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2009-08-08 トムラウシ遭難の教訓

[]今後のツアー登山はどうあるべきか その1 今後のツアー登山はどうあるべきか その1 - + C amp 4 +  を含むブックマーク

先月16日から17日にかけて発生したトムラウシ山遭難事故から2週間以上たちました。

この事故に大きな関心を寄せていた私は、さまざまな初期報道からは事実経過がどうしても飲み込めず、矛盾を整理するために、ありとあらゆるニュース報道を漁っていました。そんな折、文字通りありとあらゆるウェブ報道を収集し、分析を加えているサイトに出会い、これ幸いと、以降、そのサイトを中心に自分なりの意見を述べてきました。

最終的には、今後のトムラウシ登山のモデルプランのようなものをあのサイトを通じて提示できればよいな、という甘い目論見がありました。しかし、私にはどうすることもできない理由で管理人の機嫌を損ねてしまい、私の希望はいったん頓挫することになりました。というか、よくよく考えれば、最初から他人のサイトを宿借りするのがずうずうしいと反省すべきでした。

さて、09年のトムラウシ遭難は、およそ二つの観点から教訓を抽出するのがよいと思われます。

ひとつは、消費者という立場からみた、ツアー登山のクォリティの観点。

もうひとつは、比較的難易度の高いとされるトムラウシ山縦走コースに挑む一般ハイカーに対するアドバイス。

本エントリは、ツアー登山の落とし穴という観点から、事故の問題点と今後の処方箋について軽く触れたい。まずは、ツアー会社の問題点をとりあげます。次回のエントリでは、ガイドそして参加する客の問題、そして一般登山者向けのトムラウシ山縦走のプランニングについて提案します。


ツアー登山の課題

解説委員室ブログ:NHKブログ | 時論公論 | 時論公論 「トムラウシ山遭難 ?ツアー登山の落とし穴」は次のように述べています。

【 ツアー登山の問題点 】

ツアー登山で参加者が死亡する事故は、たびたび起きています。同じ北海道では10年前に羊蹄山でツアー客ふたりが死亡し、7年前の7月には、今回と同じトムラウシ山でツアー客1人が低体温症で死亡しています。いずれの事故でも、ガイドは業務上過失致死で有罪判決を受けています。こうした事例がありながら、また大きな悲劇を生んだツアー登山。安全性を高めるために何が課題になっているのでしょうか。

その課題として、次の三点を指摘します。

▼まずツアーの日程に余裕を持たせるという点です。

予備日を設けるなどすれば費用が高くなりツアー客に敬遠されると言います。

▼つぎにガイドの技量の問題です。

ツアーとガイドの増加に伴って天候の急変やトラブルにきちんと対処できないガイドも増えていると指摘されています。

【 参加者側の問題 】

一方、参加者側にも大きな課題があります。登山ブームのなか装備や山の知識など十分な準備のないまま、ガイドまかせ、ツアー会社まかせで参加する人が少なくありません。

非常に正しいです。

NHK解説委員ブログの問題認識を基本として、三つの当事者グループの分析を進めます。

ツアー登山の主な関係当事者は、

A.企画する旅行会社(プランナー)

B.ガイド(リーダー)

C.参加者自身(客)

の三つであるといえます。

上記サイトによれば、この三つの当事者グループそれぞれにツアー登山の潜在的な危険因子が胚胎しているといえるでしょう。

ツアーの多くの場合では、ABCのうち何かしらほころびはあるものの、どこかでカバーし合って最悪の事態を避けてきた可能性があります。たとえば、企画した日程に無理があったとしてもガイドの腕がよく、適切な判断がなされたとか、参加者の行動能力が高かったとかです。

しかし、ABCの条件の組合わせが運悪くすべて悪い方に重なったとき、今回のような大惨事になるのではないでしょうか。

ツアー企画する会社の問題

通常、こうした登山ツアーは、旅行会社が計画を立て、日程を決め、それに添乗員をつけ、ガイドをアウトソーシングするという形が一般的のようです。添乗員がガイドもかねるケースもあるようですが、サービスの質がまるで違う、添乗員とガイドの二人羽織は避ける傾向があるようです。もっともこうした傾向は最近の話で、10年ほど前は、トムラウシ山往復ツアー20名を山岳経験もろくにない添乗員が羊飼いさながらに客を引っ張っているというケースもありました。トムラウシ山ではさすがに少しはなれた添乗員が来るのでしょうが、他の山では、羊飼いにすらなれず、添乗員がバテて途中で待機しているという姿も何度か目撃したのを覚えています。

こうした羊飼いツアーの大半は、90年代はじめに沸き起こった中高年の百名山ブームに乗って、登山旅行の分野に乗り出した大手の旅行会社やバス会社、鉄道会社でした。

旅行エージェントは当然、航空機・ホテルの格安手配を得意としますから、そこで価格差をつけようとしますし、バス会社は、とにかくどんなに遠くてもバスで行くセンスです。

バス会社の例

さしあたって具体例としてバス会社の例をとりあげましょう。

皆さんはバスの待合室でバス会社の企画した旅行ツアーのチラシやポスターをみたことがあるでしょう。なかには温泉ツアーなどに参加された人もいるかもしれません。バス会社の強みは、自分で登山口までダイレクトにつながる移動手段を持っているという、その機動力です。しかしホテルや航空機の手配には弱く、宿泊ツアーでは価格競争になかなか勝てません。したがって、バス会社の企画はそのほとんどが日帰りツアーとなります。つまり、バス会社としては基地局から日帰りで往復できる範囲が営業テリトリーとなります。

