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【断層】呉智英 全共闘を論破した大学学長
このニュースのトピックス:美術・芸術
今年は全共闘運動の頂点だった東大闘争安田講堂攻防戦から四十年にあたる。先日連載終了した本紙(大阪本社版)の『さらば革命的世代』は、当時の全共闘学生のみならず、これに反対した学生や警備当局の人たちの話も集め、歴史を多角的に検証する好企画であった。
しかし、四十年は長い。既に忘れられていることもある。
運動には始まりもあれば終熄(しゅうそく)もある。では全共闘運動はどのようにして終熄したと思われているのか。学生が教育や政治に不満を抱き反乱を起こし、学長や理事らを“団交”でやり込める。大学当局は慌てふためき、ついには機動隊を導入して、実力で押さえ込む。こんな風に思われている。確かにほとんどの大学ではそんな終(おわ)り方をした。しかし、ただ一つ、学長が団交で全共闘を論破し、バリケードを学生自らに解かせた大学がある。多摩美術大学である。
当時多摩美の学長は文化人類学者の石田英一郎であった。全共闘運動が起き学生が団交を要求するや石田は敢然とそれに応じて学長室を開放した。そして学生の意見に耳を傾けながらも過大な要求は退け、大学と学生が手を携えて大学改革をすべきだと納得させた。学生たちは学長の見識と誠意に感動し、一説には泣きながら自らバリケードを解いたと伝えられている。
石田は男爵家に生まれながら、大学時代、左翼運動で治安維持法によって勾引(こういん)され、また上海のコミンテルン秘密会議にも参加しているつわものだった。戦後いち早くエンゲルス『反デューリング論』を翻訳した理論派でもある。覚悟、学識、いずれもへなちょこ全共闘学生が勝てるわけがなかったのだ。(評論家)
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