所でしょう。ドル箱路線ですよ、アミューズの山旅の「花」ですよね。その責任者が32歳ガイドだと思います。札幌営業所、さらにはアミューズのエースだったと思います。大学をでて10年、6年ほどフリーのガイドをしていて(そのような話を聞きましたが違っているかもしれません。)今は札幌営業所の職員です。生活の安定は格段の差がありますよね。そして営業所職員としての考えがしみついて、今回はそれを優先させたのでしょう。宿や飛行機とか客の苦情とかの苦労がわかると、安全優先で通すことができないということでしょうか。

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今回は、私が考えるご質問の続きです。swanslab様とは質問の傾向が多少異なりますが、よろしく御願い申し上げます。

なお、文中
頭にAがつく番号は前回(二回目)の私の質問からの続き(通し番号)です。
頭にAがつかない番号は、swanslab様のご質問番号です。

A⑧ 質問⑧のご回答にある風雨ですが、稜線で体験した暴風雨に近い状況を、過去本州のどこかの山行で体験されたご経験がありますでしょうか?このご質問の意図は、「このくらいの雨風は過去に経験したことがあり、なんとかやり過ごせる。」と戸田様に心理的余裕があったのかどうかにあります。

ありません。町で台風にあった時がそれです、ザックを担いで台風に出会えば同じだと思います。台風の時は山に登りません。

A⑨ これは確認ですが、質問⑧のご回答にフリースを着るとありますが、小屋を出るときは、質問A③のご回答にあります、モンべルジオライン3d長袖、と雨具だけだったのですね。

そうです。前日はそれで一日過ごしましたから。

A⑩ 質問⑩のご回答にある、カッパのボケットに入れていた非常食ですが、具体的にはどのようなものをどのくらい携帯しておられ、また補給されていたのでしょうか?

アミノバイタル3袋、これは天沼から日本庭園の間に立て続けに食べました。カロリーメイト2箱、全部たべました。

 
A⑪ 質問⑰のご回答に関して、ライトはお使いでしたか?それはヘッドライトですか、ハンドライトでしょうか?他のツアーメンバー斐品さんと長田さんは、ライトはお持ちでしたか?

3人ともヘッドランプです。長田さんは電池が弱くなったとかで誰かのあとに着きたがった。じぶんは彼女を道迷いに引き込んだので信用を失っていました。それで斐品さんの後についたようです。かれは前にこのコースを歩いたことがあると言っていました。

A⑫ 質問⑱のご回答に関連して、松本仁ガイドにお会いし、報告義務がある旨おっしゃられたときに、松本ガイドの体調はどうでしたか?低体温症発症の気配はございましたでしょうか?

彼は黙って聞いていたので分かりません。ただ一時間そこで休んでいたので回復していたようです。ということは低体温症でなく疲れか、または低体温症の軽度のものかそんなところだと思います。かれは本能的にここならなにもなしでもビバークできるとおもったと思います。痛々しいとか異常な感じはありません。風もほとんどありませんし。

A⑬ ガイドたちは、自分達が遭難状況にあるということを認めたくはなかったのでしょうか?
遭難騒ぎになるのを恐れていたのでしょうか?そのため、ことさらに110番通報に積極的ではなかったといえるふしは認められますか?

そうだと思います。大騒ぎになるのを嫌ったのでしょう。客に動揺を与えたくないと言っていますが。全員を下に連れていけると考えていたとしかおもえもせん。故障者がでなくても全員が降りるには夜遅くなると、コースを熟知していた彼なら分かると思うのですが。かれはそれでよいと考えたのでしょう。ビバークはありません。4にんようテントが1つですから。とにかく歩き続けるしかない。あるいは32歳ガイドはコマドリ沢でのビバークを考えていたのかもしれません。つまり故障者をここまで持ってくるとか。謎です。彼に聞いてみたいが言わないでしょう。かれはまじめすぎるのだと思います。社交的でもないとおもいます。花の知識は完ぺきです、色んなことを勉強したのだとおもいます。ただ机の上のべんきょうですね。本当はベテランガイドのもとで一定期間インターンとか研修をうけるとよいと思います。我流ではねえ。抜け落ちるところがありますから。

A⑭ ガイド3人の様子についてお伺いしますが、3人で幾度かあれこれ話し合っていたようなことはありましたか?ヒサゴ沼避難小屋でそういう状況を目撃したことはありますか?

普通はガイドはあまり相談はしないと思います。打ち合わせで済ますのだと。緊急時には相談するかというとどちらともいえない、今回はどうかというと32歳ガイドが客の不安の声に、天気が昼から回復するからといって説得したというところからは、他のガイドは32歳ガイドの判断にまかせたのだとおもいます。目撃はしていません。

A⑮ 戸田様がガイド3名について、それぞれに対する信頼を決定的に失ったのは何時頃でしょうか? あるいは最後まで、信頼できたガイドはいましたか?

38歳ガイドについては初めから期待をしていません。実は彼とは因縁がありまして、3週間前(6・20)に高妻山(戸隠の奥、百名山)に行った時彼が先頭のガイドだったが、かえりには途中から左の尾根に移るということになっていたところ、かれは分岐点で待っていず20m先で待つので、先行者のすがたを見失った客が直進してしまい「どこだどこだ」とさわいでるのです。それで動かないでといい、後詰めのガイドを待ったところ、すこしもどったところから降りるみちがあって合流できたのですが、後詰めのガイドに「分岐点では全員の数を確認してからおりてください」といわれていた。しかも帰りのバスのなかで彼がなにを言ったかというと「このコースは問題のコースで、先日もかえりが遅くなり終電に間に合わないといった騒ぎになり名古屋営業所で問題になったが、今回は一時間も早く着いた」と自慢げに話すのでこちらは絶句するだけでした。これはここではまだはなしてないとおもいます。

吉川ガイドはよくわかりません。ただ彼は添乗員の立場で参加していて(旅行業法で規制された国交大臣認可の資格だとか?)、その任務をつとめようとしていたようです。つねに最後をつめ客が隊列から抜け落ちるのをふせいでいたようです。ただし添乗員は客の様子に注意をはらい、そのうえでガイドと話し合うというのがすがただと思いますがかれが客のようすをきこうとしたことはありません。はやくに力を失って亡くなるというのは、最大の任務放棄だと思います。これは客の立場から言っています。彼の遺族からは別の意見があると思います。それを否定はしません。

32歳ガイドについてはよくやっていると思っていました。いまでも生還者のなかにはそういう意見があるでしょう。じぶんもずうとそうおもっていました。警察の調書の作成でもよくやっていたと言ったと思います。

ここで調書のことを述べておきます。事情を聞かれてよくじつ署名するのですが、まとめは事情をきいた警察官がするのです。そこには「一概にガイドたちを非難できない」という文言が最後にはいっているのです。じぶんはさらにだからと言って資質とか能力の点で問題がないわけではないと言ったつもりですがそれはなかった。自分はよくやったことはみとめるとして迂闊にもだきょうしてしまい署名をしてしまいました。宿に帰ってこれはまちがいだと気付き電話して取り消すと言ったのだが警察はとりあわないのだ。あとで道警から出張するか、地元警察に依頼することになるという。またいったん署名した調書は撤回できないという。そのあといちど道警にメールをいれたがそのうち連絡するというだけでいまだに連絡はない、このまま黙るのを待っているようですね。これが警察だとおもいました。そこで自分はどうしたらよいと思いますか、意見を聞かせてください。

32歳ガイドへの不信は事情をしらべて彼がすべて取り仕切っていたと気付いたからです。また4時30分のメールが頂上付近からだと、おしえていただいたからです。つまりかれは110番をできたのにしなっかたわけで人の命を考えないのだと気付いたからです。

A⑯ ヒサゴ沼避難小屋を出てから、コマドリ分岐に至るまで、ツアーメンバー以外の一般登山者と行き違ったり、追い越されたりしましたか。その際にその登山者と会話をなさいましたか?
もし差しさわりがなければ、どのような会話をなされたのか教えてください(例 今日は酷い天気ですねとか、どちらまで行くのですか?とか・・)。

自分は気付きませんでした。

A⑰ こちらでは、停滞するべきであるとか、ルートを変更するべきであったとか、いろんな議論があがっているのですが、 現場の雰囲気として、16日早朝、ヒサゴ沼避難小屋で、そういう議論はなされたのでしょうか?又もしなされたとして、実際に停滞または、ルート変更できたとお考えになりますか?


トイレに行っていて、帰ったら何もなかったから議論などなかったのでしょう。数人が中止をもうしでたというがこれもきいていません。自分はこんかいの山行についてなんの予備知識も身につけずに、2日まえに荷物一覧を書き出しバタバタとそろえたというていたらくでして、ツァーのよいところはそこにあると思っていました。じぶんでいくと一人ですからいつでも行けれる=いつもいけれないとなってしまいます。だからルート変更はしませんでした。停滞について、さきにすすむコースがどういう風なのかしらないので前日のように行けれると思っていました。ロックガーデンでこんなコースと分かっていれば自分なら止めるのにとおもいました。たぶん避難ルートを聞いてそちらに逃げたと思います。

A⑱ いわゆるトコロテン方式で、翌日は、同じアミューズツアーのグループがヒサゴ沼避難小屋に宿泊予定であった、であるから16日ツアーは出発せざるを得なかった、という意見があるのですが、これに関しては、どうお考えになりますか?

