64回目の「原爆の日」が巡ってきた。きょう6日は広島市、そして9日は長崎市。一発の核兵器が街と人を焼き尽くし、今日もなお原爆症に苦しむ人々がいる。痛みは核兵器がある限りなくならない。核廃絶は被爆地が訴え続けてきた痛切な願いである。
今、この願いに希望を抱かせる大きな変化が起きている。「核兵器のない世界」を掲げる米オバマ政権の誕生である。「核兵器を使用した唯一の核保有国として行動する道義的な責任がある」。4月5日、チェコの首都プラハでのオバマ大統領の演説は、超核大国の指導者が核軍縮へかじを切った歴史的な転換点だった。
だが、これに挑戦するかのように北朝鮮は5月25日、2回目の核実験を強行した。イランの核開発、さらにテロ組織による核入手の懸念もぬぐえない。新たな核の脅威がより高まっているのも冷徹な現実といえよう。
始まりは米ロ修復
それにしても、これほどの変化を1年前に想像できただろうか。米ロの関係はグルジア紛争によって「新冷戦」といわれるほど冷却していたが、ブッシュ政権からオバマ政権への交代で、3月初め、初の米ロ外相会談によって関係が「リセット」された。今年12月に失効する第一次戦略兵器削減条約(START1)の後継となる新たな核軍縮条約締結についても、年内合意を目指す方針で一致した。
米ロの関係修復は「新たな出発」をもたらした。4月、7月の2回にわたる首脳会談で、戦略核の上限数削減に合意した。直後、主要国(G8)首脳会議(ラクイラ・サミット)は、「核兵器のない世界」に向けた状況をつくることをG8で約束した。
二大核保有国の取り組みが、核保有大国の英仏にも及んだ形だ。さらにオバマ大統領は「世界核安全サミット」の来年3月開催も表明した。大国が率先して核軍縮への歩みを進めることが、中国やインドなど他の核保有国を巻き込むことを願いたい。理想とも思えた核廃絶への訴えは、米国自身が大きく踏み出したことで実現に向けて一歩前進した。
世界に被爆体験を
かつてない核廃絶への機運の高まりの中で迎える「原爆の日」。秋葉忠利広島市長、田上富久長崎市長ともに平和宣言で、プラハ演説への評価を盛り込む。さらに秋葉市長は、核廃絶を願う世界の多数派を「オバマジョリティー」と呼ぶよう提案する。大統領の名前にマジョリティー(多数派)をかけた造語で、核廃絶への幅広い結集を呼びかける。
プラハ演説を機に、米紙ニューヨーク・タイムズに自らの原爆体験を寄稿したのは広島市出身の服飾デザイナーの三宅一生さんだ。「原爆生存者のデザイナー」のレッテルが嫌だったが、演説を聞き、被爆体験を語ることが「個人的かつ倫理的な責務」と思い至ったという。
原爆で受けた悲しみや苦しみを思い出したくない被爆者は少なくないに違いない。しかし、原爆を投下した国からの訴えは三宅さんのように沈黙を守ってきた人の心を揺り動かした。被爆者の声を発信してきた被爆地にとっても大きな力だ。
流れをうねりに
核廃絶への道はむろん簡単ではない。米国の状況も楽観できるものではないだろう。包括的核実験禁止条約(CTBT)の発効には米国の批准が欠かせない。オバマ大統領は、それを公約にしてきたが、米国内には「安全保障上の脅威をもたらしかねない」として、依然根強い反対論がある。ロシアとの交渉も、米国の欧州でのミサイル防衛(MD)計画の見直し問題など課題が残ったままだ。
だが、ようやく動き始めた核軍縮の流れを大きなうねりにしていかなければならない。日本は中曽根弘文外相が発表した新たな包括的核軍縮構想について、具体的な道筋を示すことが必要だ。12月には「核の番人」ともいわれる国際原子力機関(IAEA)の事務局長に、天野之弥氏が就任するのも力になろう。
唯一の被爆国である日本は、被爆の実相をこれまでにも増して世界に伝えていかなければならない。今こそ核廃絶の先頭に立つべきだ。