しかし、問題は、「ではどこまで日帰りで行ってしまうのか」です。

日帰りツアーの拡張概念に、【夜行日帰り】というタイプがあります。

これが曲者なのですね。夜行日帰りのギリギリの線ってどこまでなんでしょう。

土地勘がない方にはわかりにくい例かもしれませんが、札幌ー釧路を夜行日帰りでいく登山ツアーみたいなハードな企画が実在するのです。これは客より先に運転手がぶっ倒れます。

週に4回も夜中に日勝峠を越えるバスの運転手はいったいどこで休んでいるのでしょうか。

あるバスの運転手はいいます。

「いやぁ最近ほとんど寝てないさ。最近、夜行日帰りが連ちゃんよ」

運転手の間では、ハイキングツアーは貧乏くじのようなものです。一般道でも長時間運転のリスクがあるうえ、登山口までの林道をバスで突っ込むのもときには、命がけです。ですので、慣れている運転手しか割り当てられず、結局、適切なローテーションがなされず、同じ運転手が何度も夜行日帰りハイキングにまわされることがあるのです。

バスの運転手の悲哀は別の問題としても、ここにすでに、バス会社の企画の無理が現れているのがわかります。乗客はほとんど曲がらない座席で仮眠し、翌朝からがつがつと山に向かうわけです。

ところがバス会社のハイキングツアーで登山中の重大事故というのはあまり耳にしません。客は寝不足でフラフラになっているはずです。

なぜでしょうか。これは、ひとつに、バス会社のテリトリーが日帰りエリアに限られているため、難易度の高い縦走コース等を企画することがそもそもできないという偶然によるのではないかと思います。要するに、バス会社の制約条件として、日帰りピストン(同じ登山口からの往復)の企画にならざるを得ず、その結果、何かあったときの対処がしやすいツアーが多いということです。

バス会社の制約がツアーの安全を担保していたんですね。

それでも、どこの業界にも限界にチャレンジするバカがいるわけで、四国からオール仮眠4日間の富士登山バスツアーなるものも企画されているのを最近みかけました。参考:http://www.travelroad.co.jp/005/huji/fuji-o.htm

ではツアー会社に企画書なるものはあるのか

私はツアー会社の人間ではないので、憶測にすぎないことをお断りした上でこう勘ぐっています。

内部にはあるのかもしれません。少なくともガイドに手渡ししたり打ち合わせしたりする内容のあるものは存在しないことがほとんどでしょうね。

私は学生時代から好んでツアーのサブリーダーのアルバイトをしていました(学生にしてみれば日給1万円温泉付は魅力的だった)。しかし、どのツアー会社でも、行程表と地図と装備表以外のものをみたことがありませんし、事前の打ち合わせをしたこともありません。たいてい、当日の朝か夜に集合場所で初顔合わせをし、そのままろくに会話せずに山に突入!というパターンが多かった記憶があります。「あんた、この山初めてかい?」くらいは聞かれたかもしれません。しかし、学生のころは、いかにもリタイアしたじいさんが小遣い稼ぎにしてるんじゃないかと思われるような無能そうなガイドに当たってしまうと、自分もそうであるくせに、内心、何事もないことを祈る気持ちでした。実際のところ、ツアーが始まってしまうと登山計画について打ち合わせする時間などありません。

しかし、山岳部等の組織登山を経験すると、机上でのプランニングがいかに大切かを身にしみて思い知らされます。詳しくは、http://d.hatena.ne.jp/swan_slab/20090806#Planningに私の考え方を記載しましたのでご覧いただければと思います。あらゆる軍事行動がそうであるように、登山の成否は、プランニングにかかっています。机上のシミュレーション抜きに現場の司令官の行き当たりばったりの判断に依存していたら、必ず失敗します。

ところが、バス会社のツアーの場合、軍事行動になぞらえるほど、緊迫した企画ではないのです。

往復5〜7時間程度の山中行動のハイクツアーがほとんどです。半日程度の日帰りハイクで、イラクでの軍事作戦なみの綿密な企画書をつくれといったら、誰でもバカバカしいと思うでしょう。

つまり、装備の一つ一つの重量までチェックするといった綿密な計画を立てるほど、切羽詰ったルートでもないため、ツアー会社の側で、安易な企画書で通してしまうインセンティブが働いてしまうのです。また、バス会社は所詮、流行に便乗しているにすぎず、リスク管理に通じた専門のスタッフを適切に配置しているわけでもないので、綿密な計画を立てる能力と習慣がそもそもないといっても過言ではないでしょう。

つまりバス会社の企画において、安全管理は漠然と理解されているにすぎず、かりにマニュアルが存在するとしても、それが実行部隊たるガイドには公開されない以上、単なるお役所向けの文書に過ぎません。

アミューズツアーの事例から学ぶこと

アミューズトラベルのツアー企画は、バス会社の日帰りツアーに比べると、本社のバックアップ体制から装備の検討、顧客への事前の確認など安全性への配慮を含めて、あらゆる点でマシです。工作員呼ばわりされそうでいいにくいことですが、その辺のバス会社と比べるとずいぶんしっかりした体制にみえます。

90年代後半、まだアミューズトラベルが北海道の山にほとんど進出していなかったころ、アミューズトラベルは価格では勝負していませんでした。他社比2割増くらい?だったのではないでしょうか。

恐らくその理由として、価格で勝負したくともできなかったのでしょう。山岳専門のツアー会社としては業界で新参者でしたし、エージェントとのコネクションも薄く、ホテルの割引も交渉力が低かったと推察しています。