当然32歳ガイドのあたまにはそのことがあったでしょう。かれはこのばあいガイドの資格でありながら営業職員の考えで決めたのでしょう。営業職員としては次の客の不便も考えるでしょう。客は営業職員のかんがえの犠牲になったともいえます。客にとってはガイドの考えで動いていると思っていたから、これは裏切りに等しいと思います。彼は同じ義務と思っていただろうけれど。

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とりあえずは、以上で御願いいたします。
またよろしく御願い申し上げます。



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※今回、質問の一部にインタビュアーの感想が混じっているところがあり、その質問は、誘導尋問として批判を受ける恐れがあるとの戸田様からのご指摘を受けたため削除しました。以後、質問は簡潔に、私見を交えることなく行わせていただきます。
※事実にどういう主観的な意味を与えるかは、ご覧の皆様の役目であり、戸田様の役割は、事実をありのままに陳述することにあります。もちろん、感想や、推測も許されるでしょう。ただ、ご覧の皆様は、感想や推測なさっている部分については鵜呑みにせずに慎重に受け止めてくださるよう御願い申し上げます。
※質問の公開に際して、戸田様がお書きになった本文には、一切修正を加えておりません。

戸田様

今回もよろしく御願い申し上げます。

自分はガイドが出発を決行した判断ミスを弁護はしませんが、それと同等のものとして危機に直面して彼らが何をしたかという点で重大な問題があったと思います。彼らは何もしなっかった。ただちに110番をすればたすっかたのに、いつまでも何かにしがみついて何もしなかった。この点で自分は怒っています。判断ミスは避けられない、もちろんその責任は負うべきですが、それでも危機に直面して適切な行動をとれば信頼は回復したでしょう、多くの登山者の深いところでの共感もえられたとおもう。

あと2つほど。ガイドの救援依頼がきちんとなされてないということについて。救援を出そうにも分からなくって出せないという。「救援隊に助けてもらいたいなら詳しく何度も電話しなければならない。」このことは登山者として知っておかねばならない知識として加えるべきである。16時の110番が23時45分の知事の自衛隊への出動ようせいまでがおくれたのはサブガイドがきちんと電話しないからである。亀田、前田の2人が降りて事情が分かるまで知事の要請が行われなかったのである。自衛隊の能力からはあるいはこの7時間余のロスがなかったならばと考えてしまう。彼が自分の電話を出して詳しく事情を説明したならば。かれは疲れていたとしても17時長田さんに見つけられ会社にメールを入れている。このときでもいいからなぜ詳しく110番しなかったのか。メールなるものがアリバイ作りにつかわれているのだ。

自分は視界が悪いからヘリコプターは出動できないと判断したがこれは間違いだと教えられた。出動できるかどうかは救援隊が判断するのであって、今日の救援能力は格段と進歩しているから素人判断はすべきでないとの書き込みを目にしている。ヘリの出動がありとなれば考えること、やることも違ったのに残念である。「ヘリの出動があるとしてそれを追求すべきである。」このことも登山者が知っておく知識としてくわえるべきである。

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A⑲ 正ガイドである多田ガイドが、10人を自ら率いて下山しなかったのは何故なのでしょうか?ルートを知らない松本ガイドに任せるよりも、松本ガイドに看護を任せ、ルートを知っている自分が10人を引率したほうが確実だと思うのですが・・。

38歳ガイドは「この中で一番元気なのはお前だ」と32歳ガイドにいました。彼がなぜそんなことを言ったかが問題です。自分の聞いていないやり取りがその前にあったようですが、それは何かがわからない。たぶん38歳ガイドにのこってほしいとたのんだのだとおもいます。38歳は断ったのだと思います。推測しかありません。

A⑳ 非常に基礎的なことなのですが、携帯メールが送信できるところは、通話も可能なのでしょうか?仮に通話は可能でないにしても、携帯メールによってトムラウシ山頂付近から110番通報できることを多田ガイドは知っていた。にもかかわらず、4時30分までしなかったということを戸田様は大いに非難したいわけなのですね。

携帯電話はおなじ電波で電話とメールをまかなうとおもいます。
32歳ガイドがなぜもっと早く110番をしなっかったか謎です。自分は独断で推測して叫んでいるのです。彼に聞きたいが無理でしょう。本当のことはしゃべらないでしょう。

A21 戸田様のお話しを総括しますと、多田ガイドはいわゆるただの雇われガイドではなく、アミューズトラベルのれっきとした社員だったのですね。であるならば、多田ガイドは札幌営業所の営業内容(ツアー企画、立案)にもある程度絡んでいたと理解してよろしいのでしょうか?

彼はフリーのガイドではありません。アミューズの正社員です。札幌営業所の営業内容に関与していたのは当然でしょう。ただしこのコースは過去に何度も行われていますし、32歳ガイドが率いたのでしょう。(はじめフリーとしてのち社員として。これはしらべれば分かることです。)かれは既定のコースとかんがえていたようですが、彼がしなければならないことをしなかった点で積極的関与と同じに評価できると思います。かれはだいせつざんについて、アミューズの中でいちばんわっかっていると目されていたと思います。

A24 推測で構いませんが、もし、16日が朝から大雨で、天気予報も終日雨だったら、多田ガイドはどうするつもりだったんでしょうね?それにもかかわらず下山を強行したのでしょうか?

ヒサゴ沼にとくに調子の悪い人を残すべきだったと思います。会社は出発にあたて調子の悪い人はなかったなどい言ってるが、うそです。
16日が大雨ならかれも、安全も、営業利益も両立させようとは思わなっかったと思います。停滞する踏ん切りができたでしょう。

A26-1 多田ガイドのケアを受けながら、6名がビバーク、結果としてうち4名が死亡しておりますが、原因は低体温症です。質問⑬にいただいた答えから、だれも低体温症だとは気がつかなかったそうですが、では、多田ガイドはじめ現場にいた人は、 症状を何が原因だと考えていたのでしょう?原因不明で困っていたのでしょうか?

分からなかったのではないでしょうか。茫然自失というか思考停止という言葉が適当でしょう。人間はこうしてバランスをとるのだとおもいます。自己防衛本能だとか。そうでないと発狂するとか。ひょとして彼は壊れているのかもしれません、このことも頭の隅に置いていく方がよいかもしれません。

A26-2 A①に関連して、多田ガイドは、2002年7月の事故と、その事故原因を知っていたと思われますか?

かれはなにも知らなかったとおもいます。かれが当時のことをしらべていたら、とうぜんパンフレットや装備品リストなどに反映されるでしょう。自分はこれらを読んでそんなことはまたく感じませんでした。北アルプスの秋山に相当するとは思ってもいませんでした。

A27 戸田様が、われわれはどうも遭難状況にあるのでは?と、認識し始めたのは何時ごろでしょうか?また、多田ガイドが、自らこれは遭難であると認めたのは午後4時30分前後と考えて宜しいでしょうか?

自分が叫ぼうとした時か、さけんでるとちゅか、突然このままでは危ない、かれらには故障者は手に負えないのだ、助けを呼ぶのが一番良いとおもいました。ただ空を見て視界が悪いのでヘリはだめだろうと考えました。徒歩になると時間がかかると思いました。しかし翌日になるとは思いませんでした。また携帯電波がとどかないと思っていたので歩くしかないと思いました。そのうち歩きだしてそのことは忘れました。
ガイドたちは遭難と言われてびっくりしたのかもしれません。このまま続けるのはできないとおもったようで、はじけるようにすぐ「あるけるひとはしゅぱつします」というので妙な気がしました。俺が言ったからなのか、俺が言ったからすぐ決めるなんて文句が出たのでと考えたのだろうか。こんなに簡単に決めるのなら長い間待たせる必要はあったのかとも思いました。

A28 多田ガイドが、その時間まで連絡をしなかったことに関しては、あくまでも自力下山が可能であると信じていたからであるとも考えられるのですが、はたからみて状況的に自力下山が可能と考えられましたか?状況的に自力下山がもはや無理であると戸田様が確定的に認識したのは、何時ごろでしょうか?

なぜその時110番をしなかったのか謎です。4時30分まで連絡をいれなかったのか。電波が届くとわかったいまはそれが最大の謎です。このとき110番していれば多くの人が救われたのに。
彼が考えたことは思考停止をしていたとしか考えれません。深く考えなかったのでしょう。だれかが叫べば反射的に反応するそういう状態だと思います。「あるけるひとはしゅぱつします」とすぐいいだしたのも条件反射の状態になっていたのかも。自分が110番せよともっと迫ったらそうしたでしょう。自分で判断できなかったのでは。進退きわまっていたのでは、今はそう思います。
あくまで自力下山を考えていたというのは根拠など考えない信仰のせかいですね、にんげんにはそういうところがあるとおもいます。
自分は動けない人のサポートに回ってこれでは到底下山できないだろうと思いました。下山がとにかく長く、全員に故障者がなくても無事下山できたとは思えなかった。ガイドは知っていたはずでなにをかんがえていたのだろうと。下山はできないということははじめからわかっていたのにと。距離の長さにあぜんとしました。

A29 非常にお手数ですが、入山時の背負うザックの重さと、入山されてから、自力下山なされるまでの食事内容を教えてください。14日から始まって、15日、16日の食事内容と食事量・・腹八分か、腹一杯か、それと行動中の空腹感の有無、特に15日の晩と、16日の朝は、十分に栄養摂取なされましたか?

12キロぐらいでしょう。14日の朝と昼は宿のおにぎりで2個づつありました。半個をのこし3時に食べた。5時にカレーのレトルトにサトーのご飯を食べたが半分残す。15日朝はラーメン、しかし前日にご飯を作っておけというので冷たいふやけたものを無理に食べた。昼はソセージパン、クルミパン、ちーずパン計3個をたべる。よるカレーにサトーのご飯、16日あさラーメンはあったかくして食べる。アミノバイタル3ふくろカロリーメイト2箱をカッパのポケットに入れておいたのがよかった。よるカレーパンをたべる。

A30-1 ビバークについて教えてください。ビバークされた場所は、標高はどのくらいでしたか?(高度測定機能がついた腕時計をお持ちですか?)

850m登山口近く。

A30-2 ビバークされた場所は、どのようなところを選んだのですか?

道端の草の上。

A30-3 ビバーク中に心がけたことは、どんなことですか?

クマが心配で荷物を10m先に置く。

A30-4 睡眠はとりましたか?

