日本語の連濁は、長い間国語学界の謎とされてきた
by iwaoka3
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連濁と接頭語・接尾語
1.接頭語 
 接頭語とは「常に他の語の上に付いて、語調を整えたり・意味を添えたり・強めたりすることば」といわれている。
接頭語「お」は他人に対する尊敬や丁寧な気持や「お富さん」のような親愛の情も表した。
日本語は主語を省略することがよくある。そこで、他人やその行為に対して「お」を付けることによって、自他の区別を表した。
「お元気ですか」は相手に尋ねる表現であり、「元気です」は自分や自分の身内のことを表現している。自分の物や行為には「お」はつけない。
家の中では「お父さん」「お母さん」であるが、外に出れば「父」「母」である。
お魚 ご親切 差し控える うち続く 眞薦マコモ「お 御 差し 打ち 真」等が接頭語である。接頭語の後ろの言葉は連濁を起さない。
しかし、各語について接頭語であるかどうかは定説がない。
「打ち合せ 打ち落す 打ち殺す 打ち続く」等の「打ち」はどれが接頭語であるか。「打ち」の場合、文脈の中で本来の「打つ」という意味がある場合は接頭語ではないと定義したい。「打ち」が単なる強めなどの場合は接頭語である。
「真マ」をみると、真仮名マガナなど「真マ」の本来の意味 
「ほんとう」 「揃っていて完全である」 「正確に」
「生物の或る種類のうち標準となる種類に冠する(真竹ダケ 真鴨ガモ)」
等の意味を表わす場合は接頭語ではない。
本書では、前項の言葉に本来の意味がないと考えられる場合や単なる強めや美称や丁寧語の場合は接頭語とした。
「御雛オヒナ」のオは接頭語、「男雛オビナ」のオは複合語の前項である。
このように、連濁によって意味の違いが明らかになる。
例外として、「か・さ・た」等無声音一字の接頭語がある。これは後ろの言葉が連濁をおこす。
「か細いボソイ」「さ霧ギリ」「た走るバシル」がその例である。
これは意味を強めるためや、発音によるものと考えるか。又は接頭語といわれる「か・さ・た」は意味のある言葉で、「か弱い・さ百合・たばかる」は複合語であるのかに関しては、研究の余地がある。しかし、「かほそい」「さきり」「たはかる」では、発音しにくいし言葉の印象が薄い。単なる強めともとれる。 
「青さ」「青み」「青っぽい」をみると、それぞれ意味が異なる。
「青さ」は青い色の程度を意味する。「深さ」「弱さ」「寒さ」「嬉しさ」等、「~さ」はいずれも程度を表している。
「青み」も青い色の程度を意味するが、「青さ」は青一色の中での濃淡を問題としている。「青み」は他の色もある中で、青の占める程度を表している。
「青っぽい」はそのように見えるという意味で、全くの青でなくてもよい。
「安っぽい」「男っぽい」「子供っぽい」等、中身はどうであれそのように見えるという意味である。
以上の例で分かるように、「~さ」「~み」「~っぽい」には大切な意味が込められている。
「か弱い女」と「弱い女」では意味が異なる。
「か弱い女」は一般的に女性は男性よりも弱いという意味で、身体的な力や精神力が弱いという意味である。「弱い女」は他の女性と比較しても弱いという意味である。「か細い声」は、細くて弱々しい声という一般的な形容である。「細い声」は他と比較して、低くて小さい声という意味であろう。
「皐月サツキ」のサは接頭語ではないし、連濁もおこさない。
接頭語にはどのような例があるか見てみよう。「ご」は漢語につくので、省略する。
お~ お母さん お返し お澄まし 御御御付オミオツケ お手洗 お天気 
み~ 御輿ミコシ 御宝 御標縄ミシメナワ 御溝ミカワ 御国 御園 御霊ミタマ  
打ち(たたく・撃つの意味がある時は接頭語ではない) 
打ち勝つ 打ち消す 打ち揃う 打ち立てる 打ち倒す 
差し 差し控える 差し止め 差し曇る 差し加える 差し進む 
立ち 立ち別る 立ち至る 立入り 立ち後れる 立返る 立ち隠る 
取り 取り囲む 取り調べる 取り捨てる 取り繕う     
真  真杭 真草 真櫛 真子 真柴 真清水 真玉 真日 真火
  