それでも顧客を徐々に獲得していったアミューズの戦略のひとつに、サービスの向上があげられると考えられます。客の立ち話を盗み聞きすると、浮かび上がってくるのは、固定客の創出戦略です。まず添乗員にボンクラを絶対に雇わず人間的にも魅力的な精鋭を揃え、お客さんの立場にたったツアー作りを心がけ、固定ファンを次々に引き寄せます。

第二の戦略は、登山ツアーのターゲットの拡大です。従来、どこのツアーも厳しい登山計画では年齢制限を設けていました。アミューズトラベルは、年齢にとらわれることなく、実際の登山歴をヒアリングすることによって能力確認をする戦術にでました。これにより、潜在的な顧客層のパイを大きく広げることになりました。客側にとっては、どこのツアー会社でもお断りされる高齢者でもアミューズが面倒みてくれることになり、結果としてアミューズツアーの平均年齢が相対的に高くなりました。「来る者は拒まず」戦略とでもいいましょうか。

第二の戦略は、登山計画に反映されており、過去のデータから、アミューズ独自ともいえるゆるい歩行スピードをもとに、行程表の時間読みが計算されています。これは客のヒアリングでもはっきりわかるのですが、アミューズツアーの固定客は、他社のハイスピードの登山を敬遠して流れてきているケースが多くみられます。山をゆっくり楽しみたいという動機の客もいれば、体力的な問題を抱えている人もいます。お客さんのひとりはこういいます。「某社のツアーは、弱い人にペースを合わせない。先頭集団についていけない人は次々にリタイアし、そこで待機させられます。先頭集団についていけた人たちだけが頂上を踏めるんです。それにくらべるとアミューズは・・略」と新聞社系列のツアーをこう評しています。このように、客の中には、他社のツアーの安全面に不安をおぼえてアミューズツアーに参加するひともいます。ただ、一方で、恐らく、客のなかには、もはやアミューズトラベル以外のツアー会社では断られて仕方なくアミューズに参加するひともいるはずです。つまり、顧客の基盤として、中高年のなかでも、さらに行動力の弱いグループをターゲットにいれていることになります。

しかし、パーティの標準的な行動能力を低く見積もることにリスクはないのでしょうか。

つまり一般の登山者が9時間かけて歩くコースはアミューズタイムで11〜12時間かけて牛歩のように歩く、といった行動能力の引き下げは、計画上、安全を阻害するリスクにならないのでしょうか。

当然のことながら、山中での行動時間が長くなればなるほど、行動中の危険は増します。

行動時間が長ければ体力を消耗しますし、悪天につかまるリスクもでてきます。

いいかえれば、牛歩センスは、比較的良好な天候の場合は、安全側に作用する場合がありますが、悪天候の場合は、パーティの行動能力を減退させる悪循環にはまり込む危険性をはらんでいるのです。

では、アミューズトラベルの企画において、こうしたリスク分析が反映されていたかどうか。

具体的には、行動可能な天候基準を厳格にとらえていたかどうか。

もしかりに計画段階で、7月16日のトムラウシ山越えの行程について、行動できる天気基準を明確にしてあれば、会社がその説明をすることが可能であったはずです。たとえば「小雨程度なら行動する予定になっていた」とか「体力の消耗する天候では行動しない」などです。これはマニュアル等の一般的事項ではなく、個別の行程について検討されていたかどうかです。しかし、現実には、一切の説明はなく、すべて現場の判断にゆだねていたといいます。これでは登山計画があったとはいえず、ガイドに行程表だけを渡して丸投げしたと批判されても仕方がありません。

パーティが行動できる天気というのは、ルート評価とアップデートされたパーティの行動力との関数できまります。もともとの計画で設定された行動可能な天気をもとに、パーティの能力の変化に応じて、天気基準の見直しをする作業が現場のリーダーの仕事となります。リーダーはその場で登山計画を立てるべきではなく、所与の基準を現場で確認するべきなのです。この計画と実施のプロセスのデマケができていなかった可能性があります。

これはアミューズトラベルに限った話ではなく、ほぼすべてのツアーに当てはまる大問題です。

多くのツアーは、実践上の登山計画をガイドやツアーリーダーに丸投げしているのです。

これにより、結局、行動できる天気基準ひとつをとっても、確たる標準化がなされないため、ガイドの資質に依存することになります。攻撃的なガイドは悪天候でも突っ込むし、弱気なガイドは石橋を叩き割ってでも渡らない。そんなガイド任せの登山計画は今後は厳しく批判する必要があります。

組織登山のメリットは情報の共有化にあります。

登山パーティがどのような基準で行動するか、悪天時の行動パターン等をあらかじめ共有していれば、緊急時においてもパーティの行動の予測を立てやすいのです。

しかし、アミューズ遭難パーティのケースでは、事故直後の社長の会見で計画性のなさを露呈していました。

読売新聞の初期報道によれば、現地のルートの精通しているのは、吉川ガイド一人であったと報道されていました。私はウソでしょと瞬間的に思いましたが、松下社長はその会見で組織登山のメリットをまるで生かしていないことを示してしまったわけです。


ツアー会社とガイドとの連携の強化

そこで、教訓として、確実に次のことを私は提案できると思います。

まずツアー会社は、10〜20名規模の登山計画検討委員会を定期的開催し、新規の計画だけでなく、既存の計画にムリがないかどうか、ブレインストーミングをまじえて、入念にチェックする機会をもつべきでしょう。とくに悪天候のシミュレーションは綿密に行い、考えうるケースは考えつくした上で、あらかじめいくつかの選択肢を計画に盛り込んでおくことです。たとえば、故障者の離団ないし故障者が生じた場合のパーティ分割の動き方、エスケープルート、停滞日の使い方などです。