すぐ寝つき2時間ぐっすりとねる。

A30-5 何時間ぐらいビバークされていましたか。

2時間目が覚めて、星と思ったらうすあかりの空にたくさんの木の葉を刷りこんだ小紋のような空が、いまも目に浮かぶ。落葉樹の空は意外に高い。

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今回も長い質問になってしまいましたがよろしく御願い申し上げます。

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以下に掲示するのは、戸田様から8月7日早朝に送られてきたメールの一部です。追記情報が記載されています。
原文のまま転載いたします。

追記

テントについて。川角、市川、植草のほか野首、石原も不調を訴えて残ったといいます。吉川も入れて6人では4人用テントは狭いので、多田が南沼キャンプ場まで探しに行き、5人用の空きテントを見つけてきたといいます。これが写真に写ってるものです。4人用テントは使わなかったそうです。

そのとき多田は電波が届くか調べて、これが4時半のメールになったといいます。多田はこの時初めて電波を探す気になったようなことをいっています。

ヘリについて。このメールでヘリコプターが飛んだが頂上付近は雲が厚くて引き返したといいます。

吉川氏。彼も小川で客を渡すさい水没したといいます。それで自分が見たことと合致します。それで亡くなったんでしょう。

待機の場所について。自分以外は北沼分岐のあたりだといいます。そうすると「分岐で10人を確認するように」と、多田が松本に言ったのはトムラウシ分岐になります。右へ降りていくのも合致する。時間をかんがえなおさないと。


Written by silvaplauna

Juli 31, 2009 um 4:40

26 Antworten

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  1. silvaplauna様
    質問のとりまとめとご連絡、ならびに議論の場のご提供、ありがとうございます。
    戸田様
    お客さんの自己責任論に違和感を覚えていらっしゃるお気持ち、私も同感です。
    ツアーでは通常、すべてリーダーが判断します。もしかりに、下山口のバスで集合、あとは偶然一緒に歩いてたまたま一緒に泊まったお客にだけご飯を提供したというような計画だったとしたら自己責任かもしれませんが、そんな計画あるはずありません(いや、ごくたまに日帰りツアーで似たセンスのツアーをみかけることがあるのでオドロキですが)。

    以下、ご回答に対するコメントを述べさせていただきます。

    ①ガイドの印象
    多田ガイドがリーダー格のようだった、とのことですね。少なくともルート評価と天気に関しては、彼に決定権があったのではないか、ということですね。
    この問いは、17日、18日時点の新聞報道で松下社長が吉川ガイドがこの山域の経験者だという誤情報を流したあと、報道に訂正もされなかったため、再確認させていただくためにさせていただきました。

    ②前日の天候と体力の消耗
    かなり具体的にご回答いただき、状況がとてもよくわかりました。
    事故パーティは小屋の一階でしたか。一階の場合、女性客は着替えをもっていても人目があり躊躇する可能性がありますね。また到着時のレインウエアについた雨のしずくが床におち、床もびしょ濡れであった可能性があります。

    ③最終判断地
    ご証言からあくまで小屋を最終判断場所と考えていたと推測されます。

    ④防寒具の指示
    どの報道をみても、悪天候のなか行動するにあたって防寒対策の指示がなされていた、との証言が見当たらなかったためご質問させていただきました。
    戸田さんが知る限り、指示はなかったということですね。

    ⑤ガイドの行動中の位置取り
    先頭:多田ガイド 中間:松本ガイド 最後尾:吉川ガイド

    そうすると行動中のパーティの状況は松本ガイドと吉川ガイドが多田ガイドに伝達する仕組みになっていたと思います。

    ⑥雪渓の対処
    第四のガイドがネパール人というのは、これまで報道されていませんでしたね。
    テンバさんでしょうか。テンバさんは雪渓でサポートしたあと小屋に戻ったということですね。質問の趣旨は、着脱に時間がかかり、体力を消耗することもしばしばあるので、体力の消耗に寄与したかどうかの印象をお聞きしたかったのです。ご存知のとおり、悪天候の行動では、歩行中のみならず、休息中(じっとしているとき)でも体力を奪っていくものです。ですから、極力、長く休まないという戦略で行動する必要があります。しかしながら、そのためには、アップダウンの多い脚力を要する行程で休まずに動ける行動能力が問われるわけです。この点は別途質問させていただきました。

    ⑦-1 コルでの天候
    風雨・気温ともに行動に余裕のある天候ということですね。
    ⑦-2 お客さんからの不調の訴えの有無
    これは貴重なご証言です。つまり、最初の故障者(吉川さんと最初にビバークしお亡くなりになった女性)は、行動初日から体調不良のサインを出していたのですね。じつは、こういう場合の対応方法はガイドによってかなりばらつきがあることを私は知っています。私の経験でいうと、添乗員系のガイドに「あともう少しだからがんばりましょう」的な対応をする人が多い印象を持ちます。

    あくまで印象です。個人ガイドツアーの場合、逆にお客さんの体調には神経質なまでにぴりぴりしている傾向があります。子供に自己管理を説教する親のような役割と認識しているガイドも多いです。そういう説教くさいガイドはお客さんが不調を言い出す前に、装備や体調を確認しようとする傾向があります。

    添乗員系・個人ガイド系と書きましたが、これはこれでひとつの論点かと思います。しばしばガイドの立場が複雑であることが論じられておりますが、添乗員をかねたガイドは、サーバント(サービスの奉仕者)としてお客さんの満足度を上げる任務も負っており、なおかつ、事務所では顧客の営業もやっている場合が多いので、あなたはパーティについていける体調ではないので下山しましょうとはなかなかいいにくい。甘やかすインセンティブがどうしても強くなります。

    しかし、アウトソースされた現地ガイドは、世間で言われているほど、保身的ではありません。むしろ初めてお会いしたお客さんとのしがらみがないうえ、顧客へのホスピタリティなどさして気にする必要もないので、自分の任務のひとつを安全管理と強く確信している気がいたします。貧弱な装備や不十分な体力で参加するお客さんに対してきつく説教するガイドもいます。これも程度問題であり、一長一短ですが。

    今回の場合、体調不良のメンバーの管理がきちんとされていたかどうか、改めて問われそうです。

    ⑧天候条件が急変した場所
    >どこかで急に風雨がつよくなりました>
    >天沼からロックガーデンにかけてに木道があるとおもいますが、そこが一番風が強かった>

    それは天沼とロックガーデンの間にあるコルです。
    http://watchizu.gsi.go.jp/watchizu.html?meshcode=65422655
    地図でご確認いただけるとお分かりになると思います。
    ここは西側がクワウンナイ川の源流にあたり、けっこう大きな谷ですのでコル付近は風の通り道となっています。実はクワウンナイ川自体も上級者向け登山ルートのひとつとして知られており、私も何度か経験がありますが、クワウンナイ川縦走ルートでは、この木道付近で往復登頂するか、ヒサゴ沼に直行するかの判断をします。つまり、想定外の天候など緊急時に判断地を設けるとすればここです。

    ⑨悪天候時のパーティの状況

    風速20mというのをリアルに表現するのはとても大切と考えています。
    >風のつよいときは屈めとも言いました。それでほとんど進めなくなりました>といったご証言もあわせますと、少なくとも天沼より先のルートでは行動可能な天気とはとてもいいがたかったと推察されます。

    これをお聞きした趣旨は、しばしば山岳会等でよく議論されることですが、風速や視界何mといういかにも客観的な基準は、実は計測者の主観によってばらつきがあるため、もっと具体的な目印を共有して判断材料にしようということがいわれます。たとえば行動できる風の基準として、ザックが風で煽られる、フードやザックカバーが外れないか気になり気が散って行動に専念できない、などといった指標です。

    今後、ツアー会社にお願いしたいことがあるとすれば、具体的な天気基準の共有ですね。ウェブサイトでもハンドブックなり冊子でもいくらでも情報共有手段はあるわけで、この会社はこういう行動準則をもっていると公示することで、お客さんも予測が立てやすくなります。

    しかし、では、登山者が北海道の山をなめていたと結論付けていいかは大変疑問です。

    なぜなら、ツアー会社がどんなに情報提供したとしても、それはあくまで消費者がツアー選択する際の判断の一助にはなりえても、それが事故の際の言い訳になりえるわけではないのはいうまでもないからです。会社ないしガイドと消費者との間では、情報量と分析力・技術・判断力すべてにおいて対等ではないからです。つまり、会社は一部のお客さんがうっかり間違えて自分の能力を超えた過酷なツアーに申し込んでしまった場合でも、参加を認めるかどうかの判断を含めて、適切に安全に配慮する義務があります。あるいは、途中で体調を崩してしまい、自分自身で適切な自己管理をしたいのは山々だか、自分の不調のためにパーティ全体に迷惑がかかることを思うと、誰にも不調を言い出せないといった状況を想像してみればわかるように、組織登山において、登山者の自己責任を云々する批判はあまりにも不合理です。それは戸田さんもお感じのとおり、自己責任とはいいがたいのです。リーダーおよびツアー会社の責任というべきなのですね。

    swanslab

    Juli 31, 2009 um 10:37

  2. 引き続き戸田様のご回答へのコメントです

    ⑩休憩と食事
    天沼とロックガーデンの間のコルより先で、一度も休憩をとらず、かつ各自が食事をとっていたかどうか定かではないとのことですね。
    休む余裕もなく食事をとる力もなくなって体力消耗の悪循環に陥っていった、そんな状況が想像されます。

    ⑪最初に体調を崩していた客はレッドサインを出していたか
    質問のなかで(大騒ぎ)とありますが、これは小池様の補足説明によるもので、私のイメージとは少し違います。私の質問は『不調や疲労を表現できるタイプでしたか』です。
    私のリーダーとしての考え方を述べさせていただきますと、お客さんはできる限り体調に関して自己表現するべきです。ルートや天気に関してあれこれ意見をいうのも、勿論かまいませんが、これらの情報はガイドの参考にはなりません。ガイドが重視するのは、お客さん自身のレッドサインです。体調が悪いときに、きちんと悪いと報告できる、連絡できる、相談できる人は自己管理ができるお客さんです。逆に言えば、報連相ができない人は組織で行動するのに慣れていない人です。
    ですから、カナリアのように、いわれなくとも報告をしてくれるお客さんは体調を隠そうとするお客さんより組織の動き方の参考になるのです。しかしながら、現実は、ほとんどのお客さんが沈黙します。迷惑かけまいという気持ちが先行してしまうためでしょう。きわめて日本的な感受性ですが、この現実を前提にガイドやリーダーは自己管理のできないお客さんの動向を把握する必要があります。一例ですが、お客が小屋で安眠できるようにと、自己判断で錠剤を割らずに普段より多量の睡眠薬を飲んで間違えて着の身着のままお茶をこぼしてぐったりしていることもあります。こういう危機を早期発見するのもガイドやリーダーの役割となります。