「棚」「生イキ・ナマ」は接頭語と言われているがこれは接頭語ではないと考える。
「生」ナマには、次のような意味がある。
①動植物を採取したままで、煮たり、焼いたり、乾かしたりしないもの。また、その状態。
②材料に手を加えないこと。作為をほどこさないこと。「―の声」
③録音・録画などでなく、直接に視聴すること。
④技術が未熟なこと。完全でないこと。「職人としての腕が―だ」
⑤生意気の略。「―をいうな」   ⑥現金。げんなま。
⑦なんとなく。どことなく。
「中途半端で不十分」の意味があり、「生臭坊主ナマグサボウズ」等の罵り語の「生」は接頭語とはいえない。
未熟な・馬鹿なといった罵り語の単なる決まり文句といえる。
「畜生」も罵り語で、前項に「生イキ・男」がくると、連濁をおこす。
「生イキ 死シニ 阿房 馬鹿」は接頭語といわれているが、相手を罵倒するための言葉である。後項には「面ツラ」「騙りカタリ」「掏摸スリ」「盗人」等が罵り語に用いられる。罵り語は連濁をおこす。
「騙す ダサイ だれる」等よくない言葉には濁音が多い。これらの言葉は比較的新しい言葉である。  
「騙カタリ」は連濁をおこさない。連濁をおこすと「語り」とまぎらわしいからである。連濁は日常よく使われる言葉に多くおこる。
「棚」
「棚雲グモ」「棚曇りグモリ」などの「棚」の意味も「棚状のもの」と考えられるので、接頭語とはいえない。本来の意味がある。

 これまで「打ち 差し 取り 立ち 棚」等は、接頭語か本来の意味かの区別がはっきりしていなかった。
その区別は、接頭語の後ろの言葉は連濁をおこさないということが連濁によって明らかになった。後項の言葉が連濁をおこす場合、その前項の言葉は接頭語ではない。

2.接尾語 
「鯱シャチホコバル張る」「勿体振る」「浮き足立つ」「腹黒い」の「張バる 振ブる 立ダつ 黒グロい」は接尾語とあるが、これは複合語の後項の語が連濁を起こしたもので接尾語ではない。
この書の考え方として、動詞や形容詞の終止形の形での接尾語はないと考える。それは動詞や形容詞が連濁をおこした言葉で、状態を表す。 
接尾語に関しては、文法の項で取り上げる。
# by iwaoka3 | 2009-07-15 23:56 | Comments(0)
包同語 包異語 
 畳語が全て連濁をおこし擬音語・擬態語は連濁をおこさない。
畳語や擬音語・擬態語の他に、和語の連濁を起さない特殊な言葉のグループがある。
嫌い
ギライ 男嫌い 女嫌い 食わず嫌い 毛嫌い 外嫌い 人嫌い 負けず嫌い 
キライ 好き嫌い (大嫌い) 

ボコリ 煤埃 砂埃 焚き埃 土埃 麦埃 武者埃 焼け埃 綿埃   
ホコリ 塵埃チリホコリ 

ボトケ 生き仏 石仏 小仏 新仏 立ち仏 喉仏 野仏 無縁仏 薬師仏 
ホトケ 神仏カミホトケ 
このような言葉を集めると一つの特徴が出てきた。
「好き嫌い」のように、一語の中に相反する意味の言葉を結び合わせた複合語のグループがある。ここではこれを「包異語」と名付ける。
「神仏カミホトケ」のように似た意味の言葉を結び合わせて一つの言葉(複合語)となっているものを「包同語」と名付ける。
包同語 包異語は連濁をおこさない。
名詞のときは「鶴と亀」「陰と日向」のように「と」で二つの語をつなぐことができる。動詞なら「売り買い」は「売ったり買ったり」・「飲み食い」は「飲んだり食ったり」のように「~たり~たり」でつなぐことができる。
鶴亀」は連濁をおこさない。これは連濁をおこす言葉とおこさない言葉の意味の違いを表している。
「冠鶴カンムリヅル 黒鶴 鍋鶴 真名鶴 折鶴 千羽鶴」
「海亀 銭亀 象亀 泥亀 箱亀」
多くの複合語は後項が主たる意味を表し、前項はその説明である。
包同語 包異語は前項と後項が同格であるので、どちらが前項でもよい。
「黒白」でも「白黒」でもよい。発音のしやすい順序になる。
形容詞や形容動詞の場合、「甘辛 好き嫌い」のように語幹(名詞)で連なる。「干乾しヒボシ」は連濁をおこすし、意味も「食物がなくて飢えること」で包同語ではない。
 
1.包異語 
 前項と後項が反対の意味の言葉を結び合わせた複合語を包異語と呼ぶことにする。日本語はこのような、対になった言葉が好まれる。
明け暮れ 夜昼 盆暮れ 雨晴れ 照り降り 満ち欠け 満ち干 黒白 白黒 甘辛 裏腹 後末 本末 上下ウエシタ 尾頭 内外ウチソト 好き嫌い 売り買い 受け払い 受け答え 押し引き 差引き 抜き差し 貸し借り 遣り取り 見え隠れ 行き来 行き帰り 出入り 負け勝ち 生き死に 開け閉め 陰日向 多い少ない 足り不足 淵瀬 遠近オチコチ 減り張り
ジニ 犬死に 飢え死に 凍え死に 野垂れ死に 早死に 焼け死に 若死に 
シニ 生き死に(生きる事と死ぬ事)包異語 