その委員会を開催することで、参加者(添乗員やリーダー)同士が啓発しあい、自分では気がつかなかったリスクの発見につながる可能性があります。

したがって、ここで議論された内容は、参加できなったガイドグループにも議事録を配布するべきです。またガイドにとっても、企画会社側が責任をもって、行動基準を明確にしてくれれば、現場で撤退やエスケープの判断を客に説明する際に、「登山計画上、ある一定の条件下では行動しないことになっている」等と理由をつけやすいはずです。

また、そもそも企画会社がこうした計画策定作業に慣れていないという、シュールな事態も想像されますので、プランニングとは何かについて徹底的な社内研修をすることをお勧めします。

2009-08-07 トムラウシ遭難をうけて他のウェブサイトにしたコメントの一覧リスト

[]北海道大雪山系 トムラウシ山 大量遭難を考える。 « Sub Eightに書き込んだスワンのこれまでのコメント一覧その2 [http://subeight.wordpress.com/2009/07/18/tomuraushi-2/:title]に書き込んだスワンのこれまでのコメント一覧その2 - + C amp 4 +  を含むブックマーク

生還者戸田新助さんの回答に対するコメント(7月31日〜8月3日) 生還者戸田新助さんの回答に対するコメント(7月31日〜8月3日) - + C amp 4 +  を含むブックマーク

silvaplauna様

質問のとりまとめとご連絡、ならびに議論の場のご提供、ありがとうございます。

戸田様

お客さんの自己責任論に違和感を覚えていらっしゃるお気持ち、私も同感です。

ツアーでは通常、すべてリーダーが判断します。もしかりに、下山口のバスで集合、あとは偶然一緒に歩いてたまたま一緒に泊まったお客にだけご飯を提供したというような計画だったとしたら自己責任かもしれませんが、そんな計画あるはずありません(いや、ごくたまに日帰りツアーで似たセンスのツアーをみかけることがあるのでオドロキですが)。

以下、ご回答に対するコメントを述べさせていただきます。

1.ガイドの印象

多田ガイドがリーダー格のようだった、とのことですね。少なくともルート評価と天気に関しては、彼に決定権があったのではないか、ということですね。

この問いは、17日、18日時点の新聞報道で松下社長が吉川ガイドがこの山域の経験者だという誤情報を流したあと、報道に訂正もされなかったため、再確認させていただくためにさせていただきました。

2.前日の天候と体力の消耗

かなり具体的にご回答いただき、状況がとてもよくわかりました。

事故パーティは小屋の一階でしたか。一階の場合、女性客は着替えをもっていても人目があり躊躇する可能性がありますね。また到着時のレインウエアについた雨のしずくが床におち、床もびしょ濡れであった可能性があります。

3.最終判断地

ご証言からあくまで小屋を最終判断場所と考えていたと推測されます。

4.防寒具の指示

どの報道をみても、悪天候のなか行動するにあたって防寒対策の指示がなされていた、との証言が見当たらなかったためご質問させていただきました。

戸田さんが知る限り、指示はなかったということですね。

5.ガイドの行動中の位置取り

先頭:多田ガイド 中間:松本ガイド 最後尾:吉川ガイド

そうすると行動中のパーティの状況は松本ガイドと吉川ガイドが多田ガイドに伝達する仕組みになっていたと思います。

6.雪渓の対処

第四のガイドがネパール人というのは、これまで報道されていませんでしたね。

テンバさんでしょうか。テンバさんは雪渓でサポートしたあと小屋に戻ったということですね。質問の趣旨は、着脱に時間がかかり、体力を消耗することもしばしばあるので、体力の消耗に寄与したかどうかの印象をお聞きしたかったのです。ご存知のとおり、悪天候の行動では、歩行中のみならず、休息中(じっとしているとき)でも体力を奪っていくものです。ですから、極力、長く休まないという戦略で行動する必要があります。しかしながら、そのためには、アップダウンの多い脚力を要する行程で休まずに動ける行動能力が問われるわけです。この点は別途質問させていただきました。

7−1 コルでの天候

風雨・気温ともに行動に余裕のある天候ということですね。

7−2 お客さんからの不調の訴えの有無

これは貴重なご証言です。つまり、最初の故障者(吉川さんと最初にビバークしお亡くなりになった女性)は、行動初日から体調不良のサインを出していたのですね。じつは、こういう場合の対応方法はガイドによってかなりばらつきがあることを私は知っています。私の経験でいうと、添乗員系のガイドに「あともう少しだからがんばりましょう」的な対応をする人が多い印象を持ちます。

あくまで印象です。個人ガイドツアーの場合、逆にお客さんの体調には神経質なまでにぴりぴりしている傾向があります。子供に自己管理を説教する親のような役割と認識しているガイドも多いです。そういう説教くさいガイドはお客さんが不調を言い出す前に、装備や体調を確認しようとする傾向があります。

添乗員系・個人ガイド系と書きましたが、これはこれでひとつの論点かと思います。しばしばガイドの立場が複雑であることが論じられておりますが、添乗員をかねたガイドは、サーバント(サービスの奉仕者)としてお客さんの満足度を上げる任務も負っており、なおかつ、事務所では顧客の営業もやっている場合が多いので、あなたはパーティについていける体調ではないので下山しましょうとはなかなかいいにくい。甘やかすインセンティブがどうしても強くなります。