    しかしながら、ご存知のように、多くの日本的な組織でそうであるように、部下には報連相をせよといっておきながら、いざ部下から進言を受けると、「それはお前が考えることではない」といってボスのプライドを傷つけることがあります。部下にとてはたいしたことのない事柄だと思っていても、上司にとっては内容ではなくその進言行為そのものが我慢がならないわけです。組織を長く経験すると、この微妙な空気、すなわち「報連相の作法」にはより敏感になるはずです。

    ただ、登山のリーダーは、その場の空気がどのようなものであれ、自分自身がもつ、ある種のプライドそのものを自覚してセルフコントロールするべきでしょう。その意味で、「客のわがまま」というテーマは、客側の解決されるべき問題ではなくガイドの側でコントロールすべき問題なのです。

    ⑫最初の行動不能者が発生したときの待機指示
    >吉川さんはすでに低体温症にかかってていたのではとおもいます。
    とご回答されておりますが、それは、最後尾に歩いていた吉川さんも動きが鈍くなっており、あまり言葉を発しなくなっていたとか、あるいは他人を対処できる状態ではなかったという意味でしょうか。
    ⑭のご回答で、列の最後にいた故障者が真ん中にいた38歳ガイドのところに連れてこられたというのは、吉川さんは自分で判断して対処方法を講じるといったことができなくなっていたのでしょうか。
    つまり報道では、最初の故障者に付き添ってその場に滞在した、となっていますが、現実は介抱している間に自分も動けなくなりつつあった、ということでしょうか。

    ⑭低体温症の対処の現実
    背中をさする、テルモス(吉川さん持参)の湯を飲ませる、声をかける。
    この3つ以外に何か思い出せませんか。
    ここは、今後の教訓のキモになるところだと思います。

    ⑮-1戸田さんが「救援要請をしろ」と訴えた時点の状況~指揮系統の不在

    通常、遭難の認識は具体的な対応策が尽きた時点でされるはずです。
    たとえ計画を外れた認識があったとしても、軌道修正の道があると認識しているのであれば遭難と判断しないはずです。
    しかし、16日11時30分の時点で、より風雨の強いと思われる天沼方面に引き返す現実味はなく、さりとて今後前トム平あたりまでは風上側の稜線をゆくことになります。私が考えても、最悪の場所で行動不能者が出ており、少なくとも故障者については、救援が必要な状況と認めるほかなかったと思います。戸田さんのおっしゃるように、これがもし低体温症であるとの認識をもっていれば、遭難と認めざるを得ないわけですが、ガイドからは反応がなかった。とすれば、ガイドの主観としては、低体温症の知識がなかったか、低体温症を認識していたが遭難と認めたくなかったかのどちらかしかないです。戸田さんの分析のとおりです。

    通常、指示というのは誰がいつどうする、というように、具体的になされなければなりません。吉川さんは「様子をみる」とだけ返答し、そのまま10分経過、それだけでも、もはや指揮系統が存在しなくなったと理解してもおかしくありません。

    ⑮-2 通信状況
    北沼・南沼付近でどの時点で通信が可能になったかについては、やはりもう少し情報を集める必要がありそうですね。

    ⑰コマドリ沢~新道のルートについて
    >自分はもと来た方に戻ろうとしていた
    それは典型的なリングワンデリング(彷徨)といえます。
    斐品さんと長田さんとはその後一緒に行動されたのでしょうか。
    記録によると、斐品さんと長田さんは0時55分に短縮道ではなく、東大雪荘へ直接向かう林間コースを下山したようにもみえます。
    一方、戸田さんは、短縮登山口の標識を左に曲がったのでしょうか。

    ⑱38歳ガイドの行動
    そもそも多田くんからの指示は10名まとめて下山とのことですので、救援要請のため下山したというのはおかしな話だと思っていたのですが、自分自身も背中をぬらし体力を消耗してゆく中で、お客さんのケアをするとなれば共倒れになりかねません。苦渋の決断としてお客さんを完全にぶっちぎって空身で走って携帯の通話エリアまで下山するという選択もありえたかと思います。まさにトリアージ的な究極の選択ですが。現実はそのどちらでもなかった。戸田さんの解釈は非常にリアルです。一人の客としてそのように映じたというのは、確かです。ただこの点は、本人ふくめた別の人の見方もお聞きしたいところです。

    ところで、下山路の動きをもう少しみていると、真鍋さんの行動がひとつ気になります。サンケイの報道では
    http://sankei.jp.msn.com/affairs/disaster/090723/dst0907231350013-n2.htm
    一方、戸田さんは11人がばらばらになった後、コマドリ沢分岐から山頂方向に約1キロの前トム平の手前で、歩けなくなった女性に手を貸していた長田良子さん(69)=仙台市=に「手伝って」と頼まれた。もう1人女性がいたが、突然倒れて起き上がらない。戸田さんらは2人を引っ張って雪渓を滑り降りたが、戸田さんは「自分のやれる範囲を超えている」と思い、歩き始めた。近くでは真鍋記余子さん(55)=浜松市=が別の女性を介抱していた。とあります。彼女は、最終的に前トム平で救出されていますが、記事の読みようによっては、コマドリ沢にいたる雪渓の下りで救助活動をしたあと、前トム平にもう一度引き返し、別の登山者の介抱をしていたようにもみえるからです。もしそうだとすればすごいことです。

    もし情報をお持ちの方がいらっしゃいましたら、教えていただけないでしょうか。

    いずれにしても
    戸田様 細かい質問にお答えいただきまして誠にありがとうございます。
    まだ事実として不明な点は多いのですが、おおよその今後の対策のあり方はみえてきたように思います。またおりにふれてご質問させていただきたく存じます。どうぞよろしくお願いいたします。

    swanslab

    August 1, 2009 um 7:49

  3. 綿密かつ正確な分析、驚嘆しながら拝見しております。ありがとうございます。

    一点、当職の検索不足とは存じますが、見つからないのが当該ツアーに於ける装備です。ガイドさん/ボッカさんは共同装備として何を運んでおられたのか、個人装備は雨具、シュラフ、水は?、食料は? 参加者の装備は各自何kg ぐらいだったのでしょうか?

    Bacchus auf Daikanberg

    August 2, 2009 um 1:08

  4. Bacchus auf Daikanberg 様
    swanslab様の分析は鋭いですね。おかげさまで位置関係などはほぼ手にとるように分かります。

    ご質問の件、早速次回戸田様にお尋ねしたいと思います。

    silvaplauna

    August 2, 2009 um 3:14

  5. 引き続き戸田様のご回答へコメントいたします。

    19.北沼到着時刻
    午前11時北沼(渡渉後)着。
    午前11時30分トムラウシ頂上と南沼方面との分岐点

    通常の天候ですと、アミューズPTが渡渉したという小川そのものが存在しません。北沼の湖水が溢れて小川となってワセダ沢方面へ越流しているところを登山道が横切っていたということだと思われます。その光景は、実はみてはいけない光景だったのではないかと思います。かつてコマドリ沢(カムイサンケナイ川)の増水により旧道が通行できないことがあった時代(2002年以前)には、エスケープルートを引き返してしまいますので北沼の越流など、まず見ることができない光景です。

    19-2.最初の故障者の発生から行動再開まで
    この故障者はすでにロックガーデンより前から吉川ガイドが付いていたようです。とのことですが、つまり、最初の故障者はロックガーデンから遅れ気味で、パーティから少し離れていたということですね。
    小川を渡るときも彼女だけ渡れず、32歳ガイドが別のところを探してきて手を伸ばしていました。との証言から、渡渉に際して、元の登山道をどこでもジャブジャブ渡れるわけではなく、場所を選ばなければ足をとられるほどの水流があったと推察されます。北沼はそもそも雪渓が解けてできた湖水で、冷たい水です。付近は永久凍土の研究がなされるツンドラ地帯のようなところです。また松本ガイドが背中をぬらしたのは不用意に歩いて足を取られてすっころんだせいと思われます。
    その後、この渡渉にすっかり消耗した最初の故障者は、南沼とトムラウシ頂上との分岐まで、岩についたペンキを頼りに両手両足フル稼働でよじ登って(トラバース)ようやく分岐にたどりついた。11時半になっていました。通常、小川付近から分岐まで10分です。大多数は分岐手前ですでに20分くらいは待ったかもわかりませんね。到着するや、行動が不能になった。さて、ここから頂上を目指すという判断はありえず、吉川さんが故障者の手当てに回ることになります。

    不可解なのは、ここからさらに一時間半ほど最初の故障者を休ませる間、他のメンバーを吹きさらしの北沼のほとりで放置していたことです。いったいなぜなのでしょう。これがいまだにわかりません。あとになって先を急いだ松本ガイドではありませんが、じっとしていればますます消耗するため、皆さん半ば本能的に歩きたいはずです。しかし、またされます。質問19-7によれば、このときの天候は、風時々雨。ときおりバラバラと雨が降る、風の強い天候だったようです。このときの天候を戸田さんは風はむしろ乾くので心地よいにですが、のちに体が冷えると肌についた下着のあせでたえられなくなってくる。と回想しています。

    19-3.
    さて、午後1時半。吉川さんと最初の故障者が居残ることが決まり、残り16名が南沼方面へ出発します。推測ですが、ここで野首さんがツエルトを吉川さんと故障者のために提供できることになったのでしょうか。
    ところが出発してまもなく、お客さんの一人がついてこないことに別のお客さんが気がつきます。このときのPTの編成はどうだったのでしょうか。もし多田ガイド先頭松本ガイド最後尾であれば、遅れたひとりは松本ガイドと一緒に遅れてしまったということになりそうです。しかし、戸田さんによれば、彼女は32歳ガイドが機会をみつけて回収していったのでしょう。と推測されています。つまり、第二の故障者は一行から取り残されているかっこうだった可能性があります。
    一行は第二の故障者が出発できないのに気がつかずに、さらに前進をつづけ70mほど歩いたところ(さきほどの分岐と南沼との間)で次々に故障者が現れたことになります。19-5.によれば、この時点すなわち再出発後10分後の午後1時40分に多田ガイドがテントを設営し、行動不能者を残留させ、手当てに専念する判断をしたものと思われます。
    しかし、だとすれば、このときの松本ガイドの位置取りが大変気になります。彼は出発せずに第二の故障者とともにその場で手当てを始めたのか、それとも第二の故障者に気がつかずに一行の最後尾を歩いていたのか。それとも、最後尾を歩いていなかったから気がつかなかったのか。多田ガイドがテントを設営している間、第二の故障者の状態は誰がみていたのでしょうか。