2.包同語 
同じような意味の言葉を並べた複合語 
日月ヒツキ 月日 年月 足腰 目鼻 父母チチハハ 妻子 母子 孫子 雲霧 鶴亀 色恋 枝葉 味噌汁 酒肴 煮炊き 鍋釜 銭金 骨皮 爪髪 田畑 剣太刀 仇敵 手間隙 彼方此方 其処此処 移り変り 飲み食い 読み書き 寝泊まり 当り障り 包み隠し 遣り繰り 見聞き 逃げ隠れ 得手勝手 至れり尽せり 立居振舞 大寒小寒オオサムコサム 根掘り葉掘り 入れ替り立ち替り   
鰭 
ビレ 尾鰭 背鰭 腹鰭 胸鰭 
ヒレ 尾鰭    
「尾鰭オヒレ」は尾と鰭で包同語である。
「尾鰭オビレ」は魚類などの体の後端のひれという意味である。
この「鰭」に関しては、窪薗晴夫氏も「日本語の音声学」の中で「並列構造」という呼び方で連濁をおこさないと述べている。

汁 
ジル 潮汁 粕汁 薩摩汁 三平汁 潮汁 蜆汁 とろろ汁 河豚汁 若竹汁
シル 味噌汁 (膿汁 血汁 乳汁 唾汁 鼻汁) 
ジルは汁物の種類を表す。シルは身体から出る液体。例外は味噌汁であるが、これは味噌と汁で包同語である。 







# by iwaoka3 | 2009-06-15 23:21 | Comments(0)
後項に濁音のある言葉
 連濁は後項の言葉に濁音がないものにおこる。
後項の言葉の第二音節以下に濁音があるとき、連濁をおこさないことはよく知られている。
この説は古くライマンも述べている。
「かがみ ことば さじ さば しぐれ 仕事 しばい 雀 掃除 旅 つづき つばき たまご 鍵 陰 籠 カバ」
等の言葉が後項にくる複合語は、連濁をおこさない。 
籤クジ  当りくじ 阿弥陀くじ 空カラくじ 宝くじ 貧乏くじ  
籤のように、後項に濁音があれば連濁はおこさない。
「籤引きクジビキ」のように、前項に濁音があっても、後項の言葉に連濁はおきる。
言葉コトバ  合言葉 売り言葉 書き言葉 褒め言葉 
        言葉尻ジリ 言葉遣ヅカイ

「梯子ハシゴ」について
「竹梯子タケバシゴ  縄梯子ナワバシゴ  箱梯子」等はハシゴが連濁をおこした例外のようにみえる。しかし、これは複合語の元の言葉が問題となる。 
「橋と梯」について、和語では区別はないが、漢語では意味が異なる。
「橋」は二点を横につなぐもの。「梯ハシ」は高低のある二点をつなぐもの。
和語では橋も梯も「はし」で、二点をつなぐ同じ意味の言葉である。
「石橋 桟橋 太鼓橋 竹橋 吊ツリ橋 土橋 跳ね橋バシ 眼鏡橋」等、橋の種類は連濁をおこす。「竹梯 釣梯 箱梯 縄梯バシ」等、梯の種類も連濁をおこす。橋は固定されたものが多いが、梯は必要に応じて持ち運ぶことができる。
橋には「子」がつかないが、梯には「子」が添えられたと考える。
「縄梯子」はナワ バシゴではなく、ナワバシ ゴと考えられる。
辞書にも「梯の子」「箱梯」等の例もある。
「子」には「子供」「小さなもの」「親しみを表す接尾語」等の意味がある。
この他にも、木や竹で作られた物につけられる例「梃子テコ 背負子ショイコ 簀子スノコ」「板子ゴ 懸子ゴ 竪子タテゴ 破子ワリゴ」がある。
「梯の子」は、はしごの段という意味がある。
「梯子」は、日常よく使われた木や竹で作られた高い所に登る道具のことである。
連濁で言葉と言葉の結びつきを強めると同時に、言葉の切れ目も表している。
「彼岸桜ヒガン ザクラ  緋寒桜ヒ カンザクラ」もその例である。
# by iwaoka3 | 2009-05-15 23:37 | Comments(0)
連濁と擬音語 擬態語
 ここでは擬音語・擬態語の中の同じ音を重ねた言葉のみを対象とする。「ぷい(と) ぴたっ(と)」等は連濁との比較の対象にならない。
1.擬音語(擬声語)は全て連濁をおこさない。 
擬音語とは実際の音をまねて言葉としたもの。前項と後項が同じ音の繰り返しで連濁をおこさない。単に同じ音の繰り返しである。
かたかた がたがた かんかん がんがん きいきい ぎいぎい ことこと ごとごと とんとん どんどん ばらばら ぱらぱら ばりばり ぱたぱた ぱんぱん ぴこぴこ ぽりぽり ぼりぼり  