しかし、アウトソースされた現地ガイドは、世間で言われているほど、保身的ではありません。むしろ初めてお会いしたお客さんとのしがらみがないうえ、顧客へのホスピタリティなどさして気にする必要もないので、自分の任務のひとつを安全管理と強く確信している気がいたします。貧弱な装備や不十分な体力で参加するお客さんに対してきつく説教するガイドもいます。これも程度問題であり、一長一短ですが。

今回の場合、体調不良のメンバーの管理がきちんとされていたかどうか、改めて問われそうです。

8.天候条件が急変した場所

>どこかで急に風雨がつよくなりました>

>天沼からロックガーデンにかけてに木道があるとおもいますが、そこが一番風が強かった>

それは天沼とロックガーデンの間にあるコルです。

http://watchizu.gsi.go.jp/watchizu.html?meshcode=65422655

地図でご確認いただけるとお分かりになると思います。

ここは西側がクワウンナイ川の源流にあたり、けっこう大きな谷ですのでコル付近は風の通り道となっています。実はクワウンナイ川自体も上級者向け登山ルートのひとつとして知られており、私も何度か経験がありますが、クワウンナイ川縦走ルートでは、この木道付近で往復登頂するか、ヒサゴ沼に直行するかの判断をします。つまり、想定外の天候など緊急時に判断地を設けるとすればここです。

9.悪天候時のパーティの状況

風速20mというのをリアルに表現するのはとても大切と考えています。

>風のつよいときは屈めとも言いました。それでほとんど進めなくなりました>といったご証言もあわせますと、少なくとも天沼より先のルートでは行動可能な天気とはとてもいいがたかったと推察されます。

これをお聞きした趣旨は、しばしば山岳会等でよく議論されることですが、風速や視界何mといういかにも客観的な基準は、実は計測者の主観によってばらつきがあるため、もっと具体的な目印を共有して判断材料にしようということがいわれます。たとえば行動できる風の基準として、ザックが風で煽られる、フードやザックカバーが外れないか気になり気が散って行動に専念できない、などといった指標です。

今後、ツアー会社にお願いしたいことがあるとすれば、具体的な天気基準の共有ですね。ウェブサイトでもハンドブックなり冊子でもいくらでも情報共有手段はあるわけで、この会社はこういう行動準則をもっていると公示することで、お客さんも予測が立てやすくなります。

しかし、では、登山者が北海道の山をなめていたと結論付けていいかは大変疑問です。

なぜなら、ツアー会社がどんなに情報提供したとしても、それはあくまで消費者がツアー選択する際の判断の一助にはなりえても、それが事故の際の言い訳になりえるわけではないのはいうまでもないからです。会社ないしガイドと消費者との間では、情報量と分析力・技術・判断力すべてにおいて対等ではないからです。つまり、会社は一部のお客さんがうっかり間違えて自分の能力を超えた過酷なツアーに申し込んでしまった場合でも、参加を認めるかどうかの判断を含めて、適切に安全に配慮する義務があります。あるいは、途中で体調を崩してしまい、自分自身で適切な自己管理をしたいのは山々だか、自分の不調のためにパーティ全体に迷惑がかかることを思うと、誰にも不調を言い出せないといった状況を想像してみればわかるように、組織登山において、登山者の自己責任を云々する批判はあまりにも不合理です。それは戸田さんもお感じのとおり、自己責任とはいいがたいのです。リーダーおよびツアー会社の責任というべきなのですね。

引き続き戸田様のご回答へのコメントです

10.休憩と食事

天沼とロックガーデンの間のコルより先で、一度も休憩をとらず、かつ各自が食事をとっていたかどうか定かではないとのことですね。

休む余裕もなく食事をとる力もなくなって体力消耗の悪循環に陥っていった、そんな状況が想像されます。

11.最初に体調を崩していた客はレッドサインを出していたか

質問のなかで(大騒ぎ)とありますが、これは小池様の補足説明によるもので、私のイメージとは少し違います。私の質問は『不調や疲労を表現できるタイプでしたか』です。

私のリーダーとしての考え方を述べさせていただきますと、お客さんはできる限り体調に関して自己表現するべきです。ルートや天気に関してあれこれ意見をいうのも、勿論かまいませんが、これらの情報はガイドの参考にはなりません。ガイドが重視するのは、お客さん自身のレッドサインです。体調が悪いときに、きちんと悪いと報告できる、連絡できる、相談できる人は自己管理ができるお客さんです。逆に言えば、報連相ができない人は組織で行動するのに慣れていない人です。

ですから、カナリアのように、いわれなくとも報告をしてくれるお客さんは体調を隠そうとするお客さんより組織の動き方の参考になるのです。しかしながら、現実は、ほとんどのお客さんが沈黙します。迷惑かけまいという気持ちが先行してしまうためでしょう。きわめて日本的な感受性ですが、この現実を前提にガイドやリーダーは自己管理のできないお客さんの動向を把握する必要があります。一例ですが、お客が小屋で安眠できるようにと、自己判断で錠剤を割らずに普段より多量の睡眠薬を飲んで間違えて着の身着のままお茶をこぼしてぐったりしていることもあります。こういう危機を早期発見するのもガイドやリーダーの役割となります。

しかしながら、ご存知のように、多くの日本的な組織でそうであるように、部下には報連相をせよといっておきながら、いざ部下から進言を受けると、「それはお前が考えることではない」といってボスのプライドを傷つけることがあります。部下にとてはたいしたことのない事柄だと思っていても、上司にとっては内容ではなくその進言行為そのものが我慢がならないわけです。組織を長く経験すると、この微妙な空気、すなわち「報連相の作法」にはより敏感になるはずです。