    この空白の1時間半の間に何があったのか。滞在時間が長引いた理由がいまだにわかりません。そして、再出発したとき、出発する力をすでに失っていた第二の犠牲者は発見されるまでの間、どのくらい時間が経過していたのか。そしてそれはなぜなのか。この二つの疑問が残ります。

    それはリーダースタッフが低体温症になって頭が正常に動かなくなってきていた、といえば簡単かもしれませんが。

    20.テントを張って自分を含めて6名の残留を決定した多田ガイドは、残りの10名をまとめてトムラウシ分岐で確認してくれ、と松本ガイドに伝達したと報道にあります。戸田さんは用語を勘違いしておられますが、多田ガイドのいうトムラウシ分岐とは、その先にある南沼キャンプ場付近のことです。

    もし多田ガイドが10名という言い方をしていたのだとすれば、このときには一行から70m離れた、吉川さん残留地付近にいる取り残された第二の故障者の認識があったことになります。吉川さんと第一の故障者(植原さん)が使用するツエルトの収容能力が足りないので、多田ガイドが機会を見つけて70m搬送したと戸田さんは推測しているようです。

    さて、ここから先(南沼~コマドリ沢出会いの間)のルートでのリーダーの判断については質問を控えさせていただきました。南沼付近(トムラウシ分岐)で松本ガイドが全員を確認することになっていたことは報道のとおりで間違いないでしょう。しかし、現実には木村さんがこの付近でお亡くなりになっております。

    松本ガイドが分岐付近で、おーいと叫んだその言葉を最後に木村さんは動けなくなり、一行から取り残されます。
    ここからの修羅場は、生きるか死ぬかの瀬戸際で、ぎりぎりまで助け合い、ともに生き抜こうと努力を重ねられ、そして生還を果たしたひとたちに「あなたは、よくぞがんばりました。十分がんばりました。自らの限界を越えずによくぞ生きて帰りました。」とだけお伝え申し上げたく存じます。

    swanslab

    August 2, 2009 um 8:33

  6. トムラウシ周辺の携帯電話の通信環境について、一言コメントさせてください。

    私も北海道を離れてだいぶたちますので、せいぜい5年ほど前の情報ですが、以下のような認識でした。

    条件:ドコモムーバ使用

    ヒサゴ沼~北沼→圏外
    トムラウシ山頂(ほんとの山頂部で)→天候によりアンテナが立つことが有
    南沼~前トム平→所によりまれにアンテナが立つこと有
    前トム平~カムイ天上手前まで→圏外
    カムイ天上の下り→アンテナ3本確実

    短縮登山口などの車両手配等の電話が可能になるのは、カムイ天上を下り始めたあたりであることが多かったのではないでしょうか。

    もちろん、5年もたっており、今ではフォーマの通話エリアも拡大しているはずです。

    しかし、五年前は、遭難場所周辺は圏外との認識でした。多田くんが北沼よりの斜面で、携帯の連絡を入れていること自体が驚きで、ずいぶん通信環境がよくなったのだなぁと驚いています。

    swanslab

    August 2, 2009 um 9:19

  7. さて、みなさま、いくらひいき目に見ても多田ガイドに有利となる事実や、情報が出てこないようです。

    特に、多田ガイドが、単なる雇われガイドではなく、アミューズトラベルの社員で、札幌営業所の営業内容にタッチできる立場であったということは、もしそれが真実であれば、まさに「始めからそれを言え!!」というほど重要な背景事情であると考えます。

    この事実は、捜査で証拠が得やすいので、おいおい判明することでしょうが、そうではありません!という事実ないし情報をお持ちの方は教えてください。

    swanslab様がご教示してくださる多田ガイドが学生時代に学ばれた登山理論は理論的には非の打ち所がないほど完璧な理論体系であると思うのですが、出てくる事実は、その素晴らしい理論を現場で生かしていないと思われるような事実ばかりです。

    営業至上主義のもとでは、優れた登山理論もいわば画に描いた餅となってしまっているようです。

    で、多田ガイドが、戸田様がお書きのように、その営業至上主義に一枚絡んでいるとなりますと、これは、自ら学んだ登山理論を放棄した。

    とさえいい得ましょう。

    結局、今回の事故は、経験豊富な山のプロが、実に微妙な判断ミスをやってしまった、といった素人には推測もできない専門的判断の過ちで起こったのではなく、もっと低レベルの、究めて基本的な、登山のイロハのようなことをあえて無視したことから起こったようです。

    silvaplauna

    August 3, 2009 um 12:18

  8. silvaplauna 様、

    ありがとうございます。戸田様もお疲れかと思いますので、何かのついでにでもご教示いただければ、と考えます。

    装備についての質問の趣旨は、装備の内容自体よりも、重さそのものであります。ツアー参加者の方々は最低でも 12kg〜15kg ぐらいあったのではないか、ガイドさん/ボッカさんはそれ以上と思います。

    標準的な中高年の方が 15kg を背負って 2日間縦走すると、かなり疲れる。ザックの重さはボディーブローのように効いてきますので、3日目の朝はすでに可成り危なかったのではないかと思ってしまうのです。

    もちろん後知恵ですが、3日目の朝に装備の再分配とか、(次のツアーさんもいたことですし) 不要なものは小屋にデポするような判断があれば、もしかしら悪天候でも違う展開になった可能性はあると思います。

    swanslab 様、

    いつもありがとうございます。携帯電話について、諸賢には先刻ご承知のこととは思いますが、念のため。

    MOVA と FOMA の感度の違いは、基地局の数もさることながら、特に山岳地帯では、使用する周波数帯に因るものが多いようです (MOVA 800MHz 回り込み強、FOMA 2.5GHz 直進性強)。

    槍沢を登ると谷筋では FOMA 全滅 MOVA 時々感度あり、常念乗越のアンテナが見通せるようになると双方とも3本、霧に巻かれると FOMA の方が安定していました。

    トムラウシ山域の地図を見ますと、まず縦走中にFOMAが安定して使えるとは思えません。やはり無線機を持って行かれた方が良かったように思います。

    Bacchus auf Daikanberg

    August 3, 2009 um 5:45

  9. Bacchus auf Daikanberg 様

    毎度コメントをいただきありがとうございます。

    今回は、ガイド達が、「自分達は現在、遭難状況にある!」といった認識をもつのも遅れたようです。

    なんとかなる、なんとかなる、なんとかなる で、110番通報を引き伸ばしていたのも、被害が拡大した原因でしょう。

    早期に、16日13時ごろの時点で、110番通報していたら、悪天をついて救助隊が来てくれたかも知れず、そうすれば一命を取りとめた人も少なからずだったと考えます。

    ひと言で言うと、現状認識の甘さなんでしょうけれど、遺族の方々はいたたまらない心持でしょう。

    silvaplauna

    August 3, 2009 um 6:19

  10. 戸田様

    わたくしからの質問は以上でございます。

    戸田様におかれましては、一日もはやく平穏な日常にお戻りになられることを深くお祈り申し上げます。

    数十項目に及ぶ質問項目に、詳細にお答えいただきまして誠にありがとうございました。

    Bacchus auf Daikanberg様
    10年前は皆さん当たり前のように無線機を携帯していたように思うのですが、最近はどうも携帯電話に依存する人が多くなっているようですね。無線機に限らず、事故ツアーの共同装備の不備はこれからもっと証拠がでて明らかになれば、リストアップして再検証するのがよいと思いますが、、silvaplaunaさん いかがでしょう?

    swanslab

    August 3, 2009 um 6:18

  11. swanslab 様

    いろいろお世話になりました。多田ガイドはじめ関係者の皆様には、これからが正念場となりましょう。

    裁判の結果がどう転ぶかは分かりませんが、個人的にこの事例からは十分学ばせていただきましたので、あとは傍観者にまわろうと思います。

    御答えいただかなくとも構いませんが、多田ガイドがアミューズ社の社員であるかどうか、彼自身がこの計画の企画立案に深く関与しているという情報に関しては、実際のところ、どうなのでしょう・・?

    お立場上言えないとは思いますが、「第三者」から見ると、swanslab様は、身内を守るためにそういった不利な事実は隠しているのでは?との不信感が募ります。

    やはり、腹を割った話しをなさらない方には、警戒する心が起こるものです。

    そう考えると、swanslab様が質問19で、第二番目の発症者の方をめぐった「動き」を非常に詳細に追うのもおかしいなと感じます。遺体発見状況が分からないのでなんとも言えませんが、多田ガイドは、この女性をきちんと認識しテントに収容したのでしょうか?(あるいは見過ごしてしまったとか?)