2.擬態語は全て連濁をおこさない。
擬態語とは視覚・触覚など聴覚以外の感覚印象を言葉で表現した言葉。
からから きらきら ぎらぎら くたくた くるくる ぐるぐる さらさら ざらざら しとしと じめじめ すらすら ちくちく とろとろ どろどろ はらはら ばらばら ぴかぴか ひらひら ふらふら へなへな ぼろぼろ 

畳語が全て連濁をおこすのに対して、擬音語・擬態語は連濁をおこさない。連濁によって文法上の区別がなされている。
畳語  からがら ことごと しろじろ すきずき ふかぶか ほそぼそ 
擬音語 からから ことこと すーすー ひゅーひゅー ぼーぼー
擬態語 がらがら とことこ じろじろ ずきずき ぶかぶか ぼそぼそ 
# by iwaoka3 | 2009-04-01 23:44 | Comments(0)
連濁と畳語
一、和語の畳語 
 「畳語」とは、「時時トキドキ」「晴れ晴れハレバレ」のように意味のある同じ言葉を二つ重ねて一つの言葉とした複合語である。後項にくる和語のカ サ タ ハ行音は必ず連濁を起す。このような重ね言葉に関しては、16世紀末頃から外国人に注目された。ポルトガル人のロドリーゲスも「日本大文典」の中の「濁りの用法」で、日本人は「上清スめば下濁る、下清めば上濁る」と言う、と述べている。この他ライマン・ヘボン・チェンバレン・アストンなど外国人の説があるが、何れも部分的な説である。 

 畳語に対して、「かんかん」「ちんちん」「すれすれ」「ひたひた」のように同じ音を二つ重ねた擬音語・擬態語は連濁をおこさない。
これまで畳語と擬音語・擬態語の区別がはっきりしていなかった。 
擬音語・擬態語は単に音や感覚印象を表現した言葉である。畳語は意味のある語を二つ重ねた言葉であるが、擬音語・擬態語は前半だけでは意味がない。
強強コワゴワし 形容詞の畳語(手ざわりがかたい ごつごつしている) 
強コワい    形容詞     ゴワゴワ    擬態語 
日本人は文法書などで習っていなくても、畳語と擬音語・擬態語とを意識の中で明瞭に区別しているのである。

和語の畳語は全て連濁をおこす。
畳語は言葉を二つ重ねることによって、次のような意味を表す。
イ、複数のものを表す 
方がた 神がみ 種ぐさ 口ぐち 国ぐに 声ごえ 心ごころ 事ごと 先ざき 
様ざま 然じか 下じた 品じな 島じま 下じも 隅ずみ 瀬ぜ 世ぜ 千ぢ 
月づき 時どき 所どころ 処どころ 端ばし 花ばな 日び 人びと 節ぶし 
其ぞれ 年どし 共ども 末ずえ 

ロ、状態や様子を表すもの 
一つの言葉では単に様子を述べているだけであるが、同じ言葉を二つ重ねることでそういう状態であるという意味も表す。
涸れがれ 代るがわる 消えぎえ 切れぎれ 細ごま 交ごも 怖ごわ 冴えざえ さめざめ 沁みじみ 好きずき 絶えだえ 散りぢり 取りどり 離れ離れ 
晴ればれ 広びろ 深ぶか 細ぼそ 仄ぼの 
甲斐がいしい 軽がるしい 神ごうしい 事事しい 寒寒しい 白じらしい 
騒ぞうしい 空ぞらしい 猛だけしい  捗ばかしい 花ばなしい 

ハ、強調 
同じ言葉を重ね合わせてその意味を強調する。
返すがえす 重ねがさね 予がね 辛がら 軽がる 呉ぐれ 黒ぐろ 粉ごな 
懲りごり 白じろ 精ぜい 高だか 近ぢか 熟づく 早ばや 遥ばる 冷えびえ 久びさ 惚れぼれ 

このように畳語は特別な意味を表すところが、単なる音響・音声をまねて作った語や感覚印象を表す擬音語・擬態語との違いである。畳語は連濁をおこし、擬音語・擬態語は連濁をおこさないところにも区別がある。

二、漢語の畳語
基本的に漢語は連濁をおこさないので、畳語も連濁をおこさない。
「近近」は漢語では「キンキン」と連濁をおこさない。和語では「ちかぢか」と連濁をおこす。






# by iwaoka3 | 2009-03-01 23:26 | Comments(0)
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