ただ、登山のリーダーは、その場の空気がどのようなものであれ、自分自身がもつ、ある種のプライドそのものを自覚してセルフコントロールするべきでしょう。その意味で、「客のわがまま」というテーマは、客側の解決されるべき問題ではなくガイドの側でコントロールすべき問題なのです。

12.最初の行動不能者が発生したときの待機指示

>吉川さんはすでに低体温症にかかってていたのではとおもいます。

とご回答されておりますが、それは、最後尾に歩いていた吉川さんも動きが鈍くなっており、あまり言葉を発しなくなっていたとか、あるいは他人を対処できる状態ではなかったという意味でしょうか。

14のご回答で、列の最後にいた故障者が真ん中にいた38歳ガイドのところに連れてこられたというのは、吉川さんは自分で判断して対処方法を講じるといったことができなくなっていたのでしょうか。

つまり報道では、最初の故障者に付き添ってその場に滞在した、となっていますが、現実は介抱している間に自分も動けなくなりつつあった、ということでしょうか。

14.低体温症の対処の現実

背中をさする、テルモス(吉川さん持参)の湯を飲ませる、声をかける。

この3つ以外に何か思い出せませんか。

ここは、今後の教訓のキモになるところだと思います。

15−1.戸田さんが「救援要請をしろ」と訴えた時点の状況〜指揮系統の不在

通常、遭難の認識は具体的な対応策が尽きた時点でされるはずです。

たとえ計画を外れた認識があったとしても、軌道修正の道があると認識しているのであれば遭難と判断しないはずです。

しかし、16日11時30分の時点で、より風雨の強いと思われる天沼方面に引き返す現実味はなく、さりとて今後前トム平あたりまでは風上側の稜線をゆくことになります。私が考えても、最悪の場所で行動不能者が出ており、少なくとも故障者については、救援が必要な状況と認めるほかなかったと思います。戸田さんのおっしゃるように、これがもし低体温症であるとの認識をもっていれば、遭難と認めざるを得ないわけですが、ガイドからは反応がなかった。とすれば、ガイドの主観としては、低体温症の知識がなかったか、低体温症を認識していたが遭難と認めたくなかったかのどちらかしかないです。戸田さんの分析のとおりです。

通常、指示というのは誰がいつどうする、というように、具体的になされなければなりません。吉川さんは「様子をみる」とだけ返答し、そのまま10分経過、それだけでも、もはや指揮系統が存在しなくなったと理解してもおかしくありません。

15−2. 通信状況

北沼・南沼付近でどの時点で通信が可能になったかについては、やはりもう少し情報を集める必要がありそうですね。

17.コマドリ沢〜新道のルートについて

>自分はもと来た方に戻ろうとしていた

それは典型的なリングワンデリング(彷徨)といえます。

斐品さんと長田さんとはその後一緒に行動されたのでしょうか。

記録によると、斐品さんと長田さんは0時55分に短縮道ではなく、東大雪荘へ直接向かう林間コースを下山したようにもみえます。

一方、戸田さんは、短縮登山口の標識を左に曲がったのでしょうか。

18.38歳ガイドの行動

そもそも多田くんからの指示は10名まとめて下山とのことですので、救援要請のため下山したというのはおかしな話だと思っていたのですが、自分自身も背中をぬらし体力を消耗してゆく中で、お客さんのケアをするとなれば共倒れになりかねません。苦渋の決断としてお客さんを完全にぶっちぎって空身で走って携帯の通話エリアまで下山するという選択もありえたかと思います。まさにトリアージ的な究極の選択ですが。現実はそのどちらでもなかった。戸田さんの解釈は非常にリアルです。一人の客としてそのように映じたというのは、確かです。ただこの点は、本人ふくめた別の人の見方もお聞きしたいところです。

ところで、下山路の動きをもう少しみていると、真鍋さんの行動がひとつ気になります。サンケイの報道では

http://sankei.jp.msn.com/affairs/disaster/090723/dst0907231350013-n2.htm

一方、戸田さんは11人がばらばらになった後、コマドリ沢分岐から山頂方向に約1キロの前トム平の手前で、歩けなくなった女性に手を貸していた長田良子さん(69)=仙台市=に「手伝って」と頼まれた。もう1人女性がいたが、突然倒れて起き上がらない。戸田さんらは2人を引っ張って雪渓を滑り降りたが、戸田さんは「自分のやれる範囲を超えている」と思い、歩き始めた。近くでは真鍋記余子さん(55)=浜松市=が別の女性を介抱していた。とあります。彼女は、最終的に前トム平で救出されていますが、記事の読みようによっては、コマドリ沢にいたる雪渓の下りで救助活動をしたあと、前トム平にもう一度引き返し、別の登山者の介抱をしていたようにもみえるからです。もしそうだとすればすごいことです。

もし情報をお持ちの方がいらっしゃいましたら、教えていただけないでしょうか。

いずれにしても

戸田様 細かい質問にお答えいただきまして誠にありがとうございます。

まだ事実として不明な点は多いのですが、おおよその今後の対策のあり方はみえてきたように思います。またおりにふれてご質問させていただきたく存じます。どうぞよろしくお願いいたします。