    いずれにしても、多田ガイドの刑事責任に絡んでくるからご注目なさっているのであろうと推察しております。
    まぁ、傍観者の私には、詳細すぎる論点です。

    silvaplauna

    August 3, 2009 um 6:41

  12. silvaplauna様

    私の関心は、どうして彼がこんな事故を起こしてしまったのかということ一点なのです。それは信じていただきたく思います。

    多田くんがいつアミューズの社員になったのか私は正確なところはわかりません。しかし、たしか4年ほど前だったと思いますが、添乗員の資格をとったとか、そういったうわさ話的な情報は持っておりました。彼の専属ガイドという立場についても、風のうわさ程度でしかありませんが、派遣社員ともよべない、会社からはこき使われたあげく切捨て自由の不安定な立場ではなかったかと想像します。想像ですので、コメント欄をお読みの皆様におかれては、あまり「釣られ」ないで、いただければと思います。また、通常、札幌発ではなく、本州からの集客ツアーの場合、添乗員は本州の支店であることが普通でしょうね。その意味で、吉川ガイドが添乗を務めたとの説明には納得がいきました。他のツアー会社でもどこでもそうでしょう。

    それから専属ガイドは、本州の支社の企画のツアーについて例年行われているツアーを’こなしている’というのが実情ではないでしょうか。ただ、行程表や装備表1,2枚で計画だというわけにはいきませんから、彼なりに登山計画のビジョンを立てて入山するはずです。また、もう少しあやふやな情報も私の耳には入っておりますが、公開すると一人歩きするのも危険ですので沈黙しております。

    silvaplaunaさん。
    こういった不確かな情報でよければ、彼のプライバシーに触れない範囲でおながしすることはもちろんやぶさかではございませんが、身内を守るためにそういった不利な事実は隠しているのではないかとのご質問は、少々とげが強すぎるのではないでしょうか。私は以前の申し上げましたとおり、多田くんには真実を話してほしいと願っております。できるならば、多田くんにはもっと違った判断をしてほしかった。質問19でしつこく状況を聞いたのは、空白の1時間半多田君は何をやっていたのかを知りたかったからです。

    このように書かせていただいても不信をぬぐえないでしょうか。
    メールでも書かせていただきましたが、本当はsilvaplaunaさんとも電話でもお話できれば話はスムーズだったと思います。しかし、当地では日本との時差がずいぶんあるうえ、通信事情も悪く、関係者とも事故以降ほとんど連絡がとれていません。それがとてもはがゆい毎日なのです。

    それから、戸田さんなりの営業職員像を拝見して私は少し違和感を覚えております。なぜなら、添乗員系のガイドとはいえ、必ずしもお客さんを無理して引っ張りあげようとする人ばかりではありませんし、撤退の判断もあっけないほどシンプルな人もいます。一概にはいえません。ツアコンの見方は百人百様です。また事故の物語も、みる人の数だけあります。戸田史観はひとつの見方にすぎません。私としては、もう少し他の方の物語も明らかになればもっと全体像がみえてくるのかな、という気がしております。

    いずれにしましても、ご気分を害されたことにつき、深くお詫びを申し上げます。いいかえると、私自身もあまりいいネタを提供できず、つまりはお払い箱ということなのかなぁ、と寂しくも思います(冗談です)。

    これまでの更新活動、ほんとうにお疲れ様でございました。私には到底できないことでした。
    深く感謝を申し上げます。

    swanslab

    August 3, 2009 um 7:32

  13. swanslabさま

    おはようございます。

    確かに先ほどのコメントに一部行き過ぎがありましたことは認めますが、それでも、この記事ではswanslabさまのご質問を中心にことを進めまして、それを補って余りあるほどに、十分お役に立てたことと自負いたしております。

    少なくとも、swanslabさまは「損」はしなかった筈です(笑

    さて、安全な登山のためには、考察⑫で書きましたように、1 低体温症が発生する恐れがある気候であることをわきまえること、それと、2 当日のタイムリミットは5時間~6時間であったこと。 これが私の見解です。

    戸田様の体験記から、ガイドは、低体温症自体の認識がなかったと推察されました。情況証拠からも、そう考えられます。

    その他の事由、多田ガイドが社員兼のガイドであったとか(背景事情)、松本ガイドに、110番通報を頼んだ否か(松本ガイドの刑事責任の量刑に関連)といった議論は、この事案を解明し、刑事責任を量定する上では重要ですが、他の事案にも応用できそうな安全登山のための知恵を求めるといったもともとの視点からすると、あまりに個別論点過ぎてあんまり重要性がない論点だと考えます。(ツアーガイド登山の実態を研究したい方には打ってつけの素材であるとは思いますが・・。)

    ですので、これ以上、個別事案を細かくやってもあまり意味がないように考えているのです。

    個別事案を追いたい方は、他のメディアも含めて情報を追えば宜しいと思います。追えば追うほど、それこそ一投手一投足まで検討課題となりましょう。戸田様のツアーガイド観とか、上記二点のようなことも、そういった細かい検討課題に入ると考えます。

    私の場合、そこまでやるつもりはないし、この事例からひととおりの安全登山を実行する実践的な知恵を得る上で、そこまで詳細に分析する必要はないと考えています。

    silvaplauna

    August 3, 2009 um 10:58

  14. swanslab様

    横から失礼いたします。戸田さんの証言は本当に価値のあるものだと思います。が、災難にあった当事者ですからご自分のことを客観視はできないと思います(当然です)。だからやり切れない思いをどこかにぶつけることもあると思うのです。別のコメント欄にも書きましたが「営業職員」だから無理矢理歩けない人を歩かせ、通報を遅らせて被害を大きくする、と言う理屈は客観的な「営業」の観点からは成り立たないと思うのです。
    勝手に想像できるのは、せいぜい初めに故障者が出た時から、頻繁に報連相を営業所にしていて、営業所が自体を甘く誤解し、警察への救援要請を止められていた、または「要請する」と言って何らかの理由でそれがなされなかった、というレベル位まで(これは私の考えたフィクションです)だと思います。
    私はそんなことしか思いつきませんが、読む方もまた百人百様なのではないでしょうか?(swanslab様のお気持ちに同意しているつもりです)。

    silvaplauna様

    たびたびすみません。今迄情報収集と事故の再発防止のために色々検証していただき、ありがとうございます。私が計り知れないような気苦労もあったことかと思います。
    ここでのご苦労(とばかり言うのは失礼ですが)が、皆様の今後の事故防止等につながりますよう、願っております。

    JULIA

    August 4, 2009 um 4:07

  15. JULIA 様

    おはようございます。
    もう情報収集のピークは超えていますので、管理もになりました。

    考察のほうも、①~⑫で終えていますが、あれで十分でした。

    ほんとうは、bushi様のような熟練の登山家がガイドについて、その挙句に遭難したのかなと、どれほど高レベルの判断が問題になるのかなと期待していたのですが。

    簡単な事案でしたね。
    簡単な分だけ、奥が深いと思いますが・・。

    お書きのように、戸田氏は、遭難情況から生還された方ですので、被害当事者であり、中立な第三者ではありません。
    ですので、ある程度主観を交えて話しをなさっても、それはそれでよいのだと考えます。

    swanslab氏も、一方当事者に肩入れの観は否めません。
    氏の話しを伺うと、多田ガイドに同情する心持になりますが、戸田氏の話しを伺うと、多田ガイドへの同情する気持ちはなくなります。

    私の立場は、

    中立

    swanslab氏 ご登場

    多田ガイド同情論に傾く

    戸田氏 ご登場

    多田ガイド批判論に傾く

    両者に、それぞれ思惑があることに気がついて、現在にいたる。

    といった感じで動いてきました。

    でもまぁ、安全な登山の見地から、何がまずかったのかは、既によくわかってきましたからそれで十分でしょう。

    swanslab氏と、戸田氏のどちらの言い分が正しいかは、裁判所に決めていただくことになりますね。

    管理人としては、

    被害者である戸田氏には、公平中立というのは最初から求めません。
    何を感じたか、どう思っているかがそのまま貴重な情報となります。
    憎たらしくって仕方がないといった強い感情でさえも重要な証拠となります。

    swanslab氏に関しては、ご投稿いただくお客様ですのでなるべく色眼鏡で見たくはないのですが、論調を読み解いてゆくと、やはり、多田ガイドよりであることは否めません。

    この人はどちらの立場なのかな?と、思いをめぐらせながら、注意深くそれぞれのコメントを読み解く必要があります。

    字面の表現だけ追っていっても、わからないし、あるいは文章を読むこと自体によって、その人のペースに乗せられてしまうことさえもあります。

    まぁ、そういったことの勉強も出来ましたからね(多少疲れましたが、人を見抜く目を養う勉強にはなったかなと思うのです。・・笑)。

    silvaplauna

    August 4, 2009 um 9:03

  16. silvaplauna様
    ご苦労様です。大変参考にさせていただいています。

    私は事故を起こしたガイドと同様の仕事をしています。ガイド判断を左右する可能性のあるいくつかの事が気になっています。ご存知なかたはおみえになりませんか?

    ①避難小屋泊を2泊もこなし、本来ビバーグに適したもの(余りの食料、寝袋、火力)を相当数持っているはずのパーティーがビバーグに失敗したのはなぜか?低体温で判断が鈍ってたとしても大いに疑問です。加温するために準備してほしいものはすべてあったはず。戸田様の話では北沼ではテントが飛ばされるほどの風ではなかったようです。

    ②①に関連しますがシェルパの役割はなんだったのか?シャルパはビバーグに有効な一部の装備を預かってしまっていなかったか?

    ③シェルパを含む4名のスタッフは特定小電源の無線機で短距離通信が可能になっていたのか?全員持っていて使いこなせれば大量遭難を招いた2時間の「停止時間」は違ったものになったと思います。

    ④なぜ多田ガイドは北沼周辺で孤軍奮闘したのか?三名の「ガイド」が同行しているのにとても奇異に映ります。最初の故障者をサポートした吉川ガイドはおいておいても、松本ガイドに南沼分岐まで故障者以外を誘導させて安全圏まで下山させるよう要請をするのにためらう理由があったのか?