引き続き戸田様のご回答へコメントいたします。

19.北沼到着時刻

午前11時北沼(渡渉後)着。

午前11時30分トムラウシ頂上と南沼方面との分岐点

通常の天候ですと、アミューズPTが渡渉したという小川そのものが存在しません。北沼の湖水が溢れて小川となってワセダ沢方面へ越流しているところを登山道が横切っていたということだと思われます。その光景は、実はみてはいけない光景だったのではないかと思います。かつてコマドリ沢(カムイサンケナイ川)の増水により旧道が通行できないことがあった時代(2002年以前)には、エスケープルートを引き返してしまいますので北沼の越流など、まず見ることができない光景です。

19−2.最初の故障者の発生から行動再開まで

この故障者はすでにロックガーデンより前から吉川ガイドが付いていたようです。とのことですが、つまり、最初の故障者はロックガーデンから遅れ気味で、パーティから少し離れていたということですね。

小川を渡るときも彼女だけ渡れず、32歳ガイドが別のところを探してきて手を伸ばしていました。との証言から、渡渉に際して、元の登山道をどこでもジャブジャブ渡れるわけではなく、場所を選ばなければ足をとられるほどの水流があったと推察されます。北沼はそもそも雪渓が解けてできた湖水で、冷たい水です。付近は永久凍土の研究がなされるツンドラ地帯のようなところです。また松本ガイドが背中をぬらしたのは不用意に歩いて足を取られてすっころんだせいと思われます。

その後、この渡渉にすっかり消耗した最初の故障者は、南沼とトムラウシ頂上との分岐まで、岩についたペンキを頼りに両手両足フル稼働でよじ登って(トラバース)ようやく分岐にたどりついた。11時半になっていました。通常、小川付近から分岐まで10分です。大多数は分岐手前ですでに20分くらいは待ったかもわかりませんね。到着するや、行動が不能になった。さて、ここから頂上を目指すという判断はありえず、吉川さんが故障者の手当てに回ることになります。

不可解なのは、ここからさらに一時間半ほど最初の故障者を休ませる間、他のメンバーを吹きさらしの北沼のほとりで放置していたことです。いったいなぜなのでしょう。これがいまだにわかりません。あとになって先を急いだ松本ガイドではありませんが、じっとしていればますます消耗するため、皆さん半ば本能的に歩きたいはずです。しかし、またされます。質問19-7によれば、このときの天候は、風時々雨。ときおりバラバラと雨が降る、風の強い天候だったようです。このときの天候を戸田さんは風はむしろ乾くので心地よいにですが、のちに体が冷えると肌についた下着のあせでたえられなくなってくる。と回想しています。

19−3.

さて、午後1時半。吉川さんと最初の故障者が居残ることが決まり、残り16名が南沼方面へ出発します。推測ですが、ここで野首さんがツエルトを吉川さんと故障者のために提供できることになったのでしょうか。

ところが出発してまもなく、お客さんの一人がついてこないことに別のお客さんが気がつきます。このときのPTの編成はどうだったのでしょうか。もし多田ガイド先頭松本ガイド最後尾であれば、遅れたひとりは松本ガイドと一緒に遅れてしまったということになりそうです。しかし、戸田さんによれば、彼女は32歳ガイドが機会をみつけて回収していったのでしょう。と推測されています。つまり、第二の故障者は一行から取り残されているかっこうだった可能性があります。

一行は第二の故障者が出発できないのに気がつかずに、さらに前進をつづけ70mほど歩いたところ(さきほどの分岐と南沼との間)で次々に故障者が現れたことになります。19-5.によれば、この時点すなわち再出発後10分後の午後1時40分に多田ガイドがテントを設営し、行動不能者を残留させ、手当てに専念する判断をしたものと思われます。

しかし、だとすれば、このときの松本ガイドの位置取りが大変気になります。彼は出発せずに第二の故障者とともにその場で手当てを始めたのか、それとも第二の故障者に気がつかずに一行の最後尾を歩いていたのか。それとも、最後尾を歩いていなかったから気がつかなかったのか。多田ガイドがテントを設営している間、第二の故障者の状態は誰がみていたのでしょうか。

この空白の1時間半の間に何があったのか。滞在時間が長引いた理由がいまだにわかりません。そして、再出発したとき、出発する力をすでに失っていた第二の犠牲者は発見されるまでの間、どのくらい時間が経過していたのか。そしてそれはなぜなのか。この二つの疑問が残ります。

それはリーダースタッフが低体温症になって頭が正常に動かなくなってきていた、といえば簡単かもしれませんが。

20.テントを張って自分を含めて6名の残留を決定した多田ガイドは、残りの10名をまとめてトムラウシ分岐で確認してくれ、と松本ガイドに伝達したと報道にあります。戸田さんは用語を勘違いしておられますが、多田ガイドのいうトムラウシ分岐とは、その先にある南沼キャンプ場付近のことです。

もし多田ガイドが10名という言い方をしていたのだとすれば、このときには一行から70m離れた、吉川さん残留地付近にいる取り残された第二の故障者の認識があったことになります。吉川さんと第一の故障者(植原さん)が使用するツエルトの収容能力が足りないので、多田ガイドが機会を見つけて70m搬送したと戸田さんは推測しているようです。

さて、ここから先(南沼〜コマドリ沢出会いの間)のルートでのリーダーの判断については質問を控えさせていただきました。南沼付近(トムラウシ分岐)で松本ガイドが全員を確認することになっていたことは報道のとおりで間違いないでしょう。しかし、現実には木村さんがこの付近でお亡くなりになっております。

松本ガイドが分岐付近で、おーいと叫んだその言葉を最後に木村さんは動けなくなり、一行から取り残されます。

ここからの修羅場は、生きるか死ぬかの瀬戸際で、ぎりぎりまで助け合い、ともに生き抜こうと努力を重ねられ、そして生還を果たしたひとたちに「あなたは、よくぞがんばりました。十分がんばりました。自らの限界を越えずによくぞ生きて帰りました。」とだけお伝え申し上げたく存じます。

戸田様

わたくしからの質問は以上でございます。

戸田様におかれましては、一日もはやく平穏な日常にお戻りになられることを深くお祈り申し上げます。

数十項目に及ぶ質問項目に、詳細にお答えいただきまして誠にありがとうございました。

Sub eightの管理人との関係が突然悪化(8月3日ごろ) Sub eightの管理人との関係が突然悪化(8月3日ごろ) - + C amp 4 +  を含むブックマーク

その後、戸田さんの質疑が第三回まで公開し終えた段階の8月3日ごろから、ウェブサイトの管理人のsilvaplaunaさんが突然、私に対して猜疑心をむき出しにするようになりました。

swanslab 様

いろいろお世話になりました。多田ガイドはじめ関係者の皆様には、これからが正念場となりましょう。

裁判の結果がどう転ぶかは分かりませんが、個人的にこの事例からは十分学ばせていただきましたので、あとは傍観者にまわろうと思います。

御答えいただかなくとも構いませんが、多田ガイドがアミューズ社の社員であるかどうか、彼自身がこの計画の企画立案に深く関与しているという情報に関しては、実際のところ、どうなのでしょう・・?

お立場上言えないとは思いますが、「第三者」から見ると、swanslab様は、身内を守るためにそういった不利な事実は隠しているのでは?との不信感が募ります。

やはり、腹を割った話しをなさらない方には、警戒する心が起こるものです。

そう考えると、swanslab様が質問19で、第二番目の発症者の方をめぐった「動き」を非常に詳細に追うのもおかしいなと感じます。遺体発見状況が分からないのでなんとも言えませんが、多田ガイドは、この女性をきちんと認識しテントに収容したのでしょうか?(あるいは見過ごしてしまったとか?)

いずれにしても、多田ガイドの刑事責任に絡んでくるからご注目なさっているのであろうと推察しております。

まぁ、傍観者の私には、詳細すぎる論点です。

北海道大雪山系 トムラウシ山 大量遭難を考える。 今回の事故について戸田新介様のご意見 と 幾つかのご回答 « Sub Eight

このコメントをうけてスワンは以下のように回答

silvaplauna様

私の関心は、どうして彼がこんな事故を起こしてしまったのかということ一点なのです。それは信じていただきたく思います。

多田くんがいつアミューズの社員になったのか私は正確なところはわかりません。しかし、たしか4年ほど前だったと思いますが、添乗員の資格をとったとか、そういったうわさ話的な情報は持っておりました。彼の専属ガイドという立場についても、風のうわさ程度でしかありませんが、派遣社員ともよべない、会社からはこき使われたあげく切捨て自由の不安定な立場ではなかったかと想像します。想像ですので、コメント欄をお読みの皆様におかれては、あまり「釣られ」ないで、いただければと思います。また、通常、札幌発ではなく、本州からの集客ツアーの場合、添乗員は本州の支店であることが普通でしょうね。その意味で、吉川ガイドが添乗を務めたとの説明には納得がいきました。他のツアー会社でもどこでもそうでしょう。

それから専属ガイドは、本州の支社の企画のツアーについて例年行われているツアーを’こなしている’というのが実情ではないでしょうか。ただ、行程表や装備表1,2枚で計画だというわけにはいきませんから、彼なりに登山計画のビジョンを立てて入山するはずです。また、もう少しあやふやな情報も私の耳には入っておりますが、公開すると一人歩きするのも危険ですので沈黙しております。

silvaplaunaさん。

こういった不確かな情報でよければ、彼のプライバシーに触れない範囲でおながしすることはもちろんやぶさかではございませんが、

身内を守るためにそういった不利な事実は隠しているのではないか

とのご質問は、少々とげが強すぎるのではないでしょうか。私は以前の申し上げましたとおり、多田くんには真実を話してほしいと願っております。できるならば、多田くんにはもっと違った判断をしてほしかった。質問19でしつこく状況を聞いたのは、空白の1時間半多田君は何をやっていたのかを知りたかったからです。

このように書かせていただいても不信をぬぐえないでしょうか。

メールでも書かせていただきましたが、本当はsilvaplaunaさんとも電話でもお話できれば話はスムーズだったと思います。しかし、当地では日本との時差がずいぶんあるうえ、通信事情も悪く、関係者とも事故以降ほとんど連絡がとれていません。それがとてもはがゆい毎日なのです。

それから、戸田さんなりの営業職員像を拝見して私は少し違和感を覚えております。なぜなら、添乗員系のガイドとはいえ、必ずしもお客さんを無理して引っ張りあげようとする人ばかりではありませんし、撤退の判断もあっけないほどシンプルな人もいます。一概にはいえません。ツアコンの見方は百人百様です。また事故の物語も、みる人の数だけあります。戸田史観はひとつの見方にすぎません。私としては、もう少し他の方の物語も明らかになればもっと全体像がみえてくるのかな、という気がしております。

いずれにしましても、ご気分を害されたことにつき、深くお詫びを申し上げます。いいかえると、私自身もあまりいいネタを提供できず、つまりはお払い箱ということなのかなぁ、と寂しくも思います(冗談です)。

これまでの更新活動、ほんとうにお疲れ様でございました。私には到底できないことでした。

深く感謝を申し上げます。

2009 | 08 |
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