    以上ご存知なかたがいたら教えてください。

    swanslab様
    私はあなたのお陰でこの事故の事実少なからず近づけたと感謝しています。下記の件をお尋ねするのはあなたが適当ではないかと思います。ご教示いただければ幸いです。

    ⑤白雲避難小屋からのエスケープ(多分銀泉台)はリスクがあるのか?シェルパは最初の故障者の介添えには使えないのか?

    noho

    August 5, 2009 um 6:58

  17. noho様

    その件に関して、お手数ですが、下記のわたくしのブログにお越しいただいてもよろしいでしょうか。
    拙いながら、私見をのべさせていただきます。
    http://d.hatena.ne.jp/swan_slab/

    swanslab

    August 5, 2009 um 7:22

  18. noho様

    はじめまして、コメントをいただきありがとうございます。
    一応、次回の第5回目のご質問で戸田様にもお伺いしてみます。

    私が知っている範囲でとりあえずお答えしますと・・

    ①戸田様のご回答にもあったように記憶するのですが、ビバークするにはテントが足りなかったようで、最終日は下山口まで歩き続けるしかなかったようです。最初からそういう計画だったようです。

    ②シェルパは、ステップ切りを行ったようです。一説によりますと、後続隊の場所取りの仕事もあったとか。

    ③ご意見の通りですが、無線機の類は装備になかったようです。

    ④松本ガイドは、10名を引き連れて下山することになりますが、トムラウシ分岐で、きちんと人数を確認せず、そこから先は、バラバラで下ったようです。この件に関しましては、第四回分のご回答をお待ちください、よろしく御願い申し上げます。

    後半のご質問ですが、swanslab様のブログでお尋ねなされてもよし、bushi様あたりがご存知でしたら恐れ入りますがご教示ください。

    silvaplauna

    August 5, 2009 um 7:30

  19. silvaplauna様

    早速の回答ありがとうございます。

    ①の件のご回答ですが私が気になるのは最初の故障者のビバーグです。その為だけのテントならあったはずです。この方は私の考えでは天沼の鞍部を超えた段階で北沼に近づけば近づくほど加速度的に生存の確立が少なくなったと考えています。しかしそれでも北沼でキチンとした加温(テントと火力と寝袋があれば充分ではないか?)を前程としたビバーグが出来れば可能性はゼロでなかったのではないか?この方のみを他の顧客から離して加温(低体温との認識が無くても休息)のためのビバーグという判断が少しでも早ければ大量遭難にはならなかったのではないかと言うのが私の仮説です。
    この辺りの趣旨で戸田様にお尋ねいただけるとありがたいです。

    ②ステップを切るためだけにヒサゴ沼まで行かないと思います。場所取りは・・・なんとも旅行会社的な発想で悲しくなります。その発想ではツアーは馬鹿にされて当然ですね。
    せっかく雇ったシェルパの背中に荷物が無いというのは不自然な気がします。万が一ここでビバーグに必要な装備を預けていたとしたら、それはそもそもビバーグは想定していなかった証明になると考えます。逆に言えば晴天ならシェルパに預けただろう荷物を緊急時に備えて持っていったならビバーグを予想していたことになると思われます。
    ③これは同様の仕事をしている私にはにわかに信じがたい事実です。ガイド同士は声の届かない範囲で離れて行動するのが常です。無線が無ければ非常に効率の悪いガイディングになります。50m後方の出来事が把握できず動けなくなることもあり、16名を引率してては場合によっては命取りになる可能性があります。
    ④多田ガイドに松本ガイドへの信頼が感じられなかったのでたずねました。本来ルートが初めてでも南沼分岐経由でのコマドリ沢はプロガイドが引率できないルートとは思えません。信頼できていて無線機があれば(数百メートル交信できれば充分)北沼での空白の2時間は作らずにすんだというのも私の仮説です。

    傍観に回ろうとされているところお手数かけてしまい申し訳ありません。私は戸田様とほぼ同郷の地でツアー登山の会社を経営しています。犠牲になられた方は私のところの顧客と縁者で4名を数えます。とても人事とは思えません。
    もし戸田様にお尋ねできるならお聞きいただければ幸いです。

    noho

    August 5, 2009 um 9:11

  20. noho様

    委細承知いたしました。

    ツアー会社もピンからキリまでのようです。今回の事故は極端な事例だとは思うのですが、これをきっかけにツアー会社一般への偏見が生まれてしまうのは私の望むところではありません。
    その意味でも、ツアー登山に参加なされる方々に今回の事故の(ある程度の)真相を理解していただくことが大切かなと思います。

    質問事項の確認です、
    ①最初に歩行が不能になった方への手当て(処置)が遅れたのではないか?もし迅速に処置がなされていたのならこの方の命を助けることが出来たのではなかったか?ということが気になっていらっしゃるのですね。了解いたしました。

    ②ビバーク予定の有無(ヒサゴ沼避難小屋をスタートするときにビバークを想定していたか?)についてシェルパの動向から考えてみようということですね。(コンパクトにまとめすぎて申し訳ございません。)

    ③特定小電源の無線機(トランシーバーのようなものですね?)の有無の確認。

    ④これは、四回目のご回答にあるのですが、多田ガイドは当初、歩行不能となった方の看護は松本ガイドに頼んで、自ら10人を引率下山しようと考えていたようです。詳細は明日。

    さて、亡くなった方、遺族の方の心中を思うといたたまれなくなります。一旦は傍観しようと思い至ったのですが、「死人に口なし」となるのが気がかりです。そうならぬように、微力ながら努めてまいります。

    山仲間が「百万弁の理屈が佐川急便で運ばれも死者や遺族はあぁそうだったのとは納得しいのは当たり前です。」と書いてよこしました。

    これからも理屈に溺れず、遺族の方の心中を思いうかべながら、かといって感情に走ることもなく、慎重に見据えてゆきたいと思っております。

    silvaplauna

    August 5, 2009 um 11:06

  21. silvaplauna様

    >①最初に歩行が不能になった方への手当て(処置)が遅れたのではないか?もし迅速に処置がなされていたのならこの方の命を助けることが出来たのではなかったか?ということが気になっていらっしゃるのですね。了解いたしました。

    そういうことです。この方の命のことももちろんですが、それ以上にこの方を「適切なタイミング」で本隊から切り離せていれば、北沼における1.5時間~2時間の待ち時間だけでなく、北沼の到着時刻さえも早まったのではないかと考えているのです。
    行動時間が早まり、かつ待ち時間もなくなっていたとしたら、この方以外の故障者が出た時間帯には既に本隊は安全地帯まで下山していたのだろうと想像しています。
    一番の「適切なタイミング」は結果論では白雲避難小屋からのエスケープがベストだったでしょうがこれはそのような判断を下すほどの容態だと確認できなかったかもしれません。
    しかし実際の行動中にもこの方が遅れ始めたところがあり私はそこが「適切なタイミング」だと考えます。3人ガイドがいてそこで完全にパーティーを分つ決断出来なかった理由が知りたいのと戸田様の実感としてこの方を切り離す決断が適切なタイミングで出来ていたとしてもなおこの大量遭難が起きたと感じるのかが知りたいのです。

    私はけしてこの最初の故障者を責めたいわけではありません。
    体調不良は誰にでもありえますから。
    ただ今回の事故は歩行ペースの合わない者同士が行動をともにした場合に起きうる最悪の事故だと思いますので、事前にメンバーの足並みをそろえるのはもちろんですが、現場ででもガイド判断で歩行ペースの著しく違うクライアントはスタッフと装備の配置が出来るなら別行動にする方が良いというガイディングメソッドを裏付け確立できないかなと考えています。

    noho

    August 5, 2009 um 11:57

  22. はじめまして。
    登山未経験ですが、今回の事故にショックを受けて真実を知りたく思い、こちらのサイトをずっと拝読していました。
    silvaplauna様の緻密な考察には頭が下がります。
    関係者それぞれの思惑が交錯し、もともとの趣旨から脱線していることを危惧されているのは理解しましたが、それでも事実の解明を願ってやみません。

    ↑のnoho様のコメントの④多田ガイドに松本ガイドへの信頼が感じられなかったとの記述を読んではっとしたのですが、戸田様の証言にもあったように松本ガイドには常日頃から客を置き去りにする習慣があり、多田ガイドもそれを知っていたとしたら、吉川ガイドが行動不能となった時点でその場に松本ガイドを残すのも不安でしょうし(介抱せず自分だけ下山するかもしれない)、動ける客と一緒に下山させるのも不安だったと推測されます。
    それが原因で決断を遅らせてしまったのであれば、苦しい立場であったのだろうと。

    また、下記のサイトで「7月16日13:00頃には少なくとも1人が亡くなっていた状態で、ガイドが遭難救助要請をしなかった」という記述を見つけました。
    北沼付近で救助7名のうち、少なくとも2名はテント設営後すぐに亡くなったようです。

    http://iori3.cocolog-nifty.com/tenkannichijo/2009/07/105web-viewga-9.html

    これが本当であれば、恐ろしいことだと思うのです。
    ビバーク直後に2名が亡くなり、いつの時点かは不明ですが吉川ガイドと最初の故障者も亡くなった。そんな状況で救助要請をせず、客2名をテントの中に放置していたのでしょうか。
    またはビバーク地では携帯電話の電波状況が悪かったので、電波の良い場所を探し回ったため通報が遅れたのか・・・(山頂では携帯電話が使えたようなので、意図的に救助要請を先送りにしたとは思いますが)

    16:30に「すみません7人下山できません 救助要請します トムラの北沼と南沼の間と北沼の2箇所です」とのメールを送り、またその30分後に「すみません8人です 4人くらいダメかもしれないです 吉川さんも危険です」と送っていることから推測するに、メールを送った時点では吉川ガイド達と多田ガイド達は離れた場所で遭難していた、そしてに現地周辺を歩き回ってトムラウシ分岐近くで倒れている木村さんを発見し、「(遭難者は)8人です」と2回目のメールを送信したのではないかと。
    これは、多田ガイドが(松本ガイドが遅れた客を置き去りしているのではと)心配して歩き回ったことを裏付けるものではないでしょうか。

    松本ガイドは、戸田様の証言にもあるように自分のサバイバルを最優先して駆け足で下山したのでしょうが、多田ガイドが何をどのように考えて行動したのかとても気になります。
    緊急時にパニックに陥って適切な判断ができなくなるほど未熟な人間に正ガイドを任せた(または必要な教育を施していなかった)会社の責任も重大ではないかと思うのです。

    明日また新しい証言を掲載されるとのこと。
    憶測だけで暴走してしまわないように注意しながら読ませていただきたいと思います。

    hawaii

    August 5, 2009 um 12:08

  23. たびたびすみませんが、私もずーっと松本ガイドさんのことが気になっていました。戸田さんの証言で今回の仕事を「夏休みの代わりとして会社があたえてくれた」と言ってたのを知ってからです。富良野あたりの観光ならともかく、山のガイドがそんな「夏休み」気分で務まるのかな?と疑問でした。それは彼の不可解?な具体的な行動を詳細に知る前からの疑問です。

    結局会社はその山を知っていて多分信用できるガイド1名に、コース未経験のガイド(結果的に命を落としてしまうので「お年」のガイドさん)、それと「夏休み」と誤魔化して(お金払うのだろうか?多分払うでしょう。でも「休み」というからには何か通常と違う条件があるはず)結果的に過酷な仕事を課してしまう、楽なお手伝い感覚の、また戸田さんによると無責任な前科?のある(他のガイドから注意を受ける様な)コース未経験のガイドでチームを組み、人の命を預かるような仕事をさせた訳ですが、一体どういう会社なのでしょうか?

    私は「待機中顔をしかめじっとしていた」というのと背を水につけ、みんなを置き去りにするように(戸田さんでなくてもこれは結果的に「事実」と思われるでしょう)下山した、この松本さんこそ、この会社の体質を一番良く理解して、またそれを体現した方なのでは?と思います。

    でも、そんなことで命を落とされた方は浮かばれませんが…

    (私は当事者でもなく、彼を責めたい、とかいう気持ちもないのですが、明日戸田さんの証言で、もっとビックリが出てから書いたのではただの部外者のバッシングになりそうなので、今、思った事を書きました)。

    JULIA

    August 5, 2009 um 4:04

  24. noho様

    了解いたしました。
    noho様がおっしゃいますことは、至極妥当な団体行動のイロハであります。それこそ、小学校の遠足レベルでも、怪我をした人は、引率の先生が何人か付き添って、本隊は予定通り行動するというのが、通常で、これは「当たり前」の部類に入ります。

    個人的に、本件のように、一人または二人が倒れて、団体全体が止まっていたという事例には、実際出くわしたことがあります。

    そのときは、心臓発作で二人の学生が、急な登りのところで倒れて、付き添いの先生が看護されていたのですが、50人~60人の学生団体全員が、尾根の登山ルートで数時間ストップしていました。

    倒れた方の症状があまりに重く、看護のために、付き添いガイドのほとんどが協力して働かなくてはならなくなったような場合には、他の学生の事は手におえず、先に進ませないで止めておいたようです。

    それから今回のケースを推し量ると、ガイドは僅か3名ですので、最初に倒れた方の看護にガイド全員の協力が必要だったのかもしれません。
    となると、全体を止めざるを得なかったというのも理解できます。

    もしこれが、ガイドが6名ほど付いていたら、3名は介護に残し、残り3名で本隊を先に進ませるという判断が出来たのかもしれません。

    いずれにしても、noho様ご指摘のその他の問題も含めて現場にいた戸田氏のご意見を伺ってみる価値がありますね。

    noho様は、お仕事でガイド関係のことをおやりでしたら詳しいと思いますが、個人的には、登山道で一人が歩行不能になった場合に、一人のガイドが現場に付き添うというのは、数が少ないと考えます。

    救命救急医療の理想を追いますと、一人の歩行不能者に対して、最低3名のガイドが必要かなと・・。一人は手当てを行い、もうひとりは手当ての助手を行う、更に一人は、荷物持ち、テント設営その他の雑用といった感じです。(あくまで理想論ですが・・)

    仮定のお話しになってしまい恐縮ですが、今回でも、もしガイドが、倍の6名もいれば、最初の歩行不能の方が出てからのその後の対応も違ってきたかもしれません。15名に対して、3名のガイドというのは、正にギリギリで、一人の歩行不能者が出ると、行動ストップ状態に陥りやすかったのかもしれません。

    引率人数に応じた、事が起こっても十分対応できるガイドの数というのも、今回の事例から導き出せると考えます。

    東京の高尾山や陣場山あたりの尾根(ハイキングルート)をガイドするなら、携帯も繋がるし、逃げ道もありますので、ツアー客15名で3名のガイドでも間に合おうと思いますが。今回の事件では、場所が場所だけに、天候を踏まえるとなおさら、安全なガイディングのためには3名のガイドでは少なかったのでしょう。

    silvaplauna

    August 6, 2009 um 12:00

  25. Hawaii 様

    コメントをお寄せいただきありがとうございます。なかなか鋭いご意見で考えさせられました。ご教示くださりありがとうございます。

    二点に関して簡単にまとめますと・・

    Ⅰ 空白の1時間30分~2時間につきましては、Hawaii様のご意見を含めますと以下のようになります。

    多田ガイドは、

    ①すでに思考不能状態(パニック状態)になっていた。

    ②手当てに追われて、ツアー一行の事など思い及ばなかった。

    ③ツアーを二つに分けて、先行下山組みを松本ガイドに委ねるべきか、自身が引率するべきか判断に迷っていたずらに時を過ごしてしまった。

    ④ツアー全体を分かつことなど思い及ばず、自分が引率することしか頭になかった。

    これはどれかひとつではなく、①②③④が絡み合っていたと考えるのが無理がないようです。

    お書きのように、ツアー会社の緊急時の対応マニュアルがどうなっていたのか、緊急時のガイディングについて、社員教育とかでシュミレーション訓練をしたことがあるのかが、鍵となりましょう。

    Ⅱ 多田ガイドの連絡が16時30分であった事に関しては二つの立場が考えられます。

    ①多田氏擁護論 
    hawaii様もご指摘のように、電波が受信できるところを探しまわったため、遅れてしまい、その時間になってしまった。遅れたのはやむないことである。とする立場

    ②多田氏批判論
    自力下山できると考えており、騒ぎが起きるのをためらって連絡しなかった。あるいは、連絡を思いつかなかった。更には、わざと連絡を遅らせた。等などの立場

    いずれにしても、多田氏が13時30分以降、現場で何をしていたのかは、多田氏ご本人から伺うしかありません。また、ビバーク組7名のうち生還された2名の方の目撃証言も極めて重要になります。

    多田ガイドには酷なようですが、もし多田氏が本気で、取り残された人がいないか、また、連絡できる場所がないかを探していたとしても、それは、ツアーガイド(チーフガイド)のなすべき当然の義務・期待される行動ですので、この点を捉えて多田氏を擁護するのはちょっと違うようです。

    そもそも、多田氏には、ツアーがそういった情況に陥らないようにするための義務があり、停滞ないし途中での引き返しによって、そういった状態を避けることが出来たわけですから、にもかかわらず先に歩を進めて、自ら招いてしまった状況であるともいえましょう。

    ちなみに、多田氏への非難は以下の4点に集中すると考えます。

    停滞せずに予定通り進んだ。

    ②行動が遅れたのに引き返さなかった

    ③最初の故障者が出たときに隊全体を先に進めればよかった(或いは引きかえす)のに、悪天候の中、2時間近くとどまらせた

    ④10名を一人のサブガイドに委ねて下山させたが、このサブガイドは、まとめて引率せずにバラバラな形で下山させ、結果として4名が死亡した。・・そういういい加減な引率をしたサブガイドに10名の引率を委ねる判断をおこなった責任もある。

    この4点だけでも、すでに十分にガイドとしての資質に疑問を感じさせます。

    上記の、110番通報が4時30分になったことに関して、もしそれが、必死で連絡しようとして頑張ったけれどその時間になってしまったんだとしても、4点の非難をいささかも減ずるものではありません。

    ちなみに④に関しては、多田ガイドが、110番通報を依頼したので、松本ガイドは先行して下山しました、という立場もあるようです。

    この立場は、一見もっともらしいですが、深く考えると、110番通報をするためなら、現実に目の前にいるツアー客を置き去りにしても構わないのか?といった難しい問題を抱えています。

    仮に④を措いても、まだ①②③の3点があり、この三つの点だけでも十分に、多田ガイドへの非難は成り立ちます。

    silvaplauna

    August 6, 2009 um 1:32

  26. JULIA様

    いつもありがとうございます。ご意見はお気軽にお寄せいただいてオッケーです。

    松本ガイドについては、

    Ⅰ とんだ災難だったねと同情する立場

    Ⅱ 形だけでもガイドである以上、任務は果すべきだという厳しい意見

    が成り立ちましょう。

    今回の事故で亡くなった方の遺族や、生存者の方からは、Ⅰの意見が出てくるとは考えられません。(自分が死にかけたのに、そういう状況に至らせたガイドを誉める人などいましょうか?)

    事件と全く関係ない人なら、Ⅰの立場をとり得ましょう。

    事件は当事者間で起こっているのですから、当事者間の視点でものを考えるべきであり、ここでは、Ⅱの立場が妥当であると考えます。

    ただ、多田ガイドは、もしかしたら、松本ガイドを最初から当てにしていなかったのかもしれません。このツアーのガイドは2名であるとしていろいろ考察すると、最初の歩行不能者が出たときに、全体を1時間30分~2時間も止めたことも理解できます。
    松本ガイドはガイドにしてガイドにあらずですので、介抱も、引率もすべて多田ガイドがやらねばならなかったのかもしれません。

    もし、そうだったとしても、

    ①ツアー客15名、ガイド3名(うち一名は、夏休み気分の形だけガイド)

    ②山は、2000m級のトムラウシ

    ③天候は暴風雨状況

    ④行動予定時間は、晴天でも10時間30分かかる

    ⑤ツアーメンバーに一名、昨日から体調が悪い者がいる

    ①~⑤ こういう状況下で、予定通り行動するのは、まさに「いちかばちか」だと考えます。安全登山の見地からは、行動するのはナンセンスでしょう。にもかかわらず行動した多田ガイドはやはり責任はまぬがれません。

    で、ツアー会社には、この企画に3名のガイドしかつけなかったこと、おまけに一名は名ばかりガイドで、実際は二名しかいなかったと同然であった、そういったツアーを企画し実行させた会社の判断が果して妥当であったかが、問われなければなりません。

    ①非常時に役立つ無線機も、衛星携帯電話も持たせず、

    ②ビバーク用の人数分のテントも与えず、

    ③ツアーガイド3名(実働2名、2名はルート初見)で引率させた。

    ツアー会社の企画立案責任ですね。これも問われましょう。

    ・・さらに、これに多田ガイドが社員として一枚絡んでいるという立場もあるのです。

    結局、山のツアーは、街中の観光ツアーと違って、今回のようにガイドに命を預ける面があるのですから、自分の命を預けてもよいツアー会社かどうかが、慎重かつ真剣に見極める選択眼をもつことが望まれます。

    ツアー会社の方は、街中のツアーと違って、山のツアーはガイドの判断ミスや、装備の不十分によって、大量遭難事故を引き起こす原因となるものであるから、慎重に企画するべきでしょう。その結果、多少割高の設定になったとしても「安全を金で買う」ことになりますので、現代においては顧客の方にも理解していただけるものと考えます。

    silvaplauna

    August 6, 2009 um 2:39


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